26.緊急事態


 緊急事態。
 イサたちにはそうとしか伝えられていなかった。
 どうしたのかと訊ねても、誰一人答えることはなかった。何のことだか解らずに、イサたち『風雨凛翔』はウィード城へと帰還していた。当然、途中から仲間になったリィダも一緒である。
「おぉ、イサよ。無事に戻ったのだな。ん? 新しい顔があるようだが、まあいい」
 謁見の間の玉座に座っていたウィード王がイサ達の姿を見とめると、慌しく立ち上がった。その証拠に、リィダの話題には少し触れただけで、彼女などいないかのような口振りだ。
「いったいどうしたのよ」
「どうかなさったのですか?」
「……」
 イサとラグドに同時に問い詰められ、ウィード王は苦い顔で首を振った。そういえば、どことなく疲労の濃い顔色で、数日見なかっただけで十年は老け込んだようにさえ見えてしまう。
「……数年前、英雄四戦士により魔王ジャルートは滅ぼされた」
 そのことくらいは赤ん坊でも知っている。『勇者』ロベル、『剣神』ディング、『賢者』リリナ、『武器仙人』(本名不明)の、冒険者『英雄四戦士』が世界を救った、という話は有名だ。
「魔王の居城がある島は、ダークデス島と恐れられた」
 その話も知っている。
「そんな話は誰でも知っているわ。何が言いたいの、お父様!」
 回りくどいウィード王に苛立ったのか、イサが人一倍大きな声で問う。その声は、ウィード王や他の兵士たちをたじろわせるほどの威圧感があった。いつの間にか、人として、王族として少し成長していたらしい。とはいえ、今そんな話は重大ではない。
「……」
 ウィード王が溜め息を一つ。隠して隠しきれるものではないし、隠す必要もない。このことを伝えるために、緊急に戻るように伝えたのだから。
「先ほど、調査隊から連絡があった。『魔王の居城が、復活している』と……」
 その言葉は、事実を知らなかった全員に激しい衝撃を与えた。
「魔王の居城が復活……!?」
「ということは、魔王ジャルートが復活を……」
「ありゃまぁ。そりゃ大変ですね」
「驚きだぁ〜」
「………………へ?」
「アホ……=v
 イサとラグドがその事実に素直に驚き、ムーナは他人事のように、ホイミンは本当に驚いているのかわからず、リィダなど何の理解もできずにキラパンからツッコミを受けてしまった。
「で、でも! 以前は魔王軍の攻撃を防いだのよ。死壁嵐(デスバリアストーム)のおかげで! だから、心配する事なんて――」
 混乱しかけたイサは、その事実を自分の口から出して落ち着きを取り戻そうとする。しかし、それはウィード王から否定された。
「だからこそだ。魔王が復活したならばその力を示すために、より人間を絶望に落しいれるために、以前打ち破れなかったデスバリアストーム突破を優先するだろう」
 イサもそのことには薄々気付いていた。あえて言わなかったのは、このウィードが戦場になることを恐れたからだ。そんな考えなど、頭の中から破棄したかった。
 デスバリアストームを打ち破ることで、魔王軍は以前よりも強力になったこと、どうやっても魔王軍の猛攻は防げないことを世界に知らしめることができる。そのため、デスバリアストーム突破に攻撃が集中するはずだ。

 緊急事態。

 この言葉が、これほど重たいものだとは思わなかった。
「どうしたら、いいの」
 呼び戻したのは、ただそれを伝えるためだけとは思えなかったのだ。確かに公言できるようなことではないが、事実を伝えるだけならば手紙でもよかった。しかし、ウィード王は全員を呼び戻した。何らかの考えがあったのだろう。
「イサよ。いや、『風雨凛翔』よ!」
 ウィード王が威厳ある声で宣言する。やはり、イサよりも威圧がある。ちなみにイサたちの冒険者名が変更しているのは、既に知っていたらしい。
「汝らに『風磊(フウセキ)』の探求(クエスト)を命ずる!!」
 その声は、凛々しく、盛大に、謁見の間に響いた。
「ふうせき……?」
 何処かで聞いた。最近だ。自分で繰り返して、ようやく思い出す。
 武器仙人が言っていた。『風磊』を探せ、と。
「何なの風磊って……」
 待っていましたとばかりに、学者風の男が一歩前に進み出る。確か、ウィード王直属の研究者だったはずだ。何の研究かは、イサでさえ知らなかった。
「『魔、二度現ることあらば、必ずや風の王国を脅かす。それ防ぐモノ、即ち三つの風石也』……。私が研究していた古代予言書の一文です」
 どうやら、古代研究家らしい。その男の言葉を補足するかのように、次はウィード王が口を開いた。
「魔王はこのたび、二度現れた。予言通りならば、風の王国――このウィードを脅かすだろう。それを防ぐ三つの風石とは、ウィードに安置されている『風神石』。そして、世界の何処かにある『風魔石』、『風龍石』の三つ!」
 風神石ならば知っている。この城に奉られているもので、神を奉る行事で拝んだりすることもあるからだ。しかし、他の二つは知らなかった。というよりも、風神石がその風磊の一つであるという事実も今知ったことなのだが。
「じゃあ、その風魔石と風龍石を探せってこと?」
「そうだ。そのための助力は尽くす」
 イサの問いにウィード王が頷く。
「……以前より極秘に風磊を探索していたのだが、その一つが発見された」
 ウィード王が合図を送ると、側近の兵士が一通の手紙をイサに手渡した。
「……また手紙なのね」
 嫌な予感がするのは、手紙というものに対して一度も良い事がなかったように思えるからだ。何かが起きる時は、何故か手紙がもとになっているようで良い印象ではない。しかし開かなければどうしようもないし、今は緊急事態なので何かしらの事が起きるのは当然だろう。
「……ベンガーナからの手紙?」
 差出人を見て、イサは目を見張った。同じ北大陸ノースゲイルに存在する、軍事国家だ。
 その手紙の内容に目を通して行く度に、イサは複雑な表情になっていく。
「どういう、こと……」
「そこにある通りだ」
「で、でも!」
 イサが悲鳴に近い声をあげる。
「どうしたんだい?」
 ムーナが横からひょこりとイサの手紙を掴む。彼女もまたその手紙を見て驚いたようだ。すぐさまその手紙をラグドに渡す。彼は勝手に読んでいいものなのか迷ったが、しかしその迷いはすぐさま打ち消された。少しだけ目に触れた一文が、驚くべき内容であったからだ。読み直し、また驚愕する。
「これは!」
 ラグドの肩が震える。それは怒りからからだろうか、それとも恐れか。
「どうしたんすか?」
 リィダも気になったようだが、ラグドは彼女に手紙を渡すことはなかった。

 余計な公式挨拶文などを省くと、内容はこうであった。
<貴国の探し求めているという風魔石はベンガーナが所持している。すぐにでも貴国にこれを明け渡したいが、こちらにも国の体裁というものがある。なので貴国との精鋭と我が国の精鋭を五人戦わせ、その試合に勝利した者が風魔石の所持権を持つこととする。理解していただきたいのは、我が国が無条件に風魔石を渡せば、世間はウィード傘下の国と見て取られるやもしれない。だからこそ、然るべき力の優劣をつけることによりその考えを無くすべきだ。そしてこれは我が国のしきたりで申し訳ないが、何かの所持権を巡る場合には戦い、勝ちを得た者が所持権をもつこととするのが掟。我が国に風魔石がある以上、この掟には従ってもらわなければならない>

「……? 別に、普通の内容じゃないっすか?」
「阿呆。俺たちは勝ったら風魔石が手に入るって利益がある。けど、向こうには? もともと所持しているものの所持権を持つことなんておかしいだろ。向こうが勝てば、領土の三割くらいは頂くとか言い出すんだろ=v
「あぁ、なるほど」
 キラパンの言葉はリィダ以外聞こえていないが、思っていることは同じだった。表向きにはただの試合。しかしこれを口実にベンガーナは何かしらウィードに損害をもたらすだろう。話が大きくなれば、もしかしたら戦争になる可能性さえあるのだ。
「だけど、勝てばいいのよね」
「しかし相手は軍事国家。兵力は世界一です。簡単に勝てるなどとは思えません」
 イサの発案を、ラグドが否定するかのように首を振った。
「……その件についての討論は、既に終わっている」
「え?」
 仲間内で話し合っていたため、ウィード王の言葉に全員が振り向いた。
「何の考えも無しに、その手紙を見せたと思うか?」
 からかうような笑みは、しかし疲れているようにも見えた。魔王の復活とともに届いたこの知らせに、ずいぶんと思い悩まされたのだろう。
「我々はこの決闘に応じる。一刻も早く、風魔石を入手せねばならないからな」
「本気なの? だって、もし負けでもしたら……」
「お前が負けを気にするとは珍しいな。その『もし』はないと信じているぞ」
 まだ何かをいいかけたイサだが、開きかけた口を閉じた。一刻を争う事態なのだから、この試合に応じない手はない。それに、負けた場合を気にするなんて、言われた通り自分でも珍しい。自分たちは信頼されているのだ。それを裏切るわけにはいかない。
「ウィードの精鋭ってことは、戦えるのは私と……」
 後ろを振り返る。
「私もその試合に参加させてもらいますよ」
 ラグドは当然だろう。力ならイサよりも強いし、騎士団の団長を務めている。
「アタイも行けるよ」
 ムーナがにやりと笑う。魔道団団長としての彼女の戦力は大きい。
 これで三人。
「もしかして……ウチもっすかね?」
 リィダ自身の戦力には期待できないが、キラパンならば大丈夫だろう。魔物使いは魔物を使ってこそ、その力を発揮するので相手も文句は言うまい。これで四人。
「アハハ〜♪」
 ホイミンは……。
「……ホイミンを入れてようやく五人。でも――」
 イサの言いたいことは誰もが思っていることだった。ホイミンはその回復魔法こそが戦力となっている。直接的に戦う力は持ち合わせていないのだ。
「安心しろ。もともとホイミンには決闘のメンバーから外れてもらうつもりだった。医療班として活躍してもらう。それに決闘に応じる助っ人を既に呼んであるしな」
「助っ人……?」
「うむ。入ってきてくれ!」
 ウィード王が手を叩くと、その人物は姿を現した。
「え! あ、かっ……!?」
「へぇ」
「なんと」
「あはぁ♪」
「……誰っすか?」
「さぁな=v
 イサが仰天し、ムーナとラグドが感嘆し、ホイミンはただ笑って、リィダとキラパンは知らない、その場に現れた人物。赤い髪を後ろで一つに束ね、その赤に合わせたような赤い武闘服。その冷たい目を見るだけで、イサの身体は硬直さえしてしまいそうだった。
「助力は尽くすと言ったであろう」
 ウィード王の言葉で少しだけ正気を取り戻すが、イサは思わず後退りでもしてしまいたい衝動にかられた。
「か、カエン師匠?!」
 イサに武闘神風流を教えた、最強の武闘家と言っても過言ではない男。そしてイサの命でさえ奪いそうになった男。
「どうした、イサ。俺では不安か?」
 ふ、と不敵な皮肉的笑みを見せるカエンに対して、無言で――というよりも何も言えず――首を振るイサ。不安なんてあるわけがない。助っ人と呼ぶには強力すぎるほどだ。
「お、お願いし、しま……します…………」
 やっと紡ぎ出した言葉は言葉になっていなかったが通じたのだろう。カエンがゆっくりと頷いた。
「頼んだぞ!」
 ウィード王が、その場を締めくくるように宣言した。


 ――。
「ふ〜ん。軍事国家ベンガーナねぇ」
 その青年は空中からウィード城を眺めていた。持っている大きな鎌を弄ぶかのようにしていたが、その顔は複雑だ。
「『神風の王女』は『消去』ちゃんの死を乗り越えて強くなった。けど、それじゃあ今のベンガーナには勝てないだろうねぇ。楽しめるかなぁ。いや、きっと楽しませてくれるよねぇ」
 青年の姿は、そのすぐ一瞬にして消えた。
 ――。

 ――。
「ウィードは決闘に応じた。そこで貴公らにはこれを装着してもらいたい」
 全身を包み、顔が見えないほどの黒ローブを纏った男が目の前にいる四人に、それぞれ色違いのローブを差し出した。
「はぁ? なんでそんなことしなきゃいけねぇんだ?」
 金髪を逆立たせた男が言う。
「形式的には、この私がリーダーということになる。少しでも怪しまれないためにな」
 黒ローブは笑うように言った。
「木の葉を隠すのは森の中。人を隠すのは人の中。ローブで怪しいやつを隠すには、全員が怪しいローブの着用を、ということか」
 青い長髪の男が薄く微笑む。
「構わない。着ればいいのだな」
 剣士のよう男をが認める。
「……」
 老人が無言でローブを掴んだ。どうやら咎める気はないらしい。
「チッ。……わかった、わかったよ。着ればいいんだろ。まぁいいさ、この場に女の魔法使いがいないんだ。それに免じて、これぐらいはしてやるよ」
 反対気味だった金髪の男は、しかしすんなりと決めたようだ。
「フクク。それでは、まいろうか」
 黒いローブの男は、邪笑を浮かべていた。
 ――。


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