21.猛虎人食


 『風雨凛翔』とは、以前は風魔の大地騎士(仮)だった冒険者名の正式決定した形である。そのメンバーは変わらずイサ、ラグド、ムーナ、ホイミンの四人だけだったが、今は五人目が存在している。
 リィダ=アシュリル。ムーナを『姐御』と慕い、不幸の女神に微笑まれている不運少女だ。歳はイサよりも年上でムーナより年下。結構、すぐに大泣きする。冒険職は魔法使いから、心機一転として狩人に転職。その仲間探しの最中にイサたち『風雨凛翔』と出会う。ムーナが紹介した、サラの協力により不幸の種――取り憑いていた魔物――を除いたものの、その不幸っぷりは今でも健在のようだ。
「だから、こうなるのだな」
「うぅ。申し訳無いっす……」
 つい言葉に出してしまったラグドに、リィダが身を小さくする思いで謝る。
 本当ならば、もうシルフの町に到着してもおかしくはないのだ。それなのに、リィダを旅の仲間に加えてから、リィダはよくこけるし、薪を広いにいったら魔物の群と遭遇するし、今では途中の宿泊施設で足止めを食らっている。
「でも、これはリィダのせいじゃないと思うけどねぇ」
 ウィードとシルフの町の中間地点にある宿屋。そこで足止めになっている理由は、人喰い虎が出る、とかでシルフへの道が通行禁止になっているのだ。仕方なく、まずは休憩として軽い食事をすることにした。
「そうだよ。騎士団が早く何とかしてくれればよかったのに」
 食事の最中にイサがぷうと頬を脹らませる。
「私のせいなのですか……?」
 ウィードに近いこの場所なら、城の騎士団が抱えるべき治安的問題なのだ。だが、それが解決されていない。従って、『風を守りし大地の騎士団』の騎士団をまとめるラグドに責任が、無いでもない。
 とはいえ、最近は忙しかったのである。コサメが宿していた魔霊病≠フ影響で、騎士団のほとんどが病に倒れてしまったのだ。サラが作った、パデキアの花から採取したエキスで作った薬で全員完治したものの、それまでの混乱などで他の問題に手をつけることができなかった。それにより、人喰い虎とやらの問題がうやむやになったままなのだろう。
「とりあえず、食事が済んだら様子を見に行きましょう。人喰い虎が出るなんて、どっかのお話みたい!」
「ラグドぉ。その虎、もしかしたらアンタの昔の知り合いが虎化したのかもよぉ♪」
 などと人が虎になるという話を持ち出してイサとムーナがラグドをからかったりしている間に、すっかりとテーブルの上の料理は空っぽになっていた。
 その空になった皿を下げにきた宿屋の主人が、ピタリと視線をイサたちに向けた。
「もしかして……あんたら冒険者かい?」
「うん。そうだけど」
 イサの返答で、主人の顔が一変した。憂鬱そうな顔から、希望を持ったような顔に大変身。
「そりゃあ良かった! 金なら幾らか払う。人喰い虎をなんとかしてくれ!!」
 空の皿を下げることも忘れ、その主人は熱心に依頼を申し込んだ。余ほど人喰い虎に悩まされているのだろう、イサたちが返答する間もなく、「お願いです」「この通り!」「後生ですから」「一生に一度の願い!」「こっそり宿代がタダ!」などなど、言葉のマシンガンを連発。イサとしては依頼を引き受けるも何も、ウィードの治安問題でもあるので、どうにかしようと考えていたのだ。
 だから礼金を貰うまでのことでもない。だが、まぁ宿代がタダになるくらいならいいかしら、と考える。……などと思っていると、いつの間にか主人も言葉のネタが尽きて来たのか、「ヘルプ! ヘルプミー!」「いよっ、別嬪さん!」「虎を何とかしないと女房と息子と隣町のコンちゃんが……!」「明日の朝はトーストと目玉焼き!」「昨日の天気は晴れでした!」と訳の分からないことを言い出してきた。
 どこで息継ぎをしているのやら、イサたちは返事をしようにもできない。
「つーわけでお願いします!!!」
 数秒間、沈黙。
 ……どうやら、マシンガントークは終わったらしい。
「あのね、おじさん。私たち別に礼金とか貰わなくても、人喰い虎の問題を解決しようと思っていたの。だから、心配しないで。あと、水を飲んだほうが良いわ……」
 水を勧めたのは、主人が今にも呼吸困難を起こしそうな勢いでゼーハー言っていたからである。


 夕暮れに照らされて、世界はどことなく橙色に近くなっている。空を見上げれば、薄らとではあるが月が見えている。山が近いし、月も出ているとなれば、いよいよどこかのお話に近くなってくる。
「しっかしねぇ……。都合良く、人喰い虎なんて現れるのかねぇ。こんな武装した人間の前にわざわざとさ」
 ムーナがラグドの大仰とも言える鎧を面白半分にコンコンと小突く。
「大丈夫だろう。我々には、リィダがいる」
「……なるほど」
「『なるほど』って、姐御ぉ……」
 リィダがムーナの黒い外套を掴んで離さないでいる。それもそうだろう。誰にだって恐いことはあるものだ。特に、人喰い虎をおびき寄せるための囮になるということは、リィダの性格では荷が重過ぎる。
「大丈夫。ケガしても、ベホマしてあげる!」
 どんな時でも能天気なホイミンの性格を、リィダは心底羨ましがった。少しでもホイミンのような楽天さが自分にもあったら、もっとこの不幸な人生をポジティブに生きていけただろうに。
「それじゃリィダ。『何か嫌な予感がする方向』に歩いてみて」
「うぅ……。わかったっす…………」
 泣きながら、渋々とリィダは歩き始める。嫌な予感がする方向、などと言われても、今のリィダにとってその方向は全方向を意味しているのだ。右だろうが左だろうが上だろうが下だろうが……。しかし憧れているムーナのために、少しでも役に立てるということはリィダにとって幸せであった。不幸な人生を歩んできたおかげか、人を見る目は随分と向上したようだ。あの時、酒場でイサたちを選んだのは正解だった。
「あ、武器を持っておいたほうが良いよ。いつ襲われるかわからないから」
「え? あぁ、そうっすね」
 イサに言われて、リィダは慌てて周囲を見渡した。大丈夫、まだ虎は現れていない。
「そういやぁ、リィダって『冒険者』? それともイサやアタイと同じ『魔物殺(モンスターバスター)』?」
「冒険者っすよ」
 右腕を露わにすると、そこには盾の上で二本の剣が交差する紋章――冒険者の紋章が刻まれていた。武器召還を可能とする、あらゆる事態に対応できる職業だ。
 だから、リィダは精神を集中させて、武器召還(ウェコール)を行なった。
「……って、え?」
 イサが目を丸くする。その瞳に映るのは、リィダが召還した剣。銀でもなければ魔法剣でもなく、ましてや鋼や鉄ですらない。ただの、銅の剣である。
「あれ?」
 狩人の冒険職としての武器の傾向は、主に剣と弓である。だからリィダが剣を召還しても何ら問題はないのだが、剣の中でも最弱とも言えるかもしれない、ただの銅の剣を出されたら驚くしかなかったのだ。
「おっかしぃすね。調子が良い時は、聖なるナイフが召還できるんすよ」
 自身満々に言うリィダ。そういえば、まだ知らないのだろうか。イサのつけている風の爪は、かの有名な武器仙人に作ってもらったという逸品。ムーナの杖も、杖職人が手間暇かけて作った最高の作品だとか。ラグドは冒険者でリィダと同じ召還の技術を使うが、『伝説級』の槍をいとも簡単に召還できる。だから、『初級』に分類される銅の剣や聖なるナイフを召還しているリィダは、そうとう実力が違うようだ。
「護衛の仕事につこうとした時、『レベルが低いで門前払い』ってのが改めて納得できたよ」
 ムーナが苦笑いすら浮かべながら、リィダと出会ったころの会話を思い出す。確かに、護衛が銅の剣を振り回すくらいの、簡単に言ってしまえば素人では不安なことこの上ない。
 武器が弱くても、それを扱う人間が強い――それこそ勇者ロベルのよう――なら安心できるかもしれないが、リィダはとても強いとは言えない。それに加えて自負しているほどの不幸少女。護衛の仕事が門前払いにならない方がおかしいだろう。
「少し間合いを取って戦える矢とか鞭を召還しておいたほうがいいと思うけど……」
 とイサが提案する。人喰い虎に銅の剣に立ち向かわれては、こっちの心臓に悪い。剣よりも遠くから攻撃できる武器ならばまだマシというものだ。
「わかったっす」
 そう言って、リィダは銅の剣を武器変換(ウェチェンジ)。出てきたのは、やはり『初級』の革の鞭であった……。

 これはリィダの影響か、不幸にも(?)人喰い虎と遭遇することは夜になるまでなかったことだ。月明かりのおかげで視界が悪いということはないが、夜は魔物が狂暴になっている。
 見上げれば、満月の月がイサたちを嘲笑うかのようにぽつりと浮かんでいた。
「出てこなかったね、人喰い虎」
 冗談半分に――つまり半分は本気で――イサは軽くリィダの肩を叩いた。
「そ、そうっすね!」
 安堵の息か、冷や汗や油汗を絶えずかいていたリィダは、心底嬉しそうな声で答えた。そりゃまあ、何処から虎に襲われるか解らない状況を楽しむほどの度胸など、リィダにはないのだから当たり前だ。
「とりあえず宿屋へ戻りましょう。対策は明日に考えるとして……」
 ラグドが途中で言葉を切った。それを不審に思ったイサは、しかしその理由に感付く。ムーナも同様に気付いたようだ。解っていないのは、リィダとホイミンだけ。
「どうしたんすか?」
 役目から解放された喜びからか、リィダの声にはまるで緊張感がない。三人は、何処からか迫ってくる何かに少しでも素早く対応できるように神経を尖らせているというのに。
「……来る!」
 イサの言葉と同時に、最初は風で動いていたと思っていた草むらが一層激しく揺れ動く。
 そこから飛び出したのは、大きな獣。その大きさは大人一人を上回るほどの、明らかに犬などの小動物の類ではない巨躯、そして殺気。
「虎ぁぁぁ!?」
 反射的にリィダが叫ぶ。その時に腰を抜かしたのか、ペタリと座り込んでしまった。ちょうど、リィダの頭上をそれ≠ェ跳び抜けた。立ったままだったら、その牙と爪の餌食になっていただろう。リィダはそのことを理解すると、一瞬にしていろんな汗が一気に吹き出た。
「虎……? 違う! 豹だよ。殺戮の魔豹(キラーパンサー)だ!」
 リィダを襲うことに失敗した獣は、態勢を立て直すためか、威嚇するように一度停止してこちらを睨みつけている。
「暗かったから、虎と間違えたのかしら」
 イサが構えを取る。暗がりの中で襲われてしまったのならば、わざわざ虎と豹の区別をはっきりさせようなどと思う者はいまい。
「魔物相手なら、私が行きましょう」
 ラグドが素早くグラウンドスピアを召還する。
「それって、私の台詞じゃない? 私が魔物殺(モンスターバスター)なんだから、魔物相手なら……」
「イサ様はお下がりください」
 イサが言おうとした事をラグドが遮り、ずいと前に出る。
「ちょっと、ラグド!」
 非難するような声にも、最早聞かないといったようにラグドは何ら反応しなかった。自分も戦いたかったのに、とイサは落胆した。ラグドは、イサの知る限り最強の騎士だ。キラーパンサーに後れを取るとは思えない。勝敗はわかりきっていることなのだ。
「人間どもが……=v
 キラーパンサーが低く唸る。攻撃の予兆か、ラグドは相手の動きを一つ一つ見極めるかの如く神経を集中させた。
「き、キラーパンサーが喋ったっすぅ!?」
 まだ座り込んでいるリィダが、いきなり泣き喚くような大声を出した。
喋った(,,,,)? 威嚇するために唸っただけだよ」
 唐突に奇妙なことを叫び出した座りっぱなしリィダに、ムーナが手を差し伸べる。いくらラグドが戦うと言っても、座ったままでは危ない。
「え? でも、いま……」
「ほぉ。面白い人間だな=v
「ほら! 今、喋ったっす!!」
 イサとムーナが、顔を見合わせ、同時に首を傾げる。先ほどと同じように唸り声しか聞こえてこなかったのだ。不審に思ったラグドも、やや警戒を解いた。
「リィダよ。お前、まさかこの魔物の声が聞けるのか」
「え? ウチだけなんすか?」
「どうやら、そのようだ。俺にも声など聞こえなかった」
 対峙している時に一番集中していたのはラグドである。そのラグドでさえ、声は聞こえなかった。
「その大男の言う通りだ。俺の声は、貴様にしか聞こえていないみたいだな。まぁ、後ろにいるホイミスライムはどうか知らないが……=v
 リィダが振り向くと、ホイミンがいつも通りアハアハ顔でふわふわと浮いている。
「ホイミンさん。声、聞こえたっすか?」
「リィダの声? 聞こえたよ!」
「いや、ウチじゃなくって」
「ムーナの声も聞こえたよ!」
「姐御じゃないっす」
「イサ様の声もラグドの声も聞こえたよぉ!」
「……もういいっす…………」
 何を聞いても無駄だと悟り、リィダは視線をキラーパンサーに戻した。
「でも、なんでウチに聞こえるっすか?」
「俺が知るか=v
 ふん、とキラーパンサーが鼻を鳴らす。なんだか、殺戮の魔豹と呼ばれる魔物であるのに人間のような仕草であった。
「なんて言ったの?」
 イサが聞いた。リィダは何を聞かれたのか解らなかったが、すぐにイサたちには声が聞こえていないのを思い出した。
「知らない、って言われたっす」
「ふ〜ん。あ、ちょっと待ってな」
「ムーナ?」
 ムーナが唐突に魔方陣を描き始めたのだ。何処と無くルーラに用いるものに似ているが、それが単純化したような紋様をしている。そして、何も言わずにムーナは呪文を唱えてこの場から瞬と姿を消した。

 そして戻って来たのは五分も経っていないころだ。戻って来たムーナの手には、一枚の羊皮紙が握られていた。
「戻ってきたよぉん♪」
「ムーナ、今の……」
「んふ。簡易ルーラのリルーラだよ。ルーラは強くその場所を思い描かないといけないけど、この紋を残した場所なら、魔力が紋章に篭もっている間は行き来可能ってわけ」
 ムーナが新しく作った魔法らしい。新しく、といってもルーラと似たようなものだし、内容的にはルーラよりも簡易的なもののようだ。
「あ、それ……」
 リィダには、ムーナの持っている羊皮紙に見覚えがあるようだ。
「うん。リィダの、職業経歴書。コピーだけどね」
 冒険者ギルドやダーマで転職する際に、この経歴書に情報が書き込まれるのだ。今まで歩んできた道を確認したりすることができる。
「これによるとさ、リィダは魔法使いから、『狩人』じゃなくて『魔物狩人(モンスターハンター)』になっているんだ」
「…………へ?」
 リィダが間の抜けた声を出す。ムーナから経歴書を受け取り、確認。確かに、狩人ではなく魔物狩人と書いてある。名前も自分の名前で、サインも自分のものだ。同姓同名というわけではない。
「モンスターハンターって、魔物や動物の言葉を理解したりする上級職じゃなかった?」
「はい。しかし、何らかの『素質』があったのでしょうな」
 イサの言葉に、ラグドが頷く。冒険職は、極めた職業だけでなく、その人そのものが持っている素質が関連して職につくことができる。そういうのは大抵、属性に関するもの――炎戦士や風刹闘士など――ではあるが、稀にランクそのものに関る素質もあるようだ。リィダは、それに該当したということだろう。
「ふぇぇ。ウチ、そんなものになってたっすか」
 ようやく事の凄さが理解できてきたリィダは、まだ信じられないといった感じではあるが嬉しそうであった。
「……貴様の側は心地良いな。よし、しばらくは貴様に従おう=v
「えぇっ?!」
 呆けていたリィダが今度は驚愕の声をあげたので、周りのイサたちもその唐突さに驚いてしまった。
「どうしたんだい、いきなり大声なんて出してさ?」
「姐御ぉ、このキラーパンサー、ウチに従うって……」
「へぇ。よかったじゃんか」
「でも、人喰いっすよ」
「何を勘違いしてやがる。確かに俺は人間を襲ったけどな、喰っちゃいねぇよ=v
 キラーパンサーがすかさず弁解する。どうやら、襲われた人があまりの恐怖に人を喰うと勘違いしたのか、それともただ噂におひれがついたのかしたらしい。
「それに、俺は人の『不運』を食えるんだ。貴様は不運の塊のようだからな。しばらくは困らない=v
「あぁ、そういうわけっすか……」
 取り憑いていた魔物が消え去っても、リィダは自分が不幸に恵まれている(?)ことを改めて実感した。さすがに、このことはイサたちには話せない。
 ともあれ、冒険者としての実力が乏しいリィダに、頼もしい仲間ができたのは確かだ。
 月が、いつの間にか微笑むような光を放っていた。


「で、名前はどうするの?」
 通行禁止か解禁になり、シルフの町に向う道中、イサは唐突に質問を投げかけた。何のことか解らず、きょとんとしてしまったリィダは、すぐに自分に言われたのだと理解した。
「名前……。キラーパンサーの名前っすか?」
「うん。いつまでも『キラーパンサー』って呼んでちゃかわいそうだよ。名前、つけてあげなきゃ」
 魔物使いに従う魔物には、名前をつけてこそ真の関係が生まれる。本来は、名前を魔物使いがつけることにより、従わせる魔物を束縛するという意味があるらしいが、イサの言う通り『キラーパンサー』と呼んでいては他の魔物と区別がつかなくなる。それに、仲間として呼び合う名前は必要だ。
「名前……」
「なんでもいいぞ。主人なんだから、お前が決めろ=v
 従っている、というよりも、従ってやっているような喋り方だな、と思ったが、そういえば自分以外に聞こえていないのだから、わざわざ言うこともないだろうと判断してリィダは思考を戻した。
「ホイミンさんはホイミスライムだから『ホイミン』なんすよね」
「うん、そうだよ〜♪」
 ふわりふわりくるくると空中を移動しているホイミンが元気良く答える。
「んじゃあ、キラーパンサーだから『キラパン』っす! これからよろしくっすよ、キラパン!」
「もっとマシなのはなかったのかよ……=v
 キラパンは後悔しただろう。リィダに名付を託したのは間違いだった。しかしそれを今さら言ってもどうしようもない。撤回させようにも、リィダは変更しないだろう。やれやれ、と嘆息しているうちに、一つの町が見えてきた。
 盗賊の町、シルフである。

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