20.不運少女


「なるほどね」
 一気に飲み終えたミルクティーのカップを持て余しながら、サラは笑みを浮かべながら面白そうに言う。
「いいわねぇ。薄幸の……少女」
 最後の言葉が躊躇われたのは、美少女と言いかけたが美がつくほどでもないと勝手に判断したからである。
「調合薬とかで、どうにかなるできる問題なのか?」
 サラが思案している間に、ラグドがムーナに問いかける。サラを紹介したのは彼女であるから、何らかの思惑はあったはずだ。しかし、当の本人はサラと同じく思案顔を作ったかと思うと、
「さぁ?」
 などという無責任な答えを返した。
「もしかして、おもしろそうだから?」
 ラグドの疑問に、イサも同じような考えを持っていた。
 不幸という症状を、医者がどうにかできるような問題なのだろうか。
「それもあるかな。でも、サーちゃんなら何とかできそうな気がしたから」
「ホントかなぁ……」
 確信が得られず、イサが不満の声を出した。
「…………よし、何とか出来るかもよ」
「え?!」
 疑った矢先にサラが断言したので、イサは思わず声を上げて驚いてしまった。ラグドも声に出さすとも、口をぽかんと開けている所を見ると、相当驚いているようだ。
「本当っすか?」
 リィダが期待と恐怖と不安が入り交じった微妙な声でサラに言葉を返す。
「たぶんね、私と一緒にベッドで一夜を過ごしたら……」
「サーちゃん」
 ムーナがじとりとサラを睨む。
「冗談よ。ついてきて」
 サラが言うと冗談に聞こえない。
 彼女は席を立って歩き出した。イサたちも慌ててそれを追う。
 サラは医務室を出て、一直線にソコへ向かって行った。何処に向かっているか最初に気付いたのはラグドで、辿り着いた場所は、騎士団の広い訓練場であった。


 ウィード城の『風を守りし大地の騎士団』の中で、最も人数が多く、信頼されているのはラグドが団長を務めている騎士団である。そのため、城の設備は騎士団が使用する割合が多い。サラがイサたちを連れて来た場所はそれの一つである。騎士団の団体戦の実践訓練だけでなく、魔道団の大規模な魔法訓練にも使用されているため、訓練場の部類では最も広いのだ。
「こんな所で何をするの?」
 ラグドやムーナは来慣れた場所であるが、イサは滅多に来ることはない。来たとしても見学などで、自らが訓練を行おうとすると兵士たちが戸惑ってしまって相手にならないのだ。
「んふふ、ムーちゃん。ちょっと……」
 サラがムーナを指定し、彼女の耳元に何かを囁く。それを聞いたムーナは、何かを頼まれたのだろう「いいけど」と返事を返した。
 ムーナはおもむろに魔道士の杖を取り出し、地面に線を描いていく。別に落書きをしているわけではなく、何らかの魔法陣を描いているようだ。
「できたよ、破邪の陣。ていうか小声にする必要はあったの?」
「特に無いわ。囁くように言えば、顔が少しでも近付くでしょ」
「アンタねぇ……」
 そこまで計算していたとはさすがのムーナにもわからなかったようで、まんまと彼女の思う通りになってしまったというわけだ。
「破邪の陣? 確か、呪いとかを解いたりする時に使うやつだよね?」
 王女たるもの、一応の知識は心得ている。魔法陣描き方はよく知らないにしろ、役割や特性くらいならイサは少し知っているのだ。
「そう。リィちゃん、ここの中心に立って」
 いつの間にかリィダの呼び方が妙なものになっていたので、リィダ本人は彼女の言う通りにすることを躊躇っているらしい。不安そうな顔を、『姐御』に向ける。それを見たムーナは、どうしようもできないよ、と言うかのように苦笑いを浮かべていた。
「ホイミンさんが羨ましいっす……」
 今にも涙を流しそうなリィダの視線の先には、広い訓練場を自由気ままにふらついているホイミンの姿があった。ホイミンを「さん」付けにするとやけに不自然だな、とラグドは思ったが口には出さなかった。
 渋々リィダは魔法陣の中心に立つことになり、その前にサラから壷を一つ渡されていた。
「なんすか、これ?」
「壷よ」
 見りゃ分かる。
「どうするの、サラ?」
 未だにサラの意向が理解できず、イサも不安でしょうがなかった。もしここまできて何もなかったとなると、リィダに申し訳ないのだ。
「今からお見せしますよ」
 飛びっきりの笑顔(とはいえ自称)をイサに向けると、サラは魔法陣の中心に立ったリィダに顔を向けた。
「今から私の言う通りにしてね」
「わ、わかったっす……」
 戸惑ったのはもちろん、彼女の言う通りにすると危険な気がしたからだ。
「まず、壷を両手で持つ」
「両手で持ってるっす。結構、重いすから……」
 一抱えはある壷、というほど大きくはないが、片手でひょいと持ち上げられるほど小さくはない。もし中に何かが入っているのだとしたら、確かに両手でないと落してしまうだろう。
「次に壷を持ったまま、掲げるように両腕を真上に伸ばす」
「こうっすか」
 リィダが壷を真上に持ち上げる。
「最後に、壷を上下に反転」
「上下に反て――」
 壷を真上に持ち上げて、その壷を上下に反転する、ということは壷の中身が重力に従って落ちてくるのだ。そして壷はリィダの身体の真上にある。つまり――

 ザザザザザアァァァァァ――――

 壷の中身を、もろに被ってしまったのだ。
「な、なんすかこれぇ?! って辛っ、からいっすぅぅ!!」
 白く、細かい結晶のようなようなもの。そして辛いらしい。
「あれは……塩だな」
 ラグドが少し考えて結論を出す。考えるほどでもないと思うが。
「ピンポーン。塩ってのは、身を清めるためにも使われるからねぇ」
「それと不幸が、どう関係するというのだ」
 さっぱり解らず、ラグドがサラに問うと、サラはリィダの足元の魔法陣を指差した。
「な、なんすか?!」
 ムーナの描いた破邪の魔法陣が、激しい明滅を繰り返しているのだ。
「来るわ!」
 サラの呼び掛けから数秒後、サラの身体から、黒い何かが飛び出した。
「魔物?! ホイミン!!」
 戦闘となれば、ホイミンが必要となる。イサはやや離れてしまったホイミンを呼び戻した。
 黒い何かの方は生物のような形を取り、それはまさしく魔物であった。身体が真っ黒で、ピンと尖った耳に、長い鉤鼻、長い指、ぴょいんと飛び出した二本の触覚。大きさは十歳の男の子のような……。
小悪魔(インプ)か!」
 ラグドが警戒しながらグラウンドスピアを召還する。
「ずいぶんとまぁ、リィちゃんに憑いていたみたいね。かなり肥えているわ」
 興味深そうにサラがインプを観察する。確かに一般のインプよりもいきが良いとでも言おうかなんと言うか。
 リィダは失神したのか倒れているが、命に別状があるというわけではなさそうだ。
「……ん〜? ありゃぁ、魔道小悪魔(マージインプ)じゃないかい?」
 警戒態勢を保ちつつ、ムーナが自分の記憶にある魔物と照らし合わせる。インプよりも上位の魔物で、魔法を会得したマージインプに近い気がするのだ。
 そしてムーナの言葉を証言するかのように、魔物は霊的な光を帯びだした。魔物が魔法を使う前兆である。薄水色の光は、氷属性の魔法を使う。マージインプならば、中級魔法の氷結呪文(ヒャダルコ)を使うはずだ。しかしのんびり魔法が来るのを待っている筋合いはない。
「ここは私に任せて!」
 そう言ったのは、イサではない。
「サラ?!」
 イサの驚愕した声を嬉しそうに聞きながら、サラは白衣の内側に手を突っ込んだ。そして取り出したは注射器。指と指との間に挟み、複数の注射器を手に持っている。
「左下、右下部のルーヌン脈へ魔力後退化物質注入」
 右手で投げた注射器はマージインプの両足に刺さり、どういうわけか自動的に注入が開始された。すると、マージインプの帯びていた光が途絶えた。呪文が中断されたようだ。
「――次。中央右、中央左部の神経部に麻痺薬剤物質注入」
「ぎっ!=v
 左手で投げた注射器が、見事に両胸に刺さる。マージインプは苦しみの声を一つ発しただけで、あとは呼吸すらままならないようだ。麻痺薬剤と言っていたから、おそらくは身体が麻痺して動けないのだろう。
 サラはいつのまにか右手にもう一本の注射器を持っていた。
「――最後。頭部中枢神経に精霊力液‐E‐注入!」
 風の音を切るように飛んでいった注射器は、マージインプの頭部にぷすりと刺さった。先ほどと同じく、注射器が自動で動いて中の液体が注入されていく。
 その数秒後に、大きな爆発音が轟いた。

「今の……爆呪文(イオ)、だよね?」
 イサの問いかけに、ムーナが無言で頷く。イオを使うための精霊力を封じ込めた液体だったのだろうか。彼女のことだから調合薬で作ったのであろうが、まさかこのような事までできるとは、ムーナも知らなかったのである。そういえば、前に「『風を守りし大地の騎士団』の騎士団は戦闘ができればいいというものではなく、医務のような仕事も騎士団の一員が担うものだ」と、医務士団にはまるで戦闘力が無いに等しいようなことを記したが、訂正させてもらう。少なくとも医務士団の頂点に立つ彼女は、立派に戦闘に加わることができるようだった。
「そういえばリィダは?」
 イサが魔法陣の辺りを見まわす。やっと不幸の元凶を倒したのである。晴れて彼女も明るい人生を送れるかもしれないのだ。
「え〜とえ〜と、あそこじゃないかなぁ?」
 ホイミンが触手の一本で指した先に、リィダはいた。
「「「「…………あ」」」」
 ホイミンを除く、他の四人の声が揃った。それもそのはず、リィダはイオの効果範囲にいたらしく、爆発をもろに受けて黒焦げになっていたのだから。どうやら、付き纏う不幸は、マージインプのせいだけではなかったようだ……。


「やっぱり、やっぱり、やっぱりウチは不幸なんだぁぁ! ウォーン!!」
 最後の言葉はライオンか何かがほえたかのようだが、実際はリィダが大泣きしているのだ。
「で、でもさ、ほら、魔物を祓えたわけだし、憧れのムーナにも会えたんだから、これって幸せなことじゃない?」
 とイサが何とか元気付けるが、リィダはまるで何をやっても泣き止まない子供の如く。
「あらあら。きっと人の温もりが、愛が足りていないのね。私が両方をリィちゃんに与えてあげるわ。さぁ、私の胸の中でお泣きなさい!」
「だーめ。やめなさい」
 未だにサラはリィダを狙っているようだが、ムーナが上手くとめてくれていた。
「ほらリィダも。泣きやまないと、旅に連れていかないよ」
「……ふぇ?」
 意外なムーナの一言に、リィダの泣き声がピタリと止まる。
「え? リィダも連れて行くの?」
 驚いたのはリィダだけではなく、イサも同じだった。
「ここまで来てハイサヨナラだと可哀そうでしょ。いいよね、イサ」
「う、うん。私は別に構わないわ」
 イサとしても、仲間が増えるのは嬉しいかぎりだ。
「う、ウチ……姐御と、皆さんと、旅を……?」
 まだ信じられないといった感じで、涙を拭いもせずにリィダは聞いた。否定するわけでもなく、皆が無言で頷く。
「あ、あぁぁ、ありがとうございます! ウォーン!!」
 不幸を嘆くことはなくなったが、今度は嬉しさのあまりにまた泣き出してしまった。
 やれやれ、と溜め息をついたのは、今回ほとんど出番がなかったラグドであったとか。

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