18.風雨凛翔


 チチチ……。
 雀の、歌うような目覚し時計の声で、眠りについていた少女は目を覚ました。
「ん、ん〜〜。……朝だぁぁぁ!」
 ベッドから文字通り飛び起きて、身支度を整え食堂に走る。朝食を軽く済ませて、さぁ出発。……するはずだった。
「っと、今はバタバタしなくても良いんだっけ。皆を呼ばないと」
 イサはついつい昔の癖で、一人で冒険者活動に出かけようとしてしまっていた。今では心強い仲間がいるというのに、我ながら白状だな、などと思う。
「ラグド〜? ホイミ〜ン? ムーナ〜?」
「……なんでアタイが最後なのさ」
 会議室に集まっていた冒険者仲間である彼等に呼びかけて、最初に返事をしたのは女魔道師のムーナである。白銀の髪は相変わらず美しいが、顔が童顔のせいか男女の区別がつきにくい面もある。
「名の順番など、関係ないだろうに」
 彼はラグド。大柄で、2メートルに近い身長を持っている。髪が鼻先まで降りてきており、目が見えないので表情が解りにくいが、解りやすい性格をしている。
「でも納得できないよ。こんなのの後なんだよ?」
「アハハ〜」
 ムーナに引っつかまれて「こんなの」と呼ばれても笑っているのはホイミスライムのホイミンである。このホイミン、ホイミスライムであるのにホイミは使えずベホマが使えて、キアリーが使えないが光の波動を修得しており、ラリホーも使えるという非常識なホイミスライムである。
「ラグドの言う通り! 呼ぶ順番なんてテキトーだったし、とにかく行こう!」
 そしてリーダーであるイサ。本名はイサーリン=ラウ=ワイズ=ウィードというウィードの王女である。この中で一番の最年少ではあるが、冒険者集団『風魔の大地騎士(仮)』を束ねる少女だ。さて、メンバーの紹介が済んだ所で本題に移ろう。
 今日は、メンバー全員を引き連れて城下町の冒険者ギルドに向うのであった。


「『風雨凛翔』? それでいいのかい。もう余ほどのことがない限り、他の名前に変えられないよ?」
 白髪白髭の老人は、書類をまじまじと眺めながら確認を取った。
「それでいいわ。お願い」
「久しぶりに来たと思ったら名前の確定ねぇ。来なかったのは名前について口論でもしてたのか?」
「秘密。おじさんには教えな〜い」
「フハ。つれねぇなぁ。――ほれ、登録完了じゃ。これで冒険者集団『風魔の大地騎士(仮)』は『風雨凛翔』となったぞい」
 イサたちが城下町の冒険者ギルドに来た理由はこれであった。急いで決めた仮の名前から、正式になものに登録しようとイサが決めたのだ。名前を決めたのはイサで、誰も文句は言わなかった。
 風と雨が常に共にあるように。迷わず、凛々しく翔び発つように。
 風はイサを、雨はコサメを表わしていることを、ラグドとムーナは悟ったのだ。唯一、ホイミンは例の如く『ホイホイ軍団』と言いかけたが、ムーナからミゾオチ(どこがミゾオチだかは知らないが本人が言っていた)に蹴りを一発くらって黙ってしまった。
「んじゃあ、この手紙はどうするかな」
 冒険者ギルドの親父が、一通の手紙を見せびらかすようにヒラヒラと動かす。その宛名には、『風魔の大地騎士(仮)リーダー イサへ』と書いてある。風雨凛翔という冒険者名の登録は済んだので、もう風魔の大地騎士(仮)という冒険者チームは存在しないことになっているのだ。
「意地悪しないで、見せてよ」
「フハ。年を取ると、どうもな」
 老人はただ笑って、手紙を渡してくれた。冒険者名が変わっても、その後の対応はギルドがやってくれているのだ。こうした場合でも、ちゃんと手紙が届くようになっている。
「エルデルス山脈からだそうだ」
 手紙を持って背中を見せたイサに、老人の言葉がそう投げかけられた。


 冒険者名の登録は、証人としてメンバー全員が必要となる。とはいえ、一言や書名一つくらいなもので、登録作業が済むまでは至って暇なのだ。
 冒険者ギルドと隣り合わせになっている酒場のテーブルについていた仲間たちに、イサは手紙のことを話した。
「エルデルス山脈っていやぁ、武器仙人さんがいるとこだよね」
 ムーナの言う通り、エルデルス山脈イコール武器仙人、という方程式が成り立つほどだ。彼は魔王ジャルート討伐の旅にも参加していたし、『龍具』の使い手であるという噂もある。
「それで、手紙の内容は?」
 イサがじっと熱心に文字を見ているのに関心があったのか、ラグドが訊ねる。それでも、イサは話し掛けられたのが自分だと理解するまで数秒がかかった。
「……これって、どういう意味かしら」
 まるでクイズやなぞなぞの謎解きに疲れたかのような口調で、イサはラグドに手紙を渡した。どういう意味だろうと彼も文面を眺めて見る。だが、眺めて見るほどのものではなかったのかもしれない。
「これは……」
「どうしたんだい、ラグドまで」
 ラグドまでもが困った表情を見せてしまい、ムーナが彼から手紙を奪い取った。その行為にラグドは何も思わなかった、というよりも思えるほどの状態ではなかったようだ。
「……ありゃ、まぁ」
 ムーナも、その手紙の内容を見てやっと解った。
 手紙の内容はそこまで大きくない文字で

 来い

 としか書かれていなかったのだ。あとは右下に武器仙人が自分のマークとして扱う紋章が小さく描かれているだけ。用件を単刀直入に書いてあるようだが、単刀というよりも短刀だ。それもかなりの。
 なるほどこれでは怪しむわけだ。怪しむというかどうすればいいのかが解らない、というほうが近いのだろうが。
「エルデルス山脈に行くの〜?」
 ホイミンだけは旅行気分になっているようだ。
「ん〜……。そうねぇ、エルデルス山脈かぁ」
 エルデルス山脈といえば、ウィードと同じ北大陸に存在する極寒の大地である。そこには世界≠ェ封印されているなんて噂すらある。所詮は噂なので、それはでたらめであるとイサは思っているが……。
 今はそんな噂がどうこうという場合ではない。極寒山脈のエルデルスに赴くか否か。昔なら飛びだすほど行動に移すのが早かっただろう。しかし、イサが戸惑っているのは、手紙となるとロクなことがない経験があるからだ。以前、エルフの長老にウィードからの書簡を届けたら、いきなりその場でエルフの勇士と戦闘になったし、ムーナが届けた手紙は師匠のカエンをイサと闘わせる内容のものだったらしい。
 手紙、というのにはやや抵抗があるのだ。しかも、妙な内容から手紙が「今から何かが起こりますぜ王女様!」なんて言っている気がする(無論、気がするだけだ)。そして、どう見ても「ご機嫌麗しゅうなんたらかんたら」と言った類の手紙ではないのは確かだ。
「どうしよっかなぁ……」
 考えているだけで時間が過ぎて、既に昼食時になっていた。お腹が文句を言っている。
 だが、こうも真剣に悩んでいると食欲は自然と控え目になるほうだ。だからイサは、ライスとハンバーグステーキとサラダとスパゲティとスープとフルーツデザートとアイスクリームだけしか(!)頼まなかった。
 ……どうやら悩みと食欲は関係なかったようである……。


 品数が少なかった(?)ため、イサは一番に食べ終わった。ちなみにラグドとムーナはAランチのみ。ホイミンはBランチとアイスクリーム。まだ、三人とも食べている途中である。
「決めた。エルデルス山脈に行く!」
 腹が満たされれば考えもまとまった。別に恐ろしいことがあるわけでも危険性があるわけでもないのだ。しばらく冒険することも少なめになっていたので、ちょうどいい遠征と言えるだろう。
「ならば、シルフの町を経由して行きましょう。そこで一泊して食料などを調達し、北に向えば三日ほどでつくはずです」
「アンタ詳しいねぇ」
「騎士団の遠征訓練で幾度が赴いたことがあるだけだ」
 最初の言葉はラグドがイサに向って、その後はムーナに向って言ったものだ。ここまで口調が違うのは、やはり王女と同僚という関係にあるからだろう。いくら今は冒険者のイサであると言っても、ラグドはそこを変えられるほど器用な人間ではない。
「アタイら魔道団は専ら研究ばっかしだかんねぇ。遠征なんてしたらその行為だけで滅茶苦茶ハードな訓練だよ」
 ムーナが苦笑しながら言うが、彼女がいうと妙に説得力がある。普通に生活しているだけで『エネルギー切れ』とかで倒れて、『栄養剤』を常に携帯しているムーナだからこそ、その妙な説得力が出てくるのだ。
「エルデルス山脈に行ったら、雪合戦しよぉ〜! あと雪だるま作ってぇ、かまくら作ってぇ、かき氷作ってぇ……」
「ホイミン!」
 イサがぴしゃりとホイミンの言葉を遮る。ラグドもちょうどホイミンの発言を注意しようと思っていたのだ。ラグドとしては、イサ様も成長なさったな、と心の中で感激している。
「……かき氷は雪じゃ作れないわ。せめてかまくらよ!」
 がくり、とラグドが持っていたコップを落しそうになる。問題はそこではないと言いたかったが、言う気にはなれなかった。
「ラグド、イサはイサのままだよ」
 ラグドの期待を見透かしたようにムーナがからかうような笑みを浮かべていた。

 全員が頼んだものを平らげ、さてそろそろ出発の準備にかかろうとした時だった。
 ドン! と勢い良く酒場の扉が開かれた。先ほど述べた通り、この酒場は冒険者ギルドと隣り合わせになっており、その境界線は扉一枚である。この酒場には扉が二つあり、一つは外の通りに出る扉。もう一つは冒険者ギルドに繋がっている扉である。勢い良く開かれた扉は後者のほうで、出てきたのは女のようである。すぐに女と解らなかったのは、毛皮のローブに毛皮のフード。目つきが厳しく、まるで狩人のような姿……。
「ウチは狩人だよ!」
 おっとこれは失礼。狩人のような、ではなく狩人そのものだったようである。女狩人。
 その女狩人は、値踏みするかのような目で周囲を見渡す。もう一度言うが、ここは冒険者ギルドの隣にある酒場である。だから、冒険者のほとんどはこの酒場に居座っているのだ。その中心で値踏みするような視線を周囲に向けると言う事は、仲間を探しているということだろう。
 言い忘れていたが、イサたち以外にも客や冒険者は数多くテーブルに座って食事をしたり昼間から酒を飲んだりしている。
 女狩人の視線が、ぐるりぐるりと巡り、やがて一点に定まる。
 その視線の先には、まるで当然であったかのようにイサたちが座っていた。

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