16.(わかれ)(つぐ)閉音(へいおん)




「イサ様、目を覚まさないぃ〜。こ〜なったらぁ〜〜!」
 ホイミンの触手に、金色の光が宿る。それを見て、ムーナはすぐにホイミンがやろうとしたことに気付いた。
「ベホマ? やめなホイミン!!」
「え〜? なんで〜〜〜?」
 言われた通りに、ホイミンの触手から光が失せる。
「……いいから、アンタもおいで。アンタが回復魔法を使うのは、兵士たちが先だ!」
「む〜〜!」
 不満があるのだろう。しかしムーナは選んだ。ラグド同様、団長としての筋を通すことに。ホイミンを半ば無理矢理、医務室へ連れて行こうとし、その時にイサにちらりと目をやる。
「……ごめんね、イサ……」
 それが聞こえたかどうかはわからないが、イサの身体がピクリと動いた気がした。



 フッ――。
 また、空間が変わった。
「(ここは……?)」
「ここは、何処?」
 どうやら、コサメも同じく空間を移動したらしい。さきほどの街とは打って変わって、辺り一面が砂漠である。すぐそばの殺意からは逃れたものの、これでは死へのカウントダウンが先送りになっただけのような気がする。
「……」
 コサメがあたりを見回し、あるものを見つける。それは、旅人だったのだろう。この辺りで行き倒れになり、水分が無くなり、肉も焼かれたか魔物に喰い尽くされたか、骨だけの存在となっていた。その骨が生前に纏っていたであろうローブは、イサにも見覚えがあった。
「(コサメと会った時に、纏っていたローブ……)」
 見間違えるはずがない。その黒いローブは、まだ使用不可能というわけではなく、使えることには使える。その、イサがコサメを発見したときに彼女が纏っていたローブは、今目の前にある。
「(やっぱり……)」
 イサは一つの確信を得た。最初は解らないことだらけだったが、今では理解している。
「……」
 コサメがそのローブを死者からそっと外し取った。よくもまあ風で飛ばなかったものだと思えるほど、ローブはコサメの手により骨から外れた。いくらコサメでも、生存本能がこの砂漠で何もしないということがどれだけ危険であるかを理解し、それに対する手段に気付いたらしい。
 イサは暑さを感じないものの、見ればわかる。この場所に、砂漠に、どれだけの熱量が漂っているかなど、感じられずとも一目瞭然であった。
 コサメはローブを纏い、歩き出す。何処か行く場所があるわけではない。ただ、じっとしていては何も起こらないと思ったのだろう。いっそのこと、ここで何もせず死を選ぶかもしれなかったが、コサメは生き抜こうとしていた。
「何も知らないまま、死にたくない……」
「(コサメ……)」
 生まれて以来、外に出たことがなく、運動といえる運動などしたこともなかったであるはずだ。普通の人なら走ることなどできないはずだが、コサメは生きたい一心からか逃げ走っていた。そして今は、この砂漠を歩いている。歩く度に足が焼けそうになるほどの熱砂を、裸足で。
「(裸足!?)」
 コサメは裸足であった。それもそうだろう。ベッドで寝ていたところを襲われ、外に逃げ出し、その途中でここに放り出されたのだから。靴を履く暇など、なかった。
「ぁうぅっ」
 数歩、数歩だけ歩いた。その数歩目を踏み出した時、コサメの足からじゅうぅと肉が焼ける音と、少しばかりの水蒸気が上がった。コサメは思わず、声を出して苦渋を訴える。
「(無理をしないで! ねぇやめて!!)」
 イサがどれだけ叫ぼうと、コサメは気付かない。それどころか、焼けた足でも尚、歩こうとしている。鍛錬も訓練もしたこともない、ただの少女である。それが、この砂漠を裸足で渡ろうとしている。
「(コサメ……)」
 悔しかった。ただ見ているしかできない自分が。何も出来ない自分が。目を逸らそうにも、逸らしたら後悔してしまいそうで、目を離すことさえできない。見ていられない。しかし見ていなければならない。
「(足が……!)」
 コサメの足が、ベッドで寝ていたときは綺麗だった足が、気味の悪いほどに変色していく。

 ――感染者の抵抗力、体力が大幅に減少。ちょっとしたケガで生死に関ります――

 サラの言葉が思い出された。軽い怪我でも重傷となりえる、魔霊病の第四症状。今のコサメは、その状態にあるのだろう。顔色も悪く、まるで毒におかされているかのようだ。その状態は、まさしくイサがコサメと出会った瞬間と合致した。
「あ――」
 ついには気を失い、その場に崩れる。しかし地面に触れる一瞬前。
「(え?!)」
 コサメの身体が消えた。
 慌てて見回すが、誰もいないし、何も見えない。ただ延々と砂漠が続くのみである。
 また急な事態に混乱しかけたイサにも、状況の変化が訪れた。
 フッ――と、やや遅れて空間が変わった。
 その瞬間は、コサメが倒れる瞬間でもあった。彼女は重量を感じさせない音を立てて倒れた。しばらくは、ただ風が過ぎ去るのみだった。イサが黙ってしまったのも、今から起こることが予想できたから。コサメが倒れている場所に、見覚えがあるから。
 ――三つの、着地音。
「いったぁ〜い……」
 イサと同じ少女が、腰をさすりながら立ちあがる。その隣には、楽しそうな笑顔を浮かべているホイミンと、不満顔をしているラグド……。
「もう、もう一回行くわよ!」
 むきになったような自分を見て、なんだか可笑しくも悲しくもなった。急ごうとしている自分が、こちら側に気付く。
「って、あら?」
 自分が、コサメに向って歩み寄る。
「(やっぱり……これはコサメの過去……)」
 どういう原理か理屈かは解らないが、イサはコサメの過去を見ていたのだ。イサとコサメが出会う前までのコサメ。それが今の映像だったのだ。

「……ん……」
 目を開けると、曇天の雲が目に入った。どうやら、仰向けになったまま気を失っていたらしい。ラグドから受けた傷はまだ痛むが、動けないというまではないようである。周囲に人の気配はしない。どうやら、放っておいたほうが得策だと誰もが思っただろう。
「コサメ……今、行くからね……」
 動かしにくい身体を動かして、イサは立ちあがった。その時、身体の至るところが悲鳴をあげたような痛みに襲われたが、それでもイサは歩き出す。コサメがいる場所に向うために。
「他の兵士は……」
 周囲を見渡すと、さきほどまで多くいた兵士たちは、誰一人残っていない。イサが気絶させた兵士は、医務室にでも運び込まれているはずだ。イサは運ばれず、そのまま放置されていたようだ。介抱して、目を覚ましたら危険だと思われたのだろう。
「……」
 ラグドとの戦いの傷はひどいが、命に関わることはないと自分でも判断できた。でなければ、今更歩くことすらできていないだろう。それでも、それでもイサの気持ちは沈んでしまう。誰一人として、自分に協力してくれなかったこと。ラグドでさえ、敵になったこと。
「やっぱり……私は独り、か…………」
 自分で呟いた言葉に、自己嫌悪のような感情を抱く。昂ぶった感情が静まり、歩みが遅くなる。その行為は無意識なもので、イサとしては全力を振り絞って速度を上げているつもりだった。しかしその歩みはまるで死者の行軍の如く、もしくはそれよりも遅い。
 ついには、その歩みさえ止まってしまった。
「(もう、無意味なのかもしれない……)」
 このままコサメのもとへ行っても、全てが終わった後かもしれない。気を失っていた時間は解らないが、少なくとも兵士達が全員いなくなる時間は過ぎている。それは、数十秒やそこらなどでは有り得ない話だ。
「コサメ……」
 ふと、先ほどのコサメが脳裏に浮かぶ。
 死にたくないと言ったコサメ。
 死を受け入れず助けを求めたコサメ。
 死の砂漠に追いやられても、尚も生きようとしたコサメ。
 そしてこの数ヶ月、共に過ごしたコサメの笑顔……。

「……! ダメ! 諦めちゃ、ダメだ!!」
 脳裏に浮かんだコサメの姿に、イサは気を入れなおす。まだ終わったとは限らない。コサメを救う方法はいくらでもあるはずだ。この世界には神秘の力が多く存在する。コサメの魔霊病≠癒す力も在るはずだ。まだ、コサメは死んではならない。
「私が、コサメを助けるって約束したんだから!」
 一歩、一歩、また一歩、もう一度歩く毎に速度をあげて、やがては小走りになる。ラグドから受けた腕の傷をもう片方の手で抑えてイサは走り始めた。
「(――思い出した。処刑場は地下にある。けど、焼却処刑場は、城の裏側に……!)」
 イサは最初、地下室を目指していたが、行き着くべき場所を思い出し、そこへ向かう。
「(まだ間に合うはずよ。待ってて、コサメ!!)」
 焼却処刑場へは、他の兵士の妨害を受けずに辿り付く事が出来た。城の裏側に、ぽつんとある建物。城下町の人間や兵士の一部は、ここが何の建物であるかすら知らない。それほど知られていないのだ。だが、イサは王家の人間である。知っていて当然なのだが、忘れていたのは、そんなことを覚える必要がないと思っていたからだ。今頃になって、どうして忘れていたのかと自分を責めてしまう。
「コサメ! コサメ、どこ!?」
 中に入って叫ぶが、返事はない。それどころか、見張りの兵士すらもいない。もしかしたら本当に全て終わった後かもしれないが、イサはまだ諦めなかった。


 焼却処刑場は、上から見ると二つの正方形に区切られた建物であることがわかる。外側はぐるりと回る通路のような形で、中庭を隔ててある内側はその正方形の中にある、小さな正方形の建物。つまり『回』のような形になっている。外側は正に通路の役目を果たしており、内側が処刑場となっている。その内側の建物には炎が吹き荒れる仕組みになっており、中に囚人を入れて鉄の扉を閉じ、後は燃やすだけである。
 その内側の処刑場に、移動ベッドに乗せられているコサメが入れられようとしていた。
「……すまぬな」
 ウィード王の、低い声が、擦れてコサメの耳に届く。
「いえ、いいんです。どうしてなのかも説明してくれましたし……。あたし、知りたかったんです。どうして、町の皆が私の命を狙ったのか。それを、王様達は説明してくれた。悔いは、ありません……」
 俯いて話すコサメの言葉には、しかし何処か未練があると訴えていた。
「イサの、我が子の友人であるそなたを、このような形で別れさせること、許してくれとは言えぬが、理解してほしい。儂は、一国を預かる身なのだ……」
「はい。あたしのせいで、皆さんが苦しむ。……そんなこと、耐えられません。あたしが死んで助かるのならば、それを受け入れます」
「……すまぬ……」
 苦々しく、ウィード王は目を閉じた。コサメは、そんな王に一礼する。それと同時に、近衛兵が移動ベッドを押す。車輪が回り、いとも簡単にベッドが動いた。そして定位置まで押して、手を離す。コサメは一人、その中に残ることになる。あとは鉄の扉を閉じれば、自動的に炎が吹き荒れる仕組みになっているとのことだ。人間の処刑として使われていなかったこの場所は、こっそりと兵士たちがゴミを燃やすことに使っていたらしい。そのせいか、やや異臭が漂っているが、ウィード王も近衛兵もコサメも、そんなことは気にしていなかった。
「……墓は、立派な物を用意させよう」
「そんな、あたしの為にそこまでは……。でも、ありがとうございます」
 ウィード王とて、この方法に納得できるというのもではなかった。しかし、彼は王である。第一に民の安全と平穏を守らなければならない。魔霊病の影響で民に被害が出ているという報告もあった。このままコサメを生かしておいては、民に悪影響でしかない。城の兵士も深刻で、騎士団団長のラグドでさえ病に倒れたという。こうするしか、コサメを燃やし、命を奪うしか、助かる方法はないという。
 ウィード王は、娘の友より、国民の命を選んだのだ。

「――コサメっ!!!」
「!」
 この場にいる三人に、聞き覚えのある声が届いた。しかし、鉄の扉は閉じられようとしている。扉はほぼ自動式に近く、少し動かせばあとは勝手に閉じてしまう。そして、その少しは、既に動いていた。イサの声が聞こえてくる前に、近衛兵がもう扉を押していたのだ。
 イサはそれを止めようと足を動かす。ウィード王と近衛兵は、唐突に現れたイサに驚くだけであった。コサメはイサに顔を向け、そして――


 ――ガシャァァァァン……………………………………――


 ――扉が、閉じた。


 イサは間に合わなかった。
 全速力で走っていた足は、時が止まったかのようにピタリと停止し、身体も硬直している。
「……ぁ、あぁ、…………あぁぁあ……っ!」
 言葉にならない言葉が口から漏れる。
 扉は、中にあるものが燃え尽きるまで開かないようになっている。
 中庭の芝生に膝をつき、へなりと座り込んでしまう。その表情は虚ろで、今、目に映るもの全てを否定しているかのようだった。
「イサ……。……すまない……」
 ウィード王は近衛兵を引き連れて、この場から立ち去った。そのことにさえ、イサは気付かない。目に見えている現実。それと、目に見えた現実。その二つが入り混じり、混乱に陥る。
「(なんで……なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……?!?!?)」
 大きく目を見開き、少しでも多くを視界に入れようとする。意識的にではなく、無意識に。目を背けたい。でも、背けたらいけない。これを目に焼き付けておかなければならないが気がした。
 そして、先ほど見えたもの。イサが胸中で疑問を延々と投げかけているもの。
 扉が閉じる一瞬前。コサメはイサの方に顔を向けた。そして……
「(なんで、笑っていたの……?)」
 今から死ぬと解っていたのに。もう永遠に会えないと解っていたのに。それでもコサメは、笑っていた。悲しげな笑いではない。楽しげな笑いではない。ただ、嬉しそうに笑っていた。願いが叶ったかのような、輝かしい笑顔だった。
 ……曇天の雲から、雫が落ちてきた。死壁嵐(デスバリアストーム)に守られているウィードではあるが、自然の雨は通過し降ってくる。ぽつりぽつりと、数滴の小粒の雨がイサの頬にあたる。
 ぽつ、ぽつぽつ、ぽつぽつぽつぽぽサァァァァァ―――。
 大雨でもなく、普通の雨でもない。霧に近い、小さな雨。小雨である。コサメと、同じ名前。その雨に濡れてもイサは動こうとしなかった。その場に座り込んで、動けない。それとも、動かないのだろうか。
 サァァァァァァァァァァ―――。
 心地良いほどの風と小雨はイサを濡らし続けた。その冷たい雨に混じって、温かく、熱い雫がイサの頬を伝わった。
 イサは、泣いていた……。

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