15.殺気蔓延




「…………」

「気絶、しているようです」
 死んではいないらしい。それもそうだ。ラグドの最後の一撃は、途中で中断することになってしまったのだから。それでも、兵士の間ではかなりのざわめきが目立っている。
「すげぇ……あれが噂の……」
「おれ、久しぶりに見た」
「こっちは初めてだぞ」
「ラグド団長の、連携奥義……」
 そのラグドも、今では地に伏している。
 ラグドの槍は龍でも宿ったかのような力を示し、槍のうねりは龍の咆哮そのものだった。しかしその槍がイサに届く前に、唐突に消滅したのだ。誰もが槍龍に注目していたので気付かなかったが、気付いた頃にはラグドは地に伏していたのだ。その一瞬後に、イサもやっと地面に触れるように倒れた。
 両者が倒れた中、誰も喋れず、誰も動けなかった。ようやく一人がイサのもとへと駆けだし、状態を確認したのが今の状況である。
「はい、どいて! ちょいとごめんよ! あぁもう、どきなってば!!」
 密集した兵士たちを押しのけて、ローブを纏った女性が乱入する。その後ろには間の抜けた顔をしたホイミスライムがふわふわと浮いている。
「あ、ムーナ団長」
 魔道団の兵士達が、自分たちの団長の登場に驚く。当のムーナ本人は部下たちに呼ばれたことに気付いていないような足取りで、倒れているラグドの顔横に片膝をついた。
「……このっ大馬鹿!」
 激しい呼吸を繰り返しているラグドは、熱にうなされているかのような声でムーナの声に反応した。
「イサ様を止めることは……俺でなければ、できないと、思った、のだ……」
 事実そうであった。一般のウィード兵士たちではおそらくイサを完璧に止めることはできなかっただろう。ラグドが本気で、それこそイサを殺すつもりで挑みかかったからこそ、イサを止めることができている。
「やっぱりアンタ馬鹿だよ。二つの意味で馬鹿だ! ラグド、今のあんたの状態解っているの? 魔霊病ってやつの影響で、動けないくらいの高熱なんだろ。それを無視してイサを止めようなんて。それに、いくらウィード王の命令だからって、相手はイサなんだよ? アンタなら、イサの気持ちわかっているんでしょう!!」
 ムーナに早口で捲くし立てられたが、ラグドはほとんど聞こえていなかった。高熱が聴覚に影響しているのだ。いや、聴覚ではなく五感全てが狂わされている。さきほど、秘奥義が途中で中断されたのも、そのためだ。ただでさえ無理をして鎧を身に着けてイサに戦いを挑んだので、限界が来てしまった。ムーナはそのことを知っており、すぐにサラの所へ連れて行かなければならないと判断する。今なら、サラの手元には魔霊病の影響を取り除く万能薬があるはずだ。
 ラグドは、魔霊病の影響を激しく受けていた一人だったのだ。だから、星降りの山へ行く時、ウィードに残していた。とても山道が歩けるような、それどころか歩くその行為自体が無理な状態になっていたのだった。
「ちょいと! ラグドを医務室へ運ぶから手伝って!」
 どうしたらいいか迷っている魔道団の部下たちと、同じくどうしていいか悩んでいるラグドの部下である騎士団の兵士たちにムーナが声をかける。戸惑っていた兵士達は、とりあえず団長の命令に従うことにしたのか、すぐにラグドを連れて行こうとした。
「あ、あのムーナ団長……イサ様は?」
 ラグドが倒れていた場所から数メートル離れた場所で、イサは気を失っていた。ここで何が起きたかは見ていないが、ムーナはイサの様子を見て、ラグドが何をしたかを悟った。
「(連携奥義を使ったね……。でも、イサはそれをなんとか躱しているか……)」
 致命傷らしき致命傷は見つからない。ラグドと違って放っておいても命に別状はないだろう。だが、ムーナは迷った。ここでイサの回復に努めるべきか、それとも、ラグドが己の信念を貫いたように、自分もまたウィードが誇る『風を守りし大地の騎士団』の魔道団長としての筋を通すか。
 イサの肩を持つような言葉をラグドに向っては言ったが、冷静になって考えると、ラグドが正しいことには変わりない。
「どうしたの? イサ様を、助けないの?」
 隣でふわふわと浮いているホイミンが訊ねるが、ムーナは返答に困った。
 歯を食いしばり、どうするべきかを必死に考える。
 どうする、どうしたらいい、どうすればいい、どうしなければならない、どうしよう、……いや、違う。
 どうしたいか、だ……。
「もぉ〜!」
 牛ではない。
 ホイミンが焦れったくなったのか、珍しく自分から行動を起こした。ホイミンが向った先は、イサの隣。
「あ、ちょいとホイミン!!」
 必死に悩んでいたことをホイミンがあっさりやってのけたので、ムーナは慌てた声を出すことになってしまった。といっても、ホイミンは団長としての責務やらなんやらが無いので、自分の心に忠実に動いているだけだ。だがそれが、今のムーナには羨ましかった。
「イサ様ぁ、イサ様ぁ! イーサーさーまー?」
 必死に何度もホイミンが呼びかける。
 しかし、イサが目覚める気配は現れなかった。


 ―サ――。イ―――。イサ―マ。―――様。
「(……? 誰か、呼んでる? 私を……?)」
 ――サ様。――サ―。―サ――。――サメ。
「(? サメ? 私は鮫なんかじゃないよ?)」
 コ――。コサ―。――メ。コサメ!
「(!?)」
「コサメ。ほら、起きて」
 はたと目を覚ます。ここはどこかと見回すと、周囲は薄暗いが、ピンク系統の家具で彩られた、明らかに少女が住むような部屋である。
「(ここは……?)」
「ん……」
 イサの視界に、聞き覚えのある声と共に一人の少女の姿が見えた。
「(コサメ!?)」
 その少女はどこからどう見てもコサメである。
「お母さん、まだ苦いお薬?」
「苦くても我慢してね。これでお熱が下がるらしいから」
 部屋の入り口に立っているのが、コサメが母と呼んだ人物だろう。疲れきった顔を隠し切れていない。
「(……コサメ! ねぇ、コサメってば!)」
 イサが話し掛けるが、コサメはもちろん、コサメの母親もイサの声に気付いていない。そのことを不思議に思い、イサは部屋に置いてある鏡を見た。そこには、ほぼ透明になっている自分が、見えるか見えないか薄ら見えている。これでは、普通の人は見えないだろう。ましてや声も届かないのであれば、どうしようもない。
「もう少し待ってね。明日になったら、凄いお医者さんがここに来てくれるらしいから」
「その人に診てもらえば、あたしの病気治るかな?」
「治るわよ。絶対にね」
 母親は、無理をして笑っている。イサはそう直感した。コサメも気付いているはずだが、あえてそれを言わないのだろう。ちょうど紛薬を水と一緒に流し込んでいるところだった。
「あたしね、病気が治ったらお外に出てみたい。生まれてからずっとお部屋にしかいなかったから。お外に出て、友達を作るの。一緒にお話をしたり、お茶を飲んだり」
「楽しみね。コサメですもの、きっと良い友達ができるわ」
 これは、きっとコサメの過去だろう。イサもそのことに薄々気付いていた。そうなるとすると、今のコサメは、イサが最初に会ったころとほとんど変わっていないので、イサと出会う少し前のはずだ。コサメは、この時まで、誰一人として友達というのがいなかったのだ。いや、外にすら出たことがないと言っていた。部屋という名の牢獄に、ずっと閉じ込められていたのだ。どことなく、イサと同じだ……。
「それじゃあ、ゆっくりと休むのよ?」
「うん」
 悲しいほど健気な返事は、イサの胸を締めつけるほど苦しくさせた。

 フッ――と景色が変わる。コサメの部屋だった場所から、違う場所にいるのだ。
 どうやら、時間も変わってしまったらしい。
「(今度は、どこ?)」
 また室内のようではあるが、すぐにそこが何処であるかは解らなかった。
 その場にいるのは、コサメの母と、見知らぬ白衣の男。
「それでは先生、よろしくお願いします」
「できるだけ早く、この得体の知れない病気を調べ上げてみせますよ」
 どうやら、コサメの母が言っていた『凄い医者』のようである。まだ若く、眼鏡がやや不似合いではあるが知的な感じがするのは確かな男性だ。
「(得体の知れないって……。もしかして、魔霊病≠セと、わかっていなかった……?)」
 よく考えれば、そういうことになる。ウィードでは、魔霊病だと解った途端にコサメの命を奪おうとした。しかし、のんびりと介護を続けていたということは、ただの奇病だとしか思っておらず、危険な魔霊病≠ナあるという事実が知られていなかったのだ。いや、そもそも魔霊病自体が迷信めいたものである。一般人が知っているということはないのだろう。
「(なんか、嫌な予感が――)」
 フッ――。
 また、空間が変わるように時間と景色が変わった。
 そこは、あの男性医師の部屋であった。いろいろな機材を駆使したり、文献を読みあさっているようだ。そして、調べ上げたことをまとめているメモを手に、少しずつ顔色が変わりつつある。
「これは……。まさか!」
 イサには、その驚愕の理由が自然と理解できた。
 この医者が、コサメが魔霊病≠ノかかっていることに気付いたのだ。
「危険だ。早く媒体者を殺さなければ!」
「(え?!)」
 医師が立ちあがり、部屋を勢い良く飛び出して行く。
「(ちょっと待ってよ。なにか、おかしい!)」
 イサは今度も勝手に時間が動くことを期待していたが、少し経っても何も起こらない。慌てて医師を追いかけるべく、イサも部屋を飛び出した。ほとんど一本道で、イサは並の人間より足が速いと自負している。すぐに医師に追いついたが、医師は既にコサメの家であろう場所に辿りついていた。
「夜分に申し訳ありません。どうか、話をさせてください」
 切羽詰った声に、どうしたのだろうとコサメの母親と、初めて見る父親が外に出てくる。それどころか、他の家からも点々と人が集まり、あっというまに集会でもやるのかというほどの人間が集まった。
「……確認しますが、ここのコサメちゃん以外に、最近になって病にかかった人は?」
「最近? ん〜、そういえば向いの子が……」
「お母さんが……」
「おいらのんとこのじいさんも……」
「というか、我々自体が最近健康的でないというか……」
 人々が語る度に、医師はうんうんと頷く。そして決心したように、咳払いをして人の注目を集めた。
「確信しました。ここのコサメちゃんは、魔霊病≠ニいう悪病にかかっています」
「マレー病?」
「魔霊病。恐ろしく危険な病です。周囲の人間の抵抗物質吸収し、抵抗物質吸収対象者へ高熱病の病原菌活性化命令を与える、悪病の王とも言われる病。治す方法なんてありません。このままではこの町が滅びてしまいます。早く感染者を殺してしまわないと!」
 人々の間でざわめきが起こる。半信半疑、というよりも、いきなりこのような話をされて、うろたえているのだろう。そんなざわめきの中、イサは微かに震えていた。
「(サラから聞いた話と、少し違う。魔霊病感染者の単純な死は、魔霊病の病原菌が別の媒体を探すことになるはずよ! このやぶ医者!!)」
 大声で罵ったつもりだが、医者はもちろん、他の誰一人もイサの声には気付かない。それどころか医者――イサの言い方ならやぶ医者――の話を信じたのか、家に一度戻って武器を持ち出して来たりしている。武器といっても、包丁や農作業用の桑であったりする。それでも殺傷力があるのは確かだ。
「さぁ早く。いち早く! この町を救うため、魔病を持つ少女を殺すのです!!」
 いつの間にかやぶ医者が指揮者のように高らかな宣言を行なっている。人々はそれに導かれるように、もしくは操られるように、武器を持ち出してきている。
「(コサメが危ない!!)」
 しかし、イサの声は誰にも届かない。無論コサメにも届かないので危機を伝えることもできないのだ。
「(どうしよう)」
 迷っている間に、人々がコサメの家に入り込んだ。
 それは、あっと言う間だったのだろう。家の中で何か大きな音が断続的に続いた。家具が壊れる音であろうか、それとも、コサメが殺されてしまったのだろうか。判断に迷い、動けなかった自分を悔やんだ。
 音が止んで、しばらくの沈黙が続く。
「(あっ)」
 薄い水色の頭髪をした少女が、恐怖に顔をひきつられて飛び出してきた。どう見てもコサメである。なんとか生きていたようだが、その姿を認めた他の人々の目が、殺気という色に染まる。
「っ!」
 コサメはその人々が持っているものに気付いたのだろう。逃げ出した外で、武器を持ち構えている人々を友好的と判断するはずがない。誰もいないであろう方向へと、コサメは走りだした。もちろん裸足ではあるし、外になど出たことがなかっただろうに、それでも必死に逃げ走っていた。
「(コサメ!)」
 イサも慌ててそれを追う。武器を持った人々もそれを追った。
「(あれだけ憧れていた『外』に、こんな形で出るなんて……)」
 イサは唇をかみ締めてコサメを追った。コサメにはすぐに追いつくことができた。
「助けて!」
 そう叫びながら、コサメは走っている。
「(助けたい!)」
 少女の後ろには、彼女の大好きな街の人たちが無数に押寄せている。
 手には、火矢や剣、斧や包丁までも存在している。どう見ても、友好的ではない。全員の目は血走っており、それは湧き上がる怒りによるものなのだろうか。
「(こうなったら!)」
 イサは両腕を広げて、コサメと街人たちの間で仁王立ちをした。しかし――
「(あれ?!)」
 しかし、街の人々は、イサを通りぬけてしまった。まるで、イサは空気か何かであったかのように、すり抜けてしまったのである。
「(あぁもう!!)」
 恐らく、もしもここで『攻』の秘奥義である『風死龍』を放った所で、何も変わらないのであろう。何も出来ない。ただ見て、聞くだけしかできない。それでもただじっとしているわけにもいかないので、イサは再びコサメを追った。
「助けて! お父さん、お母さん!!」
「コサメ」
 コサメの名前を、彼女の母親が優しい口調で云う。地獄に神がいたか、全てを救ってくれるような、優しい声。
「お母さ……!?」
 母親の手に包丁が握られているのを見て、コサメは声を詰まらせた。
「おいで、コサメ……殺してアゲルから」
 他の大人たちと同じだ。間違いなく自分を殺そうとしている。
「っ!?」
 父を呼ぼうとしても、母親のすぐ隣にいるのが父親だった。その手には、斧が握られている。
「(アナタ達、コサメの両親でしょう!? なんでそんなことするのよ!!)」
 どれだけ叫んでも、やはりイサの声は誰にも聞こえていない。
「……だ、誰かっ! 誰でも良いから助けて! 誰か! 助けて、お願い!!」
「(誰か助けて! 誰でもいいからコサメを助けてよ! 助けて、お願い!!)」
 コサメの身体に、刃物が迫る。避けるなどという芸当はできないだろう。これに刺されたら、死ぬだけだ。でも、死なせたくない。
「誰か―――!!」
「(誰か――!!)」
 二人がそう叫んだ瞬間――。
「ヒドイなぁ。『誰か』じゃなくて、僕を呼んでよ。まぁ、でも、しかし、だけどね」
「え?」
「(え?!)」
 訳の解らないことを言う青年だ。大人達の叫びの中、この青年の声はイサの耳にもしっかりと届いた。
「今が初対面だから仕方ないよね『消去』ちゃん? あと、今はただの観客である『神風の王女』♪」
 笑っている。姿は見えない。姿が見えないのに、青年が『青年』である事と笑っている事はイサにも解った。声からの推測ではない。声が、決定的な確信をイサの意志に投げつけているのだ。コサメも、同じ感覚に捕われているようだ。
 人間ではないが、青年と呼べる『何か』。
「面白そうだから、助けてあげるよ」
 そう言う青年は――。彼は、本当に面白いモノを見つけたかのように愉しそうだった。

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