14.風地衝突



 突きだされた槍を片手で受け流し、もう片手で攻撃を加える。運良く鎧の隙間に入り込んだ風の爪は、兵士を行動不能へ陥らせた。もちろん、殺すことはない。向こうも同じでイサを殺すことなど考えていない。しかし、殺意のない攻撃では、どうしても甘くなってしまう。それに対して、イサの風の爪は急所さえ突かなければ致命傷になることはないので、本気で攻撃を繰り出す事が出来る。
 その差が生み出したものが、今の状況であった。
「どきなさい。これ以上、怪我人を増やしたくないの」
 イサは少し息切れしながらも、傷一つ負っていない。しかしその周囲には、傷を幾重にも負った兵士が倒れていたりする。最初の数より、半分以上は減ったはずだ。
 兵士たちは、次は誰が攻めるかが決めあぐねているようだ。ここまで実力の差を見せられれば、怖気付くのも当然だろう。そうなるようにしたイサではあったが、彼女自身、これがこの城の兵士かと思うと悲しくなってくる。
「――ヒャダルコ=v
 後ろから声が聞こえた。それと同時に、足元が氷で固まる。それどころか、下半身全体が氷付けにされてしまった。
「魔道団?!」
 ウィードが誇る『風を守りし大地の騎士団』の中にある魔道団。それは選りすぐりの魔法使いたちの集まり。その実力は、中級精霊魔法を誰もが扱えるほどだ。不意を突かれたイサは、避けることもできずに魔法の影響下に置かれた。
「ウィード王の、ご、ご命令です。力を行使してでも――」
「それはもう聞いたわ!」
 魔法に対する精神力を高めて、氷を溶かそうとする。物質的なものではないこの氷は、精神力で相手に打ち勝てば消滅するはずなのだ。コサメを助けたい一心か、下半身の氷壁にヒビが入ってくる。それはやがて脆くなり、イサが力を込めると割れるように消滅した。
「イサ様、申し訳ありません」
 誤りながら騎士団の兵士がイサを捕らえる。
「(魔法に集中しすぎた!?)」
 意識を魔道団とヒャダルコの氷を溶かすことに専念しすぎたために、背後から迫ってきていた兵士に気付かなかったのだ。
「今だ! 全員で動きを封じろ!!」
 誰かの号令に、一斉が動いた。騎士団兵士も魔術師も関係なく、イサの手足を封じ込めることに専念し始めた。とはいえ、イサ自身が小さいので、数人がイサの身体に触れて、残りは周囲に立って壁を作るようになってしまったが。
 それでも、効果は充分にある。イサは魔法が使えないため、格闘を主にしているのだ。それなのに手足やなどの関節を全て封じられたならば、動けないのは当たり前だ。それに、イサは速度で勝負するほうなので、力で押さえ込まれたら反撃のしようがなくなってしまう。
 最悪の状況だった。
「どいて! どいてよ!!」
 そう言って、どくような彼等ではないはずだ。それはイサにも解っている。それでも叫ばずにはいられない。コサメの元へ走りたい。このままコサメと一生会えないのは嫌だから。
「……風?」
 兵士の誰かが呟いた。普通の風ならば気にすることはなかった。その風は自然的なものではないからこそ、疑問に思ったのだ。その風の発生源は、イサの周囲。
「どきなさいと……言っているでしょ!!」
 イサがさらに大きく叫ぶと同時に、イサを捕まえていた兵士と、周りで壁になっていた魔術師や他の兵士、ほとんどの人間が一度に吹き飛んだ。ひどいものは、数メートルほど上空に上がって落下している。イサ自身、最初は何が起きたのかは解らなかったが、少しずつ理解していき、ぼそりと呟いた。
「武闘神風流……『風連空暴(ふうれんくばく)』……」
 無意識に、上位技と呼ばれるものを使っていた。以前までは使えないほど難しい技ではあったのだが、コサメを助けたいという願いからか、失敗せずに使うことができた。カエンから教わったこの技は、囲まれた時などに使うもので、周囲の敵を風の力で吹き飛ばすものだったはずだ。
「これで……」
 コサメの元へ走ることができる。
 しかし、走りだそうとしたイサの身体が、ガクンと揺れた。
 いきなり、背中を掴まれたのだ。
「ウィード王の、ご命令……です」
 思ったよりも、兵士たちはしぶとかった。次々と吹き飛ばされた兵士が立ちあがってくる。王女としては褒めてやりたいものだが、今は邪魔以外の何者でもない。
「邪魔を、しないでよ!」
 もう一度風連空暴で吹き飛ばそうかと思ったイサの目に、一人の男が目についた。
 それは、自分がよく知っている人間。イサが生まれてから、ずっと共にいた兵士であり、この兵士達のなかで最も上に立つ者。
「ラグド!!」
 巨漢であり、ぼさぼさの茶髪は瞳を覆い隠すほど。『風を守りし大地の騎士団』騎士団団長のラグドは、騎士団長の鎧を見事に着こなしてそこに立っていた。しかし、彼の顔色が、半分ほど見られないのにも関わらず悪く見えるのは気のせいだろうか。
「よかったラグド! 協力してよ!」
 イサを最も理解しているラグドならば、きっと手助けをしてくれるだろう。
「ラグド団長……」
 兵士たちが、情けない声でラグドの名を呟く。
 ラグドは何も答えずに、武器を召還した。彼は兵士の中でも珍しい冒険者である。昔は冒険者であり、それから兵士になったと言われているが、本当のことは誰も知らない。それに、そんな過去、今は関係ないのだ。
「イサ様……」
 ラグドが近寄ってくる。それに比例して、背中を掴んでいた兵士は思わず手を離して後退りしてしまった。ラグドは兵士から尊敬の的であると同時に恐怖の的であるからだろう。
 ラグドが肩を並べて、闘ってくれる。それを考えただけで、イサは嬉しくなった。
「ラグド、一気に行くわよ!」
 彼がいれば百人力だ。ラグドの力と、イサの速さが組み合わされば、この城で勝てるものはいないはずだから。だがしかし、次にラグドの唇から漏れた言葉は、イサの勢いを増すことはなくとも、減らす言葉であった。
「……我々騎士団が従うべきは、ウィード王の命令」
 目の前に立ったラグドは、イサを見下ろしながら告げた。
「…………え?」
 全く予想していなかった言葉に、イサは思わず聞き返した。動きも、ピタリと停止してしまう。少しでも多くの現実を確かめようと、瞳が大きく見開かれる。
 まるで冷や水を浴びせられた感がイサを襲った。
「王からの命令が、第一に優先させるべきこと」
 淡々と、感情のない声でラグドは語った。サラも同じような言い方をしていたが、イサは気付いていない。ラグドの言っている意味を、理解してしまったからだ。
「やめてよ、ラグド……。私たち、仲間よ。それなのに、それなのに……」
 イサは泣きそうな声で訴えた。それに対して、ラグドは無言で槍を構える。彼が愛用しているグラウンドスピアの穂先が、イサの目前に突き出さられる。
「これは、これは命令よ! イサーリン=ラウ=ワイズ=ウィードの名において、ここを通しなさい!!」
 あまり、こういう言い方は好きではなかった。王族を嫌っているのに、王族という立場を利用している。これでは本末転倒だ。
「王の命令を改変、解除する権限は、王女であるイサ様には与えられてはおりません」
 イサの目に、涙がたまった。溢れ落ちることはなかったが、それでも眼は潤んで視界がぼやける。ラグドだけは仲間だと信じていたのに、それをラグド自身が違うと言ったのだ。結局は、仲間ではなく、一人の兵士であるということを。王の命令に従い、イサを止めることを選んだのだと。イサは、ラグドが王の命令に背いてまで自分についてきてほしかったのだ。しかしそれが、叶わないことだと知った。
「だったら……」
 イサは、血が滲むほどの歯軋りをして呟いた。ラグドは変わらず槍を構えている。
「だったら、あなたも倒す!」
 叫びながら、一つの技を使う。さきほどは無意識で放ったが、今度は意識的に放つ事が出来た。武闘神風流『風連空暴』。イサのすぐ背後に立っていた兵士や、ラグド以外の人間が一度に吹き飛んだ。風連空爆は周囲の敵を吹き飛ばすだけだが、その衝撃は凄まじいものだ。二度も受けた一般ウィード兵士たちは、もう動けないだろう。
 さすがにラグドは巨漢なだけあって吹き飛ぶ事はなく、身に纏っている外套だけがバタバタと五月蝿く靡いていた。
「それはこちらとて同じこと。あなたを倒してでも、止めさせていただきます!」
 ラグドが先に仕掛けた。それもかなりの速度だ。さきほどのイサと同じく、これは殺意を持った攻撃。相手を本気で仕留めるために攻撃を繰り出している。だが、イサも本気だ。二人の攻防は、他者が付け入れがたいものになっていった。
 一発でも直撃をくらえば、イサは不利になってしまう。それに対してイサの攻撃は、ラグドに一度直撃を与えたくらいでは支障はあるまい。この時、イサは改めてラグドの強さを知った。
 先ほどの兵士とは力が違いすぎるため、槍を受け流そうとしても、失敗する可能性が高い。イサはラグドの攻撃を避けるしか回避の方法はなかった。それでいて、相手は鎧でこちらの攻撃を巧みに防御している。
 防戦一方になりかけたイサは、覚悟を決めて、精神を高めた。そのため一瞬、隙ができる。この隙を逃すラグドではないはずだ。
「ハァッ!」
 気合の声と共に、ラグドの一撃がイサへと伸びる。それを狙っていた。
「武闘神風流『風流(かざなが)し』!」
 相手を風で流させ、背後に回させる受け流しの技。相手は風に捕われ、硬直するはずである。そのはずであって、ラグドが動くはずがなかったのだ。
「おぉおおぉぉッ!」
 槍を大きく振りまわし、イサに詰め寄る。受け流すまでは成功したはずだ。
「失敗した?!」
 風で硬直させるまでが風流しの技である。しかし、ラグドは平然と動いている。それが意味する事は、単なる失敗だ。
「ぅくっ!!」
 槍の刃ではない部分を、イサは腕で振り払った。直進していた槍が、イサに届く前に方向を頭上へと転換する。振り払っていなかったら、顔がつぶれていただろう。その攻撃自体は回避できたのだが、腕に痺れるほどの痛みが走った。そのうえ、ラグドの攻撃は終わらない。
「我流ウィード槍殺法『岩塵衝(がじんしょう)』!」
 すぐさま槍をイサの足元に突き立てる。その衝撃で、地面が爆発した。グラウンドスピアは大地の精霊に干渉することができるらしく、精霊を活性化させ、魔法的な行動を起こさたのだろう。
 イサの身体が、宙に浮いた。
「――『岩砕槍(がんさいそう)』!」
 宙に浮いているイサが着地する前に、ラグドは更なる攻撃を仕掛けた。目にもとまらぬ五連突き。イサは反射的に空中で身体をひねり、致命傷を避けたが完全回避というわけにはいかず、イサの身体に五箇所の傷ができた。さらに、身体が地に着く前にもう一度空中に浮かび上がるほどの衝撃で、それは視界を歪めるほど。神経を通して、脳に攻撃されたような感じだ。
「――『岩閃発破(がんせんはっぱ)』!」
 槍を回転させ、大きな突きを放つ。イサの身体など、紙のように貫いてしまうほどの一撃。運良く、直撃する事はなかった。ぐらつく頭でも危険を察知し、本能的に身体をねじったのだ。おかげで、腕を激しく削る程度で済んだ。それなりに大きな傷害だとは思うが、死ぬよりはよかっただろう。あの一撃を受けていれば、間違いなくイサは死んでいたのだから。しかし、その痛みに耐えることができず、イサは失神してしまった。
「我流ウィード槍殺法秘奥義――」
 イサはもう、戦闘不能だ。それでも、ラグドは止めなかった。まるで、イサにとどめをさすかのように。兵士たちも、まさかラグドがここまでするとは思わなかっただろう。しかしラグドは槍を激しく旋廻させて、目標をイサに定める。
「『岩龍(がんりゅう)爆極槍破(ばっきょくそうは)』!!」

 ――オオォォオオォオォン――

 誰もが、龍の咆哮を聞いた錯覚に捕われた。ラグドの最後の一突きが、まるで龍が鳴く声に聞こえたのだ。
 そして、イサは……。
 その場にいる兵士全員が、信じられなかった。自分たちが仕える主君が、ラグドが己の技を放つ間ずっと宙を舞わされ、そして倒れ落ちる瞬間が。その倒れ落ちる一瞬は、まるでスロウモーシヨンがかかっているかのようで、倒れたあとも、誰一人としてすぐに動ける者はいなかった。

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