13.魔病不治



 ウィード城門をくぐり抜けて、イサは目的地へ走り続けた。目的地はもちろん、コサメがいる場所で、ウィード城医務室。あちらこちらに設置されている医務室の中でも大きな医務室にコサメは隔離されているので、イサは迷うことなくそこへと向った。
「ちょ、イサ! 速いって!」
 ムーナが遅れて走りだしていたためか、それとも運動神経の差か、恐らく後者のほうの理由で、彼女はだいぶイサから離れていた。ホイミンも同様である。
「ムーナ団長……!」
「ほぇ?」
 イサに追いつこうと努力していたムーナを、一人の魔術師が引き止めた。ムーナが所属し率いている『風を守りし大地の騎士団』魔道団の一員である。
「どったの?」
「それが……」
 その魔術師は、今にも倒れそうなほどに顔を青ざめさせていた。いつもなら逆なのにね、などと思いながら、ムーナはその魔術師の話に聞き入った。隣で、ホイミンがクルクル回っているのを引っぱたきながら……。


「ただいま!」
 サラが待ち構えているはずの、ウィード城医務室。その扉を開けると共に、イサは元気よく挨拶した。例え誰もいなくてもいいし、気分というものだ。それに、どこかにいるはずのコサメに言ったと言えば問題は無い。
「おかえりなさいませ……イサ様……」
 イサの元気の良さとは正反対の、いつもなら付き合いの良いサラは、この時ばかりは暗い顔持ちで応えた。もちろん、サラも『このような事態』になっていなければ、イサの元気に笑顔で応じただろう。しかし、そのような状況ではないのだ。特に、これからイサに告げなければならないことを思うと、尚更に。
「どうしたの、サラ? 元気がないよ。医務団団長なんだから、健康には気を付けないと! あ、それよりもコレ! 取ってきたよ、パデキアの花!!」
 サラの変化など、小さな事としか捕らえていないようだ。よほど、パデキアの花の入手が嬉しいらしい。それもそうだろう。それがあればコサメが治ると言ったのは、他でもないサラ自身なのだから。
「パデキアの花……。取ってこられたのですね。では、成分を抽出し、薬を作りましょう」
 なるべく平静を装って、サラはイサからパデキアの花を受け取った。
 パデキアの花――星聖蒼花。あらゆる疫病、悪病を治癒する聖なる薬草。それでも、何にでも、例外というのは存在する。いや、治ることには治るだろう。耐えきることができたならば。しかし、ダメなのだ。どう考えても、もう遅いのだ。
「よかったぁ。これで、コサメも治るんだよね。もしかしたら、走れるくらいになるかなぁ? そしたら私、一緒に城の中庭でかけっこするんだ!」
 無邪気に笑うイサ。何も知らないからこそ笑えるのだ。そして、その言葉の一つ一つがサラの胸を締め付ける。今から、この笑顔を壊さなければならない。その役目が、何故自分なのだろう。
 黙々とパデキアの花から薬を作り続けるサラは、泣きたくなってきていた。しかし、これも医者の務めである。申告せねばならないのだ。イサだから、コサメのことを何よりも想っているイサだからこそ。
「コサメ様は……」
 無感情の声。取り乱しては行けない。ならば、自分の心を無感情にするのだ。何も感じなければ、少しは楽になるのだから。
 イサも違和感を感じ取ったらしい。昨日まで、サラはコサメのことを『コサメちゃん』と呼んでいた。それが今では『コサメ様』である。そして、ここまで感情を悟らせないサラの声を初めて聞いたからだろう。
「コサメが、どうかしたの?」
 嫌な汗が、イサの額から流れ落ちた。これから言われる事を、察知したかのように。
「コサメ様は……助かりません……」
「嘘ね」
 返事はすぐに返って来た。イサは信じてくれなかったのではなく、現実を拒んだのだ。
「嘘ではありません。コサメ様は、『魔霊病(まれいびょう)』というものに感染しています」
「何よ……魔霊病って……」
 イサが震えた声で聞いてきた。サラはイサに背を向けているので顔を見てはいないが、おそらく、その顔も強張っているだろう。
「小さな赤子に感染するもので、伝説の……全ての病の王とも呼ばれるものです。初期では何もわかりませんが、潜伏期間は十数年前後。しかしその間に、高熱や激しい咳などでほとんど動けません。ベッドの上で一生を終えることにます。魔霊病の発病第一症状は高熱と貧血。数週間後に第二症状、周囲半径一キロメートルほどの人物の抵抗物質吸収。さらに数日後に第三症状、抵抗物質吸収対象者へ高熱病の病原菌活性化命令。その数日後に第四症状、感染者の抵抗力、体力が大幅に減少。ちょっとしたケガで生死に関ります。もしここまでで感染者の命があったならば症状は一時沈静化。約半年後、急激に活性化し、最終症状。今までの人生で身に受けた傷の再生、第一から第四症状の集中同時発生……」
 喋り続けるサラの言葉を、長い話が苦手なイサは一生懸命に聞いていた。言葉の内容は、理解できなかったが、とにかく恐ろしい病であること、周囲に多大な影響を与える悪病であることということは解った。


「――ウィード城内で、何人もの被害者が既に出ています。高熱でうなされ、生死に関る患者も出ているほどですよ」
 部下の説明を聞いて、ムーナは舌打ちをしたい衝動にかられた。
「じゃあ何かい? 最近の、皆の不健康の原因はコサメにあるって?」
 ラグドと話し合った、おかしなこと。最近、部下たちの健康が優れないのが普通ではなく、奇妙な現象として捕らえていたことを思い出した。
「そうですよ。魔霊病は周囲に影響を与えるほどの悪病なんですから!」
「でも、パデキアの花があるんだ。もう、心配ないよ……」
 それ以上の会話は無用、というようにムーナは魔術師を無視して歩き出した。
 コサメが原因? コサメのせいでこの城が、この国が?
「そんなふざけた事、あるわけない」
 急ぎ足で医務室へ向おうとしたムーナの耳に、何かが地面に落ちる鈍い音が届いた。
「……カセリア?」
 その音を不審に思って、部下の名前を呟きながら、ムーナは後ろを振り返った。そこには、青ざめているというよりも、有り得ないような顔色の魔術師が、痙攣しながら倒れている。この部下もまた、魔霊病の影響で病に侵されていた。


「パデキアの花があるのよ! なんで助からないのよ!!」
 全ての病を治すといわれているパデキアの花。伝説の中にしかないような花が、目の前にあるのだ。
「確かに、パデキアの花で魔霊病を治すことはできるかもしれません」
「だったら……!」
「しかし!!」
 何かを言い掛けたイサの言葉が、サラの厳しい口調でさえぎられた。
「……しかし、パデキアの花の薬は、身体に負担をかけます。そしてコサメ様は、この薬に対する抵抗力すらないのです。治る前に、死に至るでしょう。診断結果、そう判断できます。……魔霊病の恐ろしさは、感染者が死んだ後です。病原菌は感染者の身体から離れ、周囲に飛びまわります。その病原菌に取りつかれた者を『二次感染者』と言い、二次感染者は、潜伏期間が無く、感染した瞬間に生死を彷徨うことになります。しかも、生きている間には体内で病原菌が増殖し続け、二次感染者が死ぬと、数倍の病原菌が新たな『二次感染者』を求めて周囲に飛び移る。被害は広がる一方……。それでなくても、二度目の第二、第三症状は危険なものです。実際に、ウィードの兵士や国民が既に被害者となっているんです。彼等は、まだパデキアの花の薬で間に合いますが、コサメ様は……」
 長い、長いサラの話を、イサは黙って聞いていた。何度か口を挟んだりもしたが、イサ自身はずっと黙っていた気がしたのだ。
「……でも、助からないなら……。コサメは、死ぬってことだよね……。だったら、もう皆がお終いなのと同じじゃない。コサメが死んだら、病気はすぐに回りの人に移るんでしょ!?」
「二次感染を防ぐ方法はあります」
 淡々と、サラは続けた。きっと、このことを告げれば、イサはこの場を出て行くだろう。そしてコサメの場所へと向うはずだ。コサメは既に医務室にはいない。もう、例の場所へと搬送中のはずだ。今からイサが行っても、間に合うかどうか……。いや、イサの足ならば間に合う。それどころか、コサメを連れ出してしまうほどかもしれない。
 だから、サラは躊躇った。このことを告げるのを。それでも、もう『防ぐ方法がある』と言ってしまっているのだ。言わないわけにはいかない。
 そして、サラは自分で自分が言ったことを、後悔した。何故なら、サラの予想通り、その方法を告げた途端に、イサは医務室から飛び出していったのだから。
「スミマセン……。これ以上イサ様と共にいるのは、辛過ぎます……」
 ずっと流さなかった。自分で何年振りかに見た、その涙をサラは拭いながら呟いた。
 イサを足止めすることを、ウィード王から命令されていた。
 しかし、サラは話した。イサに、コサメが今からどうかるのかを。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 コサメが死ぬことが? ……もちろん。
 それともコサメが殺されることが? ……もちろん。
 それとも、それとも、それとも――? ……もちろん。

 ――防ぐ方法はあります。

 サラの言葉が思い出される。
 サラが言った、感染者が死に至っても、魔霊病を周囲に感染させない方法。

 ――それは感染者ごと病魔を……。

「『燃やす』って何よ! 人を、人間を、コサメを、燃えるゴミか何かみたいに言って!!」
 ウィード城では、遥か昔に使われていただろうと言われている処刑場がある。ほとんど地下室にあるわけだが、種類が豊富だ。断頭台や十字架や晒し台などなど。あまり嬉しくないのだが……。
 その中の一つに、灼熱の炎で焼き尽くすという処刑もあった。名前などは忘れた。しかし、そこにコサメがいるのは間違い無い。コサメの命が亡くなる前に、病原菌ごと感染者を燃やさなければならないというのだから。
「来たぞ!」
 誰かが、合図を送った。それも、イサにではない。
「え?!」
 イサが走っているのは中庭だった。目の前には、地下へ続く階段がある。しかし、その階段を塞ぐように立っている人間が何人も。
「どういうこと!」
 邪魔をしている人間は、イサも見なれた鎧を身に着けたウィード兵士たちである。それも、槍をイサのほうに構えている。まるで、侵入者を捕らえるかのように。
「ウィード王より、ご命令が下されています。力を行使してでもイサ様を先へ進ませるな、と。我等とてウィード兵士。イサ様の性格は理解しているつもりです。だからこそ、最初から実力行使で止めさせていただきます!」
 確かに、イサを話し合いで止めようとしても無理だろう。イサ自身、今の自分を止める方法は実力行使しかないと思っているのだ。
「あなた達が力で来るなら、私も力で通る!」
 風の爪を両手に素早く装着し、構えを取る。
 数はイサ一人に対して十数人。ウィードの兵士は他にも多くいるはずだが、サラの言う通り、病に倒れているのだろう。コサメの身体に巣食う病魔、魔霊病に菌に対する抵抗力を喰われているいるのだから、変な病気になっているかもしれない。
 朝霧は既に晴れているが、辺りはどんよりと暗かった。まるで、この城に悪魔がいるかのような暗雲が空を覆っているのだ。雨でも降りそうな雲だ。そして数秒後には、ぽつりぽつりと雨が振り出してきた。それは雨雲から降り注ぐ雨ではない。イサと兵士たちが交差する度に弾ける、汗や血の雨であった……。

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