12.星聖蒼花



 ウィード城の医務室で、サラは蒼白の色を顔に泳がせていた。
「嘘でしょ……これって……」
 コサメの病状を記載していくうちに、一つ思い当たるものがあったのだ。
 他の患者がいるなかで、サラは一人の病人ではないかというほど震えていた。あまりにも恐ろしい事実に対して。今、直面していることに対して――。


 ゆっくりと、力が戻ってくる感覚。
 身体中が熱く燃えあがるようなこれは、慣れられるようなものではない。
 しかし実感はある。助かった、という実感が。
「う……ん…………」
 目を開け、ぼやけた視界には白銀髪の女性と、ホイミスライムが見える。
 ムーナとホイミンだ。
「助かった、の?」
 ホイミンがベホマをかけてくれているのだろう。身体中の疲れが一気に癒されて行く。
「うん。アタイにもよく解らないんだけどね。ほら、あそこ」
 ムーナが示した先には、巨ボストロールだったモノが横たわっている。どうみても、生きているとは思えないし、他者から見れば、これがボストロールであったとはすぐに思わないだろう。
 その死体も、やがては砂塵になって消えて行った。
「それじゃ、頂上に行こう!」
 ベホマをかけてもらったおかげで、身体が軽い。イサは、疾風のように走り出した。


「そんな……」
 星降りの山の頂上部。
 周囲にはただの雑草しか生えておらず、パデキアの花と呼べるようなものがない。
「こりゃぁ、いったいどうしたことだい? 軽く十年は花が咲くような植物は育ってないみたいだよ」
 ムーナが魔術師としての本能を働かせてか、土の様子を調べたり、雑草を事細かに見ていったりしている。
「パデキアの花がないと、コサメが助からない……。どこ、どこなのよ、パデキアの花っていうのは!」
 イサたちは、文字通り草の根を掻き分けるほどの勢いでパデキアの花を探した。
 しかし、それは夜になるまで見つかる事はなかった。

 星降りの山、と呼ばれるだけあって、頂上から見られる夜空は美しいものである。だが、この星夜の空を見上げて、思わず溜め息をつきたくなる。
「これだけ探しても見つからない。もう、咲かなくなったのかな……」
 イサは開けた場所に座り込み、膝を抱えて落ち込んでいた。
「こんだけ暗いと、捜索できそうにないね」
 白銀の髪に土や泥がついているのを払いながら、ムーナもイサの横で溜め息をつく。
「ホイミーン。そっちはなんかあったかい?」
 フラフラと宙を泳いでいるホイミンにムーナが聞くが、無意味だったかもしれない。
「何にもなかったよ! えへっ!」
 などと自身満々に言われたならば、聞くだけ無駄だったと思わざるを得ないのだ。
 コサメの病気を治すために必要なパデキアの花。それを探して、ここまで来たと言うのに、肝心の物がなければ、どうしようもない。
「あ、ねぇイサ。見て、流れ星だ!」
 ムーナに呼ばれて空を見上げると、夜空に多く存在している星の一つがキラリと落ちていくのが見えた。この流れ星にお願いすれば、パデキアの花が手に入るだろうか。いや、そこまで単純なことではないはずだ。いくら流れ星には願いを叶える力があると話されていても、実際に叶うと思い込んではいないのだ。
「……って、なによ……コレ?」
 イサの表情が固まる。隣で立っているムーナも、口をぽかんと開けたままソレを見上げていた。最初は一つや二つが流れていた星だが、次第に数が増えて、幾千という流れ星が、頭上を通り過ぎているのだ。まるで、浮かんで輝いている星すべてが落下しているかのように。
「キレイだねぇ〜」
 ホイミンがそれを見た感想を言う。確かに綺麗ではあるが、これは異状なほどの数だ。
「何が起きているの?!」
 不思議な出来事は、更に不思議を呼んだ。イサが座っていた場所の目の前が、急に光を帯びたのだ。球体の発光。まるで、流れ星の輝きを一点に集中させたような。
「今度は何!?」
「――汝、願いを求むる者か?=v
 光から声が聞こえる。遠くから聞こえるような、すぐ耳元で囁かれているような、不思議な声。
「願い……?」
「――私は星降りの精霊。願いを一つ、人の手に伝わせしモノ=v
 星降りの精霊と名乗った光は、一層輝きを増した。まるで、そこにいることを誇示するかのように。そのおかげで、さきほどまで暗かった周囲が、まるで昼間のように明るい。いや、昼間でさえここまで輝かないだろう。
「――以前の願いから、今この時、五年の月日が流れた。願いを答えよ=v
 声は、優しい声だった。喜怒哀楽の起伏がある声ではないが、イサは優しい声として聞き取ったのだ。
「願い……。……願いならあるわ。どんな疫病をも治す、パデキアの花が欲しいの」
「――それは、二五年前と同じ願い。それで構わぬのか?=v
「えぇ。もちろん」
「――了承した。この場所に、再び星聖蒼花(セイセイソウカ)……汝等のいう『パデキアの花』を――=v
 光が、一瞬にして消えた。
 まるで何事もなかったかのように辺り静まり返っている。先ほどの光が嘘のような、静か過ぎるほどのものだ。自分たちの呼吸音や鼓動の音が聞こえてくるほど、静寂としたものだった。
「さっきの光……」
 誰もが黙っていた中で、ムーナが最初に言葉を発した。
「星降りの精霊って名乗っていたね。もしかしたら……」
 ずっと立っていたムーナがフラリと顔を青ざめながらその場に座り込んだ。
「え? ちょ、ムーナ?!」
 慌ててムーナを抱えて、揺さぶって見る。どうやら、いつもの『エネルギー切れ』というやつらしい。
「あ、アレ……アレをぉ〜……」
 慣れた手つきで、イサは彼女のローブから栄養剤を取りだし、ムーナに飲ませる。すぐに顔の色が元に戻り、なんとか立ち上がった。
「ふぅ、ありがと」
「しっかりしてよね。で、さっき何を言いかけたの?」
「え、いや。別にね〜」
「はぐらかすつもり?」
「そうじゃないけど……。あ、見てみなよ、イサ!!」
 ムーナが指で指した方向、そこには、一輪の花が咲いていた。見たことがない、しかし聖なる気を発しているのがすぐにでも解る花。星降りの精霊が、星聖蒼花と言った花だ。そして、自分たちが求めていた『パデキアの花』でもある。
「や、やった……。これが、パデキアの花! これで、コサメの病気も治るんでしょ!」
「ヨカッタね、イサ様〜」
 クルクルと回りながら、ホイミンがイサに近付く。
「うん!」
 それに対して、イサは飛び切りの笑顔で応えたのであった。

「だけど、どうする? こんなに暗いと、帰りは大変だよ」
 ムーナが自分たちの登って来た道を見ている。山道は登るより降るほうが楽ではあるが、危険な事には変わりない。暗ければ余計に危ないのだ。
「ルーラで戻ればいいでしょ? ……もしかしてムーナ……魔法力が切れた、とか?」
「いや、そうじゃなくてさ。星降りの精霊の影響力だと思うんだけど、風の精霊力が全く感じられなくなっているんだ。ここまで風の精霊力が弱いと、今のアタイの魔力じゃルーラが使えそうにないんだ」
 ルーラは風の精霊の力だ。その力の源である風の精霊力がなければ、ルーラは失敗に終わる。無理して下手をすれば、異空間の狭間に閉じ込められてしまうかもしれない。実際に、ルーラを悪用しようとしていた賊が、風の精霊のない場所で無理にルーラを唱えて失敗。その挙句に空間の狭間に閉じ込められて一生出られない、という話がウィードの御伽噺に出てくる。
「キメラの翼は?」
「ん〜……。確かにアレは翼の中に風の精霊力を閉じ込めているんだけど、発動した瞬間に消滅しちゃうよ、この場所ならね」
 キメラの翼は使った瞬間になくなるのは、中に封じ込められている風の精霊力を解放するからだ。『伝説級』アイテムである風の帽子ならともかく、キメラの翼では意味を成さない。
「ホイミン……なんか移動できる手段、無い?」
「あるわけないよ〜。えへへ♪」
 重大なことではあるが、ホイミンはそれを知ってか知らずか、楽しそうに答えた。
 どうやら、この暗い夜道を下る以外に今できることはないらしい。
「明日まで待てば、星降りの精霊の影響力から解放されるだろうから、今日はここで野宿だね」
「今からでも山をおりて行ったほうが早いよ。ちょっと危険でも!」
 ムーナが提案した野宿を、イサは拒んでいるようだ。それもそうだろう。せっかく入手したパデキアの花がある。あとは、ウィード城に帰れば済むことなのだ。こうしている間にもコサメが苦しんでいるのかと思うと、すぐにでも駆け出したい。
「ちょっと所じゃないよ。それに、今からおりてもふもとに着くのは明日になる。だったら、わざわざ危険なことを選ばずに、ここでじっくりと待とうよ」
「でも……!」
「それじゃ聞くけど……」
 ムーナの声の調子が変わった。いつもの、のほほんとしている彼女の声ではない。その目も、いつもにっこりとしているものが、薄く見開かれてイサを見つめていた。
「もしイサの方法を選んで、危険だとしても山を降りるのに専念したとする。その危険の中に、パデキアの花を魔物に燃やされたり、食われたり、無くしたりするかもしれないっていう『危険』が含まれているんだよ。実際に、ここに登る間に火炎系魔法を使う魔物がいたしね」
 この声のムーナには、反論しがたいものがある。まるで逆らえないのだ。
「わざわざそんな危険にチャレンジしてからウィードに着くのと、ここで休んでウィードに着くのは同じくらいの時間だ。ここまで言えば、解るよね?」
「……うん……」
 しゅん、とイサは足元を見る。ムーナと視線を合わせるのが辛いのだ。悪戯を咎められた子供のように。
 それを見たムーナの顔つきが変わった。にっこりと笑い、まるで子供の悪戯を咎めた後に、反省した子供へ送るような微笑みだ。
「よし、それじゃ休もうか。ホイミンも良いよね?」
「良いよ〜。僕も疲れちゃったし」
「……アンタは遊び疲れでしょ」
 イサとムーナがパデキアの花を捜索している間、ホイミンはずっと蝶々を追いかけていたのだ。どこまで行っていたのか、魔物に襲われながら戻って来たことも少なくない。その度にイサたちは捜索を一旦打ち切り、魔物を倒して行った。疲れたのは、主に二人のほうなのだ。
 イサとムーナは見張の順番や時間を決め、野宿の準備に入っていた。


 ――ウィード城謁見の間。玉座の間とも呼ばれているが、どちらで呼ぼうと関係無い。
「次の謁見者は『風を守りし大地の騎士団』医務団団長サーライブ・リカバー殿です」
 王の側近が、抑揚のない声で謁見者を告げる。
 それを聞いてから、サラは謁見の間へと入っていった。
「どうしたのだサラ。珍しいではないか、お前が謁見を申し出るなど」
 王の言葉はいつもよりか幾分は軽く、尊厳を感じさせる中に、親しい相手に話しかけるような友好さが見えられた。
「……ウィード王……」
 いつもとは違うサラの声。何か重大なことを秘めている、そんな声だ。そのことにウィード王も気付いたのだろう。何か、重々しいものを感じる。それでウィード王は再び、真剣な眼差しで聞いた。何かあったのか、と。
「……イサ様が城に連れ込て帰ってきた、コサメ様について申し上げることがあります……」
 隠しても、黙っていても仕方が無い。言わなければならないのだ。コサメに巣食っているモノを。この城、いやこの国、下手をすれば世界そのものの脅威になるかもしれないモノを――。


 眠れないとばかり思っていたのだが、いくら魔法で回復したとはいえ疲労が溜まっていたのだろう。その晩はぐっすりと眠れた。もちろん、ムーナと交代で見張をしていたが、特に魔物が襲いかかってくるなどということもなく、順調に朝日が昇るまで休憩ができた。
「それじゃ、行くよぉ」
 ムーナの足元に、複雑な魔法陣が描かれて行く。それが翠色に発光すると共に、風の精霊力がイサたちを包み込む。
「移転呪文――ルーラ=I」
 浮遊感がイサたちにかかり、景色が一変する。
 先ほどまで山の頂上だったものが、城の城門前に戻ってきていた。
 その城門は、見間違える事なく、ウィード城の城門である。


 イサたちが星降りの山からルーラを唱える様を、一人の青年が見ていた。
 ルーラで彼女らが飛ぶと、その青年も一瞬でその場から消え、違う場所へと転移していた。そこは、イサたち三人がよく見える場所。ウィードの城壁の上に、その青年は座り込んでいるのだが、イサたちや他の人間は彼に気付いていない。
「おかえり、『神風の王女』。でも、でもね。……フフ、間に合わなかったようだ。残念だねぇ♪」
 その青年は、大きな鎌を弄びながら、城門を潜り抜けて行くイサたちを眺めていた。青年の腹には大きな口があり、それさえも笑うように蠢いている。
「楽しみだなぁ、どうなるんだろう。ココで君は終わるのかな? それとも、僕を楽しませるほどの大物になってくれるかな? さぁて、じっくりと見ていこうかなぁ」
 クツクツと喉の奥で笑い、彼はその場から一瞬にして消えた。風の精霊力を使わず、詠唱も無く、ただただ、そこから一瞬で消えていた。

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