10.症状悪化



 季節は、秋から冬を経て、春へと移り変わろうとしていた。日が傾く速度がやや下がり、温かくなってきている。風の国『ウィード』は一年中、春とも噂されるが実は違う。春夏秋冬があり、気温の変化も当然在る。
 そんな中、イサが冒険に出る事は、極端に減っていた。その原因は、コサメという少女である。イサは冒険に出るよりも、コサメと話すことのほうが楽しみになっていたのだ。初めての友達。何の隔たりも無く話せる相手。コサメは、イサにとって、唯一の友だ。それはコサメにとっても同じだった。
 冒険に出るのは、コサメに外の話を聞かせるためである。コサメと出会う以前、幾度か冒険をこっそりと重ねたが、もっと違うことを教えようと考えているらしい。
 今日もイサは、コサメの泊まっている部屋へと赴いていた。


「早いねぇ。もう半年だよ」
 ムーナがラグドの部屋でのんびりと言った。まるで、空にでも話しかけているように窓を見つめている。
「そう、だな。イサ様も、あれから、冒険を、指で数える、くらいにしか、出て、いない」
 言葉が途切れているのは、ラグドが筋トレをしているためであり、腕立て伏せの合間に答えているからだ。……五百回以上は続けているように思えるが、それは気のせいだと思いたい。
「にしても、おかしいと思わない? コサメったら、まだ上手く歩けないらしいよ」
 コサメを定期診断している城医に聞くと、コサメは半年前とほとんど変わらず、回復をしていないらしい。こんな症状は初めてだ、とぼやいていたが、慌ててもいなかったので、とりあえず生命に危機はないらしい。一応、上手くとはいえないが歩ける程度にはなっているので、全く回復していないということでもないのだろう。
「おか、しい、と、言えば……」
 ラグドが腕立て伏せを中断し、立ちあがる。身長二メートルを越す大男は、汗をタオルで拭いながら言った。
「ムーナ。お前、女であるのに、よく男の一人部屋に入ってのうのうとしていられるな」
「ん〜? 心配無いよぉ。ラグドが女性を襲うなんて、天地がひっくり返っても有り得ない」
 確信した口調で云うムーナの言葉は、実はそうだったりする。ラグドは性欲というもがないかのように、興味を持たない。例え美女の裸体と寝ることになっても、何もせずに眠ってしまうだろう。
「俺は構わんが……。あぁ、ついでに茶でも飲むか?」
 部屋、と言っても、『風を守りし大地の騎士団』の団長という役職になれば、個室が用意され、豪華ともいえる部屋になっている。
 三十人を収容しても有余る空間、選べる設備。ラグドの場合は筋力鍛錬道具(トレーニングアイテム)を充実させている。ちなみに、ムーナの部屋は魔法の研究室のようになっている。
「あー。この前のお茶、お願いねー」
 髪が垂れ下がっているため、確認は取れないが、ラグドはきっと困った眼をしたのだろうとムーナは確信できた。
「この前って……。あのな、アレはかなり遠くにしか売ってない貴重品だぞ」
 北大陸にあるウィードとは違う、西大陸に存在する街で購入したお茶である。名をバーテルタウンといい、勇者ロベルが生まれ育った土地として有名な場所だ。ラグドが休暇を取って旅行へ行った時に買ったお茶が、ムーナのいう代物である。
「えー。もうないの〜?」
「いや、ないというわけではないが……」
「じゃあ、アレにしてよぉ。でないと、ラグドに襲われたって言いふらしてやる」
「皆が信じるかどうかだがな」
 まず信じないだろう。ムーナが嘘をついてもすぐに虚言とばれるはずだ。だが、面倒なことになりかねないので、ムーナの要望通り、バーテルタウンで購入したお茶を用意することにした。
「(茶を出すべきではなかったな)」
 内心そう思いながら、棚を開けてお茶の葉を出す。
 なんでも、毒消し草、薬草、満月草の三種類の草を混ぜた時にできあがる特殊な液を染み込ませたお茶の葉らしく、お湯に入れるだけで簡単に作れる。湯を注ぎ、お茶の葉を入れ、それをムーナに差し出した。自分用にもちゃんと用意している。
「ありがとー! あ、そうそう。おかしぃついでに、もう一つ」
 ムーナはお茶を一度だけ啜ると、飲んだ事で思い出しかのように云った。
「最近さ、兵士たちの様子がおかしいの」
「兵士達の?」
 眉を寄せて――髪の毛で見えないが――、ラグドは茶を飲む手を休めて聞き返した。
「そ。なーんか、最近になって出席率が悪いのよね〜」
「出席って……。お前、学問所ではないのだから、『出席』は無いだろう」
 苦笑しつつも、ラグドは同じことに気付いていた。最近、どうも部下たちの健康が優れていないようだ。定期訓練のときに休む者は、ちらほらとなら以前からいたが、最近はその数が大幅に上昇している。おかげで集合率が低下し、万全な状態になっていない。
 常に万全なる態勢を。というのが主義である『風を守りし大地の騎士団』のはずだが、さすがに病には勝てないのだろうか。
「医務のサーちゃんも、最近になって医務室の利用が増えたぁって嘆いてたよ」
 ムーナのいうサーちゃんとは、医務室の室長であり、軍医でもある。彼女も『風を守りし大地の騎士団』の医務士団長だ。騎士団は戦闘ができればいいというものではなく、医務のような仕事も騎士団の一員が担うものだ。彼女は医務士団のトップに立っており、名をサーライブ・リカバーと言って、サラと呼ばれている。サーちゃんと呼ぶのはムーナだけだが。
「嘆く? あまりの狂喜に震えていたのではないか?」
 ラグドが冗談めかして言うが、あまり冗談では済まされない。サラことサーライブ・リカバーは、極度の実験好きで、女好き……女色というやつである。男相手なら容赦しないし、女相手なら違う意味で容赦しない。そんなサラが全権を握っている医務室に利用者が増えれば、狂喜乱舞してもおかしくはないのだ。
「……だが、風邪でも流行りだしているのかもしれんな。注意をしなければ」
「ん〜。風邪だったらいいよねぇ〜。バカは風邪ひかないって言うらしいから、アンタは大丈夫だしねぇ」
 ムーナの皮肉を、ラグドはそうだなぁと受け取った。どうやら、直接言われたにも関わらず皮肉に気付いていないようだ。本物だ、などとムーナはこのとき思った。


 城の中庭には、ウィード地方特有の花が咲き誇っている。どれもが美しい色を誇示するかのように我先にと花びらを見せつけるのだ。そんな園の中で、イサはコサメを連れだし、お茶会を楽しんでいた。
 コサメが歩けるようになっただけで、イサはまるで赤子が生まれたかのように喜んだ。まだ遠くへは行けないとしても、ウィード城が誇る庭園に誘ったのだ。
 イサは普段着で、コサメは簡素な服を着ている。まだ病人であるから、無理に飾ることもできないし、コサメの性格上、質素なものが好みなのだ。
「おいしい!」
 イサが出したお茶に対する、コサメの感想である。イサが自分で淹れたわけではないが、イサの所有している茶である。といっても、昔、ラグドが休暇から返って来た時に購入していたお茶を半ば強制的に奪ったものではあるが、これが美味なのである。残りは、あと少ししかないが、それでもコサメが喜ぶならば、と出し惜しみなく使ったのだ。
「そうでしょ。なんたって、西大陸でも有名なお茶なんだよ」
「ねぇ、イサ。あたしのために色々してくれるのは嬉しいけど、あたしに構い過ぎじゃないかしら?」
 コサメの言う通り、イサは冒険の回数を削ってまでコサメの相手をしていた。コサメ自身は独りでいるよりイサと共にいた方が愉しいし嬉しいので、願ったり叶ったりなのだが、そのためにイサの行動が制限されるのは嫌だ。
「冒険しているより、こっちのほうが楽しいんだもん。やっぱり楽しいことをしなきゃね」
 事実、イサはコサメといるほうが楽しく感じる。冒険一筋だったころに比べると、それが嘘のように思えてくるのだ。
「でも……」
「何よ? 私と一緒にいるのが嫌なの?」
「そ、そんなこと無いよ! あたし、イサと一緒にいるのがすっごく嬉しい」
「じゃあ良いじゃない」
 イサの勝ちだ。コサメは続きの言葉が見つけられず、自分でも言ったがイサと一緒にいるほうが楽しい。この時が永遠に続けば、とさえ思ってしまう。独りぼっちだった自分と一緒にいてくれるイサが、本当に嬉しく感じられる。
「あ、お茶が無くなっちゃったわね。もう残りないんだっけ……」
 あまりにも美味しいため、イサはそのお茶を一度に飲み干してしまったのだ。もう少し味を楽しめば良かったと今更に思う。コサメも同じで、もうカップの中は空になっていた。
「じゃあ、そろそろ戻ろう? あたし、眠くなっちゃったから……」
 気がつけば、もう夕刻である。先ほどまで昼であったというのに、時間というのは経つのが早い。このお茶には睡眠欲を促進させる効果もあるらしいので、病人のコサメにとっては眠気を誘ったのだろう。
「そうね。じゃあ寝室まで送るわ」
「うん」
 リハビリも兼ねて、コサメは一人で歩き出した。
 イサが共に来ることは、前までなら遠慮しただろう。それが、今では少しでも一緒にいたい。そう思っているのだ。イサと一緒にいること。それが何よりの幸せ。
 でも――

 ――でも、ココにいてはいけない――

「っ!?」
「どうしたの、コサメ?」
 コサメが、急に立ち止まったのだ。イサが心配するのは当たり前だ。
「え? う、ううん。何でも無い。何でも無いの……」
 コサメは、一瞬だけ忘れていたのものを思い出した。一瞬のことではあったが、その後すぐに、それは脳裏に焼きついてしまった。そうだ。ここにいてはダメなのだ。早く出なければならない。そうしないと、イサに迷惑がかかる。
「だったら、良いんだけど……」
 イサの心配そうな視線から逃れるように、コサメはふいと目を背ける。
「(出ていったら、イサと別れなきゃいけない……)」
 そのことが、コサメを苦しめる。イサと一緒にいたい。でも、一緒にいたら迷惑になる。今は迷惑になっていないと言うだろう。でも、いつか迷惑になる時が来る。だから、ここにいてはダメだ――。
「って……コサメ!?」

「(あれ。どうしたんだろう。世界が、回っている。……あ、違う。あたしが倒れ――)」

 ――ドサ――。

 人間一人にしては、軽い音を立てて、コサメはその場に倒れ込んでしまった。
「コサメ!!」
 イサの声が、城内に高く響いたのはそれから数秒後である。

次へ

戻る