第2回 形外会 昭和5年1月19日

 

最後に森田先生は上の三氏の演説に対して批評(ひひょう)(こころ)みられた。高野君の「はからわざる心」、「無我(むが)」とかいうのは宗教的表現であり、方法論である。吾人(ごじん)は死を恐れる、それは生きたいがためである。生命の能率を大にするがための手段としてまず安心立命(あんしんりつめい)を要求する。安心をうるがために種々の心の態度、身構(みがま)えを工夫する。これが宗教的工夫である。諸行無常といい、不立(ふりゆう)文字(もんじ)といいあるいは天国を想定(そうてい)し、南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)(とな)える。自力(じりき)他力(たりき)とに別にしてもいずれもみな安心の手である。「はからわざる心」も同じく一つの心の態度であるが、これを教えられる人が、これを一つの事実と見ず、一つの手段として考える時に、「はからわざらんとする心」が、すなわち「はからう心」になって、「一波を(もっ)て一波を消さんと(ほっ)す、千波万波(せんぱまんぱ)交々(こもごも)()きる」という風に、ますますこんがらかって(******)くる

ようになる事を注意しなければならぬ。我々は何かにつけて(つね)にはからっている。これが吾人(ごじん)の心の事実であり、精神の自然現象である。この「はからう心」そのままであった時に、すなわち「はからわぬ心」であるという事をも考えなければならぬ。

次に「不安定即安定」という事については、不安定とは客観的の日常の事であり、安心は主観的の想念(そうねん)である。風や、寒さや絶えず変化することが日常の不安定の事実であり、いやな事苦しい事をも、ことさらにこれをいやと思わず苦しいと感じないようにしようとするところに心の葛藤(かっとう)が起こり不安心が起こり、余のいわゆる(しそう)矛盾(むじゅん)が起こり、強迫観念が起こり不安心が起こる。すなわち余はただ「事実(じじつ)(ゆい)(しん)」というと論ぜられ、なお哲学的、科学的の表現と宗教的表現とを対照(たいしょう)して説明され、この三者が一致するものはすなわち常に「事実(じじつ)(ゆい)(しん)」であり、「事実に非ざれば真に非ざるなり」と力説された。

 

戦争にはヤリッパナシがよいか、小心翼々(よくよく)が適当かといっても、これを一口に決めることはできない。局、何はともあれ黒川君の現在は、最も軍人に適切であるというべきも のであると。」(ひょう)された。一同夕食をともにして思い思いに散会(さんかい)した。  

                   (『神経質』第1巻、第2号・昭和5年3月)