最後に森田先生は上の三氏の演説に対して批評を試みられた。高野君の「はからわざる心」、「無我」とかいうのは宗教的表現であり、方法論である。吾人は死を恐れる、それは生きたいがためである。生命の能率を大にするがための手段としてまず安心立命を要求する。安心をうるがために種々の心の態度、身構えを工夫する。これが宗教的工夫である。諸行無常といい、不立文字といいあるいは天国を想定し、南無阿弥陀仏を唱える。自力と他力とに別にしてもいずれもみな安心の手段である。「はからわざる心」も同じく一つの心の態度であるが、これを教えられる人が、これを一つの事実と見ず、一つの手段として考える時に、「はからわざらんとする心」が、すなわち「はからう心」になって、「一波を以て一波を消さんと欲す、千波万波交々起きる」という風に、ますますこんがらかってくるに
ようになる事を注意しなければならぬ。我々は何かにつけて常にはからっている。これが吾人の心の事実であり、精神の自然現象である。この「はからう心」そのままであった時に、すなわち「はからわぬ心」であるという事をも考えなければならぬ。
次に「不安定即安定」という事については、不安定とは客観的の日常の事であり、安心は主観的の想念である。風や、寒さや絶えず変化することが日常の不安定の事実であり、いやな事苦しい事をも、ことさらにこれをいやと思わず苦しいと感じないようにしようとするところに心の葛藤が起こり不安心が起こり、余のいわゆる思想の矛盾が起こり、強迫観念が起こり不安心が起こる。すなわち余はただ「事実唯真」というと論ぜられ、なお哲学的、科学的の表現と宗教的表現とを対照して説明され、この三者が一致するものはすなわち常に「事実唯真」であり、「事実に非ざれば真に非ざるなり」と力説された。
戦争にはヤリッパナシがよいか、小心翼々が適当かといっても、これを一口に決めることはできない。結局、何はともあれ黒川君の現在は、最も軍人に適切であるというべきも のであると。」評された。一同夕食をともにして思い思いに散会した。
(『神経質』第1巻、第2号・昭和5年3月)