第90回 女性の為の札幌・五巻を読む会 2023.4.20

森田正馬全集第5378頁形外会・第35回例会    昭和87月2日から

風呂は夜中で

も、入れるように、いつでも、たててあった。また舟に乗ると、よく

眠られると聞くと、毎日・雨の降る時でも、舟に乗った。そうして苦

しんでいる時、偶然(ぐうぜん)、原夫人に教えられて、先生の著書(ちょしょ)を読んで、そ

れと同時に治った。1週間後には、7年の不眠が、完全にとれまし

た。

 次に(はげ)しい頭痛の発作性神経症も本だけでよくなった。恐怖に突入

するという事を実行したからです。次に疲労性という事も、一度の

診察で治りました。

 入院したのは、修養として、もっと(さか)んに活動したいというためであ

った。入院中は、それはもうえらい元気で、庭中(にわちゅう)走り回って、仕事し

ました。起床(きしょう)第一日目には、5時に飛び起きて、皆さんの寝ているの

を、ガンガン戸をたたいて、起こして回った。あまり騒々(そうぞう)しいので、

ある人は、(ばあ)やさんが死んだかと思ったそうです。こんな風で、

自他ともに(ゆる)されるほど、よく働いたが、さて家へ帰ると入院中の3分

の1も働けない。あまり私が悲観するので、家内に、もう一ぺん先生

のところへ行けといわれた事もあります。

 しかし家でだれるのは当然で、あたかも先生のそばや会長席にいれ

ば、おのずと精神が緊張するが、一般席に座れば、だれるのと同様で

す。それでも入院前と比べてみると、(たし)かに(ちが)う、()付きでも優しく

なったそうですが、昔は随分(ずいぶん)きつかったのであります。今では1週間

の3分の1は、入院中の程度で働き、3分の1は、いやいやながら働

き、後の3分の1はどうにもだれてしかたのない有様(ありさま)です。

  自分の無能を病気の(つみ)にかこつける

 井上氏 僕も欲張(よくば)りで、あれもこれもとやりたい事が多く、香取さ

んのいわれる気持は、どうにもしかたがないと思っています。ただ欲

張ってやりたい・それだけです。いつまでも欲張りのため、入院前よ

りもよくなったという事を忘れているのですね。僕も退院後、人付き

合いもよくなり、そのほかいろいろの利益を得たが、昔の苦しみは、

もう思い出せないほどです。

 坪井氏 このまえ先生から、私の赤面恐怖が治ったといわれて、困

った事がある。皆から、あんな人が治っているのかと思われるのが

進退(しんたい)(きわ)まったのです。                             1

 井上氏 進退(しんたい)(きわ)まれば幸いです。先生から治ったといわれたら、仮に

そうしてしまう。すると本当に治ってしまう。「(うそ)から出た(まこと)」とい

(やつ)です。

 山野井氏 私にも、こんな経験があります。退院後、うかがったと

き、丁度(ちょうど)行方(なめかた)君が入院中で、先生から「山野井に教えてもらえ」と

いわれて実に困惑(こんわく)した。しかたがないから、先生のいわれる事を受け

売りして、ごまかしました。(笑)それが今は、こんなによくなって、

それ以来、字の書けぬために、会社を休むなどの事はありません。

 ()(かめ) 恐怖がいろいろとでてくると、する事が制限されてくる。

試験前などで、忙しくて、恐怖と仕事とのやりくりが切迫(せっぱく)してくる

と、行きづまって、かえって突破(とっぱ)するようになる。例えば、ポストに

手紙が入ったかどうか、郵便夫(ゆうびんふ)の手に渡るかどうか、というような心

配も、忙しい時は、ええままよ、落ちれば誰かが拾って入れてくれる

だろうくらいにあきらめてしまう。そして1つこれを突破(とっぱ)すると、後

のものも、スラスラと行くようになる。

 ○○氏 僕も全治といわれて、がっかりした組です。なぜなら、()

()であれば、自分の無能を、病気の(つみ)にかこつける事ができるが、全

治といわれると、自分の才能は、たったこれきりかと、がっかりする

ようになる。

  10の症状が8つ治っても、あとの2つを治らぬと

  いい()る。

 森田先生 ヒステリー性や発揚性(はつようせい)素質(そしつ)の人は、ほめられると、あっ

さりとそのまま喜ぶが、神経質は、なかなかそう簡単にはいかない。

(みょう)なものです。神経質はほめられると、お世辞(せじ)でないかと(うたが)い、また

これを実際としても、ほめられる以上の責任を感じ、なおその上に、

もし将来、その期待に反するような事があっては、かえってその信用

失墜(しっつい)してしまうという風に、取越苦労をする。面白いものです。

「勝って(かぶと)()をしめよ」という事があるが、神経質にこんな事を教

えたら、()ても(かぶと)を脱がなくなるから随分(ずいぶん)首筋(くびすじ)が痛くなります。そう

かといって、ヒステリーや発揚性(はつようせい)のものに、この事を教えても、()()

東風(とうふう)でなんの効能(こうのう)もないのです。

神経質には「全治した」といっても「本当に治ったかしらん、また

再発することはないか」という風に心配する。10の症状が8つよく

なっても、残りの2つをいい立てて、治らぬと主張(しゅちょう)し、決してその治

った方を喜ぶという事をしないのがその特徴(とくちょう)である。ある対人恐怖の

患者は、退院後に百分(ひゃくぶん)の3治ったとかいってきたのがあった。これ           2

着眼点(ちゃくがんてん)が変わって、心機(しんき)一転(いってん)の状態になると、1つ症状がよくなれ

ば、その1つを喜び、2つ治れば、その二つを喜ぶという風になっ

て、()ならずして全治するようになるのである。

  ともに悲しみ、ともに喜ぶ

 さきほどの山野井君の話で、病気の時に人が「心配しないように」

などといってくれるのは、ほとんどの常人(じょうじん)の一般の事で、「どうかお(かま)

いなさらぬように」といって、夕飯(ゆうはん)()長居(ながい)をしたり、人からの贈物(おくりもの)

を「お(めずら)しい結構(けっこう)なものを・・・」といって、後でよその方へ流用(りゅうよう)した

りすると同様な社交(しゃこう)辞令(じれい)であって、これが口癖(くちぐせ)になると、それを一般

好意(こうい)・親切かと、思ってしまうようになる。一般の人は、人と自分

とを、全く別物のように考えて、少しも自分の心と(くら)べて、人を()

はかるという事をしないようである。人の不幸や病気の時にも、自分

がその境遇(きょうぐう)になったらと考えないで、簡単に(とお)一遍(いっぺん)口癖(くちぐせ)辞令(じれい)

片付けてしまおうとする。

 我々が、自我(じが)というものを押し(ひろ)げて行くと、人も自分も同じ人間

という事がわかり、大我(たいが)という事にもなる。これが一番よくわかるの

は、子供を持ってからです。子供を持たない若い人は、ずっと年の(ちが)

った妹くらいで、わずかに推量(すいりょう)ができるくらいのものである。

 自分の子供が、歯が痛い・腹が痛いという時に、それくらいの事は

()えればよい、とかいう風には、決して考えぬ、どんなに痛かろうか

と思って、自分もそれと同じ痛み・苦しみを感ずる。これが本当の(どう)

(じょう)である。

 自分の妹が、欲しいものが買えないというと、一緒に残念に思い、

友人が試験に合格すれば、一緒に喜ぶ。これを同情(どうじょう)と言って、同悲(どうひ)

同喜(どうき)といいます。相手もじぶんの、同じ(われ)になって考えるのである。

 これに(はん)して、自分一人の我を(たて)に、人の不幸や病気を見た時に

「自分でなくてよかった」とか、「それくらいの苦しみは()えればよ

い」とか、「死んだ者は、あきらめるよりほかにしかたがない」と

か、「病気の時は心を呑気(のんき)に持たなければいけない」とか、自分の(かっ)

()な事ばかりをいっている。これを小我(しょうが)というのである。多くの人の

悩みを悩み、世の人の喜びを喜ぶ、これが大我であって、志士(しし)仁人(じんじん)

心持(こころもち)である。

  老練(ろうれん)すると診断が下手(へた)になる

 話は変わるが、医者の診断について我々が大学を出て、助手時代の

時に3、4年たった時、(もっと)も得意の時代であって、診断が非常によく

当たる。かえって先生よりも、テキパキと(かく)(しん)ができる。これは治らぬ、これは幾ヵ月くらいで     3