第89回 女性の為の札幌・五巻を読む会 2023.3.16
森田正馬全集第5巻376頁形外会・第35回例会 昭和8年7月2日から
思うに先生は、事
実に従って判断され、会社の人や家人は、気分を主として判断する事
に帰着する訳です。私共も実際において、悪くないと診断されねば、
安心する事はできません。
僕はこのごろ、身体が変だと思うと、単に気分のものか、本当に悪
いかを早速調べる事にしています。もし気分のものとすれば、捨てて
おくと、最も早く治ります。こんな事もあった。あるとき、下痢が続
いて、診てもらったところ、神経性のものといわれ、放任しておいた
ところ、1ヵ月ほどもして、自然に治った。
行方氏 一つ失敗談を提供します。前に会社で、西氏を招き衛生講
話を頼んだ事がある。まずその博識・雄弁に驚嘆した。3時間も続け
ざまにしゃべって、咳一つする人がないのですからな。そのとき、医
者の治す事のできぬものとして、書痙の例を挙げた。これは私の最も
関心事ですから、一生懸命聴きましたが、医者ではいってくれない、
その原因を指摘されたのですっかり感心した。書痙を治したい一念
で、そののち、氏を電気局に訪ね、なかなか会えぬところを、いろい
ろと手を回して、結局会う事はできたが「公に運動を起こして、医界
を革命するのが念願だから、個人的の治療はしない」と断わられた。
しかし根強く頼み込んで、療法を教わる事になり、阿佐ヶ谷の自宅を
訪ねて行くと「この間も、大阪で講演の後に、書痙を一人治した」と
いうような事で、こんな療法を教えられたのです。(片手で顎を抑え
て、他の腕を挙げて、妙な体操をして示す。笑声しきりに起こる)そ
れから家に帰り、毎日熱心にやりましたが、一向効果はありません。
平気で噓をいう人
香取氏 私の親友の細君で、12年来・寝たままでいたのが、西氏
にかかって、ほとんど歩けるくらいによくなった。それで、私も熱心
に勧められているんですが、信じる人は、非常に信ずるようですね。
先生のお話では、本を読むと、博識で研究がよくできているように見
えるが、それは見かけで、実はその説明が間違いだらけであるとの事
でしたが。
水谷氏 僕も西式を、半年ほど試みたが、全く効果はなかった。
森田先生 行方君の話では、その人は、書痙が治るなどと、平気で 1
噓をいう人のようではありませんか。
香取さんのただいまの話も、その様な実例は、ここの神経質の例
に、いくらでもある事を御承知でしょう。しかしこの様な例は、神経
質でなくて、実際の器質的疾患では治るはずがない。半身不随の患者
が治ったという例も、随分沢山にある事で、これはヒステリーや神経
質のものに限った事であります。通俗療法で、一般の人もこれに驚
き、術者自身もこの特殊の例に驚いて、その原理を知らずに、迷信に
陥り、無理な説明をつけるようになります。
行方氏 体操や何かで、書痙が治るはずがありません。おかしいの
は、書痙もやはり脊椎骨の仮性脱臼から起こり、その結果、2、3の
指の麻痺から起こるとかいう事です。
森田先生 行方さん自身から想像すると、その人は、実際に自分で
人を治した経験がないのに、単に理論の上で、これを治るといって、
噓をいう人だと思いませんか。
山野井氏 私もある医者には、字を書く神経が悪くなっているか
ら、頸の所で、交感神経を切れば治るといわれた事がある。書痙で
は、字を書くほかの事には震えないものであるが、それでもひどい時
には、箸や算盤を持つ手が震える事がある。すると、字を書く神経が
あれば、箸や算盤の神経もなければならぬ。それが悪いといって、い
ちいち神経を切るとなると、大変な事になる。(笑声)
森田先生の教える所によると、震えるままに書けばよいといわれ
る。これは極めて簡単で、金もかからぬ。疑わしいと思うにしても、
同じ事なら、西式神経切断術をやるよりは、この方が特である。これ
によって、書痙が神経質の症状であるという事もわかる。私なども字
は忙しい時が一番うまい。予期恐怖がないからです。暇な時や、試し
にやる時が、一番下手です。対人恐怖の人が、試しにやると、うまく
いかぬが、突然に他人と会ったとき、かえってスラスラと行くのと同
様かと思います。
放蕩息子が改心して親父の元に帰る
坪井氏 またらしてもらいます。先生は書痙の人に、金釘
流の字を書けといわれる。僕も悪筆で中学を卒業して、僧になった時
に困った。筆と咽喉とは、坊さんの必要条件ですから。声の方はよか
ったが、字の方で、早速師匠にやられた。毎日お手習いです。なにし
ろ法事の時などは、他人の見ている前で、書くのだから閉口です。書
いたものを拝むのだから、余計に体裁が悪い。これが妙なもので、明 2
日・法事があるからと、前日・練習しておいた時は、かえってますま
す悪い。下手を覚悟で、金釘流に書くと、案外よくできるものです。
香取氏 行方さんに、再入院が具合が悪く、三聖病院に行かれたと
いう、その経緯を詳しく話してもらったら、面白いかと思います。我
我も先生は、どうも苦手で、聞きたい事も聞けない。「今さらそんな
事をいうか」と思われるのが困るから。
行方氏 困りましたなあ。そうですね。ここで働いて治るなら、家
で働いても同じだと思って帰った。しかし、それはとうていダメ。そ
れくらいなら、いっそのこと会社に出勤すればいいものですがね。田
舎に引きこもって百姓をしようかと考えたり、いろいろと修養に工夫
したが、結局ダメ。とどのつまりが、先生にもう一度、すがる事に決
心したが、どうもはなはだきまりが悪い。放蕩息子が改心して、親父
の元に帰るようなものでしょうな。それで京都の病院の方へ行ったの
ですが、宇佐先生には森田先生の所にいた事を隠していました。(笑)
藤田(寛)氏 僕も宇佐先生のところで、ここの厄介になっていた事
をいわなかった。で、宇佐先生から「君はなかなかわかっている。3
週間も入院すれば、僧でいえば管長くらいになれる」といわれた。
山野井氏 退院後思わしくないと、先生の前に出るのは、困ります
ね。この心理は誰も共通かと思います。私は一度は宇佐先生の御厄介
になろうかとも思った。しかし京都は遠い。そこで古閑先生とも思っ
たが、森田先生にすぐ知れそうで、よしました。幸いにそんな必要も
なくて治りました。
古閑先生 行方さんは、よく仕事をしましたね。
行方氏 仕事の分量と、治る事とが、正比例するという考えでした
から。
山野井氏 入院中、20日ほど遅れて、香取さんが、入院してこら
れた。臥褥中には、私がよく御飯を運んだものです。その起床第1日
に、私と一緒に入浴したとき「何か入浴の規則があるのか」と問われ
た。「別に規則はないが、早く奇麗に入ればよいでしょう」と答えた
ところ、香取さんは非常な心遣いで、その通りやられた。その真面目
さ。あの御年配の方で、こんなのかと、大変感激しました。
香取氏 ほめられたから、私のダメの所を一席。もう7年来の不眠
で、困ったあげく大磯の貸別荘に家族づれで、引越した事がある。そ
れでも具合が悪く、今度は自分で別荘を建てた。万事・睡眠に都合よ
いように建てた訳です。(笑)庭を宅地の周囲に、大きくとって、朝
夕・歩き回った。散歩は睡眠によいと聞いたからです。風呂は夜中でも、入れるように、 3