第88回 女性の為の札幌・五巻を読む会 2023.2.16

森田正馬全集第5373頁形外会・第34回例会    昭和8610日から

また連れて出たんです。え? それは、こういって断わったんで

す。『(じつ)は、申し訳ない事でございますが、御案内しました番頭(ばんとう)は、

外交(がいこう)番頭(ばんとう)でございまして、満員を知らないで、お()れしましたので、

お気の毒でございますが、私が御案内いたしますから、ほかの旅館に

おいでなすって下さいませんか』といって一緒(いっしょ)に出たんですが、12

時過ぎなものですから、どこも閉まっているんです。しかたなしに、

ぐるぐると引っ張り回しました。すると、その男が立ち止まって、

『おい、君は一体どうするつもりだ』

というんで、びっくりとしました。

『君はインチキじゃないか。あそこもここも満員です、といって、や

たらに、引っ張り回して。(おれ)薄気味悪(うすきみわる)くなってきた。もういいか

ら』

 と荷物をとって、急いでさっさといっちゃいました。はっはっはっ

は。気味(きみ)の悪いのは、こっちの事ですよ。今日・明日に死ぬ者でも、

薄気味(うすきみ)の悪い事はあると見えますね。死のうとしている者でも、出し

抜けに、殺すといって、(おど)かすと、命ばかりはといって、(おが)むそうで

すからね。

 さあ、死んだという話は聞きませんでしたが、ほかの所に行って死

んだか、死ななかったか、わかりません。様子ですか。落着いていま

して、別に悲観している模様(もよう)もありませんでした。

 

 これは、私が前の旅館にいたとき、ぶつかった事なんです。朝の事

でした。私は玄関にいたんです。突然2階のあたりで『きゃあー』と

女のたまげる声がして、ばたばたと走る音、どたーんと、ひどい音が

しました。階段を一息に()び降りたんですな。さてはと思って、飛ん

で行くといま()下りた女中が、廊下に(しり)もちをついたまま、べそを

かいているんです。そばにこれも()けつけた、でっぷり太った主人

が、(くちびる)の色をなくして()っ立っているんです。私を見ると、真青(まっさお)な顔

に目を向いて、何かいおうと、もごもごやっているんですが、主人は

おっそろしい、どもくり((ども)りのこと)なんです。そのどもくり方

が、一風(いっぷう)変わっていましてね、こう、(くちびる)(さか)んに、ぴちゃぴちゃやる

んです。

『し、し、(しん)どん。に、に                                                       1

 と2階を(ゆび)さすんです。2階に行って見てくれというんです。

『へい、よろしうがす』と、どたどた()け上がって、少し開きかかっ

た押し入れを、一思(ひとおも)いにさっと開けました。おそるおそる開けたんじ

ゃなおさらおっかないですからね。大体、陰気(いんき)な部屋なんですが、薄

暗い中に、だらりと天井から、男がぶら下がっているんです。床の上

に、(また)から下の足が1(ころ)がっていて、その冷たい先が、あけた拍子(ひょうし)

に、ごつり、あっしの足にぶつかったもんだから、ぞくっと背骨(せぼね)(ずい)

まで(ふる)え上がっちまいました。よく見りゃ、なぁんだ。義足(ぎそく)なんで

す。1本足でぶら下がった足の裏が、べったり床についているんです

が、あれでも死ぬもんですかね。それとも死んじまってからのびたの

かな。鼻の穴から2本、白いものを(あご)のあたりまで、ぶら下げていま

したが、あれは、首くくりには、つきものですね。あの部屋では、た

しか5、6人死んだはずですが、何か因縁(いんねん)があるんじゃないかと思い

ます。薄暗くって陰気(いんき)で離れていますから、死ぬ人のお好みに、かな

うのかも知れませんね。

 

 どうも怪談(かいだん)めいてきましたが、今度は、おかしな、しくじり話で

す。ついせんだっての事です。東京から若い夫婦者らしいお客が着い

て、洋間に入りました。亭主(ていしゅ)は25、6で、がっちりしていました

が、(ほお)のこけたやせた人でした。奥さんは、23、4でしたろう。

これもやせて(ほほ)(にく)のない()たもの夫婦です。夕方、御飯を持って行った

女中(じょちゅう)(とき)さんが、2階から、(ころ)げる様に、()け下りて来て、まん丸い

目を一層(いっそう)(まる)くして『大変よ、大変よ』というんです。飲んだんだな、

と思って、2、3人で()け上がって行って、ドアを開けたんです。す

ると亭主(ていしゅ)は椅子の上に、仰向(あおむ)けにひっくり返って、口から赤黒い(のり)

たいなものを、吹き出して苦しがっているんです。奥さんは、ベッド

に、毛布を頭からかぶって、寝ていて、動かないんです。急いで、毛

布を取りのけてみたら、奥さんは、真っ白い血の気のない顔をして、

ぱちんと眼を見開(みひら)いたまま、眼の玉が動かないんですね。亭主(ていしゅ)が苦し

がっているのに、介抱(かいほう)しようともしないんだから、これはもう大分(どく)

が回ったんだなと思ったんです。なにしろ大変です。早く医者を、と

いうんで、大急ぎで電話をかけました。医者が来ました。4、5人

で、せき込んで、どやどや入って行くと、奥さんは気がつたのか、

起きて(すわ)っているんです。ビックリした顔して、

『まあ、どうしたんでしょう』というんです。まさかあなたがたが毒

を飲んで心中(しんじゅう)するものだから、医者を連れてきた、とはいえません           2

し、それに様子がどうも変で、こっちが何か勘違(かんちが)いをしたらしいで

す。()ずかしくて、なおさら返答(へんとう)(きゅう)してぱちくりしていると、亭主(ていしゅ)

の方が医者を見て、(さと)ったらしく吹き出してしまいました。

『なあんだ。カルモチンでも飲んだと思ったんだろう。君たちも性急(せいきゅう)

だな。汽車の中で、ウイスキー4本(たい)らげて来て、それで湯に入った

もんだから、あの醜態(しゅうたい)(えん)じたんだよ、こいつは(奥さんを(ゆび)さして)

汽車だけで酔っ払っちゃって()びていた始末(しまつ)さ。(おれ)はこれでも、ラグ

ビーの選手だから、()みたいていの事じゃ死にはせんよ。はっはっは

っは』と腕をたたいて、笑うもんですから、消え入りたい思いをしま

したよ。奥さんが亭主をにらんでいうんです。

『あなたも随分(ずいぶん)馬鹿(ばか)さんね

 (まった)く、ぎゃふんとまいりましたよ。2人ともやせて青い顔をしてお

りましたし、どうも様子が、あんまり()ていたのと、こっちが泡食(あわく)

たもんで、こんな事になったんです。お医者さんだって、誤診(ごしん)という

事がありますからな、はっはっはっは。』    (水谷啓二・記)

           (『神経質)第4巻、第12号・昭和812月』)

 5回 形外会       昭和872

  午後3時半開会。出席者42名。(めずら)しく香取会長が出席され

  た。古閑(こが)・野村・香川(かがわ)堀田(ほりた)(しょ)先生。行方(なめかた)・井上・水谷・布留(ぬのどめ)

坪井(つぼい)の各幹事も出席。山野井副会長が例の(ごと)く、進行係を(つと)

る。今日は書痙(しょけい)の全治者2人・現入院1人・外来1人であった。

そのほか対人(赤面)恐怖13人・発作性神経質4人・読書恐

怖4人・吃音(きつおん)恐怖3人・肺病恐怖・不正恐怖・間違(まちがい)恐怖・不眠

症各1人あった。

  医界(いかい)革命(かくめい)するのが念願(ねんがん)

 森田先生 今日は面白い実例の話の(たね)は、沢山(たくさん)にあるが、これまで

の雑誌の記事に出ているのは、なるたけいわないで、できるだけ、新

しい話をしたいと思います。

 山野井氏 最近の経験をお話します。このごろ私は身体が非常に弱

り、会社のお医者から、少し悪いから、注意しなければいけないとい

われて心配しました。会社の人たちは、心配するな・安心して・気を

大きく持てと(はげ)ましてくれます。ところで、ここで古閑(こが)・長谷川両先

生に、()(いただ)いたところが、大した事はないといわれて、安心した。

その時は丁度、雨が降っていて、僕は帰るつもりでいたが、森田先生

から「この雨降りに帰ってはいかん」といわれた。思うに先生は、事実に(したが)って判断され、3