第24回 形外会 昭和7年8月14日 第24回 形外会 全集第五巻 237頁
午後4時半開会。出席者34名。古閑・野村・三沢・三留・
香川の5医学生。山野井副会長・荒木幹事・黒川大尉の諸氏あ
り。盛会なりき。
山野井副会長の開会の辞につぎて、例の如く自己紹介あり。
病を治療して人間を忘れる
尾崎君 10年くらい前から、立っていても、座っていても、足が震
えて困っています。大勢の前で話したり、気ぜわしい事をしたりす
ると、絶えず足が震える。ただ注意が他にむいている時だけ、忘れて
いる。これは10年ばかり前、右足の震える事に気がつき、どうして自
分ばかりが、このようだろかと、絶えず半分の意識が足に向かって
います。3年前、宇佐先生のところへ入院したが、よくならず、その
当時、大阪の某博士に、脊椎カリエスと診断され、手術を勧められた
けれども、信ずる事ができなかった。内科の先生にも診断がつかな
い。その後、日蓮宗を信仰しようとしたができない。10日ばかり前か
らここに入院しています。
𠮷田氏 心悸亢進と、疲労感とで現在入院中。
森田先生 この人には、ロイマチスの後に起こった心臓弁膜症が著
明です。それで心悸亢進とか、眩暈・逆上とか、疲労性とかいうもの
がありますから、誰でも医者は、直ちにこの心悸亢進から、起こるもの
と考えるのも、無理のない事である。で、直ちに患者に、安静を命
じ、心臓病の危険を吹き込んで、いたずらに患者をして、恐怖に委縮
せしめるのである。今日医学は、ますます専門の局部に分かれ、いた
ずらに局部的の研究に没頭して、その人間の全体を見る事ができない
ようになる。例えば、この人のような容態の患者があると、この人の
場合は、直ちに心臓に関係をつけるが、どこにも変化の見付からぬ時
は、あるいは血液のワ氏反応を検査して、梅毒を見つければ、直ちに
その症状を梅毒の結果としたり、あるいはX線で肺門部淋巴腺の腫脹
を見出せば、直ちにその結果とするという風である。しかるにその患
者の全体から見れば、いずれもみなこれらに関係がないという事がわ
かる。しかもとくに精神的方面、すなわち私の神経質の病理から観察
詮索すれば、明らかに精神的の症状であって、決してこれら器質的疾
患の結果でないという事がわかる。今日の医者が、全く物質的にのみ
偏して、私共の主張に対して、少しも耳を傾けないという事ははなは
だ遺憾の事である。この人のような実例は、私も沢山に経験している
が、今度もこの人を入院させて、予定通りに治すという事は、はなは
だ興味のある事である。(註―因みに、この患者はその後、入院35 1
日間で全治し、常人の如く労働でもなんでもできるようになり、従来
の症状は忘れたようになり非常に喜んでいる。)
修養遍歴者
山口氏 大正15年に、強迫観念で入院。全治。
森田先生 この人は、縁起恐怖で、いわゆる御幣かつぎのはなはだ
しいものであった。ある時は数千円の新築の家を、縁起をかついで、
大損をして売り払ったり、ある時は、千円余りもする計算器を買い、
非常に苦しんだ事などがありました。
森田氏 読書恐怖で、かつて森田先生・古閑先生のところに入院
し、現在は佐藤先生のところに御厄介になって、根岸病院に勤めてい
るものです。
森田先生 この人は、退役陸軍大尉でありますが、森田療法・遍歴
者とも称すべきもので、少しでも森田に接近したいという、惑溺者の
ようである。いくら修養しても、まだ足りない足りないといって、修
養という事にとらわれ、いたずらに修養のために修養して、これから
脱する事ができず、自ら求めて実際生活から離れているところの隠者
とも、求道者とも、迷える人とも、いうべき面白い人物であります。
城島氏 赤面恐怖で、昭和2年頃に、40日間入院・全快したもの
です。退院後は、以前とは全く反対の気持になり、前には人を避ける
工夫を凝らしたが、その後は、人前に出ても、自分の意見を余計に述
べるようになりました。
どうしなければならぬという主義がいけない
山野井副会長 今日は、暑中休暇だから、出席者は非常に少ないか
と思っていたら、こんなに沢山お集まり下さいまして、ありがとうご
ざいました。ただいま自己紹介のあったように、対人恐怖が非常に多
く、私も大変ひどい対人恐怖で、長い間苦しみました。皆様の対人恐
怖といわれる方を見ていますと、他からは一向そうらしくは思われま
せん。足の震えるお方も、そのお話は、議会の演説のように思われま
す。ある対人恐怖の人が、この形外会の席で、お話されて、そのため
心機一転された事もあります。
森田先生 今日は出席者の少ない予定で、何か御馳走でもしたらと
思っていましたが、思いがけない多数で、そんな手数のかかる事はで
きない事になりました。
さきほど対人恐怖の治ったという人が、前には、人前に出ないよう
にし、今はなるたけ、出るようにするという意味のお話があったが、
すべて「どうする」という主義は、いつでもいけない。金を集める主
義とか、金を使う主義とか、それらはみな机上の空論で、思想の矛盾
となるばかりである。日常のその時どきの事実に、ピッタリと適応す 2
る事ができない。例えば大胆になるという主義で、先生の前に出た時
に、丹田に力を入れる工夫を凝らしていては、先生のいう事も、周囲
の事も、一切わからなくなってしまう。ただその時に、相手に対して
のみ、心を向けていればよい。叱られた時はビックリし、ほめられた
時は喜ぶ、問われれば答え、むだ口はたたかない。その時どきにピッ
タリと適応しさえすればよい。こういえばあまり平凡であって、普通
の人にも、よくわからず、対人恐怖には、かえって反対論を主張され
るに違いない。対人恐怖は、いたずらに恥ずかしがらないように、大
胆になるようにと、主義が強く、強情でいけない。ただ対人恐怖が全
治して、心機一転した人は、その主義を全く脱却して、純なる自分に
なって、私のこの話がよくわかる。この時に初めて、心の働きが、自
由自在になるのである。
今度形外会の記事で、山野井君の書いたものの内に、初島へ行った
とき、ある人の前で、森田が処女のように恥ずかしがったという事が
ある。私にはただ私の思うむだ口をいわないだけで、さほどの感情も
何もないのである。見方によって、人の挙動は、いろいろに解釈され
るものである。対人恐怖が、なかなか対人恐怖と見えないのも、みな
見方によって違う事である。
三沢君が今度、船医として、インドにいってこられたが、それにつ
いて、何か話を願ってはどうでしょう。
絶体絶命の時は船酔も治る
三沢学士 船酔の事について申します。私は船に弱い方で、昔、品
川で、小さな舟に、私一人酔って苦しみ、それから以来、船酔の恐怖
がありました。今度、横浜から出航したが、船は六千トンぐらいだっ
たので、小さい波は問題にならないが、陸が見えなくなると相当に大
きな波になった。私は自分の部屋の中で、船がどんな風に動くかを研
究した。それは部屋の隅にある瓶の水で、ローリングすなわち船が横
に動くか。ピッチングすなわち縦に前後に動くかがわかりました、横
浜を出てから1週間目に、気持ちが悪く一日床の中で苦しみました。ど
こへ逃げる事もできず苦しみ続けた。その後は自分の仕事に、精が
出るようになり、カルカッタまで、酔わないで、無事に着く事ができ
た。帰りにも、一度、非常に船が揺れましたけれども、この時には、
なんともなかった。私は絶体絶命、どうしても逃れる事のできない状
態の時には、船酔は治るものという事を体験しました。
森田先生 誰か船に酔う人はありませんか。多数あれば、お話して
もよいが、一人くらいでは話す必要がない。神経質は、船に酔うのが
普通である。私の家内も、船に非常に酔うけれども、自分で治そうと
しない。 3
山野井氏 さきほど、先生がお庭先で、患者の事を、まるで子供の
様だといっていられましたが、先生のいわゆる知識と知恵ということ、
すなわち今日の教育を受けた人は、知識はあるが知恵がない。実際の
活用ができない、という事でありました。先日商大の学生が、私の所
に遊びに来て、5、6日泊まりましたが、私の家では、女中はいず、
去年できた子供と3人で忙しい。しかるにその人は、ただ散歩した
り、書物を読んだりしているけれども、手伝うという事には少しも気
がつかない。いくら室内が散らかっていても、少しも片付けるという
ような事はない。学生は、自分が学生であるという事にとらわれてい
て、読書や運動のための散歩はするけれども、仕事などは、すべきも
のでないと考えているから、少しも周囲の事に気がつかない。人の忙
しさにも、同情する事が、できないのであります。私共も、ここで修
養する以前は、全くその学生の通りでした。休日に郷里の家へ帰っ
てもただごろごろして、何もせずにいました。今は帰っても、なかな
かよく働くようになり、周囲の人とも、よく調和するようになりまし
た。
うまいものを先に取りたいのはやまやま
森田先生 「物にとらわれる」という言葉がある。ある考え・ある
文句を標準として、モットーとして、自分の行為をそれにあてはめて
行く事である。久し振りに、休日であるから、「休む」という文句に
とらわれる。散歩は「休む」事の範囲に属するけれども、ちょっと庭
を掃除する事は、「仕事」の種類であるから、すべきものでないと心
得るという風である。実は散歩でも、掃除でも同じ事であるけれど
も、それに気がつかないのである。
ここの療法でも、この「とらわれ」がなくなれば、全治するのであ
る。とらわれを離れれば非常に便利で、生活が自由自在になります。
ここの入院患者も、とらわれのある間は、仕事が治療のため、修養の
ため、仕事のための仕事であって、少しも実際に適切しない。盆栽に
水をやれば、やたらにやって、腐ってしまっても気がつかず、水をや
る事をやめれば、乾いて枯れても、少しも知らないという風である。
また「とらわれ」という事は、例えば宴会の席などで、給仕が大
きな盆に、沢山の茶碗に茶を入れて持って来る。多くの人は、「礼譲」
という事にとらわれて、お互いに、どうぞどうぞと、先を譲って、な
かなか手を出さない。私はこの様なとき、どんな感じがするかという
と、まず給仕が重い物を持っていて、悠長にじらされては、苦しかろ
うという事に気がつく。一方には、私の判断は、お茶を互いに譲り合
っても、なんの損得にもなるまい。お茶を濁ごす事にもなるまいと考
えて、給仕のために、なるべく早く取ってやるのである。これに反し 4
て、なかなか損得に関係する場合がある。それは立食の時の如きであ
る。このとき私共は、早くうまいものを先に取りたい事は、やまやま
であるけれどもかたづを飲み、じっと耐えて、人に先取権を讓るので
ある。私はお茶を取り、立食は人に讓る。これを礼儀かと心得てい
る。世の中に、よくお茶は讓って、立食はなかなか讓らない、という
人びとを沢山に見受けるのである。これらの人は、みな礼儀という言
葉にとらわれての事と思うのである。
また例えば大きな宴会で、席順の名前が定められてないとき、多く
の人は、礼儀によって、入口につまって、なかなか先の方へ進まな
い。私はこの様なとき、例えば自分の位置が、3分の1の上位にある
と見積もれば、直ちに3分の2の位置に、席を取って定めるから、上
席を互いに讓って、マアどうぞどうぞと争う手数を省き、世話人に面
倒をかけないようにする。この際、中には故意に下の方にいて、上席
へ引っ張らなければ、ならないようにしむける人もあるようである。
この様な場合、礼儀にとらわれると、実際に臨機応変にするのとは、
大なる相違があるのである。
礼儀にとらわれると、かえって利己主義になり、人の迷惑は、どう
でも構わない、という事になる。普通ありがちの事で、とくに女の人
に多いが、自分の座っているところを、人が通ろうとするとき、ちょ
っと前の方にずらかして、人に後ろを通らせれば、よさそうなものを、
無理に後をふさいで、自分の前を、強いて、どうぞどうぞといって通
らせようとする。これは自分さへ、礼儀を全うすれば、他人の礼儀は
どうでもよい、自分は無理押しに謙遜して、他人には、不必要に無礼
の行動をとらせるという結果になる。しかも自分で少しも気がつかな
い。つまり利己主義で、人がきまり悪いという事には、少しも同情
をしないという態度であります。
分析医学の迷妄
私が皆さんに、まとまった話をするとなると、したい問題は、いく
らでもある。例えば、今日の教育の弊害というような事でも、これを
具体的に、実例を挙げて説明すれば、面白かろうけれども、なかなか
困難で、聞く人も退屈する事が多い。すなわちこの会の主旨として
は、私はなるべく実際の事について、要点を指摘して、着想を与える
という事に工夫するのである。また通俗医学の間違いを正す事も、必
要であるけれども、あまり事柄が多くて、限りがない。
フロイドの精神分析でも、これを倫理学の「似て非なる推論の誤 誤謬:真理の反対語
謬」という事にあてはめて、説明すればわかるけれども、彼の説は、
非常に複雑な推論で、こんがらかしてあるから、これを単純に縮め
て、普通の人に会得するように説明する事は容易の事ではない。 5
また普通、神経病・精神病に関する通俗書に「精神は脳の働きであ
る」とかいってあるが、物質学者が考えて、真理のようであるけれど
も、実はそれが間違いの元である。つまり実際の精神修養なり、神経
精神病の治療にあたって、間違いだらけの結果を来たす事になるので
ある。それは運動は脳の中枢の働きである。雨は水蒸気であるとかい
うのと同様である。水蒸気は常に水蒸気であって、水蒸気は決して、
雨ではないのである。雨は温度・湿度・気圧等、きわめて複雑なる事
情・条件によって、初めてできるものである。我々がちょっとニッコ
リするという口角挙上の運動でも、なかなか複雑なる条件による反応
である。決して脳ばかりの働きではない。我々の気分すなわち一般感
情は、脳の働きがなく、脳を取った動物にも起こるもので、それもや
はり精神の働きであるのである。皆様が私のいう事をちょっと聞く
と、屁理屈の言葉尻の争いのように思われようけれども、こんな文句
は、例えば精神を治すには、脳の細胞を治せばよいという風に、実際
の治療の上に、非常の間違いを起こすものである。最近、西洋医学を
分析医学といって、攻撃するうようになったのも、またこの関係であ
る。こんな医学がかえって衒学となり、迷信となる事が多いから、な 衒学:学識を誇り、ことさらにひけらかす事。
なかなか注意深くしなければならぬ事である。
ちょっと皆様が、注意して読んで御覧なさい。通俗医学には、理論
の説明が非常に多くて、それなら、どうすればよいか、という実際の
方法は、なかなか書いてない、という事がわかるのであります。
ロシア人の性格
黒川大尉 神経質は、何事にも、完全にやりたいと思うために、手
を出すのが億劫になります。私が修養して、その前と後との事を考え
てみると、前には例えば、宿題が出ると、これを家に帰って、充分完
全に、うまくやってやろうと考える。しかし家に帰れば一休みする。
食事をする。また果物を食ったり、物を整理したりする間に、何やか
やと時を過ごして、ツイツイ宿題をやる時間がなくなり、しかたなし
に、間に合わせの事をやるという風になる。しかるに修養の後には、
宿題が出れば、早速、学校の時間の間、5分でも3分でも、暇さえあ
れば、ちょっと目を通して、大体の輪郭を考えて書けば、歩きながら
でも、食事や風呂の時でも、随時に考えが、頭に浮んで、まとまった
時間の勉強よりも、ずっとよい解答ができる。とくに軍人は野外の作
業が多いから、なおさら、この事が有効であります。答案の出来・不
出来は、時間に比例するものではありません。
次に近頃の感想ですが、戦史から見た、スラグ民族・ロシア人の性
格は、神経質的のものを多分に持っているのではなかろうかという事
を、漫然と考えた事があります。 6
研究した事ではありませんが、軍隊としてのロシア人は、実に質
朴・剛健で、立派な兵士です。上流のロシア人は、芸術にも巧みであ
り、多く神経質的のところが見られます。軍人もまたそういう性格を
持っており、高級将校も、戦術に理論もうまく、精密に研究もする
が、実戦に臨んで、あまり用意周到に過ぎて、一定の方針に向い、思
いきり断行するという事ができないようであります。かの日露戦争の
奉天の敗北なども、やはりこの性質からの事のように考えられるので
あります。
森田先生 私はこの頃の満州問題を少しも知らないが、満州は、ま
だ独立しないですか。
黒川大尉 既に満州自身は、独立を宣言しています。満州は、東
山・吉林・黒竜江・熱河の4省がすなわち満州国として、独立を宣言
した訳です。これを国際的に認めるか、どうかが問題で、まだ日本さ
えも、承認していません。日本では、まず従来の4頭政治を廃止し
て、これらのすべてを統べる満州特派大使を置き、しかる後、独立を
承認しようとしています。そこで世界に満州国が承認されるのは、ま
ず日本が、これを認めて後に、できるのではないかと思われます。
森田先生 張学良と満州国との関係は。
黒川大尉 張学良は最初、親父の死んだ当時は、 南京政府すなわち
国民政府の令下に属せず、依然、昔の5色旗をたてて、政府に反対し
ていたが、その後、日本の勢力を駆逐するために、南京政府の令下に
はいった。それで日本から、日本の権利の実行を張学良に迫ると、彼
は南京政府に交渉せよと逃げるのに都合がよいからと、またそのほかの
理由から、国民政府の下に入り、青天白日旗を掲げるようになった。
河北省に追われても、彼はなお、国民政府の指導下にある一総督と同
じものです。現在の官名も、北京の治安に任ずる司令というような意
味のものです。
張学良は、満州に対して、いかに策動しているかというと、彼は自
分の土地は回復できないけれども、支那の輿論のために、河北と熱河
との境に兵を進めている。そのほか、満州の内部を混乱させようとし
ている。満州を5分して、各区域に総司令を置いて、おのおの分散さ
せ、馬賊等を内に入れて、荒れ回らせている。蒙古・吉林等の付近で
やっているのは、みな張学良の方策である。日本軍は、そのために毎
日倒れているが、これらの匪賊は、張学良が倒れなければ、なくなる
ものではない。この問題は、なかなか一朝一夕に片付くものではあり
ません。(註:その他、満州と国際連盟との関係など、種々の問題に
ついて、問答があったけれども略す。)
逃げれば胸がワクワクし、近付けば心臓が高鳴る 7
黒川大尉 ここに入院する前に、一番苦しかった事は、書物を読ん
でも、理解ができず、記憶力がないという事であった。対人恐怖もあ
った。先生のお話だけは聞きたくて、先生に怒られても構わないと思
って、努めて先生に接近しました。
今でも勿論、上官とか、偉い人の前に行くのは、怖いような気がし
ます。すなわち用がなければ、そんなところへ行く事は好みません。
感じの事は、今でも同様であるけれども、ただ顔は赤くなっても、用
事のある時は、用事だけは、なんでも、どしどしとやるという風であ
ります。
森田先生 偉い人の前に行くのは、怖い。それはなぜか。偉い人・
立派な人は、これによって、自分に何ものかの大なる利益が与えられ
るという予想ができる。もしその人に憎まるれば、得らるべき幸福も
得られず、あるいは自分の幸福をも奪われる恐れがある。与えられる
想像が尊敬であり、奪われる予想が、怖い(畏怖)という事である。
恋人は、その人に自分が軽視さるれば、これを我物にする事ができな
いから、恥ずかしいのである。目下の者や、ただの異性には、自分の
利害が、なんの関わり合いもないから、怖くも、恥ずかしくもないの
である。すなわち自分が、現世の生活に満足して、他人から求むる
所・うらやむ所がなくなれば、誰も怖い・恥ずかしい人はなくなる。
成功し立身した人は、すなわちそれである。また一方には、乞食やル
ンペンのような、どうせ自分は、誰からも目をかけられるはずがない
と、見きりをつけて、自暴自棄になった人も、同様に毀誉褒貶、関せ 毀誉褒貶:ほめることと、けなすこと。
ずである。
私共も黒川君と同様に、やはり偉い人の前に行けば、怖いのであ
る。それが我々の本来の性情であり、人情であり、私の常にいう「純
なる心」である。
ここの入院患者は、当然、森田を信頼して来ているものであるか
ら、森田が怖いのは、当然であり、人情である。この純なる心そのま
まであると同時に、一方には、森田に接近し・話を聞き・指導を受け
たいという心が対立している。この怖くて逃げたいと、近づいて幸せ
を得たいという二つの心が、はっきりと相対立している時に、我々の
行動は、微妙になり、臨機応変・最も適切になり、いわゆる不即不離
の状態となるのである。恋人に近づきたい、逃げ隠れたい。逃げれば
胸がわくわくし、近づけば心臓が高鳴る。この逃げたい・近づきたい
という二つの相対立した心を、私は精神の拮抗作用もしくは調節作用
と名付けてある。この心が強くて、大きいほど、精神の働きが盛んで
ある。
自由自在と不即不離の状態 8
神経質者の考え方、あるいは精神修養の誤りたるものは、その怖い
という心を否定・圧迫し、一方には近づきたいという心に、いたずら
にむちを打ち、勇気をつけようとして、無理な努力を工夫し、その結果
は、かえって精神の働きが委縮し、片寄りたるものになってしまう。
怖くないように思おうとするから、いたずらに虚勢を張ってかたくな
になり、強いて近づこうとするから、相手の迷惑などにも、少しも気
がつかず、図々しくなって、しまうのである。
これに反して、両方の心が相対立している時には、相手に接近して
もくっつききりに即しない、すなわち不即の状態で、相手の喜ぶ時に
は、近づき、相手の迷惑の時には、ちょっとその場をはずすなどであ
る。また一方には、怖いために、離れていても、離れきりには、なら
ないで、ちょっと相手の話声がするとか、暇の時があるとかいう風
に、不離の状態になる。つまり即するでもなく、離れるでもなく、常
にそのかけひきが、自由自在で、極めて適切の働きができるのである。
「親しんで狎れず、敬して遠ざからず」という風になるのである。
この二つの拮抗心の起こる元は何か、といえば、それは向上心であ
り、偉くなりたい・進歩したいという一心である。いつも私がたとえ
るように、先方の岸、彼岸に渡りたいという心があって、そこに丸木
橋があるようなものである。先方ばかりの目的点を見つめて、これを
見失わないようにさえしていれば、自然に不即不離の状態で、彼岸に
スラスラと渡られるのである。これに反して、先方は少しも見ないで、
いたずらに谷底に落ちはしないかという、恐れの心を否定し、圧迫
し、一方には、いたずらに勇気を鼓して、足の動かし方を工夫しよう
とすれば、心はますます混乱して、その働きを失ってしまうようにな
るのである。ここの入院患者も、初めのうちは、全く私の目にかから
ないで、遠く逃げているとか、あるいはそばへくれば、少しも人の都
合も考えずに、くだらない質問をして平気でいるのである。
親にも友にもいわれぬ秘密
黒川君が森田に接近する。それは単に偉い人というのみではない。
それは森田が医者だからである。医者は自分の病を治し、運命を支配
し、生命を保証してくれる者であるからである。それ故に医者には、
自分のお尻さえも見せる事ができ、親にも友にも打ち明ける事のでき
ない秘密さえも告白して、救いを求めるのである。医者のくれる薬や
注射やは、実は、疑えば、どんな危険のものかわからぬけれども、こ
れを甘んじて命がけに、そのなすがままにまかせるのである。黒川君
などのような、ここで成績のよい人はみな、森田に、自分を投げ出し
てまかせるけれども、成績のよくない人は、森田が医者であるという
事を忘れて、少しもまかせないで、医者のくれた薬を、ちょっとなめ 9
ては、飲む事をやめたり、捨てたり、あるいは一日分を、一度に飲ん
でもみたり、自分の小細工ばかりを、しようとしている人が多いので
ある。
不即不離の状態は、上述のように、一心に眼を目的物にのみつけて、
自分のはからい・小細工を捨てたところに起こる事で、このはからい
の事を、ちょっと前にお話した「とらわれ」というのである。すなわ
ち、「恥ずかしがってはいけない」とか、「先生に接近しなければなら
ぬ」とかいうモットーとか、主義とかをとらわれといいます。この心
が多ければ多いほど、不即不離ができなくなる。40日の入院療法の
最も大事な条件は、このとらわれから離れる事である。このとらわれ
から離れるには、どうすればよいかといえば、一方には、常に目的物
から目を離さぬ事であるが、一方には、自分の心がとらわれから離れ
られない時には、そのとらわれのままにとらわれている事も、同時に
とらわれから離れるところの一つの方法であります。
さきほど船酔の話が出たが、三沢君の、あの船の動き方を見張って
いたのは、船にとらわれた状態で、そのままにとらわれている時に、
船酔を忘れる事ができる。これに反して、船の事は思わないようにと
か、眼を逸らして、ほかの事を考えて、ことさらに気を紛らせようと
したりすると、かえって船の事を忘れられないで、船に酔うようなも
のである。
所得税が怖くて、金をもうけるのが恐ろしい
熱田氏 私はある事件から、ふと所得税という事に恐怖を持つよう
になって、所得税という事を考えると、働く事がいやになってしまい
ました。もうければ、所得税がかかるようで、なんとも手がつきませ
ん。私も今まで、キリスト教に専心して、何事にも頓着しない風であ
りましたが、この所得税だけは、どうしてもだめです。以前は私も金
をもうける事が好きでしたが、今では、そうでなくなりました。こう
して2年間も、苦しみ続けております。今日は今までお治りになった
皆様のお話ばかりがありましたが、私はその対照に、治らぬ例として
お話いたします。私はまだ先生の御診察は受けておりませんが、いつ
か受けたいと思っています。
野村先生 中学卒業後、東京へ来ましたころ、孟子の言葉に「老を
労わる」という事があるが、私もそれにとらわれた事があります、電
車の中でも、必ず女や子供に、席を譲らなければならないような気持
で、しかし「おかけなさい」というもきまりが悪く、そっと立って、
席をあけると、その女の人は、平気で腰をかけようともせず、たの若
い男が、その席を占領するなど、いやな気持のした事がたびたびあり
ます。また人が坂で車を引き上げているような場合にも、これを押し 10
てやらなければ」ならないという風な事にもとらわれた事があります。
インギンな人は強情
井上氏 入院中に、先生が「自分は偉いと思う人は、偉くない人で
ある」といわれた事がわかりにくかった。最近、ある人が、「自分は
曲がった事をした事がない」と口癖のようにいってあるが、近所の人
の評判は、はなはだよろしくない。そんなような事によって、先生の
いわれることが、はっきりとわかったのであります。
森田先生 今、井上君のいった事は、人びとの考え方と事実との相
違の事である。今晩も、誰か「自分は正直だ」といった人があるが、
そういう風な人は、不正直である。自分はまだ柔順であるという人
は、我儘者の証拠である。親鸞上人は、自分は悪人だといわれたが、
それは善人である。事実において善人であるのである。子供に、お前
は馬鹿か利巧かと問えば、直ちに利巧と答える。かならずしも利巧で
はない。「自分は思った事をいうから、正直である」「自分は大学を
卒業したから、知者である」「自分は千円の貯金があるから、金持で
ある」という風に、みな自分勝手の定義の与え方であって、かならず
しも正しい見解とはいわれない。
皆さんの知り合いの内で、「非常にインギンな人は、必ず強情で、
妥協のできない人である」という事が、当たるか当たらないのか、注
意して試してみてもらいたいと思う。人に対して、非常にインギンな
人は、他の人の、どんな場合をも無頓着に、単に自分の礼儀を全う
し、独善を押し通して、融通の利かぬ人である。つまり人に思いやり
なく、強情の人である。すなわち人は、その言葉や見かけの装いによ
って、そのままに判断しては、間違いの多いものであるという事を注
意しなければならないのであります。 (9時散会)
(『神経質』第3巻、第11号・昭和7年11月) 11
第24回 形外会 全集第五巻 245頁