24回 形外会   昭和7814    24回 形外会   全集第五巻 237

 

   午後4時半開会。出席者34名。古閑(こが)・野村・三沢・三留(みとめ)

   香川の5医学生。山野井副会長・荒木幹事・黒川大尉(たいい)諸氏(しょし)

   り。盛会(せいかい)なりき。

山野井副会長の開会の()につぎて、(れい)(ごと)く自己紹介あり。

  (やまい)を治療して人間を(わす)れる

 尾崎君 10年くらい前から、立っていても、座っていても、足が震

えて困っています。大勢の前で話したり、気ぜわしい事をしたりす

ると、()えず足が(ふる)える。ただ注意が()にむいている時だけ、忘れて

いる。これは10年ばかり前、右足の震える事に気がつき、どうして自

分ばかりが、このようだろかと、絶えず半分の意識が足に向かって

います。3年前、宇佐(うさ)先生のところへ入院したが、よくならず、その

当時、大阪の(ぼう)博士(はかせ)に、脊椎(せきつい)カリエスと診断され、手術を(すす)められた

けれども、信ずる事ができなかった。内科の先生にも診断(しんだん)がつかな

い。その後、日蓮宗(にちれんしゅう)信仰(しんこう)しようとしたができない。10日ばかり前か

らここに入院しています。

 𠮷田氏 心悸(しんき)亢進(こうしん)と、疲労感とで現在入院中。

 森田先生 この人には、ロイマチスの後に起こった心臓(しんぞう)弁膜症(べんまくしょう)(ちょ)

(めい)です。それで心悸(しんき)亢進(こうしん)とか、眩暈(めまい)逆上(のぼせ)とか、疲労性とかいうもの

がありますから、誰でも医者は、直ちにこの心悸亢進から、起こるもの

と考えるのも、無理のない事である。で、直ちに患者に、安静を命

じ、心臓病の危険を()()んで、いたずらに患者をして、恐怖に()(しゅく)

せしめるのである。今日医学は、ますます専門の局部に分かれ、いた

ずらに局部的(きょくぶてき)の研究に没頭(ぼっとう)して、その人間の全体を見る事ができない

ようになる。例えば、この人のような容態(ようたい)の患者があると、この人の

場合は、直ちに心臓に関係をつけるが、どこにも変化の見付からぬ時

は、あるいは血液の()()反応(はんのう)を検査して、梅毒(ばいどく)を見つければ、直ちに

その症状を梅毒の結果としたり、あるいはX線で肺門部淋(はいもんぶりん)()(せん)腫脹(しゅちょう)

を見出せば、直ちにその結果とするという風である。しかるにその患

者の全体から見れば、いずれもみなこれらに関係がないという事がわ

かる。しかもとくに精神的方面、すなわち私の神経質の病理(びょうり)から観察(かんさつ)

詮索(せんさく)すれば、明らかに精神的の症状であって、決してこれら器質的疾(きしつてきしつ)

(かん)の結果でないという事がわかる。今日の医者が、全く物質的(ぶっしつてき)にのみ

(へん)して、私共(わたしども)主張(しゅちょう)に対して、少しも耳を(かたむ)けないという事ははなは

遺憾(いかん)の事である。この人のような実例は、私も沢山(たくさん)に経験している

が、今度もこの人を入院させて、予定通りに治すという事は、はなは

興味(きょうみ)のある事である。(註―(ちな)みに、この患者はその後、入院35                      1

日間で全治し、常人(じょうじん)(ごと)く労働でもなんでもできるようになり、従来(じゅうらい)

の症状は忘れたようになり非常に喜んでいる。)

  (しゅうよう)遍歴者(へんれきしゃ)                             

 山口氏 大正15年に、強迫観念で入院。全治。

 森田先生 この人は、縁起(えんぎ)恐怖で、いわゆる御幣(ごへい)かつぎのはなはだ

しいものであった。ある時は数千円の新築の家を、縁起(えんぎ)をかついで、

大損(おおそん)をして売り払ったり、ある時は、千円余りもする計算器を買い、

非常に苦しんだ事などがありました。

 森田氏 読書恐怖で、かつて森田先生・古閑(こが)先生のところに入院

し、現在は佐藤先生のところに御厄介(ごやっかい)になって、根岸病院に勤めてい

るものです。

 森田先生 この人は、退役(たいえき)陸軍(りくぐん)大尉(たいい)でありますが、森田療法・遍歴(へんれき)

者とも称すべきもので、少しでも森田に接近(せっきん)したいという、惑溺者(わくできしゃ)

ようである。いくら修養しても、まだ足りない足りないといって、修

養という事にとらわれ、いたずらに修養のために修養して、これから

(だっ)する事ができず、(みずか)ら求めて実際生活から離れているところの隠者(いんじゃ)

とも、求道者(きゅうどうしゃ)とも、(まよ)える人とも、いうべき面白い人物であります。

 城島(じょうじま) 赤面恐怖で、昭和2年頃に、40日間入院・全快したもの

です。退院後は、以前とは全く反対の気持になり、前には人を()ける

工夫(くふう)()らしたが、その後は、人前に出ても、自分の意見を余計(よけい)()

べるようになりました。

  どうしなければならぬという主義がいけない

 山野井副会長 今日は、暑中(しょちゅう)休暇(きゅうか)だから、出席者は非常に少ないか

と思っていたら、こんなに沢山(たくさん)お集まり下さいまして、ありがとうご

ざいました。ただいま自己紹介のあったように、対人恐怖が非常に多

く、私も大変ひどい対人恐怖で、長い間苦しみました。皆様の対人恐

怖といわれる方を見ていますと、他からは一向そうらしくは思われま

せん。足の(ふる)えるお方も、そのお話は、議会(ぎかい)演説(えんぜつ)のように思われま

す。ある対人恐怖の人が、この形外会の席で、お話されて、そのため

心機一転された事もあります。

 森田先生 今日は出席者の少ない予定で、何か御馳走(ごちそう)でもしたらと

思っていましたが、思いがけない多数で、そんな手数のかかる事はで

きない事になりました。

 さきほど対人恐怖の治ったという人が、前には、人前に出ないよう

にし、今はなるたけ、出るようにするという意味のお話があったが、

すべて「どうする」という主義は、いつでもいけない。金を集める主

義とか、金を使う主義とか、それらはみな机上(きじょう)空論(くうろん)で、思想(しそう)矛盾(むじゅん)

となるばかりである。日常のその時どきの事実に、ピッタリと適応(てきおう)                   2

る事ができない。例えば大胆(だいたん)になるという主義で、先生の前に出た時

に、丹田(たんでん)に力を入れる工夫(くふう)()らしていては、先生のいう事も、周囲

の事も、一切わからなくなってしまう。ただその時に、相手に対して             

のみ、心を向けていればよい。(しか)られた時はビックリし、ほめられた

時は喜ぶ、()われれば答え、むだ口はたたかない。その時どきにピッ

タリと適応しさえすればよい。こういえばあまり平凡であって、普通

の人にも、よくわからず、対人恐怖には、かえって反対論を主張され

るに違いない。対人恐怖は、いたずらに恥ずかしがらないように、大

胆になるようにと、主義が強く、強情でいけない。ただ対人恐怖が全

治して、心機(しんき)一転(いってん)した人は、その主義を全く脱却(だっきゃく)して、純なる自分に

なって、私のこの話がよくわかる。この時に初めて、心の働きが、自

由自在になるのである。

 今度(このたび)形外会の記事で、山野井君の書いたものの内に、初島(はつしま)へ行った

とき、ある人の前で、森田が処女(しょじょ)のように()ずかしがったという事が

ある。私にはただ私の思うむだ口をいわないだけで、さほどの感情も

何もないのである。見方によって、人の挙動(きょどう)は、いろいろに解釈(かいしゃく)され

るものである。対人恐怖が、なかなか対人恐怖と見えないのも、みな

見方によって違う事である。

 三沢君が今度、船医として、インドにいってこられたが、それにつ

いて、何か話を願ってはどうでしょう。

  絶体絶命(ぜったいぜつめい)の時は船酔(ふなよい)も治る

 三沢(みさわ)学士(がくし) 船酔(ふなよい)の事について申します。私は船に弱い方で、昔、品

川で、小さな舟に、私一人()って苦しみ、それから以来、船酔(ふなよい)の恐怖

がありました。今度、横浜から出航(しゅっこう)したが、船は六千トンぐらいだっ

たので、小さい波は問題にならないが、陸が見えなくなると相当(そうとう)に大

きな波になった。私は自分の部屋の中で、船がどんな風に動くかを研

究した。それは部屋の(すみ)にある(びん)の水で、ローリングすなわち船が横

に動くか。ピッチングすなわち(たて)に前後に動くかがわかりました、横

浜を出てから1週間目に、気持ちが悪く一日(とこ)の中で苦しみました。ど

こへ逃げる事もできず苦しみ続けた。その後は自分の仕事に、(せい)

出るようになり、カルカッタまで、酔わないで、無事に着く事ができ

た。帰りにも、一度、非常に船が()れましたけれども、この時には、

なんともなかった。私は絶体絶命、どうしても(のが)れる事のできない状

態の時には、船酔(ふなよい)は治るものという事を体験しました。

 森田先生 誰か船に酔う人はありませんか。多数あれば、お話して

もよいが、一人くらいでは話す必要がない。神経質は、船に酔うのが

普通である。私の家内も、船に非常に酔うけれども、自分で治そうと

しない。                                                                          3

 山野井氏 さきほど、先生がお庭先で、患者の事を、まるで子供の

様だといっていられましたが、先生のいわゆる知識と知恵ということ、

すなわち今日の教育を受けた人は、知識はあるが知恵がない。実際の          

活用(かつよう)ができない、という事でありました。先日商大(しょうだい)の学生が、私の所

に遊びに来て、5、6日泊まりましたが、私の家では、女中はいず、

去年できた子供と3人で忙しい。しかるにその人は、ただ散歩した

り、書物を読んだりしているけれども、手伝うという事には少しも気

がつかない。いくら室内が散らかっていても、少しも片付けるという

ような事はない。学生は、自分が学生であるという事にとらわれてい

て、読書や運動のための散歩はするけれども、仕事などは、すべきも

のでないと考えているから、少しも周囲の事に気がつかない。人の忙

しさにも、同情する事が、できないのであります。私共も、ここで修

養する以前は、全くその学生の通りでした。休日に郷里(きょうり)の家へ帰っ

てもただごろごろして、何もせずにいました。今は帰っても、なかな

かよく働くようになり、周囲の人とも、よく調和するようになりまし

た。                              

  うまいものを先に取りたいのはやまやま

 森田先生 「物にとらわれる」という言葉がある。ある考え・ある

文句(もんく)標準(ひょうじゅん)として、モットーとして、自分の行為(こうい)をそれにあてはめて

行く事である。(ひさ)()りに、休日であるから、「休む」という文句(もんく)

とらわれる。散歩(さんぽ)は「休む」事の範囲(はんい)(ぞく)するけれども、ちょっと庭

(そう)()する事は、「仕事」の種類であるから、すべきものでないと心

得るという風である。実は散歩でも、掃除でも同じ事であるけれど

も、それに気がつかないのである。

 ここの療法でも、この「とらわれ」がなくなれば、全治するのであ

る。とらわれを離れれば非常に便利で、生活が自由自在になります。

ここの入院患者も、とらわれのある間は、仕事が治療のため、修養の

ため、仕事のための仕事であって、少しも実際に適切(てきせつ)しない。盆栽(ぼんさい)

水をやれば、やたらにやって、腐ってしまっても気がつかず、水をや

る事をやめれば、(かわ)いて()れても、少しも知らないという風である。

 また「とらわれ」という事は、例えば宴会(えんかい)の席などで、給仕(きゅうじ)が大

きな(ぼん)に、沢山(たくさん)茶碗(ちゃわん)に茶を入れて持って来る。多くの人は、「礼譲(れいじょう)

という事にとらわれて、お互いに、どうぞどうぞと、(さき)(ゆず)って、な

かなか手を出さない。私はこの様なとき、どんな感じがするかという

と、まず給仕が重い物を持っていて、悠長(ゆうちょう)にじらされては、(くる)しかろ

うという事に気がつく。一方には、私の判断は、お茶を互いに(ゆず)り合

っても、なんの損得(そんとく)にもなるまい。お茶を()ごす事にもなるまいと考

えて、給仕(きゅうじ)のために、なるべく早く取ってやるのである。これに反し                   4

て、なかなか損得(そんとく)に関係する場合がある。それは立食(りっしょく)の時の(ごと)きであ

る。このとき私共は、早くうまいものを先に取りたい事は、やまやま

であるけれどもかたづを飲み、じっと()えて、人に先取権(せんしゅけん)(ゆず)るので          

ある。私はお茶を取り、立食は人に讓る。これを礼儀(れいぎ)かと心得(こころえ)てい

る。世の中に、よくお茶は(ゆず)って、立食はなかなか(ゆず)らない、という

人びとを沢山に見受けるのである。これらの人は、みな礼儀という言

葉にとらわれての事と思うのである。

 また例えば大きな宴会(えんかい)で、席順(せきじゅん)の名前が定められてないとき、多く

の人は、礼儀(れいぎ)によって、入口につまって、なかなか先の方へ進まな

い。私はこの様なとき、例えば自分の位置が、3分の1の(じょう)()にある

見積(みつ)もれば、直ちに3分の2の位置に、席を取って(さだ)めるから、(じょう)

(せき)を互いに(ゆず)って、マアどうぞどうぞと(あらそ)手数(てすう)(はぶ)き、世話人に(めん)

(どう)をかけないようにする。この際、中には故意(こい)に下の方にいて、上席

引っ張(ひっぱ)らなければ、ならないようにしむける人もあるようである。

この様な場合、礼儀(れいぎ)にとらわれると、実際(じっさい)臨機応変(りんきおうへん)にするのとは、

(だい)なる相違(そうい)があるのである。

 礼儀にとらわれると、かえって利己主義になり、人の迷惑は、どう

でも構わない、という事になる。普通ありがちの事で、とくに女の人

に多いが、自分の座っているところを、人が通ろうとするとき、ちょ

っと前の方にずらかして、人に後ろを通らせれば、よさそうなものを、

無理に後をふさいで、自分の前を、強いて、どうぞどうぞといって通

らせようとする。これは自分さへ、礼儀を(まっと)うすれば、他人の礼儀は

どうでもよい、自分は無理押しに謙遜(けんそん)して、他人には、不必要に無礼

の行動をとらせるという結果になる。しかも自分で少しも気がつかな

い。つまり利己(りこ)主義で、人がきまり悪いという事には、少しも同情

をしないという態度であります。                

  分析(ぶんせき)医学(いがく)迷妄(めいもう)

 私が皆さんに、まとまった話をするとなると、したい問題は、いく

らでもある。(たと)えば、今日(こんにち)の教育の弊害(へいがい)というような事でも、これを

具体的に、実例を()げて説明すれば、面白(おもしろ)かろうけれども、なかなか

困難(こんなん)で、聞く人も退屈(たいくつ)する事が多い。すなわちこの会の主旨(しゅし)として

は、私はなるべく実際の事について、要点(ようてん)指摘(してき)して、着想(ちゃくそう)を与える

という事に工夫(くふう)するのである。また通俗(つうぞく)医学(いがく)間違(まちが)いを正す事も、必

要であるけれども、あまり事柄(ことがら)が多くて、限りがない。

 フロイドの精神分析でも、これを倫理学(りんりがく)の「似て非なる推論(すいろん)()       誤謬:真理の反対語

(びゅう)」という事にあてはめて、説明すればわかるけれども、彼の説は、

非常に(ふく)(ざつ)推論(すいろん)で、こんがらかしてあるから、これを単純(たんじゅん)(ちぢ)

て、普通の人に会得(えとく)するように説明する事は容易(ようい)の事ではない。                       5

 また普通、神経病・精神病に関する(つう)俗書(ぞくしょ)に「精神は脳の働きであ

る」とかいってあるが、物質(ぶっしつ)学者(がくしゃ)が考えて、真理(しんり)のようであるけれど

も、実はそれが間違(まちが)いの(もと)である。つまり実際の精神修養なり、神経          

精神病の治療にあたって、間違(まちが)いだらけの結果を来たす事になるので

ある。それは運動は脳の中枢(ちゅうすう)の働きである。雨は水蒸気(すいじょうき)であるとかい

うのと同様である。水蒸気は常に水蒸気であって、水蒸気は決して、

雨ではないのである。雨は温度(おんど)湿度(しつど)気圧(きあつ)等、きわめて複雑(ふくざつ)なる事

情・条件によって、初めてできるものである。我々がちょっとニッコ

リするという口角挙上(こうかくきょじょう)の運動でも、なかなか複雑(ふくざつ)なる条件による反応

である。決して脳ばかりの働きではない。我々の気分すなわち一般感

情は、脳の働きがなく、脳を取った動物にも起こるもので、それもや

はり精神の働きであるのである。皆様が私のいう事をちょっと聞く

と、屁理屈(へりくつ)言葉(ことば)(じり)(あらそ)いのように思われようけれども、こんな文句

は、例えば精神を治すには、脳の細胞を治せばよいという風に、実際

の治療の上に、非常の間違いを起こすものである。最近、西洋医学を

分析医学といって、攻撃(こうげき)するうようになったのも、またこの関係であ

る。こんな医学がかえって衒学(げんがく)となり、迷信(めいしん)となる事が多いから、な  衒学:学識を誇り、ことさらにひけらかす事。

なかなか注意深くしなければならぬ事である。

 ちょっと皆様が、注意して読んで御覧(ごらん)なさい。通俗(つうぞく)医学(いがく)には、理論

の説明が非常に多くて、それなら、どうすればよいか、という実際の

方法は、なかなか書いてない、という事がわかるのであります。

  ロシア人の性格

 黒川大尉(たいい) 神経質は、何事にも、完全にやりたいと思うために、手

い        にひけらかすこを出すのが億劫(おっくう)になります。私が修養して、その前と後との事を考え

てみると、前には例えば、宿題(しゅくだい)が出ると、これを家に帰って、充分(じゅうぶん)(かん)

(ぜん)に、うまくやってやろうと考える。しかし家に帰れば(ひと)(やす)みする。

食事をする。また果物(くだもの)を食ったり、物を整理したりする間に、何やか

やと時を過ごして、ツイツイ宿題をやる時間がなくなり、しかたなし

に、間に合わせの事をやるという風になる。しかるに修養の後には、

宿題が出れば、早速、学校の時間の間、5分でも3分でも、(ひま)さえあ

れば、ちょっと目を通して、大体(だいたい)輪郭(りんかく)を考えて書けば、歩きながら

でも、食事や風呂の時でも、随時(ずいじ)に考えが、頭に浮んで、まとまった

時間の勉強よりも、ずっとよい解答(かいとう)ができる。とくに軍人(ぐんじん)野外(やがい)の作

業が多いから、なおさら、この事が有効(ゆうこう)であります。答案(とうあん)出来(でき)()

出来(でき)は、時間に比例(ひれい)するものではありません。

 次に近頃(ちかごろ)の感想ですが、戦史から見た、スラグ民族・ロシア人の性

格は、神経質的のものを多分に持っているのではなかろうかという事

を、漫然(まんぜん)と考えた事があります。                                                  6

研究した事ではありませんが、軍隊としてのロシア人は、実に(しつ)

(ぼく)剛健(ごうけん)で、立派な兵士です。上流のロシア人は、芸術にも巧みであ

り、多く神経質的のところが見られます。軍人もまたそういう性格を          

持っており、高級将校(しょうこう)も、戦術(せんじゅつ)に理論もうまく、精密(せいみつ)に研究もする

が、実戦(じつせん)(のぞ)んで、あまり用意周到(よういしゅうとう)に過ぎて、一定の方針(ほうしん)に向い、思

いきり断行(だんこう)するという事ができないようであります。かの日露(にちろ)戦争の

奉天(ほうてん)敗北(はいぼく)なども、やはりこの性質からの事のように考えられるので

あります。

 森田先生 私はこの頃の満州(まんしゅう)問題を少しも知らないが、満州は、ま

だ独立しないですか。

 黒川大尉 (すで)に満州自身(じしん)は、独立(どくりつ)宣言(せんげん)しています。満州は、(とう)

(ざん)(きつ)(りん)黒竜(こくりゅう)(こう)(ねっ)()の4(しょう)がすなわち満州国として、独立(どくりつ)宣言(せんげん)

した(わけ)です。これを国際的に認めるか、どうかが問題で、まだ日本さ

えも、承認(しょうにん)していません。日本では、まず従来(じゅうらい)の4(とう)政治(せいじ)廃止(はいし)

て、これらのすべてを()べる満州(まんしゅう)特派(とくは)大使(たいし)()き、しかる(のち)独立(どくりつ)

承認(しょうにん)しようとしています。そこで世界に満州(まんしゅう)(こく)承認(しょうにん)されるのは、ま

ず日本が、これを認めて後に、できるのではないかと思われます。

 森田先生 張学良(ちょうがくりょう)満州(まんしゅう)(こく)との関係は。

 黒川大尉 張学良(ちょうがくりょう)は最初、親父(おやじ)の死んだ当時は、       南京(なんきん)政府すなわち

国民政府の令下(れいか)(ぞく)せず、依然(いぜん)、昔の5(しき)(はた)をたてて、政府に反対し

ていたが、その後、日本の勢力(せいりょく)駆逐(くちく)するために、南京(なんきん)政府の令下(れいか)

はいった。それで日本から、日本の権利の実行を張学良(ちょうがくりょう)(せま)ると、彼

南京(なんきん)政府に交渉(こうしょう)せよと逃げるのに都合がよいからと、またそのほかの

理由から、国民政府の下に入り、青天(せいてん)白日旗(はくじつはた)(かか)げるようになった。

河北省(かほくしょう)に追われても、彼はなお、国民政府の指導下(しどうか)にある(いち)総督(そうとく)と同

じものです。現在の官名(かんめい)も、北京(ぺきん)治安(ちあん)(にん)ずる司令(しれい)というような意

味のものです。

 張学良(ちょうがくりょう)は、満州(まんしゅう)に対して、いかに策動(さくどう)しているかというと、彼は自

分の土地は回復(かいふく)できないけれども、支那(しな)輿論(よろん)のために、河北(かほく)(ねっ)()

との(さかい)(へい)を進めている。そのほか、(まんしゅう)の内部を混乱させようとし

ている。満州を5(ぶん)して、各区域に総司令(そうしれい)を置いて、おのおの分散(ぶんさん)

せ、馬賊(ばぞく)(など)を内に入れて、()(まわ)らせている。(もう)()(きつ)(りん)等の付近(ふきん)

やっているのは、みな張学良の方策(ほうさく)である。日本軍は、そのために毎

日倒れているが、これらの匪賊(ひぞく)は、張学良が倒れなければ、なくなる

ものではない。この問題は、なかなか一朝一夕(いっちょういっせき)片付(かたづ)くものではあり

ません。(註:その他、満州(まんしゅう)国際(こくさい)連盟(れんめい)との関係など、種々(しゅじゅ)の問題に         

ついて、問答(もんどう)があったけれども(りゃく)す。)

  逃げれば胸がワクワクし、近付けば心臓が高鳴(たかな)                       7

 黒川大尉(たいい) ここに入院する前に、一番苦しかった事は、書物を読ん

でも、理解ができず、記憶力(きおくりょく)がないという事であった。対人恐怖もあ

った。先生のお話だけは聞きたくて、先生に怒られても(かま)わないと思

って、(つと)めて先生に接近(せっきん)しました。

 今でも勿論(もちろん)上官(じょうかん)とか、(えら)い人の前に行くのは、(こわ)いような気がし

ます。すなわち用がなければ、そんなところへ行く事は好みません。

感じの事は、今でも同様であるけれども、ただ顔は赤くなっても、用

事のある時は、用事だけは、なんでも、どしどしとやるという風であ

ります。

 森田先生 (えら)い人の前に行くのは、(こわ)い。それはなぜか。(えら)い人・

立派(りっぱ)な人は、これによって、自分に何ものかの(だい)なる利益(りえき)(あた)えられ

るという予想(よそう)ができる。もしその人に(にく)まるれば、()らるべき幸福(こうふく)

得られず、あるいは自分の幸福(こうふく)をも(うば)われる(おそ)がある。(あた)えられる

想像(そうぞう)尊敬(そんけい)であり、(うば)われる予想が、(こわ)い(畏怖(いふ))という事である。

恋人は、その人に自分が軽視(けいし)さるれば、これを我物(わがもの)にする事ができな

いから、()ずかしいのである。目下(めした)の者や、ただの異性(いせい)には、自分の

利害(りがい)が、なんの(かか)わり合いもないから、(こわ)くも、()ずかしくもないの

である。すなわち自分が、現世(げんせい)の生活に満足して、他人から求むる

所・うらやむ所がなくなれば、(だれ)(こわ)い・恥ずかしい人はなくなる。

成功し立身(りっしん)した人は、すなわちそれである。また一方には、乞食(こじき)やル

ンペンのような、どうせ自分は、誰からも目をかけられるはずがない

と、見きりをつけて、自暴自棄(じぼうじき)になった人も、同様に毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)、関せ 毀誉褒貶:ほめることと、けなすこと。

ずである。

 私共(わたしども)も黒川君と同様に、やはり(えら)い人の前に行けば、怖いのであ

る。それが我々(われわれ)本来(ほんらい)性情(せいじょう)であり、人情(にんじょう)であり、私の(つね)にいう「純

なる心」である。

 ここの入院患者は、当然(とうぜん)、森田を信頼(しんらい)して来ているものであるか

ら、森田が(こわ)いのは、当然であり、人情(にんじょう)である。この純なる心そのま

まであると同時に、一方には、森田に接近(せっきん)し・話を聞き・指導(しどう)を受け

たいという心が対立している。この怖くて逃げたいと、近づいて幸せ

()たいという二つの心が、はっきりと(あい)対立(たいりつ)している時に、我々の

行動は、微妙(びみょう)になり、臨機応変(りんきおうへん)(もっと)適切(てきせつ)になり、いわゆる不即(ふそく)不離(ふり)

の状態となるのである。恋人(こいびと)に近づきたい、()(かく)れたい。逃げれば

胸がわくわくし、近づけば心臓が高鳴(たかな)る。この逃げたい・近づきたい

という二つの(あい)対立(たいりつ)した心を、私は精神の拮抗(きっこう)作用(さよう)もしくは調節(ちょうせつ)作用(さよう)          

名付(なづ)けてある。この心が強くて、大きいほど、精神の働きが盛んで      

ある。

  自由自在(じゆうじざい)不即(ふそく)不離(ふり)状態(じょうたい)                                           8

 神経質者の考え方、あるいは精神修養の(あやま)りたるものは、その怖い

という心を否定(ひてい)圧迫(あっぱく)し、一方には近づきたいという心に、いたずら

むちを打ち、勇気をつけようとして、無理な努力(どりょく)工夫(くふう)し、その結果

は、かえって精神の働きが委縮(いしゅく)し、片寄(かたよ)りたるものになってしまう。              

怖くないように思おうとするから、いたずらに虚勢(きょせい)()ってかたくな

になり、強いて近づこうとするから、相手の迷惑(めいわく)などにも、少しも気

がつかず、図々しくなって、しまうのである。

 これに反して、両方の心が(あい)対立(たいりつ)している時には、相手に接近して

くっつききりに(そく)しない、すなわち不即(ふそく)の状態で、相手の喜ぶ時に

は、近づき、相手の迷惑(めいわく)の時には、ちょっとその場をはずすなどであ

る。また一方には、怖いために、離れていても、離れきりには、なら

ないで、ちょっと相手の話声がするとか、(ひま)の時があるとかいう風

に、不離の状態になる。つまり即するでもなく、離れるでもなく、(つね)

にそのかけひきが、自由自在で、(きわ)めて適切(てきせつ)(はたら)きができるのである。

(した)しんで()れず、(けい)して(とお)ざからず」という風になるのである。

 この二つの拮抗(きっこう)心の起こる(もと)は何か、といえば、それは向上心であ

り、(えら)くなりたい・進歩したいという一心である。いつも私がたとえ

ように、先方(せんぽう)(きし)彼岸(ひがん)(わた)りたいという心があって、そこに丸木(まるき)

(ばし)があるようなものである。先方ばかりの目的点を見つめて、これを

見失わないようにさえしていれば、自然に不即不離の状態で、彼岸(ひがん)

スラスラと渡られるのである。これに反して、先方は少しも見ないで、

いたずらに谷底(たにぞこ)に落ちはしないかという、(おそ)れの心を否定(ひてい)し、圧迫(あっぱく)

し、一方には、いたずらに勇気(ゆうき)()して、足の動かし方を工夫しよう

とすれば、心はますます混乱(こんらん)して、その働きを失ってしまうようにな

るのである。ここの入院患者も、初めのうちは、全く私の目にかか

ないで、遠く逃げているとか、あるいはそばへくれば、少しも人の都

合も考えずに、くだらない質問をして平気でいるのである。  

  親にも友にもいわれぬ秘密

 黒川君が森田に接近(せっきん)する。それは(たん)(えら)い人というのみではない。

それは森田が医者だからである。医者は自分の(やまい)(なお)し、運命を支配

し、生命を保証(ほしょう)してくれる者であるからである。それ(ゆえ)に医者には、

自分のお(しり)さえも見せる事ができ、親にも友にも打ち明ける事のでき

ない秘密(ひみつ)さえも告白(こくはく)して、(すく)いを求めるのである。医者のくれる薬や

注射やは、実は、(うたが)えば、どんな危険のものかわからぬけれども、こ

れを(あま)んじて命がけに、そのなすがままにまかせるのである。黒川君          

などのような、ここで成績のよい人はみな、森田に、自分を投げ出し         

てまかせるけれども、成績のよくない人は、森田が医者であるという

事を忘れて、少しもまかせないで、医者のくれた薬を、ちょっとなめ                   9

ては、飲む事をやめたり、捨てたり、あるいは一日分を、一度に飲ん

でもみたり、自分の小細工(こざいく)ばかりを、しようとしている人が多いので

ある。                              

 不即(ふそく)不離(ふり)の状態は、上述(じょうじゅつ)のように、一心に()を目的物にのみつけて、

自分のはからい小細工(こざいく)()てたところに起こる事で、このはからい

の事を、ちょっと前にお話した「とらわれ」というのである。すなわ

ち、「恥ずかしがってはいけない」とか、「先生に接近しなければなら

ぬ」とかいうモットーとか、主義とかをとらわれといいます。この心

が多ければ多いほど、不即(ふそく)不離(ふり)ができなくなる。40日の入院療法の

最も大事な条件は、このとらわれから離れる事である。このとらわれ

から離れるには、どうすればよいかといえば、一方(いっぽう)には、(つね)に目的物

から目を離さぬ事であるが、一方には、自分の心がとらわれから離れ

られない時には、そのとらわれのままにとらわれている事も、同時に

とらわれから離れるところの一つの方法であります。

 さきほど船酔(ふなよい)の話が出たが、三沢君の、あの船の動き方を見張(みは)って

いたのは、船にとらわれた状態で、そのままにとらわれている時に、

船酔(ふなよい)を忘れる事ができる。これに反して、(ふね)の事は思わないようにと

か、眼を()らして、ほかの事を考えて、ことさらに気を(まぎ)らせようと

したりすると、かえって(ふね)の事を忘れられないで、船に()うようなも

のである。

  所得税が怖くて、金をもうけるのが恐ろしい

 熱田氏 私はある事件から、ふと所得税という事に恐怖を持つよう

になって、所得税という事を考えると、働く事がいやになってしまい

ました。もうければ、所得税がかかるようで、なんとも手がつきませ

ん。私も今まで、キリスト教に専心して、何事にも頓着(とんちゃく)しない風であ

りましたが、この所得税だけは、どうしてもだめです。以前は私も金

をもうける事が好きでしたが、今では、そうでなくなりました。こう

して2年間も、苦しみ続けております。今日は今までお治りになった

皆様のお話ばかりがありましたが、私はその対照(たいしょう)に、治らぬ例として

お話いたします。私はまだ先生の御診察は受けておりませんが、いつ

か受けたいと思っています。

 野村先生 中学卒業後、東京へ来ましたころ、孟子(もうし)の言葉に「(ろう)

(いた)わる」という事があるが、私もそれにとらわれた事があります、電

車の中でも、必ず女や子供に、(せき)(ゆず)らなければならないような気持

で、しかし「おかけなさい」というもきまりが悪く、そっと立って、          

(せき)をあけると、その女の人は、平気で腰をかけようともせず、たの若

い男が、その席を占領(せんりょう)するなど、いやな気持のした事がたびたびあり

ます。また人が坂で車を引き上げているような場合にも、これを押し                   10

てやらなければ」ならないという風な事にもとらわれた事があります。

  インギンな人は強情(ごうじょう)

 井上氏 入院中に、先生が「自分は(えら)いと思う人は、偉くない人で

ある」といわれた事がわかりにくかった。最近、ある人が、「自分は

()がった事をした事がない」と口癖(くちぐせ)のようにいってあるが、近所の人

評判(ひょうばん)は、はなはだよろしくない。そんなような事によって、先生の

いわれることが、はっきりとわかったのであります。

 森田先生 今、井上君のいった事は、人びとの考え方と事実との(そう)

()の事である。今晩(こんばん)も、(だれ)か「自分は正直だ」といった人があるが、

そういう風な人は、不正直である。自分はまだ柔順(じゅうじゅん)であるという人

は、我儘者(わがままもの)証拠(しょうこ)である。親鸞(しんらん)上人(しょうにん)は、自分は悪人だといわれたが、

それは善人(ぜんにん)である。事実において善人であるのである。子供に、お前

馬鹿(ばか)利巧(りこう)かと()えば、(ただ)ちに利巧(りこう)と答える。かならずしも利巧(りこう)

はない。「自分は思った事をいうから、正直である」「自分は大学を

卒業したから、知者(ちしゃ)である」「自分は千円の貯金があるから、金持で

ある」という風に、みな自分勝手の定義(ていぎ)(あた)え方であって、かならず

しも正しい見解(けんかい)とはいわれない。

 皆さんの知り合いの内で、「非常にインギンな人は、必ず強情(ごうじょう)で、

妥協(だきょう)のできない人である」という事が、当たるか当たらないのか、注

意して(ため)してみてもらいたいと思う。人に対して、非常にインギンな

人は、他の人の、どんな場合をも無頓着(むとんちゃく)に、単に自分の礼儀(れいぎ)(まっと)

し、独善(どくぜん)を押し通して、融通(ゆうずう)()かぬ人である。つまり人に思いやり

なく、強情の人である。すなわち人は、その言葉や見かけの(よそお)いによ

って、そのままに判断しては、間違いの多いものであるという事を注

意しなければならないのであります。       (9時散会)

         (『神経質』第3巻、第11号・昭和711月)                11

 

 

                                       24回 形外会   全集第五巻   245