第22回 形外会 昭和7年6月12日
午後3時半開会。来会者60名ばかり。山野井副会長の開会の
辞についで、例の如く会員の自己紹介あり、対人また赤面恐
怖10人、心悸亢進4人、その他の症状があった。
赤面恐怖でなければ肩身が狭い
早川氏 1昨年1月入院して、完全に治らず退院した。今は法政
の高等商業で勉強しています。治らぬ治らぬといいながら、以前と比
べれば、よほど仕事ができるようになったという事に気がつきます。
自己紹介はなかなか難しい。あまり詳しくいっても、人には信じら
れないし、簡単ではわからぬし、まあ心の働き方が、以前と変わって
きた事だけをもうしておきます。
森田先生 早川君は、いつも、いう事が、なかなか要領を得て面白
い。早川君は、「治らない、治らない」といっているうちに、やはり
治らないと見えます。この「やはり治らないとみえる」という事が大
事な事であります。同君は今年3月の成績が、20ばかりもある課目
の内で、乙が一つか二つで、他はみな甲であります。やはり治らぬ所
が大切で、もし君が治っていたならば、決して成績はよくならないの
であります。
今日の自己紹介の内には、皆さんもお聞きになった通り、対人もし
くは赤面恐怖が、我も我もと 競うて立って話をされた。近頃、佐藤先
生までが、赤面恐怖と名乗りをあげて、それに対して、山野井君が、今
度「神経質」の7月号に、抗議らしい言いぶりで、佐藤先生は赤面恐怖
の仲間に入れないという風にいってある。なんでもここでは、赤面恐怖
でなければ肩身が狭いという風である。今日出席の山野井・日高の両
副会長もみな赤面恐怖であった。
しかし我も我もと、あまり自慢されても困る。神経質の事は、雑誌
や私の著書でも、その素質を礼賛してあるが、九州大学の下田教授
も、根岸病院の高良博士も神経質の肩をもって礼賛してくれる。神
経質はこの様に立派でも、自慢してはかえって間違いの元になる。赤
面恐怖も、も少しオドオドして、気を小さくしてもらわなければ、あ
まりに大胆にやられても困ります。
恥ずかしぶりが違う
早川氏 いま私が自己紹介の時に、治らない治らないと思ってる
うちに、以前に比べて、実際仕事がよくできてるという事を申しま
したところが、先生から、治らない治らないと思っているうちに、ま
だ治らないと見えると皮肉られました。実際、神経質は自分の仕事の
成績を認めないで、気分が晴ればれしなければ治らない、と思っている 1
ようです。神経質の結局の目的は、気分をよくするのではなくて、実
は立派な人になりたいがためであるから、仕事がよくできるようにな
れば、それで治っているのだと思います。
森田先生 今の「治らない治らないと思っている内に、やはり治ら
ない」というのは、面白い皮肉な言い表わし方である。対人恐怖で、
もし恥ずかしいという心がなくなったら、それは図々しいすれっから
しになる。可憐とか可愛らしいというのは、恥ずかしがりが、第一
の条件である。我々は精神が発達するほど、細かに微妙に恥ずかしが
るようになる。幼稚なものの恥ずかしがりは、極めて単純である。人
は時と場合とにより、常に恥ずかしぶりが違うべきはずである。
おならをちょっと漏らしても、それ相当に恥ずかしがるべきである。同
様に婦人に対しても、50歳と30歳と20歳との人に向かっては、
恥ずかしさが違うわけである。友人から金を借りる時と返す事とも、
違わねばならぬ。赤面恐怖でも、治らぬ者は、ただ一途に、恥ずかし
がってはならぬと考えていたのに、治ってみると、昔と違って、恥ず
かしがりのかけひきが微細になっている事に、自ら気がつく。単に恥
ずかしくなくなったというのでは、気の毒ながら、実はまだ治ってい
ないので、必ず再発するのである。
心悸亢進でも、卒倒恐怖でも同様である。それは誠に恐ろしい。苦
しいものでなくてはならぬ。「どうせ一度は死ぬるものだ。イツ死ん
だってしかたがない」という風に、手取り早く思い捨てる人があるな
らば、それは私のいわゆる意志薄弱性素質であるのである。
大正12年の大震災のとき、根岸病院でも、病室の壁が落ちたりな
んかした。2階の病室で、大きな音がしたから、看護長が驚いて、戸
を開けて見たら、40歳ばかりの女の患者が平然として坐っている。
「大分えらい地震のようですね」といってすましている。野狐禅に
は、こんな態度は、真似にもできないが、実は早発性痴呆という病気
の無感情・無神経の状態である。僕はたわむれに、これを似而非・大
悟徹底と名づけてある。
本当の大悟徹底は、恐るべきを恐れ、逃げるべきを逃げ、落ち着くべ
きを落ち着くので、臨機応変ピッタリと人生に適応し・あてはまって行
くのをいい、人間そのものになりきった有様をいうのである。
心悸亢進でも、梅毒恐怖でも、当然恐るべきを恐れ、注意し用心す
べきをするのが、「事実唯心」である。恐るべきを恐れてならないと
いうのを「思想の矛盾」といい、悪知といい、それは決して人間の心
情の事実ではないのである。
楽しめば空想、苦しめば雑念
小野氏 先生が、小野は「すれっからし」になったから、佐藤先生 2
のところへやったとかおっしゃったと聞きましたが、それはどういう
事でしょうか。
森田先生 小野君が「すれっからし」になった事は、事実であるが、
そのために佐藤先生のところへやったという事はない。それは君の家
庭の事情からである。
「すれっからし」とは慣れっこになった事である。「すれっから
し」になれば、ツルツルと滑って、抵抗力がなくなってしまう。子供
がたびたび叱られると、少々小言をいわれても平気になる。芸者など
も、自分の顔を批評されたり、笑われたりしても、図々しくて、決し
て恥ずかしがったり、真赤になったりしない。それは慣れっこになっ
たからである。小野君も近頃は、いくら悪口をいっても、叱っても、
ビクともしない。顔の色も少しも変わらない。すなわち恥ずかしがら
ないようにしようとする稽古が積んで、恥ずかしがりが鈍麻したので
ある。これをまた面の皮が厚くなったともいう。赤面恐怖が治るに
は、もっと細かく恥ずかしがるようにならなければならないのであ
る。
駒村氏 私は心悸亢進です。今では平気で湯屋に行かれるようにな
りました。しかし前には、近所に湯屋があるけれども、それは発作の
起こったところで、恐ろしくていけない。2、3丁先の湯屋に行くと
いった風です。遠くへ行けば、心悸亢進は起こりやすいという事に
は、気がつかなかったのであります。
早川氏 去年12月の形外会のとき、先生が雑念と空想との事につ
いて説明されたが、その時から私は、仕事をしながら、今のは雑念で
あると思って喜び、今のは空想であると思っては悲観して、雑念と
空想を分類していった。雑念だといって喜ぶとき、それは既に雑念
ではなくて、空想になってしまい、雑念と考えるのも、空想と思う
のも、ともに空想となる。これを「迷いの内の是非は、是非共に非な
り」というのであると思います。
地球の破滅でも諸行無常でも
森田先生 早川君はなかなかうまい事をいう。頭が非常によくて、天
才肌である。すなわち尋常でなく、偏して発達しているのを天才とい
うのである。こんな人は記憶がよいから、学校の成績は非常に良い。
もう少し忘れられるようになるとよい。なんでもいわれた事が、記憶
に残り、頭の中で、わだかまりになっているから、これが邪魔になっ
て、実行が出てこない。なに故に実行ができないかという事は、少し
くどくなるから、後回しにする。
早川君は僕にいわれた言葉の一つひとつにとらわれる。例えば「見 3
つめよ」といえば、その「見つめよ」という言葉にとらわれて、見る
もの聴くもの、少しもその方から気をひかれるという事がない。普通
の人ならばその見たものの方に、いつとはなしに、心を奪われて、
その対象に気をとられて、直ちにその「見つめよ」という文句を忘れ
てしまう。早川君はその文句を忘れる事ができず、対象から心をひか
れる事ができない。記憶しているという事は、近代教育の試験勉強に
は都合がよいけれども、実際教育・訓練・体験からはますます遠ざか
るばかりである。
ちょっと空想と雑念との区別をいってみれば、空想とは、自分で思
いふける事が面白いのをいう。富クジが当たったら、なんと何を買お
うとかいうようなものである。雑念とは、自分で考える事が苦しい事
で、例えば明日は試験である、気になる。いや、気にしては、それが邪
魔になって、勉強ができないとかいうようなものである。苦しいのが
雑念で、面白いのが空想である。砂糖は甘い、塩は辛いと同じく、い
ずれも我々の心の事実である。苦しいとか面白いとかいう言葉のとら
われを離れて、あるがままの事実になりきれば、ただ、心の一つの進
行過程という事のみになる。科学者は地球の破壊でも、諸行無常で
も、これをさまざまに思想し、順々に考えていく事ができるから、自
分が明日にも死ぬかもしれぬという事を平気で考える事ができる。迷
信者・御幣かつぎ・神経質の未治の人などは、死ぬるのしの字さえも
恐ろしくて口に出す事ができない事がある。それでちょっと言い換え
てみれば、縁起のよい想像が空想で、苦しいような妄念が雑念である
ともいえるのである。苦楽はあざなえる縄のようなものであるから、
雑念と空想とは、決して切り離して考える事のできないものである。
雑念と思って喜べば空想であり、空想と苦しめば雑念になる。一に
して二、二にして一である。不一不二である。早川君はなかなかうま
い事をいう。哲学者である。君は20歳では偉いものである。しかし
実行のできないところが都合が悪い。思想家・批評家になればよい
が、独創家・製作者になるには都合がよくないのである。
好きになりたければ好きになれるか
早川氏 今日は私の将来の方針を確定するための必要から起こった
問題があるが、一般の方にも、必要と興味とを持たれる方があるかと
思いますから、先生からご批判を仰ぎたいと思う。あまり個人的に考
えてはいけないから、抽象的に簡単にいおうと思う。
森田先生 個人的に具体的にいうほどわかりやすい。抽象的にいっ
てはわからなくなる。
早川氏 それでは個人的にいいます。私はいま、法政大学の高等商
業科で勉強中ですが、商業のためには、簿記とか法律とかいうものを 4
勉強しなくてはなりません。それがちっとも面白くないので、自分が
商業に立っていいか、どうかということが疑問になって、考えたわけ
です。
家庭の事情上、早く生活の安定を得なければならぬ境遇にある。自
分の最も好きなものは音楽です。それも音楽を演奏するのが好きでな
くて、鑑賞するほうですから、それを職業にして、世に立つ事は困難
です。それかといって、商業は嫌いですから、学校でも、空想に耽っ
たり、居睡りをしたりしています。試験がせまれば、落第しないよう
に、勉強しているが、果たして嫌いな経済などやっていて、これから
好きになる事ができるか。嫌いでも、それよりほかに道がなければ、
それまでの事ですが、今日先生に質問しようと思って、まとめてきた
事は、
1 好きになれないと、こぼす人は、好きになりたい人である。
2 好きになれないと、こぼす人は、努力を惜しむ人である。
3 好きになれないと、こぼす人は、好きになれる人である。
この事が正しければ、問題は解決するのですが、先生に批評して頂
きたいと思います。
思想は解決しても事実は実行にならない
森田先生 今いった事は、机上論であって、それは「是非共に非」
であるから、決してこれによって解決のつくものではない。これは結
局は、「嫌いなものが好きになりたい」という論理であるから、循環
理論になり、強迫観念と同じ心理であるから、この問題解決を思い捨
てない限り、この言葉にとらわれている間は、決して実行に対する解
決、すなわち決行のできるものではないのである。
「いやなものが好きになる」・「不潔が平気になりたい」(不潔恐怖)・
「人前で恥ずかしくないようになりたい」(赤面恐怖)かく考えてい
る間は、永久に強迫観念は、当然不治である。ただこれを思い捨て
る、すなわち「嫌いなものは嫌い」「人前は恥ずかしいものである」
と、事実そのままに見るとき、容易に嫌いは好きになり、人前も恥ず
かしくなくなるのである。これが私のいわゆる「思想の矛盾」で、逆
になる所以である。嫌いな食物でも、人並みにこらえて、しかたなし
に食べていれば、まもなく好きになるのである。早川君も、この様な
質問をする間は、永久に解決できないが、こんな下らぬ哲学を没却
すれば、たちまち解決がつくのである。
早川氏 この事が間違っていなければ、このままやって行くつもり
ですが。
森田先生 解決しても、このままやって行く事の動機にはならない。
学校に行かない方がよいと、決めても、君は学校に行く事をやめる事 5
はできない。僕のいうことは、理論ではない。君ができるか、できぬか
の事実を見通し、予言するまでの事である。試みに、君が宗教家なり
教育家なりのところへ行って、やめるがよいという意見を聴いてきて
みるとよい。それで決してやめる事のできるものではない。やはりそ
の迷いを断つ事はできない。このようなものを思想といって、事実と
はいわない。こんな事をコンガラかして、ツベコベというのが哲学で
ある。君の目的は、自分の目前の安心をうる事であって、学校をやめ
るのが目的ではない。試みに僕が学校をやめたがよいといえば、直ち
に実行ができますか。
早川氏 音楽に行きます。
エジソンは発明大学を卒業したか
森田先生 それを僕がとめるはずもないが、僕がそう承認したから
とて、君の生活が安定になる訳でもない。親も許さず、生活の安定も
できずかつえる。それでも音楽をやる事ができますか。
また君は、早く生活の安定をうるために、商科を選んだといった
が、これも大きな間違いである。
学校にいくには、資本金を要する・医者をやれば、食いはぐれがな
い、とかいう事をよく聞くが、大きな思い違いである。僕が大学を卒
業するまでの費用を年7分くらいの利子で、金のままで利殖して行く
とすれば、僕が決してこれを払い返す事ができない、という事を、か
つて計算してみた事がある。
学校の目的は、決して生活の安定ではない。人格の向上である。今
日の教育は、この最も大切な目的を見失っているようである。生活難
とか失業とかいうけれども、いたずらに贅沢な資金を使って、さてそ
の後は資本家の金を当てにしている。需要・供給が均整を保たない時
に、共倒れになる事は、数の免れないところである。しかも苦しいあ
まりに、いろいろの理屈を考えて、危険思想などもうまれてくるので
ある。
例えば商業でいえば、生活の最も早い安定をいるには、小僧に行く
がよい。学校をやめて、決して資本の回収のできるものではない。後
藤新平は、県庁の給仕、野口英世は医者の玄関番であった。フォード
でも、エジソンでも、決して自動車学校や発明学校を卒業したもので
はない。商業をやるに、簿記・経済が嫌い、中学を卒業するに、幾何・
英語が嫌い、形外会に来るのに、歩くがいや、自動車に乗れば金がい
る。なんでも世の中には、好きな事ばかりのあるものではない。常に
一つの目的のためには、沢山な嫌いな事を我慢して、やり遂げて行か
なければならない。私のいわゆる気分本位といって、なんでもいやな
事はいけない。また理知本位(または理想主義)といって、なんでも 6
人生を価値的に、あるいは功利主義で批判した時には、今日湯に入っ
ても、明日は汚れてしまうから、なんの効能もないという風に考えて
は、行きづまってしまって、手も足も出なくなるのである(笑声)
簿記をやって、音楽もやればよい。またそのうえに空想もし、居眠り
もすればよい。多多ますます弁ずるのである。
卒業したてに7百円の給料
根岸という人は、赤面恐怖で、大正8年に、ここへ入院し、私が初
めて赤面恐怖を治した第一例である。これは私の『神経質及神経衰弱
の療法』と『神経衰弱及強迫観念の根治法』の内に、その前半と後半
とが分かれて出ている。この人は自分が文字が非常に好きで、父親が
商人であり、非常に煩悶した。ついに私のいう事に従って、商科を卒
業した。その関係は、その実例の日記中に現われている。この人は英
語がよくでき、一番で卒業して、その年、上海に行き、西洋人相手の
外交をやり、月7百円の給料を取るようになった。赤面恐怖の運命
が、こんなに変転して行くという事は、想像もできない事である。こ
のように商業をやっても、かならずしも商人になるのではない。詩を
稽古したとて、常に詩人になるとは定まらない。詩人の職業も、音楽
批評家の商売も、なかなかちょっと想像したようなものではない。
小野氏 僕は先生や奥様にお聞きしたい事があります。僕はまだ赤
面恐怖が治っていないとおっしゃいますが、治っていても、治らなくと
も、何か仕事をして行かなくちゃしかたがないようになりました。そ
れで夜は学校へ行き、また家業の関係上からも、昼間、長唄の師匠の
ところへ通っています。症状はありながら、この頃はどこへでも行か
れる。人の前でも下手な大声を挙げて、稽古する事もできます。
森田先生 ごく上等。長唄をやるとは感心。随分偉くなったもので
ある。 (6時食事。7時再開)
足にひまなき我思ひかな
森田先生 今日は開会の時も、また今晩も皆さんをお待たせして、
お気の毒でした。それは食事の準備に、家内がお客様を先にして、私
の食事の用意を後回しにしたためでありました。お客あしらいのため
に、かえってお客に迷惑をかける。この会では、私が欠席する事ので
きない人物ですから、お客よりも、私を第一にしなければならぬはず
です。しかし他人行儀という気持から、ちょっと前後の関係を間違え
ると、いろいろの迷惑をかける事になります。
さて、私が形外会の日には、昼も晩も食欲が出ない。また少々頭痛
もする。それはなんとはなしに、気がもめるからである。皆さんから
見れば、呑気にでたらめの事をいっているように、思われるかも知れ
ぬが、そこがやはり「ただ見れば何の苦もなき水鳥の足にひまなき我 7
思ひかな」であります。なお一般の講演という事になれば、下調べも
でき、腹案に従って、順序も立つけれども、座談会では、どんな話題
にぶつかるかわからぬ。皆さんの話を聞き逃してはならない。耳は遠
くて、皆さんの声が低い、なかなか気がもめる。講演は型にはまっ
て、自分の好きなようにやれるけれども、こちらは丁度、柔道の乱取
り、撃剣の仕合で、あるいは他流仕合のようなものである。どんな質
問が横合いから飛び出さぬとも限らぬ。なかなか骨が折れる。食が進
まぬのも、決して無理ではない。気が小さいとか、取越苦労とか、神
経衰弱だとか、そんな事をいって、こぼすにも当たらぬ事である。当
然の事である。皆さんもよく気をつけて、このような事をいちいち病
気でもあるかのように、こぼして、私にダダッ子をいわぬように、し
ていただきたいものであります。
真赤になってすっかりあがっちまった
坪井氏 ただいま先生も告白されたから、私も自分の恥を告白しま
す。
中学卒業後、僧侶になりました。別に感ずるところがあったのでは
なく、僧侶になれば、大学に入れてやるからとのためであった。坊さ
んの世界は、想像していたような真面目なものではなかった。対人恐
怖のために、随分苦しい事もあった。
初めて法事に出た時の失敗談ですが、初めて長い立派な法衣をきた
時は、胸がドキドキして、顔が真赤になった。すっかりあがっちまっ
た。花皿を6枚ばかり渡されたが、どう持ってよいかわからぬ。法事
の始まる合図がある。自分は一番の末席で、末席は行列の一番先に行
かねばならぬ。人の真似をして行かなければならぬから、横目で見な
ければならぬ。なんとかして新米といわれぬように一生懸命であっ
た。立ったり座ったりして、人の真似だから、どうしても少しく遅れ
勝ちになる。調子の悪い事おびただしい。なんだか、うなりながら、
花皿の花をまく事になった。3回にまくべきものを、一度にまいてし
まった。しかたがないから、その後はまく手真似だけをして、ごまか
した。今度は座った。座る時に、お経机との間隔をとっていなかった
から、ガーンというほど、頭を机に打ちつけた。非常に赤面した。そ
ういう風に苦しんだが、そのおかげで、かえって対人恐怖の症状をせ
きとめていたかとも思う。
私のいるところは、日蓮宗の寄宿舎で、2週間に1度ずつ、演説会
を開く。月に一度くらい、道路布教をやる。七百年も前の日蓮を今頃
やるのは、つまらぬ事と思っていた。上級生になって、いや応なし
に、幹事に祭り上げられた。坊さんの会は、やかましくて、ちょっと
失言があっても、デマが飛ぶ。ある時は駒込館の角でやった。平常、 8
通っている所であるから、大いに困った。しかたなしに、真赤になり
ながらやった。
私は檀家の内を回りお布施を頂いて、苦学していますが、ついに赤
面恐怖のため、どうにも苦しくてしかたなく、一度やめて田舎へ帰る
事に決心したが、また師匠に説法されて、思いとどまり、檀家の家を
百軒ばかりも回った。こんな風で、赤面恐怖も押し通しながら、どう
にかこうにか、やっているのであります。
森田先生 今の、法事に初めて出た時のお話は、なかなか面白かっ
た。あんな風に、具体的に事実を記述する時に、芸術的になる。この
時は誰にも、直接に感情をひき起こして、ハッキリとよくわかり、共
鳴する事ができる。
これに反して普通・赤面恐怖のいう事は、抽象的なことばかり訴え
て「つまらぬ事を気にする」、とか「目上の人に気兼ねする」とか「死
ぬ思い」とかいう風に、あるいは人情の当然の事や、あるいはなんの
事か、少しも見当のつかぬ漠然たる事をいって、いたずらに人の同情
を求めようとする。神経質がすべて自分の苦痛を抽象的に・独断的・
自分勝手にいわずに、事実を具体的に表現する工夫をすれば、それだ
けでも、その症状は、容易によくなるのである。
先生は気が小さいだろう
野村先生 最近、先生はなかなか御健康で、活動されるようで、大
いに喜んでいますが、せんだっては、先生が、八ツ切り事件で、日日
新聞の座談会に出席された。先生はあんな殺人事件など、知っておら
れるはずがないと思っていた。あの座談にも、あまり先生のお話がな
かったが、最後に談話の全体のしめくくりをされているのであった。
また、4日には「春と神経質」という題で、文芸春秋の座談会に出
席されている。神経衰弱だから、大いに先生のお話があるかと思った
ら、ちっとも先生のお話が出ていない。諸岡さんが、盛んに話をされ
ている。先生は外では、あまり話をされぬかもしれぬ。多分気が小さ
いのだろうと、我々同士が話し合った事があります。
森田先生 あんな所へ行くと、いつでも人に言いまくられる。僕は
必要に迫られなければ、強いて人をしのいでまでもいいたくはない。
あの会では、諸岡博士が、一番よくしゃべった。何か記者からの質
問が出ると、すぐ西洋・支那の文献を挙げて説明する。あまり御自分
の説はいわれなかった。
僕の考え方は、御承知の如く、常に実際と実行とを主眼としている
から、あまりくどい説明は好まない。
問題が神経衰弱であるから、僕の主張はいくらでもあるけれども、
あまり一般の学説とかけ離れていて、人びとの説を打ち壊す事になる 9
から、なかなか口の出しどころがない。結局黙っているよりほかにし
かたがない。
あるとき記者から不眠についての質問が出た。その考え方が、例の
如くあまり通俗であるから、僕が少しく反対の考え方を説明しかけた
ところが、斎藤博士が、そばから「相変わらず、揚げ足取りがうまい」
と揶揄されたので、たちまち閉口して、もう再び口を開く事ができな
くなった。自分はまじめに、俗人の迷蒙を開いてやろうと、熱心して
いた矢先であるから、がっかりしてしまった。これほどまでに、一般
の医者と僕の説とは、間隔がはなはだしいのである。その後は僕は、
もう思いあきらめて、毒にも薬にもならぬその座のつくろいに、お茶
を濁す事に心掛けたのであった。これがいわゆるジャーナリズムであ
って、あまり肩の凝るような事をいっては、売れないのであろう。
道は近きにあり
高浦先生 今度、私は、神経質見学かたがた、自分も臥褥療法から
体験する事にした。その間いろいろの心理を体験したが、3年来実行
してきた二食主義が、ツイツイ三食主義に変わってしまった。臥褥中
は、昼食を出されて、お膳をそのまま置いて行かれたために、なんと
はなしに、手をつけるようになった。起床して後にも、それが続くよ
うになった。また禁煙もしていたが、これも他の患者と接して、一つ
二つもらって喫煙した事から、本式に煙草をのむ事になった。
前から私は、先生の日常の御生活ぶりは、知っているが、今度は直
接に、先生に接する事ができて、初めて実際の事がわかるようになっ
た。「道は近きにあり」というように、先生は常に、ごく手近かの事
を理屈でなしに、感じから出発して、実行しておられるという事が、
特徴であるという事がわかる。
先生の御診察は、御承知の通り、小さな机で、サラサか何か、粗末
な机掛けで、少しも体裁ばるという事なしに、診察をされる。それで
いて、患者に対する何か力強いものを与えられるのである。
昨日は、慈恵医大の講義にお供して、その帰りに、少し散歩をされ
たが、路傍で、クズ屋のもっている自動車のゴムのきれを見付けられ
た。それが 一貫目4銭との事である。 先生はそのゴム少しばかり
もらって、十銭を与えられた。それを何になさるかと思ったら、先生
はそれをテーブルや椅子やの足の底にお張りになるのである。百匁に
も足らぬものを十銭もらえば、クズ屋も大もうかりであり、先生も廃
物利用で、大きな得になる。普通の人のちょっと気のつかないところ
に、先生は奇抜な発見をなさる。それが先生は、決して理論でなく
て、感じから出発されるのである。些細な様な事であるけれども、こ
れが拡大して、すべて物を生かし、人をも感化して、大きな貢献にな 10
る事と思うのであります。
森田先生 このあいだ荒物屋で、安い箒があって、4本ばかり買っ
たところが、主人が「お届けしましょう」という。僕の家を知ってい
るとの事である。いつの間に僕の事を知っていたのかわからない。僕
はいつでも、些少のものを、商人にわざわざ持ってこさせるのは、無
用の労力であるから、常に自分で持つ事のできるものは、人には頼ま
ないのである。人は箒など持って行くのは、みっともないというが、
僕は実際主義であるから、こんな感じは起こらないのである。
前にはジャージャーやった
山野井氏 私が入院中、ここのお家ですべて物を大切になさる事
に驚いた。顔を洗った水を、そのまま捨てずに、バケツにためて、盆
栽にやったり、表へ打ち水にしたりする。米のとぎ水は、油のついた
皿を洗う。反古紙は、6,7種に使い分け、全く用に立たぬものは、
飯炊きの燃料にする。私はいつとはなしに、そんな傾向になり、家で
紙くずで御飯を炊く、ヘッツイを買うと、2,3円にかかるから、自分 ヘッツイ=かまど
でこしらえた。決してガス代を倹約するとかいう理屈でなく、ただ、
物そのものがもったいなく、捨てるのが惜しいのである。水道など
も、1円75銭と決まっていて、前にはどうせ、決まっているから
と思って、ジャージャーやったが、今はその水を無駄にするのがもっ
たいないから、倹約にする。電灯でも、月決めで、決まっているけれ
ども、入用のない時は消すという風になったのであります。
森田先生 私のところで、皆さんも御承知の通り、外来患者の住所
姓名を書くのに、反古紙からより出したものを小さく切って使ってい
る。ある病院では、金ぶちの紙を使っているとの事である。診察料は
高くて、相当の体裁を張るべきところを、この反古紙を使うという事
は、一般の人から見ると、はなはだ矛盾のように思われようけれど
も、今の山野井君のお話から想像しても、私には決してその間に矛盾
はないのである。
山野井氏 先生のお宅では、買物の包紙やヒモを捨てないで、いろ
いろに利用される。私も真似て、沢山たまって、これが余ると、田舎
の親父に送ってやる。
先生は床の上で、お休みになって、書きものをなさる事がある。私
もすぐ真似て、寝て書く事ができるようになった。
入院中の方は、なるべく先生のおそばで、先生を見習えば、随分、
治り方が早いと思います。今日の外来診察の方に、この形外会へ出席
なさるように、勧めたけれども、なんとかいって帰ってしまった。機
会をとらえる事のできない人と思いました。
私の親戚に、対人恐怖の男がいるが、なかなか私の思うように、指 11
導について来ない。いろいろ工夫して見るけれども、なかなかいけな
い。先日は大掃除があって、家の前に、畳を干してある。それが倒れ
たから、おこしてくれるように頼んだけれども、もじもじして、なか
なかやってくれぬ。私が行って、畳を持ち上げて、早く来て、下へ薪
を入れてくれといって、私が重いものを持ち上げていれば、気の毒に
なって、来てくれるかと思ったが、やっぱりこない。入院中の方なん
か、とくに先生の御指導について行く事が、大切と思う。
心機一転のこと
増田氏 抽象的の事ですけれども、よく先生が、心機一転という事
をいわれる。私はこれまで、それは手の掌を返したように治る事かと
思っていた。しかし今は迷いながら、やっている中に、しだいに心の
持ち方が変わると思っていますが、どうでしょうか。
森田先生 こんな文句は、みな芸術的表現であって、理屈で考えて
はいけない。一転とは、突然と急に一変する事である。例えば我々が、
よく方角を違える事がある。私には一定の場所へ行くと変わる事があ
る。私は自分の心境を研究するために、そんな場合があると、その違
った方角の感じを、じっと見つめて、見失わないようにしている。し
かるにそれが、一定の所へ来ると、急に逆転して、正しい方角に返る。
私が両国橋へ行くと、東京の私の間違った方角が、正しくなる。既に
一転した時には、前に間違っていた方角の感じになろうとしても、そ
れはもはや不可能である。この方角の感じの変化の心境から、心機一
転という事を考えれば、最もわかりやすくはなかろうかと思うのであ
ります。
浦山氏 私は入院中、起きて5日目に、今まで自分が、ひっかかっ
ていた事が、急にポカッとわかった。この急に一転する人と、漸次に 漸次しだいに。
悟る人とあるのは、その人の素質にあるのではないでしょうか。
森田先生 機会です。訳なしに、誰でもできるものではない。卵が 窮達=困窮栄達
孵化するようなものである。時節が到来しなければならぬ。窮達とか おちぶれることと栄えること。
いう事もある。せっぱつまって、頓悟する事がある。「大疑ありて大 頓悟=一挙に悟ること
悟あり」というように、相当の素養があり、そのために修養に苦しん
だものでなければ、一転は起こらない。東京に生まれた人は、東西南
北の方角は、わからぬものと、決めてある。東京の人に方角の事をい
うと笑われる。道を教えるにも、右左である。こんな人に、方角が心
機一転するはずはない。生死の問題や人生観を考えたことのない人に、
心機一転の起こるはずはない。ここまで詮議立てすれば、素質という
事も関係するけれども、「求めざれば得ず」「叩けよ開かれん」とい
う風に、その人でなければ、できない事である。
足元ばかり見ては丸木橋は渡れぬ 12
心機一転の普通の場合は、心の内向的が外向的に一転する事かと思
う。例えば自分が、今まで、足元ばかりを見、自分の勇気の有無ばか
りを考えて、どうしても渡る事のできなかった丸木橋を、思い切り捨
身になった拍子に、前の方ばかりを見つめて、スラスラと渡り得た時
のようなものである。早川君は、まだ一転にならない。すべての事を
理屈で考えるから、物を直観し、感じから出発して判断する事のいか
に明瞭・正確であり、その力強いものであるかという事を、会得する
時節が到来しないのである。
例えば方角は、どんな時に、正しくなるかというと、日の出る方を
見て、理論では、その方が東という事がわかるけれども、東という生
来の感じというものは、決して出てこない。私の場合は、神戸の海岸
通り・品川の海岸・両国橋・本郷3丁目などへ来ると、それまで違っ
ていた方角が、たちまちに一転して正しくなる。それは太陽が東から
出るというような、個々の感じでなく、綜合的の全体の感じでなくて
はならない。私の郷里の土佐では、南に海・北に山がある。それが私
共の身に沁み込んだ全体の感じである。日本海へ出れば、海が北にあ
る。その時は私は、それを南と感じるのである。決して理屈から割り
出したものではない。
浦山君が心機一転したのは、あるとき浦山君が、僕のいう事と妻の
いう事と、反対であった事について、疑問と不満とをもっていたとこ
ろを、僕の親戚の禅僧が来ていて、それはそのまま、おとなしく両方
のいう事を聞いて実行すればよい、といわれた事からである。
それは、どんな事件であったか、忘れたけれども、例えば家内は、
盆栽に水をやるようにという。僕はやってはいけないという。この
「せよ」と「いけない」という事の正反対の言葉の末に、いたずらに
とらわれて、反抗心を起こし、その実際を見る事ができないからであ
る。同じ盆栽でも、水をやる事と、やっていけない事とは、絶えず変
化してその両方に、正しい意味がある、という事に気がつかない。
これを従順に実行して見れば、なんでもなくわかる事である。
理屈はダメだとポカンとやられた
浦山氏 そのとき初めて「無所住にしてその心を生ず」という事が
わかった。どうして今まで、こんなつまらぬ事に、ひっかかっていた
かとおかしくもあった。しかし、それがまぐれ当たりかも知れぬと思
って、発表しなかった。成績の悪い自分が、こんな風になったのは、
陶酔かも知れぬと思って、黙っていた。そのうちにだんだん自信がつ
くようになった。
ここを退院してから、威勢がよくなって、禅の本など読むと、よく
わかる。禅なんか、たいした事はないと思った。近所に南天棒の弟子 13
の某という人がいた。一つひやかしてやれと思って出かけた。負けん
気で、気持のよい話をした。その人は、おとなしい話をする。山門を
出たとき、やられたと思った。その後その山に登って、禅堂にはいっ
た。「無」という公案をくれた。こんなものは、わけないと思った。
次の朝行ったとき「我見に執着しない事」と答えたら、そんな理屈は
ダメだと、ポカンとやられた。その後いろいろやったけれども、どう
しても、いけない。癪にさわってしかたがない。行きづまってしまっ
て、「無ウー」といったその発音で、過去の経験にとらわれている事
がわかった。常に先生が「日々に新たに」、「一瞬一瞬に変化するといわ
るる言葉がわかった。概念の説明はわかっても、無字を出せといわれ
て、どうしてよいかわからなかった。
森田先生 浦山君は、ここへ21日間、入院していた。その間に
神戸の衛生病院(サナトリウム)に、まる一年間入院していたそうです。
それまでには、随分ありとあらゆる治療法を経験している。その素養
と苦心とがあってこそ、初めて心機一転したのである。誰でも気楽に
ただではできない。
やかましくなさ過ぎると、気になって勉強ができぬ
早川氏 心機一転に似ていて、やはり迷いの中にあるように思われ
ますが、初め勉強するのに、騒音が、かなり邪魔になった。入院して
から、今度は騒音がなくては、空想にふけって、勉強ができないよう
な気持になった。勉強するとき、周囲の騒音の有無を意識している。
もう少しやかましかったら、勉強ができるのにと、騒音に飢えている
というような事もあります。やかましければ、勉強にも、相当に邪魔
になるけれども、あまり静かだと、やかましくなさ過ぎるという事が
気になって、勉強ができぬ。
森田先生 早川君は、どこまでいっても、理論・見解を立てる事を
決してやめないから面白い。 それが早川君の「あるがまま」であるか
ら、それでよい。見解を捨てなければ、いけないといえば、またその
捨てる工夫に拘泥する。「信心は義なきを以て義となす」という事が
あるが、そうすると、義すなわち理屈をなくしようとして苦心する。
球は突き当たれば反動して、さまざまに変化するように、我々は物に
当たって、疑い理屈を考えるのが、本来性であるから、これをなくし
ようとするのは、不可能である。私がいうのは、理屈をなくするので
はない。ただ、理屈をいう事をやめ、義をたてる事を遠慮しさえすれ
ばよいのである。
こんな容易な事はない。これに反して理屈を思わない事は、不可能
事である。
私はただ理屈をいう事をやめて、静かに物を見つめさえすればよ 14
い、という。しかしそこでもまた困る事は、早川君は、その言葉通り
を実行して1時間でも2時間でも、ただ立って、目をその方に向け
ているというだけで、それを観察するという事ができない。物が目に
見え、感じが起こってこないのである。
先日も某君が、ある花を枯らさぬようにと頼んだところが、その人
は一生懸命に、従順のつもりで朝夕に水をやっている。花は咲き終わ
り、そのは茎は藁のようになっても、まだ気がつかないでいる。見つめ
るという言葉にとらわれて、その周囲のものが見えてない。枯れるものと
枯れないものとの草花との区別なども、少しも気がつかないのである。
この「見つめる」という事の私の教えは、雑誌の「十年のシビレ感
・・・」の例で、激しい神経痛が、わずか2週間の入院で、全治した実
例において、その効果がよく現れているのがわかります。
禅の事は、僕も今から25年ほど前に、釈宗活禅師について、二
ヵ月間くらい、参禅した事がある。「父母未生以前、自己本来の両目
如何」という考案をもらって、3,4回禅師の前に出たけれども、
通過せずにしまった。それ故に私は、禅というものが、どんなもので
あるかという事を知らないのである。
増田氏 この形外会員の内には、かつて、将来一人前の人間になれ
ぬと悲観していた人が、今は立派な人になっておられる人が多いか
ら、会員名簿を作り、お互いに名を知る事ができれば、大いに刺激・
発奮の頼りとなる事かと思うが、いかがでしょう(賛成者多く可決)。
森田先生 この会も初めは2,3回で中止するかと思っていた人も
あるけれども、案外、成績がよくて、早や22回になって、ますま
す盛大になった。嬉しい事である。不思議な事には、この間に一度
も、同じ話が出ない事である。談話に腹案なく、作為のない自然の成
行きにまかせるから、変化に極まりがない。面白いものであります。
(山野井氏の閉会の辞にて、9時過ぎ、随意に散会した。)
(『神経質』第3巻、第9号・昭和7年9月) 15
第22回 形外会 全集第五巻 232頁