第20回 形外会 昭和7年4月10日 3-1 全集第五巻 201頁
東京病院にて開催、来会者44人、森田夫人、佐藤・古閑・
野村の諸先生、浅羽・香川・三留各医学士、山野井副会
長、井上・荒木両幹事の出席あり、盛会なりき。現幹事のほか
に、水谷・小野沢両君幹事となる。開会午後3時半、例の如く
自己紹介あり。
山野井副会長 開会の辞。
森田先生 山野井君の進行係も、なかなかうまくなった。対人恐怖
の人も、こんなに偉くなるのであります。
桑○ 心悸亢進。
柿○ 4年前、ひどい神経衰弱で、頭痛はひどく、葉書の宛名もろ
くに書けず、廃人と同様になったが、入院して全治しました。
久保○ 心悸亢進。
堀○ 小学4年頃から、いろいろの強迫観念に襲わられた。苦しくて
退学しようと思った事が、再三あったが、今は先生のお陰でよくなっ
た。
大○ 対人恐怖。
清水氏 大正14年に、2ヵ月程入院、成績が悪くて全治に至ら
ず、退院後半年ばかりしてだんだんよくなり、活動力が出てきまし
た。
森田先生 この人は少し治り過ぎて、元気がよくなり、種々の計画
をするようになり、お父さんを困らせた事がある。
谷○ 対人恐怖」。
堀○ 狂犬病恐怖。
林 対人恐怖で手が震える。
小宮氏 17歳から発病し、仕事のできないのが苦しく、何度も自
決しようと思った事がある。先生のところに入院し、ただ今は忙しく
暇なしに働いています。
井上氏 雑念・読書恐怖。
和布○ 対人恐怖。
世○ 対人恐怖。
厚○ 心悸亢進で、大正15年に診察を受け、その後先生の著書で
全快したものです。
駒○ 心悸亢進。
島○ 読書恐怖。
小○ 対人恐怖。
畔上氏 人の咳払いが気になる恐怖観念。
小○ 大正15年から、注射なども3,4年間つづけた。梅毒から 1
起こるものではないかと心配して、脊髄液の検査もしたが、陰性であ
った。先生の診察を受けて、御著書を盛んに読んだ。大分よくなりま
した。
小野○ 赤面・読書恐怖。
狩○ 心悸亢進発作。
小野○ 対人恐怖。
蜂須○ 赤面・読書恐怖。
遇然に死ぬる工夫
篠原氏 神経衰弱といわれて、11年ほどになる。5年ばかり前
に、苦しくなって死んでしまおうかと思った。父が自殺しているか
ら、自分もやっては、世間に対して恥ずかしい。何か偶然に死ぬる工
夫はないかと考えて、難船で死のうと思いついた。たびたび船に乗る
間に船に乗る事に慣れてしまって、平気になった。
次に最も危険の多いものと考えて、飛行機に乗った。2回乗った。
最初、箱根の山の上で、エア・ポケットの所で、飛行機がスーッと
下がった。丁度エレベーターが降りるようで、首だけ上に置いてきた
ような気がした。死んでもよいつもりの私が、人一倍驚き方が激しか
った。もう死ぬる事はあきらめて、温泉へ行ったり、治療法にあらゆる
事をやった。
また失恋したが、先生の『恋愛の心理』の112頁のところで解決
ができた。
自分ばかりかと思ったが、神経質が多いのに驚いた。それで安心す
ると同時にまた悲観もした。その後、私はやれるだけ、やってきた。
商売の成績も一番よったのであります。
河〇 心悸亢進と外出恐怖。発病は昭和4年、梅毒からくる神経衰
弱といわれ、5千円ばかり費やした。職工を使う職業ですが、入院し
て、すっかりよくなった。・・・・・・
森田先生 今日の自己紹介は、長い人が5分10秒、4分30秒など
で、短い人が4秒。全体で55分かかりました。やはり自己紹介
は、親しみのできるもので、やめないほうがよい。僕が早く余計にし
ゃべると、どうも皆さんの話が出ないようであるから、僕の話は後回
しにします。
親が死んでよくなった
山野井氏 私が最近に説得した不潔恐怖と対人恐怖の例をお話ししま
す。不潔恐怖は、親戚の22歳になる男で、家族とともに食事する
事ができない。自分一人で食事しなければならない。家族の人も大変
困って、私に相談にきた
一人は対人恐怖で、中学5年で退学し、去年の暮れまで、約4年間 2
は、全く家に引き込んでいた。人に顔を見られるのがいやで、昼間は外
に出ない。しかし身体を弱くすると悪いといって、夜出かける。歩い
て行くと、知ってる人に会うからというので、自転車に乗る。提灯
をつけるにも、家の印のないものをつける。
去年は徴兵検査で、その人の父も大変心配して、私に相談に来たが、
私は、きっと、それは神経質だから、徴兵に出るほうがよいといって
やった。また私はそのとき、予言してやったが、それは非常に貧乏に
なれば、必ず働きだすとかいう事であった。あるいは先生の著書を読
むか、先生のところに入院すればよい。自然に境遇に服従するか、あ
るいは自ら進んで治すかの二道があるという事を説明してやった。
しかるに去年9月、父が亡くなった。兄が跡をとり、自分も一生懸
命にやらねばならぬようになり、今まで引込み勝ちの青年が外にも出
るようになった。今までの対人恐怖もよくなったのであります。
この間、武蔵野高等工業学校を受験した。そのとき、私が一緒に行
ってやった。五反田で電車を降りて、学校は谷山にあるという事はわ
かっているが、後がわからぬ。青年にどうしようかといえば、行って
見ようという。どこへ行こうかといえば、青年はマゴマゴしている。
なるべく私に道を問わせようというつもりである。交番で、谷山の武
蔵野高等工業学校と聞けばよいといって、ようやく聞く事ができた。
谷山を聞けば、学校は自然にわかるであろうと、なるたけ言葉を少な
く聞こうと算段しているのである。今までは巡査などとは全く話する
事もできなかったが、谷山をきいて、行って見ると、すぐ学校がわか
った。するとその青年は、今のは練習ですかという。私は決して練習
などではない。やむを得ない必要の事であるといってやった。神経質
はすぐ物を逆に考える癖がある。
私の家で食事をするのに、非常に遠慮する。私の前では坐らない。
あまり遠慮するから、私のほうで気がもめ、世話がやけてしかたがな
い。それが対人恐怖の対人恐怖たる所以で、自分の気持ばかり考え
て、少しも人の迷惑を気にするとかいう事がない。
なんでも練習練習という教育の弊害
森田先生 ここでは、なるべく話が脱線したほうがよい。話があま
り病気の治療に拘泥しないほうがよい。皆様が病気が治るに、最も必
要な条件は、病気を治す事を忘れる事である。ここでは例えば、人生
と神経質とかいう題目の心持で話したほうが面白い。自分の病気の治
し方ばかりを聞こうとしていると、かえって病気は治らなくなるので
ある。
山野井君の話で面白いのは、練習かと問うた事である。練習ではな
い、実際である。入院中の人でも、いつもこれと全く同様の心掛けの 3
人が多い。例えば夜の仕事に、雑巾さしをしたとしても、すぐこれを
運針の練習になるとかいう風に考えたがる。ちょっと心掛けがよさそ
うで、実は極めて馬鹿げた事である。雑巾はただこれを使うがためで
ある。飯を炊く。練習になったとか、患者の日記に書いてある。よっ
ぽどおかしい。高等教育を受けた人びとが、入院わずか40日ばかり
の期間に、飯炊きや運針の練習をして、この人は果たして、将来どんな
仕事をする人になるつもりであろうか。入院修養の目的は、「事実唯
真」を会得し、「自然に服従し、境遇に柔順なれ」という事を実行す
るので、結局は自分自身のベストの適応性を得る事である。やたらに
飯炊きの練習をされては、毎日これを食わされる者が迷惑である。必
ず常に上等の飯を炊いてもらわなければならない。兼好法師のいって
ある事に、弓をひく者が、矢を2つ持ってはいけない、必ず1つの矢
で射なければ、2つの矢を試す気になって、真剣にならないから、結
局2つともあたらないという事がある。試すとか手習いにするとかい
う事がいけないのである。この練習練習という事が、今日教育上の大
なる弊害の1つである。大学出の人で、たまには法科で3年、医科で
4年、法学士・医学士であるという人がある。実は私も昔は医学士に
なって、もう1つ文学士になろうと企てた事があった。こんな人は、兼
好法師が徒然草にいってあるように、ある人が法師になるには、馬に
も乗り、笛も稽古し、何なにもやらなければ、といって一生、法師に
ならずにしまったというのと同様で、ただの物識りになり、決して適
応性のよい、働きのある人にはならないのである。
私も昔は、患者の作業に、習字をやらせた事もあるが、今日では、
字の下手な人には、夜業の代わりに、毎日の日記を、人の読みやすい
ように、活版のように、最も奇麗に字を書くようにやらせる。そうす
ると、たちまち上達して、容易に上手になる事ができる。物はなんで
も、その事ごとに実際に当面すればよい。今日の教育でも、この方針
で行くならば、その成績は非常によくなる事と思うのである。
死んでもただでは死なない
今日の皆さんの、いろいろの面白いお話の内で、飛行機でさえも死ぬ
る事ができず、飛行機から降りた時は、安心と同時に悲観したという
事が、非常に面白かった。
私も少年時代には、いっそ死んだがよいと思った事も時どきあり、ま
た死を決した事も1、2度あった。これは私の漫筆の内に書いてある
事であるが、大学1年級のとき、大学の先生が脚気と神経衰弱とで
あるというので、1年中、薬を飲み続けた。試験前になって、父から
金を送ってこない。親父に面あてに、死んでやれと思い、薬を飲む事
をやめて、無理やりに勉強した。その結果は脚気も神経衰弱もどこへ 4
やらなくなってしまい、そのうえ試験の成績も上出来であった。後に
思えば、それは脚気でも神経衰弱でもない。実は神経質というもので
あったのである。船や飛行機で、死に場所をもとめたというのも面白い
が、勉強なり、冒険なりをして、死を賭すというのも、一つの考案で
ある。それなら死にたいかというに、決してそうではない。篠原さん
が飛行機から降りて安心したというように、一方には死はどこまでも
恐れあやぶみながら、自分の意向を達せんがために、一かバチか両道
をかけて、大きなヤマを張ろうというので、結局はどこまでも、生の
欲望にかじりついているのである。神経質者には、この「倒れてもた
だでは起きぬ」「死んでもただでは死なない」という欲ばり心が非常に
多いかと思うのである。もし意思薄弱性素質ならば、これと反対に、
生の苦痛のために、本当に自殺し、またはいたずらに享楽主義になっ
て、堕落してしまうようになる。つまり生の欲望が乏しく、なり行き
放題の酔生夢死の種類であるのである。
子供を殺してしまおうか
柿原夫人 私なども幾度死のうとしたかわからない。悪い時には、
葉書の宛名を書くだけでも間違う。手紙も人に書かせた。自分で書く
と、自分の考える事とまるで違ってしまう。数を数える事も百以下で
なくてはできない。買い物に行く事もできない。人と話をしていても、
いまいった事を忘れ、「あの」とか「その」とかの代名詞ばかりを使
うようになる。明るい光も恐ろしくなる。子供が泣き出すと、隅の方
へジッと坐りこんでしまう。子供を殺してしまおうかと思った事もあ
った。
ついに先生の診察をうけて、私が最も心強く感じた事は、先生御自
身が、私と同様の経験があり、年をとっても、働いておられるのを見
た時であった。
入院して臥褥中は、奥様から、どんなに苦しくとも、ジッと寝てい
なくてはいけないといわれ、その通りにした。初め他の入院の方が、
仕事から部屋にお帰りになる時など、非常にやかましく、うるさく感
じられた。
現在はたまに頭痛のする事もありますが、前のように仕事のできな
くなるような事はない。一人前に働く事ができるようになった事を感
謝しています。
森田先生 今のお話は7分間です。割合に沢山いえるものです。さ
て神経質で、今のお話のように、何もわからなくなり、できなくなる
事がある。馬鹿になってしまったようである。こんなふうになるのに、
ヒステリーで一時性にうっとりする事があり、また憂鬱病で、気がふ
さいで、悲観の極、何もわからなくなる事がある。それで医者がよく 5
神経質と憂鬱病とを診断を間違える事がある。皆その病の本態と性質
とが違うから、その見分け方を知らなければならない。
良妻賢母として
さて、神経質の人が、嫁入りをして後に、ある場合には、次のような
事から、柿原さんのように病気がますます悪くなるような事がある。
それは自分が嫁として、良妻・賢母として、誰から見ても非の打ちど
ころなく、完全な善人になりたいという欲望を押し通そうとし、つま
り理想主義にかぶれるがために、舅・姑や小姑等に対して、日常赤裸
裸の感情でなく、強いて心をまげてかかるから、周囲からも、かえっ
て不自然なヒネクレノように見られ、自分が善人の義理を立てれば立
てるほど、かえって周囲から虐待されて、反対の結果になり、その苦
るしみが重なり重なって、ついに神経衰弱になるのである。すなわちこ
の様な人は、入院して精神修養をなし、自然の人情にかえり、心機一
転すれば、今までのように、自分が強いて善人になろうとする事をや
め、自分はただこれだけのものである。無理に善人と思われないよう
に骨を折る必要もないという風に、おうようになり、自然に心も安楽
になり、心にこだわりがなくなって、日常の生活が、自由自在にな
り、神経質が治るのである。
およそ自分が善人として、周囲の人から認められるためには、人が
自分に対して、気兼ねし遠慮しようが、うるさく面倒がろうが、人の
迷惑はどうでもよいという事になる。これに反して、人を気軽く便利
に、幸せにするためには、自分が少々悪く思われ、間抜けと見下げら
れても、そんな事は、どうでもよいという風に、大胆になれば、初め
て人からも愛され、善人ともなるのである。つまり自分で善人になろ
うとする理想主義は、私のいわゆる思想の矛盾で、反対の悪人にな
り、自分が悪人になれば、かえって善人になるのである。
たとえば人に御馳走する時でも、人が少々下痢していても、まあど
うぞどうぞと、無理強いに親切の押売りをしようとする。これに反し
て、人に腹を損なわないように、無愛想をして、自分が悪人となる
事は、なかなか困難であるのである。
私共がこの老年になっても、まだ大人げもなく、自分が人からほめ
られたい、悪人と思われたくない。それで自分で、いろいろの理屈を
つけ、自ら弁護し、自ら欺き、人をも欺いているこ事が多い。例えば、
私が人の悪口をいったり、あるいは腹立ちまぎれに、叱ったりする。
それをわがままとはいわずに、これは君らのために忠告するとか、人
を治すためだとか、いろいろに理屈をこじつけるのである。
第20回 形外会全集第五巻 205頁 6
第第20回 形外会 3―2 昭和7年4月10日 全集第五巻 206頁
2千年前のギリシャのエピクターテスという賢人は、「人もし善人
たらんとすれば、 まず自ら悪人たる事を認めよ」といった事がある
が、前の嫁さんの神経衰弱のような場合でも、一度心機一転して、自
分が悪人となる事をいとわないようになれば、今まで陰惨の空気に充
ちていた家庭も、初めて愉快な光明に充ちた団欒の家庭に一転し、そ
の神経質の本人から見れば、今まで自分に、つらく当たっていたすべ
ての家人が、皆親切な好意とばかり思われるようになる。この時に普
通、本人は他の人びとが変わったように思う事が多いけれども、実は
自分自身が知らずしらずの間に一転化しているのである。
山野井氏 ある人が神経質を治すために、結婚させたら、かえって
よかろうと考えて、結婚させたところがその家庭が非常に冷たく、少
しも新婚の温かさを感じないという事です。私に相談して来たけれど
も、これはなかなか難しい問題である。 私もしかたなしに返事して
やりましたが、それは結婚した以上は、そのまましばらく。辛抱する
ように、また勤め先から家に帰った時には、少し不自然でもよいから、
たまには歯を出して、笑うようにするとよい。といってやりました。
先生いかがでしょうか。
森田先生 それはよい事であるけれども、難しい。強いて笑い顔
をするという事は、嘘をいうと同じように、なかなか難しいものであ
る。勿論、平気で嘘をいう種類の人は別であるが、神経質はむしろ愚
直に近いほどの人もあるから、この種の人には、なかなか思うように
できない。
この場合には、ただ自分には、不機嫌な気むずかしい我儘者であると
いう事を自覚し、人にもこれを認めさせ、その結果として、当然人に
嫌われ、うるさがられるものであるという事を自覚し、その応報を受
さえすればよい。 決して自分はこのような性質であるから、 人は大
目で見て、自分を許してくれるべきである、人は自分が悪人でない事
や、自分の正直のところなど認めて、理解してくれなければならぬ、
などと考えてはならない事である。このように思い定め、覚悟して後
には、社交的にあるいは家庭的に、時と場合とに応じて、笑うも笑わ
ないのも、自由自在で、必ず自然の人情味が現れるようになるので
ある。
南無阿弥陀仏というもいわぬも自由自在
南無阿弥陀仏と唱名する事でも、手軽に嘘をいう人は別として、神
経質はまず南無阿弥陀仏という実証を認め、信仰を獲得した後でなけ
れば、なかなか口から漏らす事をあえてしない。ここは殆ど強情張り 1
といってもよいほどである。私も昔大学一年生のとき、真宗の村上
専精博士のお家に行って、「どうすれば信仰が得られましょうか」と
いう事の教えを乞うた事がある。その時先生は、「南無阿弥陀仏と唱
名せよ」といわれた。なかなか私にはできなかった。30余歳になっ
て初めてその意味がわかった。今は南無阿弥陀仏という事もいわない
事も、笑う事も笑わない事も、時と場合に応じて自由にできるように
なった。なおついでに、これは少し奇抜な事であるが、私が昔、中学
4年級のとき、決して笑わぬという事を努力して実行した事もある。
さて、面白いなり、有難いなりの感情というものは、その対象・原
因があって、その反応として起こるものであるが、その時には、それ
相当の表情ないしは行動が起こる。今これを逆にして、歯を出して笑
うとか、南無阿弥陀仏というとかすれば、そこに愉快とか敬虔とかの
感情が現われてくるのである。感情という自覚と、表情という現象と
は、同一事実の両面観であるというのが、私の持説である。急に下腹
がへこみ、アッといって呼吸が止まるとかいう現象が、そのままビッ
クリであって、その時の感じがそのまま、驚きである。この表情現象
の少しもないところの驚きというものはないのである。
それで愉快になりたい人は笑い、信仰を得たい人は、南無阿弥陀仏
といえば、世話のない簡単な事である。ただ私共が南無阿弥陀仏とい
わないのは、強いてそのような信仰を求め作る必要がないからの事で
あります。
金を人に渡す時には
山野井氏 数の勘定もできなくなったというお話があったが、私も
入院当時、御飯炊きをして、お米を計る事がわからなくなった事もあ
る。計り間違いはしないかと心配する時に、7杯か8杯かわからなく
なるというような事がある。
話は少し違うが、私は平常、金を数える時に、間違いはしなかった
かと心配する。人に払う時は、多く払いはしなかったか、自分が受け
取る時には、少なくはなかったかと心配する。随分欲張りである。
森田先生 僕も欲張りの事は同様である。僕も人に金を渡す時は、
1枚ずつ精密に数える。人から受け取る時は、5枚ずつ数える。人か
ら受け取る時は、1枚くらい、多過ぎても、後で返す事ができるが、
人に渡す時は、つい多過ぎても請求する事ができないから、厳密に数
えるのである。郵便局などで金を受け取る時は、局員が2,3度も正
確に数えるから、そばからそれを見ていて、間違いのない事を認めて
受け取るから、ことさら、数え直す必要はない。少しでもムダ骨折り
を省く事を心得ているのである。
親の心子知らず 2
小宮氏 私は前には、家の人から、お前は怒る怒るといわれた。先
生から、腹が立つ事があっても、ときどきに怒らないで、ためて置い
て、争うべき時にその事を持ち出して、一時に争えばよい、といわれ
てから、こらえていると、忘れてしまう。その後家人から、怒らなく
なったといわれるようになった。人間がよくなった、といわれるけれ
ども、よくなったのではない。
以前は家でも、気違いになりはせぬか、と心配された事もあった。
この形外会へも出席することをとめられる。患者同士の集まるところ
へ出ると、また神経衰弱が出やしないかと心配する。今日も花見に行
くといって、出てきたのであります。
雑誌を読んで、病気を思い出してはいけないと思って、読まない人
があるそうですが、 そんな人は、 まだ本当に治っていない人かと思
う。
森田先生 神経質がよく治り、ますます修養が積むには、神経質に
関する事をなるたけ広く深く知り分ける事が必要である。単に頭痛が
治ったといっても、再発しやすく、強迫観念が一つ治っても、また別
の強迫観念が起こってくるという風になる。治るという事は、単に苦
痛がなくなるのではない。ますます精神健全に、ますます適応性を発
揮して、人生に向上発展するのが本旨でなくてはならない。例えば米
屋が、その事業が発展するにも、単にその時どきの相場を知るだけで
はいけない。肥後米・朝鮮米とかいう事から、社会現象の万般に通じ
て知るほど、成功が大きいのであると同様である。
私が雑誌などで、神経質に関して、種々の方面から説明するのは、
みな患者の治療と修養とのためにはかるので、皆さんから見れば、つ
まらないように見えても、それは親の心子知らずであって、導かれ助
けられる者の身になっては、その指導者の心を知る事はできない。そ
れは知恵の深さが、大なる相違のあるために、推測ができないからで
あるのである。
なお私の患者を救済しようとする心は、ちょっと変形すると、容易
に宗教的の気分になりやすい傾きがある。それ故に私は患者に対し
て、常にそうならないように防いで、患者をして、常に科学的に物を
正しく見るようにする事を忘れないようにし、事実唯心という事をモ
ットーとするように導くのである。
人にわからぬ自分の苦痛
山野井氏 私が入院中、裏の畑に、柿がなっていた。先生に少しも
ぎ取ってくれといわれた。私は柿が少々青くとも、また木に登るのは
面倒だと思い、全部もぎ取ってしまった。先生はなんともおっしゃ
らなかったが、婆やさんから小言をいわれた。する事がなんでも機械 3
的で、お使い根性であると。しかし私の考えたのは、全部もぎ取って
もわずかに2、30で、皆で食べれば、2つくらいしか当たらない。
という事である。後から考えれば、東京市内で、柿のなっているのは
珍しいので、これを取ってしまったのは、無風流であったのである。
また友田さんという人は、裏の畑にあったニラの葉をおつけの実に
取ってきてくれといわれて、小さい畑にあったのを全部取ってしまっ
た。その人は40あまりの人で、私はただ20余歳であるから、物の
思いやりの少ないのも、酌量の余地があると思うのである。
森田先生 ニラでも柿でも、入用の時は、買えばいくらでも沢山に
買う事ができる。それが家の小さい畑にあるのは、その少しずつ賞玩
するところに趣きがあるのである。
山野井氏 婆やさんに小言をいわれた時は、少々癪にさわって、い
ろいろ理由をこねて見たが、退院して後に、なるほどと思ったのであ
る。
私は対人恐怖であるが、 退院してから第一回の形外会に出たとき、
いろいろ、対人恐怖時代の昔の心境をお話して、皆さんには、まだ私
の苦心はわからないだろうといったら、先生から、人にわからぬ自分
ばかりの苦痛があると思っているようでは、まだ本当に治っていない
証拠だといわれた事がある。普通の人情として、人前に出れば、恥ず
かしい・苦しい、誰でも同様である。それがわからなかったのである
が、注意されて非常に私の進歩を来したのである。今日は香取さん
も日高さんも欠席で、私は非常に心配している。恥ずかしくて苦しい
けれども、しかたなしにやっていると、話しているうちに、ツイツイ
面白くなり、心づかいも忘れて、皆様にこんな事をいったら、御参考
にもなろう、先生に批判していただけば、為になるだろうとかいう心
で、一杯になるのであります。前にはただ自分の恥ずかしい、苦しい
気持を取り直し取りつくろおうとして、それに心が一杯で、ただ不可
能の努力ばかりして動きのとれぬようになったのであります。
あやかるの反対は寄せつけない
森田先生 今晩も赤面恐怖の方がおられるが、「ただ見れば何の苦
もなき水鳥の足にひまなき我思いかな」であって、誰でもただ顔つき
をちょっと見たばかりではわからないものである。
まだよくならない人は、みな山野井君のような治った人にあやかれ
ばよい、あやかるとは、うらやましくて、その人のようになりたいと
思い、その人の声咳にでも接する事である。 このあやかるの反対は、
寄せつけないで、排斥する事である。あの人は頭が良いから治った。
自分は悪いから治らない。あの人は治るべきはずであるから、自分は
意志薄弱であるから、とかいろいろのヒネクレをこねて、白眼をもっ 4
て嫉視するような事である。こんな人は縁なき衆生といってなかなか
治りにくい人である。
この形外会は、みな同病相憐む兄弟のような人ばかりであるから、
互いに親しまなければならない。治った人は、治らぬ人を見て、なん
とかして治して上げたいと思い、じれったくてたまらない。会長・副
会長・幹事とかいう人は、みなこの心持に溢れた人で、この形外会
が盛んになるのは、みなこの人びとのお陰である。これに反して治ら
ぬ人は、親の心子知らずで、割合に気のないものである。
清水氏 私は先生にあやかり過ぎていけない。私は先生のおっしゃ
る事をなんでもかんでも守ってしまう。そしてはき違える事が多い。
このあいだも酒席で、踊りをやってほめられた。先生がいったんだか
ら、安心して飲んでしまえという気になる。もう一度『根治法』を読
んで見た。そして自分が調節を誤っていた事に気づいた。
こんな先生に病気がなおせるか
小宮氏 退院して後に、なかなか能率がうまくあがらない。あがら
ない能率を強いてあげようとする。うまくいかない。あるとき、平常
3人でやっている仕事を、2人とも病気で休んでしまい、私が一人で
しなければならない事になった。人手を借りようとしたが、どうして
も融通がつかない。しかたなしに、能率などの事を気にかけていられ
なくなり、相当失敗もあったけれども、結局一人でやってしまった、
能率を忘れて、能率があがったのであります。
柿原夫人 入院中に柔順という事のお話は、自分にもわかったが、
癪にさわらなくてはいけないといわれた事が、いろいろ考えたけれど
も、わからなかった。ある日、先生が、今日は3回癪にさわったとい
われた。停電と、しめ出しをくった事となんとかであった。癪にさわ
るとは、感じが強く、あるいは気慨があるという事であり、呑気で無
神経でないという事である。
しかし先生が癪にさわるという時に、お顔の色はなんともならな
い。私もそれを見習いたいと思った。私共も平常、誠心・誠意でやっ
た事を疑われたりすると、癪にさわって、急に顔に出る。先生の平常
の態度を見習いたいと思った事があります。
森田先生 神経質は、他の気質の人に比べると、顔色は変わりに
くい方である。貴方でも、やはり出にくい方である。ただ自分でカッ
とした気分を、顔に出たように感ずるまでの事である。とくに私共の
出にくいのは、顔が土色に青黒いからである。桜色の人は出やすいの
です。これなどは皆比較的の事であります。
篠崎氏 先月、形外会のとき、大先生にお目にかかったとき、かね
て想像していたところでは、ユウユウ堂々たるものであると思ってい 5
たが、案に相違して、お顔の色もよくないし、これが医学博士・森田
先生かと思われた。
古閑先生 この会には、入院しない人がいるのも面白い。先生に叱
られた経験がないから(笑声)。
井上氏 篠原さんが、 先生が風采があがらぬと感じたといわれた
が、私も同様であった。初め古閑先生を森田先生かと思った。和服で
袴もつけず、猫背で、あてがはずれた気がした。も一つ先生は、お酒
をあがらないだろうと思っていたのに、大分召しあがられたそうで、
こんな先生に病気が治せるかと心配した事があった。
篠原氏 先生は芳沢外相に似ておられると思うが、どうでしょう。
(食事。8時再開)
森田先生 今日桑原さんという方を御招待しましたが、この方は昨
年11月頃のこと、神経質雑誌の記事中に、私の喘息ある事を知ら
れて、代々木のお家から、わざわざ遠くの駒込の私の家へ喘息の薬を
持って来て下さって、私の家内に、その効能から用法を教えられて、
これを用いるように勧めて行かれたのであります。折角の事ですか
ら、早速私もこれを用いたところが、非常によく効くので、感謝して
いますので、この機会に、薬の効能という事についてお話したいと思
います。
私は従来、精神療法でもそのほかの通俗療法でも、機会さえあれ
ば、なるたけ実験するという心掛けをもっている。前には酸素の注射
が、喘息にも効くとの事で、妻に勧められて、連れて行かれた。第一
回の時に、喘息が起こらなかった。その日は風呂に入ったから、その
ために起こらなかったようでもある。すなわち次に風呂を試みたが、
その時は起こった。次には注射ばかりして、すべてその他の条件の加
わらないようにして実験した。今度は喘息が起こった。これで注射も
風呂も2つとも、 直接に喘息には効かないという事がわかった。 普
通、迷信・妄信の起こるのは、ある療法で偶然に治った事を、すべて
の他の条件を考えないで、そのままに効があったと信ずる事から起こ
るのであります。
今度の喘息薬は、麻杏湯といって、漢方薬であるが、妻は毎日3度
飲むようにと、私に勧めるけれども、私は喘息の起こる時ばかりに用
いた。そうしなければ、まず第一に、これが直接に効があるか、どう
かという事がわからない。時間がないから詳しい事は略するが、とも
かく、この薬は効能がある。また味が悪くなくてはなはだよい。副作
用がないから、割合多量に用いてもさしつかえないようである。分量
を自由に加減する事ができる。これが西洋薬では、ちょっとできない
ところの漢方薬の長所である。割合に食欲をも害しないようである。 6
第20回 形外会 3―3 昭和7年4月10日 全集第五巻 210頁
私も桑原さんのお陰で、従来の薬物に比して、はなはだ便利なものを
知る事ができたのである。
学問にも必ず迷信を伴う
いま漢方薬と西洋薬とをちょっと比較してみると、漢方薬は「神農
民、百草を甞めて、初めて医薬あり」という風に、草根・木皮であ
り、また人間の脳髄の黒焼とか、生肝とか、臀肉とか、その他動物の
内臓からできた、西洋のいわゆる臓器療法というものが多い。
漢方薬は、自然物から煎じ出すとか、黒焼にするとか、その成分の
夾雑物を一緒に用いるけれども、西洋薬は、化学の進歩とともに、そ
の自然物の内から、何が有効であり、いかなる作用を起こすものであ
るかという事を分析・研究して、これを純粋にしたものである。例え
ばコカという木があって、土人がその葉を嚙じると、元気が出て、疲
労を忘れる。これから分析して、その成分を抽出したものが、コカイ
ンであるとかいう風である。副腎からアドレナリンを採り、膵臓から
インシュリンを抽出したとかいうのも皆これである。
近頃、フランスのアランジーという人の書いたものを、桜沢という
人が訳して、『西洋医学の没落』と題した本が出ているが、西洋医学
を分析医学と名付け、一方を綜合医学といって(ごく適切の名称とは
思わぬけれども)、 西洋医学を攻撃し、 漢方医学などを称揚してあ
る。しかし物事には必ず、利害・得失の相伴うもので、その弊害のみ
を見て、論を立てる場合には、両方ともに迷妄・弊害のある事は当然
の事である。真の識者は、その両方の有効なところを正しく観察・批
判する事ができるのである。
宗教に迷信の伴うように、学問にも必ず迷信を伴うものである。宗
教は万徳円満・全知全能者の絶対力を信仰するのであるが、学問もそ
の当時の学者の認めたものを、衆人はこれを絶対真理と帰依している
事は同一である。今ちょっと見れば、わずかに円盆の大きさくらいし
かない太陽を、地球の130万倍であるといっても、学問信者は、直
ちにその通りに信認する。しかるにある先生から、太陽は地球の13
0倍あるといって聞かされても、なるほど驚くべき大きなものだナと
信認する。なんでも学問を信ずるためには、万倍の誤診をも平気で認
定しているのである。実はその弊害は、宗教の迷信も同様である。
長所の大きいほど短所が大きい
今日、医学の分析的研究の進歩と弊害、博士の濫出など、衛生的に
治療的に、民衆的に個人的に、その弊害の個条は、なかなか挙げ尽く
す事ができないほどである。 1
話は、元に戻って、漢方薬は、夾雑物のままであるから、いろいろ
の効能が複合し、また純粋でないために、多量に用いても、危険が少
ない。 それが長所であるが、同時にその反面には、効能が適切でな
く、当てにならない。 そこで最後に最も大切なる長所は、その不確実
なる効能のため、荏苒日を経る間に、人体の自然良能により、自然治
療する事である。
「良医は大自然の従僕である」という意味のことをヒポクラテスも
いった。その後の先覚者も、しばしば「自然良能を無視してはいけな
い、良医はただ自然を助長・補佐すべきである」という事を、いろい
ろの言葉で言明してある。花柳病の大家ステッケルは、膀胱カタルの
大切なる療法は、第一に安静、第二に安静、第三にもまた安静である
という事をいってある。淋病療法の雑誌・新聞宣伝のいかに恐ろしき
事よ。西洋薬の長所は、もとよりその適切なるところにある。しかる
にその弊害は、長所の大なるほど同様に大であるのである。すぐ曲が
るような鈍刀ならばよいけれども、村正の刀であるから、危険が大き
いのである。
私の飲んだ麻杏湯のよい事は、味のよい事である。考え方によって
は、 カルピスよりもよいくらいである。 漢方薬は、 この点から見る
と、醸造酒であり、洋薬は、アルコールと砂糖との混製酒である。
薬が効くか効かないか
これから、ある薬が効くか、効かないかを確定する事は、なかなか困
難であり、 決して容易な事ではないという事をお話する。 今日立派な
博士でも、その判断に、随分迂闊な誤診の多い人がある。教育の効能
は、よく記憶し、多く物識りになるのではない。物事に当たって、速
く正確に判断する事である。今日の教育は、その意味が全く反対にな
っているようである。しかし帰着するところは、人の性格が重大で、
いくら高等教育を受けても、気の軽い人は、その判断も軽率である。
神経質は、教育の少ない人でも、随分正確に判断して、なかなか容易
に迷信に陥る事はない。
ある大学出の若者があった。そのお母さんが、ある時火事の騒ぎ
で、声をからしてしまった。その若者は、「いくらお母さんに薬を飲
むように、含嗽薬を用いるようにいっても、なかなかいう事を聞かな
い。お母さんのわからずやにも困った」との追懐をした事がある。こ
れが学問の迷信である。篤信者である。
通俗療法・学問両方、なんでもよい。病は治りさえすればよい。た
だそれで効いたか、どうかの批判が難しいだけである。俗療者や漢方
者は、いたずらに学問療法に反目する傾きがある。学者も俗療法を全
く歯牙にかけない。しかしそれは忠実なる学者ではない。コカインで 2
も、プリスニッツの罨法でも、牛痘が人にうつって、その人が天然痘
にかからぬ事など、療法はみな、俗人の間からまず知られていたので
ある。これから将来もまた然るべきはずである。いずれも人は、正し
く教育された人は、すべての先入見によって、自分の公明なる感じ・
判断をくらましてはならないのである。
医者に治せぬ病が治る
話はちょっと横道に入るが、俗療法の広告に、「医者にかかって治
らぬ病気を治す」という事がある。なかなかうまいところに着眼した
ものである。幾年たっても治らぬ病気は、同時に病は進みもしなけれ
ば、死ぬるという危険もないという事を証するものである。その治ら
ぬものが、10人に2人治っても、もうけものである。神経質やヒステ
リーなどは、精神の転換によって、治りうるものである。ただ転換で
あるから、また逆転するを免れないというだけである。
さて、薬の批判の、なんでもない事で、しかも最も困難な事は、その
療法をしなくとも。当然治ったか、どうかという事である。薬や療法
を用いるために、わざわざ病を長びかせ、不治に陥らしむる場合は、
我々はいかに多く、その例を知っている事か。みな療法は効くという
先入見からの誤りである。私が麻杏湯や酸素注入をやっても、みなこ
の事を忘れてはならないのである。
特に薬を用い、安静にし、食事を制限し、物理・精神療法をやり、
観音様へ願かけた等の場合は、その観音様が、幾割幾分、効いたかな
かなか困難である。多くの場合に、その安静が唯一の効能であり、薬
も観音様も無用な事があるのである。ある種の医者は、水薬・散薬・
頓服・含嗽とくれる事がある。これは実は経営策であるけれども、実
際にどの薬が効いたかわからないはずである。
昔から「人参呑んで首くくる」という高価薬がある。昔はチフスの
衰弱で、医者が手を放したという場合に、最後の手段として、人参を
用いて助けたという事がある。勿論、人参でも、かならずしも助かる
というわけではないから、助かった場合も、それが効いたか、どうか
は、決して当てになるものではない。
人参の効能は曰く不可解
この人参については、今日西洋流の医学でも、多くの研究が積ま
れ、その内から種々多数の成分が分析されている。しかしそのどれも
が薬効として著明なものはない。結局、人参の効能は不可解であると
いう事に結論されている。これが西洋医学の弊害の存するところであ
る。これがために、たとえ百人の学者が努力し、5人の博士が出たと
するも、結局はなんの意味をも創造されていない。私が本誌第一巻第
1・2号に、学者の内には、『ここはまだ誰もが掘ってないから、と 3
いって、縁の下から黄金を掘り出そうとするようなものである』と悪
口をいってある。今日の学位論文に、その研究の目的が、「まだ従来
この点を学者が調べてないから」というのがはなはだ多いのを、常に
私は遺憾としているのである。
人参の分析もよいが、さてその人参は、これを飲んでいかに効能
があるかという事は、少しもこれを厳密に調べてあるのを見た事がな
い。これが常識から考えても、どこまでも不可解なところである。人
参の作用・効能を調べる事を粗略にして、いたずらにその分析をして
学問的であると考えている人の気がしれないのである。これが学問否
衒学者の通弊であるのである。神経質の方はみな御承知である。普通
の医者は、患者が不眠を訴える、ああそうか、患者が頭が重いとい
う、よしきたと、直ちに治療法を授ける。不思議な事は、これらの医
者は、その不眠・頭重が、いつ・いかに・どこがという事を、少しも
聞きただし調べようとはしない。それは皆様の常によく経験されてい
る事であります。
迷信は結論の飛躍である
私も妻に勧められて、人参を飲んでみた事がある。妻は身体が暖ま
る。夜中、小用に行かないとかいう。私は同様に内服して、少しもそ
の反応・作用が感じられない。それは観察が、多方面から正密にされ
るからである。ちょっとその時どきの気持や感じからいえば、妻のい
うような事は勿論あるが、それが決して一定不変でないからである。
この作用不明の人参を分析して、果たして縁の下から、黄金でも掘出し
たような成績があがるであろうか。
漢方医学も、ただ人参が効くというだけで、その正密な観察・研究
が行われず、万病に効き、危篤の病人が助かるという雲をつかむよう
な効能である。これが漠然たる綜合医学の弊害である。学問も推理も
常に、綜合と分析・演繹と帰納とが、連鎖をなして行かなければなら
ぬ。ちょっとその間に抜け目・寸隙があっても、結論が飛躍して、迷
信または誤診に陥るのである。例えば喘息発作の時、麻杏湯を飲む。
発作が止まる。これが綜合的観察である。次に麻杏湯を飲まないで、
発作の去るを待つ。これが前の反証的観察である。次に発作の起こる
徴のある前、発作の初期・頂点・終期等に用い、その治るまでの種々
の時間等を観察するのが、分析的で、この綜合と分析・実証と反証と
は、常に交互に、連鎖をしていなければならないのである。決して綜
合医学と分析医学との揚げ足取りの争いのあるべきはずはないのであ
る。
今、麻杏湯をこの様に観察する事は、学問的心掛けを離れない常識
的の研究である。次にこの麻杏湯の成分を分析し、その有効成分の薬 4
効を研究するのが、常識的心掛けのある学問である。その薬効を明ら
かにした時、初めて思いがけない広い応用範囲が現れるのである。
かのコカインが発見されて、意想外の方面に応用されるようになった
と同様である。これが人生を離れない学問である。前の人参の分析の
如きが、人生を離れ、常識はずれの衒学であるのである。学問に限り
がないというのは、1つの薬物でも、分析と綜合と微に至り細を穿ち
て、どこまでも、研究すべき問題が出てくるという事で、初めの出発
点を誤った分析医学の事ではないのである。
またこの神経質の対する西洋分析医学の弊を挙げてみれば、患者が
頭が重い・物忘れする・仕事ができぬと訴える。前に述べたように、
医者はその症状そのものを詳しく調べるの労を採らないで、直ちにこ
れを病気と認め、その病根を探求しようとする。脈波・血圧を採る、
検尿・X光線・種々のおごそかなる器機を用いる。あるいは血液を調
べて、ワ氏反応陽性となる。得たり賢し、病根を発見したと思い、種
種の駆梅注射をやる。少しも効がない。それは全く暗に鉄砲・見当な
しの診察であるからである。黄金を縁の下から掘ろうとする連中であ
る。私はこの様な患者のためにも、医者のためにも、悲哀を感じるの
である。それは、くれぐれもいう通り、患者その人・症状そのものを
見つめる事をせず、漠然と見かけの荘厳なる医者というものに眩惑さ
れて、いたずらに分析医学の衒学を振り回すだけの事である。例えば
気合術その他のもので、いろいろ子供だましの如き奇術を用いるが如
きである。その療法に威厳を装わんとするがためである。その症状の
本態をつきとめてないから、いわゆる「迷の内の是非は、是非共に非
なり」であって、たとえ血液検査は当たっていても、その頭痛と梅毒
とは、少しも関係はない。ただときどきに、学問信者の精神転導で、
一時頭重の治る事があり、さてはやはり梅毒であったかと、ますます
梅毒恐怖を高めて、病の症状をかえって複雑にする事が多く、しかも
その頭重は、また再発するのである。「是非共に非なり」とはよく達
観した語である。
なお内科ばかりで、以上の事を調べる上に、耳鼻科とか眼性ある
いは性的神経衰弱とか、種々の専門分科で、ますます中心を失った分
析的療法が行われるのである。
例えば今、本箱中のいろは字引がない。探して回る。押し入れ・戸
棚にもない。畳をあげる、瓦をめくる。探しあぐんで、よくよく本箱
の中を見れば、そのいろは字典は、背皮の金文字を後ろ向きに突込ん
であるのを発見したようなものである。この本箱の内を静かに調べる
のを綜合医学といい、瓦までめくるのを分析医学とでもいうのであろ
うか。 5
治療をしないほど早く治る
神経質の人で、いろいろの治療法をして治ったという人がある。し
かしそれは、その治療のために、かえって早く治るべきものが、長く
かかったという結果にある事が多い。著明なるは心悸亢進発作の例で
ある。医者が来て注射をして、初めから2時間かかった。医者がこな
いで、氷嚢をつけて1時間で治った。次には人に背中をなでてもらっ
て30分、1人で寝ていて20分、忙しく寝る事ができず、10分間、
そのまま捨てて置いたら、発作が起こらなくなったという風に、その
治療効果の逆作用が、極めて著明に実験される事があるのである。
流感の時の解熱剤でも、熱の出る初め、しだいに昇りつつある時
は、解熱剤を飲めば、心悸亢進など起こして、かえって苦しく、熱
は少しも降らない。これに反して、熱の降り初めに飲めば、熱も早く
降り、気分も爽快であるという風であるから、医者のかけひきも決し
て簡単には行かない。
天理教などでも、種々の病気が治ったといって迷信が起こるけれど
も、これらはただ治るべきものが治ったというにとどまるのである。
「あるべきにある」ことが、薬とか宗教とか、種々の療法で治ったと
いうのが、その無用な口実になって、病の治った唯一の条件のように
考えるのが、迷信の起こりである。「あるべきにある」ことの例は、
コロンブスが米国発見のとき、土人を驚かしてやる計画で、翌日の月
蝕のある事を利用して、土人がいう事を聞かなければ、天罰を加える
ために、月を隠してしまうといって、土人はその事実を目のあたり見
て、非常に驚き信服したという事である。
くり返して申す事は、 「あるべきにある事」をよく正しく観察し
て、決して気休めのために、無用なる他の口実条件を加えないように
注意する事である。これによって、初めて私の「事実唯心」という事
が体験されるのであります。(8時半・山野井副会長・閉会の辞)
(『神経質』第3巻、第7号・昭和7年7月) 6
第20回 形外会 3-3 全集第五巻 215頁