86回 女性の為の札幌・巻を読む会 2022. 12.15 

森田正馬全集 第5 368頁 形外会・第34回例会   昭和8610日から

         その番号によって分類し、読み合わせると奇想天外(きそうてんがい)

()できて、なかなか面白い「今日は形外会で、先生が落第(らくだい)した」と

かいうものも出て来た。最後に「今晩(こんばん)はこれで、閉会にいたします」

と出たのは、井上幹事の妙案(みょうあん)であった。

 散会(さんかい)後も各自、自由散歩に出掛けるものもあった。(水谷啓二(けいじ)・記)

  初島(はつしま)見物(けんぶつ)

 ()くれば6月11日。今日も快晴(かいせい)、朝日に輝く紺青(こんじょう)の水平の彼方(かなた)

(さけ)べば答えるほどの間近(まぢか)に初島がみえている。初島にいくか、(じゅっ)(こく)

(とうげ)に行くかと、(みな)希望(きぼう)()えば、初島行きが断然(だんぜん)圧倒的(あっとうてき)である。

 先生や井上君と、今日の行動の計画について、相談を終わり、海岸(かいがん)

に出て見ると、今朝(けさ)約束(やくそく)してあった2(せき)のモーターボートは、前後し

て早く出掛けてしまったところである。相談のために時間の長かった

事と、幹事(かんじ)の連絡がよく取れなくて思い思いになったがためである。

しかたなしに、先生・奥様を(はじ)め、我々5、6人は、(あら)たに別の船を

仕立(した)てて乗らなければならなかったのである。

 初島に着いたのは、10時過ぎであった。先着(せんちゃく)一行(いっこう)はもう島を(いち)

(じゅん)して見物を終わり、船に乗って帰ろうとしているところであった。

船から()(おろ)ろして、一同、島の鎮守(ちんじゅ)の神社に集合し、ここで先生の

お話が合あった。

今日の団体行動の不統一(ふとういつ)につき、訓戒(くんかい)があり、また初島の視察(しさつ)につ

き、今日、島の人について、話を聞くための予備(よび)知識(ちしき)として、この島

の一般のこと、共産主義という事などについてお話があった。

 それから昨年この島の話を聞いた高橋氏の家を(たず)ねた。あいにく(とう)

御主人(ごしゅじん)は、(りょう)に出て、不在(ふざい)のために、島の小学校の先生に(たの)んで、

いろいろの話をしてもらうことになった。この漁の事は、その日と時

間とを(さだ)めて、島民は()1人あて義務として、出向かなければなら

ないのである。

 小学校生徒は、47名、成績はあまりよくないらしく、出来(でき)の悪

い生徒も大分(だいぶん)いるようである。低能児(ていのうじ)知識(ちしき)程度(ていど)やその人数など、(みょう)

(りょう)これを発表する事はできないそうである。島内の事をあまりあら

わに、発表すれば、島の信用を失って、ここに長居(ながい)はできないとの事

である。ロシアの共産主義が、非常の秘密主義であるが、思い合わせ

て不思議な事である。                               1

生徒の内には、トラホームも相当(そうとう)多いそうであるが、医療(いりょう)はあまり           

およばないで、しかもあまり重症の者はないとの事である。これらの

関係も、今日(こんにち)医術(いじゅつ)が進んだのと、この島の自然良能(りょうのう)との対照(たいしょう)研究

に、興味(きょうみ)のある事と思うのである。

 この島には、住民の数が一定しているから、相続人(そうぞくにん)のほかは、島外

へ移住しなければならぬ。それで子供は、小さい時から、島にとどま

る者と、内地(ないち)へ出て働く者との区別を知っていて、小学2、3年の頃

から、ともにそんな事を語り合っている。島民の教育は、小学程度以

下で、単に生活が安全であるというだけで、進取(しんしゅ)気象(きしょう)というものは

ないようである。真面目(まじめ)でおとなしく、よく働くけれども機械的であ

って工夫(くふう)がない。昔から、ただ(かた)(ごと)く働くだけで進歩はない。古来(こらい)

この島の出身者で、誰か有名になった人があるかと問うてみるに、ど

うも、多少それらしい人もないようである。もし共産主義が、(たん)なる

安楽(あんらく)であって、文化がないとすれば、それも大きな考えものである。

 この島では、7人の青年団が組織(そしき)されていて、火事の警戒(けいかい)(など)(にん)

当たっている。また青年間に起こる恋愛問題なども、彼等の(さば)きで(しょ)

()されて、(むずか)しい問題などは、起こった事がないとの事である。

 飲酒(いんしゅ)問題については、酒の需要(じゅよう)は、相当(そうとう)に多くて、熱海から輸入(ゆにゅう)

れているが、酒のために風俗(ふうぞく)(みだ)れたり、喧嘩(けんか)が起こったりするよう

な事はない。なお花柳病(かりゅうびょう)とかなんとか、あまり立ち入った事は、聞く

事ができない。つまり他人の家庭の事を、直接に聞きだす事のでき

ないような関係である。

 昨年の話では、血族(けつぞく)結婚はあまりないとの事であったが、これも今

年の話では、相当(そうとう)にあるようである。

 70歳以上の長寿者(ちょうじゅしゃ)、300人ばかり島民中(とうみんちゅう)、現在16人あるとの

事である。

 島には、菓子屋(かしや)が1(けん)あって、1年交代で経営されている。その(じゅん)

(えき)は、毎年一定数の青年を選んで、伊勢(いせ)参宮(さんぐう)とか、善光寺(ぜんこうじ)(まい)りなどに

出掛(でか)けて、島の安全を祈り、お(ふだ)をもらって帰って来る。それで彼等

内地(ないち)の文化に接触(せっしょく)したり、、あるいは島から内地(ないち)へ移住した人から、

内地の話を聞くにしても、彼等は決して、文化にあこがれたり、島を

出る事を希望するものはなくて、ここを唯一(ゆいいつ)の天国として安心してい

るとの事である。しかし、もし彼等(かれら)(ちゅう)(とう)程度(ていど)以上の教育を受けるよ

うな事があったら、あるいはこのままでは、すまないかもしれない。

 なお森田先生のお話に、この島の村落(そんらく)は、島の西北(せいほく)、海に(めん)したと

ころにあって、暴風(ぼうふう)(とう)損害(そんがい)もあり、最もよくない位置にある。しか          2

るにここは、島の内で、唯一(ゆいいつ)飲料水(いんりょうすい)あるところである。バクテリ          

アのコロニー(集落(しゅうらく))でも、水分のないところにはできないが、人間

のコロニーでも、やはりその通りである。しかし文化の進んだ今日で

は、鉄管(てっかん)を引いて、南側の気候(きこう)のよいところへ、別荘を建てるなり、

移住するなりの欲望を起こされぬ事もない。それにもかかわらず、彼

等が内地(ないち)の文化にあこがれたり、南側への移住を考えたりしないの

が、墳墓(ふんぼ)()を愛するという人間本来の性情(せいじょう)かも知れない。日本では

祖国(そこく)といい、ドイツでは「(フアー)(テル)(ランド)英国(えいこく)では「(マザー)(ランド)」というが、

自分の生国(しょうごく)を愛するという事は、(よう)東西(とうざい)()わず同様(どうよう)のようである。

日本人であって米国(べいこく)風俗(ふうぞく)かぶれたり、ロシアの国家にあこがれた

りするような人間などは、偶然(ぐうぜん)変異(へんい)変態(へんたい)種族(しゅぞく)かも知れない。

 12時過ぎ、初島を引きあぐ。2(せき)モーターボートが、へさきを

並べて、赤根(あかね)釣堀(つりぼり)に着いたのが、1時過ぎであった。番頭(ばんとう)(しん)さん

が、弁当を持って来て、待っていてくれた。一同(いちどう)空腹(くうふく)であったので、

(した)つづみを打って食う。2、3の人は、魚釣(さかなつ)りをしたけれども、ゆっく

り遊ぶ(ひま)もなく、待たせた船に帰って熱海に向かう。錦ヶ(にしきがうら)のあたり

絶壁(ぜっぺき)あり、洞穴(どうけつ)あり、船の通過(つうか)きる洞門(どうもん)があり、奇岩(きがん)(くだ)くる波の

(さま)など、絶景(ぜっけい)()もいわれず。                    

森田旅館に着いたのは、4時頃であった。(いち)同勢(どうせい)ぞろいして、随意(ずいい)

散会(さんかい)する事にした。のち、(じゅっ)(こく)(とうげ)に行く人、湯の町を散歩する人あ

り、急ぎの人は、停車場(ていしゃじょう)へと思いおもいに別れた。 (坪井(つぼい)(のぶ)(よし)・記)

  (じゅっ)(こく)(とうげ)()

 宿(やど)に帰ったのは4時過ぎで、これから6時15分熱海発(あたみはつ)の汽車に

()に合う様に、十国峠まで行ってこようというのである。一行(いっこう)6人

熱海(あたみ)銀座(ぎんざ)を通り過ぎて、自動車は相当(そうとう)傾斜(けいしゃ)を、タンクの様に登り始  

めた。山肌(やまはだ)を回って行く。1曲り2曲りに、鳥瞰(ちょうかん)が開けて、島山(しまやま)が、

(みさき)が、村落(そんらく)(あらわ)れる。一里(いちり)茶屋(ぢゃや)を過ぎてから、一里もあったであろ

うか、自動車は両側に(がけ)を開いたМ字の真ん中の様な所に着いた。そ

こから先は、箱根行の自動車道となって、(とうげ)の下に続いている。ここ

で自動車を待たせて、()金山(がねさん)(ちょう)(じゅっ)(こく)(とうげ)まで、八町(やまち)の山道を登る。(じゅ)

(もく)は一本もない。なんという植物であろう、(しば)(ささ)の様なものが、(やま)

一面(いちめん)丸々(まるまる)(おお)っている。「鎌倉(かまくら)()大臣(だいじん) 箱根(はこね)()をわが()えくれば

伊豆(いず)の海や(おき)の小島に(なみ)()る見ゆ。宮中御歌所寄人(きゅうちゅうおうたどころよりうど)(いりえ)(ため)(もり)筆」

とある。さては、沖の小島とは初島(はつしま)であったのかと(きょう)じながら、

そこから、もう1つ上り下りすれば(とうげ)(いただき)である。下山(しもやま)商人(しょうにん)に出

会って買い求めたサイダーを飲みながら、しばらく感歎(かんたん)()連発(れんぱつ)あった。        3