25回 形外会   昭和7918日  25回 形外会   全集第五巻 246

        午後3時半開会。

    来会者39名。野村・香川両先生、日高・山野井両副会長の

    出席あり。例の(ごと)く、開会の()の後に、自己紹介あり。

  治らぬ人は自分の(から)に閉じこもる

 高浦医(たかうらい)学士(がくし) 神経質の研究生で、今年5月には、修養体験のため、

入院した事もあります。特別の症状はありません。

 (はし)・慈恵医大生 昭和2年入院・隙間風(すきまかぜ)恐怖。

 馬場(ばば)夫人 大正10年外来診察1ヵ月余りで治りました。その後病          

気以外に、夫が亡くなるとか、種々(しゅじゅ)の人生の大問題を、(らく)解決(かいけつ)する

事ができるようになった事を(おお)いに感謝しているものであります。

 森田先生 (はし)君は、雑誌の形外会記事の中に、12回出ている。

馬場(ばば)さんは『神経質及び神経衰弱症の療法』の著書(ちょしょ)の終わりの方に、重

症神経衰弱症の例として出ている方である。山野井・日高両君は、雑

誌に、たびたび書かれてある事で、皆様の御承知(ごしょうち)の通りです。そのほ

か今夜の出席者の内には、雑誌や本の内に出ている人が多い。

 ここで一言(いちごん)したいのは、治った人と、治らぬ人との区別。治らぬ人

は、自分の(から)()じこもり、城壁(じょうへき)(きず)いて、なかなか自分の事を発表

する事ができない。自分のような特殊(とくしゅ)なものは、世の中にないと、こ

とさらに差別(さべつ)(かん)を立てて、頑張(がんば)っている。人に話す事が、()ずかしい、

(おそ)ろしい。治った人は、夏は暑く、冬は寒い。()ずかしい事は恥ずか

しく、苦しい事は苦しい。世の中は、誰でも同様である。という事実

を認める事ができて、平等観に立つ事ができる。「事実(じじつ)唯心(ゆいしん)」といっ

て、世の中の心の事実を、明らかに認識する事ができるようになる。

治らぬ人は、世の中の事実に対して、近頃(ちかごろ)のいわゆる認識不足である

のである。それで治った人は、自分がしゃべるために、世の人の害に

なる事は、いわないけれども、少しでも、人の為になり、ここでいえ

ば、同病(どうびょう)相憐(あいあわれ)んで、人を治すために、少しでも(こう)のある事ならば、(ぞく)

(じん)から見て、自分の恥になるような事でも、喜んでこれを告白(こくはく)する事

ができるようになる。私が想像するに、馬場さんや端君やは、これが

できる人であろうと思う。皆さんは、自分で(かえり)みて、この発表ができ

るか、出来ないかという事が、治ったと、治らないとの区別のメータ

ーになるから、自己紹介のついでに、これもつけ加えるとよいかと思

います。

  治った人は昔の苦痛も痛快(つうかい)に思い出す

 また治った人と、治らぬ人との区別は、昔の病気の時の苦痛を、ど

うしてあんな馬鹿げた、つまらぬ事に苦しんだものであろうかと、夢

のように思い出すのは、治った人であって、まだ治らぬ人は、今にも           1

その時の事を思い出して、地獄(じごく)の苦しみのように思い、はなはだしき

は、思い出すのも、()()がよだつという風では、たとえその人が、

現在その苦痛を(まぬが)れているにしても、必ず他の変化した形で、再発す

る事の多いものであります。皆さんも、自ら前の苦痛の時の事を思い

出してみれば、そのどちらかという事がわかるはずであります。

私は明治39年ころに、富士登山に同伴した事がある。3日間くらい

は、歩けないほど足が痛んだ。しかしその時の事を痛快(つうかい)に思い出す。

昭和2年には、79歳の母の富士登山に同伴(どうはん)したいために、大勢の

家族とともに、私は喘息(ぜんそく)があるにもかかわらず、強いて6合目まで

いて行き、ついにここで、私1落伍者(らくごしゃ)になり、呼吸困難のために(ずい)

(ぶん)苦しんだ事がある。これでも私はまだ()りない。場合によっては、

駕籠(かご)ででも登山しようと思う事ができる。また私は、昭和4年に肺炎、

昨年63月に、重症の喘息(ぜんそく)で、2度ともに、主治医も、治るものと

は思わなかったほどの重症であった。昨年の時は、急に発病とともに、

ドテラを着て寝たまま、2昼夜(ちゅうや)の間、寝返(ねがえ)りも()(うご)きもできないほど

の苦しみであった。それにもかかわらず、いま思い出しても、さほど

恐ろしいとか、地獄(じごく)の苦しみとか、いう風に考えないのである。

 我々の精神活動にも、表裏(ひょうり)両面の2通りの見方がある。すなわち欲

望と恐怖・成功と苦痛との両面である。この両方が調和し平均する時

に、恐怖も苦痛も、自覚から消失する。登山や病気の後に、これを生

の欲望の立場から観察(かんさつ)して、自分は、あれほどまでの困難(こんなん)にも、危険

にも、打ち勝ち()こたえた。将来まだ、あれ以上の事ができるかも

知れぬと考えるときそれは大なる喜び・希望であって、決して苦痛・

恐怖ではない。これに反して、一方には、ただ欲望と向上との方面を

忘れて、いたずらに恐怖・苦痛の(から)とじこもって、これをかこち

(うら)み・悲しむ時に、これは(まこと)地獄(じごく)さいなみでなくてはならない。

すなわち結局は、事物(じぶつ)全般(ぜんぱん)を、認識不足のないように「事実(じじつ)唯心(ゆいしん)

で、正しく認識する事を、稽古(けいこ)しなければならない。学校教育の幾何(きか)

(がく)(りん)理学(りがく)やも、いたずらに机上(きじょう)空論(くうろん)でなく、これを実行の上に、

修養するように、教育家が、少しく注意を(かたむ)けるならば、種々(しゅじゅ)の認識

不足を、防ぐ事もできるはずである。学校で、物理の挺子(ていこ)作用の問題

で、百点とった生徒が、(まき)()っても、石をこねても、毛頭(もうとう)その応用

ができないで、学校教育の多いほど、反比例で、知識と実行とが遠ざ

かって行く、いわゆる知行(ちこう)合一(ごういつ)とは、全く反対になるのである。

  人が(つば)()くと、うがいをせずにはいられない

 桑木(くわき)夫人(ふじん) 心悸(しんき)亢進(こうしん)で、外来で通ったものです。今のお話のよう

に、まだ一向(いっこう)わからないものです。この頃は全く治ったとはいえませ

んが、苦しくても、なんでもやって行かれるようになりました。                        2

 犬塚(いぬづか)氏 いろいろの強迫観念で、悩んでいましたが、去年から、雑

誌を見ているうちに、自分の悩みが、馬鹿(ばか)らしいようになりました。

苦しみに()えながら、やって行かれるようになりましたが、まだ未熟(みじゅく)

ですから、よろしく。

 酒井氏 現在、佐藤先生のところへ入院しています。私も、もとは          

普通の人の恐ろしがる事を、恐ろしがった(わけ)になります。不潔(ふけつ)恐怖・

縁起(えんぎ)恐怖であって、道で人の(つば)をはくのを見ると、あの人は(けっかく)では

なかろうかと気になる。なんだか自分に(ちらば)りかかって、口の中に入っ

たような気がして、自分も(つば)4回も5回もはく。次には人が(つば)をは

けばうがいをする事にした。またそのうがいする回数が気になりだし

た。1回では、(もの)()らず、23回は、中途半(ちゅうとはん)ぱでいけない。4回は

で、縁起(えんぎ)が悪い。5は男の厄年(やくどし)に当たり、6ろくでもない。7

この若さで、(しち)()くなどは御免(ごめん)だ。88ぷん下がりで、9は苦労

する。まあ13とが、1番よいという事に決めた。それで13

で止まればよいけれども、ちょっとそれをやり(そこ)ねると、一晩中やり

続けるというような事もあった。夜の9時頃からうがいを始めて、1

2時までやっても、やめる気になれない。身体の方も疲れて、ヘト

ヘトになる。それでもやめられずに、休みやすみやった。しかもその

水も、自分で持って来るのではない。母がその水を持って、座敷(ざしき)へ上

がったり下がったりするために、病気になってしまった。このうがい

事が一番苦しかったが、治る時には、一番早く治った。また御飯(ごはん)を食

べる時でも、それがなんだか、(どく)ででもあるかのように思われ、そば

から、それは御飯である、決して心配ないという事を、何度となく

くり返し証明してもらって、ようやく食事するという風であり、毎日

看護人2人と、母と妹とで、世話をしてもらわなければ、ならなかっ

た。

 治ってよくなった今日でも、やっぱり(つば)をはかれると、(きたな)い。下肥(しもごえ)

を運ぶ人が通ると、()きたいほど(きたな)くなるけれども、この頃は、人に

(たよ)らなくとも、進むべき道は進み、なすべき事はなすようになった。

たった20日くらいで、これほどによくなったかと思うと、感謝せず

には、おられません。

  倫理的(りんりてき)に完全な人になりたい

 堀部(ほりべ) 前に頼病(らいびょう)恐怖(きょうふ)で、宗教によって治そうとし、(ぜん)をやって、

そのままに苦しむよりほかに、しかたがないと思い、我慢(がまん)してやって

いるうちに、頼病(らいびょう)恐怖はなくなりましたが、次にまた狂犬病(きょうけんびょう)恐怖にか

かり、ここへ入院しました。今では、すっかり治り、苦しかった時の

事は、はっきり思い出す事ができません。

 地主(じぬし) 現在入院中、不正恐怖を中心として、それに関連(かんれん)して、責                    3

任恐怖・不決定恐怖などがあります。反省(はんせい)を、どこの(へん)で打ち切って

よいかわかりません。倫理的(りんりてき)に完全な人になりたいと思います。「(なんじ)

()の父の(まった)きが(ごと)く、(なんじ)()(まっ)たかれ」の言葉に悩まされます。大き

な人でなくとも、純粋(じゅんすい)な人になりたいと焦慮(しょうりょ)します。この欲望と、自

分が何か、不正を行なったのではないか、という事とに苦しめられま          

す。

 中沢氏 現在入院中。学校時代はしゃべる方であったが、デパート

(つと)めていて、あるとき主任の悪口をいった事があって、それが気に

なりだし、主任が来ると、仕事が手につかなくなり、(のち)にはお客の来

るのも、(こわ)くなり、なんともしかたがないようになり、勤務する事が

できないようになりました。

 大場(おおば) 大正13年に、赤面恐怖で入院したものです。赤面恐怖に

悩んだ当時は、学校の先輩に、道で会うのに赤面し、後には、何時(いつ)

ろ、あの人がいるなど、細かく観察するようになり、ついには、それ

がすべての人に対して起こるようになり、あの人は何時ごろ、どこ

を通るかという事を、精密(せいみつ)に注意するようになった。本屋で先生の(ちょ)

(しょ)を見て、赤面恐怖という事を知り、親のいう事も聞かずに、東京に

来て、入院して、45日間で全治しました。今では普通の人よりも、

盛んに仕事をやって、どんどん片付けています。

 早川氏 1昨年の1月、普通神経質で入院したが、完全に治らず、

退院しました。今では昔の事を考えると、夢のように思われます。こ

の頃は、苦しいという言葉が、嫌いになりました。苦しいという事

は、誰でも同様で、苦しむべきに苦しいので、当然の事です。1年く

らい前には、倉田さんの書いたものを、夢中になって読んで、涙を流

したものであったが、近頃(ちかごろ)は、それがあまりくどくて、じれったいよ

うな気がするようになりました。

  父に反抗(はんこう)するようになり

 尾崎氏 現在入院中ですが、成績が悪くて、まだ完全に治りませ

ん。(おも)なる症状の足の(ふる)えるのは、(ほとん)どなくなりました。前には、

立っていると、足が震えるので、人前では、とくに(はげ)しく、人から

小心者と思われるのが、恥ずかしくて、気を大きくしようとして、力

を入れると、ますます震えるという風で、大勢の前に出るつらさは、

なんともたとえられないほどで、穴があれば入りたいように思いまし

た。

 大木氏 心悸(しんき)亢進(こうしん)を恐れるために、長い間、寝返りもできないほど

の有様でありましたが、先生の著書で、これだと思い、現在入院中で

すが、この頃はほとんどよくなりました。その他、いろいろの事が気

になって困りましたが、今では全くなくなりました。                                    4   

 石橋氏 小さい時から、例えば電柱(でんちゅう)の間を、1から10まで勘定(かんじょう)

て、それが通過中(つうかちゅう)に教えられない時は、気持が悪い。また学校に行く

に、(かばん)がチャンと、横にかかっているという気がしないと、気がすま

ないというような事もありました。不潔恐怖・正確(せいかく)恐怖等で、森田先

生の診察を受け、古閑(こが)先生のところへ入院しました。今考えると、無          

自覚で過ごした事を後悔(こうかい)しています。

 森田(もりた)(のぶ)(まる) 神経衰弱(すいじゃく)を非常に恐れ、不眠症になって、7月に先生

の診察を受け、その後『根治(こんち)法』を2回読み「あるがままの自分を見

つめよ」というお言葉は、今でも身に()みて感じています。眠れない

という苦しみから、全く(のが)れた時は、嬉しく夢中でありました。生

まれつきの神経質かと思いますが、1つの事を(むずか)しく考えすぎて、身

体を動かすよりも、考える時間の方が多いようであります。母が神経

質で、その感化(かんか)かと思われます。父はこれに反して、神経質でなく、

小さい時に泣くと、母にあまやかされましたが、父はうるさいといっ

て、(しか)りつけます。それで年とともに、父に反抗(はんこう)するようになり、あ

る時は、家を()てたいような気もしましたが、ともかくも父の仕事を

するようになりました。

  田舎(いなか)村長(そんちょう)のような人、これが先生

 鈴木氏 昭和3年の入院。胃病(いびょう)やそのほか、いろいろの症状があり

ましたが、不眠が最も苦痛でした。ずっと前に、形外会記事中に、私

の事が出ていますが、コトンという音でも気になり、土蔵(どぞう)の中に退却(たいきゃく)

し、不眠が(しゃく)にさわって、(かたな)(はしら)をきったのもこの私です。不眠のた

め、()(ばち)になり、夜中に家人(かじん)に知られぬよう、そっと出歩くと、後

から犬を先頭(せんとう)に、父母が私を(さが)しに来た事などがあったのも、この私

であります。中学3年から、3年間続きました。

 退院して後に、初めて自分が、前と非常に、(ちが)っている事に気がつ

きました。非常に勉強の能率(のうりつ)があがるようになった。この頃、ここの

新築を見て、昔の家の位置が、ハッキリ思い出せないように、私も昔

の苦しみも、なんだか、ハッキリわからないようになりました。

 初め診察を受けたとき、今日おいでの野村先生に、予診をしてもら

いましたが、次に田舎の村長のような人かと思ったのは、それが先生

でありました。私もお(かげ)で、今年、浦和(うらわ)を出て、東大の医科に入学す

る事ができました。

 日高副会長 大正14年に、対人恐怖で入院しました。すっかりよ

くなって、社会問題などについても、先生のお教えから考えると、よ

うなずけるところがあります。私の生活は、すべて、神経質という

事から出発しています。

 以前は、人に会わないように、回り道などした事があった。今から                     5

考えると、あのような事に悩んでいなかったら、もっと(えら)くなってい

るだろうと思う。

 今でも、人と言いあってやりこめられると口惜(くや)しい。あきらめられ

ない。家に帰って(ねむ)られない事もあります。人と交渉(こうしょう)する事が、いた

って不得手(ふえて)で、役所なども、休んでしまいたいような気のする事もあ          

ります。それでも、出かけて行くと、そんな日は、かえって能率(のうりつ)があ

がります。先生の真の有難さが、真剣(しんけん)にわかります。人との交渉(こうしょう)など

で、誠意(せいい)というものの有難さが、つくづくと感じられます。

  親たちも狂喜(きょうき)した

 香川先生 ここで先生のところで、助手を(つと)めています。先日、原

さんが来て、「あなたも、随分(ずいぶん)長く入院してますね」といわれるから

「ハァ、どうも治らなくて困ります」といいました(笑)。

 水谷氏 読書恐怖・若朽(じゃっきゅう)恐怖・肺病恐怖などで、入院したもので

す。高校1年の頃から、ひどくなり、本の一ヵ所を開けて、同じとこ

ろばかり反復(はんぷく)して、進む事ができず、泣いたり、転げ回ったりした事

があります。それから不眠になり、身体や皮膚が、非常に(おとろ)え、生気(せいき)

がなくなったように思われ、風呂へ行けば、人の皮膚の色つやなど

を、しみじみと見ては、劣等感(れっとうかん)がはなはだしく、自分の精神も肉体

も、しだいに(おとろ)()てて、45年の後には、自滅(じめつ)してしまうような

恐怖にとらわれました。3年級の初め頃には、もはや1歩も進めな

くなり、廃人(はいじん)のようになって、休学して帰りました。その後、一生

懸命に、治療に腐心(ふしん)し、西式(にししき)強健術(きょうけんじゅつ)に熱中して、あまり身体を左右に

()るので、家人が恥ずかしがった事があります。近頃(ちかごろ)流行(りゅうこう)のラジウム

温灸(おんきゅう)もやった。熱いほど効能があるかと思って、(へそ)火傷(やけど)して、困

った事もある。その他いろいろやったが、ついに上京して、長浜博士

のホルモン注射というものを、2ヵ月もやった。だめで絶望している

時に、先生の著書を見つけ、これだと思い、翌年は復校して、かろう

じて3年を終了する事ができた。しかし読書・若朽(じゃっきゅう)恐怖もはなはだし

くて、大学受験なども、思いもよらず、今度入院して修養し、来年受

験しようと思って、先生を頼って上京しました。先生の診察を受ける

と、それはいけない。ぜひ今年、試験を受けなければならないとの事

で、ようやく意を決して、2週間ばかりの間に、間に合わせの勉強し

て受験した。ところが意外にも試験はよくできました。親たちも、私

が受験するとは知らなかったから、合格を通知した時は、狂喜したと

の事でありました。

 また以前は、肺病恐怖で、少し歩いても、熱感を起こし、常に体温

計をはさみ、歩く時も、速度を加減して、ソロソロと歩きました。し

かるに、(こんど)退院して後には、日本アルプスや、富士山などにも登っ                     6

てまいりました。

 野村先生 昭和2年、倉田さんが、診察を受けにこられていたこ

ろ、ここへ見学に来たものです。今は松沢病院と、根岸病院とに勤務

し、また「神経質」の編集もやっております。皆様もどうぞ、この雑

誌を自分のものとして、(ふる)って原稿を出して下さい。                 

  強迫観念をやらなかったら、もっと(えら)くなったろう

 森田先生 さきほど日高君が、「赤面恐怖をやらなかったら、もっ

と偉くなっているだろう」といわれたが、我々も以前には、そのよう

な考え方をした事が、しばしばあった。

 また前にも井上君が、こんな事をいった事がある。「自分などは、神

経質であった事を感謝する。神経質の苦しみを体験するという事は、

非常に必要な事で、これによって初めて、(さと)りに達する事ができる。

そうでなくては、悟る事はできない。しかし、それもあまり長年やっ

ては、勉強が遅れるからいけない。1年くらいででは、少し足りない。

23年くらいのところが、丁度よいかも知れない」とかいうような

事をいった。本当にその通りである。それで今は、神経質は、私の療

法により、これを予定通りに、治す事ができるから、よいけれども、

従来(じゅうらい)の医学では、これを治す事ができない。ただ大震災(だいしんさい)とかなんと

か、偶然(ぐうぜん)の機会よりほかに、治らないから、これを望み通りにやる事

はできない。我々も今まで、強迫観念で、20年も30年も治らない

で、死んで行く人を、ボツボツ知っています。

 今日、患者が、(のこぎり)で木を切っているところを見たが、ここの患者

は、(のこ)の種類を選ばないうえに、いくら(のこ)がきれなくとも、平気でひ

いている。(のこ)の切れ(あじ)などは(まった)無頓着(むとんちゃく)である。職人は、道具を大事

にして、(つね)にこれを()いでいる。素人(しろうと)は、その()ぐ時間で、少しで

も、木をひいた方が、その時間に、余計(よけい)に能率があがると思っている。

それは大きな思い違いである。先日も材木屋(ざいもくや)で、()()きを見たが、(のこぎり)

目立てを、1日に3回ばかりもやり、1回に40分くらいもかかると

いう事である。素人(しろうと)が考えて、むだな時間が、実は(もっと)も大切な時間で

あるのである。日高君のいう強迫観念の苦悩の年月も、実は心身の試

練・目立て・研ぎ方の最も大切な事柄(ことがら)であるのである。

 現在の私の、神経質療法の始まりは、大正8年の春、病院の看護長

が、神経衰弱とか、肺尖(はいせん)カタルとかいって、何も仕事ができないで、

常に病気を気にしてばかりいた。私はその看護長に、私の2階が空い

ているから、保養(ほよう)のつもりで、来ていたらよかろうといって、1ヵ月

ばかり来て、少しばかり、手伝いなどもしていた。思いがけなく、非

常に健康を回復した。これから思いついて、私の家庭的療法が始まっ

たのである。それまでは、神経質の患者を、近辺(きんぺん)下宿屋(げしゅくや)へ泊まらせ                     7

て、治療したような事もあった。

  迷信の研究により、初めて破邪(はじゃ)顕正(けんせい)ができる

 私がこの、神経質の療法を発見するまでには、ほとんどさまざまの

迷信(めいしん)をやり尽くした。三省堂(さんせいどう)の百科大辞典の内には、人相(にんそう)骨相(こっそう)(とう)

宮術(きゅうじゅつ)姓名(せいめい)判断(はんだん)・まじない等、迷信に関したもので、私の書いたもの

()っている。今になって考えてみれば、私がこのような迷信(めいしん)遍歴(へんれき)

しなかったならば、今日の私はなく、神経質の発見はないのである。

 私の一生を大まかにいえば、私が10歳くらいのとき、寺で地獄(じごく)(じく)

(もの)を見て、非常に恐怖に(おそ)われ、生死(せいし)の問題について、頭を悩ました

という事が、私の今日のある出発点になっている。中学時代にも、()

をやって、友人から、森田の卜筮(ぼくぜい)は、よく当たると評判(ひょうばん)された事もあ

る。骨相学(こっそうがく)は、高校12年級頃やって、私もなかなかよく当たる

ものかと、迷信(めいしん)していた時代がある。大学時代にも、卒業後も、通俗(つうぞく)

療法・迷信的(めいしんてき)療法を研究した。私の迷信研究は、20(あま)りにもわた

っている。井上君のいうように、23年に(ちぢ)めたら、よかろうけれ

ども、そう甘い(うまい)具合(ぐあい)にも行くまい。破邪(はじゃ)顕正(けんせい)といって、正道(せいどう)真理(しんり)

発見するには、必ず迷信(めいしん)邪道(じゃどう)(あか)らめ、見破(みやぶ)ってでなくてはできな

い。白い色を認識(にんしき)するには、必ずその他のすべての色を否定(ひてい)しての、

(あと)でなくてはならない。否定(ひてい)の研究の必要な事は、これがなければ、

正しい肯定(こうてい)確保(かくほ)する事ができないためである。

 倉田百三(くらたももぞう)氏も、(みずか)ら強迫観念の試練(しれん)がなかったならば、()(どう)()

事はできなかったであろうといわれている。日高君が神経質を知っ

て、これを社会問題に適用するとかいうのも、みなかつて強迫観念に

苦しんだ事の(たまもの)でなくてはならない。なお私の神経質の病理と治療法

は、社会問題・教育・宗教等にも、多くの着眼点(ちゃくがんてん)(あた)えるものと、私

は信じているのである。

  神経質が治っていなかったら

 大場(おおば) 私は赤面恐怖で、大正13年の入院です。治った後と治ら

ぬ前とは、自然に行いの上に、(だい)なる変化がある、という事をお話し

てみたいと思います。

 これは3年ばかり前の経験です。私は丸の内の電気局に奉職(ほうしょく)し、中

野で下宿していました。その家は、自動車の運転手の夫婦と、小学生

の子供が2人と、奥さんの妹さんがいました。私がここへ引越(ひっこ)して

まもなく、ある日私が、役所(やくしょ)へ出かけようと、2階から()りて来る

と、奥さんがお(さん)をしている。家は子供2人だけで、どうする事もで

きない。私はしかたなしに、()れない台所に入り、湯を()かしなどし

ているうちに、産婆(さんば)も来た。私は勤先(つとむさき)の主人に、電話をかけたりなど          

して、自分の役所へは、遅刻(ちこく)して出勤した。                                           8

 その後、奥さんは、肺病の気味(ぎみ)があって、産後(さんご)肥立(ひだ)ちがよくな

い。生児(せいじ)は他人に(あず)け、奥さんは病院に行くか、なんとかしなければ

ならぬ。しかし主人は、なんとも要領(ようりょう)()ない。私は見かねて、いろ

いろ詮議(せんぎ)(すえ)救世軍(きゅうせいぐん)の病院へ入れる事になり、主人は勤先へ出るの

で、また私がその病人をつれて、入院させてやらなければならなかっ

たのである。また妹はその姉と(なか)が悪くて、いっこう世話をしないか

ら、気の毒で()てて()かれず、私があまり行くと、よそからの誤解(ごかい)

(おそ)れもあるけれども、しかたなしに、時どき行って、いろいろ世話し

てやった。そのうちに主人は、また後備(こうび)入営(にゅうえい)してしまった。(ぼく)は他

の下宿へ引越せば、なんでもないが、それでは、(あと)がどうなるかと気

の毒で、ツイツイ世話を続けなければ、ならない羽目(はめ)(おちい)ってしまっ

た。2人の子供も、すっかり私になついて可愛(かわい)くなった。病人はつ

いに、8月に、ある日の朝6時に危篤(きとく)の電報が来て、まもなく、死

んだという電報が来た。主人やその他への通知や、屍体(したい)処置(しょち)やも、

みな私がしなければならなかったのである。口でいえば、簡単である

が、4月から8月まで、ずっと世話した事は、容易(ようい)な事ではなかっ

た。近所の人は、女に対して、私が何か野心でもあるかの様に思われ

たらしいけれども、事実そうではないから、そんな事を気にしていら

れないので、最後までやり通した。このため、死んだ時の手続きなど

も、覚えて、その後は、役所の人が死んだ時など、いろいろ役に立ち

ました。

 もし私が、神経質の治っていない時であったら、自分の都合ばかり

を考えて、決してこんな事に、手出(てだ)しをしなかった事と思います。人

の世話をやくか、やかないか、その最初の時の気持に、分かれ道があ

るのではないかと思うのであります。

  私が(げき)(けん)の先生と見られた

 森田先生 面白い話でありました。初めの第一の感じ、私のいわゆる

「純なる心」すなわち人情から出発するか、または理屈(りくつ)から、出発す

るかの相違であります。純なる心から出発する時に、そこに本当の人

間味が現れてくる。宗教とか、道徳とかいう理屈は、少しもいらな

い。宗教とか道徳とかいえば、神に対し、あるいは人道(じんどう)のためとか、

何かに対するためにする所があるけれども、この純なる心から出発す

るものは、何者にも為にするところがない。これが本当の宗教なり、

道徳なりではあるまいか。

 話は変わるが、さきほど、私の事を村長といわれたが、昔、私が30

()(さい)のころ、宴会(えんかい)で、我々同士の職業を、芸者(げいしゃ)にいい当てさせた事

がある。その時に私は、あるいは(げき)(けん)の先生といわれ、あるいは保険          

勧誘員(かんゆういん)とも思われた事がある。和服で、皮の袋を持った時には、(しん)                     9

(かん)と見られた事もある。

 もう15年余りも昔の事である。私の教えた医者が、埼玉の田舎か

ら、私に往診を頼んできた事が数回あった。3回目かの時であった。

料理屋で、その医者から、御馳走(ごちそう)になった時の打明(うちあ)け話に、「折角呼(せっかくよ)

んだ先生が、あまりみすぼらしいと、患家(かんか)に対して肩身(かたみ)(せま)いから、

少し服装を、相当(そうとう)にしてもらいたいものだ」という事であった。なる

ほどもっともだと思って、私もそれから、モーニングを来て行く事に

した。それまでは、いつも背広服を着て行ったのである。最近45

年来は、私はまた詰襟服(つめえりふく)にしたが、これは思ったよりも、非常に便利

で、具合のよいものである。どうも私は、いつも服装というものは、

さほど、立派にする必要はないように思う。ここで私が診察するに

も、御承知(ごしょうち)の通り、小さな机に、サラサの机かけをかけ、服装は、()

(だん)()の和服のままである。この(さい)、皆さんの腹蔵(ふくぞう)のないお考えを聞き

たいが、私の服装は、どんな風にした方が、治療の成績があがるでし

ょうか。私は()羽織(はお)りなども、着た方がよいでしょうか。

 鈴木氏 そのままが、よいかと思います。

  結局(けっきょく)安価(あんか)につく

 森田先生 もう一つ私の態度で、皆さんに、気がついているかどう

か。私が診察するとき、いつもめったに患者の顔を見ないで、うつむ

きがちに、患者の話を聞いている。時どきただちょっと、患者の顔を

(ぬす)み見するだけである。これは患者をあまり見つめると、患者はいい

たい事も、いえないであろう、という思いやりからの事です。もっと

も患者が、あまり話がくどく、しつこくて困る時には、これをやめさ

せるために、威圧(いあつ)する工夫(くふう)もするのであります。人と話をする応対(おうたい)

というものは、(こま)かくいうと、なかなか(むずか)しいもので、あまり返事

を、早く(かさ)ねてすると、相手の話をせかせ、()いたてるようになり、

それかといって、返事が遅ければ、無愛想(ぶあいそう)になり、その拍子(ひょうし)を取る事

も、なかなか簡単にはゆきません。やはり深い思いやりの心持(こころもち)という

ものが、なくてはなりません。

 鈴木氏 私が診察を受けた時は、先生があまり冷淡(れいたん)のように思われ

ました。

 森田先生 私も相当(そうとう)我慢(がまん)をし、時間を(つい)やして、患者のくどい

えを聞いてやっているつもりで、決して呑気(のんき)ではない。診察の時間は、

完全に()(しん)をとった後の時間が、30分以内の事はめったになく、長

い時は、2時間近くも、かかる事があります。こんな事は、他の科の

医者とは、よほど(ちが)う所であります。

 稲田(いなだ)夫人(ふじん) 私は御診察(ごしんさつ)して(いただ)いた時は、非常に有難(ありがた)く思いました           

が、一緒に来てくれた家の者が、あんな簡単な診察で、随分(ずいぶん)診察料の                    10

高いものだと申しましたので、私は腹が立って反抗(はんこう)してやりたい気持

になりました。

 森田先生 ある患者は、私の診察を受けて、後に手紙をよこして、

不平をいって来た事がある。それはわずか5分ばかりの診察で、充分(じゅうぶん)

にいう事がわからなかったとの事である。思うに患者は、自分でくど

訴えをした事と、私の説明で自分の気に入らぬところとは、診察の

時間に加えてない事かと思います。それでなくては、私の時間に決し

5分や20分という時間の診察というものは、ない事であります。

 私の診察料の事も、ちょっと人にはわからない。それはどこにも、

他と比較(ひかく)する標準(ひょうじゅん)というものがない。ただ金に評価(ひょうか)するとき、私がそ

れでなくては、診察はいやだというだけのことです。それで年とる

(したが)って、しだいに高くなる訳であります。また一つ私の特徴(とくちょう)か思う

事は、往診(おうしん)でも宅診(たくしん)でも、私は不必要にたびたび、診察をくり返す事

(きら)いで、必ず1回の診察で先ざきの見通(みとお)しをつけて、病の経過と、治

療上の注意とを、一度に説明する事であります。患者でも医者でも、

無益(むえき)にたびたび診察する事は、決して(とく)にはならぬ事と思います。それ

で私の診察は、全体から考えて、無用な治療なども決してしないで、

結局は格安(かくやす)につく事かと信じてる(わけ)であります。

  あまりにも僭越(せんえつ)であり、またあまりに合理的(ごうりてき)である

 最近に、根岸(ねぎし)君から手紙が来ました。この人は、私が大正8年に、

初めて赤面恐怖を治し()た第一例で、私の深いなつかしみのある人で

ある。その以前には、私は主として催眠術(さいみんじゅつ)ばかりをやっていたが、赤

面恐怖のしつこくて、治らないのには、愛想(あいそ)をつかして、患者が来れ

ば、逃げ回っていたのである。それが私の神経質療法の応用で、初め

てこれを治し得たのである。この実例は、私の著書の『神経質及神経

衰弱症の療法』中に、その治療日記の前半が出ており『神経衰弱及強

迫観念の根治法』の内に、その後半が出ている。この人は、父が商業

で、自分を商業学校へ入れるという。自分はそれが、ひどく(きら)いで、

文学をやりたくてたまらない。ついに私がそれを指導して、商科大学

へ入学する事になった事は、その治療日記の中で、その事がわかる。

その後、学校の成績は、全甲(すべてこう)の事が多く、英語で選抜(せんばつ)されて、卒業後

(ただ)ちに、上海(しゃんはい)で西洋人相手に奉職(ほうしょく)するようになり、非常な(えい)(しょく)かち

たのである。赤面恐怖が、このような境遇(きょうぐう)になるという事は、全く意

外の事のようであるが、実際はかくなりうべきものであります。今は

青島(ちんたお)にいますが、来年は、6ヵ年に1ヵ年の休暇(きゅうか)があって帰国すると

の事であります。手紙を読んで見ます。

「先生には、ますます御熱心(ごねっしん)に、神経質者の救済(きゅうさい)()くさるる事が、          

毎月の『神経質』誌上(しじょう)により、理解を深め力づけられています。                        11

 小生も同誌(どうし)により、当青島(ちんたお)海関(かいかん)(てん)(にん)(きた)り、相変(あいかわ)らず支那(しな)(じん)・西洋

人の間に(まじ)って、どうやら大過(たいか)なく、勤務を続けております。(略)

 この年は()りし年よりも、よろしく、今日は昨日よりもさらに新し

く、暮らしています。(つね)に先生の御恩(ごおん)を忘れた事はありません。昔

房州(ぼうしゅう)へへ逃避(とうひ)せんとしたとき、偶然(ぐうぜん)先生に、根岸病院でお会いしたと

いう事は、小生(しょうせい)生涯(しょうがい)の幸運でありました。(略)それ以来、先生の

教訓(きょうくん)により、あるいは野を、あるいは山谷(さんや)を歩いて来ました。そして

到達(とうたつ)したところは、いたって平凡(へいぼん)村里(むらざと)でした。そこでどうやら(ひと)

()みに、安住(あんじゅう)することになりました。小生(しょうせい)にとって、今は(まさ)に人生

日中(ひなか)にて、(あたた)かい太陽は、頭上(ずじょう)に力ある光を(はな)っています。また(じゅう)

(らい)の精神の内向性は、しだいに外向性に(へん)じ、自己の測定(そくてい)という事

よりも、仕事の能率(のうりつ)とか、日常生活の整頓(せいとん)とか、人に親切にすると

か、すべて心は外に向かって熱心になってきました。今に(いた)って現

在を思い、過去を(かえり)みて、よくもここまで来られしものかなと、(きょう)

()の目を見張(みは)る事があります。そこに、目には見えざる、思いに過

ぎる愛の手が、当然(ほろ)ぶべき自分を、愛護(あいご)指導(しどう)して、今日の状態に

置いてくれた事を実験(じっけん)しました。それが単に医術(いじゅつ)の結果とか、自分

の努力とかに()してしまうのは、あまりに僭越(せんえつ)であり、またあまり

に合理的であります。その愛の手が、神であり、また父の(ごと)慈愛(じあい)

の神である事を(みと)めざるを()なくなりました。(略)

 この実験(じっけん)から、キリスト教の真実性を体得(たいとく)して、神は父であり、

自分は子であり、またそれを人類に顕示(けんじ)したのがキリストである事

を知りました。(略)心の奥の奥に、再び動かざる平安を与えられ

ました。(略)神は原因であり先生は救いの動機でありました。神

が信頼の対照となり、自然の()が、歩む道となり、先生は救い主で

なく、良き()(あお)ぐ様になったのは、小生(しょうせい)の大進歩ではないでしょ

うか。

 仕事・義務・人に対する善行(ぜんこう)とか・愛とかが、日常の関心事(かんしんじ)にな

ったと申し上げれば、先生におかれても、一昔前(ひとむかしまえ)の患者の報告とし

ては、まず及第点(きゅうだいてん)として通過(つうか)なさるる事と存じます。(略)

 9月号では、大分(だいぶん)先生の風采(ふうさい)攻撃(こうげき)がありましたが、小生も同感

です。いつもかろうじて、兵子帯(へいこおび)が、腰部(ようぶ)()まっていた先生に、

絶大(ぜつだい)敬愛(けいあい)()(あらわ)して、(ふで)(あら)います。(98日)」

  先生は(すく)(ぬし)ではない

 言葉の使い方というものは、なかなか(むずか)しい、この手紙の内に「あ

まりに合理的」という事があるが、合理的過ぎれば、それは合理的で

はない。ピッタリと合理的でなくてはならない。この合理的は「(さん)(どう)          

(かい)」という禅の本に、「()(しゅう)するも(もと)()(まよい)()(かな)うもまた(さと)                    12

りに()ず」という事があるが、その事かも知れない。私にいわせると

それは本当に()(かな)っていないではないかと思います。「先生は救

い主ではなくて、良き師と思うようになった」といってある。それは

もとより、私が救い主とか、なんとかいう性質のものでなく、ただの医

者であるという事は、明らかな事で、ことさらに断わりの(げん)(かぎ)りでは

ない。しかしこの言葉によって、私が思い出すのは、私がかつて、同

君に「苦しい時に、森田を思い出すようでは、まだ本当のさとりではな

く、全治ではない。苦痛も喜びも、当然あるべきにあり、ただそ

れだけであるから、森田の係わり合いの必要はない。親鸞(しんらん)は死んで(きょく)

(らく)に行くか、地獄(じごく)に行くか、そんな事はわからず、またどうでもよい

事になっている。南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)というのは、極楽(ごくらく)に生まれるために(しょう)

(めい)するのではない」とかいう事を話した事があるが、これはあるいは、

その事に関係しての意味ではあるまいか。

 キリスト教で、3()()1()(たい)という事をいう。私の考えるに、天父と

聖霊(せいれい)とキリストと、どれを1つ取りのけても、神の救いというものは

()り立たない。仏教では、仏法僧(ぶつぽうそう)3(ほう)という。(ほう)真理(しんり)であり、(ほとけ)

とは、釈迦(しゃか)が、その真理を体現(たいげん)した事実であり、(そう)は、この真理と事

実とを、凡夫(ぼんぶ)に教え(みちび)くものである。これを科学的にいえば、例え

ば、引力(いんりょく)は真理((ほう)精霊(せいれい))であり、林檎(りんご)落下(らっか)は、現象(げんしょう)(ほとけ)(てん)

())であり、ニュートンは、その発見者・宣教者(せんきょうしゃ)真理(しんり)()(神―

キリスト)であるという風に、私は考えるのである。

 されば「聖霊(せいれい)(てん)()・キリスト」「(ほう)(ぶつ)(そう)」「真理(しんり)現象(げんしょう)(はっ)

見者(けんしゃ)」これら3者が1体であり、ピッタリと合一(ごういつ)した時に、初めて人

類の福音(ふくいん)になる。引力(いんりょく)現存(げんぞん)しても、ニュートンの発見がなければ、

誰もその存在を知らないし、これを人生に利用・厚生(こうせい)する事はできな

い。(いね)()()え、ナマコやウニが海に育っても、(めし)をたく事、塩

にする事を教えられなければ、我々は腹をはらす事はできない。

「思想の矛盾」とか「事実(じじつ)(ゆい)(しん)」とかいう吾人(ごじん)心理の事実は、(つね)(げん)

(ぞん)していても、森田というその発見者・体現者(たいげんしゃ)が世に出なければ、

強迫観念は、決して救われる事はない。キリストの教えがなければ、

我々は決して天国に生まれる事はできない。我々が天国に生まれた時

には、キリストは、我々のために神であり、我々が強迫観念から救わ

れ、安心立命(りつめい)(さと)りを得た時に、森田は(まこと)に、その患者のために救い

の天使でなくてはならない。かくいう時に、誠に、あまりに合理的で

ある、()(かな)い過ぎるでもあろう。それは根岸君が、神の世界と、医

者の療法とを、あまりに因縁(いんねん)づけこんがらかして、考えようとした結

果である。こんな所に、少しも神を引き合いにだすいわれはないので

あります。                                                              13

私共(わたしども)が、仏教の教えにより、(すく)われる事を感謝する時に、お釈迦(しゃか)

(まこと)に私共の帰命(きみょう)頂来(ちょうらい)(ほとけ)(さま)であり、また一方には、釈迦(しゃか)伝記(でんき)を研

究し、経文(きょうもん)論議(ろんぎ)する時に、私共(わたしども)に、釈迦(しゃか)は神経質者としての大偉人(だいいじん)

として考えられるのである。

  いたずらの屁理屈(へりくつ)

 尾崎(おざき) 先日、炊事(すいじ)当番(とうばん)で、一日中働いて、(つか)れている時に、夜、

台所へ行ったところが、まだ洗い物が沢山(たくさん)に置いてある。いやでたま

らなかったけれども、当番だからしかたがないと思い、またどこま

で、このいやさが続くかと思ってやった。いつの間にか、いやさがな

くなって「努力(そく)幸福」というような気持になりました。先生の御批(ごひ)

(ひょう)を願いたしと思います。

 森田先生 少し話が()み入っているから、後回(あとまわ)しにします。

 浜氏 我々は苦痛に当面すると、()けようとする。その避けようと

する事が、「あるがまま」の欲望ではないでしょうか。

 森田先生 言葉の詮索(せんさく)にとらわれたり、物の一面のみを見て、結論(けつろん)

(くだ)そうとしてはいけない。苦痛の()けたい事は勿論(もちろん)で、(だれ)(この)んで

苦痛をするものはない。大きな目標を(たっ)しようとする時に、大きな苦

痛が予想される。あなたは、その苦痛をあえてして、その目的を達し

たいと思う事はありませんか。もしそれが心の中にあるならば、それ

も「あるがまま」の心である。いたずらに言葉(ことば)(じり)(あらそ)うのは、屁理屈(へりくつ)

である。昔の自然主義者は、性欲は吾人(ごじん)来性(ほんらいせい)であるから、その欲

望を()たす事が自然である、という風に、思い(ちが)えた事がある。それ

は実は、動物の自然であって、人間にはこれを抑制(よくせい)して、社会人とし

ての自己を保持(ほじ)するの力があって、これが人間の人間たる自然であ

る、という事に、気がつかなかったのである。それは自然という事の

言葉にとらわれたがためであります。

  ()れたも知らず植木(うえき)に水をやる

 水谷氏 私はここの劣等生(れっとうせい)でありまして、いつも先生のお言葉にと

らわれて、いつまでも事実が見えてこない。ある時、先生から、ある

草花(くさばな)()()えて、世話するようにいいつけられた。「物を見つめよ」

という言葉にとらわれて、(ひま)さえあれば、花壇(かだん)のその草花(くさばな)の前にしゃ

がんで、これを見つめていました。ほかの事が頭へ浮んでくると、あ

わてて「見つめよ見つめよ」と、頭にくり返して、目を見張(みは)ってい

た。学校から帰ると、すぐ見に行って、水をやる、後に先生から、

御注意を受けて、やっと気付いたのですが、それは(すで)に花は()()

し自然に(かれ)るべき、運命にあったもので、世話するだけ、(まった)くむだな          

事であった。そして十銭(じゅっせん)くらいしかない、つまらぬ草花であった。

それでそのとらわれのために、周囲にある沢山(たくさん)の花と比較(ひかく)して、これ                     14

(ひょう)()し、その生育(せいいく)有様(ありよう)などをも、(まった)く考える事ができなかったの

である。こんな風に、なんといわれても、(ただ)ちに言葉にとらわれる。

いつまでも心機(しんき)一転(いってん)しない。自分でも愛想(あいそ)がつきて、(なさけ)なくなりまし

た。夏休みに帰省(きせい)するとき、日本アルプスに登山を思い立ち、自分の

ような訳のわからなぬものは、たとえ遭難(そうなん)して死んでもよいと思い、天

気の模様(もよう)もお(かま)いなしに、一人で登ったのですが、天気も非常によく

なり、四日で予定のコースを終わり、無事(ぶじ)下山(げざん)しました。つたない(さく)

()があったため、本当の喜びを()なかったが、肺病を忘れていた私

も、これくらいの事はできる、という確信を得ました。

 こんな風で、今でも先生の言葉にとらわれ、本を読んでも、本当の

感じがなく、ただいたずらに、活用もできぬ知識の集積では何になろ

うかと考え、すべてが、心機一転しようとか、自発的の喜びを得よう

とか、(さと)ろうとするとかのための仕事となり、事実が見えず、本当の

仕事にならず、ますます矛盾(むじゅん)(おちい)って、行きづまったような感じがし

ます。これはやはり私が、逃避的(とうひてき)で、努力を()しんでいるためであり

ましょうか。

  循環(じゅんかん)理論(りろん)に行きづまりはない

 森田先生 この人が、神経質の「とらわれ」の標本(ひょうほん)です。「行きづま

ったような感じがする」というけれども、それは本当に行きづまらな

いからいけない。すなわち不可能と可能との区別を研究せずに、こう

ありたいと、できないとの二つの間の循環理論になるから、繋驢桔(けろっけつ)

ように、いつまでも()てしなく行きづまる事ができないのである。

 こんな時に、一番軽便(けいべん)な事はとらわれになりきればよい。それは、

悲しみは悲しみ、苦痛は苦しみ、とらわれはとらわれるよりほかに、

致し方ないという意味である。これは我々の心の事実であるから、

悲しみを喜ぶ事のできないように、とらわれを否定(ひてい)する事も、逃避(とうひ)

る事も不可能であるからである。

 「とらわれに、とらわれる」とは、どういう事かという風に、私が今

ここにある茶碗や、時計やいろいろのものを置いた枕台の前に立っ

て、皆さんにお話をしている。私はいま枕台の危険という事にとらわ

れながら、話の工夫にもとらわれている。もし私が、後ろに眼

のないところの枕台を忘れたならば、必ずフトした拍子に、この枕台

を踏みつぶさなければならない。すなわち私はいま同時に、枕台と話

と、両方にとらわれている。(くわ)しくいえば、注意のリズムに従って、

両方に交代(こうたい)にとらわれている。これは我々の自然の心であって、とら

われようと作為(さくい)して、とらわれる事もできず、とらわれまじとはか                       

らっても、またできない事である。つまり我々の努力の意識からいえ

ば、私は一生懸命に、火花のように、話と(まくら)(だい)とに、注意が張りきっ                    15

ている。これは精神緊張の状態である。決してズボラや、目先の(こう)

()主義の状態ではない。この緊張の心は、まだそのうえに、皆さんの

内に、笑う人があれば、またそれにとらわれ、うしろの方へ、人が入

ってくれば、またそれにとらわれる。ここにいわゆる無所(むしょ)(じゅう)(しん)という

ものであって、何事にもとらわれる心は「心は万境(ばんきょう)(したが)って(てん)ず」の

心であって、同時に何事にもとらわれない心であるのである。ここで

「とらわれる」とは、すなわち広くいえば、注意の集中、(せま)くいえば、

故意(こい)に注意の固着(こちゃく)という事にもなるのである。

  とらわれにとらわれればよい

 また例えば「見つめよ」といわれた時には、すなわちその言葉にと

らわれて、熱心に、草花ならその草花を見つめておればよい。はから

う心なく、素直に見つめていれば、その見るものに(したが)って、そのとこ

ろに必ず我というものが現れて来る。すなわちつまらぬ花とか、あ

るいはその周囲にある(いきおい)のよい奇麗(きれい)な花とかに、心がひかれるように

なる。すなわち何かの感じ・連想(れんそう)発動(はつどう)してくる。これが我である。

この我ととらわれの心とが充分(じゅうぶん)に対立して、(あい)拮抗(きっこう)する時に、そこに

観察と批判とが、続々(ぞくぞく)と進行して、適切な働きが現れて来る。私が

前向いての話と、後ろの(まくら)(だい)とに、心が拮抗(きっこう)しているようになれば、

それで初めて、進退(しんたい)が自由になるのである。ここに我というもの、す

なわち感じが、充分(じゅうぶん)に出てこなければ、何事にも決して進歩も発見

も、適応性(てきおうせい)もないのである。

 水谷君がなに(ゆえ)に心機一転しないかというと、例えば(ぼく)から(しか)

れても、スレッカラシになって、少しもビックリしたり、うろたえた

りなどしないからいけない。これに反して、あるいは腹をすえ、丹田(たんでん)

に力を入れ、(おもい)()って、「叱られるのは有難い。ここが修養である。

感謝こそすれ、腹を立つべきでない」とか、さまざまの屁理屈(へりくつ)をつけ

て、頑張(がんば)るからである。あっさりと、おとなしく、素直にはからう心

なく、ハッとビックリさえすれば、たちまち心機(しんき)一転(いってん)するのである。

しかし今度は、水谷君ははからう心を()て、ビックリする工夫(くふう)をする

のである。ビックリは、予期(よき)工夫(くふう)とがあっては、決して起こるもの

ではない。

 早川氏 私は仕事が、時どきうまい具合に行く事があるが、「この

調子だ」と考えた瞬間(しゅんかん)、心は内向(ないこう)してしまってオジャンになる。今度

は、その仕事に対する方法が、意識的になるから、ますます前のよう

にできなくなる。

 「さてはこの調子だ」の初一念(しょいちねん)                                                

森田先生 我々の心は、少し注意して、深く観察すると、自然の本

能は、(おどろ)くべき微妙(びみょう)さをもって、周囲に適応して反応している。しか                   16

しそれは、一般に気がつかない、求道(きゅうどう)の人は、この微妙(びみょう)の心をとら

え、見つけようと努力しているので、時どき「さてはこの調子だ」と

か「この気合(きあい)心境(しんきょう)だ」と気がつく事がある。これを禅の方で「初一(しょいち)

(ねん)」と名付けてある。この「初一念」そのままが、(さと)りであるが、(すで)

に「よし、今度はこうしよう」とか、()(ねん)(さん)(ねん)と、続続(ぞくぞく)と現われて

は、それは(あく)()となり、私のいわゆる「()くあるべしという、()(きょ)

()たり」という様な、作為(さくい)はからいになり、思想(しそう)矛盾(むじゅん)になるので

あります。

 しからば早川君や水谷君やは、その時どうすればよいかといえば、

それは自由に・遠慮(えんりょ)なく・思うがままに、作為(さくい)し・はからい・とらわ

れて行けばよいのである。とらわれれば、とらわれ(つく)して()きる。

それでこの努力の経験を()(かさ)ねて行くうちに、いつか同様の機会に

遭遇(そうぐう)すれば、それが自然に反応して発現(はつげん)されるので、例えば強いて(あん)

(しょう)して、平常(へいじょう)何の用にも立たないものが、それと同じ事件に会うとき、

それがサラサラと思い出されて、有効に働きだすようなものである。

さきほど、尾崎君の話に「炊事当番だから、やらなくては、自分の

義務がたたぬ」という事は、まだ浅薄(せんぱく)な知恵で、本当の自然の働きで

はない。

 昔あるとき、私の庭の真ん中に、時どき犬が(ふん)をしてある事があっ

た。その当時の私の家族は、妻と婆やと、16ぐらいの女中と幼児と

であった。(いぬ)(ふん)は、汚くて、そのままに置く(わけ)には行かない。誰かが

取らなければならない。小さい女中はかわいそうである。婆やに取っ

てくれないかと相談すれば「オラア、いやぁだ」という。妻は、(くわ)

(つち)()りを取り(あつか)う事は下手(へた)で、かえってどんな、汚い事になるかも知

れない。結局自分が(もっと)上手(じょうず)であり、(いっ)挙手(きょしゅ)(いっ)投足(とうそく)(ろう)で、(もっと)も世

話のない事である。つまり自分が取るよりほかに、しかたがない。こ

れは我々の自然の心の働きであり、知恵・判断(はんだん)である。決して修養(しゅうよう)()

()や、愛のためや、そんな抽象的(ちゅうしょうてき)作為(さくい)ではない。我々の心のあるが

ままの事実である。

 尾崎君は、入院患者であり、入院料を払っており、決して炊事(すいじ)の洗

いあげをしなければならぬ、という義務のあるはずはない。もしある

とすれば、道徳(どうとく)という事にとらわれた屁理屈(へりくつ)である。ただ結局は、こ

れも誰かが洗わなければ、そのままに放任(ほうにん)する事はできない。自分が

気のついたついでに、(いっ)挙手(きょしゅ)(ろう)()しまなければ、それでよい。そ

の時に初めは、ちょっと小面倒(こめんどう)で、いや()がさすが、まもなく、屈託(くったく)

のない(ほが)らかな心になる。それはなぜかと説明すればくどい事になる                 

が、体験してくれば、容易(ようい)になるほどとうなずかるる事である。ただ

義務とかなんとか、無理押(むりお)しの努力がある時には、あたかも強迫観念                     17

のように、いつまでも、その苦しい思いがさらないのである。その出

発点が、自然の感じ、(すなわ)ち純なる心であって、これから出発すれば、

初めて(もっと)安易(あんい)愉快(ゆかい)なものであるのである。

 (はま) そのときアア汚い、いやだというのが、純なる心ではありま

せんか。

 森田先生 それはもとより純なる心である。自然の感じである。そ

れは庭の(いぬ)(ふん)なり、台所の洗い残りの皿など、静かに見つめていれば、

そのままに捨てて置く事ができなくなるのである。君はいやなものは

()けるというが、そんな言葉は、ただの屁理屈(へりくつ)である。通るたびごと

に、庭先(にわさき)(いぬ)(ふん)が目については、決してその様な理屈は、成り立たな

いのである。

  手をつねって、これが不幸だ!

 坪井(つぼい) 東洋大学で、中島先生が倫理学(りんりがく)講義(こうぎ)をしていますが「幸

福とは何ぞ」という事について、生徒を指名して、答えさせる。私の

番が来たので、物そのものではない・幸福というものは、決まったも

のではないと思う、といったら、私を教壇(きょうだん)のところへ呼んで、手を痛

いように、つねられて、これが不幸だ。幸福とは、客観的に見てわか

るという。私は、それなら、測るメーターでもありますかと、やりか

えすと、君は屁理屈(へりくつ)をいうという。私は、それなら先生の昨日と今日

との幸福を、(かず)で表して下さいといった。この事について、ご批評(ひひょう)

を願いたいと思います。

 森田先生 「幸福とは何ぞ」「善悪(ぜんあく)とは何ぞ」とかいう事は、哲学(てつがく)

(しゃ)のいう事で、我々(われわれ)実際家(じっさいか)には、そんな詮索(せんさく)は、いたずらに思想の(ほこ)

(じゅん)になるのみである。いずれも相対的(そうたいてき)()で、「上とは何ぞ」と同様

で、下がなければ、上はないのである。

 孟子(もうし)のいうように、人は、(くらい)が高く・(とく)があり・寿(じゅ)であれば幸福で     (寿=長寿(ちょうじゅ)

ある。金持であり・教育があれば幸福である。なおこの時に「幸福と

は何ぞ」といえば、なかなかその説明が困難(こんなん)であるが、これが幸福で

あると、その事実を示せば、簡単にわかる。これが梨であるといえ

ば、一目してわかるが「梨とは何ぞ」という事になると、なかなか難

しい。色や形やも、なかなかいろいろである。近頃(ちかごろ)20世紀とか、

13世紀とかいう梨も、あるようなものである。

  善悪(ぜんあく)とか幸福(こうふく)とか抽象語(ちゅうしょうご)をやめよ

 私は平常(へいじょう)、幸福とか善悪とかいう抽象語を(もち)ゆる事を(この)まない。と

くに神経質患者の治療中は、すべてこのような言葉を(もち)いさせないの

である。ただ事実を具体的というのみである。一般にいえば、金が一          

万円あれば、金持ちと(しょう)し、大学を卒業した人は、(えら)い人という。それ

世上(せじょう)の実際については「彼は一万円の財産があるけれども、(つね)(びん)       (世上=世間)18

(ぼう)だと、こぼしている」「彼は大学を卒業しているけれども、自分で

(つね)に、何も知らないといって、勉強ばかりしている」という風にい

って、それ(ゆえ)に幸福だとか、(いな)、不幸だとか、面倒(めんどう)議論(ぎろん)する事を(この)

まないのである。「彼は(まった)く貧乏であるけれども、人の世話になって

も、少しも金が欲しくない」とかいう者であって、「心の(まず)しきもの

欲望(よくぼう)の少ないもの)は幸いなり」とかいう幸福の定義(ていぎ)も、私は(ただ)ちに

これを承認(しょうにん)しないのである。ただ事実をいうだけで、結論(けつろん)をいわな

い。これは(もっと)(あやま)りの少ない、都合のよい事ではなかろうかと思うの

である。

 いかに金持で、身分(みぶん)はよくとも、人は抑鬱病(よくうつびょう)にかかれば、悲観(ひかん)

(ぞこ)(おちい)る。これに反して、躁病(そうびょう)にかかれば、どんな不幸な人でも、

自ら幸福感に(あふ)れている。人生に、もし主観(しゅかん)標準(ひょうじゅん)にし、気分本位に

批判するならば、躁病(そうびょう)鬱病(うつびょう)とは、(まさ)に人生の(こう)不幸(ふこう)の、標本(ひょうほん)でなく

てはならない。

 私のところでは、この気分本位を排斥(はいせき)する。神経質の患者が、気分

はいかに苦しく、安心は()られなくとも、日常生活が、ますます能率

があがり、現実の心身の活動が(さか)んになれば、それでよい。そこに神

経質が全治(ぜんち)するのである。この事実だけを(みと)めて、幸せとか不幸とか

いう事をやめるのである。

  運命は切り開いて行くもの

 話は変わるが、倉田君の(ちょ)「神経質の天国」の巻末(かんまつ)に、こんな事

が書いてある。

「運命は自分に、(とうと)き暗示に満ちた課題(かだい)を与え、しかも立派に、これ

を解決させてくれた。自分が受けたる異常なる精神の苦しみも、今は

かえって甘きものとなり、自分の精神の根を(つちか)(やしな)いとして、(たくわ)えら

れたように思わる。『我々は、運命を堪え忍ぼう』自分が最後にこの

記述(きじゅつ)()じる()はこれである。そしてこの()には、いずくともなき(きよ)

(ひかり)が、永久(えいきゅう)()らしているように思うのである。」

 私はこれに対して、こんな批評(ひひょう)をしてある。「運命を堪え忍ぶにお

よばぬ。例えば偶然に、山から石が落ちて来た時に、死ぬ時は死ぬ。

助かる時は助かる。()(しの)んでも、(しの)ばなくとも、結局は同様であ

る。我々はただ運命を切り開いて行くべきである。正岡(まさおか)子規(しき)肺結(はいけつ)

(かく)脊髄(せきずい)カリエスで、(なが)い年数、仰臥(ぎょうが)のままであった。そして運命に

堪え忍ばずに、貧乏と苦痛とに泣いた。苦痛の激しい時は、泣き叫び

ながら、それでも、歌や俳句(はいく)や、(ずいひつ)を書かずにはいられなかった。

その病中に書かれたものは、随分(ずいぶん)大部(たいぶ)であり、それが生活の(もと)にも

なった。子規(しき)は不幸のどん底にありながら、運命に()(しの)ばずに、(じつ)

に運命を切り開いていったという事は、できないであろうか。これが                    19

安心立命(あんしんりつめい)であるまいか。」

 最近にここへ入院し、中途(ちゅうと)退院した患者があった。それは、肛門(こうもん)

(はげ)しい神経性の疼痛(とうつう)で、二年以来も、これに悩まされ、その間、(せん)

(ねん)(やまい)をいたわり、医療に没頭(ぼっとう)し、苦痛を堪え忍んで、(まった)(なにごと)もでき

ない。講談本(こうだんぼん)でさえも読む事ができず、日記さえもつける事ができぬ。

もしこの人が、いたずらに苦痛を堪え忍ぶ事を工夫(くふう)せずに、放任(ほうにん)

て、少しでも、自分の欲望を発揮(はっき)して、なんなりと手を出すようにな

れば、その間、自ら運命が、切り開かれて、(みずか)ら苦痛が軽快(けいかい)し、治癒(ちゆ)

するようになるべきであるが、この患者には、(まった)くこれができなかっ

たのである。つまり欲望の(とぼ)しい意志薄弱性(いしはくじゃくせい)素質(そしつ)であるのである。

 私は昨年3月、重い喘息(ぜんそく)発作で、ほとんど死に(ひん)したが、全く何も

できなかったのは、一日か二日かで、後には看護婦に、本を読ませ、

まもなく、自分で読むようになった。この頃も、ときどき夜中(よなか)咳嗽(がいそう)

喘息(ぜんそく)発作で苦しむ事があるが、その間、眠る事はできず、静かにこ

れを堪え忍んでいる事は、退屈(たいくつ)で苦しいから、(つね)に読書を始める。そ

うすると、いつの間にか、さほどの忍耐(にんたい)なしに、発作が終わり、眠り

(もよお)すようになってくるのである。この本が読みたいというのは、()

(しき)(よく)発動(はつどう)である。これは我々には、食欲と同様に、死ぬまでもある

ように思われるのである。

  私も負けずにアグラをかいた

 坪井(つぼい) 今年、7中旬(ちゅうじゅん)、あたかも私が、対人恐怖が重くなった時

に、私は過分(かぶん)に上等の寺の住職(じゅうしょく)任命(にんめい)されました。私はしかたなしに、

その寺に住み込む事になった。こちらは若いのに、納所(なっしょ)(かた)は、50

幾歳(いくさい)で、どうも使いにくい。その(なっしょ)は、寺の事にも熟知(じゅくち)して、(くわ)

いが、私はまだ何も知らないで困っている。ある日私が、お盆の前

で、(にわ)掃除(そうじ)をしていると、納所(なっしょ)がプンプン腹を立てて、帰ってきた。

それは皆の者に、納所納所といって、馬鹿にされるという事である。

この納所は、朝起きて、顔を合わす時にも、私に挨拶(あいさつ)もしない。()()

(とん)の上で、大アグラをかいている。私も(しゃく)にさわって、こちらも、そ

の前で、アグラをかいた。向こうもツンツンしているから、私も負

けずに、十日ばかり、ツンツンしていた。どうも気まずく、苦しいけ

れどもしかたなしに我慢(がまん)している。ある時は、一つこちらから、お()          

()をして、挨拶(あいさつ)して見ようかと思ったが、もしそのとき、先方(せんぽう)が「ウ           

ン」てな具合(ぐあい),上手(うわて)に出られると、ますます私の権威(けんい)(そこな)われるの

で、とうとうしまいまで頑張(がんば)っていました。23日中に、またその

寺へ帰らなければならないが、どうしたらいいでしょうか。

 森田先生 なかなか面白(おもしろ)い。よくも気強(きづよ)く、頑張る事のできるもの

ですね。私共(わたしども)には、なかなかそんな事はできない。それがやはり、赤                     20

面恐怖の権勢(けんせい)(よく)特徴(とくちょう)でありましょう。ついでに思いきって、どこま

でも頑張ってみたら、その結果どうなるか、経験される事も面白い事

と思います。相手の納所(なっしょ)(かた)は、まさか赤面恐怖ではあるまいし、恐

らくは平気で、君の気持には、少しも気がつかないでいるかも知れな

い。私共は、つい頑張る事の苦しいために、いろいろと都合(つごう)のよい(どう)

()を考え出して、頑張るにおよばぬような人生観を作るのでありま

す。

 山野井氏 黒川さん、一つお話を願います。

 黒川氏 思い出した事をお話します。陸軍大学の入学試験のとき、

口頭(こうとう)試問(しもん)(ほう)は、どうも不得意(ふとくい)で不安でありました。試験官が34

人いて、その内の一人が(しゅ)になり、他から横やりを入れます。以前な

らば、とてもできないところであるが、これが通過(つうか)したのは、森田先

生のところの修養のお(かげ)と思っています。試験官が、なかなか意地の

悪い()(かた)をする。これに答えると、他方(たほう)から出て、これはどうかと

いう具合(ぐあい)に、さまざまに聞く。目的を見つめて、判断をして行くが、時

どきわからなくなって、戸惑(とまど)ってくる。そんな時は、そのまま狼狽(ろうばい)

て、真赤になりました。すると試験官は、どうだ、(おれ)試問(しもん)はうまい

だろう、という風に、ワッハハハと笑い出す。試験場は和気(わき)藹藹(あいあい)

で、そのため、かえって成績は、よかったように思われます。

 話は変わりますが、私の顔が、こんな風だから、そう見えるのか、

人から「おしが強い」といわれます。しかし自分の内心は、ビクビク

しています。ただやらなければならぬ、と思う事は、しかたなしに、

しまいまでやるからだろうと思います。

(『神経質』第3巻、第12号・第4巻第1号・昭和712月~昭和81月)                   

                                                                                 21

25回 形外会