第5回 形外会 昭和5年5月4日
大観音横丁の集会
午後3時前開会。来会者21人。入院中10名
例の如く開会の辞に次いで、出席者の自己紹介あり、次に先
生のお話。
遠方の人は米国から
今日ここで一番遠方の人は、台湾からきて、現在入院中の人。また
今日わざわざ診察のために長崎からきて、診察の結果を聞いて、明日
帰られるという人もあります。
今まで入院した人で、遠いところは樺太、ハルピン、青島、大連が
各1人あり、台湾が3人、朝鮮が2人、北海道が12人であります。
最も遠いのは沖縄県人で、少年の時、米国に移住している人で、昨年
10月わざわざ米国から帰国して入院したのであります。日本語が下手
で、立ち入った話はよくできなかった。41歳であるが、16年
来、種々の心気症に悩まされている。バイオリンの専門家である
が、15歳以来、以前のような微妙な音色が全く出ないようになって
非常に。煩悶した。38日間の入院で、他の心気症は全快して非常に
喜んで帰ったが、バイオリンの方は、入院中にそのほうをが稽古する
事ができず、結果は不明であった。2、3日前の米国からの手紙で、
バイオリンが自由自在に弾けるようになったとて、感謝してきてお
ります。この症状を職業痙攣といって、裁縫師が運針ができなくな
り、彫刻家が小刀が使えなくなるなどであります。ここに書痙で字が
全く書けなかったのがすっかりよくなった山野井君も、今日出席され
ています。従来の医学で予定通りに治す事のできなかったこの職業痙
攣を私が簡単に治す事ができるようになったという事は、諸君には想
像もできない私の大いなる喜びである。米国からわざわざきても無駄
骨折りではなかったのであります。
眼がピリピリする
さて今日長崎からこられたひとは、私も気の毒でたまらない、私
がおとめしてこの会へ参加されているが、その診察の目的は、あまり
に簡単であって、どうしてはるばる上京されたかと想像され難い事で
あろうと思います。それは質問の事項を7ヶ条に分けて書いてある
が、要するに平素眼瞼ピリピリしたり、眼が疲労しやすいが、これは
器質的と神経性とが、どんな程度と関係になっているか、それで勉強
はしてもよいか、交際上、酒を飲んではいけないかとかいうような事
である。この人はもと軽いトラホーマがあって、17歳ごろから、5、
6年来、多くの眼科医にかかり、極めて熱心に治療したので、今は全
く治癒して、わずかに瘢痕を残しているだけのものである。ただこれ
だけの事ならば、はるばる上京しなくとも、今までの眼科医で簡単に
解決のつきそうなものである。単に眼の病といえば、それだけのもの
であるけれども、これが人生と関係してくる時に、種々の複雑な問題
が起こってくるのである。医者も眼科なり、外科なり花柳病科なり、
単にそれだけの科目に対する意識があるというならば、それは職人や
商人と同様である。ただそれが知識階級とか品性業務とかいう時に、
単なる物質的知識でなく、人生という事に関係した思考力を要する事
になってくるのである。もし今日の一般の医師に、私の神経質の知識
が普及するならば、こんなことは簡単に解決がつくのである。
私はこんな簡単な事で、はるばる遠くから私の診察を受けにくる人
が気の毒でたまらない。諸君は単に自分の病気さえ治ればよいという
のでなく、同病相憐れむの情をもって、将来、このような人のためにこ
の神経質の知識を宣伝してもらいたいのであります。
なお今日の出席者の中で、思い出すままに紹介して見ます。
先生の家に坐り込む
昭和2年に24歳で入院した人。肋膜炎、盲腸炎、腹膜炎、肺
尖カタル、まださまざまの病気にかかったことがあるが、いま健康で
ある人。
次に昭和3年1月に、20歳で不潔恐怖で入院したが、その前に随
分苦しんだものである。詳しい話を聞けば面白いことであろう。
次に今日は御婦人の出席者が1人であるが、これは私の『神経質及
神経衰弱症の療法』に第35例、精神過敏症神経質の例として載って
いるものです。身体の虚弱とともに家庭的の不満のために苦しんだ
が、大正10年のこと、1週に1回宛、日記をもって私のところへ通い、
2ヵ月たらずで、よくなり、家庭の不満が全くなくなったという事で
ある。この人は私の療法中、初め随分苦しまれた。森田のいう事はあ
まり残酷だ。されどもしかたがない。厳重に森田のいう通りに実行し
て、もし衰弱するとか、ますます容体が悪くなった時には、森田の家
へ坐り込んで、元の身体に弁償してもらおうと、捨て鉢気分になった
という事である。これは後に全快した喜びの時に白状した事でありま
す。この反抗の態度は最も軽便な手段である。素人はよく信じなけれ
ばならない、感謝しなければいけないとかいうけれども、ここの療法
は「事実唯真」であるから、そんな空想のような事は一切いけない。
「鰯の頭も信心」とかいうのとは全く反対である。疑うべきは疑い、
知らざるを知らずとする。腹立たしきに腹をたてる。これが心の事実
であるから少しもさしつかえない。ただ疑いながら、理解のできぬま
まに、仮に一定日数のこの療法を実行して試みればよいのである。腹
痛の時に、試みにモルヒネを飲んでみれば、それでよいのである。こ
れを信じようとし理解しようとしては、なかなか長い年数を要しても
治らないのである。
意地にかかって規則を守る
これについて思い出すのは、大正12年に、柏木君という法学士が
入院した事がある。この人がこんな馬鹿げた事をして治るはずがな
い、されども4週間の後に治らなかった時、もし規則を守らなかった
からといわれてはしかたがないから、殆ど盲従的に規則を厳守した。
ところが4週間たたないうちに、いつとはなしにニコニコして、そ
の効果を自覚するようになり、初めて非常の興味を持って私の話を聞
き逃さないようにするようになった。この人は入院の初め、肥厚性鼻炎
で、鼻ばかりでは殆ど呼吸ができないほどであり、その手術を先に
して後に入院しようかとの事であったけれども、私はそれを入院後
にするようにしたところが、まもなく、それは手術する必要のないよう
に治ったのであります。
また大正15年の入院に住吉という54才の婦人があった。この人は
慢性腎臓炎で9年間、全く服薬を廃した事なく、常に検尿を怠らなかった
との事であるが、入院中に尿中の蛋白やその他の異常は全くないようにな
った。この婦人の1つの症状として、下腿がビリビリとシビレ感があって
非常に気持ちが悪い。家にいる時には、絶えず看護人に按摩させていたと
の事である。入院後も私の家内に、先生もこれだけはおわかりにならない
かも知れぬ、毎日ただこのままに、放っておいて治るはずがない、という
事を毎日のように繰り言をいう。家内も聞き兼ねて、これから10日間の
約束で決して足のことはいわない事に決めた。それはすべての症状が入院
の初めから治るはずはない。必ず一定の日数を経なければならぬ、その間
その症状の事をくり返しいえばいうほど、決して治る時節はこないという
事を説得したのである。その後患者は時々縁側で、自分の足をなでては、
家内の顔と見比べていたけれども、意地になって決してその苦痛を口外し
なかった。その後1週間たってから、今度は不思議ですねえ、不思議です
ねえという事を言い出した。それはその足の不快感がいつとはなしに消失
してしまった事であります。それがなぜ治ったかという事は患者も不思議
であるが、私の家内も本当に不思議に思っているのであります。
以上申した事は、患者はいかなる反抗気分でもよい、ただ与えられ
た方式を実行しさえすればよいのである。現在入院中の諸君もその通
りです。ただ真似すればよい。むしろ反抗の気分で、もっと自分の
病気を増悪させて、森田にみせつけてやろうという意気込みでやれば
よい。いくら私に反抗気分でもよい。真剣勝負のつもりにならなけれ
ばいけない。近頃流行りのストライキ気分でもよいのである。ただ不得
要領でノラクラしているのが一番悪い。