第65回 札幌・五巻を読む会 2021.3.18
森田正馬全集 第5巻318頁 第31回形外会 昭和8年3月18日から
眠ろうとするほど、眠られず、治そうとする
ほど治らないのである。
去年、家を建築する間に、たびたび水道管が破れて、水が吹き出し
た事がある。押さえても、縛っても、栓をしても、決して水はと止まらぬ。
しかるにその鉛管を、水の漏れる穴の遠方から、金鎚でたたきよせて
くると、穴がしだいに、小さくなって、水が止まるようになる。ちょ
っとその調子を覚えれば、簡単に直す事ができるようになる。およそ
病の治療もその通りであるが、ここで作業をやっている間に、いつの
間にか、病気が治っているというのも、これと同じ理であります。
ここの形外会でも、どうすれば治るかと、直接に問いたいというう
ちはだめです。神経質の事や、一般の人の心理など、間接の話に興
味を起こすようになった頃には、病気も大方治っているのである。そ
んな話は、自分に直接の関係がないから、出席しても面白くないと
か、考えているうちは、全くだめであります。
島田君が、写真を修正するのに、手がこわばって、鉛筆が、思うよ
うに動かない。「どんな気持ちで、筆を使えばよいか」というのが、そ
の質問である。「どうすれば、手が自由になるか」という考え方・心
の態度が、直ちに「思想の矛盾」になるのである。
「気に入らぬ風もあろうに、柳かな」という事がある。「今度あの風
が吹いたら、こんな風に靡いてやろう」とかいう態度が少しもなく、
柳の枝は、その弱いがままに、素直に境遇に柔順であるから、風にも
雪にも、柳の枝は折れないで、自由自在になっているのである。
「自分は手が震える。思うように筆の動かないものである」と覚悟し
て、そのまま柔順に、必要やむを得ない事には、しかたなしに筆を使
うようにする。そうすると「風の柳」のように、いつとはなしに、自
由自在に動くようになる。ちょっと考えると、本当に奇蹟的に、書痙
のようなものが治るのである。
心悸亢進発作の人は、ただ一途、「死んだら大変たいへん」と恐
れおののいて「風の柳」のように反抗せず、「どうすれば、発作が起
こらなくなるか。恐怖をさる事ができるか」というような考え方をや
めれば、10年の心悸亢進も、一朝にして治るのであります。
島田君は、一度便秘が治った事があるから、それと同様の心理を会
得すれば、容易に治るはずであります。
関西の人を「西者」といって軽蔑する
井上氏 とくに入院中の方に、私の治るようになった機縁をお話し
ます。初めに先生から「理屈は、後でもわかるから、とにかく、やっ 1
てみるがよい」といわれた言葉が、強くひびいて、わからぬながら、
やっていたが、12、3日目ごろに「不即不離」という事が、わかっ
て、夜も眠られぬくらい嬉しかった事があります。
入院の初め頃に「君は実にわかりが悪い。しかし実行するから、見
どころがある」と先生にいわれた事があるが、先生のお言葉通り、わ
かってもわからなくともやるという事が大事だと思います。
私の読書恐怖は今から思えば、馬鹿らしいもので、読書するのに、
今日一日の事を忘れてしまってから、やろうとするのが、あとからあと
からと、考える事が出てくるので、少しも読書ができない。今ではむ
しろ、昔以上に、いろいろと考える事が多いけれども、読書は、かえ
ってよく、どんどんできます。考えをなくしてから、読書しようとす
るのが、間違いの元でありました。
奥様から「歯磨粉は使わなくともよい」といわれて、「それでも、
口腔の殺菌力がありますから」とかいったが、「疑いがあっても、し
ばらく言わずにいなければ、いけない」といわれ、その後いろいろと、
疑いが起こるのをためておいて、後で質問しようと思っているうち
に、10日ばかりたったら、質問する事が、なくなってしまいました。
病気を治す話ばかりすると、面白くないから、少し旅館の事をお話
してみます。今度の熱海の旅館を開業する前に、紀州の白浜温泉旅館
に、番頭にいきました。旅館だからうまいものでも食っているかと思
ったら、女中はもとより、家の者も一食一菜でまずいものばかり
を食っているので驚きました。熱海に帰ってみると、家の者が、贅沢
な料理を食べているので、早速改革しました。
旅館では、夜具の上げ下しや、お膳の持ち運びまで、階段を上下す
るので、足が棒のようになります。私がこんな経験がありますので、
今の旅館で、女中が少々、怠けていても、疲れているだろうと思っ
て、あまり、やかましくいわない。もし自分で経験していなかった
ら、叱りつける事だろうと思います。なんでも体験する事が、大事だ
と思います。
白浜へ行って、3、4日目に、酔客が女を引っ張ってきたから、そ
れを断ったら、そのお客に、非常に怒られて閉口しました。番頭が
来て、引き受けてくれたので、助かりましたが、後から主人に、お客
はおとなしく、なだめて帰すようにしなければならぬと、注意されま
した。
旅館その他の商人で、関東と関西との人では、気質や、やり方が、
いろいろと違って、関西人を「西人」といって、軽蔑します。白浜旅
館で、教えられたんですが、お客が来たら、すぐ靴をみがいておい
て、お客が帰るとき、靴を玄関でみがくふりをしていると、チップが 2
違うそうです。また客を送って、切符を買ったとき、お客に切符を先
に出し「エエお釣りは」と、ポケットに手を入れて、もじもじすると
「なにお釣りはいいよ」と、たいていくれるそうです。西者といわれ
るだけに、違ったところがあります。熱海の旅館の番頭にこの事を話
したら、「あなたは、えらい事を知っていますね」と驚いていました。
もっとお話したい事もありますが、また次にお話します。
先生はくたぶれる事を知らないかと思っていた
森田先生 香取会長は、先日熱海の私の旅館へこられて、初め1、
2日のつもりであったのが、毎日、話が面白いというので、ついつ
い、つりこまれて、6日ばかり滞在されたのであります。咽頭が悪く
て、咳が出るから、静養のためであったのを、終日しゃべり続けて、
かえって咽頭を悪くしたようなものである。
今日もまだ、咳が治らないので、欠席されるという事でしたけれど
も、とくにお願いして、出席してもらったのであります。今日は、そ
のために、お話はなくともよいという事に願ったけれども、興に乗れ
ば、香取さんは、なかなか黙っておられる事は、できなかろうと思い
ます。
香取会長 私は元来、非常におしゃべりです。先生の旅館には、「砂
むし」という暖かい気持ちのよい部屋がある。先生は、そこで原稿を書
いたり、将棋をさしたりしていられる。そこで、だんだんと話がはず
んで、1度に5時間も、ぶっ続けにした事もあった。私は咽頭が痛く
なったといったら、先生は胸が苦しくなったといわれる。御飯がすむ
と、また始めて、2,3時間も、お話をうかがった。お話が面白く
て、もう1日1日と、つい6日もいて、先生のお帰りになる日の朝帰り
ました。
治りたい人や、修養の心掛けのある人は、なるたけ先生に接近し
て、お話をうかがう事が必要ですが、先生をキャッチする事は、なか
なか難しい。そんな人は、先生が熱海にいられるとき、出掛けるんで
すね。先生も退屈しておられるから、喜んで話して下さいます。
私は今度、熱海で、非常に大きな獲物がありました。第一に私は、
これまでいつも、じぶんが緊張して、仕事のできない事を苦にしていま
した。先生は終日くたぶれないで、いつでも休みなしに仕事をしてお
られるようです。自分は若いし先生より丈夫なのに、どうしてできな
いのであろう。何か秘伝を授かりたいものだと思っていた。長谷川先
生も、森田先生は、年がら年中、仕事をしていられる、実に偉いとい
っておられる。どうかして、こつをつかまえたいと思っていたが、今
度熱海で、一日中先生と一緒に暮らしました。お湯にも御飯にもご一
緒しました。そしてわかったんですが、先生もやっぱり人間ですな。(笑い声) 3
次回予告 第66回 札幌・五巻を読む会 2021.4.15
森田正馬全集 第5巻320頁 第31回形外会 昭和8年3月18日から
先生もお疲れの時は、時どき横になられるし、先生は「僕も
毎年8月には、よく仕事がいやになって、遊び事ばかりする事がある
よ」とおっしゃる。私の入院中には、先生は盛んに診察をなさるし、
時どき出てきては、患者に話をしたり、叱ったりなさる。そんなとこ
ろばかり見ているから、先生は人間離れがしていて、疲れる事を知
らないかと思ったのでした。今度初めて、先生でも、やはりできない
時はできない、できる時はできる、という事がわかりました。
何不足、人は裸で生まれたに
先生は熱海でも、診察をしておられましたが、あるとき、仕事の事
について話が出て、先生は「診察しても、それは当たり前の事で、
原稿を書かない日は、仕事をしたような気がしないで心細い」といわ
れた。こんな事は、我々の心と、すっかり一致していました。私は貿
易をやっているんですが、その方の直接の仕事は、相当やっています
が、それは当たり前の事で、なんとも思わぬ。書類をつくるとか、手
紙を書くとかしないと、仕事をしたような気がしないのであります。
先生の日常生活がわかって、随分得るところがありました。
もう一つは「気分が悪くともする」。気分が悪いと思いながらもす
る、という事を教わって、それができるようになった。自分の毎日の
仕事を考えてみると、入院中は20日間、全部緊張してできたが、家
へ帰ると、気が緩んで、そうはいかない。3分の1は、気分がよくて
でき、3分の1は、気分が悪いながらもできるが、あとの3分の1
は、どうしてもできない。この話は、面白いから、先生も皆に話して
みようとおっしゃっておられましたが、これはいやという事になりき
らないから、できないのであります。例えば私の場合ならば、書類を
机において、ペンを持ってこれに向かっていればよい、といわれたの
であります。帰ってその通りにやったら、実に不思議にできるんです
な。
もう一つビジネスの事ですが、私は南洋貿易をやっています。いく
ら自分が勉強しても、外界の影響によって、思いがけない危険が常に
ある。金の輸出禁止があれば、大きな変動が起こる。支那の戦争やい
ろんな事で、自分の営業は、いつだめになるか、わからないのであり
ます。例えば大洋の果てに、一点の暗雲を見ると、それがみるみるう
ちに空一杯に拡がり、台風が巻き起こり、自分がそれに巻き込まれ
て荒海の中に投げ出され、鱶に食われるとかいうところまで想像す
る。どうしてこの様な心配・不安を取る事ができるかという事が、大
問題で、それが私の入院した目的でありましたが、得たような、得な 1