第63回札幌5巻を読む会        2021..21    

森田正馬全集 第5313頁 第30回形外会          昭和8218日から   

これが迷信(めいしん)模型的(もけいてき)

のものである。

 いま宗教的の信仰という事から離れて、日常の生活の事になれば、

注射や電気療法や、(くれない)療法、腹式呼吸、生水(なまみず)療法等、一歩(いっぽ)(ゆず)れば、か

地蔵(じぞう)(さま)をだますような、心底(しんそこ)から出ていわしないかという事を、(いな)

と答える事は、容易(ようい)でないのである。すなわちわずかの労力(ろうりょく)で、大病(たいびょう)

一朝(いっちょう)にして治そうとするずるい考え方である。

 また神経質の症状についても、9時間も12時間も、床の中にい

てしかも不眠で(こま)ると(うった)えたら、毎日ノラクラとボンヤリしてい

て、しかも身体(からだ)がだるい、頭がハッキリしない煩悶したり、さては

(はな)(さき)邪魔(じゃま)なるとか、人間で()ずかしいとか、人間の当然の現象(げんしょう)

をなんとかして、自分の思うようにしたいというのは、あるいは神様

を自分の都合(つごう)のよいように、ダシに使うところの迷信(めいしん)似通(にかよ)っている

という事に、(だれ)も気がつかないのである。

 私の教えは、「自然に服従(ふくじゅう)し、境遇(きょうぐう)柔順(じゅうじゅん)なれ」という事であっ

て、これが入院療法の修養(しゅうよう)基礎(きそ)になっているが、私は宗教的の信仰

という事を(はい)して、ただ我々の実際生活というものを直接に見つめる

事から出発する。そして私のこの療法を終わると、今まで宗教に入っ

ていた人は、初めて(しん)信仰(しんこう)というものを会得(えとく)する事ができるように

なるのであります。

  赤面恐怖は図々(ずうずう)しい

 山野井(やまのい) 私は自殺する人は、変質者(へんしつしゃ)だろうと思います。この(あいだ)

も、大島(おおしま)三原山(みはらやま)で、女学生(じょがくせい)が、自分の親友をつれて行って、その自

殺するところを見届(みとど)けてもらったという事がありました。これについ

て新聞でいろいろな人が批判(ひはん)している。私はその動機(どうき)如何(いかん)は、あま

()う必要はない、変質者(へんしつしゃ)なるが(ゆえ)に自殺するのであろうかと思うが、

どうでしょうか。

 行方(なめかた)氏 最近、私の会社で月に10(けん)くらいずつ、自殺で保険金を支

払います。統計(とうけい)をとってみると、原因はたいてい過労(かろう)の結果、神経衰(しんけいすい)

(じゃく)のためとしてあるから、全くわからなくなるが、年齢で見ると、首

をくくるのは、たいてい年寄(としよ)りです。汽車の飛び込みや、剃刀(かみそり)など

は、若い者に多いですね。           逆理:正しそうに見える 前提 と、妥当に見える 推論 から、受け入れがたい 結論 が得られる事を指す言葉

森田先生 変質者には、時どき自殺するものがあるが、その逆理(ぎゃくり)

自殺するものは、変質者だといったら大変です。不必要(ふひつよう)抽象(ちゅうしょう)の理論

をこしらえると、とんでもない間違い(まちがい)()こすものである。武士道で

も自殺するし、昔、()(とう)会社の事件で、その社長の酒勾(さこう)農学博士(はかせ)が自               1

殺した事があったが、それは立派(りっぱ)のようでした。しかるに私の『恋愛

の心理』の内に、批判してある有島や野村(わい)(はん)等が、詩人(しじん)哲学者(てつがくしゃ)

った心中(しんぢゅう)(まった)く変質者であろうと思います。

 坪井(つぼい) 赤面恐怖は、図々(ずうずう)しいと、先生からいわれていますが、私

はその実例をお話します。ある時「金がなくなったが、何かよい事は

ないか」と、友人と話したところが、「鍋島(なべしま)侯爵(こうしゃく)のところへ行けば、た

だで帰す事はない。5円か10円かはくれる」という。ただし佐賀(さが)県人(けんじん)

でなくてはいけないから、私は佐賀県の事などいろいろ聞き合わせて、

(みずか)ら佐賀県人になりすまして、侯爵(こうしゃく)(てい)堂々(どうどう)と乗り込んで行った事

があります。表口(おもてぐち)の方は、立派(りっぱ)度肝(どぎも)()かれたから、裏口(うらぐち)の方へ回

ったら、女中(じょちゅう)が案内してくれた。呼鈴(よびりん)を押したら、家令(かれい)が3人飛んで

出てきた。侯爵(こうしゃく)はおいでですかと(たず)ねたら、土曜日でなくてはおられ

ないという。帰ろうとしたところが、家令(かれい)がとどめて、いろんな事を

話しかける。長く話していると、ボロが出わしないかと、はなはだ苦

しかったが、ようよう「次にまいります」といって引き下がって、ホ

ッとしました。

もう一つ赤面恐怖は、人に迷惑(めいわく)をかけるという事の話です。ある

とき倉田先生のところへ押しかけて行きました。僕が記憶(きおく)が悪くて(こま)

るといったら、倉田先生は「強迫観念は、思うまい、考えまいとする

事から起こるのだから、君のは、疲憊(ひはい)(せい)の神経衰弱(すいじゃく)だろう」といわれ 疲憊(ひはい)疲れ果てて弱ること。疲労困憊

た。この時は、話もポツリポツリして、早く帰ってもらいたいという

素振(そぶ)りでした。このあいだ倉田先生の講演(こうえん)()きましたが、話も要領(ようりょう)

()て、はなはだ面白(おもしろ)かった。

 亀谷(かめや)氏 私は神経質は、図々(ずうずう)しくできないというお話をします。(この)

(たび)私は体格(たいかく)検査(けんさ)ではねられ、遊んでいるうちに、金を使い()たした。

これまで世話になっていた重役のところへ行くと、その(たび)ごとに、(ひょう)

(ろう)はまだ()きないかと、親切にいってくれますが、「まだあります」と

言葉を(にご)して帰って来る。今度(こんど)こそ、行ったらハッキリ実情(じつじょう)(うった)えよ

うと思っても、さて行ってみると、金をもらうのも図々(ずうずう)しいと思い、

()ずかしくて、いえないで帰ってくるのであります。(9時半散会(さんかい)

           (『神経質』第4巻、第7号・昭和87月)

    第31回 形外会  昭和8318

   出席者43人。佐藤・野村両先生、香取会長、井上・荒木両

   幹事(かんじ)の出席あり。香取会長の開会の辞についで、例の如く自己

   紹介あり、今日の出席者の内の症状は、大略(たいりゃく)、対人・または赤

   面恐怖11人、読書恐怖5人、窃盗(せっとう)恐怖2人、そのほか職業

   性書痙(しょけい)神罰(しんばつ)恐怖・所得税恐怖・自殺恐怖・嚥下(えんげ)恐怖・吃音(きつおん)

   怖・心悸(しんき)亢進(こうしん)恐怖・発作性頭痛・そのほか不眠・頭痛・便秘・          2

 

   胃アトニーなどの一般神経質(など)のものがあった。                                

  3面記事が恐ろしく新聞を読むことができぬ

 高橋氏 最近退院した者ですが、私の症状は憂鬱(ゆううつ)・自殺恐怖・対人          

恐怖などです。昨年の8月頃には新聞を見る事もできなかった。それ

3()(めん)記事(きじ)の自殺の事を見るのが、非常の恐怖に(おそ)われたのでありま

す。また道で葬式(そうしき)()う事が苦しかった。かくの(ごと)きさまざまの苦痛

も、跡片(あとかた)もなくなって、先日は先生を熱海(あたみ)(した)って行き、2滞在(たいざい)

ました。

 私は、この病気に20年も悩みました。とくに昭和になってひどく

なり、大阪の別所(べっしょ)先生の所に行き、大分よくなったが、また悪くなっ

た。昨年は、宇佐(うさ)先生のところにもお世話になり、退院すると、また

元の通りになって、しかたなく森田先生のところへまいりました。(こん)

()治らなかったら、自殺しようとまで思いました。先生から、神経質

そのものは治らないが、ただ抵抗力(ていこうりょく)修養(しゅうよう)するのだと、(うけたまわ)ったのが(ため)

になりました。20年苦しみ()いた病気も、今度(このたび)ようやく廃業(はいぎょう)しまし

た。40日間くらいお世話になり、いま考えると、(まった)く夢の様です。

なぜあんな事を()にしたかと、不思議(ふしぎ)に思われます。私は、もう50

()していますが、自分の仕事は、これからだと、感謝と希望とに()

ちているのであります。

 森田先生 自分の容態(ようだい)を、このように赤裸々(せきらら)告白(こくはく)する事ができる

ようになれば、病気は治っているし、治らないうちは、これがなかな

かできないのであります。

 熱田(あつた) 入院中です。所得税恐怖で、働いて金ができると、所得税

がかかるというのが、(おそ)ろしくて、働く事ができず、4年間苦しみま

した。いろんな方法を()くしたけれどもいけないので、しかたなしに

ここにお世話になりました。日記の内に「今日は気持ちがよい」とか

いう事を書いて、「自分の気分の事など書いてはいけない」と注意さ

れ、またその事が気になっております。先生におすがりして、治して

もらうよりほかに、しかたがありません。

 百瀬(ももせ) 一般(いっぱん)神経質で、大正8年に、40日ばかり、入院して、病

気は勿論(もちろん)、すっかり全快(ぜんかい)して、その後(よろこ)んで働いているものです。

 森田先生 君でしたね。お母さんに秘密に入院して、治って後

に、初めてお母さんが、非常に喜んで、礼にこられた事がある。もと

より普通の人が、常識(じょうしき)でこの療法を信ずる事はできないし、それまで

に、さんざんに金をかけて、種々(しゅじゅ)の療法に(まよ)い、どの療法も、治らぬ

ものから、当然またかといって、あやしげな療法をお母さんが承知(しょうち)

てくれないのは無理もない事です。                         3