57回札幌5巻を読む会         2019. 10.17    

森田正馬全集 第5290 第28形外会          昭和71211日から   

  模倣(もほう)してはいけない、ただあこがれていればよい

 浦山氏 ナッシュの話を聞きましたが、彼は(たお)れかかった洋服屋(ようふくや)

見て、自分の事は考えず、その洋服屋を引き受けて、店員に賃金(ちんぎん)をう

んとやって、事業を始めた。それが非常に成功して、模範(もはん)工場(こうじょう)といわ

れるようになった。私もつくづく感心しますが、私にはそんな事はで

きません。また私の知人で、ナッシュにならって、苦境(くきょう)に立っている

靴屋(くつや)断然(だんぜん)引き受けて、割合(わりあい)にもうかった事実がある。その人は、絶

対に請求書を出さなかったけれども、割合(わりあい)に持って来るそうです。精

神修養によって、そんな境地(きょうち)に行けるものでしょうか。

 森田先生 そういう風に、賃金(ちんぎん)をうんとやるとか、請求書を出さな

いとか、そんな事柄(ことがら)文句(もんく)を押し立てては、(まった)くだめです。そんな事

は、成功した人の事を、後から考えて、ある(とく)(しゅ)の事実を言い立てた

というまでの事で、それを模倣(もほう)したり、そのモットーによってやると

いう事は(まった)く、思想の矛盾(むじゅん)になる事です。

 エジソンは3日3晩も、不眠(ふみん)不休(ふきゅう)でやったという。それなら僕が、

3日3夜徹夜(てつや)したら、発明できるかというに、そうはいかん。それ

は成功した人に限った事で、普通の人は、神経(しんけい)衰弱(すいじゃく)になるばかりで

す。

 ナッシュの場合は、主人と(やと)われた人の気合(きあ)いが、ピッタリ合っ

た時の事です。僕が水谷君に、入学試験を受けよといって、ピッタリ

成功した。それは水谷君であるからであって、誰でも、僕のいう通り

になるものなら、それこそ僕は神様になるでしょう。

 我々はナッシュなりエジソンなりの話を()けば、ただ感心(かんしん)して、(えら)

いなあと、あこがれあやかっていれば、いつしか自分も、向上(こうじょう)(しん)(はつ)

(どう)する。ただそのある事実を模倣(もほう)しようとしては、思想の矛盾(むじゅん)になっ

て、決していけないのである。

  失業者(しつぎょうしゃ)に仕事のないのは

 佐藤先生 病院に面白(おもしろ)い患者がいます。意志薄弱(いしはくじゃく)の患者で、ちょっ

と見たところでは、変わりはないが、何もしようとしない。何もしな

いでは、退屈(たいくつ)ではないかと聞けば、退屈ですという。退屈(たいくつ)なら、袋張(ふくろは)

りをしたらよいじゃないかといえば、「何も報酬(ほうしゅう)をくれないから」と

いう。報酬(ほうしゅう)はなくとも、退屈(たいくつ)で苦しいなら、袋張(ふくろは)りをした方がよかろ

うといっても、なかなかやらない。他の患者は、1日3千枚も張る

のに、この男は3百枚も張ると、すぐ菓子や煙草(たばこ)を請求する。それで

誰もこの患者に、仕事を(たの)むものがなくなる。失業者が仕事がないと

いうのも、こういう関係ではないかと思う。                     1

 森田先生 本当にその通りです。一番いい模型(もけい)です。以前ここの入

院患者に「入院料を払って、仕事をするのは、合点(がてん)がいかん」といっ

た人があった。(ぼく)が、それなら、入院料に相当する有害な仕事をした

らよかろうといったら、有益(ゆうえき)有害(ゆうがい)との見分けが、なかなか難しいも

のとみえて、その後は熱心に仕事をするようになった。

 退屈(たいくつ)するなら、足踏(あしぶ)みしたり体操(たいそう)したりするよりは、袋張(ふくろは)りなり(ぞう)

(きん)がけなりをした方がよい。同じ事なら、有効(ゆうこう)で、人からも喜ばれる

事をする方が、一挙(いっきょ)両得(りょうとく)である。

  芸術は実用(じつよう)譲歩(じょうほ)する

 鈴木氏 坪井(つぼい)さん、以前の納所(なつしょ)さんの話は、どうなりましたか。

 坪井(つぼい) あれは観察して見ると、少し(うす)のろで、いばってみたい気

持があるらしい。以前は師匠(ししょう)(しか)られて、ヘイヘイしていたが、僕が

若い住職(じゅうしょく)なもんだから、おうようにしていると、つけ上がるのです。

この(あいだ)、一つテーブルを買いました。安いのと、高いのとで、非常

(まよ)った。結局は、どれを買っても、()いを残す事は、同じであるか

ら、安いのを買って、後悔(こうかい)した方が(とく)だと思って、安い方を買った。

(あん)(ごと)く、よいのを買えばよかったと後悔(こうかい)しました。

 反物(たんもの)など沢山だして、あれやこれやと(さが)すとき、結局ファースト・

インプレッションのよいものを、たいていの人が買っているらしい。

そこで私は、あれこれと迷っているのもおかしいから、その時のファ

―スト・インプレッションによって買う事にしている。やっぱり、研

究して買った方がよいでしょうか。研究しても迷う事は同じだから、

第一印象を取った方がよいでしょうか。

 森田先生 第一印象が、一番よく当たる事は、確かのようです。そ

してそのうえを、いろいろと選択(せんたく)研究して、(ふたた)(もと)へもどった方が、

正しい判断(はんだん)仕方(しかた)です。つまり第一印象は、これが学問上の仮説(かせつ)に当

たる。そしていろいろ実験・研究してこれを証明する。しまいにその

仮説(かせつ)が、真理あると断定(だんてい)されるようになると同様であります。

 しかしデパートの見切(みき)り物売場で、立派(りっぱ)衣装(いしょう)婦人(ふじん)が、やたらに

引っ張り(まわ)しているのは、あまり上品ではないようです。自分の都合

ばかりで、店の人に迷惑(めいわく)をかけてはいけない。我々は今いう通りの複

雑な判断(はんだん)を、できるだけ迅速(じんそく)に、周囲(しゅうい)の人に迷惑(めいわく)にならぬようにしよ

うとするから、なかなかズボラではできない事です。

 ゲーテが、芸術は「実用に譲歩(じょうほ)する」という事をいってある。まず

物を買うにも、実用が第一である。その次が芸術であり、我々の(この)

である。好みを無視(むし)するのは殺風景(さっぷうけい)であるから、これを()てる事はで

きない。

  林檎(りんご)の落ちる馬鹿(ばか)げた事を気にしたから、ニュートン                    2               

  の発見ができた

 今ここでちょっと、赤面恐怖で、最近、全治退院した人の日記を()

(ひょう)してみます。この人はいま東大の法科生ですが、将来の志望(しぼう)が気に

なるという。「近頃(ちかごろ)官吏(かんり)俸給(ほうきゅう)とか、実業家の収入などという事を

研究するようになったが、こんな事に気をつかっているのは、自分ば

かりかと思う。いたずらに将来の事にとらわれて、現在の努力を忘れ

てしまう。しかしそれを(おさ)える事ができないで、気が変になりそうで

ある」とかいう意味の事を書いてある。(よう)するに、これは自分の(うたが)

い、(まよ)いになりきる事ができないで、「人は平気であるのに自分だけが

苦しい」という第一前提(ぜんてい)誤診(ごしん)から、この考えを否定しよう、この苦

痛を逃れようとするのが強迫観念の出発点です。

 しかるにまだ一方には、自分の思惑(しわく)を人と比較(ひかく)する必要は少しもな

い。林檎(りんご)の落ちるのを気にする人はないだろう。こんな事を気にして

はならないといえば、ニュートンの発見はないはずです。学者でも、

哲人(てつじん)でも、みな自分独自(どくじ)疑問(ぎもん)(まよ)煩悶(はんもん)があって、初めて立派な

成功がある。そこに唯我独尊(ゆいがどくそん)という事もある。平々凡々(へいへいぼんぼん)で、なんの疑

問も煩悶(はんもん)もない人に、古来(こらい)成功(せいこう)した(ため)しはありません。卒業後の事を

非常に心配する人は、必ず出世(しゅっせ)のできる人に相違(そうい)ありません。

                       (夜9時前・散会)

       (『神経質』第4巻、第4号・第5号、昭和845

 

  29回形外会   昭和8128

    新 年 会

 午後3時開会。出席者60名。高良博士、佐藤・野村両先生出

席。山野井副会長の開会の()についで余興(よきょう)に移る。

余興(よきょう)のいろいろ

1 (かつら)米丸(よねまる)氏の落語(らくご)「ネギマの殿様(とのさま)

  (はなし)(すじ)は殿様が、向島(むこうじま)へ月見に出かけ、居酒屋(いざかや)に入る。ネギ

マと安酒(やすざけ)をおいしがって帰ったはよいが、ネギマをニヤアと聞

き違え、安酒をダリと覚えて、お屋敷に帰りそれを料理番に命

じて、料理番を(こま)らせるところである。

次に会員の余興(よきょう)

2 森田大尉(たいい)の首くくりの芸

3 山野井氏の童謡(どうよう)

4 長谷川・末政(すえまさ)両氏のお(くに)自慢(じまん)安来(やすぎ)(ぶし)

5 (きよ)(まさ)と母と(とら)のはち合わせ遊び

  まず舞台の中央に、(へだ)ての衝立(ついたて)を置き、両方に紙折(かみお)(かぶと)(つえ)

とを(そな)えて置く。両方に1人ずつ、衝立(ついたて)(かげ)(かく)れ、審判者(しんぱんしゃ)の           3

1、2、3の合図(あいず)で、両方から顔をつき出す。このとき(かぶと)をか

ぶれば(きよ)(まさ)(つえ)を持てば母、四っん()いになれば(とら)で、清正は

虎に勝ち、(とら)は母に勝ち、母は(きよ)(まさ)に勝つのである。なかなか

面白(おもしろ)座興(ざきょう)で、我も我もと(きそ)って、舞台に出る。

 6 職業当て遊戯(ゆうぎ)

   これは2人ずつ出て、おのおのの背に、職業を書いた紙を張

  り、互いにこれを見て、相手の無言の身振(みぶ)りから判断して、自

分の背に書かれた職業をいい当てるのである。説教(せっきょう)強盗(ごうとう)・チン

ドン屋・森田先生・落語家(らくごか)等が面白いものであった。

 7 森田先生の綱渡(つなわた)曲芸(きょくげい)

   チョン(まげ)のカツラをかぶり、(くろ)紋付(もんつ)きに赤だすき、(しり)はしょ

  おりで、日傘(ひがさ)をさした身軽な()で立ち、口上(こうじょう)曲芸(きょくげい)とをみなお

  1人でやられる。広瀬夫人が、三味線方(しゃみせんかた)である。

 (口上)「鳴り物(なりもの)(しず)め置きまして、太夫(たゆう)目通(めどお)りまで正座(せいざ)まーで

(ひか)えさせます。ハッ」と右手をかざした(さま)おかし。「まずは最

初、(つな)調(しら)御座(ござ)い」(たたみ)の上を、両足を(じゅん)()に、ずらせ進む

(さま)、その姿勢(しせい)態度(たいど)(まった)綱渡(つなわた)りのようである。

「次は(うぐいす)の綱渡リーイ、チンチン ~ ~ 」、両足を同時に、

小刻(こきざ)みに、(はや)調子(ちょうし)で進行するのである。

「次は千番に1番の()ね合い、義経八(よしつねはっ)双飛(そうと)びーイと御座(ござ)います

れど、太夫チト喘息(ぜんそく)気味(ぎみ)()()りますれば、次なる芸を()

()えて御覧(ごらん)に入れます。ハッ」といった調子で、思いがけない

先生の芸のうまいのに、一同どっと喝采(かっさい)した。

 8 大詰(おおづめ)・赤面恐怖一座(いちざ)滑稽劇(こっけいげい)三方(さんぽう)一両損(いちりょうぞん)

   配役(はいやく) 大岡(おおおか)越前(えちぜん)(のかみ) 江越(えごし)君(入院中)

      同心(どうしん)    古賀(こが)君(入院中)

      家主(やぬし)    石井君(全治退院者)

      吉五郎(きちごろう)   水谷君(全治退院者)

      (きん)()    長谷川君

   第一(まく)

 幕あく。舞台の右手に、屏風(びょうぶ)を立てて、吉五郎(きちごろう)の家の仕切りにし

てある。

 左手の花道(はなみち)より、吉五郎(きちごろう)(すい)()蹣跚(まんさん)としていで来る。

 歌「ア―、おけさ、(おど)りに、ツイうかうかとよ。月も踊るよ。()

()の夏」

 (きち)「ウーイ。いい気持だぁ。ブルブルッ、やけっぱらに、寒い風

()きやがる。(つら)は、ほてりやがって、足はブルブル(ふる)えやがっ

て、まるで赤面恐怖みたいじゃねえか。見損(みそこ)なうない。(ちく)(しょう)め。お           4

神酒(みき)が上がってるんだぞ。やれやれ、やっと家へ、けえりつきやが

ったな。ブルブルッ、早く一杯(いっぱい)やらなきゃぁ、やりきれねえや」

 家の中にはいる。

親方(おやかた)め、耄碌(もうろく)しやがったと見えて、(おれ)に金3両くれやがった。こ

れで23日うんと飲めるってえもんだ。ありがてえ、どれどれ」

 腹掛(はらか)けを(さぐ)る。

「はぁて、ねえぞ、落っことしやがったかな。それとも()られたか

な」

 (はん)てんを()いで、バタバタと()り回す。

「ねえや、こりゃぁ、奇妙(きみょう)奇天烈(きてれつ)、テレツクテンだ。正月早早(そうそう)、め

でてえ事をしやがった。何を(ちく)(しょう)め、まだ酒の1(しょう)や2升はあらぁ」

 1(しょう)徳利(とっくり)を出して、大椀(おおわん)になみなみとついで飲む。

「アーうめえ。酒は(かん)でも(ひや)でも、うめえや。酒飲めばぁて。知っ

てるかってんだ。人の心も春めきて、借金取(しゃっきんと)りも(うぐいす)の声ってんだ

よ。アアいい気持になりやがった。この(いきお)いで、極楽(ごくらく)の夢でも見る

か」

 グウグウグウ

 このとき花道(はなみち)より、左官(さかん)(きん)()酔っぱらって千鳥(ちどり)(あし)で出て来る。

(うた)都々逸(どどいつ)ぁ、野暮(のぐらし)でぇも、やりくりゃ上手、アアコリャ・コ

リャ。今朝(けさ)もななつやでぇ、ほめられたぁー」

(きん)「おい、兄弟(きょうで)ぇ、どうでぇ。おい、(ため)(こう)。あれ野郎(やろう)帰えりやがっ

たな。(おれ)()かして帰える(やつ)があるかってんだ。ふざけてやがる」

 千鳥(ちどり)(あし)に歩いたが、何かにつまづいて、ころがる。

「アッ痛え。気をつけろ。こん畜生(ちくしょう)。アレッ、財布(さいふ)が落ちてやが

る。いい加減(かげん)に、金を使ってしまったと思ったら、財布(さいふ)をひろった

ぜ。(しのぎ)財布(さいふ)に50両という事があらあ。中を(あらた)めて見るか。金が

3両に、書きつけがへえっていやがるな。なんだ。神田(かんだ)小柳町(こやなぎちょう)(だい)

()の吉五郎、この野郎が、落としやがったんだな。しかたがねえ。

帰り道だ、届けてやるとしようか。チェッせっかく()うた(さけ)()

ちまう。江戸っ子は、つれえな」

(うた)「アー2度と、ほれまい他国(たこく)の人によーか。(すえ)は、(からす)()(わか)

れ」

(きん)「アアここだな。おーい。御免(ごめん)なせえ。(きち)(こう)、いるかあ」

(きち)「だ、だ、(だれ)でえ。人がいい気持ちで寝ているのに、戸口(とぐち)()え立

てるのは、だ(だれ)でえ。用があるなら、とっととへえんねえ」

金「ウー()せえな。用でもなくちゃ、こんな(きたね)え家にはこねえや」

吉「乱暴(らんぼう)(やつ)が来やがった。なんだ手前(てめえ)は」

金「(おれ)神田(かんだ)白壁(しらかべ)(ちょう)左官(さかん)(きん)()ってえもんだ」                   5

(きち)(きん)()か。道理(どうり)で強そうな格好(かっこう)してやがる。だが、(きん)()にしちゃ

ぁ、赤くねえじゃねえか」

(きん)手前(てめえ)みてえな、赤面恐怖じゃあるめえし。まだうでねえんだ」

吉「(なま)で持って来やがった。何か用があるのけえ」

金「何か用があるかじゃねえ。手前(てめえ)柳原(やなぎはら)財布(さいふ)を落っことしたろ」

吉「何をいやがるんだ。柳原(やなぎはら)で落っことしたと知れていりゃぁ、拾

ってくらぁ、どこで落っことしたか、わかるけえ」

金「たしかに、手前(てめえ)のに(ちが)えねえ。実は、(おれ)(ひろ)った。中を調べて

 見ると、金が3両に、実印(じついん)に書きつけがへえっているんだ。サア

手前(てめえ)(かね)だ。取っておけ」

吉「冗談(じょうだん)いうない。べらぼうめい。いったん(おれ)(ふところ)から出たもんだ。

 二度と(ふたた)び、敷居(しきい)をまたがせる事はできねえ。手前(てめえ)にくれてやる

 から持って行け。まごまごしていると、どっ(ぱら)蹴破(けやぶ)るぞ」

金「冗談(じょうだん)いうない。手前(てめえ)(かね)()れているものを、(おれ)が持ってゆけ

 るか。考えてみろ」

吉「オヤオヤ持って行かねえな。こん畜生(ちくしょう)。やるといったら、持っ

て行け。持ってゆかねえと、ぶん(なぐ)るぞ」

金「べらぼうめ。(かね)(とど)けてやって、(なぐ)られてたまるけえ。殴れるも

のなら、(なぐ)ってみろ!」

吉「()かしたな。(あつら)えなら、殴り(たお)してやる」

 ポカリッ、横面(よこつら)をしたたかぶん殴る。

金「あっ痛え。やりやがったな。こん畜生(ちくしょう)。ふざけた事をしやが

る。俺だって、(なぐ)られっ(ぱな)しじゃねえ。この野郎(やろう)ッ」

(なぐ)り返す。

吉「何をしやがる」

 大立(おおた)(まわ)りを始める。ふすまを蹴破(けやぶ)る。家主(やぬし)、あわてふためいて出

てくる。

家主(やぬし)「ちょっちょっとまちねえ。地震(じしん)かと思って、とび出して見り

ゃぁ、この始末(しまつ)だ。(はら)っぱと間違(まち)えちゃいけねえ。喧嘩(けんか)するんな

ら、仲良(なかよ)喧嘩(けんか)しろ。ふすまなど(やぶ)りやぁがって、どうしてくれ

るんだ」

吉「手前(てめえ)新規(しんき)に、こさえるんだよ。しみったれめ。手前(てめえ)なんぞ、

 でしゃばらずに、ひっこんで、(かかあ)(しり)にしかれてろ!まごまご

 しゃがると、長屋(ながや)ストライキをおこして、(こや)しをよそへ運んで、

 (むこ)う10年間、店賃(たなちん)(おさ)めねえから、そう思えッ」

家主「店賃(たなちん)一つ入れねえで、損害(そんがい)ばかりかけやがる。一体なんで(けん)

 ()するんだ」

金「べらぼうめ。好きこのんで、喧嘩(けんか)するんじゃねえんだ。(じつ)はこういうわけなんだ」      6



58回札幌5巻を読む会         2020. 2.20    

森田正馬全集 第5295 第29形外会          昭和8128日から   

(きん)「べらぼうめ。好きこのんで、喧嘩(けんか)するんじゃねえんだ。(じつ)はこ

ういうわけなんだ」

家主(やぬし)「アアそういうわけか」

金「アレッまだ何もいわねえじゃねえか。(おれ)が今夜、柳原を通ると

つまづいたものがある。(ひろ)ってみると、財布(さいふ)なんだ。中に金3両(きん3りょう)

と、書きつけがあって、神田(かんだ)小柳町(こやなぎちょう)大工(だいく)吉五郎(きちごろう)とある。それ

から俺がその金を持って来たんだ」

家主「感心(かんしん)だ。着物はボロを着ていても、(はら)(にしき)でなけりゃぁいけ

 ねえ」

(きち)「ぼろ(にしき)かい」

金「手前(てめえ)の物だから、取っておけと言ったら、冗談(じょうだん)いうな、いっ

たん(おれ)(ふところ)から出たもんだから、(えん)がねえと()かしやがる。(しゃく)

さわるじゃねえか」

家主「もっともだ。怒ってやったか」

金「怒ったとも。俺だって、悪い了簡(りょうけん)で持ってきた(わけ)じゃねえ。ホ

 ンの出来(でき)(ごころ)で持って来たんだから、どうかとっておいてくれと」

家主「変な怒り方するじゃねえか」

吉「受取れるかってんだ。よく考えて見ろ。いったん落としたもの

を、(ふところ)へ入れる様な事があっちゃぁ、先祖(せんぞ)(すけ)(ろく)にすまねえ。持

って帰れ。手前(てめえ)職人(しょくにん)じゃねえか」

金「当たり前だ。それとも殿様(とのさま)に見えるか」

吉「ウン殿(との)(さま)(かえる)そっくりだよ」

金「この野郎(やろう)ッ」(なぐ)ろうとする。

家主「マアマア待ちねえ。いい考えがあらぁ。あの有名な大岡様に

(さば)いてもらう事にしようじゃねえか。のう金太さん。おめえも腹

も立つだろうが、今日のところは、俺の顔を立ててくんねえ」

金「しかたがねえ。卵みたいな手前(てめえ)の顔は、立てにくいが、今日ン

 ところは、立ててやらぁ。吉五郎どうだい。行こうじゃねえか。

 俺が(うった)えてやらぁ」

吉「(うった)えて見ろ、白州(しらす)(こわ)くて・引っ込んだといわれちゃ、先祖(せんぞ)

 (すけ)(ろく)様に、申し訳がねえ。行こうじゃねえか」

   第2幕

 (さば)きの場。奉行所(ぶぎょうしょ)の中。白州(しらす)には、家主(やぬし)吉五郎(きちごろう)(きん)()平伏(ひれふ)

ている。大岡(おおおか)越前(えちぜん)(のかみ)は、まだ出ていない。同心(どうしん)が、(まき)羽織り(はおり)をして

(ひか)えている。

「シーッ、シーッ」                                                                 1

吉「オイオイ家主さん家主さん。誰か白州(しらす)で、赤ん坊に小便(しょうべん)をやっ

てるぜ」

家主「馬鹿な事をいうない。いま御奉行(ごぶぎょう)の大岡様が、これへお出ま

しになるんだ。頭を下げて、頭を」

吉「へえ」

大岡「アア、コリャコリャ。神田(かんだ)小柳町(こやなぎちょう)大工吉五郎(だいくきちごろう)とは、その方

か。苦しうない。(おもて)を上げい。(おもて)を上げい」

吉「(おもて)はいま()めたばかりで」

同心「コレコレ、馬鹿な事を(もう)すな。(つら)を上げろ。(つら)をあげろとい

 うんだ」

吉「(おど)かすない、べらぼうめ。盗賊(ぬすっと)泥棒(どろぼう)をして、ここへ引っ張ら

れて来たんじゃねえんだ。3両の金を落として、受取らねえとい

うんで、願われたんじゃねえか。(おど)かすところがあるか。何を言

ってやがるんだ。しみったれめ」

家主「コレコレ、役人(やくにん)喧嘩(けんか)する(やつ)があるか。何がしみったれだ」

吉「しみったれじゃねえか、武士(ぶし)(くせ)に、(すそ)をはしょっていやがる」

家主「余計(よけい)な事をいうな。笑われらぁ。(だま)って頭を下げていりゃぁ

 いいんだ」

吉「いま上げろというから、上げたんじゃねえか。またさげるのか

 い。頭だからよいけれども、米だと相場(そうば)がくるうぜ。へえ上げま

したよ」

大岡「その方、いんぬる日、柳原(やなぎはら)において、金子(きんす)3両取り落とし、

 これなる金太なる者が、(ひろ)いとり、その方宅(ほうたく)へとどけつかわした

るところ、金子(きんす)受けとらず、乱暴(らんぼう)にも、金太を打擲(ちようちやく)(およ)んだと

いう願い書の(おもむき)であるが、それに相違(そうい)ないか」

吉「へえ、どうもすまねえ。故意(こい)と落としたわけでも、なんでもね

 え。つい粗忽(そこつ)で、落としてしまったんだから勘弁(かんべん)しておくんなせ

 え。先日家へ帰ってみると、親方(おやかた)からもらった金3両をいれた(さい)

 ()がねえ。正月早早(そうそう)めでてえ事をしやがったと思って、1杯のん

 でいると、この野郎が、おせっかいに、持ってきやがって、これ

 は手前の金だってえから、俺は冗談いうなといったんでげす。そ

 りゃ俺の(ふところ)にへえっていりゃぁ俺の金だが、手前(てめえ)のふところに入

って見りゃぁ、手前の金じゃねえかといったところが、この野郎

が、いやそうでねえ。この中には神田小柳町・大工吉五郎という

書きつけがあると、ゆすりがましい事を(ぬか)しやがる。手前にくれ

てやるから、持ってゆけとこういったところが、持ってゆかねえ

ってんで、持って行け、もって行かねえの押し問答(もんどう)だ。じれって

えから、ひっぱたくぜといったら、ひっ(たた)けるなら、ひっぱたい                       2

て見ろとこういうんでげすから、そいつをまたひっ(たた)かねえで

も、物に(かど)が立つだろうと思って、ついポカリと」

大岡「左様(さよう)か。面白い奴じゃな。こりゃぇ金太、何故(なにゆえ)その方は、こ

のおり、3両の金子(きんす)、吉五郎より申し受けぬのじゃ」

金「オイオイ冗談(じょうだん)いっちゃいけねえぜ。オイ大将(たいしょう)

大岡「コリャコリャ。天下の裁断(さいだん)に、冗談(じょうだん)という事があるか」

金「真剣(しんけん)かい。真剣なら、俺の方でも、いってきかせてやらぁ、の

 う」

同心(どうしん)「のうとはなんだ」

金「そうじゃねえか。この財布の中に、書きつけがあるから、当人

のところに届けてやったのだ。もし書きつけがなくても、届塲(とどけば)に困

っていたとしても、往来(おうらい)におっこちていたものを、拾い取ったっ

てんで(しば)るのが、お前さんの稼業(かぎょう)だろう。ねぇそうしておいて、

自身番(じしんばん)に届けろとか、役所へ届けろとか教えて下さるのが、公儀(こうぎ)

 の御役人(おやくにん)だ。金は、たった3両だよ。こんなものを(ねこ)(ばば)にする様

 なしみったれ了簡(りょうけん)なら、いまどきわしゃ棟梁(とうりょう)になっていらあ。

 どうかして棟梁(とうりょう)になりたくねえ。俺ぁ出世(しゅっせ)する様な災難(さいなん)に出会い

 たくねえと思えばこそ」

 泣く。

家主「泣いていやがる。なんだって泣くんだ」

金「泣きたくもならあ。どうかして、店賃(たなちん)を1年も2年もためて見

てえと」

家主「冗談(じょうだん)いうない」

大岡「これこれ()ておけすておけ。両人(りょうにん)とも正直な(やつ)じゃ。しから

 ばこの3両の金子、双方(そうほう)いらんとあらば、越前(えちぜん)あずかりおくがよ

 いか」

金「どうも、すまねえね。あずかっといておくんなせえ。頼むぜ、

 大将(たいしょう)

家主「また大将という。殿様(とのさま)の前だ。神妙(しんみょう)にしろ」

大岡「ついてはその方どもの正直にめで、2両づつ褒美(ほうび)をつかわ

 すが受けてくれるか」

家主「(おそ)れながら家主どもより、当人になり代わって、御礼(おんれい)申し

 上げます。私ども町内に、かようの者出ました事は、ほまれに

御座(ござ)います。有難(ありがた)御礼(おんれい)申し上げます」

大岡「双方(そうほう)とも受けくれたか。この(たび)調(しら)べは、三方(さんぽう)一両損(いちりょうぞん)と申す

 のじゃ。(わか)らんければ、越前(えちぜん)申しきかせる。吉五郎その(ほう)受けお

 かば、3両そのままになる。金太ももらい受くれば、3両。越前

 もあずかりおけば3両。しかるに越前1両を(くわ)え、双方(そうほう)へ2両(きん)                       3

ずつつかわす。これを三方(さんぽう)一両損(いちりょうぞん)と申すのじゃ。(あい)わかったか」

家主「恐れ入りましたる御取(おと)(はか)らい、有難(ありがた)()(あわ)せに、(ぞん)(たてまつ)

 まする」

大岡「わかったら、一同(いちどう)()て、アアまてまて、大分調べにひまどっ

た様じゃ。両人とも、さだめし空腹(くうふく)相成(あいな)ったであろう。コレコ

レ両人に酒肴(さけさかな)をとらせよ」

同心(どうしん)酒肴(さけさかな)を運んで来る。

吉「オイ金太。有難(ありがて)えじゃねえか」

金「大将話せるのう」

大岡「吉五郎、今日の酒は、兄弟分の(さかずき)じゃ。()仲裁人(ちゅうさいにん)じゃ」

吉「へへっ」

 同心、吉五郎の(さかずき)に、なみなみとつぐ。吉五郎飲む。(さかずき)を金太に

渡す。

吉「金太、手前(てめえ)と俺とは、今日から、兄弟だそうな。(おれ)喧嘩(けんか)する

 時にぁ、とんで加勢(かせい)に来るんだぞ」

金「(たよ)りねえ兄弟だな、どうも。よし俺も江戸っ子だ。手前(てめえ)をぶん

 なぐる(やつ)ぁ、(かた)(ぱし)から、俺がどてっ(ぱら)蹴破(けやぶ)って、2つに()

 て、鼻かんでやらあ」

吉「ありがてえ。それでこそ兄弟だ。その(かわ)りナ、(おれ)手前(てめえ)が、

 夫婦喧嘩する時ぁ、とんで行って、一緒に手前の(かかあ)をぶんなぐっ

てやるからな」

金「痛えところをいやがる。俺は(かかあ)には、頭が上がらねえんだ。()

もうじゃねえか。大将、遠慮(えんりょ)なくいただきやすぜ」

大岡「遠慮なくのむがよい。歌うがよい。()はいままでかような()

(かい)(さば)きをした事がないぞ」

金「うめえや。殿様(とのさま)の酒はたけえだろうな」

吉「手前(てめえ)ばかりでのんでおらずに、家主さんにもさしなよ。(よだれ)なが

 してやがる」

金「家主さん。心配かけたな。どうも」

家主「俺もこんな面目(めんもく)をほどこした事はねえ」

吉「あーいい気持になりやがった」

金「歌おうじゃねえか」

大岡「アア歌うがよい。今はやり草津(くさつ)(ぶし)はどうじゃ。越前(おうぎ)をも

 って、拍子(ひょうし)をとってつかわす。ワンツースリー」

 歌。金太・吉五郎・家主・同心・一緒に歌う。越前(えちぜん)(のかみ)もしまいに

歌い出す。

歌「草津(くさつ)よいとこ、一度はおいでドッコイショ。お湯の中にも、コ

リャ花が咲くよ、チョイナチョイナ。花が咲くとは、そりゃ(うそ)です                     4

  よ。ドッコイショ、4百4病のコリャ薬だよ。チョイナチョイナ」

  まず金太たって踊り、終わり方に、吉五郎も家主も、同心も越前(えちぜん)

(のかみ)も、みんなおどり出す。             (まく)

喜劇(きげき)を終わって、座談会に移り、まず(れい)(ごと)く、会員の自己紹介か

ら始めた。

  伊勢屋(いせや)開業(かいぎょう)因縁話(いんねんばなし)

 森田先生 この機会に、私が今度(こんど)、伊勢屋を経営し始めたという事

因縁話(いんねんばなし)をしようと思います。まず私の今年の年賀状を読んで見ま

す。

   賀正  昭和8年正月

 人の()り行きというものは、面白いものです。今度(こんど)私は、ツイした

行きがかりから、熱海海岸通り・温泉旅館・伊勢屋の主人になりまし

た。暮れには、大勢の職人が夜を日についで働きました。大晦日(おおみそか)に、

無理やりに開業。たちまちお客の申し込み多く、正月松の内は、超満

員で、女中(じょちゅう)部屋(べや)までも占領(せんりょう)され、従業員は忙しくて、(ほとん)ど寝る時があ

りません。

 私がかくなった因縁(いんねん)は、なかなか話の(たね)にもなる事で、あるいは雑

誌「神経質」で、御吹聴(ごふいちょう)する機会があるかも知れません。これから

は、私は「どこがお悪いですか」と、「ヘイ、いらっしゃいませ」と

の使い分けをすることになりました。

 私は暮れから、正月にかけて、熱海(あたみ)で、この(ほう)の世話を焼いていま

したので、ついお年賀も忘れておりました。こんな事では、お客あし

らいの事も、如何(いかが)かと存じますが、どうか大目に、おゆるしをお願い

申し上げます。

 なお今度(こんど)、私の気に入りましたのは、12(つぼ)という大きな浴場(よくじょう)(こころ)

(もち)よい事と、「(すな)むし」と(しょう)するポカポカと(あたた)かい部屋で、原稿(げんこう)を書

いたり、()(しょうぎ)をしたりする事であります。多くの方が、別荘とい

うものを持たれます。私は東京が寒ければ、早速ここににげます。ち

ょっと電話をかけて、出向きさえすれば、従業員が万事の世話をして

くれます。なんの不自由もありません。旅館の副作用として、どんな

別荘よりも、安楽(あんらく)百パーセントかと存じます。

 今この伊勢屋で働いているのは、ここにいる井上君と浦山君とで、

2人ともここの入院患者の中で、ごく成長のよかった人です。たった

これだけの神経質という関係で、神経質の真面目・正直という事を標

準にして、この大金の資本を要する旅館経営をまかせるという事は、

よほど面白い因縁(いんねん)でなくてはなりません。しかもこの二人は、ともに

旅館事業などには、まったく経験のない素人(しろうと)であるにもかかわらず、

私共が心を許して信頼(しんらい)するという事も、面白(おもしろ)い事ではありませんか。                     5

 私が初めて伊勢屋を知ったのは、昭和2年7月の事です。このとき

私は家内や子供等とともに湯ケ原温泉に行くつもりで、汽車に乗った

ところ、偶然(ぐうぜん)に浦山君に会った。浦山君の親戚(しんせき)熱海(あたみ)にあるという事

で、湯ケ原を中止して、伊勢屋に泊ったのである。

 1昨年の暮(昭和6年)、避寒(ひかん)のため、久し振りに思いたって、妻と

ともに伊勢屋に泊った。ところが家は(きたな)らしい、(たたみ)はすっかり真黒

である。私は早速(さっそく)(たたみ)表替(おもてが)えをさせた、私のつもりでは、それは茶

代の代わりにやるのである。そのような事から、宿(やど)のお婆さんから、

親しく思われたに相違(そうい)ない。次に昨年の2月、例のごとく避寒(ひかん)で、伊

勢屋に泊っていたある日、突然にお婆さんが、泣きついて来た。い

ま5日以内に千五百円のお金がなければ、十人の家族が路頭(ろとう)に迷わな

ければならぬという。

 この時に、私がツイ口を(すべ)らせたのが、よくなかった。それは、

「もし浦山君からでも、頼まるればともかく、こんな大金を、出し

抜けに、他人の自分にいってきたって、しかたがない」といったこと

である。すると、お婆さんは、話の途中(とちゅう)に、なんの挨拶(あいさつ)もなく、トン

トントンと2階を降りて行って、それきりであった。その翌日(よくじつ)夜遅(よるおそ)

く、浦山君が、大阪から到着(とうちゃく)した。それはお婆さんの至急(しきゅう)電報(でんぽう)によっ

てであった。私もしかたなしに、その金を出す事になり、行きがかり

上、ツイツイ深入(ふかい)りして、昨年の5月、2(ひゃく)(つぼ)地所(じしょ)を私が銀行から

引き取る事になり、引き続いて、今度(このたび)この新築ができるようになった

のである。この金は、私の国もとの母や、兄弟中の金を()せ集めた

り。銀行から借金(しゃっきん)したりして、ようやくととのえたのであります。

 新築には、暮れの31日に、開業早々超満員で、宿代(やどだい)が安くて、料

理のよいのが評判(ひょうばん)だそうです。いま従業員(じゅうぎょういん)は、料理人・番頭(ばんとう)・女中等

は、経験のある者を(やと)ったのですが、主任になるものは、みな素人(しろうと)

で、収支(しゅうし)計算(けいさん)はこの後どうなるか。とにかく大きな事になった。私の

方針(ほうしん)は、実質的(じっしつてき)真面目(まじめ)にやるつもりで、決してもうけるとかいうよ

うな考えを持ってはならぬと(いまし)めております。サービスといっても、

やたらにお辞儀(じぎ)愛敬(あいきょう)をふりまいたり、するにも(およ)ばぬ世話を焼いた

りするのではない。掃除(そうじ)がよく行きとどき、布団や浴衣(ゆかた)やは、常に清

潔に、食事なども間に合うようにと、必ず実際的でなくてはならない。

お客も十人十色(じゅうにんといろ)でいろいろありましょうが、いたずらに無理な要求が

あったり、風俗(ふうぞく)の悪かったりするものまでも、(だれ)(かれ)もと歓迎(かんげい)する必

要はない。たとえ宿屋(やどや)という商売でも、少なくとも真面目な人生観の

指導者になろうという見識(けんしき)をもっていて、さしつかえない事であり、

またそれによって、決して破産(はさん)する事はなかろうという、自信をもっ

てやるのであります。                                                               6