第3回 形外会  2

 市川氏 私も黒川君と同じ頃に入院しましたが、退院して家に帰っ

て見るとまず家の汚いのに驚きました。それからは暇さえあれば掃除

です。仕事がなくなると、近くの親戚の家へ行って、草取りから掃除

をやってしまいました。今度は遠い親戚の家に、電車に乗って掃除に

行きました。患者があれば、電話で呼び返されて往復しました(笑声)。

このような事から、私の生活や考え方がすっかり一変しました。私も

黒川君のように、生来創造力のないものと思っていましたが、医学者

の発見でも、エジソンの発見でも、すべて吾人の欲望の発揮で、これ

に対する深い注意と努力との(たまもの)だということがわかりました。私は今は

医者のほかに、他の事業にも手を出して、奮闘している次第でありま

す。

 井上氏 私はついこの頃退院したものです。友人に会うと、いかに

ゆったりしている、議論が鋭くなったとかいわれます。どうして太

ったかと聞くから、森田先生の家に行ったからだと答える。どうすれ

ば行けるかと聞くから、まず神経衰弱になれと答えました(笑声)。

今では、人にも親にも知られぬ苦しみをしていましたが、今はそれ

と反対に、人にも親にも知られぬ喜びに満ちています。 

これから先生への質問に移る。

 一 修養とは、どうすればよいか (後籐氏)

二 完全欲のために苦しむのをいかにすればよきや (安増氏)

三 予言の的中する事実について (石川氏)

以上に対する先生の説明は、実に明快であって、あくまでも具体的

で実行的である。以下略記する。

 一 修養とは何ぞ こんな問題は、単なる思想であり空論である。 

結局は話の面白さに過ぎない。思想の遊戯である。人格を立派にする

とか、精神を統一するとかいっても、みな抽象的の机上論である。冷

水浴をやって、炬燵(こたつ)(もぐ)ったりするのは、単なる冷水浴という事柄

にとらわれた結果にとどまり、腹式呼吸をやって、のべつに下腹に力

を入れていても、決して進退、挙止のかけひきのできるものではない。

「事上の禅」という事があるが、修養は単なる坐禅ではない。事ごと 

に実際に当たるのが本当の修養であるのである。 

総じて人にはみな欲望がある。学者になりたい、フォードのように

大実業家になりたい、命はあくまで長くありたい。我々は皆そのため

に努力する。そこに修養がある。当てもない空論ではない。黒川君の

ように、偉い人になりたいために、士官学校、陸軍学校と勉強する。

神経衰弱になったから、これを治すために、療治をやり尽くす。市川 

君もいわれたように、小児の肺炎を治すために全力を尽くしたなど、

皆ことごとくそのままの大なる修養である。もっと手近くいえば、試

験があるから勉強する、貯金をしたいからむだ遣いをしない。今日の

ような形外会でも皆お互いにいかにすれば、これを盛んに面白くする

事ができるかと工夫する。それがそのままの事上の禅である。ここに

注意すべき事は、便所の汚れたのを見兼ねて、これを清潔にするのは

修養であるが、修養のために、便所掃除をするのは邪道であって、実

にこの出発点から、いわゆる毫釐(ごうり)の誤り、千里の差を生ずという風に

なるのである。諸君は世の教育家、宗教家などに、この種類の多くの

人を見出すであろうと思われる。修養のために苦行するのは、小乗の

教えであって、大乗はある一定の実際に当たって、工夫努力の苦心を

するのである。つまり修養とは、その人、その境遇、その場合、その

時に応じ、必要に応じて、その目的に対して、ベストの努力をする。

そこに修養があり、創造があり、進歩があるのである。だから後藤君

も自分自身に直接の必要を感じた質問でなければならない。

 後藤氏 実は私が平常修養したいと思っている事の一つとして、私

は自分が不快な気持の時、他人に対して、気持よく応対する事ができ

ないで、自分独りの不快を他人にまでおよぼして、人に不快を与える

という事は、不徳の事と思うが、これを修養するには、どんな心掛け

でいればよいでしょうか。

 森田先生 人に不快を与えないようにする事は、もとより一つの大

切な修養である。倫理・道徳的にいえば、親に対し人に対しては、常

に温容をもって接しなければならぬという事になる。しかるにそれは

何故であるか、自分はなんの目的でその様な事をするのか、自分の本

心を知るのが自覚であって、この自覚から出発して工夫した方が、最

も思い違いや間違いの少ない方法ではないかと思われる。その目的

が、もし単に相手に不快を与えないというだけの事ならば、例えば子

供に菓子を与えれば、子供は喜ぶけれども、腹を悪くする恐れがあ

る。その目的がもし人に幸福を与えるためならば、たとえその子供の

機嫌を損なっても、苦い薬を与えなければならぬ場合もある。

 自分が不機嫌の時でも、他人のために笑わねばならぬという骨折り 

の犠牲を払う事は、自分の忙しい時でも、他人の仕事を手伝わねばな

らぬとか、やりたくない金も、人を喜ばせるためには、やらねばなら

ぬという事に相当する一つの犠牲であり、奉仕であらねばならない。

私は自ら私の日常の事を(かえり)みるに、不機嫌の時は、目下の者に対し

は、容易に笑わないで、ツンツンしているが、それでも目上の人に対 

しては、容易にツンツンはしないで、相当に会釈(えしゃく)(わら)いを捧げているの 

である。それは私が目下の者には、少々排斥(はいせき)され、悪く思われても意

に介しないが、目上の人には、よく思われ、快くしてもらわなけれ

ば、なんとなく心細いからであります。これが私の心の事実に対する

自覚である。

 支那の教えには、位が高くなるほど、体を低くしなければその位を

保つ事ができない、という事があるが、それは下級から排斥さるれば 

勿論(もちろん)その椅子を保つ事ができないからである。私でも勿論、女中がツ

ンツンして御馳走をしてくれない時には、少々は女中にもお世辞をい

うようになる事もあるのである。

 日高氏 目上の人にはへつらって頭を下げ、目下の者には不機嫌で

いるという事は、修養という事と反対ではないでしょうか、それでは

人間に道徳などいう事がなくなりはしないでしょうか。

 森田先生 私はただ私の心の事実を白状するだけです。私は善悪を 

論ずるのではない。善の哲学をいうのではない。私は倫理学者や哲学 

者でない。私はただ事実を正しく観察、研究する科学者になりたいと  

念じているだけの者です。で君の日常は目下の人には頭を低くし、目 

上の人には不機嫌でいますか(笑声)。人がおのおのその自分の心の

事実を認めるようになる事を自覚といい、その心の奥の底まで、見

通しがつくのを正覚(しょうがく)といい、仏様になる前提であります。新鸞(しんらん)上人(しょうにん)

自分は悪人であり、罪の深いものである。したがって人を裁く力はな

いといわれたのは、新鸞の正覚である。君の質問は、新鸞が自ら悪人

であるといったから、世の中の人は、皆悪人になってもさしつかえな

いかという意味のものになる。紀元前五十年頃のエピクターテスが、

「人もし善人たらんとすれば、まず自ら悪人たる事を認めよ」と、いっ

た事がある。我々は自分が不良不正である事を知って、常にこれに気

がつけば、まだその上に悪を重ねて行く事は、我と我身の上があまり

に心細くてできない事である。

 我々は強いて欲ばりで、無理に善人にならなくともよい。ただ事実

のあるがままを認め、自然に服従し、環境に従順であって、自分で努

力をするのも、ズボラをするのもおのおのそれ相当の応報、結果を受

ける覚悟でいさえすればよい。すなわち人に不機嫌をもって当たれば、

その報いを受け、人に親切の押売をして、後に恨まれても、その罪を

引き受ける覚悟で、常に卑怯とごまかしとがなくさえあれば、それが

勇者であり、善人であるのである。

 二 完全欲が強すぎて困る あまり徹底し過ぎる、それが邪魔にな

って苦しい。それをいい加減に調節したいという意味の質問である。

しかるにこの完全欲の強いほどますます偉い人になれる素質である。

完全欲の少ないほど、下等の人物である。この完全欲をますます発揮

させようというのが、このたびの治療法の最も大切な眼目である。

完全欲を否定し、抑圧し、排斥し、ごまかす必要は少しもない。学者 

にも金持にも、発明家にも、どこまでもあく事を知らない欲望がすな 

わち完全欲の表われである。我々の内に誰か偉くなって都合の悪い人  

がありましょうか。偉くなりたいためには、勉強するのが苦しい。そ

の苦しさがいやさに、その偉くなりたい事にケチをつけるのである。 

あの人が自分に金をくれない、それ(ゆえ)にあの奴は悪人である、とケチ 

をつけるようなものである。偉くありたい事と苦しい事と差引きして 

考える必要はない。これを別々の事実として観察して少しもさしつか 

えはないのである。この心の事実を否定し、目前の安逸(あんいつ)を空想するの 

が、強迫観念の出発点である。吾人の完全欲、すなわち向上心のある 

事は、丁度水が低きにつくと同じ自然の勢力である。水はどこまでも 

流れ流れてやまざらんとする。岸があれば曲がり、岩があれば砕け、 

土があれば押し流して進む。これが自然である。エジソンが汽車の車 

掌になれば、その汽車中に実験室を設けて研究を続けた。これが土を 

押し流す完全欲の力である。ある時エジソンが汽車中で火事を起こし 

免職されて、今度は電信局に雇われて、やっぱり自分の好きな研究を

続けた。これが岸にぶっつかれば曲がりて流れる欲望の力である。完 

全欲を否定したりごまかしたりする必要は少しもない。この完全欲を 

そのままに持ちこたえて行く事を自分の心の自然に服従するといい、 

おのおの環境の変化に順応して、ますます工夫に努力する事を環境に  

従順であると称するのである。

 三 予言については 私の著『迷信と妄想』を読んでもらいたい。

このような質問は、自分で実験した事でなくてはいけない、人から聞  

き伝えた事ではなんにもならない。最近に私の聞いたのは、ある軍人  

で、その母が日蓮宗の信者で、その予言が非常に敵中するとの事であ 

る。それはその軍人が行軍の時に、火傷をしたのを母が予感したとい

うのである。聞きただしてみると、母の予感は、寝ている時に、足が  

ピリピリした事で、その軍人の火傷は手の指であった。その時間的の

関係もはなはだ曖昧である。他愛もない事である。しかもこれが二、

三の人の口を通過して行くと、驚くべき精神の感通になってしまうの

である。すべての預言は、必ず抽象的の事で、幾様にも意味のとれる

言葉を用いるものである。余の随筆の中に、余が有名なる某易者に見

てもらった記録がある、その全体を見れば、全く馬鹿げたごまかしで

あるという事がわかる。


「神経質」雑誌についての希望は、もう少し平易に書いて欲し

い。患者の快癒した体験談が一番嬉しいから、なるべくだして

もらいたい。患者の短歌等もだしたい。質疑、応答欄も設けて

もらいたいなど。

七時から食事、その間にも先生のお話があり、そこにもここに

も親しい顔が集まって、追懐談に花を咲かせた。

     京都支部消息

 去る二月二十二日に京都三聖病院で、かつて当院で治療を受けられ

た人々の茶話会を催しました。 この催しについては大正十四年、森

田・今村両先生の大講演会以来、諸方の患者方からもその話があり、

いつも考えていたことでありましたが、適当な機会がなくてこのたび

初めて実現したのであります。それはかつて当院で治療を受けられた

倉田百三先生が入洛(にゅうらく)せられたのを機会ににわかに思いついたことであ

ります。


 三聖病院で宇佐先生の治療を受けられた患者は、大正十二年以来約  

六百名余りありますが、今回は時間の余裕がなかったためにその内、滋 

賀、京都、大阪、神戸(あたり)の主なる人びと七十余人に案内したのみであり 

ます。来会者約五十名、午後三時開会の予定でありましたが倉田先生 

た人びとも熱心に待っておられました。宇佐先生が開会の挨拶を兼ね 

て仏教の偏計所執(へんけいしょしつ)(せい)のお話をせられ、神経質者の迷妄(めいもう)は丁度偏計所執 

縄片(なわへん)(へび)かと思って驚いたり、蚊やりの煙を火事と見違えて大騒ぎ 

をしたり、洗濯竿の腰巻を幽霊と思って恐れおののくようなものだと

いう面白いお話がありました。このお話のすむ頃に倉田先生が息も切

れそうに急いで駈けつけられ、直ちに御自分の体験談を始められまし  

た。かつては病苦に懊悩しておられた先生が、今や目のあたり大変お 

元気な姿で立たれたのを見て実に今昔の感に打たれました。先生は長 

い間強迫観念症に悩まれ、あらゆる療法を尽くされ、最後に京都の済 

世病院から当院に通って、宇佐先生の治療を受けられるに至った経過

から治療中の事や治療後の状態等を詳細に話されました。ことに現在

入院の患者に向かっては、くり返しくり返し実に親切丁寧にお話下さ 

いました。「耳鳴りのつらさはたとえようがなかった、丁度石油缶の 

中に入れられて、外から大勢の人に()られるようなものであった」 

「初めは片方だけの耳鳴りが後には両耳とも激しく鳴り出した。これ 

ではどうなることかと思った。」

(『神経質』第一巻、第三号・昭和五年四月)