第53札幌5巻を読む会 2019. 2.21
森田正馬全集 第5巻271頁 第26回形外会 昭和7年10月16日から
で、常識的の判断と、実際の事実とは、しばしば大なる間違いのあ
る事は、我々の日常知るところである。地動説や私の神経質説など
も、みな常識とは、逆の考え方である。
我々の知識の進歩・真理の発見には、まず質問・懐疑という事から
出発する。疑問があってこそ、初めて研究心が起こるのである。我々
は、先入見や伝統や独断やで、そのままに決めてしまって、少しも疑
わない時には、ただの凡人である。「林檎はなに故に下に落ちるか」
という疑問が起こる。凡人は「それは落ちるに決まった事である、何
がはない」という。強迫観念は「こんなつまらぬ考えが起こって、精
神の統一を失って困る」という風に、これを苦悩するようになる。林
檎の落ちる事を真剣に疑問としてこそ、初めてニュートンが、引力を
発見したのである。前の空気停滞の問題も、従来の学者の伝統にとら
われずに、ふとした機会に、ある疑問が起こって、初めてこの研究が
できたのである。
人間の指は、切りそろえたように、一様ではなくて、なに故に長短
が不ぞろいであるか、といえば、強迫観念ならば、正に詮索・疑問恐
怖となるべきところである。しかるに深くこれを研究・考察する時
に、誠にこれは手中に、球をつかむに、ピッタリと適応するようにな
っている。猿の拇指は、人間のように、他の指と相対向せずに、同じ
方向に向い、枝に飛びつくにはよいが、物をつかむには不適当にでき
ているのである。
当然起こるべき疑問を否定するから、強迫観念になる
ある学者は、「睾丸は大切な器官であるのに、なに故に腹中に保護
されないで、外に放任されてあるか」という奇想天外の疑問に遭遇し
た。幸いに強迫観念にならずに、研究の結果、腹中は温度が高いため
に、精虫の発育に不適当という事がわかった。それ故に陰嚢は、暖か
そうな場所らしきにもかかわらず、常にこれに触れば、冷却している
のである。しかるところ、ある22歳の北海道の一学生は、神経衰
弱といわれて、某医師に百円の手術料を払って、若返法というのをや
ってもらった。その手術ははなはだ簡単なもので、陰嚢からハサミを
突きさして、ちょっと輸精管を摘み切るだけで、血の出るような大手
術ではない。この患者は、その後陰嚢にさわれば、冷却を感じ、また
睾丸の圧重感を起こして、絶えずこれを気にするようになった。この
患者は、実は今まで、陰嚢というものは、暖いはずのものが、手術の
結果、これが冷却してしまったと独断したのである。冷たいものか、
暖かいものかという事の疑問は、決してこれを起こそうとしないので 1
ある。
倉田氏は、かつてすべて見るものが、観照ができず、物を全体に統
覚する事ができず、全体を見れば、局部が見えず、その局部局部を、
二つ宛、対にして見るようになり、その強迫観念のために、非常に苦
しまれたのである。私は倉田氏のこの経験によって、初めて我々が物
を感得・認識する吾人の心理について、あるヒントを得たのである。
いま詳しい説明をする時間はないが、我々の意識は、必ず局部を注視す
れば、その全体を見えず、その全体を見れば、局部は明らかにこれを
見る事ができない。我々の注意の焦点は、ただ一点であって、周囲の
視野は広いけれども、その一点以外はすべて漠然としか見えないもの
である。すなわち我々の統覚は、例えば松の葉なり、幹の皮なりを見
て、その全体の松の認識し、その局部局部をも認識したと思っている
だけで、実は注意を集中したのは、ただ一点であるのである。これが
常態の心理であるのに、倉田氏は、これを一度に、その局部を同時に
認識しなければ、全体の観照のできるはずがないと独断して、不可能
の努力をし、すなわち強迫観念の苦悩をなめたのである。この時に
我々の認識の心理につき、疑問を起こして、これが研究を進めるとい
う態度に出なかったがためである。結局は強迫観念は、いずれも当然
起こすべき疑問に対して、これを馬鹿げた事とし、そんなはずはない
として、これを否定せんと苦しむものである。
赤面恐怖でも、腹が立ちやすくて困るという人でも、少しく物その
事に深く見入って、ここに疑問を起こし、吾人はなに故に恥ずかしい
か、吾人はいかなる際に腹を立てるかなど、観察・研究の歩を進めれ
ば、心理学者にこそなれ、決して強迫観念には、ならないのである。
腹の立つ時どうすれば腹が和らぐか
八間氏 ちょっとした事に、癪にさわる。先方に対して、言うのも
あまりつまらぬ事であるし、言う事もできない。腹が立って苦しい時
に、思いきって言ってしまえば、腹立ちが和らぐものでしょうか。言
ったがよいか、言わないがよいでしょうか。
森田先生 質問の要点は、自分の腹立ちの不快感をさるのが目的
で、相手の都合とか、自分が人から好かれたいとかいう問題には、少
しも触れていない。純粋の自己中心的の質問のようである。しかも君
は、この年齢になって、まだ思うままに言った時と、言わなかった時
との、後の結果を経験した事がありませんか。もしないとすれば、他
の人と少しも交渉のないただの善人である。もし経験しても、少しも
その結果を知らないとすれば、それは全く観察・研究心の欠乏したも
ので、そんな人に教えても、理解のできるはずはない。腹のへった
とき、食いすぎるがよいか、食わないがよいか。そんな事は、問わな 2
くとも、みな誰でも経験しているはずである。向う脛を打って、飛び
上がるような痛さを経験した人には、その痛さは教えなくともわかる
し、経験のない人には、教える事は不可能である。ともかくも、君の
問い方が、根本的に要領を得ていない。まだ本当の修養に達していな
いのである。
八間君が腹が立って、3、4時間も経て、まだ胸の中が熱いような
感じがするという。これはいたずらに、自分の腹立ちの気分に執着し
自分は腹が立たなければ、楽であろうに、なんとかしてこの苦しみが
なくなればよいにとか、その事ばかりに、心を集中するから、いつま
でも忘れられない。ただ腹の立つままに、しかたなしに放任しておけ
ば、自然に我々は、「心は万境に随って転ず」という風に、いつのま
にか、ほかの事柄に、心が紛れて、じきに忘れてしまうはずである。
これが自然の心である。神経質の自己中心的の執着がある間は、この
自然の心はできないのである。
柱につき当たればムッと癪にさわる
皆さんの内にも、腹の立つのはなぜか、いかなる場合に腹が立つ
か、という疑問が起これば、それが研究・進歩の出発点であって、こ
の時に、私が初めて教える事ができるけれども、その疑問が起こらな
いうちは、決して進歩はないのである。
腹はどうして立つか。腹は立つべき時に立つ。悲しい時に悲しく、
痛い時に痛いと同様である。我々の本能的の反応である。突然に足元
から鳥が立つ時に、ビクリと驚く。思いがけなく、柱に頭を打ち当て
て、ガーンと痛かった時に、ムカムカと腹が立つ。失敬な柱だ、こん
な不都合なところに立っているから、当たったのだ。殴ってやりたい
にも、手が痛くて、どうにもできない。なんとか腹いせはできないも
のかと考える。これがある一定の境遇に対しての本能的反応であっ
て、柱に当たって喜び、鳥が立って落着くという訳にはいかない。す
なわちこれは、我々の作為をもって、どうする事もできない。ただそ
うであるよりしかたがない。これを驚かないように、腹立たないように
すれば、すなわち強迫観念になるのである。
また小児はおりこといわれれば喜び、馬鹿といわるれば怒る。我々
でも、出し抜けに馬鹿野郎と面罵さるれば、ムッと癪にさわる。これ
はごく単純なる本能的の憤怒である。
我々がしだいに、物心がつき、精神が発達するに従い、物の見境が
つくようになれば、外界の対照の如何によって、腹の立ち方が違って
くる。およそ腹立は、自分に対して、苦痛・不利益を与えられ、あ
るいは快楽・幸福を奪われると予想し、もしくは現実にされる時に起
こるのもである。しかもその不利益の相手が、地震・雷・火事・親父 3
とかいうものである時は、その力量が過大で、自分がいくら頑張っ
ても、抵抗できないから、腹立たしさも追いつかず、大いに閉口し
て、畏怖の情となる。これにしも、なお反抗するならば、それはいわ
ゆる蟷螂の斧であり、白痴や変質者の盲動であるのである。
互角の力量が初めて憤怒の対象になる
親父・先生・偉い人・神様などに対しては、我々が幸福を与えてく
れると予想する時に、尊敬となる。神様は目に見えぬものであって、
想像的のものであるから、神秘的に信仰となり、またその反対の神罰
は、畏怖となり、一種の幽冥な空恐ろしさにある。 幽冥:あの世・冥土・神仏の世界
次には自分に対する不愉快・不幸の相手が、自分より弱いもので、
自分の力で、どうにでもする事のできるものには、例えば子供にから
かわれたり、自分の幼児にひっかかれたりしたような場合は、度外視
とか軽蔑とかの感情となる。もしこのときそれ相当の腹立ちが起こる
ならば、自分はその子供相当の白痴のような見境のないものであるべ
きである。
それで最も腹立ちに都合のよい、適当したものは、自分と互角の力
量の者で、自分が奮発すれば勝ち、威嚇すれば、相手をへこます事の
できるものである。その見定めのつく時に、人は最も適切に、癪にさ
わり・腹立ち・憤慨し・憤怒するものである。もし見方が、見当違い
をする時は、その人は認識不足であり、知恵がなく、低能であるので
ある。精神病には、勿論その見境がないから、単なる不快の刺激さえ
あれば、誰にでも腹を立てるのである。
なお腹立ちの起こる事情には、外部の事情のほかに、自分自身の不
機嫌の事情や、下痢とか身体の病的の事情など、さまざまの条件か
ら、ともかくも腹立ちの起こるには、その起こるべき条件が、ピッタ
リとそろって、初めて起こるから、これを自分の都合のよいように、
怒りたい時には怒り、怒りたくない時に、怒らぬという訳にはいかな
い。例えば、「サア足元から鳥を立たしてくれ、ビックリして見るか
ら」といって、ビックリする事の出来ないのと同様である。すなわち
我々の修養には、この腹立ちをさまざまに作為して、やりくりするの
ではない。ただそのあるがままに、腹立っているよりほかにしかたが
ない。修養の方法は、実にその外にあるのである。すなわち、腹立ち
のないようにしようとして、丹田に力を入れたり、落着き平気になる
工夫をしたり、これをジッと我慢する方法を講ずる。私にいわせる
と、実にそんな面倒な工夫は、害あって益のない事である。
腹立ちの目的に必勝を期すればよい
それなら、どうすればよいか。それは自分の腹立ちは、そのままに
もちこたえていて、例えば親父・女房・女中など、おのおのその相手 4
に対して、自分の腹立ちを、必ず成功させる工夫の方に、全力を尽く
すのである。その工夫が成功すれば、必ず自分の目的を達して、腹立
ちは直るのである。
いま私は、源平盛衰記を読んでいるが、日本で、戦えば必ず勝ち、
一度も戦争に負けた事のない人は、坂上田村麿と源義経とであるとの
事である。義経は常に必勝の方法の定まるまでは、戦争を始めぬ。少 必捷⇒必勝
少無理のようにもみえるけれども、常に危険を冒して、必勝を期す
る。またその戦法は、常に一方をあけて、三方から攻めたのである。
義経は理知的であり、義仲は勇将であるけれども、気分本位で、猪
武者であった。
啄木は「忿る時、必ず鉢を1つ割り、999割りて死なまし」
といって、気分本位で、ただ自分の苦痛を放散しさえすればよいとい
うのが目的で、腹立ちの目的を達しよう、勝を制しようとするのでは
ない。私の方法は、ただ必勝を期するように工夫しさえすればよいの
である。普通の場合には、その工夫に努力している間に、いつの間に
か、腹立ち気分は、過ぎ去っている事に気がつくのである。すなわち
これによって一方には、研究が進歩し、一方には腹立ちの衝動の失敗
のない事と、苦痛の活教との効能がある。そこで他の刺激がくれば、
心は自然に向かって転向して行くようになるのである。
親父に対しては、自分の思う通りに、してもらうには、自分の腹立
ちを、なかなか婉曲に出す工夫をしなければならぬ。また同じ女で
も、女房と他人とでは違う。他人には腹が立っても、そのまま思い切
る事が、できるけれども、女房は毎日接触しているから、少しの不快
でも、常にこれが心掛かりになる。叱っても、なずってもいけないか
ら、さまざまの工夫を要する事になる。女中でも、いたずらに叱っ
ては、いう事を聞かぬようになり、また暇をとられるから、それさえ
も、なかなか気儘勝手に、腹立ちまぎれという訳にはいかない。こん
な事を工夫している間に、人生のさまざまの研究が積んで、初めてそ
こに修養ができるのである。
近藤氏 私も今のお話に関連して、少しお話します。高等学校以来
の友人で、心安いため、ときどきけなし合ったり、つまらぬ事で、喧
嘩したりする事もある。あるとき、その男が、僕の留守に来て、借り
る約束があるとか、女中に嘘をいって、私の蓄音機を持っていった。
置手紙もしなければ、また翌日学校で会った時にも、なんの挨拶もし
ない。私はそれが癪にさわって、その夜は、2時頃までも眠れなかっ
た。いろいろ考えた末、詰問の手紙を出し、友人もこれに対して、反
抗の言い訳をして、ついに絶交になった。その後友人も折れてきて、
交際は復旧したが、いま考えれば、自分のわずかの怒りの感情を満足 5
させるために、友人を失うという事は、全く間違った事であるという
事がわかった。
森田先生 君が癪にさわったとき、あるいはその腹立ちを我慢し、
あるいは気が弱くて、友人に言いたい事も言わずにすめば、何の波瀾
もなくて幸いである。しかしそれもよいが、さらに君のように、勢よ
く喧嘩した事も、ますますよい事である。それは、この経験から、懲
りて、将来もっとよい友人を失うような事がなくなるからである。と
かく若い間は、少々きわどい経験をいろいろとやる事が必要である。
ともかく、普通の教訓では、腹は立てないようにするとか、立った
腹は、これを抑えて、堪忍するようにとかいうけれども、私のや
り方は簡単である。そんな困難もしくは不可能の努力を要しない。一
口に言えば癪にさわる、さわるままに、「うぬ!どうしてやろうか」
とか、ハラハラ、ジリジリと考えればよい。私の郷里の土佐の武士道
の戒めに、「男が腹が立てば、3日考えて、しかるのち断行せよ」と
いう事がある。それでよい。そうすると、初めのうちは頭が、ガンガ
ンして、思慮がまとまらないが、追おいとこのようにすれば、相手はど
う、自分はどうという事がわかってきて、それが2時間も半日も続く
のは、容易な腹立ちではない。私のいわゆる「純な心」の修養がで
きれば、「心は万境に随って転じ」で、決して長く続くものではな
い。もし続けば、それは当然、続かなければならぬ重大事件であるの
である。
8時半、談話を中止し、余興に移る。
まず全部2組に分かれ、手拭いで鉢巻きの順送り競争、次に同じ
く、箸で碁石10個を皿にはさみ込む順送り競争があり、この碁
石の方は、後に男女に分かれ、選手を出してやったところが、
予想通り、女子の方が優勢であった。そのほか「職業当て」の
遊戯も、なかなか面白く、赤面恐怖患者でも、なかなかうまい
のには驚かされた。
しまいには尻押し・首引き・カヒナイ引き(手拭いの端を小指
と親指とでつまみ引き合うもの、力なく、なさけない故にこの
名がある)等で盛んにぎわい、10時を過ぎて散会した。
(『神経質』第4巻、第2号・昭和8年2月)
形外会多摩御陵・高尾山ピクニック
10月23日(第4日曜)、形外会・有志ピクニックを催す。10時
に新宿駅に集合。森田先生御夫妻、山野井副会長、荒木・水谷両幹事
を初め、総員26名のにぎやかな会で、黒川大尉は奥さん・お嬢さ
ん・坊ちゃん御同伴で加わられ、会員中には婦人も3名加わられた。
森田先生は、昨夜、喘息発作をおこされお疲れであったが、我々のために、一行に加わって下さった。 6
第54札幌5巻を読む会 2019. 4.18
森田正馬全集 第5巻276頁 形外会多摩御陵・高尾山ピクニック 昭和7年10月23日から
10月23日(第4日曜)、形外会・有志ピクニックを催す。10時
に新宿駅に集合。森田先生御夫妻、山野井副会長、荒木・水谷両幹事
を初め、総員26名のにぎやかな会で、黒川大尉は奥さん・お嬢さ
ん・坊ちゃん御同伴で加わられ、会員中には婦人も3名加わられた。
森田先生は、昨夜、喘息発作をおこされお疲れであったが、我々のた
めに、一行に加わって下さった。
電車は浅川駅で降り、バスで多摩御陵前まで行く。参道の清らかな
砂利道をサクサクと踏んで歩く。道の両側には、若い糸杉のような木
立が整然とつづいている。
「この杉はなんという杉だろう。・・・誰か植物学者はいませんか」と
先生が、一同を見回したが、頭をひねる者ばかりである。入口のとこ
ろに広い池がある。底はコンクリートである。よく見ないと気がつか
ない。山の間の大きな自然の池としか見えない。さまざまの色のきれ
いな鯉が沢山にいる。
やがて御陵に参拝した。「これが日本古代の墓の様式でしょうか。
・・・どうして、歴代天皇の御陵を一緒にしないのであろう。・・・孝明
天皇の御陵はどこにありますか」。誰も知らない。「随分我々は、お互
いに知らないですね」と、先生はいたるところに、さまざまの疑問を
おこされる。
食事は、高尾山の見晴らしのよいところでというので、12時過ぎ
再びバスに乗り込んだ。ケーブルカーの起点・清滝駅に着く。登山者
の込み合いで、小1時間も待たされて、やっとケーブルカーに乗る事
ができた。山をコツコツと登る事も面白いが、ケーブルカーで一気に
一直線に昇るのも痛快である。見るみる駅は、足もとに遠ざかって行
く。沿線には、白・紅・桃色のコクモスが咲き乱れて、目のさめるば
かりである。
一行の中には、心悸亢進で、電車にも乗れなかったという人が、2
人いるので、このケーブルカーに、どんな風だろうと思って、のぞい
て見たら、案外平気な顔をしている。「どうです、ここは?」と胸を
させば、「なんともないよ」と笑っている。
このケーブルカーが万一・鋼索の切断した場合、安全設備のないは
ずはないと思って、後で調べてみたら、自分の想像通りで、最急傾斜
において、鋼索が切断しても、わずかに1米たらずの後退で、確実に
停止するとの事である。
既に1時を過ぎた。すっかり腹がへってしまった。山上の茶屋のベ
ンチに、木の根の上に、三三五五思い思いに持参した弁当を開いた。 1
期待していた紅葉は、まだわずかに黄ばんだばかりである。幾百年と
も知れぬ楓の大木の茂っているのは、偉観である。これが全部紅葉し
たら、どんなに美しいだろう。
先生はお疲れで、茶屋に横になって、休んでおられた。「坂は登れ
ないから・・」との事で、我々のオーバーを沢山に、先生に着せかけ
て、心残りながら、先生を独り茶屋に残して、一同頂上まで登る事に
なった。道には老杉が立ち並び、中には直径2米もあろう大木もあ
る。1本杉・天狗の腰掛け杉・飯盛り杉などという名木もある。
山の上には、アケビや赤初茸や山の芋などを売っている。山の芋
は、この山でできるものとして、畑から運び上げたかと思わるるもの
で、デコボコの山趣のあるものとは違っている。
高い石段を登れば、薬王院である。行基菩薩が、自ら薬師如来の像
を刻んで、安置したものとのこと。奥の院を過ぎて、ようやくにし
て、見晴らし台に達す。天気がよければ、甲斐の駒ヶ岳やアルプス等
も見えるそうであるが、今日はあいにく、霧があってその時間に、
わずかに富士の雄大な横腹を見る事ができた。ここは海抜六百米で、
寒冷をおぼえ、はく息も白い。
3時過ぎ、下山の途につく。登山客はなかなか多く、よろめきなが
ら、歌って行く酔客もあれば、若い女の酔いどれも、2人ばかり見
た。「ほんとに滑る。これはあぶない」といいながら、ほんとに転げ
たお婆さんもあった。
山上に売っている房なりのアケビの色が美しい。買えば、我も我も
と、買って背中にブラ下げて行く。茶屋に帰ったら、先生はすっかり
元気になって、本を読んでおられた。皆の買ってきたアケビを見られ
て、「小さい蔓に、随分沢山なるものだ」と感心なさる。「しかし、
みんなが、沢山に買って、そんなに、おいしいだろうか」と問われ
る。誰かが「見た事がなくて珍しいから買った」という。「見た事が
なくて、珍しいものは、このアケビばかりではない。この山の杉の一
枝も、苔の種類などもみな珍しい。アケビを買ったのは、1人が買う
と、それに付和雷同して、我も我もと買ったのであろう。僕などは決
して訳もなく、他人に雷同するという事はない。あるいは味がよいと
か、花瓶にさすとか、明らかな目的がなければ買わない」とか批評せ
られた。
下山のケーブルカーから、窓外の植林を見れば、木々はみな上の方
に傾斜しているように見えて、すこぶる異様である。「あれは地面を
標準にして、木を見るから、木が傾いて見える。平地では地面を水平
と見て、立木の傾きをそれによって判断する。その習慣を山にもって
きて、山の傾斜を見るから、木が傾いている。立木を垂直に見てこれ 2
を標準とすれば、地面の傾斜がわかる。こんな事は、今度初めて気が
ついた」と、先生が説明された。なるほどと思った。
黒川さんは、浅川駅でお別れになった。お嬢さんが、お父さんと一
緒にさよならをされた。新宿駅で一同が散会したのは6時半であっ
た。 (水谷・記)
(『神経質』第4巻、第3号・昭和8年3月)
第28回 形外会 昭和7年12月11日
午後3時開会。出席者39名。佐藤・古閑・野村・香川の諸
先生も出席さる。山野井副会長の開会の辞についで、例の如く、
自己紹介に始まる。
針と糸とが棒と縄のように見える
大久保氏 先生の御本は、いろいろ拝見しました。前に物が大きく
見える強迫観念がありました。夜寝て、柱などが、視界一杯に広がっ
て、迫るようで苦しい。針に糸を通すとき、それが自分の事でなく、
誰かにさせられる様に感じ、針と糸とが大きく見える。それがまた寝
てから、まるで棒と縄とのように、大きくなって、目の前に現われる
のであります。今は治りましたけれども、その理由はわかりません。
森田先生 その理由がわかれば、すぐ治る。自分で疑問を起こし、
研究して、その理由を発見して、治ったら、それを自力という。医者
から、心配はいらないと診断されて、しかたがないと投げやりにして
置けば、忘れて治るが、自力で治ると、応用がきいて面白い。皆さん
は、こんな話を聞いて、不思議に思い、興味を起こしませんか。面白
ければ、説明してもよいのです。
山野井氏 私もそんな事があります。目をつぶると、物が眼一杯に
なる。それが最も大きく見うる範囲の大きさになって、そのほかのも
のは見えないという感じがある。また遠く隔たったものが、だんだん
近づく様に感ずる事もある。
森田先生 こんな事は、誰でもある事であるけれども、普通の人
は、その時どきに思い捨てて、忘れてしまう。神経質は、自分の感じ
の些細な事にも、気がついて、これを病的かと思い誤れば、執着にな
り、神経質の症状になるが、好奇心をもって見るようになれば、それ
が心理学的研究になり、また神秘を喜ぶ人になれば、それは不可思議
の現象にもなるのであります。
鈴木氏 昭和2年、中学4年のとき、不眠症が最も苦しくて入院し
た。発病は、中学3年の初めで、いろいろの医者にかかり、紅療法・
水を飲む事などもやった。『根治法』を見付けたのが縁になり、先輩
の大場君が、入院全治した事を聞いて、入院する事になった。38
日間で、すっかりよくなり、郷里へ帰ったが、最も驚いたのは、中学 3
の先生であった。「鈴木は、何やかやと、療法を探し回って、治らな
いから、今度もまた、治らずに帰って来るであろう」と、思っていた
そうです。4年級は、ほとんど欠席して、3学期ばかりではあったけ
れども、お情けで、及第させてくれました。学校に出始めた時に、皆
が顔形が変わった・目付きがよくなったなどと驚きました。5年の1
学期には、93点で、1番になり、2番は89点であった。学校
でも、鈴木は、ほんとうに治ったと喜んでくれた。そして、とてもよ
く勉強ができるという事に、自信を得ました。3年間ばかり、遊んだ
のを回復する事ができた。友人の増田君や、そのほかの知人も、先生
の事を知って、多数ここで御厄介になりました。
宣伝の良いと悪いと、一生の運命の別れるところ
森田先生 静岡県からは、随分入院した人があって、成績の優秀な
のも、沢山にある。最初が赤面恐怖の大場君で、それがもとで、静岡
県で宣伝された。こんな関係から、多数の人が全治するのは、本当に
幸福です。
これに対して、最近に、入院13日目に、退院した人があるが、そ
んな人は、郷里へ帰って、悪い宣伝をする事でしょう。不思議に、こ
の13日の日が、この療法に、最も疑いを起こして、不安となる時
で、逃げるように退院するのである。この宣伝の良いと悪いとで、こ
れを受ける人の運命の別れるところになる。神経質が、一朝にして、
完全に治り、一方には、10年20年と悩んで、一生を棒にふる事にも
なるのである。成績のよい人に紹介されると、本当に幸福です。
桑原氏 明治37,8年頃から、窃盗恐怖・罪悪恐怖・縁起恐怖
などと、随分久しく苦しみました・今でも窃盗恐怖の事を思い出す
と、戦慄するくらいです。前には横井無隣氏に3ヵ月ほどかかり、初
めはよいように思ったが、また悪くなりました。『根治法』で先生を
知り、2回診察を受けて、しだいに治りました。今は53歳です
が、ほとんど一生を棒にふった組です。
益江氏 子供の時から、人見知りが悪く、人の前で、お辞儀するの
がいやで閉口した。17,8歳頃から、赤面恐怖になった。病気でも
して、顔が赤くならなければよいと思ったりした。ところが、19の
とき胃腸病・肺尖カタルになり、衰弱して、本当に青くなりました。
その頃から、不眠恐怖で、随分苦しんだ。丁度そのとき、「実業の日
本」で、先生の論文を読み、再生の希望を得ました。今ではほとんど
全快しました。
大橋氏 昭和4年の春、入院したが4日ばかりで、逃げて帰った。
その後今日まで、どうにかやっていますが、あの時の事を後悔してい
ます。 4
森田先生 君のように、一度逃げても、反目せずに、この会にも出
席してくれれば嬉しい。多くの人は、逃げれば再び寄りつかないので
あります。
狩山氏 昭和2年に、一度御診察を受けました。心悸亢進ですが、
まだ全治しません。20年ほどになりますが、臆病と理解の足らぬた
めかと思います。
吉田氏 小さい時から物を気にした。中学2年のとき、出席をとる
とき返事ができない事があっては困ると心配して、苦しみました。5
年のとき先生の著書で、気が楽になった。1ヵ月ほど前に、御診察を
受けました。
「面弱し」は気が強い
佐藤先生 病気と言うと、また山野井さんから、やられますが、私
は子供の時から、恥ずかしがりでした。私の郷里の福島では、これを
「面弱し」と言います。思う存分に、人との話のできないような人を
いうらしい。また「面弱しは、気が強い」といいます。女が気が強い
という意味の強さでしょう。私にも正視恐怖がある。医者になりたて
の頃「面弱し」の反対の精神病患者を診察したが、それは前科何犯と
いう男で、身体の傷跡を見せて、脅かすのです。「俺のどこが精神病
だ」とつめ寄って来る。医者たる者が、負けてはならないと思うけれ
ども、ツイツイ「面弱し」で、負けて、目を伏せてしまう。そんな事
で、その患者のいる病室の方へ行く事が、いやになった。その頃か
ら、目がまぶしくなって、人の目を見つめる事ができなくなった。そ
れに気がついたのか、ある患者に、「先生、目がお悪いのですか。いや
にシバシバなさいますね」といわれてからです。それから、その患者
のところに行くのも苦しくなった。今まで、これは森田先生にもいわ
なかった。正視恐怖は、自然に治ったが、まだ「面弱し」で、気が弱
いです。
民衆から発見された真理
森田先生 「面弱しは、気が強い」というのは、人の心理の真を発
見したものである。昔からの「いろはカルタ」や俚諺には、民衆の誰 世間に言い伝えられてきたことわざ:俚諺
が発見したという事なしに、真理を穿ったものが、しだいに精選され物事の本質をうまく的確に言い表す:穿つ
て、後世に残ったものである。人の思想界における自然の宝石のよう
なものです。この「面弱しは気が強い」という事も、心理学者や精神
病学者が、ようやく発見するような事である。「坊主憎くけりゃ、袈
裟まで憎い」という事も、精神分析では、「感情の転換」とかいう事
であるけれども、フロイトより先に、古くから、民衆の発見した心理
である。我々も自分で発見したと思ったら、昔から知られていた事で
あるという事を後に知る事がある。 5
これに似かよった事で、私が思いついた事と思っているのは、「慇
懃な人は強情の人である」という事である。これも既に民衆に発見さ
れている事かも知れない。皆さんにこの後、気をつけて観察してもら
いたいと思うのは、「人の忙しいのも、見境なしに、廊下に座って、
無理やりに丁寧に、お辞儀するような人は、何かにつけて、人と調
和・妥協のできない人である」という事であります。
面弱しには2種類ある
さて「面弱し」には2通りあると思う。すなわち1つは、意志薄弱性
で、ただ恥ずかしいままに恥ずかしい。人に優れたい・劣りたくない
という奮発心や努力がなく、ただ楽々易々と、人を避けているという
風のもので、小児・女子・意志薄弱者・早発性痴呆のある症状などで
ある。また他の1つは、神経質の対人恐怖で、優勝欲のために、恥ず
かしがってはならぬと、負け惜しみの・頑張りのため、ますます劣等
感を増長して「面弱し」になってしまうものである。
佐藤君のいった「女が弱いという意味の強さ」というのは、「弱さ
になりきる」という意味のもので、女は自分は当然弱いものと信じて
いる。決して強くなければならぬ、弱いと思ってはならぬとかいう反
抗心はない。そのために、夫婦喧嘩でも、強盗に対しても、火事の時
でも、自ら強がるための虚勢はなく真剣に必死になるから、全力が出
て、強くなるのである。
また意志薄弱者や精神病の場合は、種々の条件が加わるから、単純
に「なりきる」場合とは異なって、時と場合とによる心のはずみによ
って、向う見ず、すなわち自分の力の測量なしに、突発的に、無謀な
事をする。この時には、意想外に強い事もあれば、もとより弱い事も
ある。「気違い力」といって、意想外に強いのも、抑制の反対力が働
かずに、全力が出るからである。
昔、日清戦争のとき、玄武門に先頭して、これを乗り越え、金鵄勲
章をもらった兵卒は、その後、浅草で、窃盗を働いた事がある。これ
らは意思薄弱者のものであったのである。この様なものが、みな「面
弱し」という訳ではないが、意志薄弱者の内には、以上の意味におけ
る「面弱し」が混じっているのである。
ウォータール―の戦いに、英軍の2勇士が、爆弾を持って行って、
大任を果たした。その2人が、ウェリントンの前に呼び出されて、ほ
められたとき、その1人は、ブルブル震えていて、ろくに物もいえな
い。この時に、ウェリントンの言葉に、「恐れを知る者は、真の勇者で
ある」といった事がある。我々は、恐れになりきれば、必要に迫り、
なすべきこと、やむを得ない時に、非常の勇気の出るものである。
このごろ、女が強盗を追い返したという事が、流行のように、新聞に出ているが、女は自分で弱い者と 6