第53札幌5巻を読む会         2019. 2.21

    森田正馬全集 第5271 26回形外会 昭和71016日から 

で、常識的の判断と、実際の事実とは、しばしば大なる間違いのあ

る事は、我々の日常知るところである。地動説や私の神経質説など

も、みな常識(じょうしき)とは、逆の考え方である。

我々の知識の進歩・真理の発見には、まず質問・懐疑(かいぎ)という事から

出発する。疑問があってこそ、初めて研究心が起こるのである。我々

は、先入(せんにゅう)(けん)や伝統や独断(どくだん)やで、そのままに決めてしまって、少しも(疑われる)

わない時には、ただの凡人(ぼんじん)である。「林檎(りんご)はなに(ゆえ)に下に落ちるか」

という疑問が起こる。凡人は「それは落ちるに決まった事である、何

がはない」という。強迫観念は「こんなつまらぬ考えが起こって、精

神の統一を失って困る」という風に、これを苦悩するようになる。(りん)

()の落ちる事を真剣に疑問としてこそ、初めてニュートンが、引力を

発見したのである。前の空気停滞(ていたい)の問題も、従来(じゅうらい)の学者の伝統にとら

われずに、ふとした機会に、ある疑問が起こって、初めてこの研究が

できたのである。

 人間の指は、切りそろえたように、一様(いちよう)ではなくて、なに(ゆえ)に長短

が不ぞろいであるか、といえば、強迫観念ならば、(まさ)詮索(せんさく)・疑問恐

怖となるべきところである。しかるに深くこれを研究・考察(こうさつ)する時

に、(まこと)にこれは手中(しゅちゅう)に、(たま)をつかむに、ピッタリと適応するようにな

っている。(さる)拇指(ぼし)は、人間のように、他の指と(そう)対向(たいこう)せずに、同じ

方向に(むか)い、枝に飛びつくにはよいが、物をつかむには不適当にでき

ているのである。

  当然起こるべき疑問を否定するから、強迫観念になる

 ある学者は、「睾丸(こうがん)は大切な器官であるのに、なに故に腹中(はらなか)に保護

されないで、外に放任(ほうにん)されてあるか」という奇想天外(きそうてんがい)の疑問に遭遇(そうぐう)

た。(さいわ)いに強迫観念にならずに、研究の結果、腹中は温度が高いため

に、(せい)(ちゅう)の発育に不適当という事がわかった。それ(ゆえ)(いん)(のう)は、(あたた)

そうな場所らしきにもかかわらず、(つね)にこれに(さわ)れば、冷却(れいきゃく)している

のである。しかるところ、ある22歳の北海道の一学生は、神経衰

弱といわれて、(ぼう)医師に百円の手術料を払って、若返法(わかがえりほう)というのをや

ってもらった。その手術ははなはだ簡単なもので、(いん)(のう)からハサミを

()きさして、ちょっと()精管(せいかん)()み切るだけで、血の出るような大手

術ではない。この患者は、その後(いん)(のう)にさわれば、冷却(れいきゃく)を感じ、また

睾丸(こうがん)(あつ)重感(じゅうかん)を起こして、絶えずこれを気にするようになった。この

患者は、実は今まで、陰嚢というものは、(あたたか)いはずのものが、手術の

結果、これが冷却してしまったと独断(どくだん)したのである。冷たいものか、

暖かいものかという事の疑問は、決してこれを起こそうとしないので          1

ある。

 倉田氏は、かつてすべて見るものが、観照(かんしょう)ができず、物を全体に(とう)

(かく)する事ができず、全体を見れば、局部(きょくぶ)が見えず、その局部局部を、

二つ(あて)(つい)にして見るようになり、その強迫観念のために、非常に苦

しまれたのである。私は倉田氏のこの経験によって、初めて我々が物

感得(かんとく)認識(にんしき)する吾人(ごじん)の心理について、あるヒントを得たのである。

いま詳しい説明をする時間はないが、我々の意識は、必ず局部を注視す

れば、その全体を見えず、その全体を見れば、局部は明らかにこれを

見る事ができない。我々の注意の焦点(しょうてん)は、ただ一点であって、周囲の

視野(しや)は広いけれども、その一点以外はすべて漠然(ばくぜん)としか見えないもの

である。すなわち我々の統覚(とうかく)は、例えば松の葉なり、(みき)の皮なりを見

て、その全体の松の認識し、その局部(きょくぶ)局部(きょくぶ)も認識したと思っている

だけで、実は注意を集中したのは、ただ一点であるのである。これが

常態(じょうたい)の心理であるのに、倉田氏は、これを一度に、その局部を同時に

認識しなければ、全体の観照(かんしょう)のできるはずがないと独断(どくだん)して、不可能

の努力をし、すなわち強迫観念の苦悩をなめたのである。この時に

我々の認識の心理につき、疑問を起こして、これが研究を進めるとい

う態度に出なかったがためである。結局は強迫観念は、いずれも当然

起こすべき疑問に対して、これを馬鹿げた事とし、そんなはずはない

として、これを否定(ひてい)せんと苦しむものである。

 赤面恐怖でも、腹が立ちやすくて困るという人でも、少しく物その

事に深く見入(みい)って、ここに疑問を起こし、吾人(ごじん)はなに(ゆえ)に恥ずかしい

か、吾人はいかなる際に腹を立てるかなど、観察・研究の(あゆみ)を進めれ

ば、心理学者にこそなれ、決して強迫観念には、ならないのである。

  腹の立つ時どうすれば腹が(やわ)らぐか

 八間(はちけん) ちょっとした事に、(しゃく)にさわる。先方に対して、言うのも

あまりつまらぬ事であるし、言う事もできない。腹が立って苦しい時

に、思いきって言ってしまえば、腹立ちが(やわ)らぐものでしょうか。言

ったがよいか、言わないがよいでしょうか。

 森田先生 質問の要点は、自分の腹立ちの不快感をさるのが目的

で、相手の都合とか、自分が人から好かれたいとかいう問題には、少

しも()れていない。純粋(じゅんすい)の自己中心的の質問のようである。しかも君

は、この年齢になって、まだ思うままに言った時と、言わなかった時

との、後の結果を経験した事がありませんか。もしないとすれば、他

の人と少しも交渉(こうしょう)のないただ善人(ぜんにん)である。もし経験しても、少しも

その結果を知らないとすれば、それは全く観察・研究心の欠乏したも

ので、そんな人に教えても、理解のできるはずはない。腹のへった

とき、食いすぎるがよいか、食わないがよいか。そんな事は、問わな                    2

くとも、みな誰でも経験しているはずである。(むこ)(すね)を打って、飛び

上がるような痛さを経験した人には、その痛さは教えなくともわかる

し、経験のない人には、教える事は不可能である。ともかくも、君の

()い方が、根本的に要領(ようりょう)を得ていない。まだ本当の修養に達していな

いのである。

 八間君が腹が立って、3、4時間も()て、まだ胸の中が熱いような

感じがするという。これはいたずらに、自分の腹立ちの気分に執着(しゅうちゃく)

自分は腹が立たなければ、楽であろうに、なんとかしてこの苦しみが

なくなればよいにとか、その事ばかりに、心を集中するから、いつま

でも忘れられない。ただ腹の立つままに、しかたなしに放任(ほうにん)しておけ

ば、自然に我々は、「心は(ばん)(きょう)(したが)って(てん)ず」という風に、いつのま

にか、ほかの事柄(ことがら)に、心が(まぎ)れて、じきに忘れてしまうはずである。

これが自然の心である。神経質の自己中心的の執着(しゅうちゃく)がある間は、この

自然の心はできないのである。

  (はしら)につき当たればムッと(しゃく)にさわる

 皆さんの内にも、腹の立つのはなぜか、いかなる場合に腹が立つ

か、という疑問が起これば、それが研究・進歩の出発点であって、こ

の時に、私が初めて教える事ができるけれども、その疑問が起こらな

いうちは、決して進歩はないのである。

 腹はどうして立つか。腹は立つべき時に立つ。悲しい時に悲しく、

痛い時に痛いと同様である。我々の本能的の反応である。突然(とつぜん)足元(あしもと)

から鳥が立つ時に、ビクリと驚く。思いがけなく、柱に頭を打ち当て

て、ガーンと痛かった時に、ムカムカと腹が立つ。失敬(しっけい)な柱だ、こん

な不都合なところに立っているから、当たったのだ。(なぐ)ってやりたい

にも、手が痛くて、どうにもできない。なんとか腹いせはできないも

のかと考える。これがある一定の境遇(きょうぐう)に対しての本能的反応であっ

て、柱に当たって喜び、鳥が立って落着くという訳にはいかない。す

なわちこれは、我々の作為(さくい)をもって、どうする事もできない。ただそ

うであるよりしかたがない。これを(おどろ)かないように、腹立たないように

すれば、すなわち強迫観念になるのである。

また小児はおりこといわれれば喜び、馬鹿といわるれば怒る。我々

でも、出し抜けに馬鹿(ばか)野郎(やろう)面罵(めんば)さるれば、ムッと(しゃく)にさわる。これ

はごく単純なる本能的の憤怒(ふんど)である。

我々がしだいに、物心がつき、精神が発達するに(したが)い、物の見境(みさかい)

つくようになれば、外界(がいかい)対照(たいしょう)如何(いかん)によって、腹の立ち方が(ちが)って

くる。およそ腹立は、自分に対して、苦痛・不利益を与えられ、あ

るいは快楽・幸福を(うば)われると予想し、もしくは現実にされる時に起

こるのもである。しかもその不利益の相手が、地震(じしん)(かみなり)火事(かじ)親父(おやじ)          3

とかいうものである時は、その力量(りきりょう)過大(かだい)で、自分がいくら頑張っ

ても、抵抗(ていこう)できないから、腹立たしさも()いつかず、大いに閉口(へいこう)

て、畏怖(いふ)の情となる。これにしも、なお反抗(はんこう)するならば、それはいわ

ゆる蟷螂(とうろう)(おの)であり、白痴(はくち)や変質者の盲動(もうどう)であるのである。

  互角(ごかく)の力量が初めて憤怒(ふんど)の対象になる

親父(おやじ)・先生・(えら)い人・神様などに対しては、我々が幸福を与えてく

れると予想する時に、尊敬(そんけい)となる。神様は目に見えぬものであって、

想像的のものであるから、神秘的(しんぴてき)信仰(しんこう)となり、またその反対の神罰(しんばつ)

は、畏怖(いふ)となり、一種の幽冥(ゆうめい)空恐(空恐ろし)ろしさにある。           幽冥:あの世・冥土・神仏の世界

次には自分に対する不愉快・不幸の相手が、自分より弱いもので、

自分の力で、どうにでもする事のできるものには、例えば子供にから

かわれたり、自分の幼児にひっかかれたりしたような場合は、度外視(どがいし)

とか軽蔑(けいべつ)とかの感情となる。もしこのときそれ相当の腹立ちが起こる

ならば、自分はその子供相当の白痴(はくち)のような見境(みさかえ)のないものであるべ

きである。

それで最も腹立ちに都合のよい、適当したものは、自分と互角(ごかく)の力

量の者で、自分が奮発(ふんぱつ)すれば勝ち、威嚇(いかく)すれば、相手をへこます事の

できるものである。その(みさだ)めのつく時に、人は最も適切に、(しゃく)にさ

わり・腹立ち・憤慨(ふんがい)し・憤怒(ふんど)するものである。もし見方が、見当違(けんとうちが)

をする時は、その人は認識不足であり、知恵がなく、低能であるので

ある。精神病には、勿論(もちろん)その見境(みさかい)がないから、単なる不快の刺激さえ

あれば、誰にでも腹を立てるのである。

なお腹立ちの起こる事情には、外部の事情のほかに、自分自身の不

機嫌の事情や、下痢とか身体の病的の事情など、さまざまの条件か

ら、ともかくも腹立ちの起こるには、その起こるべき条件が、ピッタ

リとそろって、初めて起こるから、これを自分の都合のよいように、

怒りたい時には怒り、怒りたくない時に、怒らぬという訳にはいかな

い。例えば、「サア足元から鳥を立たしてくれ、ビックリして見るか

ら」といって、ビックリする事の出来ないのと同様である。すなわち

我々の修養には、この腹立ちをさまざまに作為(さくい)して、やりくりするの

ではない。ただそのあるがままに、腹立っているよりほかにしかたが

ない。修養の方法は、実にその外にあるのである。すなわち、腹立ち

のないようにしようとして、丹田(たんでん)に力を入れたり、落着き平気になる

工夫をしたり、これをジッと我慢(がまん)する方法を(こう)ずる。私にいわせる

と、実にそんな面倒な工夫は、害あって益のない事である。

腹立ちの目的に必勝(ひっしょう)()すればよい  

 それなら、どうすればよいか。それは自分の腹立ちは、そのままに

もちこたえていて、例えば親父(おやじ)女房(にょうぼう)女中(じょちゅう)など、おのおのその相手           4

に対して、自分の腹立ちを、必ず成功させる工夫の方に、全力を()

すのである。その工夫が成功すれば、必ず自分の目的を達して、腹立

ちは直るのである。

いま私は、源平(げんぺい)盛衰記(せいすいき)を読んでいるが、日本で、戦えば必ず勝ち、

一度も戦争に負けた事のない人は、坂上(さかがみ)田村(たむら)麿(まろ)源義経(みなもとのよしつね)とであるとの

事である。義経(よしつね)は常に必勝の方法の(さだ)まるまでは、戦争を始めぬ。少         必捷⇒必勝      

少無理のようにもみえるけれども、(つね)に危険を(おか)して、必勝を()

る。またその戦法(せんぽう)は、(つね)一方(いっぽう)をあけて、三方(さんぽう)から()めたのである。

義経は理知的であり、(よし)(なか)勇将(ゆうしょう)であるけれども、気分本位で、(いのしし)

武者(むしゃ)であった。

 啄木(たくぼく)は「忿(いか)る時、必ず(はち)を1つ()り、999割りて死なまし」

といって、気分本位で、ただ自分の苦痛を放散(ほうさん)しさえすればよいとい

うのが目的で、腹立ちの目的を達しよう、(かち)(せい)しようとするのでは

ない。私の方法は、ただ必勝を()するように工夫しさえすればよいの

である。普通の場合には、その工夫に努力している間に、いつの間に

か、腹立ち気分は、過ぎ去っている事に気がつくのである。すなわち

これによって一方には、研究が進歩し、一方には腹立ちの衝動(しょうどう)の失敗

のない事と、苦痛の(かつ)(きょう)との効能(こうのう)がある。そこで他の刺激(しげき)がくれば、

心は自然に向かって転向(てんこう)して行くようになるのである。

 親父(おやじ)に対しては、自分の思う通りに、してもらうには、自分の腹立

ちを、なかなか婉曲(えんきょく)に出す工夫をしなければならぬ。また同じ女で

も、女房(にょうぼう)と他人とでは違う。他人には腹が立っても、そのまま思い切

る事が、できるけれども、女房(にょうぼう)は毎日接触(せっしょく)しているから、少しの不快

でも、(つね)にこれが心掛(こころが)かりになる。(しか)っても、なずってもいけないか

ら、さまざまの工夫を要する事になる。女中(じょちゅう)でも、いたずらに(しか)

ては、いう事を聞かぬようになり、また(ひま)をとられるから、それさえ

も、なかなか気儘(きまま)勝手に、腹立ちまぎれという訳にはいかない。こん

な事を工夫している間に、人生のさまざまの研究が()んで、初めてそ

こに修養ができるのである。

 近藤氏 私も今のお話に関連(かんれん)して、少しお話します。高等学校以来

の友人で、心安いため、ときどきけなし合ったり、つまらぬ事で、(けん)

()したりする事もある。あるとき、その男が、(ぼく)留守(るす)に来て、借り

る約束があるとか、女中に(うそ)をいって、私の蓄音機(ちくおんき)を持っていった。

置手紙(おきてがみ)もしなければ、また翌日(よくじつ)学校で会った時にも、なんの挨拶もし

ない。私はそれが(しゃく)にさわって、その夜は、2時頃までも(ねむ)れなかっ

た。いろいろ考えた末、詰問(きつもん)の手紙を出し、友人もこれに対して、(はん)

(こう)言い訳(いいわけ)をして、ついに絶交(ぜっこう)になった。その後友人も()れてきて、

交際(こうさい)復旧(ふっきゅう)したが、いま考えれば、自分のわずかの怒りの感情を満足             5

させるために、友人を失うという事は、(まった)間違(まちが)った事であるという

事がわかった。

 森田先生 君が(しゃく)にさわったとき、あるいはその腹立ちを我慢(がまん)し、

あるいは気が弱くて、友人に言いたい事も言わずにすめば、何の波瀾(はらん)

もなくて幸いである。しかしそれもよいが、さらに君のように、(いきおい)

喧嘩(けんか)した事も、ますますよい事である。それは、この経験から、()

りて、将来もっとよい友人を失うような事がなくなるからである。と

かく若い間は、少々きわどい経験をいろいろとやる事が必要である。                      

 ともかく、普通の教訓では、腹は立てないようにするとか、立った

腹は、これを(おさ)えて、堪忍(かんにん)するようにとかいうけれども、私のや

り方は簡単である。そんな困難もしくは不可能の努力を(よう)しない。(ひと)

(くち)に言えば(しゃく)にさわる、さわるままに、「うぬ!どうしてやろうか」

とか、ハラハラ、ジリジリと考えればよい。私の郷里(きょうり)土佐(とさ)武士(ぶし)(どう)

(いまし)めに、「男が腹が立てば、3日考えて、しかるのち断行(だんこう)せよ」と

いう事がある。それでよい。そうすると、初めのうちは頭が、ガンガ

ンして、思慮(しりょ)がまとまらないが、(おい)おいとこのようにすれば、相手はど

う、自分はどうという事がわかってきて、それが2時間も半日も続く

のは、容易(ようい)な腹立ちではない。私のいわゆる「純な心」の修養がで

きれば、「心は万境(ばんきょう)(したが)って転じ」で、決して長く続くものではな

い。もし続けば、それは当然、続かなければならぬ重大事件であるの

である。

  8時半、談話(だんわ)を中止し、余興(よきょう)に移る。

  まず全部2組に分かれ、()(ぬぐ)いで鉢巻(はちま)きの順送(じゅんおく)競争(きょうそう)、次に同じ

  く、(はし)碁石(ごいし)10個を(さら)はさみ込む順送り競争があり、この()

  (いし)の方は、後に男女に分かれ、選手を出してやったところが、

  予想通り、女子の方が優勢(ゆうせい)であった。そのほか「職業当て」の

  遊戯(ゆうぎ)も、なかなか面白く、赤面恐怖患者でも、なかなかうまい

  のには驚かされた。

  しまいには尻押(しりお)し・首引(くびひ)き・カヒナイ引き(()(ぬぐ)いの(はし)を小指

  と親指とでつまみ引き合うもの、力なく、なさけない(ゆえ)にこの

  名がある)等で盛んにぎわい、10時を過ぎて散会した。

           (『神経質』第4巻、第2号・昭和8年2月) 

  形外会(けいがいかい)多摩(たま)御陵(ごりょう)高尾山(たかおさん)ピクニック(ぴくにっく)

 1023日(第4日曜)、形外会・有志(ゆうし)ピクニックを(もよお)す。10

に新宿駅に集合。森田先生御夫妻(ごふさい)、山野井副会長、荒木・水谷両幹事

を初め、総員(そういん)26名のにぎやかな会で、黒川大尉は奥さん・お嬢さ

ん・坊ちゃん御同伴(ごどうはん)で加わられ、会員中には婦人も3名加わられた。

森田先生は、昨夜、喘息(ぜんそく)発作(ほっさ)おこされお疲れであったが、我々のために、一行に加わって下さった。 6


第54札幌5巻を読む会         2019. 4.18

    森田正馬全集 第5276 形外会多摩(たま)御陵(ごりょう)・高尾山ピクニック 昭和71023日から 

 1023日(第4日曜)、形外会・有志(ゆうし)ピクニックを(もよお)す。10

に新宿駅に集合。森田先生御夫妻(ごふさい)、山野井副会長、荒木・水谷両幹事

を初め、総員(そういん)26名のにぎやかな会で、黒川大尉は奥さん・お嬢さ

ん・坊ちゃん御同伴(ごどうはん)で加わられ、会員中には婦人も3名加わられた。

森田先生は、昨夜、喘息(ぜんそく)発作(ほっさ)をおこされお疲れであったが、我々のた

めに、一行に加わって下さった。

 電車は浅川(あさかわ)駅で降り、バスで多摩(たま)御陵(ごりょう)前まで行く。参道(さんどう)(きよ)らかな

砂利(じゃり)(みち)をサクサクと()んで歩く。道の両側には、若い糸杉(いとすぎ)のような()

(だち)整然(せいぜん)とつづいている。

「この杉はなんという杉だろう。・・・誰か植物学者はいませんか」と

先生が、一同を見回したが、頭をひねる者ばかりである。入口のとこ

ろに広い池がある。底はコンクリートである。よく見ないと気がつか

ない。山の間の大きな自然の池としか見えない。さまざまの色のきれ

(こい)沢山(たくさん)にいる。

 やがて御陵(ごりょう)参拝(さんぱい)した。「これが日本古代の墓の様式でしょうか。

・・・どうして、歴代天皇の御陵(ごりょう)を一緒にしないのであろう。・・・(こう)(めい)

天皇の御陵(ごりょう)はどこにありますか」。誰も知らない。「随分(ずいぶん)我々は、お互

いに知らないですね」と、先生はいたるところに、さまざまの疑問を

おこされる。

 食事は、高尾山(たかおさん)見晴(みは)らしのよいところでというので、12時過ぎ

再びバスに乗り込んだ。ケーブルカーの起点(きてん)清滝(きよたき)駅に着く。登山者

()み合いで、()1時間も()たされて、やっとケーブルカに乗る事

ができた。山をコツコツと登る事も面白いが、ケーブルカーで一気に

一直線に昇るのも痛快(つうかい)である。見るみる駅は、足もとに遠ざかって行

く。沿線には、白・紅・桃色のコクモスが咲き乱れて、目のさめるば

かりである。

 一行の中には、心悸(しんき)亢進(こうしん)で、電車にも乗れなかったという人が、2

人いるので、このケーブルカーに、どんな風だろうと思って、のぞい

て見たら、案外平気な顔をしている。「どうです、ここは?」と胸を

させば、「なんともないよ」と笑っている。

 このケーブルカーが万一・鋼索(こうさく)切断(せつだん)した場合、安全設備のないは

ずはないと思って、後で調べてみたら、自分の想像通りで、(さい)急傾斜(きゅうけいしゃ)

において、鋼索(こうさく)切断(せつだん)しても、わずかに1(メートル)たらずの後退で、確実に

停止(ていし)するとの事である。

 (すで)1時を過ぎた。すっかり腹がへってしまった。山上(さんじょう)茶屋(ちゃや)のベ

ンチに、木の根の上に、三三(さんさん)五五(ごご)思い思いに持参した弁当を開いた。          1

期待していた紅葉は、まだわずかに(きい)ばんだばかりである。(いく)百年(ひゃくねん)

も知れぬ(かえで)大木(たいぼく)(しげ)っているのは、(いかん)である。これが全部紅葉し

たら、どんなに美しいだろう。

 先生はお疲れで、茶屋に横になって、休んでおられた。「坂は登れ

ないから・・」との事で、我々のオーバーを沢山(たくさん)に、先生にかけ

て、心残(こころのこ)りながら、先生を(ひと)り茶屋に残して、一同頂上まで登る事に

なった。道には老杉(ろうすぎ)が立ち並び、中には直径(ちょっけい)(メートル)もあろう大木(たいぼく)もあ                  

る。1本杉・天狗(てんぐ)腰掛(こしか)け杉・飯盛(めしも)り杉などという名木(めいぼく)もある。

 山の上には、アケビや(あか)初茸(はつたけ)や山の(いも)などを売っている。山の(いも)

は、この山でできるものとして、畑から運び上げたかと思わるるもの

で、デコボコの(さん)(しゅ)のあるものとは(ちが)っている。

 高い石段(いしだん)を登れば(やく)王院(おういん)である。行基(ぎょうき)菩薩(ぼさつ)が、(みずか)(やく)()如来(にょらい)の像

(きざ)んで、安置(あんち)したものとのこと。(おく)(いん)を過ぎて、ようやくにし

て、見晴らし台に達す。天気がよければ、甲斐(かい)駒ヶ岳(こまがだけ)やアルプス等

も見えるそうであるが、今日はあいにく、(きり)があってその時間に、

わずかに富士(ふじ)雄大(ゆうだい)横腹(よこはら)見る(みる)事ができた。ここは海抜(かいばつ)六百(ろっぴゃく)(メ―トル)で、

寒冷(かんれい)をおぼえ、はく息も白い。

 3時過ぎ、下山(げざん)()につく。登山客はなかなか多く、よろめきなが

ら、歌って行く酔客(すいきゃく)もあれば、若い女の()いどれも、2人ばかり見

た。「ほんとに(すべ)る。これはあぶない」といいながら、ほんとに(ころ)

たお(ばあ)さんもあった。

 山上(さんじょう)に売っている(ふさ)なりのアケビの色が美しい。買えば、(われ)(われ)

と、買って背中にブラ下げて行く。茶屋に帰ったら、先生はすっかり

元気になって、本を読んでおられた。皆の買ってきたアケビを見られ

て、「小さい(つる)に、随分(ずいぶん)沢山(たくさん)なるものだ」と感心なさる。「しかし、

みんなが、沢山に買って、そんなに、おいしいだろうか」と問われ

る。誰かが「見た事がなくて(めずら)しいから買った」という。「見た事が

なくて、(めずら)しいものは、このアケビばかりではない。この山の杉の(ひと)

(えだ)も、(こけ)の種類などもみな珍しい。アケビを買ったのは、1人が買う

と、それに付和雷同(ふわらいどう)して、我も我もと買ったのであろう。僕などは決

して訳もなく、他人に雷同(らいどう)するという事はない。あるいは味がよいと

か、花瓶(かびん)にさすとか、(あき)らかな目的がなければ買わない」とか()(ひょう)

られた。

 下山のケーブルカーから、窓外(そうがい)植林(しょくりん)を見れば、木々(きぎ)はみな上の方

傾斜(けいしゃ)しているように見えて、すこぶる異様(いよう)である。「あれは地面を

標準にして、木を見るから、木が(かたむ)いて見える。平地では地面を水平

と見て、立木(たちき)の傾きをそれによって判断(はんだん)する。その習慣(しゅうかん)を山にもって

きて、山の傾斜(けいしゃ)を見るから、木が傾いている。立木を垂直(すいちょく)に見てこれ                    2

標準(ひょうじゅん)とすれば、地面の傾斜(けいしゃ)がわかる。こんな事は、今度初めて気が

ついた」と、先生が説明された。なるほどと思った。

 黒川さんは、浅川駅(あさかわえき)でお別れになった。お嬢さんが、お父さんと(いっ)

(しょ)さよならをされた。新宿駅(しんじゅくえき)で一同が散会(さんかい)したのは6時半であっ

た。                       (水谷・記)

           (『神経質』第4巻、第3号・昭和83月)

 28 形外会  昭和71211

午後3時開会。出席者39名。佐藤・古閑(こが)・野村・香川の諸

先生も出席さる。山野井副会長の開会の()についで、例の(ごと)く、

自己紹介に始まる。

(はり)と糸とが(ぼう)(なわ)のように見える

 大久保氏 先生の御本(ごほん)は、いろいろ拝見(はいけん)しました。前に物が大きく

見える強迫観念がありました。(よる)()て、柱などが、視界(しかい)一杯に広がっ

て、(せま)るようで苦しい。針に糸を通すとき、それが自分の事でなく、                  

誰かにさせられる様に感じ、針と糸とが大きく見える。それがまた寝

てから、まるで(ぼう)(なわ)とのように、大きくなって、目の前に現われる

のであります。今は治りましたけれども、その理由はわかりません。

 森田先生 その理由がわかれば、すぐ治る。自分で疑問を起こし、

研究して、その理由を発見して、治ったら、それを自力という。医者

から、心配はいらないと診断(しんだん)されて、しかたがないと投げやりにして

置けば、忘れて治るが、自力で治ると、応用(おうよう)がきいて面白い。皆さん

は、こんな話を聞いて、不思議(ふしぎ)に思い、興味(きょうみ)()こしませんか。面白

ければ、説明してもよいのです。

 山野井氏 私もそんな事があります。目をつぶると、物が()一杯に

なる。それが(もっと)も大きく見うる範囲(はんい)の大きさになって、そのほかのも

のは見えないという感じがある。また遠く(へだ)たったものが、だんだん

近づく様に感ずる事もある。

 森田先生 こんな事は、誰でもある事であるけれども、普通の人

は、その時どきに思い()てて、忘れてしまう。神経質は、自分の感じ

些細(ささい)な事にも、気がついて、これを病的かと思い(あやま)れば、執着(しゅうちゃく)にな

り、神経質の症状になるが、好奇心(こうきしん)をもって見るようになれば、それ

が心理学的研究になり、また神秘(しんぴ)を喜ぶ人になれば、それは不可思議(ふかしぎ)

現象(げんしょう)にもなるのであります。

 鈴木氏 昭和2年、中学4年のとき、不眠症が最も苦しくて入院し

た。発病は、中学3年の初めで、いろいろの医者にかかり、(くれない)療法・

水を飲む事などもやった。『根治法』を見付けたのが(えん)になり、先輩

の大場君が、入院全治した事を聞いて、入院する事になった。38

日間で、すっかりよくなり、郷里(きょうり)へ帰ったが、(もっと)(おどろ)いたのは、中学          3

の先生であった。「鈴木は、何やかやと、療法を(さが)し回って、治らな

いから、今度もまた、治らずに帰って来るであろう」と、思っていた

そうです。4年級は、ほとんど欠席して、3学期ばかりではあったけ

れども、お情けで、及第させてくれました。学校に出始めた時に、皆

顔形(かおかたち)が変わった・目付(めつ)きがよくなったなどと驚きました。5年の1

学期には、93点で、1番になり、2番は89点であった。学校

でも、鈴木は、ほんとうに治ったと喜んでくれた。そして、とてもよ

く勉強ができるという事に、自信を()ました。3年間ばかり、遊んだ

のを回復(かいふく)する事ができた。友人の増田君や、そのほかの知人も、先生

の事を知って、多数ここで御厄介(ごやっかい)になりました。

  宣伝の良いと悪いと、一生の運命の別れるところ

 森田先生 静岡県からは、随分(ずいぶん)入院した人があって、成績の優秀な

のも、沢山にある。最初が赤面恐怖の大場君で、それがもとで、静岡

県で宣伝された。こんな関係から、多数の人が全治するのは、本当に

幸福です。

 これに対して、最近に、入院13日目に、退院した人があるが、そ

んな人は、郷里(きょうり)へ帰って、悪い宣伝をする事でしょう。不思議に

の13日の日が、この療法に、最も疑いを起こして、不安となる時

で、逃げるように退院するのである。この宣伝(せんでん)の良いと悪いとで、こ

れを受ける人の運命の別れるところになる。神経質が、一朝(いっちょう)にして、

完全に治り、一方には、10年20年と悩んで、一生を棒にふる事にも

なるのである。成績のよい人に紹介されると、本当に幸福です。

 桑原(くわばら)氏 明治37,8年頃から、窃盗(せっとう)恐怖・罪悪(ざいあく)恐怖・縁起(えんぎ)恐怖

などと、随分(ずいぶん)(ひさ)しく苦しみました・今でも窃盗(せっとう)恐怖の事を思い出す

と、戦慄(せんりつ)するくらいです。前には横井(よこい)無隣(むりん)氏に3ヵ月ほどかかり、初

めはよいように思ったが、また悪くなりました。『根治法』で先生を

知り、2回診察を受けて、しだいに治りました。今は53歳です

が、ほとんど一生を棒にふった組です。

 (ます)() 子供の時から、人見知(ひとみし)りが悪く、人の前で、お辞儀(じぎ)するの

がいやで閉口(へいこう)した。17,8歳頃から、赤面恐怖になった。病気でも

して、顔が赤くならなければよいと思ったりした。ところが、19の

とき胃腸病・肺尖(はいせん)カタルになり、衰弱(すいじゃく)して、本当に青くなりました。

その頃から、不眠恐怖で、随分(ずいぶん)苦しんだ。丁度(ちょうど)そのとき、「実業の日

本」で、先生の論文を読み、再生の希望を得ました。今ではほとんど

全快しました。

 大橋氏 昭和4年の春、入院したが4日ばかりで、逃げて帰った。

その後今日まで、どうにかやっていますが、あの時の事を後悔してい

ます。                                      4

 森田先生 君のように、一度逃げても、反目(はんもく)せずに、この会にも出

席してくれれば(うれ)しい。多くの人は、逃げれば(ふたた)()りつかないので

あります。

 狩山(かりやま) 昭和2年に、一度御診察を受けました。心悸(しんき)亢進(こうしん)ですが、

まだ全治しません。20年ほどになりますが、臆病(おくびょう)と理解の足らぬた

めかと思います。

 吉田氏 小さい時から物を気にした。中学2年のとき、出席をとる

とき返事ができない事があっては困ると心配して、苦しみました。5

年のとき先生の著書(ちょしょ)で、気が楽になった。1ヵ月ほど前に、御診察を

受けました。

  (つら)弱し」は気が強い

 佐藤先生 病気と言うと、また山野井さんから、やられますが、私

は子供の時から、恥ずかしがりでした。私の郷里(きょうり)の福島では、これを

(つら)弱し」と言います。思う存分(ぞんぶん)に、人との話のできないような人を

いうらしい。また「面弱しは、気が強い」といいます。女が気が強い

という意味の強さでしょう。私にも正視(せいし)恐怖がある。医者になりたて

の頃「面弱し」の反対の精神病患者を診察したが、それは前科(ぜんか)何犯(なんはん)

いう男で、身体の傷跡(きずあと)を見せて、(おど)かすのです。「俺のどこが精神病

だ」とつめ()って来る。医者たる者が、負けてはならないと思うけれ

ども、ツイツイ「(つら)弱し」で、負けて、目を()せてしまう。そんな事

で、その患者のいる病室の方へ行く事が、いやになった。その頃か

ら、目がまぶしくなって、人の目を見つめる事ができなくなった。そ

れに気がついたのか、ある患者に、「先生、目がお悪いのですか。いや

にシバシバなさいますね」といわれてからです。それから、その患者

のところに行くのも苦しくなった。今まで、これは森田先生にもいわ

なかった。正視(せいし)恐怖は、自然に治ったが、まだ「面弱し」で、気が弱

いです。

  民衆(みんしゅう)から発見された真理(しんり)

 森田先生 「(つら)弱しは、気が強い」というのは、人の心理の(しん)を発

見したものである。昔からの「いろはカルタ」や俚諺(りげん)には、民衆の誰 世間に言い伝えられてきたことわざ:俚諺

が発見したという事なしに、真理を穿(うが)たものが、しだいに精選(せいせん)され物事の本質をうまく的確に言い表す穿つ

て、後世(こうせい)に残ったものである。人の思想界(しそうかい)における自然の宝石(ほうせき)のよう

なものです。この「(つら)弱しは気が強い」という事も、心理学者や精神

病学者が、ようやく発見するような事である。「坊主(ぼうず)(にく)くけりゃ、()

()まで(にく)い」という事も、精神分析(ぶんせき)では、「感情の転換(てんかん)」とかいう事

であるけれども、フロイトより先に、古くから、民衆の発見した心理

である。我々も自分で発見したと思ったら、昔から知られていた事で

あるという事を後に知る事がある。                         5

 これに()かよった事で、私が思いついた事と思っているのは、「(いん)

(ぎん)な人は強情の人である」という事である。これも(すで)に民衆に発見さ

れている事かも知れない。皆さんにこの後、気をつけて観察してもら

いたいと思うのは、「人の(いそが)しいのも、見境(みさかい)なしに、廊下(ろうか)に座って、

無理やりに丁寧(ていねい)に、お辞儀(じぎ)するような人は、何かにつけて、人と調(ちょう)

()妥協(だきょう)のできない人である」という事であります。

  (つら)弱しには2種類ある

 さて「面弱し」には2通りあると思う。すなわち1つは、意志薄弱(いしはくじゃく)(せい)

で、ただ恥ずかしいままに恥ずかしい。人に(すぐ)れたい・(おと)りたくない

という奮発(ふんぱつ)(しん)や努力がなく、ただ楽々(らくらく)易々(やすやす)と、人を()けているという

(ふう)のもので、小児(しょうに)女子(じょし)意志薄弱者(いしはくじゃくしゃ)早発性(そうはつせい)痴呆(ちほう)のある症状などで

ある。また他の1つは、神経質の対人恐怖で、優勝(ゆうしょう)(よく)のために、恥ず

かしがってはならぬと、()()しみの・頑張(がんば)りのため、ますます劣等(れっとう)

(かん)増長(ぞうちょう)して「(つら)弱し」になってしまうものである。

 佐藤君のいった「女が弱いという意味の強さ」というのは、「弱さ

になりきる」という意味のもので、女は自分は当然弱いものと信じて

いる。決して強くなければならぬ、弱いと思ってはならぬとかいう(はん)

(こう)(しん)はない。そのために、夫婦(ふうふ)喧嘩(げんか)でも、強盗(ごうとう)に対しても、火事の時

でも、(みずか)ら強がるための虚勢(きょせい)はなく真剣(しんけん)必死(ひっし)になるから、全力が出

て、強くなるのである。

 また意志薄弱者(いしはくじゃくしゃ)や精神病の場合は、種々(しゅじゅ)の条件が加わるから、単純(たんじゅん)

に「なりきる」場合とは(こと)なって、時と場合とによる心のはずみによ

って、()う見ず、すなわち自分の力の測量(そくりょう)なしに、突発的(とっぱつてき)に、無謀(むぼう)

事をする。この時には、意想外(いそうがい)に強い事もあれば、もとより弱い事も

ある。「()(ちが)(りょく)」といって、意想外(いそうがい)に強いのも、抑制(よくせい)反対力(はんたいりょく)が働

かずに、全力が出るからである。

 昔、日清(にっしん)戦争(せんそう)のとき、(げん)武門(ぶもん)先頭(せんとう)して、これを乗り越え、金鵄(きんし)(くん) 

(しょう)をもらった兵卒(へいそつ)は、その後、浅草(あさくさ)で、窃盗(せっとう)を働いた事がある。これ

らは意思薄弱者のものであったのである。この様なものが、みな「面

弱し」という(わけ)ではないが、意志薄弱者(いしはくじゃくしゃ)の内には、以上の意味におけ

る「面弱し」が()じっているのである。

 ウォータール―の戦いに、英軍(イギリスぐん)の2勇士(ゆうし)が、爆弾(ばくだん)を持って行って、

大任(たいにん)()たした。その2人が、ウェリントンの前に呼び出されて、ほ

められたとき、その1人は、ブルブル(ふる)えていて、ろくに物もいえな

い。この時に、ウェリントンの言葉に、「恐れを知る者は、真の勇者で

ある」といった事がある。我々は、恐れになりきれば、必要に(せま)り、

なすべきこと、やむを得ない時に、非常の勇気の出るものである。

 このごろ、女が強盗(ごうとう)を追い返したという事が、流行のように、新聞に出ているが、女は自分で弱い者と 6