第55回札幌5巻を読む会 2019. 6.20
森田正馬全集 第5巻281頁 第28回形外会 昭和7年12月11日から
このごろ、女が強盗を追い返したという事が、流行のように、新聞
に出ているが、女は自分で弱い者ときめているから、何かの時に、す
ぐに必死になるのである。
かくの如く、第1種の恥ずかしいままに恥ずかしい人は、弱きにな
りきるから、さらばの時に、気が強くなる。
第2種の面弱し
次に第2種の対人恐怖の「面弱し」は、負け惜しみで、恥ずかしが
ってはならぬと、虚勢を張るから、人に対する思いやりは、少しもな
く、周囲と調和を失って、いたずらに気を強くするのである。「慇懃
な者が強情である。」というのも、その人は、単に自分の礼儀さえまっ
とうすれば、人の迷惑はどうでもよいという自我主張の結果であるか
ら、受けた相談で、自分に少しでも都合の悪い事には、決して妥協は
なく、自分を犠牲にするという事は、毛頭ない。すなわち強情である
のである。
ここで赤面恐怖の人は、誰でもこの会で自己紹介の事を思うと、前
日から苦しくてたまらないという。我々も昔、演説を請け合うと、数
日前から不安に襲われる。その日になれば、時間の迫るにつれて、胸
は早鐘のように打つ。これは普通の人は、誰でも当然の事と考え、別
にこれをどうしようともしない。これを不安でないようとするには、
どうすればよいかといえば、原稿を演壇で、読み上げるつもりでいさ
えすればよい。そこが、ただ我々の優越欲のために、うまく上手に、
人を感心させたい一杯で、数日前から、心が不安になるのである。こ
この赤面恐怖患者でも、紹介の時に、単に自分の性と、症状だけをい
うつもりならば、なんの不安のあるはずもない。そこが、この患者の
性質として、負け惜しみのために、少しでも優秀に、自分を人に示そ
うとするからである。
佐藤君が正視恐怖を起こしたというのは、徳村という偏執狂の患者
にやっつけられたとき、これに対して、医者たるものがと頑張ったが
ためである。私共も、この患者は随分うるさかった。しかし、私はす
べて気違い力には、常にとうていかなわないものという事を知ってい
る。狂人には、負けるものである。決して勝とうとはしない。すなわ
ち豪気にしゃべりたてる患者には、当然目を伏せて、口答えもできな
い。閉口していると、患者もいいたいだけの事を言えば、落着いて、
強いて無理もいわなくなる。犬でも、町で他の犬に会うとき、尻尾を
まいて目を伏せて行けば、決して吠えついたり、追及したりせぬもの 1
である。私は佐藤君のような場合にも、当然尻尾をまく。また「君は
どうも眼が悪いようだ」と、人から言われたとすれば、「此頃少し悪
いです」といって、目の悪い事にしてしまう。赤面恐怖も、このよう
に、「弱くなりきる」ということの心境を一度会得すれば、これが人か
ら、敵対されず・迫害されず、しかも最後の勝利をうる方法であると
いう事を知って、たちまち全治するのである。
弱くなりきる
私共も、昔、巣鴨病院で、とくに悖徳性の変質患者には、随分苦し 悖徳=道徳にそむく
められて、いつしかそれが自分の修養になってきたのである。1患者
は、あるとき私に含嗽水の瓶を投げつけて、私の腰の辺をかすり、後
の壁で、微塵になった事があり、またある時には、私を寝床の上にね
じ伏せて、腰の辺を、やたらに叩いた事がある。この患者は、急に激
怒しても、物の見境はあるから、瓶を投げても、怪我するようにはし
ない。叩いても腰の辺を、さほど痛くないくらいにする。私も医者な
るものの心得として、患者に少しも抵抗しない。しかしこれはなかな
か苦しい気味の悪いものである。真剣味のあるものである。思うに私
がこんな事のできたのは、柔道初段という素質のあったお陰である。
すなわち相手の攻撃の気合いと、かけひきの手を見る事ができて、実
際自分に危険という時のほかは、相手のなすがままにまかすという見
計らいができるからであると思うのである。この事があってから、こ
の患者は私に対して、非常に温柔になった。その後この患者は「この
精神病院で、本当に医者らしい者は、森田くらいのものである」とい
っていたとの事で、常に私に好意を寄せて、贈物や手紙をしばしば送
った事がある。
そのほか私は、根岸病院でも、ある時は診察中、横合いから出し抜
けに、横腹を蹴られ、椅子から投げ飛ばされた事があり、また横面
を、目がくらむほど、殴られた事もある。みな気違い相手の事である
から、少しも腹は立たないのである。これはみな、私がその境遇にな
りきり、また弱きになりきり、患者に対して、反抗心が少しもないと
いう事の結果であろうと思うのであります。
なお赤面恐怖の人に、一言注意したいのは、自分がちいさい、劣等で
ある、どうにもしかたがないと、行きづまった時に、そこに工夫も方
法も、尽き果てて、弱くなりきる、という事にある。この時に自分の
境遇上、ある場合に、行くべきところ・しなければならぬ事などに対
して、静かにこれを見つめて、しかたなく、思いきってこれを実行す
る。これが突破するという事であり、「窮して通ず」という事である。
すなわち「弱くなりきる」という事は、人前でどんな態度をとればよ
いかという工夫の尽き果てた時であって、そこに初めて、突破・窮達 2
という事があるのである。
この「弱くなりきる」でなく、単に付け焼刃で、空元気で突破する
という時は、たまたまこれが成功して、自分もやれば、やれるものと
いう事を知り、恐怖が軽快したようになるけれども、これは再発を免
れないのである。
あの時の調子でと思うから予期感情になる
山野井氏 私が退院して、すぐ重役に会わなければならない。やむ
を得ないから、しかたなしに行った。初め心臓は、どきどきするし、
声は震える、そのままやっているうちに、急に楽になって、話もうま
く進んだ、数年来、なかったほどの話しぶりであった。それが先生の
いわれた突破して、よくなったような気持がするという事に相当する
かと思う。それで一度は全治したと思ったが、だんだん覆されて、再
び恐怖が起こってきました。ほかに方法もないので、そのままやって
いるうち、自然に「弱くなりきる」と申しますか今度は本当に楽にな
りました。こちらが相手をみらみつけるから、相手もにらむ。こちら
が相手の顔を見なければ、相手がこちらを見ているか、どうかはわか
らぬはずです。自分が弱くなりきれば、見るも見ないも、人の勝手に
まかす事ができる。我を張るから、人に見られないようにしようとす
るのである。大きな声を出すと、震えるから、普通の声で話すように
したら、震えなくなった。私がこの形外会の進行係を、初めてやった
のは、東京病院で、そのとき非常にうまくいって、しめたと思った。
それが軽快で、その次の会には、今度もあの時の調子でと考えたため
に、それが予期感情になって、今度は声が震えて、うまくできなかっ
た。これが再発である。現在は常にびくびくして、弱くなっているか
ら、うまく行けば、喜び、うまくできなくとも、当然の事と思い、苦
痛としない。これがよくなったというのではないでしょうか。
思いきるにも二通りある
森田先生 もう少し、先へ追及して、研究してみます。思い切って
やるという事にも、二通りある。一つは能動的に、自分から勇気をつ
けてやる。空元気の付け焼刃であるから、する事が不自然になる。し
かしその事柄によって、例えばお悔やみに行くようなことならば、そ
れは誰でも当然できる事であるから「案じるより生むがやすい」と
いって、喜ぶ事になる。これに反して、人と取り引き・談判とかいう
事になると、空元気のしくじりが多くなって、大いに悲観して、ます
ます引込主義になる事が多い。
第二の場合は、受動的に、やむを得ずやる。すなわち背水の陣であ
る。この時は付け焼刃でないから、自分は弱いものと覚悟して、自然
であるから、談判にも擬勢がなくて、勝たなくとも、少なくとも負け 3
はしない。この場合には、勝てば喜び、負けても、当然の事として、
がっかりするような事はない。
第一の場合は、赤面恐怖患者が、よく「人前に出る稽古をすればよ
いか」など質問する心持で、第二の場合は、いかなる境遇にも、こと
さらに逃げないで、当たって砕けるという態度になる心境である。ち
ょっと思い違えると区別のできないような、わずかな相違であるの
である。この第一が軽快、第二が根治である。
第一の場合は、例えば自己紹介の時に、初めごく簡単にいうつもり
で、立ってみると、案外よくできた。今日はよくできたなと、そのま
ま喜べば、すなわちいわゆる初一念である。しかしこの次から、こん
な風に、うまくやってやろうと思えば、それが続念になり、悪知にな
り、作為はからいになり、思想の矛盾になって、決してうまく行かな
いこと請け合いである。これが再発である。第二の場合は、弱くなり
きっているから、うまく行けば、僥倖のように喜び、悪く行けば、 僥倖:思いがけない幸い。
当然の事のように考えて、決して落胆しない。すなわち「心は万境に
随って転じ」喜ぶ時は喜び、憂は憂い、そのまま反応して、後に心が
残らないから「無喜亦無憂」という事になるのみである。悪知・思想の
矛盾の左右する余地がなくなるのである。根治である。
恐怖と欲望の張りきったところに修養がある
考えてみれば、この「弱くなりきる」。こんなに容易な事はない。
とくに神経質は、自ら劣等感の者であるから、そのままこれを肯定し
て虚勢を張ったり、我と我心に反抗さえしなければ、なんでもなくで
きる事である。この時には、自分は痴鈍であるから人の2倍も勉強
し、愚であるから、ますます知識欲が旺盛になり、自分は不人情であ
るから、常に身を慎むようになる。その結果として、心は小さくと
も、事実において、人に劣らなくなる。心は常に倹約であって、事実
において、財産の安定があり、物資が豊富であるようなものである。
次に、もう一段追及して考える。我等は気違いにはかなわぬ。偉い
人の前では、頭も上がらない。尻尾を巻いて、弱くなりきる。形外会
の自己紹介の時でも、言いたい事の10分の1も言えない。それなら、
それで満足し・安心ができるかというと、そうは行かない。残念でな
らぬ。ただ自分が弱いから、しかたがないまでの事である。このまま
あきらめる事はできない。一晩二晩眠られぬ事もある。尻尾を巻くの
は、すなわち恐怖である。残念で、あきらめられないというのが、す
なわち欲望である。この恐怖と欲望との間の葛藤が大きくて、その苦
痛を押しきって行くのが、立派な人であり・偉い人である。その恐怖
を否定し、あるいは欲望を捨てようとか、工夫するのが、似而非なる
修道者であり、強迫観念であるのである。 4
この心の葛藤があってこそ、そこに進歩がある。例えば人前で、う
まく物がいえない。そこで人の10口言うところを、簡単明瞭・最も
適切に、1口に言う工夫をする。思想が練れ、文章が精錬され人生観
が研究されるようになる。尻尾を巻いて引っ込むという恐怖と、どう
も惜しいという欲望とが両方から張りきっているところに、初めて本
当の修養があるのである。うっとりと安心してすましているところ
に、決して進歩はないのである。
あきらめられないままに時が解決してくれる
石井氏 去年7月入院したもので、主訴は対人恐怖・窃盗恐怖で
す。すっかりよくなって、働けるようになりました。今でも人の顔を
正視する事はできないように思っています。先生のお話の「弱くなり
きる」という事には、非常に感じました。
先日、先生のお部屋の火が、みな消えてない。女中さんが叱られ
て、急ぐ時には、火を七輪でおこすようにといわれた。この事を女中
から、久松(料理人)君にいったら、その翌日、久松君は、七輪に火
を一杯おこしていた。私は、今朝は、先生のところにも、火があるか
ら、向うを見計らって、火を沢山おこしちゃいかんじゃないかと注意
したら、久松君は、それでも先生は、毎朝、火を七輪でおこすように
言われたといって、むきになって怒ってきた。私は閉口して、争いは
できなかったが、その後、久松君も奥様から、お話を聞いて、私に詫
び言をいってきました。やっぱり、弱い方が安泰で、しかも最後の勝
利です。
浦山氏 昭和3年の入院です。10年近く、いろんな強迫観念に悩ま
されましたが、すっかり治りました。約7年間というものは、フラフ
ラとして、全く治療巡礼をしました。今度、先生が、熱海で伊勢屋を
建築される事になって、私共はそちらを手伝う事になりました。どう
ぞ皆様の御後援を願います。
坪井氏 私は対人恐怖・目的恐怖で、昭和5年以来、4,5回診
察を受けました。私は先生のいわれる突破する方である事を、しみじ
み感じます。
馬場夫人 大正6年に、外来で、日記を持って、日曜ごとに2ヵ月
ばかり通い、病気が治るとともに、大変いろいろ人生について教え
られ、いつもいつも先生のお陰を考えない事はありません。昨年良人
に急に亡くなられたとき、他の人たちから、さまざまに慰められたと
き、私は「あきらめられぬものですが、あきらめられないままに、時
が解決してくれるのです」といいました。以前ならば、この人たちの
いうように、どうしたら、あきらめられるか、どうすれば、この悲し
みを忘れる事ができるかと、さまざまに苦しんだ事でしょうけれど 5
も、先生のお陰で、そんな考えはなくなり、大変らくで、悲しみや苦
痛も、一番早くよくなるかと思います。
森田先生 この心境が、すなわち、『なりきる』ことで全治であり
ます。
赤ん坊の死んだのがなぜ悲しいか
山野井氏 そんなに慰められたとき、それほどまでにいわずとも、
聞き流して、有難うございますといっておれば、よくはないでしょう
か。
森田先生 山野井君は、馬場さんの話を、言葉で聞くから、その様
に思うのである。話の前後の関係や気合で推察する事のできるもの
で、相手があまり無理強いに言うからの結果であろうかと思います。
馬場夫人 あまりくどく言うからです。おとなしくお悔やみを言っ
てくれれば、有難うございますと、いっております。あまりしつこく
言われると、つい言ってしまいます。夫の亡くなったとき、悲しみを
思いかえそうとしなかったという事は、不幸中の幸いかと思います。
奥様 ほんとに経験のない人が、よく、死んだものはもう帰ってこ
ないから、あきらめねばならないなどといいますね。
森田先生 私の子供も、1昨年亡くなったが、お悔やみも、簡単な
らば、有難うですむが、しつこく言われる時には、私は黙って、返事
をしない。これによって、相手に反省させるつもりである。それでも
反省しない時には、馬場さんのいうようにもなります。
皆様に御注意したいのは、お悔やみに行った時は、お辞儀の仕方
も、言葉も簡単なほどよい。相手の悲しみに同感し、これを思いやる
事を工夫しなければならぬ。自分で経験もないものが、当て推量に、
いろいろの事をいうのは、大間違いの元ということを注意しなければ
なりません。
浦山氏 私は親の亡くなったとき、思ったよりも、割合に悲しくあ
りませんでしたが、どういうものでしょうか。
森田先生 仏教に涅槃という事がある。死ぬること成仏する事をい
う。死ぬるとは、生をまっとうする事で、生命のあらんかぎりのベスト
を尽くしたものが、成仏である。釈迦や正成の死は、大涅槃である。 正成:楠正成・服部半蔵
私の妹が、生後24日で死んだが、母は「暗から暗にやった」と
かいって、非常に悲しんだ。私共はそれを、何も知らぬ虫のような赤
ん坊が、なぜそんなに悲しいのかと思っていたが、自分の子ができ
て、初めてその悲しみがわかったのである。
生をまっとうすれば死の悲しみは少ない
私の子供は、20歳で亡くなったが、犬猫も、自分の子が、独り立ちができるようになると、 6
56回札幌5巻を読む会 2019. 8.8
森田正馬全集 第5巻286頁 第28回形外会 昭和7年12月11日から
生をまっとうすれば死の悲しみは少ない
私の子供は、20歳で亡くなったが、犬猫も、自分の子が、独り立
ちができるようになると、それまでは、命に懸けても、子をかばい、
世話したものが、その後は全く放任して顧みないようになる。私共
も、小学時代には、寸時もこの子を、どうして手離す事ができようか
と思っていたのが、中学入学後は、いつとはなしに、2、3日は、何
をしていたか知らないような事も、しばしばあるようになった。事実
は決して、想像したり、予期したりするようなものではない。もしこ
の子が、前の手離す事のできなかった時代に死んだら、その悲しみ
は果たしてどんなであったろうと思う。
この事から考えると、子供が大学を卒業し、さらに結婚して、子が
できたとかいう事になれば、その悲しみは、ずっと薄くなる事と思わ
れる。すなわち生命をまっとうすればするほど、死の悲しみは、少な
くなる事と思う。
普通の人は、身内の死に会う時には、それがいかなる場合であろう
とも、自分が一番悲しいように主張する事がある。悲しみや苦痛や
は、比較したり加減したりして、苦しむものでなく、常に絶対である
から、自分が他人よりも一番悲しいといって、主張すべきものでは
い。ただ独りで悲しんでいさえすれば、罪はないのである。
不幸の人に、お悔やみに行った時には、常によく、その人の時と場
合とに気をつけて、同情し共鳴するように心掛け、決して余計な事を
いわぬがよろしいのである。
私のところでも、仏事をする時に、初めのほどは、坊さんを呼ん
で、お経を読んでもらったが、それまではよいけれども、後で商売柄
とでもいおうか、あきらめの仕方や、往生の事など、説教してくれる
のが、うるさくて、後には坊さんを呼ぶ事をやめました。「味噌の味
噌臭きは、上等の味噌でない」という風に、医者でも、坊主でも、あ
まり知識ぶらない方がよかろうと思う。
馬場夫人 私も坊主は、そんな事をいう職業かとおもっています。
山野井氏 坪井君どうです。
坪井氏 あまり、いじめないでください(笑声)。
神仏は尊むべし、頼むべからず
森田先生 宮本武蔵の言葉に「神仏は尊むべし、頼むべからず」と
いう事がある。私の宗教も、この通りです。やっぱり達人となると、
偉いものです。あるとき仇討ちに出かける道中、八幡様の前で、ふと
「どうぞ仇討ちに勝ちますように」と拝んだが、後から気がつき、引 1
き返して、そのお願いを取り消したとの事です。
浦山氏 私が入院しているとき、ここの御親戚の小学校長で、禅宗
の坊さんになった人が来ておられた。そのとき、私が先生に植木鉢を
ここへ置けといわれる、奥様はあちらに置けといわれる。どうしたら
よいでしょうかと尋ねたら、その時は、ここへ置いて、またあちらに
持って行けばよいといわれて、ハッと感ずるところがあり、心機一転
の動機になった事が、あります。
畔上氏 僕は今晩の先生のお話は、よくわかったと思う。9月に、
柔道部で報告をしたとき演説が大変よくできた。これは、しめたと思
ったが、これが先生の言われた突破だと思う。それから大変演説がし
たくなったが、その後またうまく行かなくなった。人はこのごろ畔上
は振わぬという。悲観した。つまり突破した調子で、今度もうまくや
ろうという気持のために、うまく行かなかったらしい。14日に大会
があって、みな出よというけれども、やめようと思った。先生のいわ
れるがっかりしてしまうというのに相当するでしょう。今日は形外会
だから、大いに雄弁を振って、調子がよかったら、出席しようと思っ
た。ここへ来る横町のところで、非常に怖くなった。
しかし自己紹介は、しかたなしに立って見たところが、ちょっとう
まくできた。これが「弱くなりきる」ことかと思います。今度高校の
試験がありますが、勉強はいやでも、やらなくてはしかたがない。こ
の頃なんだか、本当の事をつかんできたような気がします。
森田先生 畔上君は感心です。よく自己観察ができる。古閑先生の
ところで、大分修養しましたか。
古閑先生 治りにくくて、初めは人に、本当に治したいつもりかな
どといわれた事がありました。4ヵ月余りもいたでしょうか。その後
私のところから、学校に通いました。
森田先生 やはり修養の期間の長いものは、根が張っている。短い
日数の人は、できたようでも、体験が足りない。
阿弥陀様に頼むとは
桑原氏 「神仏は頼むべからず」といわれましたが、親鸞が弥陀に
頼むというのは、どういう意味ですか。
森田先生 その頼むは、意味が違う。「どうぞ勝負に勝つように」胃
癌が治るように、相場が当たるように、さては不眠・赤面恐怖が治る
ようにと頼むのではない。勝敗・治不治、ただ弥陀のおはからいにま
かせるので、自分の運命全部を、なるがままに、頼みおまかせする事
である。例えば大地震の時に、母の懐に抱かれて、生死を運命にまか
すところの小児のようなものであろうかと思う。屁理屈をいう人には、
それなら、ズボラ捨て鉢の、なるようにしかならないという風の、消 2
極的のもののように考える事もある。こんな疑問の起こる時は、いた
ずらに文句の上にとらわれないで、静かに自分の心の動きを、深くふ
かく観察する事を稽古するとよい。そうすると、我々の心のひらめき
は、非常に微妙なものである。治らないと決めてあきらめたり、治る
と決めて安心してるとかいう風の簡単なものではない。しかしヒス
テリーや意思薄弱者は、神経質に比ぶれば、はなはだ簡単である。我
我は地震のとき母の懐にありながら、あれこれと気を配りながら、お
母さんが、ああすればよかろうにと思って、じれったくなり、ダダッ
子をいって、しまいにはお母さんの顔をひっかいたりする事もある。
それでも母は決して、その子を投げ捨てはしない。阿弥陀様も、そん
な風ではあるまいか。この辺が人生の、なかなか言うに言われぬ微妙
なところである。ここの入院患者も、こんな風になると、早く治りま
す。私のいう事は、少しくらいは違っているでしょう。坪井君どうで
す。
自信があるといった従兄は落第して、自信のない自分が
合格した
鈴木氏 過去の経験をお話したいと思います。私は退院後、一息に
8ヵ月間勉強して、浦和の高校に入った。卒業して、東大医科を受け
たけれども、しくじって、1年浪人した。従兄がやはり医科志望で、
来年は必ず自信があるという。僕は自信がない。ともかくも、勉強
するよりほかにしかたがない。7ヵ月くらいは、とても早く過ぎた。
毎日毎日勉強そのものであった。友人はいつも、つまらないつまらな
いとくり返していた。
試験がすんで体格検査のとき、従兄に会って、自信があるかと問う
たら、勿論だといったのにはまいった。僕はなんだかあやしくなって
心配した。しかるに発表になったとき、僕は合格して、自信があると
いった従兄は落ちた。どうも悪人ですけれども、僕はそのときとても
愉快に感じました。僕は受験準備中、常に夢中になって勉強した。過
去に神経質の経験があって、先生によって、勉強に対する態度を体得
させて頂いたためだろうと思います。
どうすれば窮するかと思っても窮しない
早川氏 私は森田主義・悪用患者とでも申しますか、先生のいわれ
る事を、ことごとく悪用する。「窮すれば通ず」という事を聞けば、
窮する時まで待とうと、勉強をしない。これは先生をあまり信用し過
ぎているからじゃないかと思う。試験がくれば、受ける事は受ける
が、その時はまた「当たって砕けよ」という事を悪用する。ともかく
も答案を出す時がくれば、窮するから、何か書くだろうと思っていた
ら、この間の臨時試験には白紙を出した。本当に砕けてしまった訳で 3
す。受験しても、白紙を出すくらいなら、同じ事だと考えて、後の3
課目は受けなかった。ずっとこういう風に考えて行くと、学年試験に
は、落第するから、勉強するだろう。また学年試験になると、落第し
たら、本当に奮発するだろうと勉強しなくなる。そしたら、いつにな
ったら窮する時がくるだろうと思って苦しくなる。
もう一度、先生のところへ入院させて頂きたいと思って、先日うか
がったら、許可がなかったのであります。
みな自欺である
森田先生 入院しても、屁理屈ばかりで、実行ができないから、だ
めです。
君は森田を信ずるとかいう口実であるけれども、それはふざけとい
うもので、例えば、お母さんの言いつけに、何かと口答えをして、少
しもいう事を聞かないと同様です。
畔上君は、自分の心をよく見る事ができる。すなわち自覚があるが、
君は自覚に似て、実は自分の心の真を少しも認める事ができない。君
がいま言った事は、みな自欺である。本当の心は、勉強が苦しい、試
験の心配に対してこれを考えないようにしようとする心である。もし
その苦痛をじっと忍受し、恐ろしいものを見つめようとするならば、
その結果として、自分の真の心が発現して、「当たって砕けろ」とい
う事実が発揮されるけれども、これと反対に、苦痛から逃げよう、目
をつぶろうとして、ことさらに先生をだしに使って、自分の罪を先生
に負わせようとし「窮達」という文句の理屈を考えて、現在の苦しい
時間をわざと過ごさせ、我と我心を欺いて、目先きの安逸を求めよう
とする心である。という事を自覚する事ができず、極めて不真面目・
不正直の自我主義であります。
困った、どうしようは循環論理である
「右向け右」といわれて、すぐ右向けば、なんでもないが、右とは何
ぞといったら、動く事はできない。右とは、先方から見ても右か、こ
ちらからの右かと考えたら、もはや左右の区別はなくなるのである。
窮するまで、夜も寝ずに、勉強すれば、頭もクラクラとして、当たっ
て砕ける事にもなるけれども、窮するとは、白紙の答案か、落第の事
か、そんな抽象的の事のわかるはずはない。面白半分で友達に見ても
らって三原山へ身投げしたという女もある当世であるから、抽象的に
何が窮する事かという事のあるはずがないのである。
「困った」という事と、「どうしよう」という事とは、大と非小との
ように同一の事です。この困った、どうしようの二つの間をさ迷って
いるのを循環論理といって、いつまでも到着点はなく、限りない事に
なる。すなわちいつまでも、窮する事はない。ただそのどれでも、そ 4
の一つを見つめていれば、困った事に対して、自ら道が開けて来る。
また一方のどうしようという事を、右か左かやって見さえすれば、必
ずその結果が現われる。とにかく推理なり実行なりを進めて行きさえ
すれば、循環論理ではなくなるのである。早川君でいえば、その試験
問題を、困った困ったと見つめていれば、つまりは一生懸命に、答案
を書くようになってくる。黒川君の日記に、「ここに千筋の道があっ
て、迷った時には、その一つひとつを片っ端から歩いてみる」という
事がある。早川君は、ただ二つの道を、どちらにも行かないで、ただ
どうしよう、どうしようといっているようなものである。
この前、僕が君の宿へ行ったとき、掃除しなくちゃいかんといった
が、その後実行しましたか。
早川氏 いいえ。
森田先生 そんな事では、入院しても、なんの効能もない。実行と
は、疑いながら、まず手を出す事です。すると君は、手を出すとは、
横へか前へか、どうする事かと、考えるでしょう。君はこれほどいっ
ても、今度帰って、決して掃除をしないという事を、この次の形外会
の宿題として、予言しておきます。
早川氏 今度は掃きます。しかし私のところの奥さんは、落葉は掃
き捨てない方が趣きがあるというんですが。
森田先生 そこを奥さんにも嫌われないように、僕のいう通りに掃
除しなければならない。そこに工夫がある。それ以上の事を教えて
は、実行ができなくなる。
迷いながらする、それが実行である
高浦氏 今のお話を聞いて、自分も早川さんと共通のところがある
ように思う。私は人生観という事について、遍歴してきた。
「人生創造」(石丸氏)の方では、一つの観念を出して置いて、その
イデオロギーによって、我々の人生を指導するという風に、イデオロ
ギーが先に出てきます。
我々は聖賢の言葉を聞いても、ただその言葉にあこがれて、それを 聖賢:聖人と賢人。
あてはめようとする。ますます行いができない。私は思うに、まず行
いが先でなくてはならない。やってみれば、そこでイデオロギーが出
てくるものじゃないかと思う。信ずるにはおよばぬ、なんでもかまわ
ぬ、やってみるという態度で行けばよいかと思う。
山野井氏 今度の「神経質」に、早川君の書いたものが載ってい
る。初めに「何か書きたい欲望があるけれども、何を書いてよいかわ
からぬ」といいながら、入学試験の事を書いてある。つまり自分で書
く事がわからぬながらに、書いている。それが思想と実行と違うとこ
ろで、この早川君のやり方が、実行であろうと思います。 5
なお実行という事について、私はデパートに行くと、自分がポケ
ットに何か入れるように思われはしないかと気になる。それで店員か
ら、終始見つめていられるのも困るが、また見てないうちに、ポケ
ットに入れたと思われてもいかんから、見つめていられても困るし、
あまり見ていなくとも困る。マントなど着ている時は、いよいよ困る
から、ときどき前を拡げて、決して怪しい事はないぞという事を、わ
ざと示すようなこともする。こんな恐怖があって苦しいけれども、必要
があれば、いつでも買物に行く。強迫観念が治ったと、治らないのと
の境は、ここにあるのじゃないかと思います。治らないうちは、恐怖
にとらわれて、買物があっても、行く事ができない。治った人は、買
物があれば、恐怖があっても行く。たったこれだけの相違でないかと
思います。
疑われる事を気にするのが最上等の人
森田先生 山野井君の店員から見られるのが気になるというのは、
普通の人にある事です。このことを「李下に冠を正さず、瓜田に履を
入れず」という喩で表してあります。
一番上等の人が、疑われはしないかと用心する人です。中等がなん
とも思わぬ無頓着の人で、最下等が、チョイチョイとごまかす人で
す。
山野井氏 新聞に出ていた事です。母のなくなった小学生で、その
父が行跡が悪くて、その子供は、たびたび父を諫めたけれども聞き入
れない。あるとき父が賭博をやっているところを、子供が警察に届け
たので、父はそのために捕らえられた。それについて、批評家たちは、
ある人は、それは人情でない。普通の子供の考え方じゃないという。
また一方の人は、学校では、悪を憎む事を教えて、それがよくわか
り、先生の教えを守る感心な子供だといっています。どちらが正しい
ものでしょうか。
森田先生 論語にこういう事がある「葉光が孔子に語りて曰く。吾 葉光:葉県(しょうけん)の長官
党に、身の正直を立てるものがある。その父羊を盗みて、子がこれを 吾党:吾が村
訴え出たと。孔子の曰く。吾党の正直者は、これに異なり、父は子の
ために隠し、子は父のために隠す。正直という事は、その内にあり」
という事である。人情から出発しなければならぬ。人情が道徳であり
人生観であり、哲学であるのである。もし子供が親を訴える事ができ
たら、その子供は、低能か変質者かです。
模倣してはいけない、ただあこがれていればよい
浦山氏 ナッシュの話を聞きましたが、彼は倒れかかった洋服屋を
見て、自分の事は考えず、その洋服屋を引き受けて、店員に賃金をう
んとやって、事業を始めた。それが非常に成功して、模範工場といわれるようになった。 6