第55回札幌5巻を読む会         2019. 6.20    

森田正馬全集 第5281 第28形外会          昭和71211日から 

 

このごろ、女が強盗を追い返したという事が、流行のように、新聞

に出ているが、女は自分で弱い者ときめているから、何かの時に、す

ぐに必死になるのである。

 かくの(ごと)く、第1種の恥ずかしいままに恥ずかしい人は、弱きにな

りきるから、さらばの時に、気が強くなる。

  2種の面弱(つらよわ)

 次に第2種の対人恐怖の「面弱(つらよわ)し」は、負け()しみで、恥ずかしが

ってはならぬと、虚勢(きょせい)を張るから、人に対する思いやりは、少しもな

く、周囲と調和を失って、いたずらに気を強くするのである。「慇懃(いんぎん)

な者が強情である。」というのも、その人は、単に自分の礼儀(れいぎ)さえまっ

とうすれば、人の迷惑(めいわく)はどうでもよいという自我(じが)主張(しゅちょう)の結果であるか

ら、受けた相談で、自分に少しでも都合の悪い事には、決して妥協(だきょう)

なく、自分を犠牲(ぎせい)にするという事は、毛頭(もうとう)ない。すなわち強情(ごうじょう)である

のである。

 ここで赤面恐怖の人は、誰でもこの会で自己紹介の事を思うと、前

日から苦しくてたまらないという。我々も昔、演説(えんぜつ)()け合うと、数

日前から不安に(おそ)われる。その日になれば、時間の(せま)るにつれて、胸

早鐘(はやがね)のように打つ。これは普通の人は、誰でも当然の事と考え、別

にこれをどうしようともしない。これを不安でないようとするには、

どうすればよいかといえば、原稿(げんこう)演壇(えんだん)で、読み上げるつもりでいさ

えすればよい。そこが、ただ我々の優越(ゆうえつ)(よく)のために、うまく上手に、

人を感心させたい一杯(いっぱい)で、数日前から、心が不安になるのである。こ

この赤面恐怖患者でも、紹介の時に、単に自分の(せい)と、症状だけをい

うつもりならば、なんの不安のあるはずもない。そこが、この患者の

性質として、負け()しみのために、少しでも優秀に、自分を人に示そ

うとするからである。

 佐藤君が正視恐怖を起こしたというのは、徳村(とくむら)という偏執狂(へんしゅうきょう)の患者

にやっつけられたとき、これに対して、医者たるものがと頑張ったが

ためである。私共も、この患者は随分(ずいぶん)うるさかった。しかし、私はす

べて()(ちが)い力には、(つね)にとうていかなわないものという事を知ってい

る。狂人(きょうじん)には、負けるものである。決して勝とうとはしない。すなわ

豪気(ごうき)しゃべりたてる患者には、当然目を()せて、口答えもできな

い。閉口(へいこう)していると、患者もいいたいだけの事を言えば、落着いて、

強いて無理もいわなくなる。犬でも、町で他の犬に会うとき、尻尾(しっぽ)

まいて目を()せて行けば、決して()えついたり、追及(ついきゅう)したりせぬもの          1

である。私は佐藤君のような場合にも、当然尻尾(しっぽ)をまく。また「君は

どうも眼が悪いようだ」と、人から言われたとすれば、「(この)(ごろ)少し悪

いです」といって、目の悪い事にしてしまう。赤面恐怖も、このよう

に、「弱くなりきる」ということの心境(しんきょう)を一度会得(えとく)すれば、これが人か

ら、敵対(てきたい)されず・迫害(はくがい)されず、しかも最後の勝利をうる方法であると

いう事を知って、たちまち全治するのである。

  弱くなりきる

 私共も、昔、()(がも)病院で、とくに(はい)徳性(とくせい)変質患者には、随分(ずいぶん)苦し   (はい)(とく)=道徳にそむく

められて、いつしかそれが自分の修養になってきたのである。1患者

は、あるとき私に含嗽(がんそう)(すい)(びん)を投げつけて、私の腰の(へん)かすり(うしろ)

(かべ)で、微塵(みじん)になった事があり、またある時には、私を寝床の上にね

()せて、腰の辺を、やたらに(たた)いた事がある。この患者は、急に(げき)

()しても、物の見境(みさかい)はあるから、(びん)を投げても、怪我(けが)するようにはし

ない。(たた)いても腰の辺を、さほど痛くないくらいにする。私も医者な

るものの心得(こころえ)として、患者に少しも抵抗(ていこう)しない。しかしこれはなかな

か苦しい気味(きみ)の悪いものである。真剣味(しんけんみ)のあるものである。思うに私

がこんな事のできたのは、柔道(じゅうどう)初段(しょだん)という素質のあったお(かげ)である。

すなわち相手の攻撃(こうげき)の気合いと、かけひきの手を見る事ができて、実

際自分に危険という時のほかは、相手のなすがままにまかすという()

(はか)らいができるからであると思うのである。この事があってから、こ

の患者は私に対して、非常に温柔(おんじゅう)になった。その後この患者は「この

精神病院で、本当に医者らしい者は、森田くらいのものである」とい

っていたとの事で、(つね)に私に好意(こうい)()せて、贈物(おくりもの)や手紙をしばしば送

った事がある。

 そのほか私は、根岸(ねぎし)病院でも、ある時は診察中、横合(よこあ)いから()()

けに、横腹(よこはら)()られ、椅子(いす)から投げ飛ばされた事があり、また横面(よこつら)

を、目がくらむほど、(なぐ)られた事もある。みな()(ちが)い相手の事である

から、少しも腹は立たないのである。これはみな、私がその境遇(きょうぐう)にな

りきり、また弱きになりきり、患者に対して、反抗(はんこう)(しん)が少しもないと

いう事の結果であろうと思うのであります。

 なお赤面恐怖の人に、一言(ひとこと)注意したいのは、自分がちいさい、劣等(れっとう)

ある、どうにもしかたがないと、行きづまった時に、そこに工夫(くふう)も方

法も、()()てて、弱くなりきる、という事にある。この時に自分の

境遇上(きょうぐうじょう)、ある場合に、行くべきところ・しなければならぬ事などに対

して、静かにこれを見つめて、しかたなく、思いきってこれを実行す

る。これが突破(とっぱ)するという事であり、「(きゅう)して(つう)ず」という事である。

すなわち「弱くなりきる」という事は、人前でどんな態度をとればよ

いかという工夫(くふう)()()てた時であって、そこに初めて、突破(とっぱ)(きゅう)(たつ)          2

という事があるのである。

 この「弱くなりきる」でなく、単に()焼刃(やきば)で、(から)元気で突破(とっぱ)する

という時は、たまたまこれが成功して、自分もやれば、やれるものと

いう事を知り、恐怖が軽快(けいかい)したようになるけれども、これは再発(さいはつ)(まぬが)

れないのである。

  あの時の調子でと思うから予期感情になる

 山野井氏 私が退院して、すぐ重役(じゅうやく)に会わなければならない。やむ

を得ないから、しかたなしに行った。初め心臓は、どきどきするし、

声は(ふる)える、そのままやっているうちに、急に楽になって、話もうま

く進んだ、数年来、なかったほどの話しぶりであった。それが先生の

いわれた突破(とっぱ)して、よくなったような気持がするという事に相当(そうとう)する

かと思う。それで一度は全治したと思ったが、だんだん(くつがえ)されて、再

び恐怖が起こってきました。ほかに方法もないので、そのままやって

いるうち、自然に「弱くなりきる」と申しますか今度は本当に楽にな

りました。こちらが相手をみらみつけるから、相手もにらむ。こちら

が相手の顔を見なければ、相手がこちらを見ているか、どうかはわか

らぬはずです。自分が弱くなりきれば、見るも見ないも、人の勝手に

まかす事ができる。()を張るから、人に見られないようにしようとす

るのである。大きな声を出すと、(ふる)えるから、普通の声で話すように

したら、(ふる)えなくなった。私がこの形外会の進行係を、初めてやった

のは、東京病院で、そのとき非常にうまくいって、しめたと思った。

それが軽快(けいかい)で、その次の会には、今度もあの時の調子でと考えたため

に、それが予期感情になって、今度は声が(ふる)えて、うまくできなかっ

た。これが再発である。現在は(つね)にびくびくして、弱くなっているか

ら、うまく行けば、喜び、うまくできなくとも、当然の事と思い、苦

痛としない。これがよくなったというのではないでしょうか。

  思いきるにも二通りある

 森田先生 もう少し、先へ追及(ついきゅう)して、研究してみます。思い切って

やるという事にも、二通りある。一つは能動的(のうどうてき)に、自分から勇気(ゆうき)をつ

けてやる。空元気(からげんき)の付け焼刃(やきば)であるから、する事が不自然になる。し

かしその事柄(ことがら)によって、例えばお()やみに行くようなことならば、そ

れは誰でも当然できる事であるから「(あん)じるより()むがやすい」と

いって、喜ぶ事になる。これに反して、人と取り引き・談判(だんぱん)とかいう

事になると、空元気(からげんき)しくじりが多くなって、大いに悲観(ひかん)して、ます

ます(ひき)(こみ)主義(しゅぎ)になる事が多い。

 第二の場合は、受動的に、やむを()ずやる。すなわち背水(はいすい)(じん)であ

る。この時は付け焼刃(やきば)でないから、自分は弱いものと覚悟(かくご)して、自然

であるから、談判(だんぱん)にも擬勢(ぎせい)がなくて、勝たなくとも、少なくとも負け          3

はしない。この場合には、勝てば喜び、負けても、当然の事として、

がっかりするような事はない。

 第一の場合は、赤面恐怖患者が、よく「人前に出る稽古(けいこ)をすればよ

いか」など質問する心持(こころもち)で、第二の場合は、いかなる境遇(きょうぐう)にも、こと

さらに逃げないで、()たって(くだ)けるという態度(たいど)になる心境(しんきょう)である。ち

ょっと思い(ちが)えると区別(くべつ)のできないような、わずかな相違(そうい)であるの

である。この第一が軽快(けいかい)、第二が根治(こんち)である。

 第一の場合は、(たと)えば自己紹介の時に、初めごく簡単にいうつもり

で、立ってみると、案外(あんがい)よくできた。今日はよくできたなと、そのま

ま喜べば、すなわちいわゆる初一念(しょいちねん)である。しかしこの次から、こん

な風に、うまくやってやろうと思えば、それが続念(ぞくねん)になり、悪知にな

り、作為(さくい)はからいになり、思想(しそう)矛盾(むじゅん)になって、決してうまく行かな

いこと()()いである。これが再発である。第二の場合は、弱くなり

きっているから、うまく行けば、僥倖(ぎょうこう)のように喜び、悪く行けば、    僥倖:思いがけない幸い。

当然の事のように考えて、決して落胆(らくたん)しない。すなわち「心は万境(ばんきょう)

(したが)って(てん)じ」喜ぶ時は喜び、(うれい)(うれ)い、そのまま反応して、後に心が

残らないから「無喜(むき)亦無憂(またむゆう)」という事になるのみである。(あく)()・思想の

矛盾(むじゅん)左右(さゆう)する余地(よち)がなくなるのである。根治(こんち)である。

  恐怖と欲望の張りきったところに修養がある

 考えてみれば、この「弱くなりきる」。こんなに容易(ようい)な事はない。

とくに神経質は、(みずか)劣等感(れっとうかん)の者であるから、そのままこれを肯定(こうてい)

虚勢(きょせい)を張ったり、(われ)(わが)(こころ)反抗(はんこう)さえしなければ、なんでもなくで

きる事である。この時には、自分は()(どん)であるから人の2倍も勉強

し、()であるから、ますます知識欲が旺盛(おうせい)になり、自分は不人情(ふにんじょう)であ

るから、(つね)に身を(つつし)むようになる。その結果として、心は小さくと

も、事実において、人に(おと)らなくなる。心は(つね)倹約(けんやく)であって、事実

において、財産の安定があり、物資(ぶっし)豊富(ほうふ)であるようなものである。

 次に、もう一段(いちだん)追及(ついきゅう)して考える。我等(われら)()(ちが)いにはかなわぬ。(えら)

人の前では、頭も上がらない。尻尾(しっぽ)を巻いて、弱くなりきる。形外会

の自己紹介の時でも、言いたい事の10分の1も言えない。それなら、

それで満足し・安心ができるかというと、そうは行かない。残念でな

らぬ。ただ自分が弱いから、しかたがないまでの事である。このまま

あきらめる事はできない。一晩二晩眠られぬ事もある。尻尾(しっぽ)を巻くの

は、すなわち恐怖である。残念で、あきらめられないというのが、す

なわち欲望である。この恐怖と欲望との間の葛藤(かっとう)が大きくて、その苦

痛を押しきって行くのが、立派な人であり・偉い人である。その恐怖

を否定し、あるいは欲望を捨てようとか、工夫するのが、似而()()なる

修道者(しゅうどうしゃ)であり、強迫観念であるのである。                      4

この心の葛藤(かっとう)があってこそ、そこに進歩がある。例えば人前で、う

まく物がいえない。そこで人の10口言うところを、簡単(かんたん)明瞭(めいりょう)(もっと)

適切(てきせつ)に、1口に言う工夫をする。思想が()れ、文章が精錬(せいれん)され人生観

が研究されるようになる。尻尾(しっぽ)を巻いて引っ込むという恐怖と、どう

()しいという欲望とが両方から張りきっているところに、初めて本

当の修養があるのである。うっとりと安心してすましているところ

に、決して進歩はないのである。

  あきらめられないままに時が解決してくれる

 石井氏 去年7月入院したもので、主訴(しゅそ)は対人恐怖・窃盗(せっとう)恐怖で

す。すっかりよくなって、働けるようになりました。今でも人の顔を

正視(せいし)する事はできないように思っています。先生のお話の「弱くなり

きる」という事には、非常に感じました。

 先日、先生のお部屋の火が、みな消えてない。女中(じょちゅう)さんが(しか)られ

て、急ぐ時には、火を七輪(しちりん)でおこすようにといわれた。この事を女中

から、久松(ひさまつ)(料理人)君にいったら、その翌日、久松(ひさまつ)君は、七輪(しちりん)に火

一杯(いっぱい)おこしていた。私は、今朝(けさ)は、先生のところにも、火があるか

ら、(むこ)うを見計(みはか)らって、火を沢山(たくさん)おこしちゃいかんじゃないかと注意

したら、久松君は、それでも先生は、毎朝、火を七輪(しちりん)でおこすように

言われたといって、むきになって怒ってきた。私は閉口(へいこう)して、(あらそ)いは

できなかったが、その後、久松君も奥様から、お話を聞いて、私に()

(ごと)をいってきました。やっぱり、弱い方が安泰(あんたい)で、しかも最後の勝

利です。

 浦山(うらやま) 昭和3年の入院です。10年近く、いろんな強迫観念に悩ま

されましたが、すっかり治りました。約7年間というものは、フラフ

ラとして、(まった)く治療巡礼(じゅんれい)をしました。今度、先生が、熱海(あたみ)伊勢屋(いせや)

建築(けんちく)される事になって、私共はそちらを手伝う事になりました。どう

ぞ皆様の御後援(ごこうえん)を願います。

 坪井(つぼい) 私は対人恐怖・目的恐怖で、昭和5年以来、4,5回診

察を受けました。私は先生のいわれる突破(とっぱ)する方である事を、しみじ

み感じます。

 馬場夫人 大正6年に、外来で、日記を持って、日曜ごとに2ヵ月

ばかり通い、病気が治るとともに、大変いろいろ人生について教え

られ、いつもいつも先生のお(かげ)を考えない事はありません。昨年良人(おっと)

に急に亡くなられたとき、他の人たちから、さまざまに(なぐさ)められたと

き、私は「あきらめられぬものですが、あきらめられないままに、時

が解決してくれるのです」といいました。以前ならば、この人たちの

いうように、どうしたら、あきらめられるか、どうすれば、この悲し

みを忘れる事ができるかと、さまざまに苦しんだ事でしょうけれど           5

 

も、先生のお(かげ)で、そんな考えはなくなり、大変らくで、悲しみや苦

痛も、一番早くよくなるかと思います。

 森田先生 この心境が、すなわち、『なりきる』ことで全治であり

ます。

  赤ん坊の死んだのがなぜ悲しいか

 山野井氏 そんなに(なぐさ)められたとき、それほどまでにいわずとも、

聞き流して、有難うございますといっておれば、よくはないでしょう

か。

 森田先生 山野井君は、馬場さんの話を、言葉で聞くから、その様

に思うのである。話の前後の関係や気合(きあい)推察(すいさつ)する事のできるもの

で、相手があまり無理強(むりじ)いに言うからの結果であろうかと思います。

 馬場夫人 あまりくどく言うからです。おとなしくお()やみを言っ

てくれれば、有難うございますと、いっております。あまりしつこく

言われると、つい言ってしまいます。夫の亡くなったとき、悲しみを

思いかえそうとしなかったという事は、不幸中の幸いかと思います。

 奥様 ほんとに経験のない人が、よく、死んだものはもう帰ってこ

ないから、あきらめねばならないなどといいますね。

 森田先生 私の子供も、1昨年亡くなったが、お()やみも、簡単な

らば、(あり)(がと)うですむが、しつこく言われる時には、私は(だま)って、返事

をしない。これによって、相手に反省させるつもりである。それでも

反省しない時には、馬場さんのいうようにもなります。

 皆様に御注意したいのは、お()やみに行った時は、お辞儀(じぎ)の仕方

も、言葉も簡単なほどよい。相手の悲しみに同感し、これを思いやる

事を工夫しなければならぬ。自分で経験もないものが、当て推量(すいりょう)に、

いろいろの事をいうのは、大間違(おおまちが)いの(もと)ということを注意しなければ

なりません。

 浦山氏 私は親の亡くなったとき、思ったよりも、割合(わりあい)に悲しくあ

りませんでしたが、どういうものでしょうか。

 森田先生 仏教に涅槃(ねはん)という事がある。死ぬること成仏(じょうぶつ)する事をい

う。死ぬるとは、生をまっとうする事で、生命のあらんかぎりのベスト

()くしたものが、成仏(じょうぶつ)である。釈迦(しゃか)正成(まさなり)の死は、大涅槃(だいねはん)である。   正成:楠正成・服部半蔵

 私の妹が、生後24日で死んだが、母は「(やみ)から(やみ)にやった」と

かいって、非常に悲しんだ。私共はそれを、何も知らぬ虫のような赤

ん坊が、なぜそんなに悲しいのかと思っていたが、自分の子ができ

て、初めてその悲しみがわかったのである。

  生をまっとうすれば死の悲しみは少ない

 私の子供は、20歳で亡くなったが、犬猫(いぬねこ)も、自分の子が、独り立(ひとりだ)ちができるようになると、  6

56回札幌5巻を読む会         2019. 8.8    

森田正馬全集 第5286 第28形外会          昭和71211日から   

生をまっとうすれば死の悲しみは少ない

私の子供は、20歳で亡くなったが、犬猫(いぬねこ)も、自分の子が、独り立(ひとりだ)

ちができるようになると、それまでは、命に( か)けても、子をかばい

世話したものが、その後は(まった)放任(ほうにん)して(かえり)みないようになる。私共(わたしども)

も、小学時代には、寸時(すんじ)もこの子を、どうして()(ばな)す事ができようか

と思っていたのが、中学入学後は、いつとはなしに、2、3日は、何

をしていたか知らないような事も、しばしばあるようになった。事実

は決して、想像したり、予期したりするようなものではない。もしこ

の子が、前の手離す事のできなかった時代に死んだら、その悲しみ

()たしてどんなであったろうと思う。

 この事から考えると、子供が大学を卒業し、さらに結婚して、子が

できたとかいう事になれば、その悲しみは、ずっと薄くなる事と思わ

れる。すなわち生命をまっとうすればするほど、死の悲しみは、少な

くなる事と思う。

 普通の人は、身内(みうち)の死に会う時には、それがいかなる場合であろう

とも、自分が一番悲しいように主張(しゅちょう)する事がある。悲しみや苦痛や

は、比較(ひかく)したり加減(かげん)したりして、苦しむものでなく、(つね)に絶対である

から、自分が他人よりも一番悲しいといって、主張すべきものでは

い。ただ(ひと)りで悲しんでいさえすれば、罪はないのである。

 不幸の人に、お()やみに行った時には、(つね)によく、その人の時と場

合とに気をつけて、同情し共鳴(きょうめい)するように心掛(こころが)け、決して余計(よけい)な事を

いわぬがよろしいのである。

 私のところでも、仏事(ぶつじ)をする時に、初めのほどは、坊さんを呼ん

で、お経を読んでもらったが、それまではよいけれども、後で商売柄(しょうばいがら)

とでもいおうか、あきらめの仕方や、往生(おうじょう)の事など、説教してくれる

のが、うるさくて、後には坊さんを呼ぶ事をやめました。「味噌(みそ)()

()(くさ)きは、上等(じょうとう)味噌(みそ)でない」という風に、医者でも、坊主(ぼうず)でも、あ

まり知識(ちしき)ぶらない方がよかろうと思う。

 馬場(ばば)夫人(ふじん) 私も坊主(ぼうず)は、そんな事をいう職業かとおもっています。

 山野井氏 坪井(つぼい)君どうです。

 坪井氏 あまり、いじめないでください(笑声)。

  神仏(しんぶつ)(とうと)むべし、(たの)むべからず

 森田先生 宮本武蔵(むさし)の言葉に「神仏(しんぶつ)(とうと)むべし、(たの)むべからず」と

いう事がある。私の宗教も、この通りです。やっぱり達人(たつじん)となると、

(えら)いものです。あるとき仇討(あだう)ちに出かける道中(どうちゅう)八幡(やはた)(さま)の前で、ふと

「どうぞ仇討(あだう)ちに勝ちますように」と(おが)んだが、後から気がつき、引          1

き返して、そのお願いを取り消したとの事です。

 浦山(うらやま) 私が入院しているとき、ここの御親戚(ごしんせき)の小学校長で、禅宗(ぜんしゅう)

(ぼう)さんになった人が来ておられた。そのとき、私が先生に植木(うえき)(ばち)

ここへ置けといわれる、奥様はあちらに置けといわれる。どうしたら

よいでしょうかと(たず)ねたら、その時は、ここへ置いて、またあちらに

持って行けばよいといわれて、ハッと感ずるところがあり、心機(しんき)一転(いってん)

(どう)()になった事が、あります。

 畔上(あぜがみ)氏 (ぼく)今晩(こんばん)の先生のお話は、よくわかったと思う。9月に、

柔道部で報告をしたとき演説(えんぜつ)が大変よくできた。これは、しめたと思

ったが、これが先生の言われた突破(とっぱ)だと思う。それから大変演説がし

たくなったが、その後またうまく行かなくなった。人はこのごろ畔上(あぜがみ)

(ふる)わぬという。悲観(ひかん)した。つまり突破(とっぱ)した調子で、今度もうまくや

ろうという気持のために、うまく行かなかったらしい。14日に大会

があって、みな出よというけれども、やめようと思った。先生のいわ

れるがっかりしてしまうというのに相当(そうとう)するでしょう。今日は形外会

だから、大いに雄弁(ゆうべん)(ふる)って、調子がよかったら、出席しようと思っ

た。ここへ来る横町(よこちょう)のところで、非常に(こわ)くなった。

 しかし自己紹介は、しかたなしに立って見たところが、ちょっとう

まくできた。これが「弱くなりきる」ことかと思います。今度(こんど)高校の

試験がありますが、勉強はいやでも、やらなくてはしかたがない。こ

の頃なんだか、本当の事をつかんできたような気がします。

 森田先生 畔上(あぜがみ)君は感心です。よく自己観察ができる。古閑(こが)先生の

ところで、大分(だいぶん)修養(しゅうよう)しましたか。

 古閑(こが)先生 治りにくくて、初めは人に、本当に治したいつもりかな

どといわれた事がありました。4ヵ月余りもいたでしょうか。その後

私のところから、学校に通いました。

 森田先生 やはり修養の期間の長いものは、根が張っている。短い

日数の人は、できたようでも、体験が足りない。

  阿弥陀(あみだ)(さま)(たの)むとは

 桑原(くわばら) 「神仏(しんぶつ)は頼むべからず」といわれましたが、親鸞(しんらん)弥陀(みだ)

頼むというのは、どういう意味ですか。

 森田先生 その(たの)むは、意味が違う。「どうぞ勝負に勝つように」()

(がん)が治るように、相場(そうば)が当たるように、さては不眠・赤面恐怖が治る

ようにと頼むのではない。勝敗(しょうはい)()不治(ふじ)、ただ弥陀(みだ)のおはからいにま

かせるので、自分の運命全部を、なるがままに、(たの)みおまかせする事

である。(たと)えば大地震の時に、母の(ふところ)()かれて、生死(せいし)を運命にまか

すところの小児のようなものであろうかと思う。屁理屈(へりくつ)をいう人には、

それなら、ズボラ()(ばち)の、なるようにしかならないという風の、消          2

極的のもののように考える事もある。こんな疑問の起こる時は、いた

ずらに文句(もんく)(うえ)にとらわれないで、静かに自分の心の動きを、深くふ

かく観察する事を稽古(けいこ)するとよい。そうすると、我々の心のひらめき

は、非常に微妙(びみょう)なものである。治らないと決めてあきらめたり、治る

と決めて安心してるとかいう風の簡単なものではない。しかしヒス

テリーや意思薄弱者(いしはくじゃくしゃ)は、神経質に(くら)ぶれば、はなはだ簡単である。(われ)

(われ)は地震のとき母の(ふところ)にありながら、あれこれと気を(くば)りながら、お

母さんが、ああすればよかろうにと思って、じれったくなり、ダダッ

子をいって、しまいにはお母さんの顔をひっかいたりする事もある。

それでも母は決して、その子を()()てはしない。阿弥陀(あみだ)(さま)も、そん

な風ではあるまいか。この辺が人生の、なかなか言うに言われぬ微妙(びみょう)

なところである。ここの入院患者も、こんな風になると、早く治りま

す。私のいう事は、少しくらいは(ちが)っているでしょう。坪井(つぼい)君どうで

す。

  自信があるといった従兄(いとこ)落第(らくだい)して、自信のない自分が

  合格した

 鈴木氏 過去の経験をお話したいと思います。私は退院後、一息(ひといき)

8ヵ月間勉強して、浦和(うらわ)の高校に入った。卒業して、東大医科を受け

たけれども、しくじって、1年浪人(ろうにん)した。従兄(いとこ)がやはり医科(いか)志望(しぼう)で、

来年は必ず自信があるという。僕は自信がない。ともかくも、勉強

するよりほかにしかたがない。7ヵ月くらいは、とても早く過ぎた。

毎日毎日勉強そのものであった。友人はいつも、つまらないつまらな

いとくり返していた。

 試験がすんで体格(たいかく)検査(けんさ)のとき、従兄(いとこ)に会って、自信があるかと()

たら、勿論(もちろん)だといったのにはまいった。僕はなんだかあやしくなって

心配した。しかるに発表になったとき、僕は合格して、自信があると

いった従兄(いとこ)は落ちた。どうも悪人ですけれども、僕はそのときとても

愉快(ゆかい)に感じました。僕は受験準備中、(つね)夢中(むちゅう)になって勉強した。()

()に神経質の経験があって、先生によって、勉強に対する態度を体得(たいとく)

させて頂いたためだろうと思います。

  どうすれば(きゅう)するかと思っても(きゅう)しない

 早川(はやかわ) 私は森田主義・悪用患者とでも申しますか、先生のいわれ

る事を、ことごとく悪用する。「(きゅう)すれば(つう)ず」という事を聞けば、

(きゅう)する時まで待とうと、勉強をしない。これは先生をあまり信用し過

ぎているからじゃないかと思う。試験がくれば、受ける事は受ける

が、その時はまた「当たって(くだ)けよ」という事を悪用する。ともかく

答案(とうあん)を出す時がくれば、(きゅう)するから、何か書くだろうと思っていた

ら、この間の臨時(りんじ)試験(しけん)には白紙を出した。本当に(くだ)けてしまった(わけ)で          3

す。受験しても、白紙を出すくらいなら、同じ事だと考えて、後の3

課目(かもく)は受けなかった。ずっとこういう風に考えて行くと、学年試験に

は、落第(らくだい)するから、勉強するだろう。また学年試験になると、落第(らくだい)

たら、本当に奮発(ふんぱつ)するだろうと勉強しなくなる。そしたら、いつにな

ったら(きゅう)する時がくるだろうと思って苦しくなる。

 もう一度、先生のところへ入院させて(いただ)きたいと思って、先日うか

がったら、許可(きょか)がなかったのであります。

  みな自欺(じぎ)である

 森田先生 入院しても、屁理屈(へりくつ)ばかりで、実行ができないから、だ

めです。

 君は森田を信ずるとかいう口実(こうじつ)であるけれども、それはふざけとい

うもので、例えば、お母さんの言いつけに、何かと(くち)(ごた)えをして、少

しもいう事を聞かないと同様です。

 畔上(あぜがみ)君は、自分の心をよく見る事ができる。すなわち自覚があるが、

君は自覚に()て、実は自分の心の(しん)を少しも認める事ができない。君

がいま言った事は、みな自欺(じぎ)である。本当の心は、勉強が苦しい、試

験の心配に対してこれを考えないようにしようとする心である。もし

その苦痛をじっと忍受(にんじゅ)し、恐ろしいものを見つめようとするならば、

その結果として、自分の真の心が発現(はつげん)して、「当たって(くだ)けろ」とい

う事実が発揮(はっき)されるけれども、これと反対に、苦痛から逃げよう、目

つぶろうとして、ことさらに先生をだしに使って、自分の(つみ)を先生

()わせようとし「(きゅう)(たつ)」という文句(もんく)理屈(りくつ)を考えて、現在の苦しい

時間をわざと過ごさせ、我と(わが)(こころ)(あざむ)いて、目先(めさ)きの安逸(あんいつ)を求めよう 

とする心である。という事を自覚する事ができず、(きわ)めて不真面目(ふまじめ)

不正直(ふしょうじき)自我(じが)主義(しゅぎ)であります。

  (こま)った、どうしようは循環(じゅんかん)論理(ろんり)である

「右向け右」といわれて、すぐ右向けば、なんでもないが、右とは何

ぞといったら、動く事はできない。右とは、先方(せんぽう)から見ても右か、こ

ちらからの右かと考えたら、もはや左右の区別はなくなるのである。

窮するまで、夜も寝ずに、勉強すれば、頭もクラクラとして、当たっ

(くだ)ける事にもなるけれども、(きゅう)するとは、白紙の答案(とうあん)か、落第(らくだい)の事

か、そんな抽象的(ちゅうしょうてき)の事のわかるはずはない。(おも)(しろ)半分(はんぶん)で友達に見ても

らって三原山(みはらやま)身投(みな)げしたという女もある当世(とうせい)であるから、抽象的(ちゅうしょうてき)

何が(きゅう)する事かという事のあるはずがないのである。

「困った」という事と、「どうしよう」という事とは、大と非小(ひしょう)との

ように同一(どういつ)の事です。この困った、どうしようの二つの間をさ迷(さまよ)って

いるのを循環(じゅんかん)論理(ろんり)といって、いつまでも到着点(とうちゃくてん)はなく、限りない事に

なる。すなわちいつまでも、(きゅう)する事はない。ただそのどれでも、そ          4

の一つを見つめていれば、困った事に対して、(みずか)ら道が開けて来る。

また一方のどうしようという事を、右か左かやって見さえすれば、必

ずその結果が(あら)われる。とにかく推理(すいり)なり実行なりを進めて行きさえ

すれば、循環(じゅんかん)論理(ろんり)ではなくなるのである。早川君でいえば、その試験

問題を、困った困ったと見つめていれば、つまりは一生懸命に、答案(とうあん)

を書くようになってくる。黒川君の日記に、「ここに千筋(せんすじ)の道があっ

て、(まよ)った時には、その一つひとつを(かた)(ぱし)から歩いてみる」という

事がある。早川君は、ただ二つの道を、どちらにも行かないで、ただ

どうしよう、どうしようといっているようなものである。

 この前、僕が君の宿(やど)へ行ったとき、掃除(そうじ)しなくちゃいかんといった

が、その後実行しましたか。

 早川氏 いいえ。

 森田先生 そんな事では、入院しても、なんの効能(こうのう)もない。実行と

は、(うたが)いながら、まず手を出す事です。すると君は、手を出すとは、

横へか前へか、どうする事かと、考えるでしょう。君はこれほどいっ

ても、今度帰って、決して掃除をしないという事を、この次の形外会

の宿題として、予言(よげん)しておきます。

 早川氏 今度は()きます。しかし私のところの奥さんは、落葉は()

()てない方が(おもむ)きがあるというんですが。

 森田先生 そこを奥さんにも嫌われないように、僕のいう通りに掃

除しなければならない。そこに工夫がある。それ以上の事を教えて

は、実行ができなくなる。

  (まよ)いながらする、それが実行である

 高浦氏 今のお話を聞いて、自分も早川さんと共通のところがある

ように思う。私は人生観という事について、遍歴(へんれき)してきた。

「人生創造(そうぞう)」(石丸氏)の方では、一つの観念を出して置いて、その

イデオロギーによって、我々の人生を指導するという風に、イデオロ

ギーが先に出てきます。

 我々は聖賢(せいけん)の言葉を聞いても、ただその言葉にあこがれて、それを    聖賢:聖人と賢人。

あてはめようとする。ますます(おこな)いができない。私は思うに、まず行

いが先でなくてはならない。やってみれば、そこでイデオロギーが出

てくるものじゃないかと思う。信ずるにはおよばぬ、なんでもかまわ

ぬ、やってみるという態度で行けばよいかと思う。

 山野井氏 今度の「神経質」に、早川君の書いたものが()ってい

る。初めに「何か書きたい欲望(よくぼう)があるけれども、何を書いてよいかわ

からぬ」といいながら、入学試験の事を書いてある。つまり自分で書

く事がわからぬながらに、書いている。それが思想と実行と違うとこ

ろで、この早川君のやり方が、実行であろうと思います。               5

なお実行という事について、私はデパートに行くと、自分がポケ

ットに何か入れるように思われはしないかと気になる。それで店員か

ら、終始(しゅうし)見つめていられるのも困るが、また見てないうちに、ポケ

ットに入れたと思われてもいかんから、見つめていられても困るし、

あまり見ていなくとも困る。マントなど着ている時は、いよいよ困る

から、ときどき前を(ひろ)げて、決して(あや)しい事はないぞという事を、わ

ざと示すようなこともする。こんな恐怖があって苦しいけれども、必要

があれば、いつでも買物に行く。強迫観念が治ったと、治らないのと

(さかい)は、ここにあるのじゃないかと思います。治らないうちは、恐怖

にとらわれて、買物があっても、行く事ができない。治った人は、買

物があれば、恐怖があっても行く。たったこれだけの相違(そうい)でないかと

思います。

  (うたが)われる事を気にするのが最上(さいじょう)(とう)の人

 森田先生 山野井君の店員から見られるのが気になるというのは、

普通の人にある事です。このことを「李下(りか)(かんむり)(ただ)さず、瓜田(かでん)(くつ)

入れず」という(たとえ)(あらわ)してあります。

 一番上等の人が、疑われはしないかと用心する人です。中等(ちゅうとう)がなん

とも思わぬ無頓着(むとんちゃく)の人で、最下(さいか)(とう)が、チョイチョイとごまかす人で

す。

 山野井氏 新聞に出ていた事です。母のなくなった小学生で、その

父が行跡(ぎょうせき)が悪くて、その子供は、たびたび父を(いさ)めたけれども聞き入

れない。あるとき父が賭博(とばく)をやっているところを、子供が警察に届け

たので、父はそのために()らえられた。それについて、批評家たちは、

ある人は、それは人情でない。普通の子供の考え方じゃないという。

また一方の人は、学校では、悪を憎む事を教えて、それがよくわか

り、先生の教えを守る感心な子供だといっています。どちらが正しい

ものでしょうか。

 森田先生 論語(ろんご)にこういう事がある「葉光(しょうこう)孔子(こうし)語り(かたり)(いわ)く。()   葉光葉県(しょうけん)の長官

(とう)に、身の正直を立てるものがある。その父(ひつじ)(ぬす)みて、子がこれを     吾党:吾が村

(うった)え出たと。孔子(こうし)(いわ)く。吾党(ごとう)の正直者は、これに(こと)なり、父は子の

ために(かく)し、子は父のために(かく)す。正直という事は、その内にあり」

という事である。人情から出発しなければならぬ。人情(にんじょう)道徳(どうとく)であり

人生観であり、哲学(てつがく)であるのである。もし子供が親を(うった)える事ができ

たら、その子供は、低能(ていのう)変質者(へんしつしゃ)かです。

  模倣(もほう)してはいけない、ただあこがれていればよい

 浦山氏 ナッシュの話を聞きましたが、彼は(たお)れかかった洋服屋(ようふくや)

見て、自分の事は考えず、その洋服屋を引き受けて、店員に賃金(ちんぎん)をう

んとやって、事業を始めた。それが非常に成功して、模範(もはん)工場(こうじょう)といわれるようになった。   6