第51回 札幌5巻を読む会 2018. 8.16
第26回 形外会 昭和7年10月16日
午後3時半開会。
今日は川越に芋堀り会の予定であったけれども、賛同の通知者
わずかに4、5人で中止したが、また雨天のため来会者多く、
全員42人に達した。盛会であった。山野井副会長の開会の
辞につぎ、例の如く自己紹介あり。
不眠という人がかえってよく眠る
地主氏 現在入院中。子供の時からいろいろな強迫観念があった。
一番苦しいのは、不正恐怖です。前には、人込みの中で、人の煙草に 2
触れると、それを盗みはしないかという恐怖が起こった。僕の父は厳
格で、消極的な事ばかり教えた関係もあり、また中学時代、物がなく
なると教官がポケットへ手を入れて調べたりした事から、悪くなった
事と思う。大きくなって、窃盗恐怖は、問題にならなくなったが、も
っと複雑な恐怖が起こるようになった。少し疑問が起こると、非常に
こまごまと分析して考える。非常に苦しくなる。いろいろな苦しみで、
試験を受ける事もできなかった。
遠藤氏 不眠症で入院中ですが、今は不眠は恐ろしくないようにな
りました。
香川先生 遠藤さんの不眠は、私が3回調べました。その実験の方
法は、夜通し、一定の時間をおいて、低い声で、その人の名を呼ん
で、返事をさせる。その呼び声の回数で、眠りの深さを試験する事に
しています。
第1回は、絶対臥褥中で、昼間眠っていらっしゃったから、一般
に睡眠は浅かったが、それでもやはり返事のない時はあった。第2回
にも、返事のない事は多かったが、翌日、本人に聞くと、全く眠らな
かったと、おっしゃいました。御自分では、全く眠らないと、思って
いらっしゃるけれども、実際は眠っていらっしゃるのであります。第
3回には、返事のない時間が、かなり長くて、普通人よりもよく眠っ
ていた。翌日尋ねたら、主題と一致していました。
森田先生 神経質の不眠は、実際の不眠ではない。最近、香川君に
頼んで、不眠を訴える人と、普通の人とを比較していますが、時には、
不眠という人が、かえってよく眠っているような事もあります。
シルク・ハットで友染チリメンの羽織り
話は変わるが、これは私のたびたび注意する事で、近代の人は、非
常に敬語を贅沢に使い、しかも相手の見境なしに、誰にでも、最上の
敬語を使うようになった。「魚屋さんが、いらっしゃいました。私に
買って下さいと、おっしゃいました」とか、いうようなものである。
四民平等の思想の結果であろうと思われる。それなら、くどい・長た 四民=士農工商
らしい言葉を使わずに「先生が来た」「お父さんが、いった」という風
に、一様に軽便にすれば、よさそうなものである。しかるに、そこが、
群衆心理の風潮に乗りかかり、押し流されて、最も上品な景気のよい
言葉を用いたくなる。あたかも旦那も小僧も、みな一様に、シルク・
ハットで、友染チリメンの羽織りを着て、出歩くようなものである。
日本には、二人称の代名詞には「あなた様」「きさま」「オイ大将」な
ど、ほとんど限りがないほどの数である。西洋には、1つか2つしか
ない。
桜沢氏の著『白色人種を敵として』という本の内にこんな事が書 3
いてある。「ある家庭の3人の話を聞いていると、
父・博士ポール『ジャン』
令息ジャン『何だ、ポール』
父『君は勉強したか』
令息『しないよ』
父『君、困るね』
令息『僕、困らない』
令夫人『また君らは始めたね。うるさいね。僕が困るじゃないか。
今は食事の時間である』
という風である。これを普通の人が訳すれば、夫人の言葉は、女ら
しく『またお始めになりましたのね・・・』とか、息子は息子らしく、
『はい父上』とか訳するであろう。しかしそれこそ大なる誤訳であ
る。彼等の言葉には、断じて相違がない。全く同一格の言葉使いであ
る。文法にも、品詞にも、区別がない。全く平等である」という事が
ある。またフランス人には、彼等の名が、わずかに360余種しか
ないとの事である。
平清盛の時代には、衣服の品や色や、羽織りの紐でも、人の名前で
も、言葉使いでも、非常に厳格な階級区別があるのに驚かされる。清
盛の娘の時子とか、徳子とか、子のつくのは、高貴の人に限られてい
る。今日の娘は、戸籍面にもないのに、自分の名に、子の字をつけな
ければ、気がすまないようである。自分で勝手に、敬語をつけるか
ら、他から敬語を使う事ができなくなった。
また普通の言葉でも、日本では、品格をよくするために、同一の意
味に、非常に沢山の言葉がある事がある。ラジオの講演で、某文学博
士の言葉にも「金魚がフをタベた」「ライオンが、子をタべ殺した」
とかいうような事がある「タベる」とは「給わる」という事である。
「こらえてタベ、半七さん」というのは、「こらえ給われ」といの意で
ある。つまり「頂く」「頂戴する」と同様である。「犬が肉をイタダ
いた」、「狂犬が人にイタダきついた(食いつく)」というようなもので
ある。「鼠がカジる」「馬が食らう」「鶏が餌をツイバむ」「ライオンが
咬む」とか、さまざまある言葉を皆一様に上品に「タベる」といって
しまうのである。
学者が、なぜこの様な言葉を使うかというに、それは恐らくは、母
親が幼児に、「オッパイ」「ハイチョ」「アンヨ」とかいって、小児に
甘えるように、やさしい、品のよい言葉で、民衆におもねるためでは
あるまいか。しかし文学博士は、いたずらに世の風潮に慣れないで、
民衆に対する正しい言葉の指導者になるという見識がなくては、なら
ない事と考える。 4
先生がこの通りであるから、近代の四民平等性の若者は、「鶏のおな
か(腹)」「猫のお手水(糞)」とか、「植木にオヒヤ(水)」をやると
か、なんでも上品にいえば、よいかと思っている。しかしこれは必ず
人間の腹なり大便なりに限り、「オヒヤ」は人間の飲むものに限り、
そのほかのものは、必ず「ミズ」でなくてはならないのである。
八間氏 大正15年に、先生の御厄介になり、今度は2度目の入院
であります。前には、性的の不安で、結婚を恐れていましたが、先生
のいわれるままに、結婚もしました。案じたのは杞憂で、今は子供もで
きました。あのとき、先生のお言葉に従わなかったら、どうなってい
るだろうと思うと、戦慄を禁じ得ないのであります。
今度は別の症状で、腹が立ちやすく、妻にも当たり散らしますが、
それが後悔になって苦しく、怒りをこらえるのも苦痛である。今日も
仲間同士の内で、腹の立つ事があって、これをありのままにいえば、
感情を損なうし、そのままに耐えるために、今もまだ胸の中が熱いよ
うです。
森田先生 腹が立つとは、どういう事か、腹の立ったとき、どうす
ればよいかという事について、もし皆さんの希望があれば、あとでお
話しても、よいのです。
姑から圧倒的にでられる
〇田夫人 以前、私は劣等感のために非常に悲観しました。尋常6
年のとき、父が死に、兄弟の事も自分で、世話しなければならぬと思
い、ミシンをやって、職業婦人になりました。16歳のころ下宿して
いた高等学校の生徒から結婚を申し込まれ、返事をしなければ、殺さ
れるような非常な恐怖に襲われ、自惚れも手伝ったのでしょうけれど
も、相手が非常に熱心で、私が構わなかったら、死んでしまいはせぬ
かと心配し、強迫観念になりました。それでも、どうしても行く気に
なれません。そのうちに現在の主人から縁談があり、皆が同意であり
ましたし、私も遠くへ逃げれば楽になるだろうと考え、結婚する事に
なりました。その後お姑さんから、圧倒的に出られ、私が負けてばか
りいるものですから、向うが得意になって、何か私が過ちをすると、
向うが喜んでいる様で、腹が立ってたまらず、何か言い訳をしたいと
思うけれども、声が出なくなって、どうする事もできませんでした。
丁度そのとき、森田先生の事を聞いて、入院する事になりました。
大久保嬢 現在入院中、10歳頃から、神経質の苦しみを起こしまし
た。頭がボンヤリして、意識がなくなるような不安を感じました。不
眠症やそのほかいろいろの症状がありました。先生の御著を2冊読ん
で、大分わかりました。このごろ10何年かの迷いから覚める事ができ
ました。身体も大変弱かったが、大分丈夫になりました。 5
北条時宗の「事上の禅」
藤森夫人 現在入院中。前に赤面恐怖で、佐藤先生の通信療法を受
けて、その方は治していただきました。
益江氏 10年ばかり前から、いろんな恐怖に苦しみました。赤面恐
怖の時は、世の中で、顔の赤くなるのが、一番苦しいと思い、不眠恐
怖の時は、不眠ほど苦しいものはないと考えました。眠らぬと、病気
が悪くなる、8時間眠らなければ、いけないと聞き、よく注意してみ
ると、6時間くらいしか眠らない。これではならないと大変に心配し
ました。枕の位置なども、いろいろ気になり、枕の位置の寸法などと
った事もあります。
森田氏 昭和3年の入院です。軍人でありましたが、どうしても、
本が読めなくなり、本さえ読めれば、と思って苦しみました。先生の
教えに背いて、退役しました。やめてもとりつくところはありません
から、今度は佐藤先生のお世話になり、根岸病院の看護人をやってい
ます。失業の苦しみをなめておりましたので、最初は、仕事も面白く
感じたが、やがてまた悲観した。意志薄弱です。
森田先生 この森田君は、中学では、一番で卒業し、士官学校には、
ただ1回で、17人に1人の競争試験に合格して、入学したのだから、
優秀の人です。それが大尉にまでなって、それをやめて、今は精神病
院の看護人になり下がっている。どうして、そうなるかというと、神
経質のいろいろの思想の矛盾からの結果です。初め僕の所へ入院し、
その後、古閑君・佐藤君のところと、その間、郷里へ帰ったり、上京し
たりして、長い間隔はあったけれど、森田療法の遍歴者であって、療
法のための療法、修養のための修養で、いつまでも、物足りないとい
う気分のために、修養という事に執着しています。修養は実際を離れ
てはいけない。実際と修養とが、不即不離でなくてはならない。軍人
としての勉強をすれば、すなわちそれが修養になり、向上するけれど
も、それをやめて、いたずらに修養と言う机上論にとらわれるから、
それが思想の矛盾になって、逆に人生に退歩するばかりである。現在、
同君のやってる看護人も、やはり修養のため、治療のためのつもり
で、やっているのである。北条時宗が、某禅師について、禅を指導さ
れたとき、時宗が自分は政務の事が忙しくて、坐禅が思うようにでき
ないが、どうすればよいかと問うた時に、禅師は、「事上の禅」とい
って、禅は実際でなくてはいけない。いたずらに坐禅のための坐禅で
はしかたがないといった事がある。
先日も、起きて5日目くらいの患者が、左官が壁を塗っているのを
見て、土ねりを手伝って見たかったけれども、考えてみれば、遊び事
のような気がして、遊び事はしてはいけないという規則の事を思い出してする事をやめた、 6
第52札幌5巻を読む会 2018. 10.18
森田正馬全集 第5巻266頁 第26回形外会 昭和7年10月16日から
先日も、起きて5日目くらいの患者が、左官が壁を塗っているのを
見て、土ねりを手伝って見たかったけれども、考えてみれば、遊び事
のような気がして、遊び事はしてはいけないという規則の事を思い出し
て、する事をやめた、という事を日記に書いてあった。仕事とか修養
とか、その言葉尻にとらわれるから、自然の感じというものがなくな
るのである。このようなとき、ただこんな事をすれば、左官の邪魔に
なりはしないだろうか、あるいは多少でも手伝になればよいとかいう
風に考えて、ちょっと左官に問い、相談して手伝えば、それでよいの
である。治らない人は、一つひとつこのような、つまらぬ事にもとら
われるのである。
強情と盲従の標本
大西氏 去年春入院。対人恐怖で一度治ったが、夏休みに、郷里に
帰って、ズボラして再発し、9月にこちらに帰り、先生のところに、
下宿させて頂いて、学校へ行きました。卒業論文にとりかかろうとし
たが、自信がないという事が、先に立ち、どうしても手がつかない。
だんだんあせって、ますます困ってきた。逆の修養になり、神経質を
治してからでなくては、論文は出来ぬと考え、先生や古閑先生にも、
随分お世話をやかせました。十日ごろ、ここにいるのが苦しくなり、
口実をもうけて、他に転宿しました。冬休みに、家に帰って、父から
散散に叱られ、どうしても、論文を書くよりほかに、しかたがないと
いう事に決心しました。せっぱつまったものですから、遅まきなが
ら、手をつけました。始めてみると、だんだんに自分の気持がわかっ
て来ました。
森田先生 大西君は、今月の会で、強情の標本です。家へ帰って、
父に叱られて、決心したというが、我々は戦争に行くにも、論文を書
くにも、少しも決心をするにおよばない、決心という事が、余計な心
の葛藤になる。決心しないで、その境遇に服従して、ただ戦争に出か
けるなり、論文の筆をとりさえすればよい。大西君は、まず決心する
前に、戦争に行きたい・論文を書きたいという気持を作ってしかる後
に、決心しようとするのが、間違いであり、論文を書く気になるま
で、手を下さないといって、その感情を頑張ろうとするのが、強情と
いうものであります。
ここに一方の大関は、水谷君が、強情の反対で、盲従の標本です。
私が三遍回って、お辞儀をせよといえば、その通りにする。私が入学
試験を受けよといえば、早速、私のいう通りにする。私の考え方は、
病気を治しておいてしかる後に受験するのではない。試験に通らなけ 1
れば、治すのである。
大西君は、私が論文を書くように忠告すれば、家へ帰って考えてみ
ますという。もしいま書けば、結局どうなるか、書いても書けない時
は、どうすればよいかとか、突込んで、私に問いただすというだけの
知恵は巡らない。大西君は、私が精神的方面に素養のある医者である
という事を忘れる。自分の仮想的病気が、森田のいうがままに、論文
を書くとすれば、その結果はどうなるか、という事を森田は知らない
者と考えている。もし大西君が、いくら書こうとしても、どうしても
書けないのに、それでも書く事ができるかと、私に追及質問するとす
れば、私はこういって教える。すなわち決心とか自信とかいうものを、
思いきり投げ出してしまって、ただ自分の机の上に、原稿用紙とペン
と参考書などを並べて、静かに退屈しながら、それと、にらめっこを
していればよい。その時間は、一日に、十分なり三十分なり短い時間
で、何回でもよいから、なるべくたびたび、机の前に座ればよい。そ
してあるいは三行でも、落書きし、また参考書を手当たりしだい、開
いたところをでたらめに読んでいればよい。この有様を一週間なり、
三週間なり、忍耐して続ければよい。その全体の意味からいえば、で
きても、できなくとも、いやでも応でも、しなければならぬ事は、と
もかくもするという事に帰着する。その時に、勇気とか自信とかいう
ものの、付け焼刃をしてはいけない、という事である。今私のいう通
りにすれば、たちのよい人は、二日目から、はや書く気になる。遅い
人でも、一週間もすれば、自然に調子に乗ってくる。ただその初めの
皮切りの間が、少々苦しいというまでの事である。
我情とまかせるとの両立の心境を従順という
いま私が「試験を受けよ」と忠告する。その時に本人は「こんなに
頭が悪くて、できるはずがない」と考える。それを「我」という。し
かし森田が折角そういうから、「良き人の仰せに従いて、地獄か極楽
か、一かバチか、行きつくところまで、やってみよう」というのが、
平たくいえば、「試みる」、上品にいえば、「まかせる」という心境であ
る。この「我」と、「試みる」という事とが、意識的に自覚して、は
っきりと、心の内に両立して、実行に現われるのを「従順」というの
である。
この際、大西君は、自分で「できるはずがない」と独断し「我」を
張りて、易者よりも予言者よりも、神様のお告げよりも確実なる森田
の診断を試してみようという一挙手・一投足の労をもとろうとしない。
これを強情というのである。これに反して、水谷君は、森田を万能の
神のように、全く「我」を捨てて、いたずらに「そうあるべし」と決
めてしまうから、その実行には、「我」のかけひきがなくて、馬車馬 2
のように突進する事になる。これを盲従という。従順のような適応性
の働きは出てこないのである。
近藤氏 いま、東大の社会学部の学生です。吃音恐怖で、一昨年の
春、40日ばかり入院しました。初め先生から、今は入院者が多いか
ら、成績の悪いものは、分院の方に回すと聞いていたから、一生懸命
にやったら、初めの一週間は、割合に成績がよくて、先生からほめら
れた。元来すぐあがる性質のため、自惚れが出て、二週間目ごろか
ら、しだいに成績が悪くなってきた。そのうちに学校は始まるし、完
全に治らなかったけれども、退院する事にした。丁度その前の晩が、
形外会で、先生から、私の日記について、注意された事が、不満であ
って、なんとか言い訳をしてみたくなった。そのまま立って、弁解し
たところが、スラスラといえたのであります。私が初めて診察を受け
た時は、ハイとかイイエとしかいえず、父が僕の症状をいってくれま
した。この形外会の時から、心機一転とでもいいますか、今では、こ
のように、皆様の前で、しゃべる事ができますが、一昨年の頃は、全
く思いもおよばなかった事であります。
ほめることは有害
森田先生 強迫観念の内で、赤面恐怖は、とくに治りにくい。ども
り恐怖は、さらにこれよりも治りにくいというのが、私の従来の経験
である。
この近藤君が、入院中、その前の形外会で、自己紹介のとき途中で
行きづまって、全く物がいえなくなり、数分間も、そのまま立ち往生
をした時は、見る目も気の毒であった。ついに自分の名がいえなく
て、そのまま中止した事があった。この人は、吃音のうちでも、とくに
カ行がいいにくいから、近藤のコの音が打ち出せないで、そのまま、
行きづまったものである。コが切り出せなければ、アノー近藤とでも
ごまかせば、よさそうなものだけれども、神経質では、そんな融通は
決してきかないのである。
近藤君が成績がよいから、私もツイツイほめたところが、それがい
けない。こんな時に、知らんふりをしているべきである。ほめてはい
けないないという事は私も知っている。知りながら、つい感情にはせて、
なかなか実行が難しいのである。このほめる事をこらえる事も、叱る
事をこらえると同様に難しい事である。モンテッソリー女史の幼稚園
教育には、小児に賞罰は、すべて有害無益であるという事をとくに主
唱している。私の治療法でも、すべてこれはいけない事であります。
この人の日記の中から書き抜いたものが、「神経質」の第一巻第五号
の巻頭の辞に載っている。なかなかの名文です。文章は、精神の内容
であり、適切なる事実である。決して文句・美辞の作為ではないので 3
あります。読んでみます。「地下鉄で、浅草に行く。今日の様に、雑
踏にもまれた事は初めてである。絶えず心がハラハラしていた。ハラ
ハラしている方が、落着いている時よりも、楽である事を知った。従
来ならば、こんなとき、落着こう落着こうと努力、腹式呼吸をやった
り、人を見下していたりしたものである、人前の心は、風船玉のよう
に、いつもフワフワ漂っているものと思う。空中を漂っている方が、
風船玉にとって、安定である。風が吹いても、風の吹くままに、流さ
れているから、なかなか破れない。これに反して、風船玉を一定の所
に固定して置くと、少しの風に会えばたちまち破れるのである。」
理想と現実とは区別がない
山中氏 私は縁起恐怖・涜神恐怖・自殺恐怖等で日曜ごとに通院
しているものです。今日は形外会との事で、出席させて頂きました。
種々の恐怖にかられ、苦痛のために、生命を絶つような事はないか
と、自殺を恐怖する事もあります。
奈良部氏 私も神罰・縁起・黴菌恐怖等で、外来で通っているもの
です。なかなか悟りが開けません。
高浦氏 古い慈恵の卒業生で、千葉県で開業しています。農村疲弊
の真只中にあって、いろいろな経済的の苦痛もなめつつあります。私
も神経質の特性を備えているかと思いますが、どういう風にしたら、
最もよく生きて行かれるか、人生観を真剣に求めずにはいられません
ん。頭が悪いけども、いろんな書物を読みました。自己を完成した
いという欲望が強いが、実際の生活はなっていないのであります。
前には、石丸梧平先生の人生観に興味をもち、昭和三年から「人生
創造」という雑誌を読み、石丸先生のところも、たびたび行き、農村
青年とともに、人生創造の運動をやったりしました、そのうちに、こ
の形外会の事を聞き、先生は私の旧師であり、先生の書かれたものは、
興味をもって、見てきたものですから、その後はなるたけ、この会に
出席する事にいたしました。
現在では、「人生創造」の方と、森田先生の事実を重んずる、科学
的態度との間に、共通点のある事がわかってきました。石丸先生に、
人生は創造である。創造とは、意味の発見であると教え、プロレタリ
ア・イデオロギーをふりかざしているんです。前には、「人生創造」
と森田先生の「事実唯真」とが、なんとなく、そぐわぬ様な気がした
が、今はその一致がわかって、理想と現実とは、区別のあるものでな
いという事を考えるようになりました。
創造は意味の発見
森田先生 「人生創造」の事は、面白いが、皆様はあまりお聞きに
なった事はなかろうし、言葉の説明は、いたずらに時間を、費やす事 4
になりますから、お話する事をやめます。「創造は意味の発見である」
という事が、なかなか面白い。私の所で、これは事実である、これは
「思想の矛盾」であるという事を見分ける事が、なかなか難しい。こ
れが確かに、人生の事実であるという事を認めるときに、そこに意味
の発見があろうかと思います。これが不明瞭であるときに、そこにい
わゆる認識不足があるのであります。
ここの治療法で、臥床から起きて庭に出る事になる。その時に、少
しも筋肉労働をしないで、静かに庭の隅のごみを拾うとかいう事をす
る。この時に、我々は掃除によって、庭が奇麗になり、気が晴ばれす
る。この掃除という事の意味がわからないで、ただ庭の中の落葉を拾
って回って、そこら中をフラフラと歩き、あるいは誰かが箒で、サッ
サと一掃きすれば、すぐにも掃除のできるのを、わざわざ手で拾って
いるとか、なんでも終日、何かと手を動かしておればよいとか思って
いる人は、まだ意味の発見のできない人である。普通の人が、ちょっ
と見ると、全く無意味のような事でも、実際に当たってみると、そこ
に大きな人生の意味がある。野依氏の『獄中四年の生活』の内に、同
氏は麻つなぎの哲学を得たとの事が書いてある。人生は、機械的の運
動や屁理屈のほかに、極めて些細な家庭の仕事の内にも、人生の意味
の発見があり、私のところでは、この意味で神経質が全治し、あるい
は悟りの境涯に達する事もできるのである。
古田氏 心臓弁膜症のあるもので、入院中、この前の形外会に出席
したものです。35日間の入院で、全治退院したものですが、その
当時と今日とを比べると、非常に心持もよくなり、毎日興味をもって、
一人前以上の仕事ができるようになり、喜ばしく思っております。
森田先生 この前の形外会で、説明したが、今の古田君は、心臓病
があっての事であり。幹事の荒木君は、心臓異常はなくて、同じ症状
です。治し方は同様で、いずれも完全に治ります。
電車で美人に席を譲る
山野井氏 近藤さんが、さきほど、形外会で、心機一転されたお話
があった。私も対人恐怖と、書痙とのために入院したが、もとは人前
で、とても話のできなかったものが、今は形外会で、幹事や副会長を
やらされて、やむを得ず、このように話ができるようになりました。
またさきほど、森田さんの大尉をおやめになったお話をうかがっ
て、思い出す事は、私も書痙で、字が書けないから、当然会社を辞職
しなければならぬというのを、先生のお言葉で、会社を辞めて、田舎
へ帰っては、決して治らぬ。出世したいという向上心がなくなれば、
治らなくなるといわれたので、思いきって、会社に再び出る事になっ
た。それで前にも、この形外会でお話したように、退院後まもなく、 5
ある機会から、思いがけなく、心機一転して、赤面恐怖も書痙も、治
る事ができるようになりました。それで私からいうと、変ですが、森
田さんが、先生のいわれる事を用いられなかったのは、お気の毒であ
り、私自身としては、先生のいう事を聞いた事が、誠に有難い事と思
っています。
もう一昔ですが、私が人前で、話ができないので、当時流行した岡
田式静座法をやったり、新渡戸博士の修養書を読んで、「黙想のおよ
ぼす精神的効果は大きい」とかいう事を信じて、いろいろやってみた
事があるけれども、結局はなんにもならなかった。
いろいろお話したい事があるが、この前の会で、野村先生が、坂で
車をひく人をみれば、押してやりたいが、かえって人から、へつらう
ように思われはしないかと、気にするとかのお話があった。私も電車
の中で腰掛けているとき、奇麗な女が重い荷物を持って立っているの
を見れば、席を譲ってやりたいと思うが、そうすれば、人から、奇麗
なために、かわってやったと思われはしないかと心配し、自ら心の内
に、自分はその女が、奇麗なためではない、重い物のために、代わっ
たのであると弁解しながら、ようやく決行するという風であった。い
ま私がそんな事を考えていられないのは、忙しいためかと思う。私は
いま、会社の忙しい上に、家には女中がいないから、子供の守や飯炊
きなどもし、またごみなども、自分がしなければ妻はしなかろうと思
って、これを燃やしたりするという風で、なかなかそんな弁解などし
ている暇がなくなったのであります。
疑問と懐疑は真理発見の出発点
森田先生 いま、部屋が鬱陶しくて頭が重くなった。戸を開けさせ
て、風を入れたが、ちょっと思いつくままに、お話します。この室内
に閉じこもり、人が大勢いれば、空気が汚れるために、衛生上に害が
あるという風に考えるのは、我々の医学的常識である。実際には、そ
れが本当かどうかはわからない。今までの衛生学者は、皆その室内の
汚れ方や、炭酸ガスのパーセントなどを研究して、空気がかくかくの
状況になれば害があるという風に決めてある。しかるに最近に、ある
学者の研究によれば、その空気の汚れるのは、我々の気分の悪くなる
事に対して、直接の関係はない。ただ空気の流動のないのが、直接に
害があるという事がわかったのである。すなわち空気は汚れていて
も、扇風機で、空気を流動させれば、害がなく、空気は清潔に保たれ
ても、一定時間、流動が全く止まれば、気分が悪くなるという事が実
験されたのである。
で、常識的の判断と、実際の事実とは、しばしば大なる間違いのあ
る事は、我々の日常知るところである。地動説や私の神経質説なども、みな常識とは、逆の考え方である。6