第51回 札幌5巻を読む会         2018. .16

  26回 形外会  昭和71016

   午後3時半開会。

   今日は川越(かわごえ)(いも)()り会の予定であったけれども、賛同の通知者

わずかに45人で中止したが、また雨天のため来会者多く、

全員42人に達した。盛会(せいかい)であった。山野井副会長の開会の

()につぎ、(れい)(ごと)く自己紹介あり。

  不眠という人がかえってよく(ねむ)る                   

地主(じぬし) 現在入院中。子供の時からいろいろな強迫観念があった。

一番苦しいのは、不正(ふせい)恐怖です。前には、人込(ひとご)みの中で、人の煙草(たばこ)に          2

()れると、それを(ぬす)みはしないかという恐怖が起こった。(ぼく)の父は(げん)

(かく)で、消極的な事ばかり教えた関係もあり、また中学時代、物がなく

なると教官(きょうかん)がポケットへ手を入れて調べたりした事から、悪くなった

事と思う。大きくなって、窃盗(せっとう)恐怖は、問題にならなくなったが、も

っと複雑(ふくざつ)な恐怖が起こるようになった。少し疑問が起こると、非常に

こまごまと分析(ぶんせき)して考える。非常に苦しくなる。いろいろな苦しみで、

試験を受ける事もできなかった。

 遠藤氏 不眠症で入院中ですが、今は不眠は恐ろしくないようにな

りました。

 香川(かがわ)先生 遠藤さんの不眠は、私が3回調べました。その実験の方 

法は、夜通(よどお)し、一定の時間をおいて、低い声で、その人の名を呼ん

で、返事をさせる。その呼び声の回数で、眠りの深さを試験する事に

しています。

 第1回は、絶対臥(ぜったいが)褥中(じょくちゅう)で、昼間(ねむ)っていらっしゃったから、一般

に睡眠は(あさ)かったが、それでもやはり返事のない時はあった。第2

にも、返事のない事は多かったが、翌日(よくじつ)、本人に聞くと、全く眠らな

かったと、おっしゃいました。御自分(ごじぶん)では、(まった)(ぬむ)らないと、思って

いらっしゃるけれども、実際は眠っていらっしゃるのであります。第

3回には、返事のない時間が、かなり長くて、普通人よりもよく眠っ

ていた。翌日(よくじつ)(たず)ねたら、主題(しゅだい)一致(いっち)していました。

 森田先生 神経質の不眠は、実際の不眠ではない。最近、香川君に

(たの)んで、不眠を(うった)える人と、普通の人とを比較(ひかく)していますが、時には、

不眠という人が、かえってよく(ねむ)っているような事もあります。

  シルク・ハットで友染(ともぞめ)チリメンの羽織(はお)

 話は変わるが、これは私のたびたび注意する事で、近代(きんだい)の人は、非

常に敬語(けいご)贅沢(ぜいたく)に使い、しかも相手の見境(みさかい)なしに、誰にでも、最上(さいじょう)

敬語を使うようになった。「魚屋さんが、いらっしゃいました。私に

買って下さいと、おっしゃいました」とか、いうようなものである。

四民(しみん)平等(びょうどう)の思想の結果であろうと思われる。それなら、くどい・長た     四民=士農工商

らしい言葉を使わずに「先生が来た」「お父さんが、いった」という風

に、一様(いちよう)軽便(けいびん)にすれば、よさそうなものである。しかるに、そこが、

群衆(ぐんしゅう)心理(しんり)風潮(ふうちょう)に乗りかかり、押し流されて、(もっと)上品(じょうひん)景気(けいき)のよい

言葉を(もち)いたくなる。あたかも旦那(だんな)小僧(こぞう)も、みな一様(いちよう)に、シルク・

ハットで、友染(ともぞめ)チリメンの羽織(はお)りを着て、出歩くようなものである。

日本には、二人称(ににんしょう)代名詞(だいめいし)には「あなた様」「きさま」「オイ大将(たいしょう)」な

ど、ほとんど(かぎ)りがないほどの(かず)である。西洋には、1つか2つしか                    

ない。

 桜沢(さくらざわ)氏の(ちょ)『白色人種を(てき)として』という本の内にこんな事が書           3

いてある。「ある家庭の3人の話を聞いていると、

 父・博士ポール『ジャン』

 令息(れいそく)ジャン『何だ、ポール』

 父『君は勉強したか』

 令息『しないよ』

 父『君、(こま)るね』

 令息『僕、困らない』

 令夫人(れいふじん)『また君らは(はじ)めたね。うるさいね。(ぼく)が困るじゃないか。

今は食事の時間である』

 という風である。これを普通の人が(やく)すれば、夫人の言葉は、女ら

しく『またお始めになりましたのね・・・』とか、息子は息子らしく、

『はい父上』とか(やく)するであろう。しかしそれこそ(だい)なる誤訳(ごやく)であ

る。彼等(かれら)の言葉には、(だん)じて相違(そうい)がない。全く同一(どういつ)(かく)の言葉使いであ

る。文法(ぶんぽう)にも、品詞(ひんし)にも、区別がない。全く平等である」という事が

ある。またフランス人には、彼等(かれら)の名が、わずかに360()(しゅ)しか

ないとの事である。

 平清盛(たいらのきよもり)の時代には、衣服の(しな)や色や、羽織(はおり)りの(ひも)でも、人の名前で

も、言葉使いでも、非常に厳格(げんかく)階級(かいきゅう)区別(くべつ)があるのに(おどろ)かされる。(きよ)

(もり)の娘の時子(ときこ)とか、徳子(とくこ)とか、子のつくのは、(こうき)の人に(かぎ)られてい

る。今日(こんにち)(むすめ)は、戸籍面(こせきめん)にもないのに、自分の名に、子の字をつけな

ければ、気がすまないようである。自分で勝手に、敬語をつけるか

ら、他から敬語を使う事ができなくなった。

 また普通の言葉でも、日本では、品格(ひんかく)をよくするために、同一(どういつ)の意

味に、非常に沢山(たくさん)の言葉がある事がある。ラジオの講演で、(ぼう)文学(ぶんがく)(はか)

()の言葉にも「金魚がフをタベた」「ライオンが、子をタべ(ころ)した」

とかいうような事がある「タベる」とは「(たま)わる」という事である。

「こらえてタベ、(はん)(しち)さん」というのは、「こらえ(たま)われ」といの()

ある。つまり「(いただ)く」「頂戴(ちょうだい)する」と同様である。「犬が肉をイタダ

いた」、「狂犬(きょうけん)が人にイタダきついた(()いつく)」というようなもので

ある。「(ねずみ)がカジる」「馬が()らう」「(にわとり)(えさ)をツイバむ」「ライオンが

()む」とか、さまざまある言葉を(みな)一様(いちよう)上品(じょうひん)に「タベる」といって

しまうのである。

 学者が、なぜこの様な言葉を使うかというに、それは(おそ)らくは、母

親が幼児(ようじ)に、「オッパイ」「ハイチ」「アンヨ」とかいって、小児(しょうに)

(あま)えるように、やさしい、(ひん)のよい言葉で、民衆(みんしゅう)おもねるためでは

あるまいか。しかし文学博士は、いたずらに()風潮(ふうちょう)()れないで、

民衆に対する正しい言葉の指導者(しどうしゃ)になるという見識(けんしき)がなくては、なら

ない事と考える。                                4

  先生がこの通りであるから、近代(きんだい)四民(しみん)平等性(びょうどうせい)若者(わかもの)は、「(にわとり)おな

(はら))」「猫のお手水(ちょうず)(ふん))」とか、「植木(うえき)にオヒヤ(水)」をやると

か、なんでも上品(じょうひん)にいえば、よいかと思っている。しかしこれは必ず

人間の腹なり大便(だいべん)なりに(かぎ)り、「オヒヤ」は人間の飲むものに限り、

そのほかのものは、必ず「ミズ」でなくてはならないのである。

 八間(はちけん) 大正15年に、先生の御厄介(ごやっかい)になり、今度は2度目の入院

であります。前には、性的の不安で、結婚を(おそ)れていましたが、先生

のいわれるままに、結婚もしました。(あん)じたのは杞憂(きゆう)今は子供もで

きました。あのとき、先生のお言葉に(したが)わなかったら、どうなってい

るだろうと思うと、戦慄(せんりつ)(きん)()ないのであります。

 今度は別の症状で、腹が立ちやすく、妻にも当たり()らしますが、

それが後悔(こうかい)になって苦しく、(いか)りをこらえるのも苦痛である。今日も

仲間同士の内で、腹の立つ事があって、これをありのままにいえば、

感情を(そこ)なうし、そのままに()えるために、今もまだ胸の中が熱いよ

うです。

 森田先生 腹が立つとは、どういう事か、腹の立ったとき、どうす

ればよいかという事について、もし皆さんの希望があれば、あとでお

話しても、よいのです。

  (しゅうとめ)から圧倒的(あっとうてき)にでられる

 (まる)田夫人(たふじん) 以前、私は劣等感(れっとうかん)のために非常に悲観(ひかん)しました。尋常(じんじょう)6

年のとき、父が死に、兄弟の事も自分で、世話しなければならぬと思

い、ミシンをやって、職業(しょくぎょう)婦人(ふじん)になりました。16歳のころ下宿(げしゅく)して

いた高等学校の生徒から結婚を申し込まれ、返事をしなければ、殺さ

れるような非常な恐怖に(おそ)われ、自惚(ふぬぼ)れも手伝ったのでしょうけれど

も、相手が非常に熱心で、私が(かま)わなかったら、死んでしまいはせぬ

かと心配し、強迫観念になりました。それでも、どうしても行く気に

なれません。そのうちに現在の主人から縁談(えんだん)があり、皆が同意であり

ましたし、私も遠くへ逃げれば楽になるだろうと考え、結婚する事に

なりました。その後お(しゅうとめ)さんから、圧倒的(あっとうてき)に出られ、私が負けてばか

りいるものですから、向うが得意(とくい)になって、何か私が(あやま)ちをすると、

向うが喜んでいる様で、腹が立ってたまらず、何か言い訳をしたいと

思うけれども、声が出なくなって、どうする事もできませんでした。

丁度(ちょうど)そのとき、森田先生の事を聞いて、入院する事になりました。

 大久保(おおくぼ)(じょう) 現在入院中、10歳頃から、神経質の苦しみを起こしまし

た。頭がボンヤリして、意識がなくなるような不安を感じました。不

眠症やそのほかいろいろの症状がありました。先生の御著(おんちょ)2冊読ん

で、大分(だいぶん)わかりました。このごろ10何年かの(まよ)いから()める事ができ

ました。身体も大変弱かったが、大分(だいぶん)丈夫(じょうぶ)になりました。                5

  北条(ほうじょう)時宗(ときむね)の「事上(じじょう)(ぜん)

 藤森(ふじもり)夫人 現在入院中。前に赤面恐怖で、佐藤先生の通信療法を受

けて、その方は治していただきました。

 (ます)()氏 10年ばかり前から、いろんな恐怖に苦しみました。赤面恐

怖の時は、世の中で、顔の赤くなるのが、一番苦しいと思い、不眠恐

怖の時は、不眠ほど苦しいものはないと考えました。眠らぬと、病気

が悪くなる、8時間眠らなければ、いけないと聞き、よく注意してみ

ると、6時間くらいしか眠らない。これではならないと大変に心配し

ました。(まくら)の位置なども、いろいろ気になり、枕の位置の寸法(すんぽう)などと

った事もあります。

 森田氏 昭和3年の入院です。軍人でありましたが、どうしても、

本が読めなくなり、本さえ読めれば、と思って苦しみました。先生の

教えに(そむ)いて、退役(たいえき)しました。やめてもとりつくところはありません

から、今度は佐藤先生のお世話になり、根岸病院の看護人をやってい

ます。失業の苦しみをなめておりましたので、最初は、仕事も面白く

感じたが、やがてまた悲観(ひかん)した。意志薄弱(いしはくじゃく)です。

 森田先生 この森田君は、中学では、一番で卒業し、士官(しかん)学校には、

ただ1回で、17人に1人の競争(きょうそう)試験(しけん)合格(ごうかく)して、入学したのだから、

優秀(ゆうしゅう)の人です。それが大尉(たいい)にまでなって、それをやめて、今は精神病

院の看護人(かんごにん)になり下がっている。どうして、そうなるかというと、神

経質のいろいろの思想(しそう)矛盾(むじゅん)からの結果です。初め(ぼく)の所へ入院し、

その後、古閑(こが)君・佐藤君のところと、その間、郷里(きょうり)へ帰ったり、上京(じょうきょう)

たりして、長い間隔(かんかく)はあったけれど、森田療法の遍歴者(へんれきしゃ)であって、療

法のための療法、修養のための修養で、いつまでも、物足(ものた)りないとい

う気分のために、修養という事に執着(しゅうちゃく)しています。修養は実際を離れ

てはいけない。実際と修養とが、不即(ふそく)不離(ふり)でなくてはならない。軍人

としての勉強をすれば、すなわちそれが修養になり、向上するけれど

も、それをやめて、いたずらに修養と言う机上論(きじょうろん)にとらわれるから、

それが思想(しそう)矛盾(むじゅん)になって、(ぎゃく)に人生に退歩(たいほ)するばかりである。現在、

同君のやってる看護人も、やはり修養のため、治療のためのつもり

で、やっているのである。北条(ほうじょう)時宗(ときむね)が、(ぼう)禅師(ぜんし)について、(ぜん)を指導さ

れたとき、時宗(ときむね)が自分は政務(せいむ)の事が忙しくて、坐禅(ざぜん)が思うようにでき

ないが、どうすればよいかと()うた時に、禅師(ぜんし)は、「事上(じじょう)(ぜん)」とい

って、(ぜん)は実際でなくてはいけない。いたずらに坐禅(ざぜん)のための坐禅(ざぜん)

はしかたがないといった事がある。

 先日も、起きて5日目くらいの患者が、左官(さかん)(かべ)()っているのを

見て、(つち)ねりを手伝って見たかったけれども、考えてみれば、遊び事

のような気がして、遊び事はしてはいけないという規則の事を思い出してする事をやめた、     6

第52札幌5巻を読む会         2018. 10.18


    森田正馬全集 第5266 第26回形外会 昭和71016日から 


 先日も、起きて5日目くらいの患者が、左官(さかん)(かべ)()っているのを


見て、土ねりを手伝って見たかったけれども、考えてみれば、遊び事


のような気がして、遊び事はしてはいけないという規則の事を思い出し


て、する事をやめた、という事を日記に書いてあった。仕事とか修養


とか、その言葉(ことば)(じり)にとらわれるから、自然の感じというものがなくな


るのである。このようなとき、ただこんな事をすれば、左官(さかん)邪魔(じゃま)


なりはしないだろうか、あるいは多少でも手伝になればよいとかいう


風に考えて、ちょっと左官(さかん)()い、相談(そうだん)して手伝(てつだ)えば、それでよいの


である。治らない人は、一つひとつこのような、つまらぬ事にもとら


われるのである。


  強情(ごうじょう)盲従(もうじゅう)標本(ひょうほん)


大西氏 去年(きょねん)(はる)入院。対人恐怖で一度治ったが、夏休みに、郷里(きょうり)


帰って、ズボラして再発(さいはつ)し、9月にこちらに帰り、先生のところに、


下宿(げしゅく)させて(いただ)いて、学校へ行きました。卒業(そつぎょう)論文(ろんぶん)にとりかかろうとし


たが、自信がないという事が、先に立ち、どうしても手がつかない。


だんだんあせって、ますます(こま)ってきた。(ぎゃく)の修養になり、神経質を


治してからでなくては、論文は出来ぬと考え、先生や古閑(こが)先生にも、


随分(ずいぶん)お世話をやかせました。十日ごろ、ここにいるのが苦しくなり、


口実(こうじつ)をもうけて、他に転宿(てんしゅく)しました。冬休みに、家に帰って、父から


散散(さんざん)(しか)られ、どうしても、論文を書くよりほかに、しかたがないと


いう事に決心しました。せっぱつまったものですから、(おそ)まきなが


ら、手をつけました。(はじ)めてみると、だんだんに自分の気持がわかっ


て来ました。


 森田先生 大西君は、今月の会で、強情(ごうじょう)標本(ひょうほん)です。家へ帰って、


父に(しか)られて、決心(けっしん)したというが、我々は戦争に行くにも、論文を書


くにも、少しも決心をするにおよばない、決心という事が、余計(よけい)な心


葛藤(かっとう)になる。決心(けっしん)しないで、その境遇(きょうぐう)服従(ふくじゅう)して、ただ戦争に出か


けるなり、論文の(ふで)をとりさえすればよい。大西君は、まず決心する


前に、戦争に行きたい・論文を書きたいという気持を作ってしかる後


に、決心しようとするのが、間違(まちが)いであり、論文(ろんぶん)を書く気になるま


で、手を(くだ)さないといって、その感情を頑張(がんば)ろうとするのが、強情と


いうものであります。


 ここに一方の大関(おおぜき)は、水谷君が、強情(ごうじょう)の反対で、盲従(もうじゅう)標本(ひょうほん)です。


私が三遍(さんへん)(まわ)って、お辞儀(じぎ)をせよといえば、その通りにする。私が入学


試験を受けよといえば、早速、私のいう通りにする。私の考え方は、


病気を治しておいてしかる後に受験するのではない。試験に通らなけ          1


れば、治すのである。


 大西君は、私が論文(ろんぶん)を書くように忠告(ちゅうこく)すれば、家へ帰って考えてみ


ますという。もしいま書けば、結局どうなるか、書いても書けない時


は、どうすればよいかとか、突込(つっこ)んで、私に()いただすというだけの


知恵は(めぐ)らない。大西君は、私が精神的方面に素養(そよう)のある医者である


という事を忘れる。自分の仮想的(かそうてき)病気が、森田のいうがままに、論文


を書くとすれば、その結果はどうなるか、という事を森田は知らない


者と考えている。もし大西君が、いくら書こうとしても、どうしても


書けないのに、それでも書く事ができるかと、私に追及(ついきゅう)質問(しつもん)するとす


れば、私はこういって教える。すなわち決心とか自信とかいうものを、


思いきり投げ出してしまって、ただ自分の(つくえ)の上に、原稿(げんこう)用紙(ようし)とペン


と参考書などを並べて、静かに退屈(たいくつ)しながら、それと、にらめっこ


していればよい。その時間は、一日に、十分なり三十分なり短い時間


で、何回でもよいから、なるべくたびたび、(つくえ)の前に座ればよい。そ


してあるいは三行(さんぎょう)でも、落書(らくが)きし、また参考書を手当たりしだい、開


いたところをでたらめに読んでいればよい。この有様(ありさま)を一週間なり、


三週間なり、忍耐(にんたい)して続ければよい。その全体の意味からいえば、で


きても、できなくとも、いやでも応でも、しなければならぬ事は、と


もかくもするという事に帰着(きちゃく)する。その時に、勇気とか自信とかいう


ものの、()焼刃(やきば)をしてはいけない、という事である。今私のいう通


りにすれば、たちのよい人は、二日目から、はや書く気になる。(おそ)


人でも、一週間もすれば、自然に調子(ちょうし)に乗ってくる。ただその初めの


皮切(かわき)の間が、少々苦しいというまでの事である。


  ()(じょう)まかせるとの両立(りょうりつ)心境(しんきょう)従順(じゅうじゅん)という  


 いま私が「試験を受けよ」と忠告(ちゅうこく)する。その時に本人は「こんなに


頭が悪くて、できるはずがない」と考える。それを「()」という。し


かし森田が折角(せっかく)そういうから、「良き人の(おお)せに(した)いて、地獄(じごく)極楽(ごくらく)


か、(いち)かバチか、行きつくところまで、やってみよう」というのが、


平たくいえば、「(こころ)みる」、上品(じょうひん)にいえば、「まかせる」という心境(しんきょう)であ


る。この「()」と、「(こころ)みる」という事とが、意識的に自覚して、は


っきりと、心の内に両立(りょうりつ)して、実行に現われるのを「従順(じゅうじゅん)」というの


である。


 この(さい)、大西君は、自分で「できるはずがない」と独断(どくだん)し「()」を


張りて、易者(えきしゃ)よりも予言者(よげんしゃ)よりも、神様のお()げよりも確実(かくじつ)なる森田


の診断を(ため)してみようという(いっ)挙手(きょしゅ)(いち)投足(とうそく)(ろう)をもとろうとしない。


これを強情(ごうじょう)というのである。これに反して、水谷君は、森田を万能(ばんのう)


神のように、全く「()」を()てて、いたずらに「そうあるべし」と決


めてしまうから、その実行には、「我」のかけひきがなくて、()車馬(しゃうま)          2


のように突進(とっしん)する事になる。これを盲従(もうじゅう)という。従順(じゅうじゅん)のような適応性(てきおうせい)


(はたら)きは出てこないのである。


 近藤氏 いま、東大の社会学部の学生です。吃音(きつおん)恐怖で、一昨年の


春、40日ばかり入院しました。初め先生から、今は入院者が多いか


ら、成績の悪いものは、分院(ぶんいん)の方に回すと聞いていたから、一生懸命


にやったら、初めの一週間は、割合に成績がよくて、先生からほめら


れた。元来(がんらい)すぐあがる性質のため、自惚(うぬぼ)れが出て、二週間目ごろか


ら、しだいに成績が悪くなってきた。そのうちに学校は始まるし、完


全に治らなかったけれども、退院する事にした。丁度(ちょうど)その前の(ばん)が、


形外会で、先生から、私の日記について、注意された事が、不満であ


って、なんとか言い訳をしてみたくなった。そのまま立って、弁解(べんかい)


たところが、スラスラといえたのであります。私が初めて診察を受け


た時は、ハイとかイイエとしかいえず、父が(ぼく)の症状をいってくれま


した。この形外会の時から、心機(しんき)一転(いってん)とでもいいますか、今では、こ


のように、皆様の前で、しゃべる事ができますが、一昨年の頃は、(まった)


く思いもおよばなかった事であります。


  ほめることは(ゆうがい)


 森田先生 強迫観念の内で、赤面恐怖は、とくに治りにくい。ども


り恐怖は、さらにこれよりも治りにくいというのが、私の従来の経験


である。


 この近藤君が、入院中、その前の形外会で、自己紹介のとき途中(とちゅう)


行きづまって、(まった)く物がいえなくなり、数分間も、そのまま立ち往生(おうじょう)


をした時は、見る目も気の毒であった。ついに自分の名がいえなく


て、そのまま中止した事があった。この人は、吃音(きつおん)のうちでも、とくに


(ぎょう)がいいにくいから、近藤のの音が打ち出せないで、そのまま、


行きづまったものである。が切り出せなければ、アノー近藤とでも


ごまかせば、よさそうなものだけれども、神経質では、そんな融通(ゆうずう)


(けっ)してきかないのである。


 近藤君が成績がよいから、私もツイツイほめたところが、それがい


けない。こんな時に、知らんふりをしているべきである。ほめてはい


けないないという事は私も知っている。知りながら、つい感情にはせて、


なかなか実行が難しいのである。このほめる事をこらえる事も、(しか)


事をこらえると同様に難しい事である。モンテッソリー女史(じょし)の幼稚園


教育には、小児(しょうに)賞罰(しょうばつ)は、すべて有害(ゆうがい)無益(むえき)であるという事をとくに(しゅ)


(しょう)している。私の治療法でも、すべてこれはいけない事であります。


この人の日記の中から書き()いたものが、「神経質」の第一巻第五号


巻頭(かんとう)()()っている。なかなかの名文です。文章は、精神の内容


であり、適切なる事実である。決して文句(もんく)美辞(びじ)作為(さくい)ではないので          3                                   


あります。読んでみます。「地下鉄で、浅草に行く。今日の様に、(ざっ)


(とう)にもまれた事は初めてである。()えず心がハラハラしていた。ハラ


ハラしている方が、落着(おちつ)いている時よりも、楽である事を知った。(じゅう)


(らい)ならば、こんなとき、落着(おちつ)こう落着こうと努力、腹式(ふくしき)呼吸(こきゅう)をやった


り、人を見下(みくだ)していたりしたものである、人前の心は、風船(ふうせん)(だま)のよう


に、いつもフワフワ(ただよ)っているものと思う。空中を(ただよ)っている方が、


風船玉にとって、安定である。風が吹いても、風の吹くままに、流さ


れているから、なかなか(やぶ)れない。これに反して、風船(ふうせん)(だま)を一定の所


固定(こてい)して置くと、少しの風に会えばたちまち(やぶ)れるのである。」


  理想(りそう)現実(げんじつ)とは区別(くべつ)がない


 山中氏 私は縁起(えんぎ)恐怖・(とく)(しん)恐怖・自殺(じさつ)恐怖(など)で日曜ごとに通院


しているものです。今日は形外会との事で、出席させて(いただ)きました。


種々(しゅじゅ)の恐怖にかられ、苦痛のために、生命(せいめい)()つような事はないか


と、自殺を恐怖する事もあります。


 奈良部(ならべ) 私も神罰(しんばつ)縁起(えんぎ)黴菌(ばいきん)恐怖等で、外来で通っているもの


です。なかなか(さと)りが開けません。


 高浦(たかうら) 古い慈恵(じけい)の卒業生で、千葉県で開業しています。農村(のうそん)疲弊(ひへい)


(まっ)只中(ただなか)にあって、いろいろな経済的の苦痛もなめつつあります。私


も神経質の特性を(そな)えているかと思いますが、どういう風にしたら、


最もよく生きて行かれるか、人生観を真剣(しんけん)に求めずにはいられません


ん。頭が悪いけども、いろんな書物を読みました。自己(じこ)完成(かんせい)した


いという欲望が強いが、実際の生活はなっていないのであります。


 前には、石丸梧(いしまるご)(へい)先生の人生観に興味をもち、昭和三年から「人生


創造」という雑誌を読み、石丸先生のところも、たびたび行き、農村


青年とともに、人生(じんせい)創造(そうぞう)の運動をやったりしました、そのうちに、こ


の形外会の事を聞き、先生は私の旧師(きゅうし)であり、先生の書かれたものは、


興味をもって、見てきたものですから、その後はなるたけ、この会に


出席する事にいたしました。


 現在では、「人生創造」の方と、森田先生の事実を重んずる、科学


的態度との間に、共通点のある事がわかってきました。石丸先生に、


人生は創造である。創造とは、意味の発見であると教え、プロレタリ


ア・イデオロギーをふりかざしているんです。前には、「人生創造(そうぞう)


と森田先生の「事実(じじつ)(ゆい)(しん)」とが、なんとなく、そぐわぬ様な気がした


が、今はその一致(いっち)がわかって、理想と現実とは、区別のあるものでな


いという事を考えるようになりました。


  創造(そうぞう)意味(いみ)発見(はっけん)


 森田先生 「人生創造」の事は、面白いが、皆様はあまりお聞きに


なった事はなかろうし、言葉の説明は、いたずらに時間を、(つい)やす事          4


になりますから、お話する事をやめます。「創造(そうぞう)は意味の発見である」


という事が、なかなか面白い。私の所で、これは事実である、これは


「思想の矛盾」であるという事を見分ける事が、なかなか難しい。こ


れが確かに、人生の事実であるという事を認めるときに、そこに意味


の発見があろうかと思います。これが不明瞭(ふめいりょう)であるときに、そこにい


わゆる認識不足があるのであります。


 ここの治療法で、臥床(がしょう)から起きて庭に出る事になる。その時に、少


しも筋肉労働をしないで、静かに庭の(すみ)のごみを拾うとかいう事をす


る。この時に、我々は掃除(そうじ)によって、庭が奇麗(きれい)になり、気が(はれ)ばれす


る。この掃除という事の意味がわからないで、ただ庭の中の落葉(おちば)(ひろ)


って回って、そこら中をフラフラと歩き、あるいは誰かが(ほうき)で、サッ


サと(ひと)()きすれば、すぐにも掃除のできるのを、わざわざ手で(ひろ)って


いるとか、なんでも終日(しゅうじつ)、何かと手を動かしておればよいとか思って


いる人は、まだ意味の発見のできない人である。普通の人が、ちょっ


と見ると、全く無意味のような事でも、実際に当たってみると、そこ


に大きな人生の意味がある。野依(のより)氏の『獄中(ごくちゅう)四年の生活』の内に、(どう)


()(あさ)つなぎ哲学(てつがく)()たとの事が書いてある。人生は、機械的の運


動や屁理屈(へりくつ)のほかに、(きわ)めて些細(ささい)な家庭の仕事の内にも、人生の意味


の発見があり、私のところでは、この意味で神経質が全治し、あるい


(さと)境涯(きょうがい)(たっ)する事もできるのである。


 古田氏 心臓(しんぞう)弁膜症(べんまくしょう)のあるもので、入院中、この前の形外会に出席


したものです。35日間の入院で、全治退院したものですが、その


当時と今日とを比べると、非常に心持もよくなり、毎日興味をもって、


一人前以上の仕事ができるようになり、(よろこ)ばしく思っております。


 森田先生 この前の形外会で、説明したが、今の古田君は、心臓病


があっての事であり。幹事の荒木君は、心臓異常はなくて、同じ症状


です。治し方は同様で、いずれも完全に治ります。


  電車で美人に席を(ゆず)


 山野井氏 近藤さんが、さきほど、形外会で、心機(しんき)一転(いってん)されたお話


があった。私も対人恐怖と、書痙(しょけい)とのために入院したが、もとは人前


で、とても話のできなかったものが、今は形外会で、幹事や副会長を


やらされて、やむを得ず、このように話ができるようになりました。


またさきほど、森田さんの大尉(たいい)をおやめになったお話をうかがっ


て、思い出す事は、私も書痙(しょけい)で、字が書けないから、当然会社を辞職(じしょく)


しなければならぬというのを、先生のお言葉で、会社を()めて、田舎(いなか)


へ帰っては、決して治らぬ。出世(しゅっせ)したいという向上(こうじょう)(しん)がなくなれば、


治らなくなるといわれたので、思いきって、会社に再び出る事になっ


た。それで前にも、この形外会でお話したように、退院後まもなく、          5


ある機会から、思いがけなく、心機(しんき)一転(いってん)して、赤面恐怖も書痙(しょけい)も、治


る事ができるようになりました。それで私からいうと、変ですが、森


田さんが、先生のいわれる事を(もち)いられなかったのは、お気の毒であ


り、私自身としては、先生のいう事を聞いた事が、(まこと)有難(ありがた)い事と思


っています。


 もう一昔(ひとむかし)ですが、私が人前で、話ができないので、当時流行(りゅうこう)した岡


田式静座法(せいざほう)をやったり、新渡戸(にとべ)博士(はかせ)修養書(しゅうようしょ)を読んで、「黙想のおよ


ぼす精神的効果(こうか)は大きい」とかいう事を信じて、いろいろやってみた


事があるけれども、結局はなんにもならなかった。


 いろいろお話したい事があるが、この前の会で、野村先生が、坂で


車をひく人をみれば、押してやりたいが、かえって人から、へつらう


ように思われはしないかと、気にするとかのお話があった。私も電車


の中で腰掛(こしか)けているとき、奇麗(きれい)な女が重い荷物を持って立っているの


を見れば、席を(ゆず)ってやりたいと思うが、そうすれば、人から、奇麗(きれい)


なために、かわってやったと思われはしないかと心配し、(みずか)ら心の内


に、自分はその女が、奇麗(きれい)なためではない、重い物のために、代わっ


たのであると弁解(べんかい)しながら、ようやく決行(けっこう)するという風であった。い


ま私がそんな事を考えていられないのは、忙しいためかと思う。私は


いま、会社の忙しい上に、家には女中(じょちゅう)がいないから、子供の(もり)飯炊(めした)


きなどもし、またごみなども、自分がしなければ(つま)はしなかろうと思


って、これを()やしたりするという風で、なかなかそんな弁解(べんかい)などし


ている(ひま)がなくなったのであります。


  疑問(ぎもん)懐疑(かいぎ)真理(しんり)発見の出発点


 森田先生 いま、部屋が鬱陶(うっとう)しくて頭が重くなった。戸を開けさせ


て、風を入れたが、ちょっと思いつくままに、お話します。この室内


に閉じこもり、人が大勢いれば、空気が汚れるために、衛生上(えいせいじょう)に害が


あるという風に考えるのは、我々の医学的常識である。実際には、そ


れが本当かどうかはわからない。今までの衛生(えいせい)学者(がくしゃ)は、皆その室内の


汚れ方や、炭酸ガスのパーセントなどを研究して、空気がかくかくの


状況になれば害があるという風に決めてある。しかるに最近に、ある


学者の研究によれば、その空気の汚れるのは、我々の気分の悪くなる


事に対して、直接の関係はない。ただ空気の流動のないのが、直接に


害があるという事がわかったのである。すなわち空気は汚れていて


も、扇風機(せんぷうき)で、空気を流動させれば、害がなく、空気は清潔(せいけつ)(たも)たれ


ても、一定時間、流動が全く止まれば、気分が悪くなるという事が実


験されたのである。


 で、常識的(じょうしきてき)判断(はんだん)と、実際(じっさい)事実(じじつ)とは、しばしば(だい)なる間違いのあ


る事は、我々の日常知るところである。地動説(ちどうせつ)や私の神経質説なども、みな常識とは、逆の考え方である。6