第84回 女性の為の札幌・五巻を読む会 2022. 10.20
森田正馬全集 第5巻 363頁 形外会・第33回例会 昭和8年5月28日から
金を使うのが惜しくなる
森田先生 鈴木君は、いま事実を話している。こうしなくてはなら
ぬという事はない。それは鈴木君に限らず、誰でも事実このような心
境に出来上がるから面白い。
草光氏 よくわかりました、私は今まで、ただ勉強しなけれぱいけ
ないと、あせりながら、机の前に座るという事をしませんでした。
井上氏 先刻、自己紹介のとき、入江学士に共鳴されたという人が
あったが、何か話して頂けば、面白かろうと思います。
また旅館の宣伝の事になりますが、私共の方は、倹約で、むだを嫌
うというやり方であります。番頭なども、初めのうちは、これを軽蔑
するという風であったが、今では、むだ金を使うのが惜しくなったと
いって、喜ぶようになりました。この手拭いも、去年奥様からもらっ
たのを、いまだに使っています。靴下でも、友人が3、4足もつぶす
ところを、私は一足ですまします。これなどはみなここの修養の結果
であって、これを世間に宣伝したら、今日の経済国難にも、随分貢献
することが、多かろうと思います。
またこの間は、旅館で、お客様を叱った事があります。それは自動
車のくるのが遅いといって、石井さんを呼びにやった事です。そんな
事をされては、こっちの仕事にさしつかえができるから、いけないと
いって、小言をいってやりました。また夜は10時になると、戸を閉め
るのですが、二晩続けて、12時近くにもどったお客があった。2度
目には、なかなか開けてやらないで「ここの宿屋では、ダラシがなく
ては困る」ということを申しましたら、お客様も、腹を立てる代わり
に、かえって「ここへは安心して、知人を紹介する事ができる」とい
って後でほめてくれました。
人の気質の七種類
草光氏 入近さんのは、自分の事だけでなしに、他人を客観的に観
察した場合も、神経質は劣っているというのでしょう。神経質は、あ
まりに慎重な態度をとり過ぎて、他人に不快を与える。私の知人に、
文学士がある。神経質で、家庭教師を頼まれても、自信がないといっ て、応じない。頼むものが不快になる。これに反して、一人の友人
は、非常に磊落で、一緒にいても、世の中が明るくなったような気が
した事がある。 1
井上氏 慎重なのは、神経質に限らず、人によって、まちまちかと
思う。一人がそうだからといって、神経質の傾向だとはいえない。ヒ
ステリー性の人は気が軽いから、気持のよいように感じるけれども、
大事な事には、信用が置けないじゃないかと思う。
森田先生 こんな事は、議論すれば、限りのない事である。神経質
は、一つの気質であって、これが常識はずれになれば、変質といっ
て、病的になる。常人の程度にある時に、気質というのであります。
この気質の事は、二千余年前に、ヒポクラテスは、人の気質を、胆
液質・粘液質・多血質・神経質の4つに分けた。今日では、血液型に
よって、4種の気質に分ける人があったり、淘 宮 術では、12種に
分け、骨相学では、32種に分けるという風であるけれども、これ
らはみな信用の置けないものである。
クレッチュメルは、躁鬱性気質と乖離性気質というものについて、
深い研究をしたが、これは立派な大きな学問的の貢献であります。
私は人の気質を七種類に分けてある。これらの事に関しては、今年
の2月から、続いて雑誌に出しつつある所であります。今これについ
て、ちょっと簡単に説明してみます。
神経質は、自己内省的で、何かにつけて、自分の事を観察批判して
用心深く、石橋を叩いて渡るという風である。すべて理知的で感情を
抑制する事が強い。したがって軽はずみではないがヒネクレである。
自己中心的で、他人に対して、情愛がうるわしくはないが、信用をお
く事ができるという風である。
よい方面ばかりを考えてつけあがる
ヒステリー性は、丁度神経質と反対に、感情過敏性という事が特徴
である。感情のままであるから、自己内省が少しもできず、理知の抑
制というものがない。移り気であって、常に感情が動揺する。新しい
人と親んで、旧友とは、容易に反目する。それは新しい人には、よく
お世辞をいわれるからである。若い男女は、よくヒステリー性の人を
好む事があるけれども、自由結婚をすると、容易に離婚沙汰になるの
である。面白い事は、人の噂や人情話を聞く時に、神経質の人は、悪
い方面の事のみを、我事のように自分に引き当てて反省し、ヒステリ
ー性の人は、よい方面の事のみ自分の事のように思って、自ら慰めつ
けあがるという風である。
意志簿弱性の人は、いわゆる感情鈍麻で、人生の欲望・向上心に乏
しく、下等の感情に支配されるばかりである。神経質は自分が意志薄
弱ではないか、ヒステリーではないかと、悪い方面ばかりを考えて、 2
独り心配し苦労するが、意志薄弱者はそんな事は全く平気で、修養と
かいう事とは全く無関係の人である。
発揚性気質の人は、陽気で、愉快な人で、あっさりして、交際上手
で、朗らかの人である。交際にも、気持よく、気のおけない人で、よ
く人の世話をもやく人である。その代わり、ただうわべばかりで、人
に対して、深い思いやりなどは全くなく、自己内省などもできない。
人が笑っていれば、単に喜んでいるくらいに考えて、泣き笑いとか、
会釈笑とかいう事の見分けのつかないものである。
偏執性気質の人は、物事に凝り性のもので、やたらに自分の権利義
務を主張するとか、学問や発明に熱中するとか、哲学に凝り、宗教に
惑溺するとかいう人であって、一般の人間味が乏しくて、何か、ただ
一つ事にのみ執着するような人である。
乖離性気質の人は、表面から見たその人の言行と、内面から見たそ
の人の気持・考え方とが、少しも他から予想のできないような人で、
十年同居しても、その人の気が知れないという人である。時どき辻褄
の合わない行動が多く、学校で不勉強で成績が非常に悪いのに、思い
がけなくラテン語の達人であるとか、立派な歌人であるとかいうよう
な事もある。
これも心が内向的であるとか、ヒネクレているとかいう事で、神経
質と非常によく似ている場合もまれにはあるが、その比較は、西瓜と
冬瓜(うり)の区別くらいのものである。
縁なき衆生は度し難し 衆生:いっさいの生き物
さて、精神修養とか、求道とかいう事については、神経質者には、
すべて多かれ少なかれ、必ずその志があり、偏執性とか乖離性とかに
は、その一部分にこれがあるが、ヒステリー性・意志薄弱性・発揚性
のものには、全くこの志がない。例えばこの「神経質」の雑誌を読ん
で、全くその意味がわからない、強迫観念の心理などを聞いても、全
く馬鹿げた事と一笑に付するばかりである、その全く無理解・無趣味
という事は、我々からほとんど想像ができないくらいであります。
以上挙げたように、人の気質は、これをさまざまに分ける事ができ
るのであるから、おのおの長短・利鈍・是非・その趣きを異にするか
ら、どれが最もよいかという事を定める事はできない、ただ種々の宝
石に、おのおのそれぞれの趣きがあって、その良し悪しを定める事が
できないように、ただその人の好みに応じて、好き嫌いを定めるより
ほかにしかたがないのであろうと思います。
水谷氏 僕は前に、本で早発性痴呆のところを読んで、自分は、それに違いないと考えて心配 3