第81回 女性の為の札幌・巻を読む会   2022. .21

森田正馬全集 第5357 ・第33回例会   昭和8528日から

高浦(たかうら)先生 私は現在45歳。昨年(さくねん)母を亡くしました。父は67

歳で健在(けんざい)です。子供の時から、私は神経質で、不活発(ふかっぱつ)喧嘩(けんか)するよう

な事はなかった。それに近眼(きんがん)であったけれども、田舎(いなか)の事で、眼鏡(めがね)

かけると、皆からはやされるので、かけないでいた。よく見えないか

ら、周囲の事に気がつかず、それが内気になった一因(いちいん)ではないかと思

う。

 また父は、私と(まった)く反対の性格で、快活(かいかつ)で・外向性(がいこうせい)で・社交性(しゃこうせい)()

み・政治好きで、私の態度(たいど)が、ことごとく気に入らなかったらしい。

(はし)の上げ下げにも、やかましくいう。それで私の方からも反抗(はんこう)した。

(たと)えば私が休暇(きゅうか)の旅行を、友達と約束して帰って来ると、父は反対し

て、勉強しなければいけないという。近頃(ちかごろ)では、年もいって、私もそ

んな事はないが、反抗(はんこう)した時代が、私の神経質の(もっと)もひどかった時か

と思う。それは無論(むろん)生来性(せいらいせい)のものでありましょうが、私が病身(びょうしん)であっ

た上に、父の拘束(こうそく)は、私の神経質の(だい)なる原因かと考えられます。(げん)

に私の弟は性格が相反(あいはん)して、スポーツマンでした。

  (かね)(ため)めるには3 (はじ)をかく

 坪井(つぼい) 私の母は、何にでも手を出す工夫家(くふうか)で、倹約(けんやく)上手(じょうず)で、こ

こへ来れば、まず優等生というところでしょう。私も先生のお(かげ)で、

大分(だいぶん)、その(ほう)になってきましたが、私の()(ぞう)もまた、そうなんです。  「師僧」とは師匠となる僧侶

電灯(でんとう)をスイッチでひねると、(たま)(こわ)やすいというので、(たま)をねじっ

て消す。小包をくくる(ひも)も、必ず古いものを集めておいて使う。こう

いう風な人は、宿屋(やどや)でも料理が少なく、安い方を(この)むという種類でし

ょうね。

 倹約(けんやく)の事をいえば、ある人は、60円から100円くらいの月給(げっきゅう)で、1

万円貯金(ちょきん)したという話。それが少しも苦しくなく、かえって楽しみだ

という。その人は、30(ちょう)くらいの会社への道を、往復(おうふく)とも歩く。(はき)

(もの)(たいら)へるよう、充分(じゅうぶん)注意(ちゅうい)し、道の悪いところは、飛びよけて

く。(笑)()くずでも落ちていれば、焚物(たきもの)に拾って帰る。はける下駄(げた)

でもあれば(ひろ)うという風なんです。(笑)(かね)()めるには、3(はじ)をか

かねばいかんとかいいますが、お(かゆ)をすすって、(ひゃく)()めたという人

は、少し(ちが)うようですね。(註―3(はじ)とは、人情(にんじょう)()く・義理(ぎり)()く・

欲深(よくふか)くの三角(さんかく)をいう。)

  (もの)(せい)()くす                           1

 森田先生 (くつ)(かかと)や、下駄(げた)()()がる性質(せいしつ)はよろしくない。神経質

で、著明(ちょめい)()がる人は少ないかと思う。(ぼく)が昔、富士(ふじ)登山(とざん)をしたとき、 

1(そく)草鞋(わらじ)で上下した。もっとも(わら)の間に(あさ)()ざったものでした。そ

れでも、よく()きつぶす人は、34(そく)()えた。草鞋(わらじ)を注意して歩

けば、(はや)くて疲労(ひろう)も少ない。草鞋(わらじ)をつぶす人は、(たい)らに()まないで、

必ず片寄(かたよ)って(やぶ)れるからである。私の登山(とざん)の時は、看護婦(かんごふ)もともに、

同行(どうこう)が13人であった。予想(よそう)では、僕は、弱い(くみ)にみなされていた

が、思いがけなく、僕が先頭(せんとう)第1であった。1番強いと(もく)されていた

人は、2番で、僕より20(おく)れて到着(とうちゃく)し、最後の者は、3時間も(おく)

れた。私のネルのシャツなど(たの)んであった強力(ごうりき)は、最後のものを世話

して来たので、山の上で寒くて、3時間(ふる)えました。

 草鞋(わらじ)倹約(けんやく)して貯金(ちょきん)するわけではない。草鞋(わらじ)そのものを大事に取り

(あつか)うのである。つまり道具を大切にするので、ここの入院患者など

は、(まった)道具(どうぐ)無視(むし)する人ばかりである。人間が動物から超越(ちょうえつ)したの

は、第一に道具を(もち)いるという事である。道具を破損(はそん)する人は、動物

との(へだ)たりが少ない。これと道具の発明家を比較(ひかく)すると、動物と人間

との(へだ)たりくらいでもあろう。(註―動物:人間=道具破損者(はそんしゃ):発明

家)

 なお倹約(けんやく)という事は、物を大切にする事である。ここの家では、広

告の紙とか古雑誌(ふるざっし)とか、反古(ほご)をおよそ7種類に利用しているという事

は、ここに知っている人もあるでしょう。中庸(ちゅうよう)に「物の(せい)()くす」 中庸:片寄ることなく、変わらない。

という事があるが、つまり物の(よう)に立つものは、決してこれを、粗末(そまつ)

にしないという事である。物を倹約(けんやく)して、(かね)()めるというのとは、

少しく相違(そうい)がある。(かね)大事(だいじ)の目的として倹約(けんやく)するという人ならば、

必ずその人の(じっ)生活(せいかつ)に、さまざまの虚偽(きょぎ)があるという事を、発見する

であろうと思う。坪井(つぼい)君の話のように、もし実際(じっさい)成功(せいこう)した人なら

ば、いわゆる「(もの)(せい)()くす」であって、必ずその人は、物そのも

のを大切にした結果として、貯金もできた事であろうと思う。もしつ

いでがあれば、実際(じっさい)にその人物について、調(しら)べてもらいたいものであ

ります。「物そのものになる」これがここの教育法の(もっと)も大事な条件(じょうけん)

である。この事ができるようになれば、強迫観念などは、とうから治

っているのである。

  レコードを買うために食事を(げん)じた 

 早川(はやかわ)氏 倹約(けんやく)して(かね)()めて、レコードを買おうとして、中断(ちゅうだん)した

話。私は音楽が大好きで、レコードを買うため、2(しょく)主義(しゅぎ)にした。

昼食を10(せん)として、1ヵ月3円になる。3ヵ月目から一般(いっぱん)学生(がくせい)は、           2

昼食が20(せん)(あま)りであるというから、また少し高く見積(みつ)もるようにし

た。そのうちに、腹がへるものですから、昼食を食べるようにして、

その()わり、乗るべき電車に乗らないと仮定(かてい)して、レコードを買う事    

にした。

 思うように買えないから、なんとかして、自由に()く方法はないも

のかと考えあぐんだすえ、思いきって、レコード収集家(しゅうしゅうか)として、日本

一といわれる野村(のむら)胡堂(こどう)氏に手紙を出した。5千枚以上、持っていると

の事です。そこで2回ほど、()かせてもらいましたが、その時の話

で、氏が(おどろ)くべき能率(のうりつ)で、(はたら)いていられるという事を知りました。原

稿を書く速度(そくど)は、1時間に8枚とのこと、しかもその間、レコードを

かけて、後でその批評(ひひょう)を書くとの事です。

 学生時代に、脚気(かっけ)と神経衰弱とであったが、(いそが)しくて、(かま)っていら

れないうちに、治ってしまったとの事です。

 森田先生 (かた)()らない話を、()いの手に一つします。神経質の(かん)

全欲(ぜんよく)という事の一例です(患者(かんじゃ)日記(にっき)を読む)。

「・・・そして次に、風呂場(ふろば)(そう)()す。ただし風呂(ふろ)(がま)の方はしなかっ

た」。なかなか正確(せいかく)ですね。(笑)「・・・自室(じしつ)に入り、封筒(ふうとう)(かた)、その

ほかの材料を持ちて、仕事場(しごとば)入る」。一つひとつの事を(こま)かく(くわ)

く書いてある。今日の学者の論文(ろんぶん)でも、いたずらに正確(せいかく)遺漏(いろう)のない

ようにと考えて、その書く事の目的を(わす)れてしまう事が多い。我々(われわれ)は、

言葉というものは、本来(ほんらい)不正確(ふせいかく)のもので、決してすべての意味をいい

(つく)しうるものではない。という事を知らないからである。そのため

正確過(せいかくす)ぎて、かえって要点(ようてん)を、人に徹底(てってい)させる事ができなくなるの

である。これなどはみな、手段(しゅだん)かぶれて、目的を(わす)れるがためであ

る。(つの)(たわ)めて(うし)(ころ)し、人参(にんじん)()んで(くび)くくり、(かね)(あつ)めて人生を(わす)

れ、人生の(こい)()げる事を思い(ちが)えて心中(しんじゅう)するようなものである。

「原さんからの御馳走(ごちそう)のお菓子(かし)(いただ)いて食べた」。これも、もっと(くわ)

しく書くと「・・・お菓子を(いただ)いて、左の奥歯(おくば)()んで、のみこんだ」

といってもよい。(哄笑(こうしょう)高笑(たかわら)

 文章(ぶんしょう)は、わかりきった無用(むよう)な事は、決していわないで、必要な目的

(せん)じつめる稽古(けいこ)をすれば、(かなら)上手(じょうず)になるのであります。

                (620分、食事、7再会(さいかい)

  自由(じゆう)(らく)勉強(べんきょう)するにはどうすればよいか

布留(ぬのどめ)氏 勉強しているとき、(あそ)びに行きたいと思い出すと、いくら

(おさ)えようとしてもだめです。たいていは(よくぼう)()ける。そんな気分が

出ると、我慢(がまん)しようとしても、どうにもしようがない。ついにやぶれかぶれで遊びに行く。  3