第76回 札幌・五巻を読む会 2022. 2.27
森田正馬全集 第5巻344頁 形外会・第32回例会 昭和8年4月29日から
江戸っ子はハキハキして、にぎやかです
石井氏 皆さんの間には、対人恐怖の方が、多いと思いますから、
私も一つ話させて頂きます。私は今度、熱海の旅館で手伝いをしてい
ますが、初めに恐怖が、ひどくなって、困りました。商人が来ても、
ビクビクして、応対ができない。慌てて帳面を間違える。何をして
も、まごついて、無我夢中の苦しさでした。ところが井上さんの活動
状態を見ると、実に偉い。僕もああいう風になりたいと、観察したん
ですが、感心する事ばかりで、私も大変よくなりました。今では、汽
車に乗っても、頭痛はしなくなり、前に人がいても、恐ろしいまま
に、景色を眺める事ができる様になりました。私共には、先生の御行
動は、高すぎてわからないから、井上さんあたりが、丁度いい所かと
思います。それで現在入院の方も、先生よりは、かえって先輩の方の
真似をなさった方が、得策かと考えます。
井上氏 石井さんは、何もできないといわれたが、私の方から見れ
ば、全く反対です。八百屋の仕入れは、安くやる。お客様の部屋割り
を実にうまくやる。それに石井さんは、江戸っ子ですから、言葉が奇
麗で、ハキハキしていて、大変にぎやかです。さすがの女中なども、
石井さんには、やりこめられて閉口します。
石井氏 あまりほめないで下さい。(頭をかくー笑声)
井上氏 先の就職問題について、私の体験をいいます。私は初めの
学校で、農芸化学をやり、つぎに商科に入りましたので、卒業後は肥
料会社が希望でしたが、周囲の事情から、写真会社に入りました。今
度はまた熱海旅館の番頭になりましたので、全く思いがけない事ばか
りです。以前は、小説家は怠け者でもよいから、小説家になろうかと
考えた事もあります。(笑声)ここに入院して、先生から、君はよく
働くといわれた時は、大変驚きました。
つぎに興味とか気がつくとかいう事について、私が入院中、先生か
ら、「君はこの日記入れの箱に、節穴があるのを知っているか」と問
われて、「知りません」と答えたところが、「それでよい」といわれ
て、迷いのとけた事がありました。建具の事でも、以前には、全く気
がつかなかったが、今度熱海の新築ができてから、こんなものにも、
自然に興味・注意が向くようになった。「自分などは、すべての事に
注意が向かなければいけない」と考えたのは、昔の思い出で、先生の
今日の御説明は、入院中の方には、大変参考になるかと思います。
森田先生 興味の話・・・以前の家に、私は25年あまり住んでい
たが、柱に節がある事を知らなかった。今度新しく家を建てるとき、 1
技師が、柱の節の事をやかましくいうから、前の家の柱を見ると、そ
こら中、節だらけであった。必要と趣味とのないものには、我々は、
気がつかないものである。
また、私は柱や鴨居に釘を打つ事が平気であるが、技師はもとより
こんな事を非常にやかましくいう。私は節穴さえも見えないのである
から、釘の穴くらいは、平気である。私の見方は、日常生活の実際で
あり、技師のは、骨董的であり理想的であるのである。
また次に、今の石井君と井上君との争いは、神経質の劣等感から、
お互いに人をうらやむという関係から、その人が偉く思われるのであ
る。皆さんも、経験のある事と思いますが、私共は学生時代に、互い
に試験問題の話をするとき、相手はいろいろの事をよく知っている。
自分は、ちっともわからないで悲観する。試験場を出て来ると、皆が
答案を、俺は3枚とか、俺は4枚書いたとかいっている。私はたった
1枚あまりしか書かない。心配していると、自分の方がかえって成績
がよい。彼等が70点であれば、私の方は80点であった。不思議で
ある。後に思い当たった事であるが、実はなんでもない。彼等は自分
の知ってる事ばかりをしゃべって、少しも自分の知らない事はいわ
ない。(笑声)また答案でも、無用の事を余計に書いて、要領を得て
いないのである。この様に、神経質は、自分の劣等感から、常に用心
し勉強して、人に劣らないようになるのが特徴であります。前の井上
君と石井君との場合は、同等の場合で、互いにうらやむ時の事である
が、これに反して、神経質が、人を使う場合には、自己本位の性質か
ら、仕事が、自分の思い通りにならぬため、その人が、気が利かない
とか、拙劣であるとかいう風に、その人の欠点が、多く見えるように
なる事があるのである。 (6時半・食事)
頭は絶えず思想しているものである
平井氏 私は思想を思想するという事がわかりました。あるものに
ぴったり合ったようで愉快です。物を見るのが愉快になりました。2
階で、窓をあけたところ国旗の入れてないのが、目について、早速取
り入れました。自然に注意が、物事に向いてくるような気がしまし
た。
森田先生 我々は、思想を思想するものですよ!頭は絶えず考え
肺は絶えず呼吸し、心臓は絶えず打ち、絶えず目は見、耳は聞いてい
るものです。正しく思想し、適当に呼吸し、あるがままに見ればよい
ので、それが健康な生命であります。
今の平井君の愉快になったというのがいけない。いや、いけないの
ではない。愉快になるのは、そのなるべきになったのである。それを
悟ったとか、治ったとかいう風に、思い違えては大変です。また苦し 2
くなるべき時に苦しくなると、悲観して逆もどりするという事にな
る。苦も楽も、ただそのなるべき時にのみ、なるのである。国旗が見
えたというのは、それは国旗が視野の内に入り、焦点を結んだという
までの事である。そんな事を問題にしている間は、まだ本当の柔順の
心にはなれないのである。今日国旗で喜んだら、明日は盆栽の水の切
れたのに気づかないで、たちまち悲観するであろう。
坪井氏 近頃、また、私は自分が神経質であった事に感謝していま
す。神経質であるが故に、大きい欲望を持ち、それが因縁で先生に近
づき修養してゆく。これが神経質でなければ、先生の教えも、馬鹿馬
鹿しくて努力しない。それでは酔生夢死という事にもなる。
理論と実際は違う
益江氏 私は赤面恐怖・唾液嚥下恐怖で、治ったように思うが、時
どき人前で、赤くなったり汗が出たりして困ります。どうもこの点、
春先の影響でないかと思う。去年も3,4月ごろ、こんな事が続いた
ように思われます。しかし逃げずに我慢していればすみます。
私共の主観判断と実際とはいかに違うか、1,2の体験をお話しま
す。今度、銀行で算盤の競技会があった。私も競技に出るのが恐ろし
かったけれども、とにかく出た。幸いに賞に入ったが、あがるのは自
分だけでないという事を発見した。図々しい人でも、平常3分かかる
人が、3分半かかるという風で、皆あがっている。
また私は、習字の会へも、作品を出したのですが、案外な成績で、
2級の2番になった、これによって、自分は、感じと実際という事が
違うという事を体験しました。
山野井氏 今の実際と理論という事について、私が紙くずで御飯を炊
くのを、家内は見ていても、馬鹿にして手を出さない。私はもったい
ないから、ちょっとしたものでも拾う。家内はこれを笑っていた。し
かるにある機会から、家内が、自分で竈で飯を炊く事を2,3日やり
出してから、紙くずも拾うようになり、私の気持もわかるようになり
ました。
犬塚嬢 先生の書物を2,3年前から、愛読するようになり、心
の持ち方が、すっかり変わり、大変感謝しています。今日もまた、お
尋ねする事を持ってまいりました。対談するとき、その人の顔をジッ
と見つめていられないので、ちょっと眼を伏せたりする。それでいい
と思うけれども、ある人から、それは陰険だといわれ、煩悶しまし
た。しかし先生の御著書の通信療法例の内に「人をみつめるような女
は、私は嫌いに候」(笑声)という御言葉があり、安心いたしました。
人相の本に、他人の眼を見る人は、無邪気で、見つめる事のできない
人は陰険だと書いてあるそうですが、そんな事は意に介しない方が、いいでしょうか。 3