第8回 形外会  昭和5年12月7日

 

  午後3時開会、出席者30名。

  香取会長欠席。友田氏開会の辞。次に例の如く自己紹介あり。

  新たに石川氏、葛西氏が幹事となる。

  4時、一同撮影す。

  「神経質」雑誌の読者は、会員がおのおの1人以上を勧誘する

  事と決める。

 

  会員の感想談

 川崎氏 雑誌に日高氏論文中、思想の矛盾と煩悶(はんもん)(そく)菩提(ぼだい)という事

が、どんな関係にあるか、ちょっと理解に苦しみました。

 日高氏 煩悩即菩提という言葉で、マルクスの矛盾の統一という事

を、よく表しているのが面白くて、ちょっと書いたのであります。

 森田先生 こんな事は体験からすれば、一言で説明できるが、これ

を哲学的に理論で説明すれば、大きな書物になる事もできます。都合

によれば、また後にお話してもよいと思う。

 今日出席された方の内では、鈴木君が、かつて御両親に随分迷惑を

かけたという事について、何か思い出す事はありませんか。また石川

君が不眠のため、いかに種々(しゅじゅ)の治療に遍歴(へんれき)したかという事も面白い。

この鈴木君は、今日出席の赤面恐怖の大場君からの関係で、入院した

かと思うが、大場君は、静岡で随分僕の療法を宣伝したものです。

  不眠が(しゃく)(はしら)を打ち切った

 鈴木氏 僕は中学3年の1学期頃から、不眠に悩むようになった。

わがままだといわれて、寄宿舎(きしゅくしゃ)にいれられたが、2ヵ月くらいで出

た。この頃から不眠も絶頂(ぜっちょう)(たっ)した。この当時、一日おきに眠られな

かった。

 田舎(いなか)の家は広いが、一番西の部屋へ(へだ)てて寝た。6枚屏風(びょうぶ)を2

枚も立てておいた。それでも台所の小さな音にもすぐ眼が覚めた。

しまいには土蔵(どぞう)の2階で寝る事にした。母に番をしてもらって、

1、2時頃までも眠られない事が多かった。明け方で鶏鳴(けいめい)を聞く時な

どは、やるせない悲哀(ひあい)(かん)(おそ)われた。

 あまりの苦しさにソッと抜け出して、野原をさまよった事もある。

まず、犬がかぎつけて後をついてくる。次に母と父とが提灯(ちょうちん)を持って

ついてくる。私はそれを、わざと見付からぬように逃げ回ったのであ

ります。

 3年は1学年休学した。翌年も殆んど欠席続きで、3学期は必死で勉

強し、思召(おぼしめ)しで4年にあげられた。

 眠られぬと思った翌日は、終日ポカッとしていた。土蔵を改造し

て、いくらか恐怖が薄らいだが、夢を見た時はやはり「昨夜は眠られ

なかった」という感に悩んだ。

 4年の2学期も、なお不眠が一日おきで、学校も一日おきに出席し

た。

 同級生が高等学校へ行く(もう)勉強ぶりをみて、残念でたまらず、自分

も不眠でさえなければ、決して人に後れをとらないと、(しゃく)にさわってな

らず、ある時は不眠の苦しさに、枕時計を投げつけた事もある。「坊主(ぼうず)

が憎ければ袈裟(けさ)まで(にく)い」という事があるが、布団を見ても、(しゃく)にさ

わった。妹の熟睡(じゅくすい)しているのを見ると、腹が立つ。家をひっくり

うと思って、(なた)を持ってきて、柱を半分ほども切った事がある。空気

銃のダイアナを買ってもらって、(すずめ)()つ事によって、鬱憤(うっぷん)を晴らそう

とした事もある。

 4年の3学期に、本屋で先生の著書を見付け、薬のことなど書いて

ないので、面白いと思って買った。しかし人から神経衰弱と思われる

のがいやで、父母にも隠して、(ひそや)かに読んでいたとき、中学の先生か

ら大場君の経験談を聞かされて、ここへ入院する事になった。

 それまでには随分いろいろの療法をやった。(くれない)療法(りょうほう)・水・鍼灸(しんきゅう)・電

気その他のものをやった。医者にも12人ほどかかった。天理教も勧

められたけれども、父は、まだ神様にまですがって治す必要はないと

いって断った。温室を造って静養したが、知人から方位が悪いとい

われて、壊してしまい、また物置も悪いとの事で、これも壊した。そ

の教えてくれた知人はまもなく死んだ。

  死んだ母を安心させたのがせめてもの喜び

 入院は一昨年3月であったが、退院後、親戚の家で、流感(りゅうかん)にかかり

1週間ほど寝たが、熱があり頭痛がしながら、窓外(そうがい)(みどり)(なが)めて、不

安なく寝ている事ができた時に、自分の心境が前と非常に変わってい

る事に気がついた。 

 家へ帰っても、聞く事見る物、あらゆる事に愉快を感ずるようにな

った。普通2年間もかかってやる勉強を、わずか8ヵ月で、陸軍大学

へパスした黒川氏の事を思い出して、思いきって勉強したが、実力が

グングンつくのを実感した。その結果、学校の臨時試験には、平均9

3点を採った。その間、家事の手伝いなどもしながら、面白く勉強

した。

 続いて浦和の高等学校へ入学して、先生の家から通学したが、身体

を作らなければいけないという考えから、無理に運動をしながら勉強

した。

 2年級の夏、母に死なれた。今まで非常に心配をかけた母に対し

て、必ず恩返しができると自覚していた事が裏切られて、こんな残念

な事はない。

 しかし自分は、ただ世の中をありのままに見て、できるだけ勉強す

るよりほかにしかたがない。目下は来年の東京大学受験の準備中であ

るが、もし私が神経質が治っていなかったならば、母は最後までも私

のために苦労をしたはずであるけれども、私の神経質が治って、将来

必ず勉強ができるという事を、母に知らせて安心させる事ができたと

いう事がせめてもの喜びであって、先生に対して非常な感謝をもって

いる次第であります。

 石川氏 不眠治療遍歴(へんれき)懐旧談(かいきゅうだん)は本誌の本文の方に出す事にした。

  家を抵当(ていとう)にいれ、(しち)入れをして治療をする

 某氏 (先年外来診察を受けた方) 今から10年前、()け足をして突

横腹(よこばら)を痛め、その後、重荷を持つこと、自転車に乗るなどができなくな

った。諸方(しょほう)の医師を訪ねたが、(いた)るところで病名は変わる。胃が

悪い・神経衰弱・耳の病気など、どれを信用してよいか少しもわから

ない。

 大正13年の夏、夕立にあい、腸カタルとなり、後に脚気(かっけ)衝心(しょうしん)にな

ったけれども、幸いにして回復し、少しく外出もできるようになっ

て、大正14年4月、ある朝、起きるとき頭がグラグラとなり、それ

から満3年間というもの全く寝たきりになってしまった。後には不眠

に悩み、あらゆる治療をやり尽くした。貧乏のために、家を抵当に入

れたり、金になるものは、質に入れてしまったけれども治らない。

などの事も医者よりもよく知っているほどであった。また図書館に知

人があったために、特別に通俗医書をも読み尽くした。

 その後友人から、先生の事を聞き、先生が21年間、外出のでき

なかった患者を一度の診察で治した、君の病気もそれに似ているとい

われ、思いきって自動車賃を借金して、埼玉県から先生の診察を受け

に来た。夕方であったのでその日は診察ができず、宿屋で泊り翌日受

けたが、先生は大丈夫だ、自動車の必要もないから東京を見物して、

歩いて帰ってもさしつかえないといわれ、スーッとして、治ったよう

な感じがした。
 それから松坂屋から上野を見物し、浦和に友人を訪問し、3年も会

わなかったから、非常に喜んで泊る事を勧められたけれども、身体を

試すんだからといって北風の吹くのを夜行して家に帰った。家の者は

驚くかと思ったけれども驚かない。そのはずである。家の者は今まで

持てあましていたからであります。それで今までの病気は仮病でなか

ったかなどといわれました。

(さと)られぬままに(さと)

 佐藤氏 倉田百三氏が『絶対生活』という本を出して、その内に御

自分で悩まれた強迫観念の事を発表してあるが、これによって、いか

に強迫観念の苦痛が深刻であるかという事がわかります。強迫観念と

は、事実と思想との矛盾から起こる精神的葛藤(かっとう)の苦悩である。

 4年前、私は読書恐怖に襲われたが、その事は本誌第1巻第5号の

形外会記事に載っていることです。

 学校の成績は、前には2、3番であったのが、その後ガタ落ちに落

ちて、そして落第した。昔の成績のことを思うとドン底の苦悩に沈淪(ちんりん)

した。進むに進めず、退(しりぞ)くに退(しりぞ)かれず進退窮まるとともに、翻然(ほんぜん)

して悟った。「()を捨てて(じつ)()く」という事を決心し、勇猛(ゆうもう)(しん)を発

揮して、捨身になって勉強した結果、また一番になりました。

 世の中は、生活がそのまま苦悩不安である。倉田氏のいうように、

強迫観念が「治らずに治る」のである。治らないまま、悩みつつその

ままでやって行く、それが悟りである。「あるがまま」になろうとす

れば、(すで)に「あるがまま」ではない。悟ろうとせず、悟られぬままの

内に、悟りがあるのである。

 先生は「世の中をありのままに見、ありのままに言え」と申された

(せん)()至言(しげん)かと思う。

 私の「ありのまま」は、ひたすらに生きたいという事である。今日

も明日も、今年も来年も、与えられた生命を生き尽くしたい。空想的

な夢を追う生活を断って、実践的(じっせんてき)境涯(きょうがい)に入るべきである。苦悩を当然

の事と観念してしまえば、そこに初めて安楽があります。

 私は今、強い実践的(じっせんてき)境涯(きょうがい)を土台として、希望の光明(こうみょう)に照らされてい

る。先生の御恩(ごおん)に対して、感謝しています。先生が人類に対する功績(こうせき)

()(だい)なるものであります。

  神経質の徹底的(てっていてき)という事が有難(ありがた)

 森田先生  皆さんのお話を聞いて、神経質は徹底的であるという事

がわかる。元来、神経質は理屈から出発して、自分で当然こうあるべ

きものと決めれば、人情をも没却(ぼっきゃく)して、押し通してしまい。随分(ずいぶん)無理

な事をもするようになる。

 鈴木君が柱をたたき切ったり、夜中にウロウロ出歩くとかいう事実

をそのまま聞けば、狂人のようにも思われる。しかしこれが理屈から

出発したという事を確かめて、初めて神経質という診断がつくのであ

る。

 また石川君が不眠のために、(ひそ)かに人間の頭骨(とうこつ)を買って飲んだと

か、枕元(まくらもと)(ねぎ)(きざ)んで()りまいたり、ガラス戸を光の通さないように

黒布で覆い、また音の入らないように目張りするとかいう事は、徹底

的であるが、常識はずれの迷信者であるようにも思われる。

 また、頭がフラフラしたという事から、満三年も寝たきりになっ

たとかいう事は、常人の真似(まね)もできない事であって、常人は退屈の我

慢ができなくなって、ツイツイ起き出さなくてはいられないものであ

る。それを神経質は自分が少しでも動いては生命に懸わるという理屈

を押し通し、あれもこれもして見たいとかいう人情の欲望を抑えつけ

てしまう事ができるのである。

 この神経質の徹底的という事が、最も有難いところである。昔から

釈迦(しゃか)でも、白隠(はくいん)でもその他の宗教家でも、哲学者でも、皆徹底的に苦

しみ抜いた人ばかりである。少しも煩悶(はんもん)し苦労した事のない人にろく

人はいない。

 ここでも、倉田氏でも佐藤氏でも、徹底的に強迫観念に苦しんだ人

である。「大疑(だいぎ)ありて大悟(だいご)あり」で、その人は必ず、生来(せいらい)立派(りっぱ)な人間

であって、それが(さと)って成功したのである。この点から諸君は、ただ

私のいう事を丸のみに聞いて、徹底的に苦しむべきを苦しみさえすれ

ば、それで万事が解決するのである。

  冷たくとも冷たくない煩悩(ぼんのう)(そく)菩提(ぼだい)

 佐藤君の今の「あるがままに」の説明が少しくどい。くどくなると、

「あるがまま」からますます遠ざかる。倉田氏の「治らずに治った」

というもの、あまり説明にとらわれ、いくらかまだ自分の強迫観念に

未練(みれん)があり、「あるがまま」になりきっていないという疑いがある。

 人に教えるには、ただ「治った」だけでよい。朝洗面の水が「摂氏(せっし)

4度であるけれども冷たくない」といえば、正しいけれども、「水は

冷たいけれども冷たくない」といえば、言葉の使い方の(あやま)りである。

その本人が冷たくなかったならば、それだけでよい。

 私がいま一貫目(いっかんめ)以上の着物を着ている。少しも重さを感じない。こ

れを、ことさらに「重くても重くない」といえば、事実ではない。す

なわちこれを(ぜん)(ことば)でいえば、「(あん)(じょう)なく、鞍下(あんか)なし」という

ところであろう。

 もし、これが夏これだけの着物を着れば重い事であろう。今もし裸

体になれば、震えるという筋肉運動が起こる。この運動が重い衣物を

持ち上げているという力に変化してここに調和がとれている。外界と

我との調和がとれている時に自覚がない。すなわち主観的には、ただ

「治った」「冷たくない」「重くない」のである。摂氏4度というの

は客観的記述で、冷たくないとは主観的の記述であるのである。

 強迫観念というのは、心の悩みに名付けたものである。着物が重く

て苦しいと同様である。その心の悩みというのは、例えば自動車を買

いたいけれども、買う事ができないということ、これを悩みと()ずれ

ば、強迫観念になるけれども、これを当然の事と思えば、悩みではな

い。すなわち、「悩みであるけれども、悩みでない」という言葉は成

り立たないである。

 今日は「煩悩(ぼんのう)(そく)菩提(ぼだい)」という問題が出ましたが、これは「煩悩即涅(ぼんのうそくね)

(はん)」「煩悶(はんもん)(そく)解脱(げだつ)」「雑念(ざつねん)(そく)無想(むそう)矛盾(むじゅん)(そく)統一(とういつ)」「諸行(しょぎょう)無常(むじょう)(そく)安心

立命」「強迫観念即安楽」「着物が重い即無一物(むいちぶつ)」「火も(また)涼し」と

かいうのは皆これと同様である。

 これは理屈は難しかろう。仏教では、どんな風に説明するか知らな

いけれども、体験ではなんでもない事ですぐわかる事です。要するに

煩悩とは物の燃焼という風に、心の拮抗作用における葛藤の現象を客

観的に名付けた言葉であって、菩提とはその苦悩も熱いという事も感

じないという無関心の状態を主観的に名付けたものである。

 しからば、何故にこの様な矛盾した難解の文句が必要かというと、人

に教えるために、この様な言葉を用いれば、最も手っ取り早いという

訳である。すなわち煩悩・強迫観念・その苦痛そのままでよし、徹底的

に苦しめ、しからばそのままに解脱して安楽になるぞ。火は熱い、水

は冷たい、あるがままに見よ、当然の事とせよ、しからば火もまた涼

しくなるであろうと、この様に教えたいために、古人がいったのでは

なかろうかと、私が盲目(めくら)で、僭越(せんえつ)ながら、私の体験から、このよう

に推察するのである。

私は無言ですと断れば、既に無言ではない

 これを一歩(あやま)りて、「あるがまま」でよい。「悟らぬままが悟りで

ある」「知らぬが仏」とかいう風に、聞き違えると、赤ん坊や白痴は

悟りであり、草木はそのまま成仏するとかいう事になる。それではい

けない。煩悩が大きいほど、その涅槃(ねはん)も大きく、学校も年限が長いほ

ど、その卒業も立派であり、強迫観念が激しいほど、その悟りも大き

く解脱が大歓喜になる。富士登山が困難なほど、その頂点が嬉しい

のである。また疑惑のない悟りは、入学しなければ卒業ないと同様

である。寒い時に着物を沢山に着て、釣り合いのとれた時に安楽であ

る。欲望にそそのかされる、忙しい世の中に、あれもこれも、ハラハ

ラと四角八面に心の働いている時に、心の調和がとれて、安楽解脱に

なるのである。単なる裸体で、なんの欲望もないのが安楽ではないの

である。

 佐藤君が私の著書を読んで、「あるがまま」という事にとらわれ、

ますます苦悶(くもん)を重ねたという事があるが、それは自分で「あるがま

ま」という事を工夫し詮索(せんさく)したからである。「あるがまま」といわれ

るままにハハアなるほどと受け取りさえすればよい。隊長が「右向け

右」といえば、自分はただ右向きさえすればよい。自分で改めて、そ

の号令をかける工夫をしてはいけない。

 加藤さん…「ハ」貴方は人から呼ばれる時、何といいますか…

「ハ」といいます。

 その前の「ハ」があるがままの応対であり、後の「ハ」が実際の返

事でなく、仮構(かりかまえ)(てき)のものであります。加藤さんと呼ばれて、「私は即

座に返事をすべきであります」といえば、それは気合の入った返事と

みなす事はできません。「私は今無言です」といえば、それは無言で

はありません。「この御恩は一生忘れません」とかいう人は、翌日は

はや忘れている人であります。事実と理屈とは天と地とのように相

違のあるものである。という事を心得なければなりません。

 ここで私の治療を受ける人は、私が右向けといえば、そのまま右向

きさえすればよい。少々戸惑いするくらいの事は少しもさしつかえな

い。煩悶(はんもん)せよと私が(むち)うてば、そのまま住生して、しかたなしに苦し

んでいさえすればよいのである。

座敷(ざしき)の真中に坐る

 友田氏 私のことは本誌第一号に、「希有(けう)なる強迫観念」として出

ているものです。私は13年来、これに悩んだもので、我ながら馬鹿

ばかしいものですが、家の内にいるとき、丁度座敷の真中に座ってい

なければならね。それはいろいろの(とが)ったものが身体にささりはしな

いかという心配で、戸や柱や障子からなるたけ離れていなければなら

ぬ。物に触れば、早速手を洗わねばならぬ。爪の先から洗えば、汚物(おぶつ)

が入るようで、手首から洗い始める。洗う数も偶数でなければ気がす

まない。それで風呂に入るにも2時間くらい、食事や便通(べんつう)にも半日も

かかるという風であった。

 帝大(ていだい)精神科で、梅毒(ばいどく)検査(けんさ)もされたけれども陰性であった。リンゲル

の注射も効かない。(しん)薬坂(やくざか)の注射療法やさまざまの療法を受けた。

 去年の9月に入院して、今は日常生活にさしつかえありませんが、

現在私の考えている事は、我々は完全欲が強くてどこまでも徹底的に

やりたいという事がある。それは発明とか研究とかには必要であろう

が、我々の日常生活を破壊(はかい)するような迷いの完全欲は、これを思い切

って、ただこれを忍受するよりほかにしかたがないと思う。もしこの

考え方が間違っていたらば、お直しを願いたいのであります。

  完全欲をますます発揮せよ

 森田先生 我々の完全欲というものは、どこまでも際限(さいげん)なしに、押

(のば)して行かなければならない。友田君のように座敷の真中に座りき

りというのは、不完全の満足であって、真の完全欲ではない。あるい

は単一なる完全欲である。

 金さえ(たくわ)えれば、食うもの着るもの、どうでもよいというのは、完

全欲に似て非なるものである。我々はじぶんの生命の欲望を、どこまで

も完全にしなければならない。そうすれば必ず強迫観念の一方にのみ

とらわれから離れるのである。

 話は少し脱線するけれども、()という王様が、象牙(ぞうげ)(はし)こしらえ

時に、これは(おご)りの元であるからといって、これを使う事をやめた。

それは我々の自然に起こる完全欲のために、茶碗を金にし、お膳を(つい)

(しゅ)にし、家を建て直し、名使をどうするという風に、限りない事にな

るから、いけないというのである。これをちょっと思い違えると、そ

の象牙の箸を(みが)きに磨いて、袋に入れ、箱に収め、金庫の内にしま

、なお不安心で、日本銀行に預けるとかいう事が完全欲という事に

なるかもしれない。この思い違いが強迫観念の元であって、これは完

全欲ではなく、単なる空想的の完全欲であります。

  北風吹けども動かず天辺(てんへん)の月

 窪田(くぼた) 私は中学時代、参禅したが、先生の治療法は、禅の心境と

(ほとん)ど変わりがないようである。神経質には参禅もよいと思う。「北

風吹けども動かず、天辺の月」という様な心持で、結跏趺坐(けっかふざ)している

と、神経質なんぞは飛んでしまう。雲がかっかても、晴れても、やは

り月は独り(ひとり)皓々(こうこう)と照らしているという心境は立派なものです。

 古来、日本の偉人(いじん)はみな参禅(さんぜん)している。正成(まさなり)でも西郷隆盛でも・・・

・禅はインドから支那(しな)を経て我国に来て初めて完成したともいえる。

 森田先生 今の窪田君の月の(たと)えなどは、ここの療法で、この事を

患者が聞き損ない、思い違えてはいけない。それは月ならば、気がな

いから、それでよかろうけれども、人間は有情(ゆうじょう)のものであるから、雲

がかかれば、じれったく、晴るれば気分が清々(せいせい)するという風に、人の

心は細かく感じ幽玄(ゆうげん)に思い、適切に反応しなければいけない。ちょっ

と思い違えると、ここの治療を誤るのであります。

 身を捨てるとかいっても、実際に捨てられるものではない。空々(くうくう)(じゃく)

(じゃく)になるとかいっても、その通りになれないのが、我々の本来性であ

るから、無理な考え方をすると、かえって強迫観念になるのである。

何かと得をする

井上氏 私はここへ来れば、何かと得をする事が多い。先日は外来

患者に対して、先生が「あるがまま」という事について、例えば途中

で雨が降り出したとき、人はどうするか。あるいは(えん)タクを呼び止

め、あるいは夕立ならば軒下(のきした)で少しく休み、もし家が近ければ、羽織(はおり)

かぶって()け出すなどで、その時と場合に応じた自分のベストをや

るのがすなわち「あるがまま」であって、これに反して、ここが「あ

るがまま」を体験すべきの時だ、雨は当然()れるものであるから、こ

れに()れるのが「あるがまま」であり、これを苦痛を忍受すべきであ

り、境遇に服従すべきであるとか、なんとかいえば、我々は物知りで

あればあるほど、ますます馬鹿げた事になり、全く常識はずれの事に

なってしまうのである。 神経質はこの理屈から割り出そうとするか

ら、初めて病的になるのであるというようなお話。

 またある患者が「どうも心があせってしかたがない」というのに対

して、先生は「あせる心は発展向上の原動力で、このハラハラする心

の多いほどよい」とかいう事の説明など、みな大いにうるところがあ

りました。

 自分の神経質については、かつて私が学校で、化学の分析をしてい

る時にドアの真鍮(しんちゅう)の引手をつかんだ手で、秤量(はかりりょう)を取扱えば、目方(めかた)

狂いができるのではないかと、一日気になった事があった。すなわち

すこぶる気分本位であった。

 先生の歌に、「()しというは何をすらん、花は散り、雷ははため

木枯(きか)れくるう」というのがあるが、憂しというものは、どこにも転が

っていない。ただ花が咲くとか、雨が降るとかいう事実があるだけで

ある。これをおのおのの人がただ憂しとか楽しとか、その時と場合と

によって、名付けるだけの事である。

 「大胆になれぬ」といって気がかりの患者に対して、先生が「終始気

を小さく、ハラハラしていればよい」といわれたが、(ちゃ)(つぼ)を開けるに

も、大胆にスポっと開けると、こぼれてしまうようなものである。先

生の教えられる事は、一つひとつ実行の上に役に立つのであります。

  捨身という事はすぐ体験ができる

岡上氏 前の会で、私が世話になった人の家へ行かなければならぬ

けれども、きまりが悪くて行けなかった事につき、先生から「きま

りの悪いままに、ビクビクしながら行けばよい。恥ずかしくて、言え

ない事は、言うに及ばない」という事を教えられて、行ってみると意

外の様子で、御主人も非常に親切に応対してくれたので愉快に堪えな

かったのです。そのお礼を兼ねて、私の体験をお話申し上げる次第で

す。                               

森田先生 岡上君は、その経験によって、捨身という事がわかるでし

ょう。この捨身という事は、武道をやると一番よくわかる。利巧な人

は、こんな些細な日常の事でも悟るし、知恵のないものは、大地震の

ような時でも悟る事ができない。

友達同士の間で、喧嘩して気まずくなっているものが、会などで偶

然あって、「ヤア」と挨拶したまま、すっかり感情のうちとける事の

あるのは、誰でも経験のある事で、赤面恐怖でもこんな時に悟れば悟

られるものである。人の心は、こちらから推測した事が、いつもいつ

はずれるものであるという事は、普通の人の経験する事である。そ

れを無理に我を張ろうとするから赤面恐怖も治らないのである。

  果して徹底(てってい)とは何ぞや

 野村先生 徹底というのは、どういう事かという事を考えてみた事

がある。

 室の掃除をする時に、掃き出しても掃き出しても(ごみ)が残る。朝日が

さしている所を見ると微塵(みじん)が見える。これをどうすれば完全に奇麗(きれい)

する事ができるかなど考えた事がある。              

 精神病者の内に、しばしば実に徹底味を持ったものがある。根岸病

院に柿六という50歳くらいの男の患者があるが、雨の日でも風の

日でも、朝から晩まで、(ほこり)掃き集めては捨て、絶えず庭掃きをやっ

ている。必要とか奇麗(きれい)にするとかいう事には無関心のようにも思われ

る。無感想の徹底である。

 また松沢病院に、男の患者で、雨が降っても雪が降っても、年中欠

かさず、車を引いて、各病棟の食物の残物を運ぶ事を日課としている

ものがある。

 この患者は、地面に投げ捨ててある魚の残りで(くさ)ったようなもので

も、これをつかんでペロペロ食う。全く犬や豚と同様である。()れた

というものか、感じがないのか、決してそれで腹に障るとかいう事は

ない。

 この様なのは、いずれも一面より見れば、徹底といえるであろう。

徹底的という事も、見る人の立場によって個々の場合を指摘(してき)できると

思う。

 行方(なめがた) 私は久しい間、書痙に悩んだものであるが、医者が、治せ

るか治せないのかわからないのに、いつまでも薬をやって、患者を通

わせておくという気持が不思議である。

 私も某大学の○博士にかかり、2ヵ月ばかりも電気をかけてくれ

て、一向治りそうもないのに、いつまでもいいとはいわない。○○博

士も、自分で書いた本の書痙のところでは、治らないと書いてあるけ

れども、行けばやはり治療をしてくれる。

 私は、ここと宇佐先生とで入院して、今はようやく用が(ととの)うように

なりましたが、手が震えるのを止めよう、止めようと努力する心がと

れなくて困まる。はからう心がいけないと思っても、どうしても自然に

はからう様になって困ります。

  呉服屋(ごふくや)でもお(ため)になりませんという

 森田先生 さきほど説明した「あるがまま」と同様で、どうせ「は

からう心」は、我々の心の自然であるから、その「はからう心」その

ままである時に、すなわち「はからわぬ心」になるのである。手の震

えを止めよう、止めようとする心でもよし、そのままに押し通せばよ

い。

 ただペンの持ち方は、決して自分の心持のよいように、持ちかえる

のでなく、必ず正しい持ち方をして、字は震えても不格好(ぶかっこう)でも、遅く

とも読めるように、金釘流に書くという事を忘れさえしなければよ

い。自分で書痙をよくしよう、治そうという事を実行しさえしなけれ

ばよいのである。

 また医者の心持については、大家になれば、診断のつかないもの

は、つかない。治らないものは、治らないという事ができる。けれど

も、とくに田舎の医者では、診断がつかぬといえば、この医者はだめ

だといって、決してかからない。(まこと)をいう医者が最も信頼すべきもの

であるという事を知らない。すなわち医者もあまり正直であれば、口が

()あがるのである。

 呉服屋でも、反物(たんもの)を買う時に、これはお為になりません洗濯がきき

ませんとかいって、強いて売りつけようとはしない。いわんや医者に

おいておやである。しかしそこが一概にはいえない。やはり職業の(こう)

()によって、人の品格の定まるものではない。人の品格によって、そ

の職業の尊卑(そんぴ)を生ずるものである。

 本誌第11号の巻頭にあげたように、医者にもいろいろあるが、学

医というのは、一見上品で偉そうであるが最も危険である。自分で経

験のないものでも、珍しいものは、研究のためにいろいろの療法を施

すのである。それなら治療費を取らなければよいではないか、という

訳には行かない。患者が信用しないでしょう。

        (『神経質』第2巻・第3号・第4号、昭和6年3月~4月)