第7回 形外会  3

 
絶えず戦々恐々(せんせんきょうきょう)としていればよい

 山野井君 私もただいまの方と同じ境遇(きょうぐう)で、去年45日間ほど入

院しました。症状は対人恐怖と書痙(しょけい)と自動車に対する恐怖とでありま

した。退院の時は、どうも思うようによくならなかった。それで会

社へ行くのがいかにも恐ろしく、随分(ずいぶん)悩みました。こんな風で、自分

の入院の効果が疑われ、先生をも恨んだ次第でありました。それでも

いよいよ意を決しまして、会社に行った時は、胸はふさがり、足は地

につかないような風でありました。致し方なしに重役の前に立ったの

でありますが、3言、4言と重なるにつれて、今までとは打って変わ

り、愉快に応対する事ができて、しまいには自分の入院当時の有様か

ら、療法の内容に至るまで、詳しくお話して、上々の首尾で帰ってま

いりました。それからすぐ先生に手紙を書こうと思った時、書痙も全

治していた事がわかったのであります。

 このようになったのは、結局自分は、どうにもならぬ事であるか

ら、人に対して捨身で行こうと決心してからの事でありました。

 今も私は、自分が絶えず戦々恐々としていさえすれば、人に迷惑も

かけずにすむかと思います。この度でも、やはり私は絶えずビクビク

しながら、お話している訳であります。要するに自分の構えのやりく

りについて、一切の工夫をやめて、事に当たるのが最もよいかと思い

ます。

  柔順と不柔順との一幅対(いちふくつい)

 森田先生 今、山野井君が「戦々恐々(せんせんきょうきょう)としていれば、人に迷惑をか

けない」と言った事は、非常によい心掛けかと思います。人に対して

親切の押売をして、強いて自分の意見をもって人に押しつける事は、

誠によくない事かと思います。

 山野井君は入院中、あまり書痙が治り(なおり)難い(がたい)から一時退院してみる

事に相談しました。そのとき、同君は会社を辞職して、田舎(いなか)に帰ると

申しますから、私はもし田舎に帰れば、書痙(しょけい)は決して治らぬが、強い

て会社に行っていさえすれば、必ず治るといって忠告しました。で、

同君は、そのまま従順に、私のいう通り実行したのであります。従順

とは、自分では訳のわからぬまま、信じる人のいう事を、(こころ)みに実行

する事であります。自分に理由が納得され、なるほどそれに相違(そうい)ない

とわかって、後にする事は、従順とは申さないのであります。このさ

い、山野井君の身になっては、字が全く書けない状態であって、しか

も字を書かなければならぬ職務に復職するのでありますから、どう考

えても不可能であり、無理な事ではありませんか。それにもかかわら

ず、山野井君が私のいう事を実行した。これが従順であります。

 岡上君は、さきほども私のいった「捨身になって、その世話にな

った人の家に行けはよい」という事に対して、よくわからぬと答えら

れたが、この山野井君と比較して、いかに著明(ちょめい)相違(そうい)ではありません

か。岡上君は、今も私のいった事に対して、自分の腑に落ちるまで、

その理由を考え、その結果を推測(すいそく)しているのであります。すなわちこ

れは決して従順とはいえない。どこまでも自分の知識を標準とするの

であって、これでは決して自分の知識以上の事の体験をする事はでき

ません。心機一転する事のできない理由がここにあるのであります。

 ここに現在、入院患者諸君の目の前に、柔順と不従順の見本が二

つそろっていますから、皆さんは、直ちにこれをもって、自分の手本

とすればよいのであります(笑声)。

 なお一言、加えて置きたいのは、山野井君はあまり従順で、私を信

じ過ぎるがため、入院中にも、規則を守るという事にとらわれ、常に

従順の稽古(けいこ)をし、修養のために努力するので、自発的の活動が現われ

てこない。そのために40日を過ぎても、書痙が治らず、私も随分残

念に思いました。しかるにその同じ従順の心が、ついにある機会に(そう)

(ぐう)して、心機一転の時節が到来したのでありました。

 香取君は、なんでもかでも、私のいう事をすぐ実行する人でありま

して、私の著書を読破して、多年の不眠は1週間で治り、心悸亢進発

作も、恐怖のままに、思い切って汽車に乗り通して、一挙にして治

り、また常に起りやすかった疲労感は、私のただ一回の外来診察で治

りました。それでいわゆる神経質の症状は、すべて治ってしまいまし

たが、ただ修養という事のためにのみ、ここへしばらくの間、入院し

ておられたのであります。同君がすぐに実行なさる事は、手紙を書く

事でも・・・・そうですね。

  船の出発を待つ間の手紙

 香取会長 今の手紙という事は、皆さんの御参考になれば幸いかと

思います。それは入院当時、字の下手な人がありまして、先生がその

人に、古事記を写させて、一字一字を彫刻するつもりで書けといわれ

たこと。また先生は著書の原稿でも、いまだ下書きをした事がない、

という事を聞いて感銘した事がありました。

 それで私は従来、葉書や手紙の下書きをする事は勿論、先生のお話

でも、その項目を書きとり、その下書きをしてさらに清書するという

風に、随分手数をかけるのであります。

 しかるに前に第1回の入院途中で、急に商用で外国へ行かなければ

ならぬようになって、その汽船の中で、出発を待つわずか15分間に、

重要な封書を書いて出す事ができました。従来は決してこの様な事を

した事がありませんが、やってみれば、下書きをしたと同様の出来映

えであります。帰国する時の汽船でも同様の事をして、帰った後に、

この手紙が迅速のために、非常に利益を得たとの事でありました。

 なんでもその事を実行してみなければ、想像では決してわからぬ事

であります。諸君は現在、この山野井さんのように治った人の真似を

する事が、一番早い治療法かと思います。

  算術の教授法

 井上君 私の世話してやりたい子供で、今度中学の入学試験を受け

るものがあります。それが算術が嫌いで、なかなかやらないので困り

ますが、こんな時に、どうすればよいか。何か御注意して頂くような

事はないでしょうか。お教えを願いたいのであります。

 森田先生 いま私の申します事が、皆さんの参考になれば好都合か

と思います。これはここの読書法でも、同様の意味を持つものであり

ますが、その方法はその子供に、一日に3回でも5回でも何回でもよ

い。2分間でも5分間でも最も簡単にいえば、1から9までの数字を

何回でも、丁寧にくり返し書かせる。すなわち本人が、苦痛と骨折り

を感じないような、容易な問題を与えて、楽にやらせる、それで2時

間も3時間も本人がいやになるほどやらせるとか、難しい問題を、必

ず出来上がるまでやめさせないとかいう風にしないことを実行させれ

ば、必ず僅少(きんしょう)の日数の後に、本人の興味がでて自然に自発的にやるよ

うになる事と考えます。これも実行してみなければ決してわからぬ事

であります。

 

  8時半、香取会長の閉会の辞あり。次回は12月の第一日曜午

後2時からとする。

  閉会後、なお一部の会員は残って、談話に時のたつのも忘れた。

      (『神経質』第2巻、第1号・第2号、昭和6年1月~2月)