第12回 形外会  昭和6年5月24日

   午後3時開会、出席者は佐藤、野村両先生も来会、そのほか会

   員27名。

   まず日高副会長の開会の辞をもって始まった。

 森田先生 この会は、勿論、私の召集するものでない事は、御承知

の通りである。ただ皆様の好きな通りにすればよい。遠足の催しも面

白かろうし、講談師を呼ぶのも、名士の講演を頼むのも、いずれもよ

い事である。ときどきは変わった事をしなければ、飽きるかも知れな

い。私はなんでも皆様が、なるたけ面白い中に効能のあるように、こ

の会をして行きたいと思うのであります。

   次に例の如く、会員の自己紹介があった。その内の一部を左に

挙げる。

  処世の修養法

 日高氏 私は大正14年の夏、50日ばかり入院しました。症状は

神経質の一般症状の上に、赤面・対人恐怖でありました。退院後はし

だいによくなって、大いに活動のできるところのある力を得たのであ

る。今は一般の人が、不況のために、職にとらわれ、失職を恐れて、

自己発揮のできてないのを見て、ふがいないように思っている。自

分はいま常に自己発揮の喜びに日々を送っている。先生の療法は、単

なる症状の療法でなく、処世法の修養であると考えております。

 石橋氏 私は入学試験のため神経衰弱になり、間違恐怖のため、勉

強ができないようになり、昨年7月、古閑先生のところへ入院して、

いつとは知らずに全治しました。今は古閑先生のお宅から学校に通っ

ています。

篠崎氏 私は対人・赤面・完全欲恐怖などにかかって種々(しゅじゅ)の治療法・

健康法等をやり、かえって思想の矛盾に陥りました。毎日、三省堂へ          

行って『根治法』を読みました。読む間に、店員がにらんでいるよう

に思われ、苦しかったけれども、我慢して読んでいた。完全欲恐怖の

ためには、1枚のハガキを出すのに、5枚くらいも書きつぶした事が

あったが、今は1枚ですむようになりました。不潔恐怖もあるが、

今は我慢してやって行かれるようになりました。

 越川氏 私は不潔・間違・対人・赤面恐怖、肩の凝り・不眠その

他の症状がありましたが入院して殆ど治りました。その治り具合を後

から考えてみても、いつどうして治ったかという事がよくわからない

のであります。

 井上幹事 私共も、今になって昔の症状を思い出す事ができず、そ

の当時の日記を見ても、かえって真実のように思われないのでありま

す。

 井上氏 私は外出恐怖で、一人で外出できなかったのですが、今

年3月に入院して、全治する事ができました。

  どうしてこうなったか自分にもわからない

大西氏 私は赤面恐怖・読書恐怖・頭痛などがあって、60日入院

しました。現在ここから帝大の方へ通学しております。入院の時に、

40日くらいでよくなるといわれたが、その頃から先生のお話がよく

わかるようになった。その前、初めて外出を許された日に、自動車で

皆とともに、先生に上野の花見に連れていってもらったが、自分では、

まだ外出が早過ぎると思い、皆と一緒に行くのが苦痛であった。その

時にその通り日記に書いたら、先生に注意を受けました。私は常に自

分が、よりよく完全に治りたいために、自分の症状の良い方は少しも

いわず、一般にレベルを下げて、悪いように悪いように日記に書いて

いたから、ある時先生から、治りにくいから分院のほうへ回すといわ

れ、驚いてそれから後は、良い事を書くようになりました。

現在は赤面恐怖の方もなくなり、会などへ出席しても自分の意見を

いう事ができるようになりました。読書も今では、静かなところより

は、かえって電車の中などで、よく読めるようになりました。どうして

こうなったかという事は、自分でも不思議に思うくらいであります。

中島氏 赤面・対人恐怖で入院しましたが、前には殺人恐怖で悩ん

だ事もありました。入院来、理屈ばかりいって今さら後悔しています。

松本氏 私は対人・赤面恐怖に苦しむこと10年間ほどであります

が、前には人生に全く希望なく、暗黒(あんこく)であった。5年ほど前に、先生          1

の著書を読んで、わずかに希望を懐く(いだく)ようになった。家庭の事情で、

入院治療を受ける事ができず、著書によって自己療法を試みていた

が、だめであった。時どき自殺を考えるような事もあった。一度先生

の治療を受け、将来に対する希望がなければ、最後の決心をしようと

思って、現在入院中であります。ただいまは前と異なるところは、苦

しい事は苦しいままに、仕事ができるという事であります。              

 厚川氏 私は10年間、種々(しゅじゅ)の症状があって、病名不明でありました

が、先生の診断により、神経質という事がわかり、まもなく全治する

事ができました。           以上自己紹介終わり。

  療法の意味は常識ではわからない

 日高副会長 世の中には、神経質で悩んでいるものが、随分沢山い

るから、お互いに連絡をとって、その苦しみを救う事ができれば、非

常な幸せである。対人恐怖などがどしどし治るようになれば、社会に

対する貢献(こうけん)はなかなか大きなものである。

 私共も、昔は一定時間以上、眠らなければならないと思って、非常

に心配したが、今では夜ふかしをして勉強しても、少しも身体に(さわ)

ものではないという事を知り、非常に能率があがるようになりました。

 森田先生 ここへ入院して、途中で退院し、治らない人は、この療

法を恨み、あるいは排斥(はいせき)する事でありましょう。それは当然、ちょっ

と常識ではこの療法の意味を知る事ができないからであります。入院

した人でも、単に自分の症状が全治しただけでは、まだ同病(どうびょう)相憐(あいあわれ)むと

いう情が乏しくて、この喜びを同病者に広くわかとうとしないのが残

念である。単なる自己中心主義で、この会へ出席しても、例えば不眠

なり、赤面恐怖なり、自分自身の症状に関係のないものは、他の神経

質の症状に対して、興味を起こすに至らず、面白くないといって、出

席しないようになるという事が多いようである。やはりお互いには、

多少の犠牲心というものがあって、単なる目前の自分の利益ばかりで

なく、他の多くの同病者のために、努めてこの会にも出席して、一般

のためにもはからなければなりません。我々が修養を積むには、単に

自分の事のみでなく、広く一般に神経質の心理を知るという事が大切

であります。

 ここでよく修養の積んだ人、心機一転した人は、皆多くは宗教的の

いわゆる法悦(ほうえつ)というような心境をうるのであって、その時は常に必ず

同病者はもとより、一般の人びとにもこの喜びをわかちたくなって、

犠牲心も起こるようになるのであります。

 石橋氏 受験生の内にも、対人恐怖は随分あろうと思います。受験

雑誌の相談欄に「そんな事をいうのは気の小さいためで、男子たるも

のは、気を大きく持たなければならない」などと教えてありますが、          2

私は森田先生が、この相談欄を受け持たれたらと思われる。

 野村先生 私の知っている小説家で、不眠に悩む人があった。先生

の著書で「7時間以上、床の内で寝ていてはいけない。睡眠などは、

どうでもよい」という事を知り、不眠が全治して非常に喜んでおりま

した。

 私は話が下手で、(くちばし)が短いといわれた事がある。学生時代に、演説

会で立ったところが、(まばた)きして涙が出て、それを学生から「泣くな」

弥次(やじ)られて困った事がある。それ以来、大勢の人の前や知らぬ人の

前では、話ができないようになった。その代わりに自分の思想を書き

表わす事に興味を持つようになり、小説などをも書いて、今は話す方

よりは書く方が楽なようになりました。「神経質」の編集にも興味を

もってするようになっています。

  ハラハラしているようでなくては

 松本氏 先生が「絶えずハラハラしているようであれば、よくな

る」といわれた事は、自分が独りで自分の部屋にいる時には、その必

要はないと思うが。

 森田先生 君は昨日、台所やその他で働いて、一日中ハラハラして

いたのではありませんか。これは忙しくて絶えず気のもめる有様をい

うので、食欲が高まって、いつも腹がへっているという事に比較すべ

きで、仕事欲の旺盛になった時の事をいうのである。そうあせらなく

ては、ならぬというのではない。腹がへらなくては、いけないという

のではない。我々が自分を自然の心身の状態に置けば、自然にその様

になってくるものである。

 君の質問の仕方は神経質の特徴であって、自分をハラハラさせなけ

ればならぬ、物を食べたいと思わなければならぬというので、自分を

かくあらなければならぬと、人為的(じんいてき)作為(さくい)しようとするものである。

 ハラハラというのは、あれもしなければならない、これもしたいと

いう欲望の高まる事であって、これがために自分の異常に対して、一

つひとつこだわっていられなくなり、そこに欲望と恐怖との調和がで

きて、神経質の症状がなくなるのである。ちょっと考えると、忙しく

て気が(まぎ)れる、という風に解釈されるようであるけれども、決してそ

れだけではない。

 ここの療法で、その症状だけは、単に苦痛もしくは恐怖そのもの

になりきる事によって、治る事ができるけれども、これが根治するの

に、さらに欲望と恐怖との調和を体得する事が必要であります。

 苦痛・恐怖になりきるという事は、その苦痛をそのまま忍受(にんじゅ)する事

であって、例えば今日の外来の一患者は、先日の診察で、いくら不眠

でもさしつかえない、薬を飲んだり、(ねむ)る工夫をしたりしてはいけな          3

いという事を実行したために、不眠そのものになりきって、早速、そ

の晩は安眠ができたという事であります。

  死は恐れざるを得ない

 藤江夫人 心臓麻痺のための死の恐怖でも、やはり同様の考え方で

よいのでしょうか。

 森田先生 全く同じ事です。我々の最も根本的の恐怖は、死の恐怖で

あって、それは表から見れば、生きたいという欲望であります。これ

がいわゆる命であっての(もの)(だね)であって、さらにその上に、我々はよりよ

く生きたい、人に軽蔑されたくない、偉い人になりたい、とかいう向上

欲に発展して、非常に複雑(きわ)まりなき吾人(ごじん)の欲望になるのである。それ

で我々は、自分はどうしてこの様な欲望が起こるか、なに(ゆえ)に病気が恐

ろしいか、不眠が苦しいとか、種々(しゅじゅ)の場合と条件とを、自己反省によっ

て追求して行くと、その根本的の意味がわかってくる。これを自覚と

いって、修養が積むほど、その自覚が深く正しくなってくるのである。

 まず私自身の自覚について、一例を挙げてみれば、私にとっては死

という事は、いかなる場合、いかなる条件にも、常に必ず絶対的に恐

ろしいものである。私はたとえ私が125歳まで生きたとしても、

その時に死が恐ろしくなくなる事は、決してないという事を予言する

ことができる。私は少年時代から40歳頃までは、死をおそれないよう

に思う工夫を随分やってきたけれども、「死は恐れざるを得ず」とい

う事を明らかに知って後は、そのようなむだ骨折りをやめてしまった

のであります。

 また私の自覚によれば、私は死の恐怖のほかに、生の欲望というも

のが、はっきり現われております。私は今年3月に、死ぬか生きるか

の大病をやりましたが、非常に苦しくて、全く身動きもできなかった。

数日の後、まだ死の危険の去らない時から、看護婦に源平(げんぺい)盛衰記(せいすいき)を読

ませた。少しく病が楽になるに従って、その本の中からちょっと疑問

が起こっては、野島君に保元(ほげん)(らん)の原因を調べてもらったり、理屈の

上では、全くつまらぬ事までも、調べてみないと気がすまないという

風であります。

 昨年亡くなった私の子供も、死ぬる前日くらいまでも、看護婦に本

を読ませた事がありました。思うに我々は、死ぬまで食う事をやめ

ぬ。やめれば死ぬる。この食欲と同じく、知識欲でも、その他の欲ば

りでも、命の続く限りは、やまぬものと思われる。これが理屈の外の

本態であり本来性である。私の妻の父は、82歳で亡くなったが、

死に迫った時にも、ある田地(でんち)貢物(みつぎもの)を、まけてはいけないといって(さし)

()した事がある。                                 

 今度、私の3月の病気の時も、自分は心臓性の喘息(ぜんそく)であるから命が          4

危ないと思い、古閑君か佐藤君か、よく覚えていないが、死んだら解剖

の事を頼み、また井上君や山野井君や修養のできた人には、危篤の電

報を打ち、香取君には電話で、きてもらった。それは私が死ぬる今は

の実際の状況を見せて、参考に供したいと考えたからである。つまり

肉体的解剖でも、臨終(りんじゅう)の心理的実況でも。これをむだにしないで、有

効な実験物として提供したいので、あるいはこれを功利(こうり)主義といえる

かも知れないと思うのである。

  浴ばりの心はあきらめる事ができぬ

 この欲ばるという事は、何かにつけて、あれもこれもと、絶えず欲

ばるがゆえに、つまり心がいつもハラハラしているという事になる。

慢性の病気で衰弱すれば、食欲もなくなるとともに、欲望もしだいに薄

くなってしまうが、健康な間は、ますますこのハラハラが盛んなはず

である。今度の私の病気の時も、少し苦痛が楽になると、論語のよう

な一句一句のものを、静かに味読(みどく)する事ができる。この時期には、ま

だちょっとしたものでも、続いたものを読む事はできない。こんな

論語や何やの文句を記憶して、これをあの世へ持って行こうというの

は、少しも理に合わぬ事である。すなわち、神軽質の患者で理論にと

らわれてしまう時には、勉強も欲ばりもすべて放棄してしまう事があ

る。すなわち私のいわゆる純なる心、自然の心を没却(ぼっきゃく)して、思想の矛

盾に陥るのであります。

 上に述べた事が、いわゆる生の欲望であるが、私がこれをさらに私

の心の奥へ奥へと反省を進めて行くと、私の心は、いわゆる「欲の袋

に底がない」とか、「(ろう)を得て(しょく)を望む」とか、私の生の欲望には際

限がないという事を、知るのであります。

 赤面恐怖でいえば、人に笑われるのがいやで、負けたくない、偉くな

りたい、とかいうのは、みな我々の純なる心である。理論以上のもの

で、自分でこれをどうする事もできない。私自身についていえば、私

は、これを否定する事も圧服(あつふく)する事もできない。私はこれをひっくるめ

て、「欲望はこれをあきらめる事はできぬ」と申して置きます。これ

で、私はこの事と「死は恐れざるを得ず」との2つの公式が、私の自

覚から得た動かすべからざる事実であります。

 常人には「まだ死ぬる事を考えた事がない」とか、「死ぬる事は少

しも恐ろしくない」とかいう人があり、また修道者は「死を恐れない

工夫をする」とかいう事があるが、私はこれらはみな自覚が足らぬか

らではなかろうかと思います。

  名誉ある大敵(たいてき)には命も惜しくない

 さて、話が少し飛んで、キリストが断然決心して、十字架にかかっ          

たとか、日蓮が首を打たれんとして自若(じじゃく)であるとか、親鸞が流罪(るざい)にな          5

って、かえって辺鄙(へんぴ)を教化する事ができる、といって喜んだとかいう

事は、その表面から見れば、「死を見ること帰するが(ごとし)」という風         

であるが、実は決して死を恐れないのではない。我々が寄付金をする

金が欲しくないのではない。寄付によって、その金を有効にしたいが

ためである。これを相対性原理で説明すれば、最もわかりやすい。死

の恐怖も生の欲望も、決して絶対的の存在ではない。相対を離れて、

これらの事実は、全く成立しないのである。

 相対性とは、2つのものの釣り合いである。自分が歩いている時

に、自動車が通れば、非常に早く見えて、自分が吸い込まれるように

感じるが、自分も自動車に乗っていれば、他の自動車は動いていない

ように見えるのである。

 欲望が非常に大きければ、死の恐怖も消失して見えないようにな

る。相対関係であるから、死の恐怖がないのではない。敵に対する時

でも、つまらぬものにかかれば、「犬死に」というが、名誉になる大

敵に向かえば、命も惜しくなくなるのである。

 ここで、もう1つ苦痛と欲望との相対関係を、他の卑近(ひきん)な例で説明

してみます。いま、林檎(りんご)を1つ(さかな)(ちょう)まで、買いに行くとする。つまら

ぬ仕事で、誰でも面倒で、いやな事である。しかし暇で退屈で、散歩

だといえば面倒でもない。またこれを先生に頼まれると、喜んで飛ん

で行く事がある。それは先生に恩をきせる事ができるからである。自

覚の修養のできていない人は、こんな場合に、「私は林檎を買いに行

く事が好きだ」という。自分と一緒に走っている自動車を、あれは動

いていない、と主張すると同様である。次にこの人が、女中に林檎買

いを頼まれると、「(おれ)は林檎買いくらい嫌いなものはない」というの

である。もし人がよく修養されていて、林檎買いは面倒という事と、

先生には奉仕したいということとの、本心の両方面を明らかに自覚し

ているならば、その人の行動は、臨機応変、自由自在であって、先生

が林檎を頼めば、自分は外出のついでの人か、誰かに頼んで、買って

きてもらい、さらに自分は、皿やナイフや、食べる用意をして、何も

かも間に合って、充分に先生に奉仕の目的を達する事ができる。単に

林檎買いという事のみとらわれる人は、ほんの「お使い歩き」とい

う事以上の事はできないのである。

 生の欲望と死の恐怖という事は、私の『根治法』の中に書いてある

から、そちらでわかる事と思います。

  乃木将軍でも切腹すれば痛い

 日高氏 昔の武士が切腹のとき、従容(しょうよう)として死につくとかいうの

は、ただいまの先生のお話によって説明ができるのではありますまい

か。                         
 森田先生 勿論、これは相対性で説明すればわかりやすい事と思わ

れる。こんな事を考える時に、私は抽象的でなくなるべく具体的に、

例えば幡随(はんずい)院長(いんちょう)兵衛(べえ)が殺されに行ったとか、有島が縊死(いし)したとか、()

()将軍の切腹とかいう風に、1つ1つの事を例にとる方が考えやすい

と思うのであります。

 乃木さんでも、腹を切れば痛い事は、誰でも想像できる。また林檎(りんご)

買いが面倒と同様に、死ぬる事の面白いものもない。いま乃木(のぎ)さん

の、神様のような人に対して、私共が想像する事は、はなはだしき(ぼう)

(とく)の事であるから、それはいうべからざることである。なんとなれば

我々は、自分の体験以上の事は、知らないからである。すなわち自分

以上の人を、想像によって、批評(ひひょう)することはできないのである。

 ただ1つ、私が昔から乃木将軍に対して、私どもの凡慮(ぼんりょ)から、同情

()えないのは、将軍が2人きりのお子様を全部、(りょ)(じゅん)で失われた事

であります。また乃木将軍は、その下に旅順で、多くの兵卒を殺し

た。これがために将軍が、その遺族に対して、深き同情を持った事実

は、一般の人の知るところである。これがもしナポレオンであった

ら、どうであろう。エマーソンは、「ナポレオンすなわち俗人(ぞくじん)」とし

て、代表的偉人の評論をしてあるが、ナポレオンは、軍隊の全滅でも、

ほとんど平気であったようである。彼の野心の欲に対しては、相対性

において、いかなる愛情も憐愍(れんびん)も無視されてしまうのである。

 乃木将軍にしてもし上述(じょうじゅつ)の条件がなかったならばそれでも割腹(かっぷく)され

たかどうかという事は、なかなか疑問であらねばならないのである。

  さもないようにニコニコする

 井上氏 先生が死後の解剖を依頼される時に、ニコニコして、普通

の話のように、いわれたというのは、どんな心持であようか。

 森田先生 一口にいえば、「負けおしみ」といってもよいかも知れぬ。

死は恐ろしい。解剖も気味が悪い。それを、さもないように見せかけ

るのが、ニコニコになるのである。若い女の人が死んだ家へお(くや)

に行って挨拶(あいさつ)の時に、知らずしらずの間、ニコニコと笑っているのが

普通である。これは会釈(えしゃく)(わら)いといって、人に接するとき、愛敬(あいけい)を示す

という(ほとん)ど本能的の笑いであって、本人にも気がつかないのである。

我々には、この「見せかけ笑い」というものは平常(へいじょう)にある事である。          

(まつ)(おう)(まる)が、自分の子の首実験のとき、なんとか、かとかいって、ゲ

ラゲラ笑う。作り笑いであるが、私のニコニコはこれにも似ている

のである。

なぜこんな事が面白くなかったろう                 

 大西氏 私は以前、読書する時は、常に頭痛が起こった。本を開け

れば頭痛がした。私は対人恐怖よりも、頭痛の方がなかなか取れなか

った。あるとき、何かの事から、日記で先生があと3日で頭痛がとれ

ると書かれて、その通りに頭痛が治りました。私の頭痛は、高等学校

時代が最もひどくて、町を歩いても、どこを通ったかわからぬほどで

ありました。

 井上氏 私も随分(ずいぶん)頭痛がしたが、私のは左側で、その時は鏡を見て

も、左の額の辺が膨らんでいた。

 その当時、松本京太郎氏の実験心理学を読んで、(ぺいじ)がめくれないほ

どであったが、現在では、スラスラと読めるようになった。今は心が

絶えずハラハラしていて、ここで会をしているうちにも、周囲に起こ

るさまざまの事に、気がついている。皆様のお話を聞きつつ、会の食

事の世話を焼きながらも、野球の終わりを告げるサイレンにも気がつ

く、という風である。

 今では1年中、頭の痛い事は殆んどなく、前の事を思うと不審(ふしん)なくら

いである。不眠も同様で、今は6時間眠っているが、1時間でもよい

と思っている。

 入院中、起床第1日に、入浴が1時間もかかって、奥様から叱られ

た事がある。修養して後には、絶えずハラハラしているので、ゆっく

りはいるように、といわれても、落ち着いて、はいっている事ができな

い。小野さんは奥様に注意せられて、石鹸も使わずに、すぐに出たと

いわれたが、私は石鹸も必要に応じて使い、なるたけ完全に、迅速(じんそく)に、

適切にと、常に気をもんで、ハラハラしている。

 学校で多くの学生が、面白くない講義には出ないが、この頃は私

は、どの学課もみな非常に面白い。退院して後に、以前にはなぜこれ

が面白くなかったかと不思議に思われるのである。

  でたらめで気合術(きあいじゅつ)をやった

 厚川(あつかわ) ある人が、私を気合術で治してやるとの事でやってもらっ

たが、何回やっても、かからない。ある日私はあなたを信じないか

ら、やめるといったところが、埼玉県の厚田という課長も、私の気合

術で治ったという。早速私は友人に問い合わせたところが、そんな人

はいないとの事である。私はそんな(きょ)(げん)をいう人は、信じないから、か

からないといったら、その人は今日、もう一度かけるといった。かけ

たが、やはりかからない。その人が帰って後に、急に身体がゾクゾク

して、2日2晩、眠る事も食事する事もできない。さては、あの気合

術師がやった事だなと思った。1週間ばかりも、震えが止まらなかっ

た。この原因を考えてみると、その人が、もっと憤慨(ふんがい)して、強い事を

いうだろうと予期したのを、思いがけなく、おとなしく帰って行った        2              

から、私の気が急にゆるんで、こんな事になったのかと思われる。

 中島氏 私は桑原(くわばら)越山(えつざん)氏について、強迫観念治療のため、気合術を

受けたが、強迫観念はますます重くなるばかりであった。その後私は気

合術を覚えて、友人の歯痛にやったところが、すぐ治った。私は訳は

知らないから、ただでたらめにやった。その局部を見つめてやった。

またある人には、やったけれども治らずにアスピリンで治った。これ

をみれば、信ずる人は治る。いままで私のかけた人は、みな信ずる人

ばかりであった。あるとき、父が歯を痛んで、私が大きな気合でやっ

つけたら、ビックリして治ったといった。いずれもでたらめである。

 森田先生 3,4年前に、通俗医学社から、日本全国の精神療法家

を調べたところが、3百余種あったとの事である。今頃は、さらにま

すます増加した事であろうと思う。それは同一性質の療法にも、おの

おのが(ひと)天狗(てんぐ)になって、特殊の名目をつけるからである。わずかの

相違を盾に取って、それにいろいろの理論をこじつけて、自分が元祖

となるからである。カイロブラクチック・血液循環療法・震動療法・

触手(しょくしゅ)療法・指圧(しあつ)療法とかいうが如きである。

 気合術なども、無鉄砲(むてっぽう)盲目(めくら)療法ほど有効である。その治療心理や

病の適応症などがわかるようになれば、もはや気合が(にぶ)って効力が少

なくなるのである。歯痛には、加持(かじ)でも気合術でも催眠術でも、最も

()きやすいものである。真言宗(しんごんしゅう)御符(ごふ)など、これを柱に釘で打ちつけ

るとき、その打ち込むコンコンの音とともに歯痛は止まるのである。

しかし歯痛と歯の病気とは別であるから、痛みは止まっても、しなく

てはならぬ歯の治療は、捨てて置いてはならないのである。

 私はいま通俗(つうぞく)心理療法の本を集めていますが、井上君も先日、2冊

寄贈(きぞう)して下さいました。諸君(しょくん)ももし御不用(ごふよう)になったものがあったら、

御寄附(ごきふ)を願いたいのであります。

 私共この通俗療法について、その迷妄(めいもう)の点を指摘(してき)したい、と思う事

(つね)であるけれども、彼等にこれを理解させる事はできないで、かえ

って(やぶ)(へび)になる事が多いから、そのままにしておくのである。多くの

医者が、この様な療法家に係り合わないで、敬遠(けいえん)しておるのは、ちょ

っとこれに関係すれば、直ちにその名を利用して、宣伝に使われるか

らである。私はすべてこれらの療法は、みなその有効のところを自分

の方に取り入れ、迷妄の所を観破(かんぱ)せんがためにその療法を研究する事

が多いけれども、ややもすれば私共の名前を利用される事が多いので

あります。

治す努力が面倒なのである

井上氏 私は()る十七日に、霞ヶ関(かすみがせき)へ旅行した。朝の七時から、夜

の十一時までかかった。翌日は皆が、疲れた疲れたといっている。私        3

も皆と調子を合わせて、僕も疲れたとはいったけれども、実は僕は翌

朝は六時に起きて平気である。少しも疲労を感じないのであります。

香取さんは、「僕は君ぐらいの年輩で、早く先生の教育を受けた

ら、今は随分偉くなっているかと思う」といわれたが、その時僕は、

「僕も神経質になって1、2年で教育を受けたら」といって笑った

事がある。以前は食欲がなかったが、今は奥底の知れないほど、ある

ようになった。

森田先生 神経質も1、2年で治しては価値がない。長い年数苦し

んだ上で、治したところに価値がある。

釈迦は少年時代から、29歳まで懐疑(かいぎ)煩悶(はんもん)し、さらに山に入りて

苦しむこと6年、35歳で全快した。白隠(はくいん)禅師(ぜんし)も長い年数かかった

ようである。

古来、偉人でも当世成金でも、その成功は、多くは年とった後年で

あって、その修養の準備時代が、凡人よりもかえって長いのである

まいか。

しかし一生治らない人もある。つまり欲望が少なく、酔生夢死(すいせいむし)のよ

うな人である。治そう、成功しようとする努力の乏しい人の事であ

る。ある不潔恐怖の女は、若い時に発病して、80いくつまで長生き

したのがある。よくもむだ生きをしたものである。治したって、よさ

そうなものである。つまり治す努力がいやなのである。

吉田松陰(しょういん)功績(こうせき)ではない

井上氏 中村(たか)()氏の著書に、「親に孝でなくてはならない。なん

となれば親の恩は山よりも高く、海よりも深いからである、という

事があるが、それは間違いである。なんとなれば、親の恩が山よりも

高くない時には、孝ならずともよい、という結果になるからである。

親に孝ならざるべからずというのは、親に孝行したいのであって、()

(じん)の自然の本心であるからである」。と言っていられるが、私も賛成

である。

またある人の著書には、明治維新は、吉田松陰(しょういん)功績(こうせき)ではない。世

の中の事情から、自然にそうなったのである。という事があったが、

実際はどうでしょうか。

森田先生 すべての現象は、それに対するすべての事情条件がそろ

わなければ、その結果は現れない。滝の水が落ちるのも、毛細管の

水が上に昇るのも、みな種々(しゅじゅ)の条件がそろっての事である。時代と英

雄と両方の条件がそろわなければ、維新は起こらないのである。

思想界では、四民平等とか階級闘争とか、さまざまの文句が宣伝さ

れるが、これらは実際には、ただ゙民衆の心を刺戟(しげき)し、鼓舞(こぶ)挑発(ちょうはつ)する

ための、きわどい言葉というにとどまって、実際にはただすべての条        4

件が必要であるのみである。

ストライキなどは、一見、多数と言う事が勝ち支配するという風に

みえる。しかし、それはただ外見のみである。必ずこれには適当な指

導者というもが大切である。この事はルボンの群集心理で、よく説

明されてある。指導者がなくなれば、群集はたちまち総崩れになる。

群集の強弱は、一つに指導者の力の如何(いかん)によるものである。フランス

革命では、よくその状況がわかる。かの日露戦争の時の日比谷騒動・

焼打(やきうち)事件でも、河野(こうの)広中(ひろなか)などという指導者があって初めて起こる事で

ある。指導者がなければ、決して起こらない。(すで)に指導者があれば、

そこに指導階級と被指導階級とがわかれる。その能動と受動との関係

が、ピッタリしている時に、その団体の勢力は強いので、もしその群

集が、ひとたびその階級を意識して、指導者に対して、ツベコベと意

見を持ち出す時に、もはやその団体の結合は、(くず)れ始めるのである。

生物界の現象はダーウィンが優勝(ゆうしょう)劣敗(れっぱい)(とな)、クロポトキンが(そう)

(ごう)扶助(ふじょ)を主張し、マルコスが搾取(さくしゅ)()搾取(さくしゅ)の階級闘争を宣伝するな

ど、みな社会現象の一方面の見方というにとどまる。決してすべての

条件をそろえて考えての事ではない。

また医学者は、精神は脳の働きであるとかいうけれども、決してそ

んなものではない。身体の器官系統が具備(ぐび)していなければ、脳ばかり

で精神現象の起こるものではない。群集がなければ、指導者も手の下

しようはない。諸葛孔(しょかつこう)(めい)でも太公望(たいこうぼう)でも、これを連れ出しにいく人が

なかったら宝の持ち腐れである。

徳川の三代将軍ごろに、吉田松蔭が出ても、維新はおこらないし、

ペルリが来ても吉田松蔭の思想が宣伝されなかったら、維新は成立

しなかったであろうと思われる。

自分ばかりが気味が悪いのではない

大西氏 私は起床後二十二日目に先生から不勉強で治りが遅いか

ら、古閑(こが)先生のところへ行けといわれて、非常に寂しく思い、奮発(ふんぱつ)

るようになった。そのころ奥様からは、仕事が身につくようになっ

た、といわれたが、自分では少しもわからなかった。二十六日目に、

日記に自分の思うままを書いたとき、赤字で「実行は権力(けんりょく)なり」と先

生から批評されて、非常に有難く思いました。

森田先生 この事は私が(くれ)先生から体験させてもらった事でありま

す。

松本氏 以前には盛んに宗教を求めたが、最近では宗教から離れて

いるように思う。

魚屋が来て、生きた魚を料理しているところを見ると、魚屋が平気

でやっているのが感心です。 私などは心持が悪くて、とてもできな         5

い。動物を殺す事もできないという事は、父が浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)で、小さい時

から殺生(せっしょう)してはいけない、という事を聞いているからでありましょ

うか。

森田先生 それは勿論(もちろん)幼時(ようじ)からの習慣は、なかなか力の強いもの

で、そうありうべき事ではあるが、この魚の話については、かならず

しもそうばかりとも限った事ではない。

生きた魚を料理し、あるいは(すずめ)を殺す事など、僕でも皆さんでも、

誰でも決して気持ちのよいものではありません。それを神経質の特徴と

して、とくに自分ばかりが、非常に過敏(かびん)に感じ、気が小さくて卑怯(ひきょう)

が、他の人は平気で大胆であるとかいう風に考えるものであって、

これは物の批判の間違いである。実は人も我も、およそ人間の感情と

して、殺す事のいやな事は同様であるべきはずであります。まず自

分が特別に過敏であるという前提(ぜんてい)が間違っているから、迷い(まよい)(うち)()

()は、是非(ぜひ)(とも)()であり、あるいは毫釐(ごうり)(あやま)り千里の差を生ず、とい

う風にもなるのであります。

 

  なお晩餐後(ばんさんご)、思い思いの(こう)()があり、終わって日高会長の閉会

の辞があって、散会したのは夜八時頃であった。

           (『神経質』第二巻、第八號・昭和六年八月)