縁起をかついで家作を売り飛ばす
田口氏(45歳、縁起恐怖、大正15年入院)自分も吉田さん以
上とも思われるほどの、ありとあらゆる強迫観念をやった。種々の医
者にもかかって、電気浴、注射等いろいろの療法をやり尽くした。自
分ほど苦しいものは世の中にないと思い、電車とか高い所とか、飛び
降りて死のうと思った事が幾度かしれぬ。50日ばかりの入院で結局
命を救われた事になる。誠に感謝に堪えない事であります。その前に
一万円ばかりの家作を作った事がありますが、不景気だ不景気だとい
う声を聞くのがいやで、ドンドン家賃の値下げをする。借家人の商売
が繁昌しないと大変に気持が悪く、いろいろ得意先を作る世話をする
とか、傍観している事ができないで、自分で損をする。店子から近所
に泥棒がきたとか、水が出たとかいわれると、自分の責任でないとい
う事はわかっていても、いろいろの事が苦しくて家を安く売り払って
しまった。
いつか先生から「悪人になれ」といわれた事があるが、自分は家賃
を下げるとか、商売の世話をするとか、気が小さくて善人すぎて損ば
かりしているから、自分で気を強くして、悪人になろうとするけれど
もなかなか苦しい。
先生は村夫子然たり
桜井氏(25歳、昭和3年入院)私はひどい赤面恐怖になり、人
前に出ると、手が震えて物がいえなくなる。人が笑っているとき、自
分も笑おうとしても調子が合わずに、とても変になる。床屋へ行く
と、自分の顔が赤くなったり、まずくなったりして、とても苦しい。
昭和3年1月に満州からわざわざ帰り、ここへ50余日入院し、満
鉄会社へ帰った後にも、まだ随分苦しかった。その後ふとした事か
ら、翻然と悟って、これまでの思い違いがハッキリとわかった。「自
然に服従し、環境に柔順なれ」という事が体得された。先生は見たと
ころ村夫子然たるところがあるけれども、先生は非常に偉い、拝みた
いほどである。この頃は私も随分図々しくなった。ここでやった修養
は、単に病気が治るばかりではない。世渡りの全部が皆同様である。
人前へ出れば恥ずかしく苦しい。当然の事である。そのままにあり
さえすれば、まもなく、なんともなくなる。今もこのように皆様の前
へ出ると手も震えれば、吃る事もあるけれどもこれも自然である、以
前のようにこの苦しみから逃れようとはしない。
『根治法』はバラバラになるまで読んだ。今も書斎に飾ってある。こ
れは病気ばかりでなく、処世上にもあらゆる方面に必要である。禅の
事は知らないけれども、なんだかわかったような気がする。