第11回 形外会 昭和6年4月6日
第11回の例会は森田先生病気のため、流会のはずであった
が、通知漏れで集まった人が、10名近くもあったので、座談会
を催す事になった。この日、森田先生は終始病床にあって、一
同の会話を聞いておられた。患者にとって至宝の如き先生の言
葉を承ることのできなかったことは、誠に遺憾であったが、
先生が我々のそばびあるということは、一同の心になんともい
えぬ心強さを与えるのであった。
右のような次第ではあったが、高良、佐藤両先生のお話や、治
癒された人々の感想、入院の方たちの告白などで会は例の如く
和気藹藹裡に、しかも互いに何物かを得ながら進んで行った。 1
出席者は井上、岡上、清水の諸氏、ほか4名および患者13名
で、日高副会長の司会で始まる。
清水氏 私は心悸亢進がひどくて、大正15年に森田先生の御厄介
になり、退院後は全く健康で自由に働いていたのですが、昨年春、店
員が警察に挙げられて、心配したため、頭痛が起こり、外に出ると不
安になって、電車にも乗れなくなった。それで今度は森田先生にはす
まぬと思いながら、ある医者にかかって、5百回ばかりも注射を受け
ましたが、少しもよくなりませんでした。
薬物療法では治らぬ
佐藤先生 清水さんは模範的によく治った例でした。この前の時も
いろんな療法をやりまして、最後に森田先生の所にこられたのだか
ら、今度も他の薬物療法では治らぬことは、わかりそうなものですが
ね。
高良先生 神経質は脳に器質的な変化はないのだから、注射や何か
で治ると思うのは間違いで、かえって病気に執着させるから、無益な
ばかりか有害です。しかも5百回も注射するとは、医者の心理もちょ
っとわかりませんね。
日高氏 私も、ここに来る前にいろんな治療を受けました。ある大
学の先生に診てもらったところ、先生は学生に私の病状をいろいろ説
明されましたが、私の病気の治療という点では一向要領を得ませんで
した。
高良先生 学者の先生たちは、往々、診断をつけることだけに非常
な興味をもって、診断が決まれば、後は患者のために少しも努力しな
いという方がある。自分の知的満足のためとしか思われません。
日高氏 私は自分が神経衰弱だかなんだか、自分でもよくわからな
かった。初めて森田先生に診てもらったとき、先生が、私の心理状態
をよく知っておられるのに驚きました。先生の治療を受けて、先生の
療法は、単に神経質を治すというにとどまらず、広い意味で一種の人
間指導だと思いました。
私は小さい時から対人恐怖で、中学の頃には成績がよかったので、
人が日高君が一番だというのを聞いたりすると、自分だけ除外された
ような気がして心細く、人を恐れて、ある家には使いにも行けぬよう
になりました。
高良先生 私も高等学校の頃、対人恐怖があって、しかもそれが人
に知られるのを嫌って、いかにも超然たる風格を持っていたため、天
文学者のあだ名を頂戴したが、内心すこぶる苦痛であった。治そうと
思えば思うほど苦しかった。
佐藤先生 苦痛がないということは、救われないということです 2
ね。早発性痴呆の人は、最初から人と接するのを嫌うが、それを苦に
することがない。
高良先生 神経質の人は、人と交渉を恐れるくせに、交渉したくて
しょうがないのだ。欲はなかなか深い。早発性痴呆の人は、初めから
ただ嫌うばかりだ。
日高氏 神経質も社会が行きづまった、人間の伸びて行く道がなく
なるのと関係があるように思いますが。
佐藤先生 絶えず真剣に努力して生活を進めていれば、神経質は自
然によくなります。
高良先生 全く行きづまって、いかにもしょうがなくなると、案外
活路が開けて来る。学生の頃、冷水摩擦や、腹式呼吸、服薬など、い
ろいろ努力して治そうとしても、よくならなかったが、結局治らない
と断念して、苦悩もまた人生の重要な内容だと悟ったときに、神経質
の無明が開けてきたように思う。
佐藤先生 病気を治そうとしてはなかなか治らない。忙しく仕事を
していれば自然に治るのだ。
高良先生 ドイツでは、大戦中、神経質患者の状態が非常によくなっ
て、今までグズグズしていた者が勇敢に国難に当たったという。命懸
けの真剣な生活になると、神経質もその間には影を潜めるんですね。
佐藤先生 大震災の時も同様であった。 震災で治って、半年ばかり
してまた神経質になった人がある。自覚がなくて治ったのは再発の恐
れがある。
高良先生 こんなことを考えると、今までのお医者さんが神経衰弱
が楽に静養して治る、と考えていたのが間違いだということがはっき
りわかります。
治らないうちは、自分の症状を人に知らせるのが苦しいものです。
赤面恐怖の人が「君は顔が赤くなるね」などといわれると、内心腹を
立てる。治ってからは平気で、客観的に自分の心理を述べることがで
きます。
外出恐怖から入浴恐怖へ
岸上氏 私は外出するのが恐ろしくてしょうがありません。原因
は、通学の途中、脳貧血になったとき、医者がこないので、自分はも
う死ぬのではないかと思ったときからです。最初は外出だけが怖かっ
たのですが、しまいには家にいても、不安な気持がして、入浴の時で
も、人についていてもらいました。
外に出ると頭がフラフラするんです。大きな杖をついたり、丹田に
力をこめて出たりしますが、倒れはしないかと思うと、なんの頼りに
もなりません。祈祷などもやってもらいましたが、なんの効果もあり 3
ませんでした。神経科の先生に、君は心臓が強いから大丈夫だといわ
れましたがやはり不安でした。
高良先生 なるほど、あなたは随分立派な体格で心臓も丈夫そうに
みえますね。神経質の恐怖と心臓とは、原因的になんの関係もないの
だから、どんな強い人でも卒倒の恐怖は起こります。鬼を挫くよう
な、柔道3段の荒武者が、赤面恐怖で、オズオズしている人もありま
すから。大きな杖をついたり、丹田に力を入れて力んだりすると、かえ
って不安は増すばかりでしょう。倒れるなら倒れろというつもりで、
不安になったら不安のままで、ただ我慢するよりほかにしかたはない
と思うがいい。
岸上氏 私は対人恐怖のほうはありません。人が沢山いると、倒れ
てもすぐ助けてもらえると思うから、多いほど結構なのです。それか
ら、電車や自動車が通ると、それに吸い込まれるような気がして不安
になりました。
佐藤先生 それは誰にもあることです。私などもそんな気がちょっ
とするがその時だけです。神経質の人はその瞬間の不安な気分にとら
われてしまうから、その影響がひどくなるんです。
高良先生 そんな不安は、自己保存上必要なことですが、本能的な
自己保存の衝動にとらわれると、もはや事実の真相を見ることができ
なくなります。吸い込まれないという事実を平気で客観的に見ること
ができなくなります。
森田先生の事実本位ということは、また事物の評価を正しくすると
いうことになるかと思います。神経質の人が外界の力を過大に評価し
てこれを恐れ、あるいは自己の力を過小に評価して自ら萎縮するの
は、やはり気分にとらわれて、正常の評価ができないからであると思
われる。
村上氏 私の病気は不眠と疲労感であり、高等学校を4年で受験し
て失敗してから、勉強できなくなり、1年休んで、帝大に入ってから
も、そのために休学しました。勉強するにも歩行するにも、疲労がひ
どくなって、続けてやれませんでした。
高良先生 疲労はどんな時におこりますか。よく独り合点の理屈
で、自分から疲労したと決めることがある。昨夜よく眠らなかったか
ら、今日は睡眠不足で当然疲労しているはずだと、決めてしまって、
何もやれないことがあります。
村上氏 そうです。やはり眠れなかった翌日は、自分で疲労するも
のと思い込んでいました。
福地氏 私は不眠・卒倒・心悸亢進が恐ろしかった。それから、友
人から書物を借りて、長く返さなかった事から、自分は盗むつもりで 4
借りたのではなかったかと思い、ついに自分の罪悪に対して、恐怖を
抱くようになりました。ここに入院してから、眠れないことがあって
も平気になり、2時3時頃まで平気で、勉強することができるように
なりました。
戦争や強盗を恐れる
重氏 私は小学校の頃、遠くにある火の玉がやってきて、身体を焼
き尽くしそうな気がして恐怖しました。4,5年後日米戦争の噂があ
って私の家は沖縄に近い所ですから、最初に米軍が攻めて来ると思っ
て、長い間恐怖しました。その恐怖がなくなると、今後は覆面の強盗
が、凶器を持って強迫するように感じていました。小学校時代から独
りぼっちでした。中学では級長をしていましたが、クラスの者が自分
に従わぬ者がいるので、自分の威厳が足りないと思い、肉食を禁じた
り2食にしたりして修養に努めました。中学4年の頃、ガンジーの無
抵抗主義に共鳴して、死を覚悟して断食しましたが、死ぬのが馬鹿ら
しくなって、1週間くらいでやめました。断食中にも、しきりに人生
問題の解決に努めました。人生問題を解決するということが私の頭を
離れませんでした。
人生問題の解決は
高良先生 人生問題は永久に解決されないでしょう。解決されれば
人生は面白くない。解決されない所に人生の限りない魅力がある。我
故にしても、我々の将来が、手に取るように判然とわかっていたら、
急に自分の生活に興味がなくなるものと思う。人生がガラスのように
透明だったら我々は退屈してしまいます。なお若い頃には、一気に絶
対的に人生を把握しようと熱望するが、絶対的境地はいつまでも得ら
れない。人は一生苦しみながら向上して行くだけです。心機一転とい
うこともあるが、これは長い間の体験が熟して、丁度その機縁になっ
ていたからである。神経質の人が、心機一転して悟ろうなどという心
掛けではなかなかよくなりませんね。
神経質の頑張り方
佐藤先生 神経質の人は元来努力家が多い。断食などを続けるので
も、努力家たる所以を示しています。不眠の患者が医者に勧められ
て、不自由を忍びながら、合わない眼鏡に眼を合わせるために、3年
間かけ通した人があります。これなども神経質者のねばり強い所でし
ょう。もっとも眼鏡をかけて、一時注意がその方に転向するので、不
眠がよくなる様なことがないとも限らないが、よくても一時的に過ぎ
ない。神経質療法に見当違いの方法の多いのは遺憾です。
高良先生 神経質療法にいい方法がなかったので、いろんなむだな
方法にかかって、患者は転々、医者行脚をしていた。私なども大学で 5
は、神経質は体質性神経衰弱で、慢性不治のものだと習った。森田氏
療法の一般化されることは、患者にとっても医者にとっても、極めて
重要なことと思うが、まだよく普及されないのは遺憾なことです。
森田先生(病床より)思想家や神経質の人は、私の学説に共鳴する
人が多いけれども、一般の人はよくわからないらしい。
人生観が変わった
日高氏 私は先生の治療によって神経質を治したばかりでなく、実
生活に対する考えが、根本的に変わってきました。今までは家庭内の
雑事など男子のすることではないと心得ていましたが、今では少しも
恥ずかしいと思わないばかりか、かえって興味を感ずるし、便所の掃
除まで、平気でやるようになりました。
(「神経質」第2巻、第7号・昭和6年7月)