その胸に、大志を抱け/高村 ゆき
「あー、行きたくないよぅ」
朝のミーティングを終え、それぞれ始発の列車を見送るために立ち上がったのだが、山陽だけはテーブルにへばりついたまま、立ち上がる気配がない。それどころか、弱音すら吐き始める始末で、同僚達は顔を見合わせた。
山陽は基本的に、性格は極めて陽性。ポジティブ思考で悪感情を引きずらない男だから、こういうことは珍しい。特に今日のように天気の良い朝からなんて。
「大丈夫でしょうか、山陽せんぱい」
長野が心配そうに、隣に立つ上越を見上げた。
「昼から九州で会議があるから、ごねてるんだろ」
そう言い捨てた上越は、同僚をさっさと見捨てて、部屋を出て行った。
「長野は優しい子だずな」
山陽が気になって、上越を追いかけるタイミングを逃してしまった長野の頭を、山形が撫でた。
「山陽せんぱい、九州でいじめられてるんですか?」
「まっさか。いくら山陽が相手だって、高速鉄道にどうこうできる相手が、そういるわけ無いじゃない」
コーヒーのカップを片付けながら、秋田は長野の憂慮を否定した。しかもさらりと失礼な表現込み。
「秋田!お前、それはあっちの連中の狂信ぷりを知らないから言えるんだぞ!」
山陽は聞き捨てならん、と秋田の言葉に反論した。
「あいつらにとっちゃなぁ、九州以外のJRはJRじゃないんだぜ。博多の新幹線駅は俺の駅なのに、俺のなのに……」
よよよ、と泣き崩れた山陽をさらりと一瞥した秋田は、
「北海道もそんなもんなの、東北?」
山陽と同じく、本州の外側へ足を運ぶ機会の多い東北に尋ねた。
「いや……あっちは割と好意的、だと思う」
「九州みたいなトップが、あっちにはまだいねーべ」
東北のミニマムな答えに、山形がフォローを添えた。
「東海道ちゃーん。おまえちょっとばかり乗り過ごしてさ、博多いこうよ。ついでにおれの代わりに会議も、ね?ね?直通新幹線とは一応新大阪での接続だってあるし、無関係じゃないっしょ?」
九州との、というか「九州新幹線」との確執は、山陽より東海道の方が根深いのは周知の話にもかかわらず、当の東海道に振るあたり、山陽もかなりキているらしいが、
「お断りだ!」
山陽のすがる言葉を、東海道はばっさりと切って捨てた。
「秋田さ〜ん、九州、どう?旨いもんいっぱいあるよ。俺のポケットマネーでごちそうしちゃうし」
唯一の関係者である東海道に振られた山陽は、この件には全く絡みのない秋田にまで代理を請う。
「はらぺこまちを誘うには、胃袋を攻略するのが近道」作戦とばかりにご当地グルメの名前を挙げてゆく。
「んー、モツ鍋は興味あるけど、僕、焼酎苦手なんだよね」
ごめんね、といってみせるが、秋田にハナからその気がないのは明らかだった。個人的に九州新幹線に含むところはないが、他所の面倒ごとなんて、真っ平ゴメンである。
「同僚に振られ、出張先ではいびられ、おれってかわいそうな子」
がっくりと肩を落とした山陽の背に、ふわりと暖かい体温が触れ、その手の持ち主が山陽の顔を覗きこんだ。
「長野……」
「その件については、ぼくが替わってさし上げる事はできませんが、おうえんしてます。山陽せんぱいなら、きっとだいじょうぶです」
どんな根拠による信頼なのか、秋田や東北にはさっぱりわからなかったけれども、力強い長野の言葉に山陽は目を潤ませた。
「長野!お前だけはおれの味方だー!」
「せんぱい!」
がっしりと抱き合う二人の姿に、時計を気にしていた東海道が歩み寄った。
「山陽」
「おう、東海道、待たせたな」
長野のパワーに力づけられたのか、顔を上げた山陽は既にすっかりいつもの笑顔だ。
「山陽九州直通新幹線の車両形式は何だ」
東海道の突然の問いに、山陽は素直に答えた。
「え?N700だけど」
山陽の答えに、重々しいそぶりでうなずいて見せた東海道は、言葉を続けた。
「そうだ。私とお前のところで開発した車両だろう」
「あーうん、そうだけど、それがどした?」
「N700が九州に進出するんだ。お前がアレに侵略されるわけじゃない」
「あ!」
東海道の言わん事を察した山陽が、ポン、と手を叩く。
「あいつらが『打倒本州』を謳うなら、お前は……」
「打倒九州!」
「そうだ。山陽!大志を抱け」
「おう。Ambisious West Japan! さくらは西へ、だな!」
盛り上がり始めた二人に、さてこれで長野の心配も晴れただろう、と秋田はぱちぱちぱち、と拍手を送った。
「わーさすが、東海道。長年連れ添ってきたのは伊達じゃなかったんだね」
秋田は棒読みで一件落着を宣言し、長野と東北、山形を促してミーティングルームを後にした。
果たして、その後の山陽新幹線の大志も、博多に足を踏み入れるまでの、短く儚い命だったのであるが。