*POKA-POKA*
気持ちを静めるために熱いシャワーを頭から浴びる。
部屋に戻る気にもなれないから、東京駅上官専用室の、共同シャワー。
それでもこんな時間に誰も使用しないことは目に見えているから、わざとゆっくり熱い湯を肌に味わった。
「…くそ…」
「おっとー、珍しいねぇ、東北上官がおかんむりとは」
「…!?…山陽、か」
ズボンだけを手早く身につけ、大き目のタオルで頭と上半身を包んだ東北がシャワールームから姿を見せると、無人だと思っていた部屋の隅で、西日本の同僚がくつろいでいた。
「よっ、おつかれー」
「…まったくだな」
まだ上半身のところどころに水滴を残しながらどっかりとソファに腰をおろす東北に、いつもの冷ややかなまでの精悍さは見られない。
「あー、結構しぼられたみたいだなー、東日本もキビシイねぇ」
「…西日本がいい加減なだけだろう」
「おいおい、オレにあたんなよー」
「お前はいつも余計なことばかり言う」
「あー、ゴメンゴメン、悪かったー!んじゃーオレはここらで退散しようかなー」
両手をあげて素直に謝罪する山陽に、東北は瞬間「言い過ぎた」と後悔の念を覚えた。
山陽は会社は違えど間違いなく自分の先輩なのだし、軽い口調の中にも労わりの気持ちがあることを悟れない自分でもあるまいに。
「…いや、こちらこそ悪かった、山陽。休憩しているんだろう?出ていくことはない」
「んー、でもお前、一人の方がいんじゃね?」
「いいんだ、いてくれても…いや、いてくれた方が」
一人でいては、先ほどまでの本社とのやりとりがふつふつと蘇ってまたイラつくばかりだ。
「秋田と山形は?一緒じゃなかったのか?」
「…あいつらは忙しい。業務を止めてまでして出向く話じゃない」
「だよなぁ。豪雪は神様の仕業だからオレたちにはどーにもできねぇのになぁ」
「まったくだ」
東北地方を襲った豪雪で、架線切断等さまざまなトラブルが立て続けに起き、秋田新幹線、山形新幹線とも運休、遅延が続いた。
いくら雪対策を施している東の高速鉄道とはいえ、自然の猛威には到底叶わない。
そんなことぐらい分かっていそうなものだが、東日本の上層部は客からのクレームをどこかにぶつけなければ気がすまないらしく、責任者として東北新幹線が呼び出しを喰らったというわけである。
「ネチネチ言われた?」
「たっぷりな。一時間近く」
「もしかして立ちっぱでー?」
「そうだ」
「あー、当たったなぁ、秋田の嫌な予感…」
秋田の、と聞いて、東北の眉がピクリと動いた。
「それはどういうことだ?山陽?」
「んー、実はなー、さっき、秋田山形組に会ったのよー」
「!?…今日は東京に来る予定では…」
「そうそう、そう言ってた。でもなー、あいつらだってバカじゃねぇって。お前の姿が見えねぇから、呼び出し&説教じゃねぇかって心配してたんだよ」
「……」
「随分待ってたみたいだぜ、途中で諦めて戻ってったけどな」
そうか、来てしまったのか。
心配をかけまいと何も説明せずにいたことがどうやら裏目に出たようだ。
「まぁ、騒がない、慌てない、動じないが東北の“売り”なのは分かってっけど」
「……」
「老婆心から忠告しとくとさ、沈黙はときに不安を生むって」
「…確かにな、お前のように始終騒いでいたら不安を感じる暇もない」
「あらやだー、東北上官はいまだご機嫌ナナメー?」
「いや…逆だ。忠告は肝に命じる、ありがとう」
東北は濡れたタオルをランドリーボックスへ放り投げると、用意しておいたまっさらのカッターシャツを素肌に羽織って立ち上がった。
「言葉のコミュニケーションは…大切だな」
「まぁなー。ま、そのぶん面倒でもあんだけど」
そして数時間後。
秋田は、JR東日本総合車輌センターの廊下を早足で歩いていた。
山形から、携帯にメールが入ったからだ。
「東北が待っているから時間を見つけて顔を出せ」と。
それを読み、時間を見つけるどころか何もかも放り出してこうして駆け付けてしまった。
──だってあの東北が業務を抜け出して「待っている」なんて。
秋田の表情が、不安げに曇った。
やはり自分や山形のことで会社から何か言われたのだろうか。そのことで話し合う必要でも出来たのか。
考えれば考えるほど不安が広がって、こういうのは自分らしくない、事実を確かめてはっきりさせたいと、勢い良く指定された部屋のドアを開いた。
開いた──が。
「な、何コレ──!?」
目の前に広がったのは、いつもの質素な会議室、ではなく──ふっかふかのこたつ布団がこれでもかとみっしり詰め込まれたそんな光景。
その真ん中の四角い板の上には、お約束のみかん、そして日本茶。
何だこれは。どこのホームドラマだこの空間は。
「あー、秋田ぁ、早かったべなぁ」
「来たか秋田。まぁ座れ」
「座れじゃないよ──これ──このこたつ一式は一体どういう──」
「古川駅のコンコースに提供しているものと同型だ。先程届けさせた。お客様には好評のようだからな」
「…いや確かに…古川では好評かも知れないけど…」
ここは開放的なコンコースではなくて一会議室であるのだし、東京駅のような大型の部屋でもない。こたつを運び込むのはさすがに無理があるだろう。
「…何でまたこんないきなり…こたつ???」
「まぁ、突っ立っているのも何だ、とりあえず中に入れ」
と、いつになく積極的な東北の誘いに引き寄せられるように後ろ手でドアを閉め、すぐそばにあるこたつ布団に足を滑り込ませた。
すると途端に、ふわっ、と、足先から温かさが染み込んで来る。
ここ数日の凍てつくような気候には辟易していたので、この感覚に先程までの焦りや不安が一度に吹き飛んで、心までほかほかと和んでいくのを感じた。
「あー…気持ちイイー♪」
「んだなぁ、ホレ、入れたての茶もあるで」
「ん、ありがと、山形」
やっぱこたつにはお茶とみかんだよなぁ、という山形の言葉にウンウン頷きながら、あまりの心地良さに背中を丸めて顎をテーブルについた。
「…気分はどうだ、秋田」
「んー、最高!…って…はは、業務中に行儀悪いかな、いくら何でも」
「いや、構わない。特に運行に問題もないようだしな」
「でも、これってどういうこと?こたつ持ち込んだのって東北?」
「まぁ、な」
「どういう風の吹き回しさ?」
「んだなぁ、オレも呼び出されただけでまだそこんとこさ聞いてないべ」
ミニ新幹線たちから疑問符のついた視線を向けられ、東北は一瞬考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。穏やかな瞳で。
「…コミュニケーション、のため、かな」
「コミュニケーション?」
「東北がぁ?」
意外な言葉に、山形と秋田は互いの顔を見合わせた。
「…今朝は、心配をかけてしまったようだから」
「…ああ…」
「…やっぱり…会社から呼び出し受けたんだね、僕らのせいで」
「うむ。黙っていて悪かった。余計な気遣いをかけまいと思ったのだが逆効果だったようだ、判断ミスだな、すまない」
「そんな…」
「俺は…口がうまくないからな。こうやってこたつにでも入れば…少しでもコミュニケーションが深まるか、と」
「…東北…」
おそらく古川駅でのこたつサービスの好評さを聞き及んでそういう結論に至ったのであろうが、東日本の高速鉄道を統べる東北が激務の合間にこんな粋な演出をしてくれたことが嬉しかった。
確かに、何も言わず姿を消した東北に対して、腹立たしさとともに一抹の寂しさを感じていた。所詮、自分たちは信頼には値しないミニ新幹線扱いなのだろうか、と。
でも、こうしてこたつの中で向かい合っていると、そのすべてが思い込みと誤解だったことがひしひしと伝わって、同時にいっときでも東北を疑ったことを恥ずかしいと思った。
「東北、あのね、僕は…僕と山形は…」
「秋田。そして山形。俺は普段口には出していないが」
──いつだってお前たちのことを信じているし、大切に思っている。
真面目な顔でそう告げられ、思わず目の奥がツン、と痛くなった。
「お前たちが大切だ。それだけは忘れないでいてほしい」
「…んなこと、分かってるべ、なぁ?秋田?」
「…そうだよ、東北。僕らだって東北がどれだけ大切か…ううん、東北がいるからこそ僕らがいるんだから」
その言葉に、いつも一本線を引いたように引き締められている口元が緩やかな弧を描く。
そうして3人はしばらくこたつに入って静かに安息の時間を過ごした。
千の言葉を紡ぐより、万の言葉を紡ぐより、この沈黙に心の繋がりを確信して。