*東海道上官の長い一日*
秋の行楽シーズンだの、冬の臨時ダイヤ発表だの。
JR各社がわいのわいの忙しくなってきたある日、東京駅にある上官専用室でお留守番することになったのは──“日本の中心”を自負する東海道新幹線と、“東の筆頭”東北新幹線。
かつてない取り合わせの「お留守番」に、周囲の高速鉄道は各々胸に一抹の不安を抱いた。
──JR西日本&東海組──
「いいかー、東海道ちゃん、東北と仲良くしてんだぞー。ケンカすんなよー。それでなくとも“東海と東日本は仲が悪い”なんて陰口叩かれてんだから」
「言われるまでもないわ!この馬鹿者!」
「山形もオレも遅くまで帰れないけど、泣くんじゃねーぞ。オレっち、心の中ではいつもお前のこと考えてるからなー。ほらほら、携帯の待ち受け、横顔がお前に一番似てる300系にしてみた♪」
「この拳が振り降ろされる前に私の視界から消え去れ山陽ッ!!!」
──一方、JR東日本組──
「いい、東北、何か喋る前にはね、一呼吸置いて。一呼吸。そしてよーく考えて。空気読んで。それから発言すること。いいね?」
「…分かった」
「深呼吸がええと思う。大きく息吸ってー、吐いてー…したら落ちつくべ、な?」
「そうそう、こう、ひっひっふー、ひっひっふー、って感じで!」
「秋田、それじゃ生まれちまうべ」
「…分かった」
「ちぇーっ、こんなオイシイ状況、もうちょっと早く分かってたらなぁ」
「また隠しカメラですか、上越せんぱいっ」
「あー、惜しかった」
「…ちょっと待て…“また”って何だ、“また”って」
とかなんとか。
ぐだぐだ言いながらもそれぞれがそれぞれの用事に出かけてしまい──
そして東海道新幹線と東北新幹線は2人きりになった。
* * *
(…え…っ?!)
東海道は、ふと目の上の時計に目をやって驚いた。
もうすぐ11時!?あれからざっと4時間!?
難しい数字と格闘していて、時間の流れをすっかり失念していた。
ふと隣を見ると、同じように何か書類に黙々と目を通す東北。
なんだか、朝見たのと同じ姿勢で固まっているように思える。ああ、それはこちらも同じか。
「ふっ」
東海道が微かに漏らした声を耳聡くとらえた東北が、何事かと尋ねるような視線を声の主に向けた。
「…何か?東海道?」
「ああ、いや──邪魔してすまん、ただ──出かけに山陽が言っていたことを思い出して」
「ほう?何と?」
「私と東北──東海と東日本の仲が悪いという風評があるそうだ。だから仲良くしていろと」
「…ふむ」
「しかしなぁ、互いにこんな仕事の虫では──仲違いする暇もない」
「…そうだ、な」
小さく頷くと、じっと考え込むように再び沈黙。
まったく、この東北という男はいつもこうだ、と、東海道は苦笑した。
出会った頃からまったく変わらない。マイペースで、口数が少なくて、かといって何も考えていないわけではなくむしろ頭の中には常に持論が渦巻いているようだ。
その証拠に、議論に熱くなると途端に饒舌になる。
そのためにたびたび意見を戦わせることもあるが──ああ、そういうところが「仲違い」のように思われてしまうのかもしれないな。
「…しかし、誤解は良くない」
再び沈黙を破ったのは、東北の方だった。
「我々が仲違いをしているなどという印象を、周囲に植え付けるのはまことによろしくない」
「ああ…まぁそれはそうだ」
「…では、我々の友好関係を示すためにも」
「何か考えがあるのか?」
「…掃除しようか」
──何故!?
ふってわいたような提案に東海道は言葉を失って固まるが、東北はそんなことまったく気にせず(というか気付いていないというか)さっさと立ち上がって上着を脱ぎ始める。
「始めよう」
そのあまりにも当然至極といった行動につられ、東海道も戸惑いながら腰を上げた。
「…掃除…掃除…一緒に…うむ…ある意味…互いの距離を縮める良い機会…」
──なのか?!ほんとに???
「?」マークを山ほど抱える東海道を置き去りにしたまま、東北はワイシャツの腕を捲り上げ、まずは書棚の整理から手をつけ始めた。
まぁ脈絡はさておき──皆が使う部屋を綺麗にするのは良いことだ。うん。
そう自分を納得させた東海道は、東北に並んで乱雑に置かれた本を手に取る。
「…そろそろ、古いものから順に処分しなければ…棚が満杯だな、東海道」
「うむ、そうだな…こうして縦だの横だの秩序なく押し込まれると、目当ての本が探しにくくて仕方がない…」
東海道は、目一杯に本を押し込んだ棚にため息をつき、そのうちの一冊を力任せに引き抜いた。
すると──
バサッ
「?」
「!?」
まるで隠すように、本棚の奥の奥の奥に押し込んであった1冊の雑誌が、勢いで足元に落ちた。
何気に拾い上げ中身をパラ見した東海道の顔が、一瞬にして真っ赤に染まる。
「な!なんだこれは───っ!」
「…ああ…」
それはどこをどう見ても紛れもなくオトナのお楽しみ──いわゆる“エロい本”。
それも、何だか見えるような見えないようなありえるようなありえないような格好の全裸に近い女性たちの写真が全ページにわたってがっつりと掲載されている。
「な、な、な、な、な」
「…これは、きっと山陽のものだな…」
「何ィ!?」
「ごそごそ何かしていると思ったら…こんな本を隠していたのか」
「〜〜〜〜〜〜っ!!!」
山陽の阿呆!よりにもよって東日本のテリトリーでなんたる醜態!
東海道山陽新幹線として繋がっている自分にまで恥をかかせおって!許せんッ!
「まぁ…そう怒るな東海道」
「しかし!ここは我々の執務室なのだぞ!仕事の場だ!長野だって出入りする!それをあの馬鹿が──」
怒りのあまり口をあうあうと開け閉めする東海道を尻目に、東北は本を取り上げるとページをペラペラと無造作にめくり始めた。
「…ほう…これはまぁ」
「よ、よさんか東北!仕事中だぞ!そんなもの開くなッ!読むなッ!」
「…モデルさんも、この寒いのに大変だな」
「論点はソコこじゃなぁ────いっ!!!」
「……」
「何がアレかって──その」
そうだ!脱ぐなら脱ぐ!脱がないなら脱がない!はっきりしろと!
このチラリズムというものがどれだけ視覚の暴力となっているか!
このひっかかった程度の布キレがいけない!全裸なんかよりよっぽど猥褻ではないか!
それならいっそすぱーっと全部脱いで…
…って、違───うっ!ソコでもない!しっかりしろ俺!しっかりしろ東海道新幹線!
「……東海道」
「はあっ!?」
いまや自爆しそうなくらいの勢いでテンパっている東海道とは対照的に、東北は無表情かつ冷静であった。怖いくらいに。
「…東海道…お前」
「な、何だっ?!」
「感じているのか?」
「はいィいいいいい──!?」
「持っていくか?」
「いらんっ!!!」
東海道は視界がぐわんぐわんと回るのを感じた。
ああ、倒れそうだ。いや、いっそこのまま倒れて気を失ってしまいたい…。
「…そうか、ではこの本は俺が山陽に返しておこう」
「捨てればいい!そんなもの!」
「そういうわけにもな…税抜きで1000円以上する本だし」
「………もう勝手にしてくれ」
すっかり脱力してしまった東海道は、崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。
一方、黙々と書棚整理を続ける東北だったが──
「む?」
バサッ
「こ、今度は何だ───!?……は?」
「……」
それはどこをどう見ても、ビキニパンツ一枚のムキムキの男たちがフェロモン撒きまくりでポージングしている、いわゆる“アチラ”の世界の男性向きの本。
兄貴、とかいう活字があちこちに躍る表紙を見て、東海道の眩暈は頂点に達する。
「さ、山陽なのかっ!?また山陽?…いやしかしまさか」
こんなあいつが…嘘だろ…女が好きで好きで好き過ぎるとは思っていたがまさか男ににまで…
いや待て落ち着け俺!こんなの何かの間違いだ!そうだ!
…お願い誰か間違いだと言って…
「…間違いだ」
「──はあっ!?」
「それは、山陽の本ではない」
きっぱりと言い切る東北に、東海道が詰め寄る。
「な、何故そんなことが分かる!」
「俺のだから」
「…………え?」
「これは俺の本だ」
「………」
「高速鉄道は体が資本だろう?だから、ボディメイクの参考にでもしようかと」
「…参考…ボディ…メイク???…」
「そうだ」
「…買ったのか?」
「?…当たり前だろう?」
「…本屋で?」
「?…そうだ」
「貴様が?これを?自分で?」
「……何か問題でも?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜ぷ」
そして次の瞬間、東北が見たものは──
* * *
「ただいまー、どうだった東北?東海道と2人っきりのお留守番は?」
「…うむ…有意義な時間だった」
「いってぇ何してたんだ?」
「掃除」
「そうじ!?」
「それにしても…まさか」
「…まさか?」
「東海道があんなに大口を開けて笑うとは」
「………は???」
「初めて見た、あいつのあんな顔」
2人っきりで、掃除してて、東海道が大笑いしたの!?
一体2人で何してたの────っ!?
しかし、喉まで出かかったそんなツッコミを、秋田も山形も必死でおさえた。
だって、聞いたところできっと分からない。
そんな東北クオリティが炸裂していたに違いない。
「…まぁその…良かったじゃない、楽しいお留守番で」
「うむ」
「…東海道は、なんか顔真っ赤にして山陽をタコ殴りしてたけんどなぁ」
「女性(の本)問題のもつれだな」
「……」
「……」
もういい。これ以上は聞くまい。頭以上にダイヤまで混乱しては大変だ。
ミニ新幹線同士は目配せでそう意思疎通を交わすと、良い子でお留守番できた東北と東海道のために、笑顔で夜食の用意を始めるのだった。
* * *
「ちょ…秋田!山形!待って!オレ俺!俺のこと忘れてない!?ねえって!」
「逃げるな山陽!説教はまだ終わっておらん!このエロ西日本がっ!」
「助けろ!なぁって!この東海道のいつも以上に見境ない暴力から──助けてぇぇえええ!」