*かつての最速*
「きらーい!東北なんてきらーい!」
「…飲み過ぎじゃねぇの?なぁ上越」
「へーんだ!ンな飲んでないよーだ!」
「んじゃ、足元にある空の一升瓶はなんだ?ああ?自然現象か?自然に中身蒸発したんか?」
JR東日本の高速鉄道宿舎。
半分拉致られるように僕の自室に連れ込まれた山陽は、コップを傾けながら絶えず苦笑いを繰り返している。
そりゃそうだろうな。アルコールでぼんやりする頭で考える。
どれもこれも顎がとろけそうなほど美味い酒なのは保証ものだけれど。
その杯を傾ける相手がねぇ──僕みたいな喰えない酔っ払いときたら。
「東北きらい!ねぇ聞いてる山陽?」
「…ハイハイ、聞いてますよぉ、上越新幹線クン」
「あいつズルイ!あいつばっか贔屓されてさ!何がスーパーグリーンだ!何がファステックだ!」
「でかい声出すなよもー…しょーがねーな」
それでも拒まない(拒めない?)山陽の性格を知っているから。
僕は遠慮なく愚痴をぶつけさせてもらう。
東北に聞こえたってかまうもんか!
いや、むしろそれくらい想定内だって分かってるだろう?
「秋田だって山形だって!所詮東北とつながってるミニ新幹線だもの!ボクのこと内心バカにしてるに決まってる!」
「決まってねぇって、ほらもー、水飲め、水っ!」
「長野だってさ、みんなに可愛がられて愛されて、すくすく育って夢の北陸新幹線になるのさ!そしたらボクなんてきっと見向きもされない!お払い箱!本線オチ決定〜!あっはっは…」
「いい加減にしとけよもう!おらっ!服脱げ!」
「なーにー?スルのー?」
「なんもしねーっつーの!いいからほら脱げ!」
山陽の手が器用に深緑の上着を脱がせると、さらに真っ白なワイシャツの前を開いた。
「どーだ、こうすりゃ楽だろ?んん?」
「……だって……」
「あ?何て言った?」
「…山陽だって!」
「は?!オレ?今度オレッすか?東から西にハナシ飛び過ぎじゃね?」
「山陽だって悔しくないの!?日本最速の呼び名を東北に盗られてさぁ!」
「…別にぃ…」
何を言い出すのか、と鼻で笑い飛ばすと、山陽も上着を脱ぎ捨てて手近なソファに身を沈めた。
「あのさぁ、それって、盗るとか盗られるとかそういう問題じゃないっしょ?」
「それだけじゃないよ!いっつも東海道の古い車体を押し付けられて、ご自慢の500系だってレールスターだって “こだま”落ちでさぁ!そのうえコンクリはボロボロ!酷いじゃない!?」
「…言いにくいことをハッキリありがとうよ」
「でもあいつって何様!?リニアだって!ははっ!しかも自分の小遣いでだよ?ふざけろって!」
「…?…オマエ、いつの間にか矛先が東北から東海道に変わってね?」
「だからどうしてそうやって笑ってられんのかっての!」
「いやだからさ、上越…」
「ああ、そうか、そうでした、山陽には九州のつばめ様がいらっしゃったっけねぇ?伝統を意識した新ボディ?山陽九州新幹線?新しい時代が待ってらっしゃるってことか!お古仲間もこれでオシマイだね!」
「いいから聞けって、坊や」
山陽はいきなり僕の首にぐいっと腕を回すと、まるで小さい子供をあやすように自らの傍らに引き寄せた。
「…あのなぁ、オレが日本最速だったってのも、オレが走って来た車体のことも、コンクリのことも九州と繋がることも…いいことも悪いことも、オマエが今言ったことなんもかも、ぜーんぶひっくるめてオレの、山陽新幹線の歴史じゃん?」
「…当たり前じゃない、それが何?」
「オレさー、けっこう自分の歴史、気に入ってんの♪」
「……」
「開業して40年近くもたちゃ、そらいろいろあるわな」
「……」
「オマエはどうよ?」
「……ボクの歴史なんて、開業前から散々だよ」
「おや、好きじゃねぇの?」
「好きじゃないね」
「自分が?」
「自分が」
自分が好きになれないのに──
他の誰かのことを本気で好きになれるわけなんてない。
「…みんなきらい…きらいだよ」
「ほぉー」
山陽は意味ありげに口元を歪めると、コップに残った酒を一気に煽った。
「はっはー、上越の坊やにゃ困ったもんだ、ンなウソついてー」
「はぁ?」
「オマエはそんなヤツじゃねぇ、ンなみんなこと嫌いでいられるようなヤツじゃ、な」
「……どうしてそんなこと分かるのさ」
「そりゃー決まってんじゃん、オレがオマエのこと、好きだから♪」
「……」
一瞬の沈黙。
そして赤くなった目尻を上げて「バーカ」と、長い舌を突き出した。
「山陽のウソつき…ウソじゃんそんなの。ウソばっか」
「えー?ウソじゃねぇし」
「でも、ウソは好きだよ」
「だからウソじゃねえって──」
「“ウソ”はね……“ほんとう”よりも優しいから」
「……」
そして彼の頬にキスをした。
そのまま首筋に顔を埋めた。
怒られるかと思ったけど、微動だにしなかったから、何だか拍子抜け。
「…好きだよ、山陽」
「おや?“みんなきらい”じゃねーの?」
「山陽は特別だもの」
「ふぅん」
そっと目を上げると、何が可笑しいのか柔らかな笑みを口元に浮かべた山陽がいた。
「ま、いいさ、飲め飲め!全部吐き出しちまえ!んでもって──明日もまた景気よく走ろうぜ、なぁ?」
大きな手がそっと僕の肩を叩く。
「あ、でも、一個だけ」
「…?」
「自分に痛いウソだけはつくなよ、上越」
「……え」
「どんなに優しいウソだって、正面からぶつかると結構痛いべ?それが自分のウソならなおさら」
「……」
「オレ痛いのキライだからさー。はは。だから“ほんとう”が好きかも。それが“最速落ち”でも“こだま落ち”でも何でもさー」
「……」
「だからオマエに言ったことも“ほんとう”…ま、信じなきゃそれでいいけどさ」
「……バーカ山陽」
こんなとき僕は、彼に一歩も近づけないことを思い知る。
たとえ僕がファステックで走る日が来たとしても、奇跡が起きて東北より速く走れる日が来たとしても。
傍らでおひさまみたいに笑ってる『かつての最速』を。
どんなに最新鋭の技術を駆使したところで追い越すことなんてできない。
いや、追いつくことすらできないんだ。きっと。
それは紛れも無い事実でどうしようもなく“ほんとう”のことで。
とてもくやしいことなんだけれど。
──優しくて痛いウソより、もしかしたら好きになれそうな気がした。