*Do not stop me*
「…京浜東北、どうしたの?いつになく凹んでる」
「“そりゃこう毎日、ラッシュ時に限って人身じゃねぇーえ?さすがの彼も落ち込むんじゃない?”」
「あー……まぁそりゃそうかー」
埼京は、山手(現在の話し相手は内回りの人形)の前でウンウンと小さく頷いた。
そりゃあもう、何がナニを呼ぶか知らないが、今や人身事故の代名詞、京浜東北線。
いくら強靭な精神も持ち主だとしても──丸々連続三日の事故、そしてトドメが朝の通勤通学ラッシュに人身、夜の帰宅ラッシュに人身、と、一日二回の事故ときたら。
「で、どうしてるの?彼?」
「“最後の着替えを引っ掴んで…座ってる、ホームのベンチで”」
「メガネもまた壊れちゃったね」
「”心が壊れてなきゃいいけど“」
「嫌な事言わないでよ!山手は京浜が心配じゃないの!?」
「…!…」
「あ……ゴメン。そんな訳ないよね」
「……」
そして連れ立って、青いラインの誘導するホームの端に見つけた。
ベンチに腰掛けて、じっと線路の先を見つめている自分たちのリーダーを。
「もう出られるはずなのに。動かないね、京浜」
「……」
「僕たちじゃダメだねー、慰められない」
「……」
「僕は余計なことしか喋れないし、君は人形じゃなきゃ喋れないし」
はは、と埼京が笑う。とても寂しそうに。
「いっつも僕らは京浜東北に慰められてるのにね。何かしてあげられればいいのに…」
そうしてしばらく突っ立っていた2人だが、やがて──
「ん」
ガシャン
山手が何か呟いたかと思うと、途端に埼京の腕が重くなった。
「え?何?どうしたの?」
「持っていてくれ」
いきなり本体(外回り)に真顔で話しかけられたことにも驚いたが、もっと驚いたのが──
「持てって…これ、内回り人形じゃん!しかも重ッ!こ、こんな大事なもの僕…」
「そいつはお前に任せた、だから京浜東北は俺に任せろ」
「…山手…」
「行こう」
つかつかつか、と靴音が軽やかなのは、人形を抱えていないせいだろうか。
山手(背後に埼京)が近づいてきたことに気づいて、京浜東北はメガネのないどこか弱々しい笑顔を向けた。
「やぁ…毎度悪いね山手。ソッチにも遅延、起きてるよね?ああ、埼京も一緒?」
「ん…でも、たいしたことない」
「そ、そうだよ、元気出そうよ!京浜が悪いんじゃないでしょ?京浜が…」
「まったくねぇ、夕べも上官に呼ばれたばかりなのに…どう言って報告しよう、はは」
「京浜…」
「京浜東北」
「…?…!?…って…えっ!?」
「え──山手!?」
驚きの声を上げたのは、京浜東北と埼京が同時だった。
何故なら、山手は、いきなり京浜東北の体をがっしり両手で掴んだかと思うと、そのまま軽々と抱き上げて自分の肩に抱え上げたのだ。
「ちょ…っ…何?何やってんの?!山手!」
「山手!気を確かに!」
「走ろう、京浜東北」
「…え…」
「埼京、軽く一回りしてくる」
「え?え?」
内回りを抱えたまま、ポカン、と口をあけた埼京を置き去りに、その言葉通り山手は走り出した。京浜東北を抱えているのも関わらず、いつもよりはるかに速く、速く、速く──
「や、山手──!」
「……」
「すごい!すごい速い!」
「……」
「こんなに速く走れるんだね」
「まぁな…でも」
「でも?」
「これで走ったら、隣の駅で止まれないから」
「ぷっ」
万年各駅停車の山手らしい。
京浜東北の表情がようやく心から緩んだ。
それから山手は外回りの線路に沿って、軽快に走り続けた。
自分の車両たちを次々と追い越して。途中で出会った高崎や宇都宮の呆れ顔を横目に。
最初は振り落とされるのを恐れて山手の体にしがみついていた京浜東北にも徐々に余裕が生まれて、やがて両手だけはしっかと肩に掴まったまま、うん、と顔を起こして頭上を見上げた。
怖いくらい晴れた空。まるで何もなかったみたいに落ち着いた空。
街も、人も、車も何もかもがスピードの外で音すら聞こえなくて。
まるで昔の無声映画の1シーンを演じているように。山手と自分しかこの世にいないように。
「…ねぇ、山手」
「んー?」
「もしも、もしもさぁ、全部の駅をすっ飛ばしてノンストップで走ったら、山手線一周どれくらいだと思う?」
「───」
らしくない発言に、一瞬表情が変わったのが見えたのだろう。
京浜東北は照れくさそうに山手の肩に顎を乗せた。
「ははっ、鉄道にあるまじき不謹慎な発言、だったね、悪い」
「…いや」
そんなことは思わない。京浜東北が不謹慎な鉄道なんて。
もとより、彼ほど職務に忠実で真面目な鉄道になどお目にかかったことがない。
山手はスピードを保ったまま、そう心の中で呟いていた。
だいたい、忠実で真面目な鉄道ってなんなのだろう。
──速いことか?時刻に正確なことか?
もし後者なのだとしたら、わざわざ忙しい時間帯を狙って線路にダイブするような真似はやめて欲しい。
それがなければ、こうやって何万人もの足が乱れることもないのだ。
自分たちの仕事は鉄道輸送だ。それ以上でもそれ以下でもない。
人や物を運ぶ以外の用途に使われるのはまっぴらご免だ。
「…気持ちいい、か?」
「うん、気持ちいい──山手」
「うん?」
「ありがとう、もういいよ、僕も自分の足で走りたくなった」
「……」
「走りたいんだ」
山手は頷いて足を止め、背中のリーダーをゆっくりと地面に降ろした。
そうだ、こうでなくては。
京浜東北線は、誰よりも走るのが好きなのだ。
だからこそ、数々の人身にも、いや、過去に起きたそのへんの人身など及びもつかぬような鉄道事故を経験していながらも、路線を伸ばし、接続を広げて歴史とともに走り続けることができるのだから。
「山手―!京浜東北―!待ってよー!」
「あ、埼京、追いついた」
「いやに早いな…どっから来たんだ埼京?」
「う、内回りに決まってるでしょ!もうダメ…もう…げんか…い」
埼京はゼーゼーと息を鳴らしながらしたたる汗を拭った。
横脇に抱えた人形がよほど重荷らしい。
「埼京」
「はっ…はぁ…けいひん、とうほ、く…」
「心配かけてゴメン。もう出るよ」
「…え?!ほんと!?良かったぁ!」
「これ以上埼京線の混雑を酷くしちゃあ、お客様に申し訳ないからね」
「ちょっと!京浜東北っ!」
「あはは、うそうそ」
トントン、と靴先で地面を蹴って。
自分の足下をしっかりと確かめ、京浜東北は両手をそれぞれ、ウグイス色の制服とグリーンの制服の肩に置いた。
「あ、あのね、京浜東北」
「うん?」
「これ、メガネ。新しいのもらってきた…から」
「ありがとう埼京。さ、行こう、一緒に」
と、レンズの向こうの瞳には光が戻っていた。
いつもの、京浜東北の自信とプライドに満ちた光。
そのことが嬉しくて。そうできたことが誇らしくて。
「うんっ!では京浜東北線、運行再開!」
「“いざ!待たされ過ぎて殺気立った乗客のもとへ!”」
「…一言余計だよ、山手」
「「しゅっぱーつ!しんこーう!」」
埼京と山手(再び人形に戻っていたけれど)の声が、再び動き出したE233系を背景に、空の上まで高らかと鳴り響いた。
その夜。
「…今回も盛大にダイヤを乱してくれたな、京浜東北」
「はっ、申し訳ありません上官!」
「ふん。貴様の人身事故の多さには開いた口が塞がらん…が、まぁ…復旧の早さだけは評価してやろう」
「ありがとうございます、東海道上官」
「タフなやつだ」
「YES、上官──それが私たち在来線の、唯一の“とりえ”ですから」
「あははー、ソレ、すっばらしい“とりえ”だよ、なー?見習わなきゃなぁ東海道?」
「やかましい!貴様は引っ込んでろ山陽ッ!」
目の前の上官の右フックが見事に決まる様を眺めながら──京浜東北はメガネの弦をくいっと押し上げると小さな声でこう続けた。
「そしてもうひとつの“とりえ”は──個性的過ぎるけど素敵な仲間──なんですけどね」