＊真昼の月＊

 

 

貨物上がりのせいかもしれないが、いまだ燦々と降り注ぐ太陽の光の下で走るのが苦手だ。
かといって、別に曇りや雨がいいってわけじゃない。どしゃぶりなんてゴメンだし。

そう──どちらかというと、月の方が好き、だ。

漆黒の空にぽっかり浮かぶ、磨き抜かれた銅版のようなあの輝き。

日によって、季節によって、様々にカタチを変える、月。
その仕組みがどうなっているかなんて知ったこっちゃないけど。

どうやらオレは、突き刺さるような太陽の日差しより、ひんやりとした手でそっと撫でるような──
そんな月光の方が性に合っているらしい──

 

 

「京葉ってさぁ…何だかちょっと怖い」

唐突な埼京の発言に、隣にいた武蔵野はヘラッとした笑みを浮かべて茶色のくせっ毛をツンツンと引っ張った。

「バーカ、何言っちゃってんの、埼京ちゃんは。あの馬鹿セレブのどこがンな怖いっつーんだよ」
「だって…ボク…見ちゃったんだもん…さっき」
「さっきって、あいつ今、人身起こして絶賛運休中じゃん。会議にだって来てねーし」
「…その人身起こしたすぐ後でさ…たまたま見かけてさ…“大丈夫？”って声をかけようと思ったんだけど…」
「……」
「……」
「…何だよ、早く言えよ」
「だって京葉、笑ってたんだもん！」
「笑ってたぁ？」
「そうだよ！すっごい返り血浴びてさ、顔も制服も真っ赤に染まってどろどろだったのに──自分の手をじーっと見つめて、そんでもってニッコリ笑ってさ！」
「……」
「いつもみたいにすごい優しそうに──それでボクなんだか」
「……」
「──すごく怖かった」
「…ふぅん…」

 

 

「よぅ、京葉王子」
「あ、武蔵野―、ごきげんよう♪」

声をかけると、振り向いた京葉のさらりとした髪が風に舞う。
きっと乾いたばかりなんだろう。ふわふわの細い髪。

「会議はもう終わったの？」
「ああ、いつも通りタイクツ…オレもサボりたかったぜ」
「ボクはサボったんじゃないよー、人身なんだから仕方ないでしょ？」
「あー結構時間かかったよな…悪ィけど、さっさと直通切らせてもらったぜ」
「ああ、それは気にしないで。ちょっと状況が悪くてね…ようやく運転再開」
「…あー、ヤバかったんだ、マグロ」
「うーん、そうねぇ、かなりヤバい感じ」
「そっか」
「大変だったよ、綺麗にするのに時間がかかっちゃって…ボクの制服はもちろん台無しだし、髪にも顔にも手にも汚れが…ね」

思い出したのか、長い指を神経質にごしごしっ、と制服に押し付ける。まっさらの制服に。
そんな仕草を眺めながら、先ほどまでの埼京との会話が蘇り、ふと言葉が出た。

「そういやオマエさぁ──事故のとき…なんか笑ってたって埼京がビビって──」
「うん──笑ってた」

被さるように、穏やかな返事が返ってきた。

「笑ってたんだ、あのひと」

てんで的外れの返事が。いつもと変わらぬ明るい声で。

「…へ？あのひと…って、誰？」
「飛び込んだお客さん」
「ウッソ！？」
「最後にね、目が合ったの」
「マジで？ソレ、見たのかよ！？」
「ほんの一瞬だったけどね、口元が笑ってるのが見えたの」
「へー」
「そんなに生きてるのが苦しかったのかなぁ」

長い睫毛の奥から視線が泳ぐ。ホームから、線路へ。そして、その先へ──

「電車にひかれたら、絶対に死んじゃうって…二度と見られないような姿になるって分かってて…それでも飛び込んだんだよねぇ」
「…まぁな」
「最後の最後には、少しは楽になれたのかなぁ…」
「…京葉」
「ボクにぶつかった瞬間にあのひと…」
「おい、王子」
「……ちょっとでも楽にしてあげられのかなぁ」
「京葉、もういいだろ」
「え？」
「…もう汚れてねぇから」
「あ」

無意識なのか、会話の間中、何度も何度も制服に押し付けられていた京葉の指を、武蔵野が握って止めた。

「もう汚れてない。血、ついてない。綺麗だ」
「…ああ…」
「それ以上擦ってっと、そのうち皮までめくれちまうぞ」
「…ホントだね」

冗談めかしてそう言うと、京葉は静かに目を合わせ、そして微笑んだ。
きっと埼京が見た笑顔ってのは、コレだったんだろう。

「王子」
「何？」
「もっと笑ってろよ」
「え？」
「ほら、オマエのお客さんたちが電車動くの待ってるぜ、見ろよ、ちっちゃい子供たちが一杯並んで」
「…ほんとだね」
「夢の国、に行くんだろ？」
「うん」
「んじゃ、楽しく行かねぇとなー」
「そうだ、ね」
「難しいことはいいから──オマエは夢だけ運んでろ」
「……はい」

温かなおでこがコツン、とぶつかってきて。
初めて京葉の指をきつく握ったままだったことに気付いた。

 

 

貨物上がりのせいかもしれないが、燦々と降り注ぐ太陽の光が苦手だ。

どちらかというと、月の方が好き。
漆黒の空にぽっかり浮かぶ、磨き抜かれた銅版のような。

 

少しひんやりと。でもすこぶる心地の良い。

 

 

例えば、今、目の前にある──笑顔のような輝き。