I don't know, You know -5-
「いやーもう!良かったー!東海道ちゃんが全快してー!めでたいったらねーよ!なーみんな!」
「…山陽…右のほっぺはもちっと冷やした方がいいべなぁ…ほれ濡れタオル」
「おっ、サンキュー、山形」
「…あの山陽の悲惨な顔はどうしたの?ねぇ東北?」
「…東海道の記憶が戻っていることを知らずに背後から抱きついて首筋に顔を埋めた結果だ」
「…ああ…」
秋田は納得、という顔で大きく頷いた。
それで東海道はせっかく職場復帰できたというのに不機嫌オーラ漂わせて座っているわけね。
でも、あれが一番東海道らしい。
あんな顔して、偉そうに、眉間に皺寄せて難しそうな顔で難しいことばっかり考えて──
「たーだーいーまー」
と、重々しくドアが開き、疲労困憊した上越が顔を出した。
「あ、お疲れ、上越」
「疲れたよー!何この激務!一体ボクは東京と新潟を何往復すればいいの?!」
「当たり前だ!馬鹿者!どれだけ長いこと現場を放り出したと思っている!貴様のせいで私も朝からキリキリ舞いだ!ドクターからの呼び出しにも応じられん!」
「…もう、本当に平気なの?東海道?」
「当たり前だ!そんな心配する暇があったらとっとと働け!」
「…ホント、すっかり平気みたいだねぇ…はぁ…」
よろよろと部屋の中に足を踏み入れた上越の前に、東北が壁のように立ちはだかる。
「…やっと会えたな、上越」
「やぁ、久しぶりだね東北…東海道上官の命令でベッドから直接新潟駅に向かったもんだから…キミに声をかける暇がなかった」
「…お前というヤツは…まったく…」
いつもは変化の少ない東北の顔に、見る間に安堵の色が広がっていく。
──ああ、そうだね。東海道が回復したんだものね。これでキミも一安心だ。
そんなことを考えていた上越の肩を、東北の手がいきなり掴んだ。それも凄い力で。
「…つ…っ!…東北?」
「いい加減にしろ!まったく!──今度ばかりはもう──まったく──本当に」
え?東北…うろたえてる?何故?だって東海道はこうして無事に治って──
いや、東北の目は東海道を見ていない。
見ているのは──
「もうちょっとでお前を吊るし上げる羽目になるところだった!いい加減にしてくれ上越!」
「…!?…ボ…ク…」
「上越、東北がどんなにおめぇのこと心配してたかわがってっか?」
「東北はね、今回の騒動が起きたときから東海道と同じくらい上越のことが心配でしょうがなかったんだよ…いや、東海道以上に、かな」
「心配…って…ボクのこと…」
「他に誰がいんだ?ああ?」
じゃあ、あのときの不安そうな顔は、
そして今のこの心底安堵した顔は、
──ボクに向けられたものだったのか。
「…悪かったよ…東北…ごめん…みんな…」
「その反省の気持ち、忘れないでいてほしいものだな」
「努力する」
「おー、微笑ましい光景だねぇ?東の諸君は大団円ってわけ?んじゃー、今度はコッチだ──オイ、上越」
「え、何?」
山陽の呼びかけに振り向いた上越の頬に──
パシーン!
鋭い音とともに山陽の容赦ない平手が飛んだ。
よろめくほどではなかったものの、上越の頬は一瞬にして真っ赤に腫れ上がる。
「ちょ、ちょっと山陽!やめてよ!せっかく──」
2人の間に割り込もうとした秋田を、山陽が黙って手で制した。
「──上越、オマエ、何で殴られたか分かってるか?」
「…え…」
「いいか、オレは上越の──オレの大事な弟分の悪口を言う奴を決して許さない。たとえそれが本人だとしても、だ」
「……」
「分かったか?」
「……うん…分かった…よ」
「ならいい。あんなこと冗談でも二度と言うなよ」
「…うん…」
「やーれやれ、濡れタオル、上越の分も追加で用意せんとなぁ」
山形が苦笑まじりに言うと、山陽は自分の手にあったタオルを上越に手渡した。
「ほれ、冷やせ。ンな痛かったか?大したことねぇだろが、涙目になんなよ」
「…うるさいなぁ…ボクは東海道から常に暴力を受けてるキミと違ってデリケートなんだよ」
「おー、そう出たか。ほんと懲りねぇこのガキ」
山陽の顔に笑顔が戻る。
いつものようにがしがしと乱暴に髪を掻き回されて「やめてよ」としかめっ面で応じた。
──こっちは喉の奥から込み上げる熱いものを必死に堪えているというのに──
「どーしたー?どーしたー?ほらー?ん〜?なーんか目尻に水がたまってんでねぇ?ほーらほーら上越ちゃーん?」
「……こんのクソ山陽……わざとやってやがんな……」
「山陽っ!じゃれ合うのはいい加減にしろ鬱陶しい!」
と、東海道の怒声が飛ぶ。これも皆には懐かしい響きだ。
「それよりさっき言ったこと忘れるなよ!」
「あー、ヘイヘイ分かってるって東海道ちゃん…ってことで上越、デジカメ出して」
「へ?」
「メモリ。没収だと」
「えー!?うっそー!何でー!?」
「覚えのない画像を勝手に弄られてはたまったものではない!」
「だってよ。ホレ、おとなしく出せ」
「…覚えの…ない?…」
「そっ、あいつ記憶失ってた間のことなーんも覚えてねぇんだって、はは」
「…そう…なんだ」
「んじゃー、もらってくぜ、悪く思うな」
山陽はそう言うと、上越の胸ポケットから小型デジカメをするりと抜き出した。
「でも勿体ねぇなぁ、可愛いのに…萌え萌え東海道ちゃんフォトグラフィー♪」
「…貴様まだ殴られ足りないか、山陽?」
「すんませんでしたー!」
深々と頭を下げる山陽の手から、今度は東海道がデジカメを奪い取った。
「フン、くだらんものばかり写しおって」
「じゃあ、これで本当に解決だよね!めでたしめでたし!」
秋田のこの言葉で、部屋の空気が一気に明るくなった。
「でも良かったー、ギリギリだけど間に合って」
「ああほんとに、準備が無駄になんなくてよがった」
「…間に合ったって…何?長野が帰ってくるってこと?」
「なーに言ってんだ阿呆、オマエの開業記念祝いに決まってんだろ上越」
「あ」
そうだった。11月。上越新幹線開業の月。
こんな事件が起こったものだから、自分でもすっかり忘れていた。
「長野も楽しみにしてたからね、せっかくだからパーッ!と派手にやろうよ」
「おー、いいねぇ、秋田上官オトコマエー♪」
「えっと、ケーキでしょ?チキンでしょ?地酒でしょ?ピザ?サンドイッチ?それともお寿司?」
「…食べ物ばかりだな」
「じゃあ、これからみんなで相談!…の前に…お茶にしよう!久しぶりにみんな揃ってゆっくり、さ♪」
「んだな、ホレ、東海道もこっち座れ」
「ああ」
「東北も、上越もホラ、座って座って」
「ん…」
「うん」
「ダージリンでいいよねー?すぐ用意するから待っててー」
「あーあ、東海道ちゃんの煎れてくれた美味しいお茶はもはやマボロシか…」
てきぱきとカップを温める秋田と、腕組みしてどっかり鎮座する東海道を見比べ、山陽が残念無念、と呟いた。
「私は貴様のために茶など煎れん、寝ぼけるな、山陽」
「へーへー…そういうことにしときましょ」
すぐに香りの湯気をたたえた紅茶が皆の前に行き渡る。
「ふー、やれやれ…っと」
上越が制服の前ボタンを外しながらカップを手にする。
と、目の前にシュガースティックが2本、差し出された。
「…東海道?」
「あれ?上越はいつもストレートでしょ?違ったっけ?」
「疲れているようだからな」
そう言うと、東海道自身もガラス瓶から同じくスティックシュガーを抜き取った。
「疲れているときは、2本。そういうルールもいいだろう?上越?」
「…あ………この」
──記憶を失っていたときのこと覚えてないだってぇ?!
こんのぉ!しれっとした顔して!
「…うまいこと人のデジカメを取り上げやがって…ずる賢いったら…だてに年くってないな畜生」
「上越、汚い言葉遣いはやめろ。いつも言っているだろう」
「──時々ほんっとまじムカつくね、キミは──東海道」
「何のことか分からんな。それより紅茶が冷めるぞ」
そういうキミの口元が、かすかに緩んでいるのを見逃すボクだと思ってるの!?
でもって、すぐ横で意味ありげにニヤニヤしてる山陽も超ウザいんですけど!
「…キミはボクの知らない面をいくつも持ってるみたいだねぇ?東海道」
「そうだな、私も貴様のことはまだまだ知らないことだらけだ」
「……」
「だからこそ、共に走り続けることに意味がある。そういう考えは気に喰わないか?」
「…いーや、悪くない、その考え方」
「ほう、珍しく気が合うな」
「本当だね。だからデジカメ返して」
「NO」
「──ったく!東海道ったら!」
上越は、乱暴にシュガーをカップに流し込むと、熱さも忘れてぐいっと煽る。
適度な甘さを含んだ琥珀色の液体は、以前と違ってそれはそれは温かくじんわりと喉に、そして心に染み渡った。