『二人のうちどちらかがいるところには、いつも二人ともいるんだよ』
 A.ヘミングウェイ(1899-1961)「誰がために鐘は鳴る」より

 

エタニティ

 

 

「…何だか騒がしいね」

最終電車が終った静かな駅舎で、高崎は相棒の落とした呟きに顔を上げた。

「え?何か聞こえる?俺には全然…」
「そういう意味じゃなくて」

やれやれ、と、あからさまにため息をつかれ、小馬鹿にされた気分でムッとするが、やはりその視線の先には、ただ線路が夜の帳に溶け込んでいるのみ。
既に駅員の姿すらなく、ここにいるのは日本初の私有鉄道から国有鉄道へと姿を変えて久しい高崎線と、元の路線を同じくする東北本線の二人だけである。
 
常に双子のようだと称される二人だが、高崎にとって東北本線は長い付き合いを経てもその性格は掴みどころのないものだった。
東北本線には昔から、見た目には高崎よりもよほど愛想の良い少年を装いながら、その実、どこか突き放したような冷たさがひしひしと感じられた。それは三つの時代を経た今だって何も変わりはしない。
もっとも、それに気付いていたのは高崎だけかも知れないが。

「じゃあどういう意味なんだよ、そーゆー中途半端なこと言われると気になんだろ」
「別にキミに言ったわけじゃない、独り言さ」
「独り言は一人のときに言え」
「なるほど」

東北本線は制服の襟を人差し指で緩めると、ふぅ、と疲れたように手近のベンチに腰を下ろした。

「今日は、随分軍服さんが多かっただろう?」
「あー、だな。俺ンとこの駅の回りにもやたらウロついてたよなぁ。列車乗る気がないくせにえらくジロジロ中をのぞいて」
「特命でも出てたんだろう」
「特命?」
「けしからん思想の人間を確保するとか何とか」
「けしからん、ってどんなだよ」
「軍のお偉いさんのやることにケチつける輩さ」

満州事変を期に、日本の軍部はその権力を日増しに強めていた。
国民も、その流れを認める風潮だ。
今やこの国は揺るぎない軍事力をもって、世界の列強と肩を並べようとしている。

「あいつら、自分たちの有利になることだったら何でもするよ。きっと。僕らだっていつ爆弾抱えた車両を掴まされるか分からない」
「おい…よせよ、そういうこと口にするの」

人気がないとはいえ、あまりにも物騒な発言ではないか。
ぎょっとする高崎を尻目に、東北本線はふふ、と、鼻で笑って頬杖をついた。

「外国の哀れな同志を見ていたら、そんな気もしたってハナシだよ」
「……」
「本当に騒がしいね、どんどんどんどん…前に、前にーって感じで」
「そういや、オマエんとこ、今年に入ってもう三つも新しい駅開業したよなー」
「来年すぐにまた一つ増える、まったく慌ただしいったら」

進め、進め。
ただ前へ、前へ。
伸ばせ、走れ。後ろなど振り向かず。考えるな。従え。
でも、伸びた線路の先には何が在る?
未だ明けぬ暗闇が広がっているだけじゃないか。

「きっと、いつか…痛い目を見る」
「誰が?」
「みんなだよ、日本にいる奴ら。みーんな」
「……」
「…なんてね。そーんな気がしただけ。ま、何があったって所詮お国の持ち物であるボクらは決められたレールの上を走り続けるしかないんだけど」

う〜ん、と、伸びをして、最近ことさら高くなった背をベンチにもたれさせる。

「えらく無口になっちゃったね、高崎?もしかして僕の発言に引いちゃった?別に無理に付き合う事はなかっ──」

世情に反抗するような不穏当なことばかりを並べ立てた自分を、きっといつもの苦虫噛み潰したような顔で睨み付けているに違いない。
てっきりそう思って逆さまになった視界を相手に向けたが──

「や、悪かった…俺、オマエがそんな気持ちだったなんて知らなくて…」
「は…?」

これがまったく予想外の反応だった。
高崎は東北本線が腰掛けるベンチの背に寄り添うようにぺったりと座り込むと、相手の視線をしっかりと捕らえたまま、それはもう糞真面目な顔でこう言った。

「そうだよな、大陸であんなことあって、不安だよな。だって俺らの使命は、お客さんを安全安心に輸送することなんだから」
「?…いや、あの」
「ずっと一緒に走って来たのに、そんな不安に気付いてやれなくてゴメン」
「ちょっと待って、何か論点がずれてるような気が…」
「オマエ偉いよな、そういうことちゃーんと考えててな」
「……」

しかし、高崎はひたすらウンウンと自己完結してしまっている様子だ。
だって、何だか嬉しかったから。
冷めた性格だとばかり思っていた本線が、お客様のことを、駅員たち仲間のことを心配している──と、そんな風に思えたから。

「大丈夫だよきっと。俺ら、助け合ってやってけば」
「…どうしてそうなった?…僕はそんなハナシは一言も…」
「何があっても、どんな時代が来ても、どんな事件が起きても、走っていられるって」
「…それは預言?」
「そういう風に信じてるってことだよ!だって俺たち」
「……」
「国鉄サンなんかよりずっと前から走ってきたじゃんか」
「……」
「一緒に」
「…ふ…」

ぐりん、と、身体を回転させてベンチから跳ね降りた東北本線は、大袈裟に肩を竦めて苦笑する。

「頼もしいことだね、高崎。キミの能天気な顔を見てきたら、日本の未来を真剣に憂いている自分が馬鹿馬鹿しくなった」
「はぁ?ちょっと待て、それ何気に俺のこと馬鹿にしてないか!?」
「いやだな、褒めているんじゃない」

あの闇の先には未来へ向かう新しいレールが敷かれているに違いないと──そんなことを信じられるのは、きっと高崎だから。良い意味でも悪い意味でも。
僕にはとても真似ができない。東北本線はそう納得していた。

「ま、お国も景気のいいうちにしっかり路線を延ばして、車両も新しいのじゃんじゃん入れて欲しいよねぇ」
「あーでもオマエ、これ以上デカくなったら、きっと俺みたく区画切って名称変更とかされんぞ」
「面倒臭いね、それ」
「あー、面倒臭かった。ま、もう慣れたけど」
「いつか僕が別の名前を持っても」

東北本線は高崎の隣に歩み寄り、同じ高さにあるその肩に手を置いた。

「やっぱりこうして二人並んで走っているのかな」
「そうだな…そうだといいな」
「いや、僕は別にドッチでも」
「あのなっ!…ったく、オマエのその根性悪だけは何百年先でも絶対変わんねー!賭けてもいいっ!」
「へぇ、それは預言?」
「確信だよっ!」
「…じゃあきっとそうなるね」

いつになく素直な言葉に、高崎は一瞬悪態をつくのを忘れて相手の顔を見返した。
本線は笑っている。でも、どこか寂しそうだ。
オマエ信じてないだろう、と、高崎は本能的に思った。
そうなるとか、口先だけで、本当は何も信じてないんだ。
冷めた目も、高飛車な態度もそれを隠せない。
それが分かった。今、初めて分かった。
だから、

「──その根性悪と俺はきっとずっと一緒に走ってる!何百年先でも何千年先でも一緒に!オマエが嫌がろうがなんだろうが!」
「…高崎…」
「絶対にだ!」

若干ケンカ腰になりながらもそう宣言すると、肩に置かれた手に自分の手を重ねた。

「絶対にそうなるから!信じろ!」
「……」
「賭けてもいいぞ、うちの車両!」
「…もらったって、どうせ同じモノじゃない」

東北本線はまた笑った。
寂しさは先程よりは薄まって、どこか面白そうな笑顔。
重ねられた手の下で、その指が高崎の肩を強く掴んだ。

「じゃあ、そうなる……高崎がそう言うなら」
「ん」

 

 

日本が知らず知らず抜け切れぬ泥沼にずぶずぶと足をとられる、そんな時代が幕を開けようとしていたけれど。二人の間には信じられる未来があった。

いや、未来があると信じたからこそ、どんな苦難の時代をも走り続けることが出来たのかもしれない。

 

 

*   *   *

 

 

「なーなー、京浜東北がスカイツリーの見学希望日、早く出せって行ってたぞ」
「ああ、あれねぇ…JRがそろって東武さんに金を落としに行くなんて正気の沙汰じゃないと思うけど」
「いーじゃん、今すげぇ人気で超レアチケットなんだぜ♪俺はすげー楽しみ」
「…ボクはいつだっていいよ」
「じゃあ俺と同じ日にしとく、いいよな?」
「任せる」
「おーし、決定。埼京にも言っとかなきゃ」
「それじゃボクは先に出るよ、高崎」
「おう、今夜また大宮で。メールしろよ」
「オーケー」
「また後でな──」

 

「宇都宮」

 

すっかり慣れた名前を呼ばれて笑った。
いつものように、面白そうな笑顔で。

 

 

望んだ未来が必ずしも皆に訪れるとは限らない。
ただ、信じた数だけ希望が生まれ、希望は光となって自らの足下を照らすだろう。

少なくとも、先の見えないレールをやみくもに恐れることはもう──ない。

 

 

 

 


END

 

2012/8/15
夏にオフで出せなかった昭和初期のふたり。ちがうのに、いっしょ。そんな運命。