*特別という名の電車*
「随分やっかいみたいだねぇ?」
「…何のハナシ?」
「東北上官の兄──“いわて銀河鉄道”サンのことだよ “東北本線”」
「…ああ…」
宇都宮は、冷やかし半分で書類の向こうから自分を見つめる眼鏡越しの瞳を一瞥した。
京浜東北が情報通なのは今に始まったことではないけれど、どうもいつも以上に反応が早過ぎる。
しかしながら宇都宮が抱いた微かな疑問は、続く言葉を耳にしてあっさりと解決した。
「高崎がさ、さっきまでココにいたんだけど。“宇都宮が大変だー、大変だー”って、まるで自分の事みたいに言ってたよ」
「心配性なんだよ、アレは」
「そりゃあ心配するでショ?いろんな意味で?」
「…その含みのある言い方はやめて欲しいんだけど?余計暑くなる」
「だってさ、“会って5分で殴りたくなった人は初めて”──なんだろ?」
「……ま、ね」
高崎はなんだってそんなことまでベラベラ喋ってんだ。
宇都宮の胸の奥にチリと疼くような苛立ちを覚えた。
いくら京浜東北相手だと言っても、こう会話が筒抜けでは面白くない。
「まぁま、高崎も思うところがあったわけだよ」
京浜東北が、そんな宇都宮の心情を見越したようにクスリと笑った。
「思うところって?」
「そりゃまぁ、あの上官兄が──キミにとって“特別”だってあたりじゃない?」
「はぁ?」
「何事にも冷静なキミが“会って5分”でそんな感情を持つなんて滅多にないことじゃないの。そりゃあ気になるって」
「……」
「まぁ、僕としてはキミに高崎以外の“特別な”友人が出来るのは悪いことではないと思ってるんだけどね」
「バカ馬鹿しい、何それ」
宇都宮は腰掛けていたパイプ椅子から立ち上がると、その長身から挑むような目線を京浜東北に投げかけた。
「高崎は僕から話を聞いてもただ“大丈夫か”“酷ぇなー”って眉しかめて繰り返すだけだったよ?あの単純な男にそれ以上の勘ぐりがあるなんて思わないけど」
「高崎はただ単純じゃなくって純粋、なんだよね。だから思惑が絡まったややこしい感情にはすぐに反応できない。でも時間をかけてじっくり考えるとまぁ…改めていろいろと思う訳だよ」
「……へぇ、高崎のことをよくご存知で」
「長い付き合いだからね。もちろん、キミとも」
「ほんと、うんざりするほどにね」
宇都宮はお得意の貼り付いた笑顔を盛大に振りまくと、ヒラリと身を翻してドアに手をかけた。
「“長い付き合い”なら分かるだろ京浜東北?まぁ確かに上官兄はなかなか興味深いひとではあるけど──」
「ふーん」
「高崎と同じになれるヤツなんてこの世の何処にもいやしない」
「それ、本人に是非聞かせてあげたいセリフだね」
「もう言ったよ、さっき」
朝のラッシュを終えた、大宮駅で。
* * *
「よう、宇都宮」
「やぁ高崎」
「今日もあちーなー。ほら差し入れー、アイス。溶けるからすぐ喰って」
「……」
「何だよ」
「高崎が差し入れ…それも給料日直前に…これはせっかく梅雨があけたのに早くも嵐がくる前兆か…」
「うっせぇな!とか言いつつ既にがっつり喰ってんじゃねぇか!」
「だって溶けるだろ?勿体ない」
「ったくオマエは!」
高崎は宇都宮と並んでベンチに腰を下ろすと、自分も棒アイスの袋を破いてキンと冷え切った塊を口に含んだ。
「…で?」
「んー?」
「どうなんだよ、その後、“いわて銀河鉄道”は」
「んー、相変わらずイラッとさせてくれるけどね。まー元々あくせく走る必要もないのんびり路線だから。何とか回してくてれるみたい」
「そ、か」
「もしかして心配してくれてたの?でもってアイスは陣中見舞い?」
「…だってオマエがあんなこと言うからよ…」
「あんなこと?」
「会ってすぐに殴りたくなったとかさ」
「すぐじゃないよ、5分だよ」
「つっこむなよ、同じだろ」
「すると高崎は、5分の遅延は遅れていないのと同じ事だと…」
「問題ちげーよ!そこで遅延出すなー!」
「…あー、冷たくておいしー♪」
「…オマエはなぁ…」
「……」
「……」
それからしばらくは互いに黙ってアイスを食べた。
幾重にも並んだホームに、青や緑やオレンジのラインを纏った車体が出入りする様をじっと眺めながら。
「…なぁ宇都宮」
「んー?」
「…その東北上官の兄さんって」
「うん」
「俺に似てる?」
宇都宮の瞳がいつもより大きく開いて高崎を振り返る。
でも高崎は宇都宮を見ていなかった。
もう半分くらいに減ってしまった棒アイスを口にくわえたまま。
その視線は、北へ伸びる線路の向こうに投げかけられたまま。
「──まっさか。ぜーんぜん似てない。あのひととキミなんて」
宇都宮はガリン!と大きな音をたてて棒アイスを齧った。
「だって僕は──確かにイラッとはするけど──別にあのひとのこと嫌いなんかじゃないし」
そう言ってやると、高崎の表情が何となく緩んだ。
(何だこのバカ)
そして分かる。
ほんの僅かだけど自分の口元も同じようにだらしなく緩んだなってことも。
(だから、そんなところが)
「…まぁキミくらいなんじゃないの?僕がこんなに嫌いになれるのは」
そんな“特別”なヤツ──この世の何処を探したって他にいやしないのさ。