*そして夢の中*
それは、ようやく春の陽気を感じ始めたある日の午後。
「──“だよなァ?”」
「えっ?何、武蔵野?ごめん、よく聞こえなかった」
京葉は、ともに事務作業をこなしていた武蔵野の突然の呼びかけに、嫌々ながらも集中していた書類からふと目を上げ…そして首を傾げた。
だってそこには、パイプ椅子にふんぞり返って仰向けになって(なんて器用な!?)ガーッと居眠りを決め込んだ、武蔵野のだらしない姿があるだけなのだ。
「え?あれ?!武蔵野、寝てんの?…じゃあさっきの声って誰の???…」
「──“と、思うんだよなァ”」
「……へ?……」
「──“やっぱり”──むにゃむにゃむにゃ…」
「って、寝言ですか──!?」
(マジで──!?)
たいていのことには肝の据わった京葉もさすがに驚いた。
直通が始まってこのかた、武蔵野と一緒に泊まる機会は何度かあったが、まさかこんなにはっきりした寝言を垂れる癖があったとは…。
「…あのぉ…もしもし?…むさしのさーん…」
「──“ん”──“んん”──“なるほどなァ”…」
「うわぁ…」
どうやら武蔵野の夢の中では、現在進行形で会話が進んでいるらしい。
「…気持ち悪い…を通り越して感動すらする…やっぱただ者じゃないよキミは…」
ようやく気持ちが落ち着くと、今度は京葉の胸にむくむく悪戯心が沸き起こってきた。
試してみようか、もしこちらがこの状況で受け答えしたらどうなるか…とか。
(あ、でも、寝言で会話すると──良くないんだっけ)
確か寝付きが悪くなるとか何とか、京浜東北が言っていた気がする。
でも、今は業務のまっただ中で。
人に書類押し付けておいて自分はすやすやと夢の中だなんて。
多少、いや、大いに寝付きが悪くなってしかるべきなのではないか?
「…むさし、の?」
「──“むむ”──」
(わーちゃんと反応するよこの人…超面白い♪)
頬杖をついて、よく見えない相手の顔の方向を凝視して。
さて、何を話しかけてみよう。
どうせ眠ったままの相手。
起きたら夢の中身なんてあっさり忘れ去ってしまうようなそんな相手。
今ならなんでも聞ける気がする。
そうだ、いつもは面と向って聞きづらいことだって──
「……む、さ、し、の」
「──“んん?”──むにゃ…」
「…僕はね…けっこう…真面目に武蔵野のことが好きみたいなんだけど…武蔵野はどう思う?」
「──“ん”──“ん”──…“いーんじゃね?”……」
「………」
(そうだね)
これは単なる寝言だから
起きたら忘れる夢だから
きっと東上がたずねても有楽町がたずねても八高がたずねたって
キミは同じように答えるんだよね
でも、いいよね
今はいいよね
今見てるのは、きっと僕の夢だよね。
「ありがとう、武蔵野」
むにゃむにゃ…と訳の分からない呟きを聞いたあと、京葉は再び手元の書類に視線を戻した。
だから気付かなかったのだ。
だらけきった姿勢のままの武蔵野が、ほんのすこーし薄目を開けて、小さく舌を出していたことにも。
ほんのすこーし、笑っていたことにも。