*OWN*
「うっおぉおおお!」
東京駅の上官専用室。
日本全国快晴、運行状態もこの上なく順調──という平和な風景に似つかわしくないうめき声が響き渡った。
「え?何?何が起きたの!?」
「山陽っ!気持ち悪い声を上げるな!」
「だ、だってぇえええ!」
鏡の前で涙目で立ち尽くす山陽。
いつもより多めに抜けた髪の絡んだ櫛を差し出し、
「毛が…俺の毛がこんなに…抜けた」
「あー、ほんとだ」
「あーあ、ヤバいね、山陽。ハゲるね」
「…秋田、もうちょっとこう…オブラートに包んだ言い方はできないのか?」
「うっそー…これ、ハゲの兆候?!まじでまじでまじでー!?やだよー!」
「フン、脱色などしているからだ、馬鹿者」
悶絶する山陽に、東海道が書類から目も上げず冷たく言い放った。
「痛んだ髪が抜けて行く。自然の摂理だ。諦めるんだな」
「ちょぉ──!とうかいどぉ──!」
「うーん、確かに痛んでいるのはあるかもしれないけど…」
上越をはじめ、東日本の面々がそんな山陽を取り囲んだ。
「しばらくカラーはやめて黒髪に戻したらどうだ?」
「え?…や…それは…」
「…だよねぇ、その髪はもはや山陽のトレードマークみたいなもんだし」
「よく似合ってるべなぁ」
「育毛剤とか使ってみたら?ネットでいいのが出てた気がする」
「あ、あきらめちゃダメです!山陽せんぱいっ!」
「まじっすか…まじヤバい…頭髪の危機…ううう」
「戻せ戻せ!黒髪に戻してしまえ!」
今度は真面目に話に加わってきた東海道が、仁王立ちでビシッ!と山陽の茶髪を指差した。
「だいたい!貴様にだけ長いこと甘えさせてきたのが間違いだ!そろそろ観念して戻すんだな」
「だからヤだって…」
「じゃあ、心置きなくハゲるがいい!ハゲようが何しようが関係ない!運行に支障がなければそれで良い!」
「うー…」
厳しい言葉の数々に、反論する気もなくしたのか、山陽はフラフラとドアの方に足を向けた。
「ちょっと、山陽」
「…オレ、一足先に戻るわー」
がっくり肩を落として出て行く山陽を見送ると、上越が東海道を振り返ってこれ見よがしに眉をしかめた。
「相変わらずとは言え、長年の直通相手に冷た過ぎない?東海道?」
「何を言う。高速鉄道のくせに髪を染めている方がどうかしているのだ。私の言うことは正論だ」
何が悪い?という顔の東海道に、上越は大きく肩を竦める。
「…あのさぁ、東海道は、山陽が何で茶髪にしたのか知ってんの?」
「はぁ?そんなもの──どうせおしゃれだとか、モテたいとかそういう浮ついた気持ちに決まって──」
「そういう言い方するってことは、知らないんだ。こんなに長く一緒に走ってきたのに?」
「…それ、は」
「僕だって知らないけどさ。でも、彼がそこまでこだわるんだから、何か彼なりの理由があると思う」
「いや、だからと言って──」
「あのさ、前にも言ったかもしれないけど、山陽は東海道のものでも何でもないんだからさ。あんま干渉しないであげたら?」
「何だと!?」
「…おい、上越」
「だってそうじゃない?東海道も、あの九州のオッサンもさ、当たり前の顔して山陽のものをどんどん奪ってってさ。路線だって駅舎だって車両だって── “山陽らしさ”をどんどん取り上げてって」
「──な──」
「それであのヘアスタイルまでなくなったら、山陽の山陽たる部分なんてなーんも残らなくなるじゃない、違う?」
一瞬、部屋の中が静まり返る。
苦言を呈するつもりだった東北も、結局はため息をつくに留まり代わりに視線を東海道に移した。
「……馬鹿馬鹿しい」
東海道はポツリと言葉を零すと、まるで何もなかったかのようにソファに座り手元の書類に集中し始めた。
「あー、疲れたぁ…またこの疲労がアタマにきて髪が抜けたりすんだろうなぁ…ついに俺も年なんかなぁ…」
最終運行を終えた山陽が新大阪の休憩スペースで缶コーヒー片手にずっしりと沈み込んでいると、カツカツと規則正しい靴音が目の前の止まった。
「本日も無事運行終了だな、山陽」
「…ん…お疲れさん、東海道」
山陽は相手に目も上げずに、手元のコーヒーをずずと啜った。
「……あれ?今日は、本社に帰るんじゃなかったっけ?」
「いや、昼間、お前に尋ね忘れたことがあってな」
「?」
「その、髪のハナシだが──」
「…あー、もう今日はモメる元気ないからその話題はパス。どーせ黒に戻せってゆーんだろうけど…」
「何故だ?」
「へ?」
「何故、その色に染めた?」
山陽が顔を上げると、両手を組んでじっと自分を見つめる東海道と目が合った。
「何故染めたんだ?知っているぞ、お前が黒髪だったのは、高速鉄道となって俺と直通すると決まったその前後数週間だけだっただろう?お前はそれよりもっともっと前から──髪を茶色にして周囲から奇異の目で見られていたと聞いた、西日本の古株職員からな」
「…何でそんなハナシを…」
「知りたいからだ」
「……」
「何故だ?」
「え、えーと」
こうなると頑として譲らない東海道の性格は知っている。
答えを受け取るまでは逃さない、という顔をしてる。
だから山陽は、言い訳を考えることを放棄した。
そして、肩からふーっと力を抜くと、微かに口元を緩めて、こう言った。
「…怖かった、のかな」
“役立たず”
戦争の役にも立たず
復興の役にも立たず
平和の役にも立たない
じゃあ
俺って何だ?
ここにいる、この身は一体何なんだ?
確かめたくて
確かめないと恐ろしくて寂しくて
「…なんてな…」
こんな気持ち。他人に分かるはずもない。
ましてや東海道になんて。
つまらないことを言った。
と、山陽が軽く後悔を始めたとき、それまで黙って立っていた東海道がおもむろに口を開いた。
「怖かったの、か?」
「…え…」
「怖かったから染めたのか?そうなのか?」
「……うん」
素直に頷くと、東海道はふーっと息を吐いて、
「それで?」
「は?」
「今はもう怖くないのか?」
「……」
「その髪で走っている“今”は──怖くないのか?」
「…ああ」
「なら仕方ない」
と、山陽にくるりと背を向ける。
「え?え?いいの?」
戸惑うように山陽が聞き返すと、背中が小さく上下した。
「その色でいると怖くないのだろう?ならばそうしていれば良い」
「でも、お前は黒い方が良いって…初めて会ったときのあの色に戻せって言ってたじゃん」
「俺──私は、高速鉄道として、JRを背負う誇り高き鉄道として “黒髪”が良いと言っているのだ。あのときの“黒”が良いとは一言も言っていない」
「……」
「あのときのお前は……“嘘”だから嫌だ」
「東海道」
立ち去りかけた東海道の腕を、素早く立ち上がった山陽の手がっしりと掴んだ。
「…何だ、山陽」
「俺、やっぱこのままでいるわ!」
「……」
「だって俺、すげぇ気に入ってるから!好きなんだ、この髪の色!」
きっぱり言い切ると、ふっと東海道の表情が緩んで人なつこい笑顔がのぞいた。
「…仕方ないヤツ。不良め」
そして東海道の少し癖のある黒い髪の隣、頭ひとつ高いところにさらりと柔らかい茶色の髪が並ぶ。
それはいつもとかわらぬ風景。
東海道山陽新幹線の──ありふれたいつもの──だからこそ大切にしたいそんな風景だった。
「…と、言う訳で、貴様にコレをやろう山陽、有り難く受け取れ」
そして翌日。
東京の上官専用室に、どーんとでっかい発泡スチロールの箱が届いていた。
「…何コレ…」
「見れば分かるだろう!ワカメだワカメ!髪の健康にはやっぱりコレだろう!」
「いやあのでも──多過ぎるだろなんぼなんでも──つかそんな一度に喰えませんけど俺!」
「大丈夫、毎日朝昼晩と食せば良いのだ!」
「一日三食ワカメ!?どんな罰ゲームですかソレ!?」
「名古屋と新大阪、それからついでに岡山と広島と博多にも送っておいてやった。博多方面にはちょうど良い時間に“ひかりレールスター”があったのでそこの乗務員室に運び込んで…」
「やめてぇえええ!俺のレールスターが磯臭くなるぅううう!」
「心配するな、味も品質も最高級の三陸産ワカメだぞ(えっへん)」
「ありがとよっ!でも気ィ使ってほしいのはソコじゃねーんだよっ!」
「山陽、なんだったら僕が食べるのを手伝ってあげようか?」
「…お前にワカメは必要ないだろう、秋田」
「どーやって食べるの?みそ汁?」
「ふっ、ワカメ=みそ汁とは単純だな上越。ワカメにはもっと多彩な調理法がある。現在、それを鋭意開発中だからこれで味に飽きることは──」
「……開発中?……誰が?」
その頃、兄の頼みで、ワカメ料理のバリエーションを研究する東海道ジュニアの姿が──あったとか、なかったとか。