*その名を呼ぶ*
きっと誰でも良かったんだ。
そうだろう?
もう一世紀以上も昔。あのとき。
たまたま僕に振り当てられた路線。
示された行先。
その上を走り続けていたら、いつしか僕は今の僕になった。
──僕って何だろう──
ときどき、思うことがある。
僕が走ることをやめたらどうなるんだろう?
いや、実際に消えていった奴らがたくさんいるじゃないか。
時間という見えないけれど容赦なくうねりを上げる濁流に飲み込まれて。
運が良いだけだ。今、僕がここにいるのは。
じゃあ、ある日神様に見放されたら?
走ることができなくなったら?
僕の代わりになる奴が現れたら?
僕である必要はないんだ。きっと。
毎日時刻どおりに上野から北へ人々を運ぶことさえできれば。
じゃあ、今、こうして制服を脱ぎ去った僕は一体誰なんだ?
この
ぼく
は
「うっつのみやー!」
「………え?」
「おー、着替え中だった?悪い悪い、ノックしたけど返事ないしよー」
「…あえて無視してたんだけど…ていうか勝手に人の部屋に入って何を…」
「ほれー!見ろー!お前の好きな豚マン!でき立てー!」
「……」
「買ってきてやったぞありがたく思え!」
「……」
「ほら、うつのみやー、あったかいうちに喰おうぜ」
「…うん」
「早く着替えろよ、宇都宮」
「…うん」
「なぁ宇都宮」
「……うん、高崎」
そうして君は僕が誰なのかをいつでもはっきり教えてくれるんだねぇ。
君に名前を呼ばれると、自分が確かな存在になるのを感じるよ。
もし僕の代わりに走れる奴が現れても僕がオレンジの制服を手放す日が来たとしても、君はそうやって僕の名前を呼んでくれるだろうか。
「あーのどかわいたー、宇都宮、茶ぁー!」
「…あのねぇ」
さぁどうやってこの礼儀知らずをいじめてやろうかと画策する僕はもういつもの僕。
京葉じゃないけど、まるで魔法みたいだ。
君が呼べば。
僕を呼べば。
僕は僕でいられる幸運などまるで気付かぬふりをして、胡坐をかいて。
人生を──この世のすべてを楽しむことができるよ。