*ほんの少し背伸びして*
「…もし、ボクがボクじゃなかったら…」
「──!?」
埼京の口から出た哲学的なセリフに、傍らの京浜東北はえっ、と息を飲んで目を見開いた。
普段は遅延だの痴漢だの積み残しだの、大層現実的でベタな騒動に涙する彼が。
至極真面目くさった顔で、自分のではなくホームをいくつか挟んだ京浜東北の線路を見つめながら呟くから余計に驚く。
「それって、別のラインを走ってみたいってこと?」
山手もよくそんなことを言っている。
ぐるぐる同じ路線を回るのは飽きた、どこか遠くへ──違った場所に行ってみたいと。
だから埼京もそんなことを考えたのかと思った。
確かに南は新木場まで延びて北は川越まで乗り入れているとは言え、たまには違う車窓を楽しみたいと思う気持ちがあってもおかしくはない。
「うーん…ちょっと違うんだなぁ」
「そうなの?」
埼京は、どうやって自分の気持ちを表現したら良いか悩んでいるようだった。
長く個性の強い在来線たちのまとめ役をつとめてきて、彼らの意図を把握する能力には少なくとも他の者より長けているはずだ。
そう自負する京浜東北にも、今、すぐ隣で──触れられる距離にいる埼京の気持ちがてんで掴めないでいた。
いや、この比較的(少なくとも自分よりはるかに)若き路線は、もしかしたら出会ったその日から、今までで一番自分を翻弄する存在なのかもしれないけれど。
「何ていうか、もう少し高い場所に行きたいっていうか…」
「それって、高速鉄道になりたいって意味?」
「まっさか!ソレはない!無理!」
そういう責任感の大きな役目がらしくないというのも分かってると言った。
「じゃあ何さ」
いい加減進まない会話にうんざりして、明るいグリーンの肩に手を乗せた。
「つまりボクが言いたいのはね…ほんの少しだけ…ほんの少しだけでいいから背伸びして…もうちょっと高いところから自分自身を見てね、それで…」
もじもじと、でも真剣な瞳を上げて、こう言った。
「…自分で自分のコトちゃんと見て…探したい…自分の良いトコ…そして好きになってあげたい…自分のコト…せめて自分だけは」
そして頬を赤くする。神経質にカールした髪をいじる。
いつもの癖。
いつも本当に、純粋で、そして危うい子。
「…埼京ったら…」
やっぱり彼は、知りうる在来線の中で一番──一番自分を──戸惑わせる。
京浜東北は空いた手でメガネの弦を押しやると、小さくため息をついた。
「また何か誰かに言われたの?宇都宮?東海道?」
「……そういうんじゃ」
「あのね、埼京、はっきり言っておくけど」
大きく息を吸って、大きな声で答えた。すぐ脇を通り抜ける貨物列車に負けないように。
「僕は君が好きだよ」