*Faster*
開業を2011年に控えた山陽・九州新幹線の1号車がついに完成。博多に移送されてきた。
「いよいよ試験走行か…」
九州は、駆けつけたJR西日本博多総合車両区で、出来上がったばかりのまっさらな車体を見上げ満足げに呟く。
「これが我らの本州制覇の礎となるのだ──うむ、よし。全線開通のあかつきには、あの鬱陶しいJR東海を我が傘下におさめ、さらにJR東日本の連中をこの足元にひれ伏させて、函館あたりまで一気にライン拡張を──」
「真昼間から大声でナニ物騒な夢語ってんの、九州のダンナ」
呆れ半分、苦笑半分の声が、倉庫に響く。
それがここの主──山陽新幹線であることは振り向かずとも分かった。
「おうおう、来たかー、ニューバディ。なかなかカッコイイねぇ、うん、この青磁器もどきの青っぽい車体がクールな感じで…」
「コラ!サンドイッチ喰いながら車体に近づくな!ああもうっ!パン屑ついた手で触るなっ!シミが付く!」
「なーに言ってんの、コレ、車両でしょうが?外走るんでしょうが?すぐに汚れまくるに決まってんだから──」
「それでも!新たな新幹線の歴史を切り開く1号車なのだぞ!もっと敬意を表して接するものだ!」
「へいへい」
この並々ならぬ職務への熱意というか執着というかこだわりというか。
クソ真面目過ぎるとこも、やっぱコイツどっか東海道に似てる気がする。
言ったらドッチも怒るから言わないけど。
山陽は胸の中で密かに沸き起こる笑いを噛み潰すと、傷ひとつないピカピカの車体に身を預け、九州を振り返った。
「にしても、こんなに早くお出ましとはねぇ。さすがに気合い入ってますなぁ、九州サンは」
「当たり前だろう!待ちに待った試走が始まるのだからな!早く颯爽と海を渡り本州を走り尽くしてみたいものだ!この私の足で!」
「…うーん、でも…どうかなァ」
腕を組み、意味ありげな視線を向ける山陽に、九州は憮然とした態度で応じた。
「何だ、まさか私の足が信用できないとでも言うのではあるまいな?ああ?」
「うーん、そういうわけじゃねぇけど…颯爽と走る、ってのは…無理っぽい気がしマス」
「!?──何故だ、この車体であの地形、東海などよりよほど高速での走行が可能に──」
「問題はソコじゃねぇの」
「何?」
「だってアンタ……過去引きずり過ぎてんだもん」
「──!?」
「んな昔のコトいっぱい背負った重たい心と体じゃ、海を越えるあの爽快感は味わえないかもよ〜?」
「……」
「もっとさ、軽くなんねーと。速度計、どんなに振り切っても、本当の速さは出ないんじゃねぇ?」
「…それは私ではなく、はと、いや、東海道新幹線へこそ向けるべき言葉じゃないかね?」
「東海道は──あいつはもう──結構速いぜ」
ニヤリ、と山陽が笑う。嬉しそうに楽しそうに。
それは決して、九州と2人きりでいるときには見られぬ心底温かな笑顔。
「あいつは速くなった。アンタは知らないだろうけど。見惚れるくらい、すげぇカッコ良く走るぜ。なんせオレがついてっからな」
「…うんざりだな、お前たちの仲良しごっこに付き合うのは」
「お互い軽やかに走ろうって言ってるだけじゃん」
「フン、馬鹿馬鹿しい」
九州はそう鼻であしらうと、くるりと背を向けて立ち去ろうとした、が。
「…それでは私も、お前がいればより速く軽やかに走れるというわけかな?」
「お望みなら。エスコートいたしましょうか?九州新幹線殿?」
「はっ──お断りだ。まぁ見ていろ。どちらが上に立つ者か、試走の場でとくと味わうがいい。せいぜい私に置いて行かれないよう気をつけるのだな、山陽新幹線」
そして「ふはははは!」と不適な笑い声を残し、今度こそ扉の向こうへと姿を消した。
「…いや、だから、さァ…」
あの丁寧でそれでいてキツく投げつけるような口調も──
富士山の頂きよりも高いプライドや深海より深い自信も──
「東海道と九州…絶対似てるよ、なァ?」
あーあ、オレっち、ほんと、可哀想。
山陽は、鏡のように磨き抜かれた車体に頬を寄せそう囁くと、ボディに映った自分自身を慰めるように、チュッ、とキスを落とした。