*遠くて近い*
「先輩、有楽町先輩」
「ん?何?副都心」
「…低気圧が接近中です」
「は?何言ってんだお前、ここは地下の…」
「西武サンがコッチ来ます、すんごい怖い顔で」
え、と目を上げると、確かに。
ズンズンズンと躊躇無く一直線にこちらに向かってくるのは、言わずと知れた西武池袋。
その背後から、必死に歩調を合わせるように(それでも追いつかなくて駆け足になっているが)こちらもいつもの西武有楽町。
「営団!」
「ああ、お揃いで…何か用事あったっけ?」
「まったく不本意だ!」
カツッ、と固い靴の音が止まるや否や、西武池袋がメトロ有楽町に噛み付かんばかりの勢いでそう怒鳴った。
「まったくもって不本意としか言いようがない!これも会長が天から与えたもうた試練か!そうなのか!」
「あの、西武い──」
「この屈辱と辛苦に耐えることこそ、堤会長への忠誠の証!そうとでも思わなければ耐えられん!このような事態!」
副都心は訳が分からずポカン、とこの状況を眺めていた。
どこかで口を挟んでからかってやろうかとも思うが、いかんせん話の内容がまったく見えない。というか理解不能。
いきなりメトロの領域に足を踏み込んで電波をまき散らされて。
何の儀式だこれは。
「…ああ」
しかし、怒鳴られているはずの当の先輩──メトロ有楽町は、いたってのほほん、といつもどおりの態度で応じた。
「うん、分かった、会議でもあるのかな?夜まで?」
「──時刻がまったくもって読めない!何たる事だ!」
「そうか、重要な話なんだな…大丈夫だよ、西武有楽町のことは任せて」
「わたしは、お前にまかされなくても平気だ!」
「ああ、そうだね西武有楽町。じゃあ西武の方はキミに全面的に任せるから、俺は手伝いするよ」
「…ならいい」
「分かっているだろうな!もしものことなどあってみろ──」
「ないって、ないって。西武有楽町は立派な一人前の路線だよ、何の心配があるっていうんだ?」
「……では、行くっ!」
来たときと同じくらい唐突に、西武池袋は踵を返して去って行った。
あとに残ったのは、小さいながらも立派に西武な有楽町と、メトロな有楽町と…若干呆れ気味の副都心。
「先輩…あの、何だったんですか、アレ…」
「ああ、西武池袋はどうやら西武本社から緊急の呼び出しが来たみたいだな。それで有楽町が1人で残るから、念のためにこちらにも頼みに来たんだよ」
「…今ので?!今のが人にものを頼む態度?!…いや、それ以前にさっきの会話のドコをどう訳せばそんなハナシになるんですか???…」
「西武有楽町」
しかし、そんな呟きはメトロ有楽町には届かず、彼は目の前の栗色の髪の少年の前にしゃがみ込んで笑顔で語りかけていた。
「じゃあ、そういうことだから、もし何か少しでもおかしなことがあればすぐに俺の携帯を鳴らして」
「…む…わかった…」
「無理はしないこと。これがたったひとつの約束。頼むよ」
「…む…たのまれて…やってもいい」
「じゃあ、これから池袋が帰るまで、よろしく、有楽町」
「わかった!」
「せっかく来たから何か飲んで行く?ミルク?」
「コーヒー!」
「はいはい。えっと、フレッシュは2個、と。砂糖はスティック1本半だよね」
「…ん」
「コッチおいでよ、まずは休息。ダイヤに問題はないだろ?」
「…うん」
メトロ有楽町の手招きに西武有楽町は当たり前に答え、メトロの管轄内であるにも関わらず当たり前のように手近なイスに座ると、当たり前のようにコーヒーを受け取った。
「あ、副都心もコーヒー飲む?…っと、お前、コーヒー派だっけ?紅茶もあるけど?」
「…コーヒーで結構です」
「大好きですよ」、と言うと、「そうか」と、さらりと返答された。
ちゃんと覚えてくれたのだろうか、腹立たしくなるほど人の良い、この先輩は。
西武の少年への嗜好と同じように、あのゴールドの頭の内に。
──いや、そもそも、先程の自分の返答は一体何に対してだったのだろう。
副都心は、セルフサービスでコーヒーを注ぎながらふとそんなことを思った。
「…ねぇ、有楽町先輩」
「何?」
「僕、今、すごく欲しいものがあるんですよ、何だか分かります?」
「はぁ?!何だよ急に、おかしなヤツ…そうだな、どうせ宇宙、とか言い出すんだろ、お前のことだから」
「違います。もっと遠くにあるものです」
「…?…」
本当は手を伸ばせば触れられるほど近くにあるのに。
どんなに金を積んでも最新の技術を駆使しても、どうにもできない障壁が、邪魔をする。
例えば──ともに過ごした時間、という名の。
見えないけれど大きく長い障壁が、目の前に横たわる。
「…まったく、見た目には本当に近くにあるんですけどねぇ…」
「遠いのに近いの?…へぇ、何だろ?」
首を傾げるメトロ有楽町は、しかし次の瞬間には、熱いコーヒーを傾ける西武有楽町へと注意を集中してしまっていたから──
後輩の──副都心の視線が己の顔と、西武の蒼い制服の間をゆっくり行き交うことに、最後まで気付くことはなかった。